ネット掲示板「2ちゃんねる」で流布された「種散之儀」が捏造であるなら、実際にはどのような形で「種散之儀」が行われているのか。さきほどのエントリからは後白河法皇の時代の儀の実態が分かったと思います。それでは平成の御世になった現代ではどのように行われているのか。
このことを調べるため、私は今上陛下の守護霊を呼び出し、自動筆記により現代の種散之儀について書いていただきました。なお、守護霊というものの性質上、まるで今上陛下が語っているように見えます。
以上のように、やはり「2ちゃんねる」上で流布された「種散之儀」とは大きく異なるもののようです。
このことを調べるため、私は今上陛下の守護霊を呼び出し、自動筆記により現代の種散之儀について書いていただきました。なお、守護霊というものの性質上、まるで今上陛下が語っているように見えます。
「種散之儀」の存在は父上から教わりました。祖父は度々新しい屏風を用意していたようですが、私が思春期を迎えたころは皇族はいろいろと自重しなければならない時期でございましたから、新しい屏風を用意するということはございませんでした。
ただそれでも父上は盛んに勧めてきましたし、私もそれに応えるように盛んにやりました。キリスト教で禁止されている自慰行為を行うことは、日本を占領しておった米国に対するささやかな抵抗の意味合いがあったように思います。
屏風を新調するようになったのは高度経済成長のあたりからですね。
どうやっているのかというと、まず昼ぐらいに侍従に対して呼びたい者の名前を告げます。
ここで実在する芸能人などの名前を挙げて呼びたいと言うと侍従は芸能事務所などと交渉を始めるようですが、私はそれをやったことはありません。
実在しないアニメなどの人物の名前を挙げると侍従は「そのような方はいらっしゃいません」と言ってきます。そこで私のほうから「もうよい、下がれ」と言うことになっている。これは本当にそう考えて言っているというよりは儀式の一部なんですね。
それで夜になると侍従がやってきて、誰々が参りましたと言ってきます。そして案内された部屋に行くと屏風が置いてあるわけです。侍従は「なんとか連れてまいりましたが、私どもが呼びかけても屏風のなかから出てきませんので、あとはご自分でお呼び出しください」と言って部屋から退出する。
そのあとのやり方については特に形式ばったところはありません。部屋には2人分の布団もひいてあり、ティッシュも置いてあります。またシャワー室も隣接しています。本当の行為をするのと同じようにセッティングされているわけです。そういう部屋の中で、屏風を見ながらひとりで励むわけです。
儀が終わるとシャワーで逸物を洗って着替えてから侍従を呼び出します。呼び出すときは「屏風のなかに戻られた」と言うのが通例ですね。
最近では屏風の作成を小金井市にあるアニメ会社が請け負っていると聞いています。私が昼に名前を告げてから数時間で屏風の形に仕上げて夜には運んでくるのですから大変なご苦労があると思います。
アニメ会社の者は皇居に入るときには警察官に対して誰々が来たと言うそうです。宮内庁のほうも屏風ではなく来客があったものとして扱っておるようです。そのあたりは平安時代から変わっていませんね。
ただ、皇居の警護のものにはそれで通じるようですが、さすがに警視庁のすべての警察官にその旨が伝わっているわけではないようです。
数年前、「妹」が流行であったときに私もこれはよいと思い「妹を呼びたい」と言ったのですが、夜になっても屏風が用意されない。不思議に思って侍従に聞いてみても「まだいらっしゃいません」と言って落ち着かない。翌日になって分かったのですが、屏風を運んでいた運転手が検問中の警察官に「天皇陛下の妹が乗っている」と答えたために不審に思った警察官によって足止めされたそうです。
国民の皆様がどのように自慰を行っているのかは知りませぬが、自由にやったらよいのではないでしょうか。私が幼少のころには自慰は有害であるというような論などもございましたが、実際にはそのようなことはないと聞きます。
以上のように、やはり「2ちゃんねる」上で流布された「種散之儀」とは大きく異なるもののようです。