よねすけのボヤキ日記

大阪市生野区出身、東京の下町に住む男です。 真面目過ぎる性格が故に、様々な思いを溜めまくりです。その思いをぶつけるべく、このブログを作りました。 読んで頂けましたら、どしどしコメントをお寄せ下さい。

2022.04.18
あれだけ、心身共に前の就業先ゼネコンの現場で大きく崩されたから、今度はやってやろうって期していました。

ですが、残念ながら再起を果たす事は出来ず😑🆖⤵️👎。
しかも、

『私が、指揮命令を拒否した💢😡💢』

との全く的外れな言いがかりで、契約の中途解約を申し渡されました。



これ☝️、実は意見の相違から就業先ゼネコンの担当者が勝手にキレた💢😡💢🆖💥のが発端です。
こう言う経緯です。

私は、これまでの経験があってしっかりと自分で仕事は毎日組み立てています。
基礎駆体鉄筋の配筋写真撮影が遅れ気味、でも私はキチンと量って始めてました。
そう言う日常作業、進捗その他は口頭に由る報告で十分なはず。

それを、

『図面に、毎日色付けして示せ』

と言ってきたのです😔🆖⤵️👎。

過去に、それで作業を急かされてバランス感覚を崩し、体調不良及び作業の取りこぼしに至った苦い経験があって、咄嗟に「そう言うやり方、私は好きじゃない」と言ってしまいました。
それで、彼は💢😡💢🆖⤵️👎💥‼️。



確かに、組織の指揮命令系統を拒絶したと受け止められましょう。
ですが、それを半ば強要する事は私が信じられない、又自分の安心材料としてのみ使うと言うのを、既に感じ取っていました。
だから、捨て身の抵抗になりました。
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今週(2022.04.11〜)、お陰様で大阪府吹田市江坂に本店があるゼネコンさんから、受け入れの了承を頂きました。

本当に有難き‌。



準大手ゼネコンの住宅部門が事業主、最寄り駅から近いマンションの新築工事。
会社さんからは、

『うちの若手を、どうか積極的に育てて欲しい』

とも御注文‌。



来週、2022.04.18〜先ずは半年の契約にて。

聞くところによると、既に自社の若手が数名お世話になっている模様。
面倒看てしんぜよう‌。
出来るだけしか無理だけど。

年度末、就業先ゼネコンの現場をお暇しました。

もう、何もかも疲れました

もう少しで、どうにかなりそうでした。
とんでもない現場、それでも何とか一端の現場にと頑張って来ましたが、あまりにもプロパー社員が代理人以下総員クズ野郎で




大きく分けて、理由は3つ。
^稻‐態
建築中の建物と、外部足場の間には必ず決められた通りに繋ぎ材を取付けなければなりません。
もちろん、事前に適切な構造計算を行いその計算書と共に計画書を、所轄労働基準監督署へ提出しなければなりません。

しかし、型枠大工から若い奴がゴネられてしまい遂には繋ぎ材の為の埋め込み金具も取付けをすっ飛ばす失態。
現在、約3割が繋ぎ材未施工。
見つかれば、即時「赤切符」で現場は止めさせられます。

安全管理不備
昨年暮れ、和歌山市から赴任しましたが程なく若い奴から引き継いで、私が新規入場者教育をやる様になりました。
そのアンケート用紙を、提出済みであろう安全書類と照合しようと開いたら、全ての会社がほぼ全滅。

代理人からは、
『そんなん片手間でエエ、うちの若い奴を手伝う事が先や』
『それで、貴方に来てもらったのに』
と、本当につれない嫌味さえ言われて。

それでも、2ヶ月以上を掛けて全ての会社に連絡の上、丁寧にヒアリングをして順次提出を求めて入場者のほとんどで照合完了。

程なく、2月の終わりに臨検を受けましたがほぼお咎めなし。
ですが、代理人からは礼は愚かこれまでの非礼に何ら謝罪もなく。

B緲人の資質
この代理人、詳しくは書きませんがとにかくケチも良いところですが、驚いたのは本当に必要不可欠なところまでケチります。
さすがに閉口しました。

果ては、協力会社さんとはギリギリのラインまで安く叩いて契約をさせて、もしかしたら浮いた部分を着服してるのではと訝しく。

その象徴、面白おかしく

『世の中銭やジェニ(笑)』

と戯けてみせてます。

さすがに、寒気と怒りが禁じ得ず。



こんな状態でいるものですから、とび工事の会社担当者からは引っ切り無しに連絡が。
盛んに愚痴と嫌味を言われて、それはもうまるでモンスターペアレントそのもの。
付き合うの疲れる。

お陰様で、心身共に限界を超えてしまいました。
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3ヶ月ぶりに、ブログを書きました。



私は、昨年師走から再び大阪市西成区の自宅から、現在の就業先現場へ赴任しています。
実は、此処までの間20年続けてきたこのブログを辞めようか否か、本当に迷っていました。
性格が、「バカ」との言葉に熨斗を付けたくらいに真面目なので、本当に気の利いたユーモアやギャグのエッセンスも書く事がなかなか出来ず。

