イヤヨイヤヨも好きのうちか?
最近同書を原作とした映画が人気だということで、ミーハーながら読んだ。ミーハーの何が悪い。ちなみに本書はシリーズ化されている。私がすでに読んだのはそれぞれ第一弾・第二弾にあたる『涼宮ハルヒの憂鬱』『涼宮ハルヒの溜息』である。

p.5 プロローグ
地球をアイスピックでつついたとしたら、ちょうど良い感じにカチ割れるんじゃないかというくらいに冷え切った朝だった。いっそのこと、むしろ率先してカチ割りたいくらいだ。

私は上記のような寒さを感じたことはない。寒いとき、私はたいてい極端な厚着をしているからである。逆に充分な厚着がなされていないときはガクガクしてしまって地面がかたいかどうかを調べることができない。

本書の一人称はかなり過剰に語りまくる。とにかく語る。本書の大部分は主人公による独白である。最近は主人公による独白が流行っているのだろうか。ちまたで大流行している村上春樹氏の小説にしても、森見登美彦氏にしても、西尾維新氏にしても、この世の全てに言及する勢いである。この語りまくる姿勢というのは一つの定番になりつつある。

さて本書が上に挙げた三名の著作(の一部)と大きく異なっている点は二つある。一つは若年読者を加味した読みやすい小説である点、もう一つはかなり外的にストーリーが進行する点である。以下に引用を挙げる。引用箇所については未読者が興ざめしないよう細心の注意を払ったが、私よりも神経質な方は読まない方がいいだろう。

p.214 第五章
俺は、迷惑神様モドキなハルヒと、ハルヒの起こす悪魔的な出来事を楽しいと思っていたんじゃないのか? 言えよ。
「あたりまえだ」
俺は答えた。

本書は至る所にSFのような仕掛けが用意されている(私はあまりSFに詳しくないのでこのような曖昧な言い方しかできない)。中にはかなり難解なものもあるが、そんなものは一切無視したとしても充分楽しめるのが本書の素晴らしい点だ。

主人公が追い詰められたり、あがいたり、なんとか現状を打破しようとする各場面で、私たちは一切の小難しい理由を抜きにして、極めて直感的な高揚感を得ることができる。そこに考察を挟むこともできるかもしれない。しかしテンポよく進むこの小説においては一気呵成に読み進めてしまうのがよろしい。

p.112 第三章
急な坂道をハイペースで駆け下りるのは難しい。十分ほどは急激にテンションが上がったことで脇目もふらずに走っていたが、心はともかく両足と両肺が酷使に抗議行動をはじめやがった。[中略]
フェンスをよじ登って侵入してもいいが、てっぺんまでかなりの距離だし有刺鉄線まで付いてたしで、これは大人しく待機していたほうが良さそうだ。

物語が外的に進むというのは若年層を意識した結果の一つなのかもしれない(もっとも最近は意図的に物語性を排除したものも人気がある)。だとすればかなり成功している。基本的に本書で主人公は興奮状態に置かれている。それが素晴らしい。主人公のどうでもよい日常は最低限度に留められていて、私たち読者はジェットコースターを楽しむ感覚で本書を読み進められる。

以上、私は本書について「テンポがいいよ」という点を繰り返した。それは端的に私の感想であり、本書の良い点である。一方、あまり好きでない点もあった。

それは、本書のいわゆる“解決”の場面において、解決せねばならないものを主人公の内面に見てしまった点である。たしかに内面的な解決抜きにして物語の解決は難しいが、本書においてはそれが直接的すぎた。これは若年層への配慮なのだろうか。もっと内面的葛藤を別な象徴によって喩えていれば(つまり内面的葛藤すら外的に解決してしまえば)さらにハラハラドキドキして、かつ安っぽくない物語になっただろうと思う。


映画も先日観てきたので、次の記事にてそちらも感想を書く。