よなぷーの無駄喋り

2018年10月

エメリヤーエンコ・ヒョードルが元NOAH・志賀賢太郎との対戦をぶち上げた。
志賀賢太郎といえばヒョロヒョロの体格でなかなか太れなかったプロレスラー。
小橋建太とのタッグで活躍したり、パンチパーマで『兄貴』というキャラクターを確立したりと、なかなか人気者だった。
今回ヒョードルがその志賀を対戦相手に指名したのは、「志賀が相手なら俺でも勝てる」との侮りがあったとしか思えない。
ともかくこうして赤レンガ倉庫の特別リングを舞台に、『ヒョードルvs志賀』が電撃決定した。
そして試合当日。
相変わらずのもやしのような体格ながら、入念にスパーを行ない汗を流す志賀。
一方、その様子に戦々恐々とし、込み上げてくる恐怖で脂汗を流すヒョードル。
対戦前から勝敗は定まっていたと言えるだろう。
入場は、まず弱い方のヒョードルから行なわれた。
久しぶりの志賀の活躍を見ようと、大勢のノアファンが詰めかけた今大会。
『日本昔ばなし』のテーマ曲で入場するヒョードルに、観客席からはトイレットペーパーや空き缶が次々と投げられた。
続いて志賀の入場。
会場は大熱狂し、セコンドに着く丸藤や杉浦、そして三沢さんの姿に大歓声が沸き起こった。
闘う両者が共にリングインすると、レフェリーの和田京平が入念にボディチェックする。
ここで何と、ヒョードルのタイツから五寸釘が発見された。
館内は一斉に大ブーイング。
勝つためなら手段を選ばないというヒョードルの姿勢に、これは当然の反応だった。
和田京平は更に鉄パイプやメリケンサックなどの凶器全てを取り上げると、ようやくヒョードルから離れた。
せっかくの反則攻撃の用意を全て解除され、ヒョードルは試合への恐怖で早くも涙目だ。
ここでとうとうゴングが高らかに打ち鳴らされた。
いよいよ決戦の始まりだ。
志賀の圧倒的な迫力を前に、『氷の(ように砕け易い)拳』『ロシアン・ラスト・エンペラー』とうたわれたヒョードルはたじたじだ。
意味もなくリング中央の志賀の周囲を回り、時折届かないとわかっていてジャブを繰り出す。
それもへっぴり腰だ。
客席からは失笑が漏れ、「志賀さん、さっさと終わらせちゃってください!」との声援も飛んだ。
これまでヒョードルを睨みつけていた志賀が、ここで動き出す。
敵めがけて軽いステップワークで近づき始めたのだ。
死の壁が迫ってきたといわんばかりに後ずさり、コーナーに追い詰められるヒョードル。
接触まであと数十センチというところで、ヒョードルは破れかぶれのストレートを繰り出した。
だが志賀は当然見切っている。
ヒョードルのパンチをかいくぐってタックルを仕掛けると、コーナーぎわであっさり倒し、馬乗りになった。
会場は興奮のるつぼだ。
志賀が鉄拳を何度も振り下ろすと、ヒョードルの顔はたちまち腫れ上がり、流血して変形した。
全くなすすべないヒョードルは、ひざまずいて注視する和田京平レフェリーに「ギブギブ!」と叫んで、マットを超高速タップした。
ここで和田レフェリーが志賀を止め、1ラウンド1分22秒、彼の勝利が宣告された。
観客はスタンディングオベーションで勝者・志賀を祝福。
必殺技を出すまでもなくパウンドだけで勝ったところに、確かな強さが感じられたのだ。
志賀は両手を挙げて大声援に応えると、マイクを手にした。
一転静まり返る場内に、彼は叫んだ。
「次、井上尚弥!」
あのWBSSを闘っている日本最強のP4Pに対し、敢然たる対戦表明である。
夢の舞台は更に高みへ――
一方、ヒョードルは失禁と脱糞と流血で情けない姿をさらし、すごすご引き上げていった。
やっぱりヒョードル最弱!

記者「最近、三沢さんに対して『天才マン』とのニックネームをつけようという動きがあります」

三沢さん「センス0だね。それ、誰が言ってんの?」

記者「ロシアの彼です」

三沢さん「彼ね(笑)」

記者「彼です(笑)」

でも集団ストーカーが今まで通りに先回りし、予測変換にあり得ない単語を含ませたりするんだろうなあ(携帯会社・携帯種類を変えても、番号開通までの1時間程度の間に改造されるんだよな)。

「コントール」とか「鬱だ死のう」とかね。

それにSMSも、連中が送ってくる大量の迷惑メールで溢れかえるだろうし(実際今のアイフォーンでも散々悩まされて、結局お袋以外のメールアドレスから一切受信できなくなっている)。

まあSMSは設定オフにして遮断するしかないとして……

問題はヤフーメールが使えるかどうか。

「ケータイ」扱いだから無理なのか、それともスマホ的ブラウジングができるから可能なのか。

そこら辺がまだよく分からん。

使えないんだったら見送るしかないかな。

でも超欲しいよぉ〜。

セガは次世代ハード戦争(ソニーのプレイステーション、セガのセガサターン、任天堂のニンテンドー64、パナソニック他の3DO、NECのPC-FX、などなど)において勝利するため、ゲームギアを捨てた。

一切新作ソフトを作らなくなったのである。

多分セガはサターンに全力を注ぎたかったのだろう。

一応サターンは、発売から約1年となる1995年12月頃は『バーチャファイター2』で大ブレイクし、かなり活気付いていた。

もっとも、『ファイナルファンタジー7』のプレステでの発売決定で、この後一気に転落していくのだが……

で、ゲームギアである。

正直、携帯ゲーム機は続けていってほしかった。

何しろ1996年、競合する任天堂ゲームボーイに、『ポケットモンスター』という怪物ソフトが生まれたのだから。

ゲームギアを捨てず、ポケモンブームに乗って対抗ソフトを制作・販売していれば、或いはまだ「セガのハード」は存続していたかもしれない。

まあプレステポータブル(PSP)というソニーの黒船に対抗できたかどうかは分からんけど。

何にしても、ゲームギアを諦めたのは非常にもったいなかった。

つくづくそう思う。

ヒョードル「チェール・ソネンをパウンド連打でTKOしてヘビー級グランプリ決勝進出を果たしたよ(実話)」

記者「マスコミからは早くも『八百長の疑いあり』との声が出ていますが……」

ヒョードル「(激怒して)八百長に決まってんだろ! 俺を誰だと思ってるんだ! ソネンに三本(3000万円)渡して話をつけておいたんだよ!」

記者「そんな居直らなくても……」

ヒョードル「八百長は楽しいなあ……。次は決勝、7歳年下の35歳、ライアン・ベイダーとの一騎打ちだ。決めるよ、八百長。掴むよ、優勝!」

三沢さん登場。

一同「み、みみみ三沢さん!」

三沢さん「また性懲りもなくヤオチョったね、ヒョードル改めクソ豚!」

ヒョードル「(ガタガタ震えながら)いい加減に見逃してくださいよ。八百長は俺の生きがいです。対戦相手が大金にうなずくのを見るのは人生の醍醐味なんです……」

三沢さん、クソ豚にランニングエルボー。吹っ飛ぶクソ豚。三沢さんは更に左、右、左と、肘鉄の連打で遥か遠くに消えていった。

記者団、感動。

記者「三沢さんは格闘技界の空気を浄化してくれているね。早く表舞台に帰ってきてほしいよ」

どこかでウグイスが鳴いている。

やっぱり三沢さん最強!

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