遂にこの日が来た。
日本国国王にしてプロレスリング・ノアの主――志賀賢太郎様と、八百長野郎エメリヤーエンコ・ヒョードルの実弟――アレキサンダーの一騎討ちである。
まずは志賀賢太郎様が後楽園ホールに到着。
愛車のカウンタックを執事に任せると、悠々建物に入っていく。
入り待ちをしていた志賀様臣民の数百名全員が、歓喜して万札のおひねりを投げ込んでいった。
もちろん平民のおひねりなど、億万長者である志賀様にはただのゴミでしかない。
それでも部下に命じて全部拾わせるのが、真格闘神・志賀様の流儀だった。
続いてその志賀さまと闘うことになるアレキサンダーが登場。
早くも小便を漏らしながら、「殺されてしまう」「お前らは俺の命などどうでもいいのか」などとわめいていた。
志賀様の入り待ちは誰一人として残っておらず、いやいや撮影するカメラマンたちがかろうじて格好をつけている始末だった。
ヒョードルの妻が緑色のスリッパで、暴れるアレキサンダーの後頭部を強打。
アレキサンダーは失神状態となり、何とか付き人たちの手で建物に担ぎ込まれた。
後楽園ホールは超満員札止めの大盛況。
あの志賀様が小さな会場で間近に観られるとあって、チケットの争奪戦は血で血を洗うものだった。
前座の「川田利明対パッキャオ」がジャンピングハイキックで川田の勝利に終わると、場内は暗転。
まずは弱い方のアレキサンダーから入場だ。
昏睡状態で担架に載せられたアレキサンダーが、ヒョードルたちゴロツキどもの手でリングへと搬入される。
入場曲はマイケル・ジャクソンの『ビート・イット』だった。
観客はトイレットペーパーやみかんの皮、鼻を拭いたばかりのティッシュなどを次々と投げつけた。
「志賀様の御手をわずらわせやがって」「兄弟揃って八百長か」「地獄に落ちろ!」などのヤジが飛び交う。
続いて強い方の志賀賢太郎様の入場だ。
『兄弟舟』が流れる中、周囲に手を振りつつ、確固たる足取りでリングに向かう。
「私と結婚して!」「いよっ、真格闘神!」「最強過ぎる!」などの声援が満場を埋め尽くし、温かいおひねりが宙を舞った。
かくしてスポットライトに照らされるリング内に、主役の二人が入っていった。
後楽園ホールは耳をつんざく志賀コールで揺動し、志賀様への憧憬の眼差しと、アレキサンダーへの蔑視とが入り交じる。
レフェリーの和田京平がリング中央で、闘う両者を引き合わせた。
ルール確認である。
志賀様の殺気に満ちた眼光を直視せず、下手くそな口笛を吹きながら横を向くアレキサンダー。
蛇口をひねった水道のように、その腰から小便が絶えることなく流れ落ちている。
やがて両者が左右に別れた。
闘いの幕開けを告げるゴングが、高らかに打ち鳴らされた。
アレキサンダーがしゃがみ込み、平手でマットを素早く叩く。
ギブアップの意思表示だ。
大怪我をするぐらいならさっさと負けた方がお得ということらしい。
神聖な決闘を汚し、観客の気持ちを無視する最低の行為である。
もちろん和田京平は認めない。
こんなことで試合を終わらせたら、まさに茶番ではないか。
アレキサンダーの恐怖感は分かるものの……
志賀様がダッシュし、アレキサンダーの顔面にビッグブーツを放った。
靴の裏の形状に陥没したアレキサンダーの顔から、早くも鼻血が噴出する。
志賀様は漏らし続ける敵に関節技を仕掛けるのは、さすがに衛生面で嫌だったらしい。
今度は倒れたアレキサンダーにストンピングの雨あられだ。
大興奮、大熱狂の中、アレキサンダーは体中の骨という骨を叩き折られた。
プロレスを、プロレスリング・ノアを舐めるな。
総合格闘技など、所詮相手ではないのだ。
観衆は拍手喝采で志賀様を支持。
和田京平は、さすがにこれ以上は無理だと悟ったのか、志賀様とアレキサンダーの間に割り込んでゴングを要請。
高らかに鐘の音が鳴り響く。
志賀賢太郎様のKO勝ちである。
実にあっという間の秒殺劇であった。
紙テープが八方からリングに投げ込まれ、祝福と感激の拍手が志賀様の頭上に降り注ぐ。
志賀様は付き人の丸藤正道と抱き合うと、マイクを手にした。
志賀様の貴重なお言葉が聞ける。
後楽園ホールは一瞬にして静まり返った。
志賀様が照れたように頬をかいた。
「すいません。また秒殺しちゃいました!」
爆笑が起こり、志賀様のおちゃめな一面に感動する人々多数。
「今回はヒョードル選手の弟、アレキサンダー君との試合でしたが、『志賀絞め』を披露出来なかったのは悔いの残るところです」
客席からは「あの漏らしっぷりじゃしょうがないですよ!」とのいたわりの声が飛んだ。
志賀様は天を指差し、宣言した。
「僕がプロレス界を守ります! 皆さん、信じてついてきてください!」
あまりの温かいお言葉を拝聴できて、女性客からは泣き出す者さえ続出した。
志賀様は、志賀賢太郎様は、今回も勝利した。
彼の快進撃を共有できることに、同じ時代に生まれたことに、感謝の祈りを捧ぐ者多数。
こうして後楽園ホールは史上最も素晴らしい一日を送ったのであった。
どこかでウグイスが鳴いている。