テレビアニメのコスプレと制服との違いは何か?
p.4 プロローグ
いったいどうして、こんなにも「制服愛」にあふれているのか。私たちの「何」が制服へと向かわせるのだろう。
資料をあたり、取材を進めるうちに、二つのキーワードが浮上した。
「思考停止」と「コスプレ」だ。

冒頭の引用句にあるように、本書は『制服』について語ったものである。したがってサブカルチャーとしてのコスプレを想像したかたは注意したほうがよい。本書はスチュワーデス、OL、ナース、セーラー服、などと言った制服について、著者が思うところを述べるものである。最終的な結論は上の引用句にほとんど収まるだろう。特別新しい見解を述べるものではないが、白黒ながらも写真を多用した作りは男性読者に親切だと思った。

p.177-178 第六章 強制されない擬似制服
ある特定のシーンにふさわしい、利用者が恥をかかずにすむように練りに練ったお墨付き商品が、日本には豊富に用意されている。ご親切にも、ハード(製品)にソフト(着こなしアドバイス)が付加されたシステムが構築されている。……(中略)……。
ただ、それは私たちから、思考する手間や能力を奪っているかもしれない。

著者は述べている。例えば“お受験”というものがある。面接や試験に同席する母親は服装を指定されていない。学校からは「何を着ても、合格には影響ありません」と言われる。しかし実際はどの母親も恐ろしく均一な服装をしている。これはなぜか。それはまず経験や知識などがなく自力で判断することが難しいこと、とくに幼稚園などではペーパーテストと違って正解が分からないこと、そして周囲による無言の圧力――“場の空気”のようなもの――の三つによって起こる。ミスがあっては困るから、無難なものを選ぶ。これが思考停止だ。


そしてもう一点、著者は制服をコスチュームプレイ(コスプレ)という観点からも言及している。

p.60 第二章 OLの制服は、なぜ日本で流行るのか
「若い女性にこそ似合う」OLの制服は、コスプレという言葉がぴたりとはまる。制服を着た女性は「いいとこのお嬢さん風」に見える。実態は何であれ、制服は若いOLを「よく気がつき、にっこりと明るく働く職場の花(もしくはアシスタント)風」に演出する力がある。
これがコスプレパワーだ。

私の認識としては、コスプレは男性が女性にしていただきたいものである(※)。しかし著者によると、制服を着る用途としてのコスプレは、むしろ女性が望むものである。もちろん楽だからという考えもあるだろう。しかしそれ以上に女性は制服に対して可愛らしさを求めており、その時その時を演出する要素となるのである。

「可愛らしいから」というのは性差という面から見た卓越性である。別な面から見れば制服に求められる要素は変わるはずだ。礼儀正しさやプロらしさ、清潔さなど、相手の需要をうまく読み取り、活用することで制服はその価値を増す。ただとりえあず制服を着るのではなく、もっと戦略的に着こなすこと、それが著者が制服着用者に向けて言いたいことではないか。


コスプレの醍醐味とはデフォルメあるいはギャップである。

デフォルメとは例えばツンツンした女性にツンツンした格好をさせることで、そのツンツンした様を卓越性の段階まで押し上げることを目的とする。「なぜこんな横暴が許されるのだ」と思う性格も、非日常的なレベルまで引き上げることで、それは可愛らしさになる。

一方ギャップとは例えばツンツンした子に弱々しい格好をさせることで、普段尻に敷かれている鬱憤を両者同意のもとで晴らすことだ。また、これによって日常生活で少しくらい横暴でも、あの時のことを思い出せばずっと寛容になれる。

要するにコスプレとは相手の癖を的確に見抜き、それが最も可愛らしく映るように環境を整えることである。著者のようにコスプレする側に立てば、コスプレは自分を良く見せるための方法のひとつだ。従って「戦略的にコスプレせよ」という著者のメッセージは、私の考えとだいたい近い。