2009年05月06日

論証と論証化について

論証および論証を作ることの意味について質問されたので、メモしておきます。

◆論証と論証化の定義

論証とは、予備校本の後ろについてる「論証カード」みたいなのをイメージすればよい。
「問題提起」「理由」「結論」「あてはめ」みたいな。
モデルとしては、こんな感じになるはず。

―――――

論証パターンのかたち

<事実―小前提>
事案
<法解釈―大前提>
問題提起
(この点)
反対説
(なぜなら)
反対説の理由
(しかし)
批判
(思うに)
自説
(なぜなら)
自説の理由
(とすれば)
法解釈の帰結(「規範定立」)
<あてはめ―結論>
事実の評価・あてはめ
(したがって)
問いに対する結論

―――――

そして論証化とは、こうしたセットを自分で作ることをいう。

◆論証と論証化の意味

「論証パターンなんて覚えても意味ないよね」という受験生のコメントはよく耳にするが、「判例なんて覚えても意味ないよね」という話は、ついぞ聞いたことがない。
それは、一つには、実務の趨勢を考えると、採用される法解釈は学説よりも判例の方が圧倒的に強いからだ、という考えがあるだろう。
そして、もう一つには、新司法試験には詳細な学説の対立よりも、判例の規範をきちんと理解して採用した方が良い、という認識があるのだろう。

しかし、いわゆる「論証」を重視することと、「判例」を重視することは、何ら矛盾しない。
なぜなら、論証とは判例の論理展開のことだし、論点とは判例における争点のことだからだ。

確かに、「論点」によっては学説の対立だけがなされていて、最高裁も含めて裁判例が存在しないものがいくつかある。
しかし、そんな「論点」は、数多ある論点の中での多数派ではない。
ほとんどの「論点」は、地裁や最高裁といった裁判所で扱われた事例において、具体的な争点として取り上げられたものなのだ。

そうであるとすれば、論証を確認することは、ある裁判例でのロジックを確認することだし、論点を確認することは、ある裁判例で原告と被告(あるいは検察官と被告人)が実際に争った法解釈上の争点を確認することにほかならない。
そして、当然それらを確認する際には、論証カードが前提にしている事案=裁判例における事案、を理解しておくことが前提となる。

◆論証化の必要性

しかし、上記だけであれば、「判例」を眺めて読むのと、一体何が違うのかが不明である。
論証=判例であるなら、判例を勉強すればいいじゃないか、ということになってしまう。

いわゆる「判例」だけでは足りず、論証・論証化が必要だという根拠は、「理由」にある。

判例を読んでみれば分かることだが、判例には理由が付されていないことがたびたびある。
高裁で詳細な議論がなされているから最高裁では省略している、というだけではなく、単に最高裁が結論を断言しているだけに過ぎない、という場合も多々あるのだ。

そのとき、それでも「判例」の結論を採用するのだとすれば、きちんとした「理由」が必要になる。
「判例の結論と同じだから」という理由が、判例のロジックを採用することの理由にならないのは、あまりにも明白だ。

だから、いわゆる「論証」にたびたび顔を出す、「学説」が必要になる。
たとえば、『演習刑事訴訟法』に出てくる大澤先生や酒巻先生は、結論は最高裁に対して親和的(というかほとんど同じ)場合が多いけれど、理由付けや議論の仕方が最高裁よりもずっと丁寧だったりする。

考えてみれば、それは当たり前のことだ。
だって、学者の先生は「あるべき法解釈の姿」を追求する過程で、必ず最高裁の判例を意識しているはずだし、もしも先生が最高裁の結論に妥当性を感じるのであれば、必ずそれを自分のロジックを使って正当化しようとするからだ。
(そして、最高裁の結論に妥当性を感じない場合に書かれるのが、ロースクールの学生が嫌う「ガクセツ」だということになる。)

必要なのは、最高裁の結論を採用することを前提にして、きちんとした理由を付することだ。
そして、学説を援用しながら判例理論を確認するのが、論証と論証化の過程なのではないか。

だから、判例を勉強することは、論証の勉強をすることに含まれている。
論証を作り終わったら、もう一度判例を読み直して、書き留めたプロセスを確認して、間違っているところを書き直して、足りないところを補足する。

ホントはゼロから、自分で「論点」と「理由付け」をまとめればいいのだろうけれど、限られた時間を使うのであれば、既製品の「論証」と、既製品の「判例」を使うのは、仕方のないことだ。

◆補足―反対説について

あと、論証・論証化のもう一つのメリットとして、反対説の存在およびその理由付けを確認できる、というのがある。

いわゆる論証パターンは、問題提起―反対説―批判―自説―理由―結論、というパターンが多いのだが、「反対説」として登場するのは、さきに挙げた「ガクセツ」が多い。
しかし、新司法試験では、原告・被告・裁判所という視点で書くことがたびたび求められるということを考えると、最初から最後まで「裁判所」=判例の考え方しか知らないのであれば、それを批判するロジックが出て来なくなってしまう。

これもまた、当たり前のことだけれど、判例の原文を読めば、当然のように「反対説」が書かれている。
たとえば、「被告は…と主張する。しかし…」のうち、「被告は…と主張する。」という部分だ。
それを、判例百選なんかは、「しかし…」の部分だけを取り出してまとめているわけである。

だからやっぱり、「判例」だけでは不十分なのだ。
自分の結論に対する批判に答えてこそ、相手を説得することができる。
これもまた、あまりに当然のことだろう。

(批判があったらまた補足します)

yontoo at 15:52│Comments(2)TrackBack(0)勉強の方法 

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この記事へのコメント

1. Posted by mokos   2009年05月06日 18:18
5 専門的なことはよく分からないですけど、こういう思考を書いてくれて読むことができるというのはとても楽しいです。
2. Posted by よんとお   2009年05月07日 03:13
思わぬところからコメントが…。
最近思うところがあって、もっともっと、「論理的に考える」ということを、きちんと頑張ろうと思い始めました。

裁判所見学の連絡がなかったら、こっちからセッティングしますよ!!

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