使徒言行録にはペトロたち12使徒たちがイエスさまの約束された聖霊を受けて、そこから教会の働きが始まったことを説明しています。そして、その記述は、丁寧に見ていくとわかりますが、案外、初期のキリスト教の信仰のあり方の変遷をも示しています。それをごく大雑把ですが図にしたのが以下のものです。

使徒言行録にみる初期のキリスト教の信仰のかたち



 ひとつずつ説明していきますが、図で左下に向っていくほどユダヤ教の色彩が濃くなり、図で右上に向っていくほどキリスト教の信仰になっていきます。また、黒字は割礼を受けている人物であり、ユダヤ人であることを示すと共に、赤字は無割礼の人物であることを示します。


 さて、話のもとになるそもそもユダヤ教とユダヤ主義キリスト教との違いが、上図ではユダヤ人の信仰とペトロの信仰の違いになってきます。

 まず、ユダヤ教とペトロに示されるユダヤ主義キリスト教との信仰の違いは何かと言えば、ひとことで言えば、ユダヤ教の信仰を前提として、「救い主=イエス・キリスト」という信仰告白と、この「イエスの十字架と復活による罪の赦し」を信じること。および、その象徴行為としての「洗礼」にあります。

 ユダヤ教において「罪の赦し」というのは当然ありますが、それはイエスさまの時代においては、1)エルサレム神殿において、2)律法の規定に即して生贄をささげ、3)司祭の執り行う儀式によって、4)生贄をささげる人の罪が赦されるというものでありました。

 つまり、どこでもかしこでもできるものではなく、また祭司の存在と、儀式のための生贄が必須でした。しかし、そもそもそこで大切なものは、「本人が本当に罪を悔い改める心」があるかどうかであり、「本人の罪を深く悔い改める」という信仰が、具体的な行為として上記のユダヤ教の律法に従った贖罪行為へと突き動かすものであることがひつようであったのです。ところが、少し考えてみればわかりますが、人間、誰もがそこまで正直に、まっとうに生きているということはなく、むしろ、「金さえ出せば罪は赦される」的な事が、それこそ紀元前の時代から繰り返されてきていたのです。

 イエス・キリストの登場は、その意味では、イスラエルの歴史における信仰復興運動として当初は捉えられていたのかもしれません。その意味で、イエスさまが言われた「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」(ヨハネによる福音書2章19節)の言葉にあるとおり、そもそもイエスさまはユダヤ教全体を否定する存在ではなく、むしろ、従来の問題が山積みになったユダヤ教を「建て直す」存在として、すなわちユダヤ教界における信仰復興活動家としての側面があったのであり、そして、ペトロをはじめとする12使徒たちの信仰も、すなわち、そうしたユダヤ教内における信仰復興運動として起っているのです。

 ところが、そうしたユダヤ教界内におけるペトロたちのメシア=イエス運動、ユダヤ教キリスト派的運動がユダヤ教界内において危険視されるようになってきます。

 特に、メシア=イエスという教えと共に、ペトロたちが語った「イエスを十字架につけたユダヤ人の罪」についての教説は、当時のユダヤ教組織においては到底受け入れられないものであることは想像に難くありません。しかも、エルサレム神殿に限定されずに、場所を問わず、罪の赦しを得させる洗礼が行われるというのであれば、そもそもユダヤ教の神殿組織の存在意義が疑われるようになります。

 だからこそ、使徒言行録5章17節以下において、ペトロたち12使徒たち、すなわちエルサレムの家の教会の人々に対する迫害が起るようになってきたのです。

 エルサレムの家の教会の宣教拡大はすさまじく、使徒言行録の数字は誇張されているとはいえ、3,000人もの人々がその信仰に入ったとあります。しかし、そうしたエルサレム教会の人々の中で、大きく二種類の人々の存在が目立ってきます。そのひとつが、そもそもヘブライ語(アラム語)を話すユダヤ人たちであり、もうひとつがギリシア語を話すユダヤ人たちでありました。

