ヘルモゲネスを探して

錬金術書を読む Si hoc est quomodo est, si non est quomodo non est [Avicennae ad Hasen Regem Epistula de Re Recta, c.1]

モレスキーニ『アスクレピウス』論 9


 

さらに、グノーシスはどこか純粋で単純な知解を超えたものである。周知のように、これは神智学であり、宗教信仰である。実際、ヘルメス主義的著者にとって真の哲学〔愛知〕はただ頻繁な神の観照、聖なる宗教〔信仰〕のうちにあり(12)、ただ敬虔〔献身、没入〕によるものである(13)。これが『アスクレピウス』の宗教〔信仰〕で、ただ知性にだけかかわる宗教〔信仰〕、思惟の連繋〔信仰〕religio mentisである(25)。『アスクレピウス』の語彙の数々はこうした境位にある。最後の祈りに録された異教的な宗教性の意味するところについては強調しても強調し過ぎることはない。これこそヘルメス主義的グノーシスの証言として典型〔模範〕的なものである。ここで「グノーシス」の意味は祈りの中で明らかに宗教的な含意をも引き受けている。そこでは繰り返しcognovimus teと唱えられる。神の知解は光lumenである人は神から照明を受ける、と『ヘルメス文書CHIX, 3にも繰り返され、それは神の賜である(CH IV, 5)とも謂われている。とはいえ、神が知られるのはただ神が顕現する(みずからをあらわす)からであって、人が自らの力で〔能力をもって〕神に到達することができたからではない。この知解は歓びに溢れている。これは『アスクレピウス』15ばかりか『ヘルメス文書』Xでも言明されている。宗教としてのグノーシスは偽哲学に(1314)、無知に(27)逆立させられる(ignoratioはグノーシスに逆立するものである)。

『アスクレピウス』においても、ヘルメス主義全般にみられるように、秘教的な転回〔展開、反転〕が強く跡づけられる。この態度においてヘルメス主義は、真の知解を僅かの達人〔秘儀参入者〕たちに限定する異教哲学の諸思潮に近い9, 7; CH IX, 5

ここからして神性を真に愛する者は、22で説かれるようにほんの僅かである(2223)。

神の知解の宗教〔信仰〕とは、本質的に主知主義的な苦行〔昇階〕に他ならない。ヘルメス主義の賢者は質料および受動〔情念〕から、またこれから産生されるものから切り離されるのでなければならない(22, cfr.11)。神は人に法悦あるいは神秘〔玄義〕とともに(をもって)自らをあらわすのではなく、思惟(こころ)からあらゆる過誤を払拭する知解の能力を賜として(あたえることによって)それ(神?知解?)照らし出す。

ヘルメス主義者と神の合一は、人の知性と神の知性との合一は純粋に知性的なものである。世界の諸物は人の魂に粘着し〔を陥れ〕、人が神を観ることを妨げる(12)。

悪を避けることの可能性もまた神からわれわれに供給される知性の能力に依存している。こうした観点から16を読んでみると興味深い。疑いなく悪は存するが、その実在を断つために介入する道理はない(これが悪の起源という難題である)。いずれにせよ、人はこれを避けることができ、神の摂理は人に感覚〔意味〕sensusつまり知性を、把握し洞察する(修得し意図する、うけとりはたらく)能力を与えた。悪は無知に起因する(7, 22)。ひとたび神の知性〔神的知性〕に貫通〔浸透〕されると、魂はいかなる惑乱〔騒擾〕によっても晦まされることはない

モレスキーニ『アスクレピウス』論 8


 

その結果、人の体躯性〔物体性〕は断罪されるべき対象であるのではなく、神の摂理による意志の帰結ということになる。体躯は魂を守るために用いられる〔必要である〕(7)。人は体躯をもって創造された。それは世界〔質料〕の美をしるすためであり、世界を司るためであった。この教義にとって基礎的で、『アスクレピウス』の「楽観主義」的心性の典型であるのは、8にある言明である。神はその偉大さと善性において、その被造物、世界〔質料〕を観照する他なるものを望み〔意志し〕、これによって人を創造した。これがその理拠性〔比率〕およびその業diligentiaを模倣するように。神は「本質的なousiodes」人を創造したが、人がその死すべき定めの外衣を纏って体躯〔物体〕の宿りをもって覆いこれ〔本質的な人=魂〕を守るのでなければ、「本質だけ」では諸物にかかわることができないことに気づいた。この死すべき定めという受験において、人は質料を司るにふさわしいものとなる。つまりそれ〔体躯〕は天上のさまざまなできごとに驚嘆し崇拝するとともに地上の諸物を司る厳密な理拠をもってad certam rationem (9) 人に与えられた。

