イザヤ書64章は言うなれば神の前における、イザヤによるイスラエルの罪の告白と、神の憐れみを請い求める、そんな内容になっています。

 全体としてみれば、1)神の御前における罪の告白 2)罪の告白に対する神の言葉による応答 3)救済の告知と実施というような流れにあって、ちょうど64章は 1) の部分に相当します。

 第三イザヤの活躍したのは、およそ紀元前515年の前後と言われています。ところが、この聖書箇所はバビロンによるエルサレム神殿の破壊や、あるいはエルサレムの破壊を言っていますので、イザヤはイスラエルの亡国の歴史を振り返ると同時に、イスラエルの滅亡からバビロン捕囚という、神の沈黙や神に見捨てられたという、そういう中に身を置き、そこにあってイスラエルの神に対する偶像礼拝の罪を告白します。

 第三イザヤが生きた時代は、イスラエル滅亡からすればかなり後であり、しかもペルシャ帝国のキュロス王が台頭した時代ですので、直接は関係ありません。

 しかし、イスラエルの過去の歴史をここで神のみ前にあって、神に対する背きのゆえの処罰であり、また、ここで神に対して、「神さまはイスラエルを救済する方ですよね!」という、神さまに対する切実な祈り、嘆願を行っています。

 ここで注意しなければならないのは、イザヤの嘆願は神に対する絶望のゆえではないという点です。

 イザヤは、イスラエルはまさにこの神によって創造された民であり、その神がその手の業による民を見捨てるはずはなく、今、イスラエルの上に下されている裁きも、「永遠の苦しみではないですよね」という、神に対する正義の実行を求めています。

 イザヤは、わたしたちの信じる神は、世界における正義を司る神であり、正義を司る神は、決して私怨や不当な扱いをすることはありえないと信じています。

 イザヤは、自身をイスラエルの過去の歴史における神に対する背きの罪を、神のみ前において担うことを通して、今の苦しみが永遠に続くものではなく、神の正しい裁きによって、必ず、この苦しみは取り去られ、神が共にいてくださる平安のうちに移されることを、神さまの前で、執り成しをしているのです。

 いうなればイザヤは神さまの主催される法廷において、罪を犯したイスラエルを弁護する弁護士として、神さまの前に、正しい裁きと、不当に受けている苦しみに対する救済の執行を求めるのです。

 しかし、まだ神さまからの応答はありません。沈黙を守る神さまに対して、人間にできる限界の交渉をイザヤは行うのです。しかし、それは決して絶望のゆえではなく、必ず与えられる主の憐れみをひたすら請い求めるのです。

 以下、本文をみていきます。




1)柴が火に燃えれば、湯が煮えたつように/あなたの御名が敵に示されれば/国々は御前に震える。
2)期待もしなかった恐るべき業と共に降られれば/あなたの御前に山々は揺れ動く。
3)あなたを待つ者に計らってくださる方は/神よ、あなたのほかにはありません。昔から、ほかに聞いた者も耳にした者も/目に見た者もありません。
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 火にかけた鍋の水が、そのうち沸騰するように、神よ、あなたの万軍の御名による裁きがひとたび世界に対して示されれば、世界の国々はその裁きを恐れ、御前に震えることでしょう。
 また、それだけでなく、あなたの裁きが、わたしたちのまったく意図しないような恐るべきことと共に行われるのであれば、動くことのないはずの山々さえも、そのあまりの出来事に対して揺れ動くことでしょう。

 神よ、あなたを待ち望むものたちを省みてくださるのは、この世界において、神よ、あなた以外にはありません。それははるか昔からそうであって、あなた以外に、イスラエルに対して目を留めてくださる存在は見たことも聞いたこともありません。