聞き流して居ますが、時には此処へのコメントで

『面白い話書けないのに、ブログをやっていて恥ずかしくない?』

とのひどい言葉も。



正直、このコメントを書いたアカウントを捜しましたが、どうやらろくにプロフィールも書けないチキンだと分かってそのまま放置プレイ。



ですが、SNS だけでは書ききれない色んな想いがありますから、何と言われても続けます。



有名人みたいなブログじゃない。
真面目なオッサンが、現在の心境を静かに穏やかに書いてます。

2020年7月から、京都市伏見区そして今の和歌山市と出張生活を続けて来ました。
今の就業先に、凡そ人間としてとても看過出来ない異常事態がある事を知り、私はここでの就業を契約期限の11月末にて終了して解約したい旨を伝達し、これが受理されていよいよ最後の11月を迎えます。

その内容について、詳細は申し訳ございませんが書いてお見せする事は出来ません。
守秘義務違反に繋がるからです。

ですが、聞けば聞くほどその異常ぶりには呆れるばかりにて。



来月の初めから、インフラ関係を含めて順次引越し準備を進めます。

師走からは、大阪の自宅より久しぶりに電車通勤です。

昨日、大阪市西成区の自宅へ帰って居た私。



朝から、心療内科での診察を終えて寛いだ後、銭湯でサッパリさせてから夕方に母親と会う為に、実家最寄り駅まで出かけてました。

駅前商店街にある喫茶店、いろんな話でとても弾みましたが次第に耳を疑った生々しい裏話を初めて聞きました。



我が家は、1987年7月26日に父親が仕事で留守のうちに、まるで『泥棒の急ぎ働き』みたいなペースでそれもほとんど着のみ着のままで荷造りして、近所で赤帽をされていた御主人が御厚意で車を出してくれて、母親は私と妹達を連れて家を出て、契約していた鉄筋コンクリート造のアパートに引っ越ししました。



ここからが、昨日初めて聞いた裏話です。
聞くと、まさにその数日後には後添えさんを家に入れて、近所へ挨拶周りをしていた様です。
父親と住んだ家の並びにある、小さな雑居ビルの1階にあったスナックに母親は夜勤めていて、親しくしていたお婆ちゃんから聞いたとの事。

更には、その後添えさんを丸っきりウソで騙していたみたいです。

「俺は、大阪市天王寺区の上宮高等学校の卒業生」
「妻の方が、なかなか俺からの離婚要請に応じてくれない」などなど。

全てウソ。
とにかく、甘やかされて育った父親なので、都合が悪くなると直ぐに嘘を突いて逃げていたそうです。
更には、酒が入るとその出任せはますますエスカレードして、

「中学校を卒業して、日本の有名な作曲家に弟子入りしたが、そこに北大路欣也さんがいた」

等と、誰でも分かる様な事を平気で口に。

社会人になってから、彼を諭してくれたのは親友とごく数人で周りは程なくして彼から離れました。
そして、一歩間違えば犯罪者と言う人物が、

「こいつなら、軽く騙して大金もらえる」

と近付いて来たみたいな。




その後、既に私が小学校に上がった頃には会社の公金を横領しては、かなりの放蕩三昧を繰り返していました。
その金額、1980年当時で300万円あまり。
2021年春の水準ならば、もうその3倍以上はありましょうか。

そして、会計監査で見事にバレてしまい、父親は後一歩で大阪府警に突き出される寸前でした。
そこを、母親が何とか頭を下げて会社に分割弁済を頼み、以前から父親よりは会社も母親を信頼していたので、

『奥さんが、そこまで頭下げられたのなら我々は全て応じる。』
『旦那は、申し訳無いが懲戒解雇だけど』

と言う形で事件終結。続きを読む

小さい頃から、野球⚾が大好きです。



特に、夏の全国高校野球選手権大会は毎年の様に阪神甲子園球場に出かけました。
今から、ちょうど45年くらい前。
大阪の公立小学校低学年でした。

両親が共働き、私は正直言って両親からの温もりをあまり経験出来ませんでした。

おまけに、ASD「自閉症スペクトラム症候群」に端を発する発達障がい者です。
母親が、特に私を他の子と全く同じ或いはそれ以上に、半スパルタ式で私を育ててました。

夏の時期になると、毎回1日だけの約束で私を阪神甲子園球場に出してくれました。
緊急事態に備えて、首からは「迷子札」が。
往復の電車賃、甲子園球場でのご飯とおやつ代そして「必ず掛けてから帰って来い!」との事で電話代、合わせて2千円ほどを持たされて。