人の役割は奉仕〔世話〕にある。それは至高なる神から彼に委ねられたもの(11)。この務めは彼のもとにある万物を愛することからなっている(6。このように全世界に神の摂理、人の支配者のはたらきが拡がっている(10, 11)。当然ながら、このヘルメス主義的論考の著者は人の最良の部分が質料的な部分ではないことを得心している(6, 11)。人の体躯は世界〔質料〕のもっとも壊敗した部分、つまり土からなっている。これは諸星辰と比較するならより劣った〔悪しき〕部分である(22。人の真の本質は人が神の似姿になされたその形相である(7)。この部分は「単純」semplice7)であり、質料の多〔様〕性とは合致しない

しかし人の自然本性の基礎的観点は知ることにある。もちろん、そのはたらきの尊厳〔公準〕からして、格別な知解とは神の知解である。つまりすべての動物の中でただ人だけが創造者を知り崇めることができる(6, 9

感覚〔意味〕sensus(ほぼすべて言語の現代語訳でintellectus〔知性のはたらき〕とされる)、理拠〔比率〕ratio、知性intellegentiaは神によって人に授けられたものである(41)。これら知解の機能(はたらき)、sensusおよびintellegentiaはアイテールに由来する(6)。これは物体的な人(人の体躯)をつくる他の四元素とは対照的である。人の基礎的なはたらきは世界〔質料〕およびその創造者を知ることにある。これはただ人にのみ特殊な自然本性として授けられた〔留保された〕。このはたらき〔知解〕は神のはたらきに由来し、魂の淵源〔由来〕は諸星辰のなかにある。このヘルメス主義的小論の著者はこうした四世紀よりもかなりさかのぼる時代に跡づけられる主題群をふたたび取り上げている。『アスクレピウス』に認められるところは、すくなくともキケロの『スキピオの夢Somnium Scipionis』やマニリウスに見つかる。人の血と神との結びつき(22)、あるいは人は神の像である(10)−non ignarus se etiam secundam esse imaginem dei。人の思惟(こころ、mente)は神に淵源〔由来〕するものである、これは57で説かれるところ。最近の研究によれば、この教義はポセイドニオスに由来、あるいはおそらく後期ヘレニスムの哲学的常套句(コイネー)で、キケロの『スキピオの夢』にも見つかる。感覚〔意味〕sensusもまた人にも神にも存する(7)もので、これは諸動物の中でただ人をだけ直立姿勢〔正しい位置〕にもちあげる(6, 32)。つまり神に関する教義はただわれわれの思惟(こころ)の努力によってのみ知られ得るものである。思惟(こころ)はまさに神に淵源〔由来〕する〔神的な〕ものだから(3

グノーシスとは神の知解である、と『アスクレピウス』には繰り返し言われている(7, 11, 29, 41)。『アスクレピウス』の著者がこれにキリスト教徒にも受け入れられるような含意を与えた、という点は重要である。実際、この世界〔天〕の神deus caeliおよび彼の中にある万物(すべて)への愛とは、敬虔な態度〔没入〕devozioneのうちに見出される〔献身的な態度としてあらわれる〕。ただ人だけがこれをもっており〔これに憑かれており〕、人が天および天の神々に向けるこの崇拝、称讃、敬虔〔没入〕を神々は悦ぶ(9)。ひとたびヘルメス主義が語る天および天の神々の超越的段階にその儀礼によって転移すると、それはキリスト教徒が神に向ける愛〔神へと向かう愛〕はヘルメス主義者の天上のリアリティーに対する愛とは類同なものとなる。

モレスキーニ『アスクレピウス』論 7


 

2. 『アスクレピウス』のヘルメス主義

四世紀の読者にとって『アスクレピウス』の新機軸はどこにあったのだろうか。『完全な対話Logos teleios』のようなヘルメス主義的文書のラテン語訳はどのような空隙を埋めるものだったのだろうか。まずなにより、ヘルメス主義とはどのような様相を指して謂われるものだろうか。それはひきつづきどのようなものとしてキリスト教徒の読者に迎え入れられることになったのだろうか。もちろん『アスクレピウス』の教義内容はまったく異教的なものである。マヘによれば、この著者は主としてエジプトの多神教的儀礼の数々の正当化に配慮を凝らしている。この点については、世界、人、神の関係性の一般的な哲学的ヴィジョンにおいて深刻な攻撃を蒙ることになったものである。神々〔偶像〕の崇拝は星辰崇拝や上位なる神の崇拝と相容れないものではないばかりか、天の神々を生み、人々に地の神々を創案させるに到る範例〔模範〕を与えた神そのものの意志に応えるものでもあった。

以下では『アスクレピウス』をそこに不在のキリスト教を求めて探究するのではなく、ヘルメス主義の宗教的、哲学的、道義的諸要素を探ることで、幾つか慎重な配慮を加えつつ、後代のキリスト教徒の読者、特に人文主義者たちにも受け入れられることとなったところを探求してみたい。