 
4)喜んで正しいことを行い/あなたの道に従って、あなたを心に留める者を/あなたは迎えてくださいます。あなたは憤られました/わたしたちが罪を犯したからです。しかし、あなたの御業によって/わたしたちはとこしえに救われます。
5)わたしたちは皆、汚れた者となり/正しい業もすべて汚れた着物のようになった。わたしたちは皆、枯れ葉のようになり/わたしたちの悪は風のように/わたしたちを運び去った。
6)あなたの御名を呼ぶ者はなくなり/奮い立ってあなたにすがろうとする者もない。あなたはわたしたちから御顔を隠し/わたしたちの悪のゆえに、力を奪われた。
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 そのようなあなたは、あなたの御前に、喜んで正しいことを行い、あなたの示される道に従って、あなたを常に心のうちに留める者を、必ずあなたはご自分のもとに迎え入れてくださいます。あなたは、まさにそのような方ではありませんか。

 しかし、あなたはわたしたちイスラエルの民に対して憤られました。
 それは、まさにわたしたちがあなたに対して罪を犯したからです。
 しかし、あなたのその御業によって、わたしたちはとこしえに救われるのです。

 神よ、わたしたちは皆、あなたの御前にあって罪に汚れた者となり、あなたの御前に、正しいはずの業も、すべてがあなたの御前に汚れた者となりました。わたしたちは皆、枯葉のように、あなたに対するわたしたちの悪は、まさに枯葉に吹き付ける風のように、わたしたちを御前から遠くへと運び去りました。

 わたしたちの中にあなたの御名を呼ぶ者はなくなり、わずかになったあなたの御名を呼び求める者も、自分のまわりがすべて御名を呼ばない者であるのに怖気て、奮い立ってあなたにすがろうとする者さえいません。
 まさに、そのようなわたしたちからあなたは御顔を隠し、わたしたちの悪のゆえに、力を奪われてしまいました。



7)しかし、主よ、あなたは我らの父。わたしたちは粘土、あなたは陶工/わたしたちは皆、あなたの御手の業。
8)どうか主が、激しく怒られることなく/いつまでも悪に心を留められることなく/あなたの民であるわたしたちすべてに/目を留めてくださるように。
9)あなたの聖なる町々は荒れ野となった。シオンは荒れ野となり、エルサレムは荒廃し
10)わたしたちの輝き、わたしたちの聖所/先祖があなたを賛美した所は、火に焼かれ/わたしたちの慕うものは廃虚となった。
11)それでもなお、主よ、あなたは御自分を抑え/黙して、わたしたちを苦しめられるのですか。
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 しかし、主よ、いまこそもう一度、言わせてください。
 もし、あなたがわたしたちのことを見捨てたとしても、神よ、あなたこそが私たちの父なのです。
 わたしたちが粘土であれば、あなたこそがわたしたちにとっての陶工であり、
 主よ、わたしたちはまさにあなたの御手による業ではありませんか!

 神よ、わたしたちの過失による罪のゆえに、また意図的にあなたに対して背いたその悪のゆえに、激しく憤られ、その裁きをくだされたことを、わたしたちは正面から受けとめます。あなたの裁きは正しく、誤りはありません。
 ですから、神よ、永久に激しく怒られることなく、いつまでも、わたしたちの犯した悪に拘ることなく、あなたの御手の業による民であるわたしたちすべてに、その慈しみの目をもって省みてください。

 神よ、見てください。
 あなたの聖なる町々は荒れ野となりました。エルサレムのあるシオンの丘は荒れ野となり、エルサレムの都は荒廃し、わたしたちの輝きである、わたしたちの聖所、わたしたちの先祖があなたを賛美した場所は、すっかり火に焼かれて、わたしたちの慕うものも廃墟となってしまいました。

 神よ、それでもなお、あなたの裁きは続くのでしょうか? まだ、罪の悔い改めの清算ができていないのですか?
 それでも、あなたは御自分をわたしたちから隠し、黙して、わたしたちを苦しめるのですか?
 まだ苦しみが必要なのですか?

 しかし、わたしたちはあなたの救いを確信するのです。