そして、後年聞かされましたが毎回母親が、兵庫県警察本部甲子園警察署に直接私を名指しで連絡して、

「申し訳ありませんが、息子の事を警備の合間に気に掛けてもらえませんか?」

と依頼して居たそうです。



当時としては、もし周りに知られたら上へ下への大騒ぎになりそうでしたが。

お陰様で、今でも母親と所属会社に毎日の様に電話するのは、此処からの習慣です。



ですが、プロ野球との出会いは阪神タイガースのホームゲームではなく、親父に連れられた今は亡き大阪の日本生命球場でのナイトゲームでした。

これまた、今は亡き大阪近鉄バファローズ対北海道日本ハムファイターズ戦でした。



何を血迷ったのか、親父がレフトスタンドに上がって近鉄バファローズの選手に声援を送ったものだから、ファイターズファンからは当然白眼視されてそりゃ針のむしろでした。

そして、翌年のオープン戦。
確か、1980年でしたか?
上の妹と、自宅から自転車で連れ立って今は亡き大阪球場ヘ。

南海ホークス対阪神タイガース戦でした。
私が、南海ホークスの試合を大阪球場で観戦したのはまさにこの試合だけでした。
稚心に覚えてます、あの急なすり鉢状の内野席。
とても怖かったです。



時が経ち、母方の祖父がずっと南海ホークスのファンだった事を、祖母や母親から聞かされて改めてホークスファンを自認するに至りました。
しかし、時は既に南海ホークスの経営が末期状態で、毎年の春季キャンプも鶴岡親分の故郷です広島県呉市で行う等、ほぼ全額を銀行団🏦💴からの借入金で賄う異常事態。
後年聞きましたが、南海電気鉄道本社の経営そのものも悪化していた様で、それに輪を掛けて指定暴力団から多額の見か締め料を請求されていたらしく。



そして、「1988.10.15」を迎えました。
大阪球場で行う、南海ホークス最終主催試合。
行きたかったのをグッと堪えて、実家のアパートでMBS毎日放送テレビの実況生中継を、それもアルバイトを休んで観てました。

当時のナインで、大好き😍💓💓だった選手が山本和範さんです。
片方の耳がほとんど聴こえない、それでも更に五感を鍛えて投手出身者らしく外野では強肩を誇り、近鉄バファローズでは不遇に終わったものが南海ホークスに移籍して、打撃が大きく開花して規定打席に届かなくても打率3割を稼ぎました。

その近鉄バファローズが相手のサヨナラ試合、見事に勝利して有終の美を飾りました。



試合後のサヨナラセレモニー、杉浦忠監督のスピーチ。
『ホークスは不滅です😤💪。』
『所を福岡に移しますが、今後もますますのご声援をお願いします🙇⤵️。』
『有難うございました、(福岡へ)行って参ります‼️

もう、涙が出そうでたまりませんでした。続きを読む

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無事に、52歳の誕生日😌🎁🎂を迎えました。



いろいろあって、紆余曲折を経ましたけど前を向いて歩いた52年。

1点の曇りはありません。

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私は、2013年11月のAKB48グループ第1回ドラフト会議を経て、彼女を応援して来ました。



幼少時代から、身体が弱く直ぐに入院しなければならず。

しかし、クラシックバレエの経験が身体を強くしてくれた。
テレビで観た歌手の姿に、『アイドルになりたい!』と思い立つ。
AKB48の3期オーディションは、最終面接で落選した。
宝塚音楽学校への夢は、高校在学中に潰えてしまった。



社会人になろうと、青山学院大学文学部に進学したあの年の初夏。

『夢💤🎠💤が叶うかも』
『ダメだったら諦める』

そして、2013年11月18日。
東京都港区、新高輪プリンスホテルのあのバンケットホール。



プロ野球ドラフト会議でもお馴染みのアナウンサー、候補生で最後に告げた名前。

『惣田紗莉渚、20歳大学生、埼玉県在住』



この日から、それは応援して来ました。
『雑草から這い上がり、いつの日かステージに立ってやる』。



そして、選抜総選挙は最高位が8位。
今や、在籍のグループで看板になりました。



過日、いろんなスキャンダル擬きで4流週刊誌は書き立てていましたけど、彼女も一端の大人です。

そして、かなりの肺活量も得てミュージカル公演に立てるまでに。



先ごろのグループ卒業発表は、それこそ必然的だったと思います。



周りは、相変わらず
『ファンへの謝罪無し』
『これまでの想いを返してくれ』
とか書いてるかも知れません。

私は、「言葉よりも、態度で誠実を証明すべし」との考えも持っております。
なので、これで良かったと思います。



新型コロナウィルス感染下の状況なれど、敢えて茨の路へ進まれる彼女。

航海の安全を願わずに居られず。

一昨日、午前中に大阪の自宅🏡から京都のレオパレスに再び移動しました。



5月24日(月)、予定🗓️を繰り上げて現場をお役御免になり、1度大阪の自宅🏡へ帰りました。
翌日以降、1週間の休暇を取り先ずは昨日の午後まで静養。

そして、不足していた段ボール📦を調達して、少しずつ荷造りを始めました。
今朝も、休みながらですが荷造り。



大阪の自宅🏡はそのままにして、これから数年間は出張住込みになりそうです。



次は和歌山市です。

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