 

a) グノーシス〔叡知〕

ラテン世界の読者たちにとってヘルメス主義の教えのもっとも明瞭な新機軸はグノーシスの教義にあった。

この新機軸はことばの文字通りの意味を指しているのではない。というのも、ラテン世界の哲学的文化のある種の予断〔前提〕と傾向性はすでにキケロの時代には準備されており、これを哲学的グノーシスが後継することになる。しかしこうしたグノーシスの教えは、ラテン世界には『アスクレピウス』によって最初にもたらされることになる。この新機軸は古代後期のラテン文化に著しく意味ある要素をつけ加えることになった。

ここは『ヘルメス文書Corpus Hermeticum』のグノーシスの教えや古代後期の諸宗教を再検討する場ではない。これについては数多の研究がある『アスクレピウス』について観るに、グノーシスは人にかかわる教理に密接に結びついている。そこには濫用ではあるが、常ならぬ語彙ousiodes(「本質(基体)的な」、人の真の本質を指し示す語彙)人とhylicos(「質料的な」)人の区別があらためて採られている(7, 8ここにはある種のギリシャ哲学の主知主義の影響が垣間見える。つまり人の真の本質は知性的なものである、と。『アスクレピウス』の新機軸は、この区別が人の宿命および自然本性に関する楽観的なヴィジョンによって解消されているという事実にある。後期ストア派の思惟の中にすでに存し、キケロやマニリウスやセネカのローマの環境において流布していた幾つかの要素を採用しつつ、『アスクレピウス』ではほぼ完全に人および世界の救済という観念が排除され、人の人格(ペルソナ)あるいはその能力について楽観的なヴィジョンが提起される。ここで「ほぼ完全に」と言ったのは、『アスクレピウス』においても先に述べたような「楽観的な傾向」と「悲観的な傾向」の二元論が示されているから。当然ながら『アスクレピウス』でも主知的な知解の尊厳〔公準〕が強調され、感覚的な印章〔捺印〕の儚さが断罪されているが、高邁なグノーシス主義神学やキリスト教神学を特徴づける主知主義や禁欲主義の観念に従った世界〔質料〕およびこれに属する全ての侮蔑〔軽視〕からは程遠い。『アスクレピウス』も魂の起源および受肉いう古代後期の哲学にとっての難題をなす問題に取り組み、フェステュジェールがうまく解説しているように悩ましい疑惑を引き起こすことになった。『アスクレピウス』も支持するように、魂が神に由来する〔神的な起源をもつ〕ものであるなら、なぜ魂は神を放棄して大地に降ったのだろうか。それは過誤であったか、罪であったか。しかし『アスクレピウス』の解説は基本的に楽観的なもので、神は世界〔質料〕をその臨在によって完成するために魂を大地に遣わした、と説かれる。

モレスキーニ『アスクレピウス』論 6


 

これら二つのテクストの対照からこれらの相違と類似がより明瞭になるだろう。

Gratias tibi, summe exsuperantissime、これがラテン語テクストの祈りのことばのはじまりである。これはギリシャ語テクストのKarin soi oidamen, physike pase kata kardian pros se anatetamenen.に相当する。つまりラテン語訳は「魂のすべてを込めて、こころから汝に向けて」という表現が削られ、summe, exsuperantissimeという語が付加されている。またギリシャ語テクストには次の語が欠けている。tua enim gratia tantum sumus cognitionis lumen consecuti.

Nomen sanctum et honorandum, nomen unumはギリシャ語テクストのaphraston onomaの拡張である。

Quo solus deus est benedicendus religione paternaこのbenedicendusはギリシャ語のtetimemenonの拡張解釈paternaはギリシャ語テクストには欠けているが、最大の厳粛さを備えたつづく文章の先取りになっている。te tou theou prosegoria kai eulogoumenon te tou Theou (patrosはライゼンシュタインによる推量) osioteti.

Quoniam omnibus paternam pietatem et religionem et amorem et, quaecumque est dulcior efficacia, praebere dignaris、ギリシャ語テクストは「愛」を強調している(he pros pantas kai pros panta patriken eunoian kai storgen kai philian kai epiglukutaten energeian enedeizo)。ラテン語テクストではreligioが追加されている。

Condonans nos sensu, ratione, intellegentia: sensu, ut te cognoverimus, ratione, ut te suspicionibus indagemus, cognitione, ut te cognoscentes gaudeamus. ギリシャ語テクストはkarisamenos emin noun, logon, gnosin, noun men, ina se noesomen, logon de, ina se epikalesomen, gnosin, ina se epignosomen

