一時期、四柱推命に凝っていたことがある。
図書館である本を借り、「基本的な性格」を最初に占ってみた。恐ろしいほど当たっていた。
他の占いと異なることは、各個人が5つの基本的な星を割り出し、その組み合わせや配列によって作用の仕方が異なってくるということだ。気持悪いほど当たっていたので、とても興味を持った。

次のステップとして、「過去の出来事や未来予測」にトライしてみた。しかし、ちょっと突っ込んだところまで進むとなかなか難しい。占う方法がかなり複雑なのだ。星の組み合わせにおいても、オプションやら例外パターンなどがあまりに沢山ありすぎる。また占いの本の著者によっても微妙に方法や読み方が異なってくる・・・。
「これ以上はプロに習わないと難しいのかな」ということで中断してしまった。

昨日は、霊力を持つ人の本を読んだ。小説家・佐藤愛子とタレントのピーコさんとの対談本。佐藤さんの話によると、美輪明宏さんは、第一級の霊能力者であるらしい。20年ほど前、佐藤さんの別荘に幽霊が出、ある知人に電話で相談したら美輪さんを紹介されたのが最初。それまで霊の存在などまるきり信じなかった佐藤さんは、美輪さんに電話をし、別荘の状況を説明した。二人の会話はそれが最初なのに、美輪さんは、電話口で別荘の場所や雰囲気、状況など全部いいあてたという。
動物の憑依、先祖の祟り、前世の因縁・・。そこから見えない世界の話が、延々と出てくる。

それはそれですごい。
しかし、あまりにも途方もない別世界なので、スゴいというだけで何の参考にもならない。
たとえば、40歳を過ぎて何かのキッカケでピアノを弾いた人がいるとする。実は非常なる才能があった男があり、先生に「もしあなたが5歳のときからピアノをやっていたら、一流の演奏家になれたかもしれません」などと評されたとしよう。でも現実の彼は40歳を過ぎてしまっている。この場合はまあ、「趣味のピアノ弾き」として人生を楽しめば良い・・・ってワケで。

結局、そういうのって“縁”だと思う。世の中には、自分に縁があることないことがある。縁がないことを望んでも仕方がないワケで。霊力だとか、オーラが見えるとか見えないとか、前世が何だったかとか・・・。その手のことを丸きり信じないわけでもないけど、自分にはあまり縁がないことなので、深入りをする必要もないかな、と思っている。

縁があることには、一生懸命対処するけど、そうでないものに岡惚れしても仕方ない。魚は海を泳げば良く、鳥は空を飛べばいい。魚が鳥を見て、「俺も空を飛びえてえな〜」なんて考えても仕方がないって感じである。
自分の目の前にあることをしっかりやればいいではないか。自分の今、ここにあることに集中してさ。少なくとも自分の場合は、そういう風にしかできないみたい。

とはいいつつ、隣の芝は青いもの。自分が持っていないから、なお更強烈に憧れが高まったりする。ノッポとチビ、デブとヤセ、キレイとブサイク、年寄りと若者、さまざまな「ネイバー・グリーンズ(隣の芝が青い人たち 笑)」がくっついては離れる。
やがてそのうち疲れてきて、適度な青さの隣人を探してさまよい歩く、我々はそんな日々を繰返しているのかもしれない。

なんていいつつ、今日の食事は、魚にしようか鳥にしようか、迷いながら商店街をうろついている自分がいたりする。



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