 使徒言行録6章1節以下にある記述をみると、日々の食事の分配について、そうしたヘブライ語を話すユダヤ人とギリシア語を話すユダヤ人との間で問題が起こったことが記されており、しかも、この出来事がきっかけとなって、ステファノをはじめとした7人の長老?が立てられ、彼らが、それぞれ食事の分配について責任をもってあたるようになったわけです。

 その意味で、この時点で、エルサレムの家の教会はステファノたちに委ねられ、12使徒たちは祈りと御言葉を取り次ぐことに専念するというかたちが成立するようになったのです。ところが、そうしたエルサレム教会の体制に対して非常に重大な出来事が起ります。それが、使徒言行録6章~7章にかけてのステファノの殉教です。

 そして、「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。」(使徒言行録8章1節)とあるように、エルサレムには使徒たちが残り、その他の弟子たちが、ユダヤとサマリアの地方に展開して、そこで家の教会を組織するようになるのです。

 その代表的な人物が、バルナバやアナニアといった弟子たちです。彼らは、ペトロたちからその教えを学び、バルナバはアンティオキア教会、アナニアはダマスコ教会を指導します。もちろん、彼らはユダヤ人であり、彼らの活動の舞台もそうしたアンティオキア、ダマスコにあるユダヤ教会堂であり、そこでユダヤ主義キリスト教を宣教したのです。
 
 ところが、こうしたアンティオキア教会、ダマスコ教会ではエルサレムと違ってユダヤ人は少数派であり、ユダヤ人以外にも家の教会に加わる者が出てきたのです。

 そうした中で、サウロ、つまり後のパウロが、アナニアによって救いに入れられ、バルナバの指導の下で、キリスト教の信仰を学ぶことになります。ただし、この時点では、アナニアも、バルナバも、またパウロ自身も割礼を受けて、ユダヤ人でありましたので、そういう意味では、まだキリスト教というよりも、イエス=メシアと信じるユダヤ教の範疇を出ていないことになります。

 そして、使徒言行録ではそうしたペトロたちによるユダヤ主義キリスト教の宣教とバルナバ、パウロによる異邦人キリスト教の宣教活動が盛んになり、そして、そうした活動によってひとつの問題が浮上してきます。それが、「ユダヤ主義」で表現する、割礼や食物規定といったユダヤ教の慣習によるものです。これをキリスト教信仰においてどういったところに位置づけるのか、使徒言行録は15章における使徒会議、また10章~11章におけるペトロの食物規定に関する復活の主による教示が、そういったものがイエス・キリストの救いにおいては無意味であることの認識、あるいは異邦人に対して、それを強制しないということの確認が取られたのでした。または、そういう共通認識が持たれたということが話題となっています。

 そして、イエス・キリストの救いということが、まさに信仰により、洗礼により、というところで落ち着きを見せるのがパウロがその弟子としてギリシア人とユダヤ人のハーフであるテモテにおいて結実するところを見るのです。ところが、使徒言行録においてパウロはこのテモテに対して、「パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。」(使徒言行録16章3節)とあるように、割礼を受けさせ、ユダヤ人キリスト者として、自身の後継者とするのです。

 そして、そうした動きにあって、本当の意味でキリスト教として、完全にユダヤ教の慣習から離れるのが図で赤字で示した人物たちです。彼らは割礼を受けておらず、その意味では本当の意味で異邦人キリスト教会を体現した人物といえるかもしれません。もちろん、パウロの指導の賜物によるものですが、その身に割礼を受けている点において、またテモテも同様に、そういう意味では、もうちょっとというところでないかと思います。ただ、だからと言って、パウロが不完全ということではありませんが、一応、そういった割礼を受けた受けていないということを含めて考えると上記のような結論に至るというところです。

(注)ここまで原稿を書いてて気がつきましたが、「テトス」は使徒言行録には出てきませんでした。コリントの信徒への手紙2、ガラテヤ、テモテ2、テトスに登場します。