ギリシャ語テクストでは『アスクレピウス』のac numine salvati tuoという句が欠けているのは意味深い。

Gaudemus, quod te nobis ostenderis totum: gaudeamus, quod nos in corporibus sitos aeternitati fueris consecrare dignatus という一文はギリシャ語テクストのkairomen, oti seaton emin edeixas, kairomen, oti en plasmasin emas outas apetheosas te seautou gnoseiに相当している。

Haec est enim humana sola gratulantia, cognitio maiestatis tuaeという句はより簡潔なギリシャ語テクストkaris anthoropou pros se mia to megethos gnorisaiにあたる。次の句節はこの言明を拡張したものとみなされる。cognovimus te et lumen maximum, solo intellectu sensibile

Intellegimus te, o vitae vera vita, o naturam omnium fecunda praegnatio. Cognovimus te, totius naturae tuo conceptu plenissimae aeterna perseveratio. ギリシャ語テクストではegnorisamen, o tes anthropines zoes zoe. egnorisamen, o metra pases gnoseos (phuseos [Mahe]). egnorisamen, o metra kuephore en patros phuteia, egnorisamen, o patros kuephorountos aionios diamone.

In omni enim ista oratione adorantes bonum bonitatis tuae hoc tantum deprecamur, ut nos velis servare perseverantes in amore〔この観念はギリシャ語テクストには欠けている〕cognitionis tuae et numquam ab hoc vitae genere separari. ギリシャ語テクストでは、on tosouton agathon proschunesantes medemian etesamen liten (karin [Reitzenstein]) plen theleson emas diaterethenai en te se gnosei tade teresantes, to me sphalenai tou toioutou biou toutou.

全体的に観て二つのテクストはたいへんよく似ているが、ラテン語訳では宗教的慈愛にかかわる表現summe, exsuperantissimeが付加されている。これは神〔恩寵〕によって人は認識の光lumen cognitionisを受け取り、神〔恩寵〕によって人々は救済されるということを強調することになっており、『アスクレピウス』の祈りはヘルメス主義的グノーシスの神秘的−救済論的観点をしるしづけるものとなっている。ギリシャ語オリジナルの『完全な対話』、「入信儀礼の対話(論議)」は、「宗教的説教(信仰説諭)sermo religiosus」(1, 32)、「いとも聖なる説教sanctissimus sermo(23)と化した。

モレスキーニ『アスクレピウス』論 5


 

『アスクレピウス』を通して啓示される玄義はいずれにしても宗教的な入信儀礼ではない。これはスコットの解釈で、ライツェンシュタインは『アスクレピウス』(あるいは『完全な対話』)に神秘的諸宗教の証言を認めている。いずれにせよ玄義とはつねにこれを了解できる者たちのための教義であり、彼らの知性をもって実修され、生命の純粋〔清浄〕さを用意するにふさわしいものでなければならない。秘教的な教義とは要するに僅かばかりの者たちのために留保されている。しかし『アスクレピウス』の玄義は入信儀礼によってでなく、師と弟子の対話によって得られるものである、とスコットは反駁する。つまりわれわれの小論はヘルメス主義的著作群のように、本質的に或る哲学を導入するもの(それゆえわれわれは理拠をもってヘルメス的哲学を語ることができる)であって、玄義への入信儀礼ではない。スコットは『完全な対話Logos teleios』、ラクタンティウスがヘルメスの教えを「仕上げる(戴冠する)論議」sermo perfectusと呼んだ表題を解釈して、この小論がヘルメス主義のもっとも先鋭な教えを記録したものであり、弟子の訓育の最終段階をあらわしたものと言うしかしここで明瞭に区別しておく必要がある。ある種の儀式や入信儀礼をともなう「ヘルメス主義=神秘宗教(宗教的玄義)」という等式を据えることは不可能であるにしても、ヘルメス主義が完全に哲学的なものであった訳ではない。『アスクレピウス』から宗教的な意味価のすべてを排除することは、その意味するところを偽装することに他ならない。teleiosは成就〔完徳〕を、或る宗教への入信を意味している。それにmysteriumという語の反復的使用をどのように解釈するべきだろうか。これは叡知(グノーシス)を包摂しており、これは神の賜であるトリスメギストスによって教えを授けられた弟子は善〔財〕のすべてで満たされ、完全な叡知(グノーシス)を獲得することだろう。そして神を直視し、知解し、神と合一することとなるだろう。最後の祈りはこの対話篇のすべてを要約している。トリスメギストスと若い弟子たちは知解の賜を所持しつつ、そこにこそ救済があるnumine salvati tuoこの知解への永劫の愛〔クピド?〕を授けたまえ、と神を祝福し〔歓び〕、神を召喚する。

