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よなぷーの無駄喋り
2021年06月
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家庭用対戦格闘ゲームに記録機能をつけてほしい
対戦格闘ゲームは『ストリートファイター2』のスーファミ版が登場してから、家庭用ゲーム機でも親しまれるようになった。
だがそのスト2は、「難易度設定が8段階中6段階以上でないと、スタッフロールが見られない」という条件が課せられていた。
これでは下手な人は一生スタッフロールを拝めない。
かといって、全難易度で流れるようにすると、今度は歯応えがない。
そこでおいらの提案だが、「何年何月何日にこの難易度でクリアしました」というプレイ記録が、ソフトに残るようにしてほしい。
これなら高難易度への挑戦も見返りなしとはならず、また低難易度でのゆるいプレイも妨げられない。
すでに実装されてたらすんません。(^_^;)
だがそのスト2は、「難易度設定が8段階中6段階以上でないと、スタッフロールが見られない」という条件が課せられていた。
これでは下手な人は一生スタッフロールを拝めない。
かといって、全難易度で流れるようにすると、今度は歯応えがない。
そこでおいらの提案だが、「何年何月何日にこの難易度でクリアしました」というプレイ記録が、ソフトに残るようにしてほしい。
これなら高難易度への挑戦も見返りなしとはならず、また低難易度でのゆるいプレイも妨げられない。
すでに実装されてたらすんません。(^_^;)
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何となく考えた『千均即売会』
いつも生活のお世話になっている、ダイソーをはじめとする百均ショップ。
何でも100円で売られているため、ついつい不要不急なものまで買ってしまう。
それで思い付いたのが、全品千円均一の即売会イベントの開催。
同人誌もグッズも何もかも千円きっかりで、ブースを並べて売るのである。
購入者は金の管理が簡単で、100円ショップに似た感覚で「ついもう一品」と、それほど関心のないジャンルに関しても手が延びるのではないか。
今までの即売会で金額縛りなんてのはあんまりなかった気がする。
もしかしたら絶無かも。
企業ブースも千円で儲けを出すにはどうしたらよいか、試行錯誤して良案を捻出するに違いない。
誰か千均イベント、実現に動いてくれないかなあ。
何でも100円で売られているため、ついつい不要不急なものまで買ってしまう。
それで思い付いたのが、全品千円均一の即売会イベントの開催。
同人誌もグッズも何もかも千円きっかりで、ブースを並べて売るのである。
購入者は金の管理が簡単で、100円ショップに似た感覚で「ついもう一品」と、それほど関心のないジャンルに関しても手が延びるのではないか。
今までの即売会で金額縛りなんてのはあんまりなかった気がする。
もしかしたら絶無かも。
企業ブースも千円で儲けを出すにはどうしたらよいか、試行錯誤して良案を捻出するに違いない。
誰か千均イベント、実現に動いてくれないかなあ。
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- 三沢対ヒョードル
三沢さんの十三回忌
まあぶっちゃけ普通に話すけど、おいらが好きな三沢さんは1990年代の全日本プロレス・四天王(五強)時代のころ。
NOAHを旗揚げしてからの三沢さんは、あんまり好きじゃない。
三沢さんのベストバウトはいろいろあるんだけど、やっぱり今から30年前の1991年4月18日日本武道館大会メインイベント・三冠ヘビー級選手権試合チャンピオン・ジャンボ鶴田vsチャレンジャー・三沢光晴の一戦が一番好きかな。
若林健治アナの「鬼か! 魔物か! 怪物か! ジャンボ鶴田!」の名実況とともに、急角度バックドロップ三連発の前に散った三沢さん。
とにかく熱く、素晴らしい試合だった。
次点としてはvs小橋健太の三冠戦(ダブルエルボーで決まった試合が一番好き)、川田との35分超え三冠戦(最後がタイガードライバー91だった試合)、ウイリアムスに殺人バックドロップで負けた三冠戦、とかかな。
NOAHの試合はおぼろげなのに、1990年代全日本プロレスの試合の数々は今でも鮮明に思い出せる。
まだプロレスを『型のある真剣勝負』と見なして、真面目に観戦し、勝敗に一喜一憂していたからだろう。
結果の決まっているお芝居だとわかってからは、何だか冷めて、NOAHよりPRIDEに興味が移ってしまったんだよなあ。
それでも三沢さんの事故死には強い衝撃を受けた。
新聞全国紙朝刊に記事が出ていて、それを読んで背筋が凍ったのを覚えている。
その数週間前の週刊プロレスで、潮崎とタッグを組んで齋藤彰俊・バイソンスミス組とのタッグタイトル戦に臨む三沢さんが、インタビューに答えていた記事がある。
三沢さんはそこで「潮崎におんぶにだっこで挑みたい」と抱負を語っていた。
まさかあれが最後のインタビューになろうとは、全く思いもよらなかった。
とりとめもなく書いてきた。
三沢さんの記事を書くのも、十三回忌という節目だし、たぶん今回が最後となるだろう(まだ分からないけど)。
三沢さんは偉大なプロレスラーであった。
ヒョードルと戦っている姿を見てみたかったが、まあ叶わぬ夢となってしまった。
今日はABEMAテレビで追悼大会が生中継される。
右肘に、タイガードライバーに、しっかり別れを告げたいと思う。
さらば、三沢光晴。
またいつの日か、ともに。
NOAHを旗揚げしてからの三沢さんは、あんまり好きじゃない。
三沢さんのベストバウトはいろいろあるんだけど、やっぱり今から30年前の1991年4月18日日本武道館大会メインイベント・三冠ヘビー級選手権試合チャンピオン・ジャンボ鶴田vsチャレンジャー・三沢光晴の一戦が一番好きかな。
若林健治アナの「鬼か! 魔物か! 怪物か! ジャンボ鶴田!」の名実況とともに、急角度バックドロップ三連発の前に散った三沢さん。
とにかく熱く、素晴らしい試合だった。
次点としてはvs小橋健太の三冠戦(ダブルエルボーで決まった試合が一番好き)、川田との35分超え三冠戦(最後がタイガードライバー91だった試合)、ウイリアムスに殺人バックドロップで負けた三冠戦、とかかな。
NOAHの試合はおぼろげなのに、1990年代全日本プロレスの試合の数々は今でも鮮明に思い出せる。
まだプロレスを『型のある真剣勝負』と見なして、真面目に観戦し、勝敗に一喜一憂していたからだろう。
結果の決まっているお芝居だとわかってからは、何だか冷めて、NOAHよりPRIDEに興味が移ってしまったんだよなあ。
それでも三沢さんの事故死には強い衝撃を受けた。
新聞全国紙朝刊に記事が出ていて、それを読んで背筋が凍ったのを覚えている。
その数週間前の週刊プロレスで、潮崎とタッグを組んで齋藤彰俊・バイソンスミス組とのタッグタイトル戦に臨む三沢さんが、インタビューに答えていた記事がある。
三沢さんはそこで「潮崎におんぶにだっこで挑みたい」と抱負を語っていた。
まさかあれが最後のインタビューになろうとは、全く思いもよらなかった。
とりとめもなく書いてきた。
三沢さんの記事を書くのも、十三回忌という節目だし、たぶん今回が最後となるだろう(まだ分からないけど)。
三沢さんは偉大なプロレスラーであった。
ヒョードルと戦っている姿を見てみたかったが、まあ叶わぬ夢となってしまった。
今日はABEMAテレビで追悼大会が生中継される。
右肘に、タイガードライバーに、しっかり別れを告げたいと思う。
さらば、三沢光晴。
またいつの日か、ともに。