使徒言行録に登場する人物で、アカイア州のコリント教会とアジア州エフェソ教会に関わる人物に、アキラとプリスキラがいます。

 二人はもともとシリアのポントス州出身のユダヤ人で、おそらく12使徒たちによるメシア=イエスと信じるエルサレム教会の信仰に入った人物でした。その後、二人はローマ市に移り、ローマにあったユダヤ教の会堂において、メシア=イエス運動を展開したのでした。

 ところが、そうした活動がユダヤ人たちの反発を買うようになり、騒擾罪で訴えられ、クラウディウス帝はローマ市から騒ぎを起こしたメシア=イエス運動の首謀者たちを追放したのです。およそ紀元49年ごろ、クラウディウ帝がそうしたユダヤ人追放令を出し、この時の首謀者の内の二人がつまりは、アキラとプリスキラだというわけです。

 そして二人はローマからコリントへ活動の場を移し、ちょうどその頃、マケドニア州から同じく、ユダヤ人たちに追われるかたちで、パウロがアテネからコリントへとやってきたのでした。使徒言行録18章はパウロとそうしたアキラとプリスキラがコリントで出会ったことを記しています。


 さて、コリントでしばらくの間、パウロとアキラとプリスキラは行動を共にし、その後、パウロと共に海を渡ってアジア州エフェソの町へ移ります。パウロは、それからアンティオキアに移っていき、そして、アキラとプリスキラはエフェソ教会に留まり、しばらくそこでエフェソの教会の人たちを指導するのです。


 ところが、そこにエジプト・アレキサンドリアからユダヤ人の雄弁家がエフェソへとやってきます。それがアポロでした。

【 アポロ登場 使徒言行録18章24~28節 】

24)さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。
25)彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。
26)このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。
27)それから、アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。アポロはそこへ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた。
28)彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである。


 アポロはエジプトのアレクサンドリア出身のユダヤ人で、旧約聖書に精通しており、しかも、雄弁家でした。そして、彼は、エルサレムからはじまってエジプトのユダヤ人にまで広まったメシア=イエス運動によって薫陶を受け、イエスをメシアと信じるユダヤ人キリスト者となったのです。そして、アポロはエジプトから、エフェソまで、おそらく会堂から会堂へと、離散のユダヤ人に対して、ユダヤ人たちが十字架につけて殺したイエスこそメシアであるということを伝えていたのです。ところが、アポロの福音理解は、あくまで十字架の贖罪であり、罪を悔い改めるヨハネの洗礼しか知らなかったのです。

  アポロがエフェソにあるユダヤ人会堂においてそうしたメシア=イエス運動を展開しているのをアキラとプリスキラは耳にし、そして、あるとき、アポロを家に招いて、より正しい福音理解をさせたのです。

 ところが、アポロには自分の思いとして、アカイア州に行くことを望んでいた関係で、エフェソの教会の人たち、またアキラとプリスキラは、アカイア州の教会、すなわちコリントの教会の人たちに手紙を書いてアポロに持たせ、アカイア州へと派遣したのでした。



【 コリント教会で問題が勃発 コリントの信徒への手紙1 1章10~13節 】

10)さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。
11)わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。
12)あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。
13)キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか

 アキラとプリスキラがアカイア州へ送り出した宣教者アポロはコリントの教会に行き、そこで大きな働きをしました。ところが、それがコリントの教会の中で大きな問題に発展します。それは、上記のところでもわかりますが、アポロの宣教は非常に力強かったのですが、その力強さというのが、間違った方向へと進んでいってしまったのです。そして、事が大きくなってか定かではありませんが、アポロはコリントの教会を出て行って別のところへと行ってしまったようです。


 パウロは、自分の協力者であるアキラとプリスキラが指導し、派遣したアポロについて、コリントの教会の人たちとの間で、何とか和解させようと努力をしたのです。

 そして、当の問題を起こしたアポロに対しても、コリントの教会の人たちの前で謝罪し、和解することを勧めていたことが同じくコリントの信徒への手紙1 16章12節のところにうかがえます。

 「兄弟アポロについては、兄弟たちと一緒にあなたがたのところに行くようにと、しきりに勧めたのですが、彼は今行く意志は全くありません。良い機会が来れば、行くことでしょう。」(コリントの信徒への手紙1 16章12節)



【 後日談 テトスへの手紙 3章13節 】

 「法律家ゼナスとアポロとを、何も不自由しないように、よく世話をして、送り出してください。」(テトスへの手紙3章13節)

 テトスは、パウロの弟子の中でも数少ない割礼を受けていないキリスト者です(ちなみに、テモテはギリシア人を父に、またユダヤ人を母に持つギリシア人とユダヤ人のハーフでしたが、使徒言行録16章をみるとわかるように、パウロはテモテに割礼を受けさせユダヤ人にしています)。しかし、テトスへの手紙はパウロが弟子テトスに対して記した手紙ということになっていますが、成立年代からすれば、それはパウロの死後40年近くが過ぎており、そういう意味では、後の教会があえてそのように記したものと思われます。

 この言葉がパウロの意思を継いだものであるかは定かではありませんが、コリントの教会で問題を起こしたアポロを、パウロはただダメ出しをしたのではありません。この事柄をどのようにしてイエス・キリストの福音をもとにして解決するか、それがパウロのコリントの信徒への手紙を記したその原動力になっていたのだと思います。そして、その意味で、パウロはアポロを悪者にして教会の輪から追い出そうとしたのではありません。むしろ、互いに罪の告白によって和解することをパウロは願っていたのです。しかし、パウロが生きていた間にそれが実現したかは定かではありません。テトスへの手紙にみるこうした記述は、パウロの死後40年を経てアポロを、異邦人教会においてなお大事な人材として扱っていることを示しています。

 聖書は、その後のアポロとコリントの教会との関係がどうであったかを記していません。しかし、それはむしろあえて記録しなかったのではないかと思います。なぜなら、過去のそうした出来事の結末には意味がなく、むしろ、それを読む今日のわたしたちが、これと同じ状況に陥った時に、どのようにこの事態を解決すれば良いのか、その事を学ぶ事ができれば良いからです。

 コリントの信徒への手紙は、そういう意味で、当時のコリントの教会という具体的な教会において起った教会の問題と、その解決方法を提示しています。それがわたしたちにとって大切な事であって、アポロとコリント教会がどうなったかは、それはあってもなくても、あまり問題ではないのです。


 そういう意味で、聖書はこの世における教会が、天国とは似て非なるところであって、実に、人間の罪の満ちているところであることを示しているのでしょう。しかし、そこにはまさにキリストが共に居てくださることにおいて、常に、和解への道筋がはっきりと示されており、そこにこそ教会が神の教会としてよって立つところが何であるかが示されているのです。

 わたしたちの信仰は自分の罪の告白であり、罪の悔い改めであり、ただその事だけが神の御前において肯定されるのです。 

 わたしたちは、「神の前にきよくなれ」「神よ、わたしを清めてください」と心に念じることによっては清くなることはなく、ただ神の御前において「これこれこういう罪をあなたの御前において犯しました。どうかそのような弱いわたしを憐れんでください。」と告白し、祈ることを通じてのみ、わたしたちは神の御前に清くなる可能性を持つのです。

 パウロはアポロが自分の犯した罪をコリントの教会の人々の前で告白し、罪を悔い改め、コリントの教会の人々もまた互いに罪を告白し、罪を悔い改めることを希望しました。そこにこそ、この世における教会の真の交わりが示されているのでしょう。