こうした意味で『アスクレピウス』はラテン世界において、他に類をみないような一つの文芸範疇をなしている。つまり神智学的論考、道義的宗教的訓育という文芸範疇。グノーシスという観念は哲学的ヘルメス主義の基礎であり新機軸であり、『アスクレピウス』という適切な表現手段、文学形式を獲得した。このヘルメス主義的対話篇を特徴づける構成の「無秩序」はプラトンの対話篇に典型的な秩序や調和と対立するものだが、私見によれば、そのせいでこの小論は不適切にさらに古い時代に遡るものとみなされてきたこの無秩序はその編集業の欠如に起因するものではなく、論理構造の破壊、神智学の実現〔効果〕にかかわる思惟の理拠〔理性〕的構造の放棄をあらわすものでその仕掛けが対話形式である。グノーシスと霊的昂揚を宣揚する聖なる啓示には論議も知識〔科学〕的註釈も無用であり、ただ玄義と宗教的熱狂だけで十分である。あらゆる文明はそのさまざまな発展段階において固有の表現様式をもち、外的で因習的な規範の集積や文学的慣習〔定型〕をなすばかりではなく、その内部に「理拠の荒廃」、「苦悩の時代」をもたらす。ヘルメス主義的グノーシスは啓示のうちにその心性にもっともふさわしい文学的表現を見出した。

結語として、ヘルメスが啓示する玄義〔神秘的〕mysteriumへの宗教的熱狂は、おそらく『完全な対話Logos teleios』を四世紀に訳したラテン・ヘルメス主義者のものであった。またラクタンティウスによる引用および『完全な対話』に対する彼の評価は、必ずしもギリシャ語オリジナルの宗教的特徴を受け継いだものとは思われない。こうした特徴はMimautパピルスに収められた祈りのギリシャ語テクストとラテン語訳『アスクレピウス』の末尾41を対照してみることで確認できるものと思われる。

モレスキーニ『アスクレピウス』論 4


 

c) ヘルメス主義的玄義mysterium

論理構成と調和的な組み合わせの欠如にもかかわらず、『アスクレピウス』は下層階級の著作家の著作という訳ではない。これは宗教的「啓示」文学のひとつであり、こうしたものとして、非体系的な調子と傾向性が採用されている。その著者は或る玄義の伝授のための著作をつくりあげる方策を知っており、可能な限りこうした観点〔外観〕を強調してみせる。こうした点について、D.ウィグティルの研究を想起しておこう。彼はこのラテン語文書をギリシャ語オリジナルと可能な限り対照して、『アスクレピウス』では『完全な対話Logos teleios』よりも「黙示録」的で「宗教的啓示」な性格が強調されていることを指摘している。敬神の念はオリジナル文書よりも熱烈(情動的)で、ラテン語訳者はギリシャ語文書をたんに翻訳するだけでなく、自ら固有な要請にうごかされて通常のラテン文化の伝統に見られる規範のうちでこれを解釈し訂正を加えた、とこの研究者は観ている。

その内容以上に、『アスクレピウス』ではその宗教的性格が強調されている。まずその対話が行われる場所は、或る神殿内のアデュトゥム〔至聖所〕adytumで、対話のおわりには四人の人物(トリスメギストス、アスクレピウス、タト、アンモン)が祈りを捧げ、師と弟子たちは伝授が終わると「獣の肉抜きの清い夕食」、つまり諸感覚の歓びを探し求めないとはいえ生命のために選び抜かれた食事を摂る。いずれすべて読者に宗教的な雰囲気、敬虔な感情を伝えるための配慮で、こうした宗教的雰囲気の再構成は文学的芸術的観点からして『アスクレピウス』がたいへんうまく醸成してみせるところである。

『アスクレピウス』は秘儀参入者が叡知(グノーシス)を知解し獲得する玄義mysteriumの啓示である。『アスクレピウス』の玄義は啓示の過程で何度も強調されている。magni tibi pando et divina nudo mysteria (19); ex domino illo totius naturae deo hoc sit cunctis in aeternum procreandi inventum tributumque mysterium...(21); et vos, o Tat et Asclepi et Hammon, intra secreta pectoris divina mysteria silentio tegite et taciturnitate celate (32)。玄義の伝授には厳粛で昂揚した様式が要請され、その尊厳と深遠さについて著者は葬儀〔移行〕の儀礼〔定式〕を用い、教義伝授(カテケーシ)にふさわしい堂々とした重厚な表現が援用されている。こうした類の表現として、audi Asclepi (8, 28), audi itaque (22)に目をとめておこう。注意をして聴き、大いなる意味のある教えを修得するようにという勧告、hoc ergo omni vero verius manifestiusque mente percipito (21); nunc mihi adesto totus, quantum mente vales, quantum calles astutia (3); huius itaque, qui est unus omnia, vel ipse est creator omnium, in tota hac disputatione curato meminisse (2); rationem vero tractatus istius, o Asclepi, non solum sagaci intentione, verum etiam cupio te animi vivacitate percipere (10)翻訳にあたり「黙示録」的な調子が強調され、ラテン語訳者はギリシャ語オリジナルに対してはかなり自由に訳出している。一方、コプト語訳はずっと逐語的であることについては、マヘが繰り返し論じているところである。

語彙についてもその全体を考慮すると(『アスクレピウス』の文体および語彙に関する研究はいまのところ存しない)そこには宗教的な様式化の意図が感じられる。そこにはある種の義古主義(アルカイスム)が認められ、これはラテン語では様式的厳格さのしるしで、四世紀の散文においてはもっとも重要な要素であった。たとえば、... competenti venerabiliter silentio ex ore Hermu animis singulorum mentibusque pendentibus, divinus Cupido sic est orsus dicere (1)。あるいは黙示録的な部分、futurum tempus est, cum adpareat Aegyptios incassum pia mente divinitatem sedula religione servasse... terraque, sedes religionum quae fuit, viduata numinum praesentia destituetur (24)。また未来命令形(現在命令形の代わりに)によってアスクレピウスに注意深く聴くよう勧告される。これは上述した通り、擬古的言語の特徴で、すでに四世紀には廃れていたものである。

モレスキーニ『アスクレピウス』論 3


 

b) 構成

『アスクレピウス』の構成について表面的にでも注意を向けてみた読者なら、過去の学者たちがその特徴として、たんに「無秩序」と言ってみせた性格に驚かざるを得ないだろう。実際、このラテン語小論は哲学的文書の構造規範を完全に覆すものとなっている。まず、なにごとか著者の知見を得ることができる序あるいは導入が一切欠けており、『アスクレピウス』は直接「本題」in medias resに入る。これはトリスメギストスとアスクレピウスの対話として示され、その脇に黙して語らぬアンモンとタトがいるこれは他のギリシャ語ヘルメス主義的論考群にも見られるところだが、この小論は教説の継続的反復に特徴づけられている。もちろんそこには次々に導入される新たな委細が認められる。たとえば10人に関する長い論考(69の後、すでに3で語られた主題が繰り返される。つまり諸存在の階層秩序の解説。世界の下降階梯はこの小論の別の個所(673031)でも何度も繰り返されている。存在のさまざまな段階を扱うどちらの論述にも、先立ってこれから言うことに十分注意を払うように警告が付されている。17ではすでに14で語られた宇宙の霊spiritusおよびその機能(役割)について繰り返される。6で語られた人という奇蹟miraculum23で同じ文脈で並行的に、人の尊厳〔公準〕と能力を称讃しつつ反復される。邪悪な者の懲罰が墓を越えてつづくことについては1112および28で示される、等々。

同様に連結のことばもなしに句節が突然に断絶することも頻繁である。これの明白な例として、導入部、序(と呼び得るとして)をあげることができる。ヘルメスはアスクレピウスに向かって、彼が語ろうとしている神的な起源〔由来〕の論議に注意するように勧告する。これを十全に洞察〔理解〕するなら、アスクレピウスはあらゆる種類の積むこととなる。人々が見出す善とは多様であり、一つだけではない。すべてを包摂する神の中でこそ善は一性を得る〔統一される〕。これは『アスクレピウス』に突然、不適切にあらわれる典型的な汎神論であり、われわれが読み進めている文脈においては場違いなものである。導入部でこれほど骨の折れる〔拘束力をもつ〕教説を早々に提示するのは、ただ状況記述(問題提起)に捧げられるべきこの章に不協和音を添えるようなものである。そのすこし後、2の中間ではたちまち諸元素の上へのもしくは下への運動に話が移る。これに類した話題転換は14の中間にも見られ、突然、息吹き(霊)に関する話題が準備もなしに導入される(de spiritu vero et de his similibus hinc sumatur exordium)。17では話題転換の論理的必然性もなしに世界〔質料〕が語られる。ここではenimを用いて苦労して文章が編まれているにもかかわらず(est enim cava mundi rotunditas)。このように、世界〔質料〕の支配は神々に委ねられていると言い、エジプトの神々の座はリビアの山上にあると語った後、「不死の要素(元素)と死すべき定めの要素(元素)を論じる」ことは喫緊の主題ではない。ここでもこのヘルメス主義的著作者は常套句に訴えざるを得ない(et haec usque o narrata sint(27)。また、世界〔質料〕について語りつつ、すべての生き物に生命を付与する利益を果たすもの(善行者)として太陽神学を導入するところ(29)。この小論の末尾、30以下にはかなり支離滅裂な哲学的言辞がそれぞれ無関係に盛られている(時間と永遠、神、ヒュポスタシスおよび知性として観念される永遠性aeternita、充溢と空虚、類genusと種species、神性の創案者としての人、ヘイマルメネーheimarmeneつまり宿命、必然necessitas)等々。

モレスキーニ『アスクレピウス』論 2


 

この論考のラテン語訳とギリシャ語版の制作年代についてさらに厳密を期すなら、『完全な対話Logos teleiosの著作年代下限はラクタンティウスの『神の教え』以前、さらに遡り、ギリシャ語著作年代をより厳密に見極めることは不可能である。『アスクレピウス』24には異邦人(蛮族)の侵攻が予見されている。これをスキティア人もしくはインド人のエジプト侵攻とみて、或る研究者はこれをトライアヌス時代のユダヤ人蜂起(112d.C)以降の時期と提起した。この時期、エジプトはエジプト人たちにとっての異邦人であるユダヤ人たちによって騒動に巻き込まれていた。また他の者たちはこの侵攻をガリエヌス帝の死につづいて起こったパルミーラ人たちによる侵略(268d.C.)と考えたしかしマヘが疑義を表したように、黙示録的な性格の文書に将来のエジプトの壊滅といった歴史的に厳正な時の記述を認めることはできない。一方、『アスクレピウス』(つまりラテン語訳)の編纂年代について、研究者たちは同じ黙示録的文脈の別の一節に注意を払っている。そこではついにエジプトの宗教の聖なる儀式が邪悪な者たちによって禁止されることで、古の聖なる崇拝に死者たちの崇拝が置き換わることになる、と記されている。こうした邪悪(背徳)があらわれ、その時(黙示録の著者が言うように)世界は終わりとなるだろう。人々の邪悪は極まり、神の業による転生(輪廻)が起こるだろう。研究者たちの中には、ヘルメス主義的文書の著者はこうした細部描写を(ギリシャ語の『完全な対話Logos teleios』には記述がなかったものとして)コンスタン二世が346年から353年の間に異教を制圧し、キリスト教を広めるために公布した諸法に言及したものと見る者たちもある。とはいえ『アスクレピウス』にはキリスト教に敵対的な言及(24ではこれを死者たちの崇拝として論駁し、29ではおそらくキリスト教徒の暴力的な殉教死について、これを人身御供の暴力的な死と等置している)も認められる。マヘによれば、2426の「預言」はエジプトの古崇拝の衰滅を謂ったもので、かならずしもコンスタンス二世の時代のラテン語訳を待つまでもなく、すでに『完全な対話Logos teleios』の著者によって記されていたものかもしれない。フォウデンもこの見解に合意して、この預言は『完全な対話Logos teleios』に出るものであり、完全にエジプトのものであったと論じている。これは先述したラクタンティウスの『神の教えDivinae Institutiones』(VII, 15, 10 = 『アスクレピウス』24、ここは伝統的宗教においては重罪(死刑)はじられだろうとある。VII, 16, 4 = 『アスクレピウス』25、ここでは新たな規範、新たな法〔掟〕が予告されている)に見つかるもので、四世紀の皇帝たちの反キリスト教的できごとの事後予言ではあり得ない。つまりギリシャ人ヘルメス主義著作家はすでに三世紀(ラクタンティウス以前)、高祖たちの至聖なる宗教の末路、そして地理的、民族的な壊滅を予見していた。ラクタンティウスやアウグスティヌスのようなキリスト教著作家たちがこうした預言を、護教的な目的でヘルメス自身による偶像崇拝のおわりの予告、そしてそのキリスト教による実現と解釈したのだった。結論として、『アスクレピウス』の現行版の編纂はラクタンティウスよりも後、そしてアウグスティヌスの『神の国』第九巻が著作された413年以前のものと見ることができるだろう。ただし、フォウデンの仮説を受け入れるなら、エジプトの古宗教の終わりを予見した『完全な対話Logos teleios』はその主題に関連して、エジプトと密接にかかわる預言ではあるが、これはラクタンティウスやアウグスティヌスといったキリスト教著作家たちに護教的な目的で利用されたことでたいへん重要なものであったことに変わりはない。

『完全な対話Logos teleios』と『アスクレピウス』の対照は内容的にも、文体様式的にもたいへん興味深いものだが、容易に想像されるであろうように、それはなかなか難しい問題を孕んでいる。というのもラクタンティウスの引用の多くはオリジナル言語ではなくラテン語訳で、ラクタンティウス自身がその場で訳出したものである。いずれにしてもラクタンティウスが訳出した僅かな語彙を、後代の著作家たちがギリシャ語オリジナルから引用した句節の幾つかと対照してみることで(ノック−フェステュジェール版の校註にすでに認められる)なにごとかを取り出してみることができる。『アスクレピウス』の最後41の祈りの句をナグ−ハマディ写本VI, 7のものや、パピルスのギリシャ語オリジナルの断片(Papyrs Mimaut XVIIIK.プレイセンダンスによって公刊された魔術的パピルス集成に見つかる)と対照してみることもできる。より長い部分(2129)は黙示録的な部分として先に触れたところだが、これと対応する句節がコプト語文書にみつかる。これまたギリシャ語から訳出されたもので、ナグ−ハマディ文書の論考VI, 8をなしている。祈りの句もこの長い部分もJ. P.マヘによって公刊され註されている、コプト語訳は逐語的で、ギリシャ語オリジナルとコプト語文書を対照してみてもさほど得るものはない。一方、ギリシャ語オリジナルとラテン語訳との対照については言うべきことがいろいろある。いずれにせよその前にこのヘルメス主義的小論それ自体の文体および形式構成について検討しておこう。

モレスキーニ『アスクレピウス』論 1


Claudio Moreschini, Storia dellErmetismo cristiano, 2000.

 

第三章 ラテン西洋のもっとも重要なヘルメス主義文書『アスクレピウス』

 

1. 宗教的な説教
a) 著作年代

アプレイウスの哲学的著作群の中には『アスクレピウス』と表題された逸名の対話編も収められている。しかしこれがアプレイウスの著作とみなされるようになったのはやっと中世後期になってからのこと。この論考を収めた最古の写本の数々にあっては彼への帰属はなされていないばかりか、著者名も知られていない。アウグスティヌスもこれをアプレイウスの著作とは考えておらず、彼はこを「トリスメギストスと呼ばれるエジプト人ヘルメスの」著作として引いている(『神の国』8. 23)。つまりこれはこの類の諸他のもの同様、著者が知られていないヘルメス主義的著作である。

このヘルメス主義的内容の小論がアプレイウスの哲学論考群と一緒にされて見つかるところには一考を要する。私見によれば、これは偶然ではない。P.トマスによれば、ヘルメス・トリスメギストスの小論を含むこれらの論考群を集めた写本の元型は九世紀に遡る。すでにアウグスティヌスは『アスクレピウス』をアプレウス論駁の文脈で引用している。厳密を期すなら、『ソクラテスの神』からの一連の引用に絡めて。ローマ帝国時代後期の或る編集者がアプレイウスのこの論考と『アスクレピウス』を一纏めにするのが好ましいと考えたのではないかと論じられたこともある。つまりおそらく反キリスト教的な論争を目的として哲学的−宗教的著作群が集成されたものではないか、と。『アスクレピウス』の著者に関してはさまざまな仮説が呈されている。ここではJ.カルコピーノの犀利な洞察をだけ挙げておこう。これは私見の限りかなり信憑性のある考察で、このフランス人研究者はアウグスティヌスが『アスクレピウス』を引いているところから、この翻訳がアフリカでなされたものとみなし、ヘルメス主義的教義にこの地のキリスト教著作家たちの多くの思惟が結びつけられたと考えた。一つ目の仮説には信憑性があるが、二つ目はそうとは言えなさそうである。古代後期の文化的共通言辞(コイネー)は疑いもなくヘルメス主義の影響に開かれていたが、これについては個々のキリスト教著作家の態度をより綿密に検討してみなければならない。またこの可能性〔『アスクレピウス』をアフリカに位置づけること〕はマヘも採ったところで、アウグスティヌスはプロティノスやポルフュリオスのようなプラトン主義者を論駁する前にアフリカ人たち、つまりアプレイウスや(アフリカ人と想定される)『アスクレピウス』の翻訳者に向かっている。この見解にはフォウデンも追随することとなった。

『アスクレピウス』はラテン語訳によって知られる著作で、ギリシャ語オリジナルは散逸した。これは先述したように、ラクタンティウスがその著作『神の教えDivinae Institutiones』の序で『アスクレピウス』と特定できるヘルメス主義的論考の幾つかの記述(命題)をギリシャ語およびラテン語で引用しているところからも知られ、ここから学者たちはラテン語版『アスクレピウス』はラクタンティウスが『完全な会話Sermo perfectus』(『神の教え』4.6.4という名で記している論考と同じものとみなすことが可能となった。二つ目の結論は、ラクタンティウスがラテン語で引用する『完全な対話Logos teleios』が『アスクレピウス』の表題のもとにわれわれが手にする論考とはうまく符合しないこと。いずれわれわれが手にしている翻訳とラクタンティウスの引用は別物であり、『アスクレピウス』という表題がラクタンティウスよりも後のものであることが分かる。

『逃げるアタランタ』

ウラゲツブログで紹介していただきました。ありがとうございます。

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ナリーノ『ムスリムたちの占星術と天文学』5


 

5. その特殊な〔具体的性格−七、八、九世紀のアラビアによる諸民族支配はギリシャ、コプト、シリア、ペルシャ、インドに拡がったが、諸星辰の地上のできごとに対する影響〔注入〕をめぐる基本的な組み合わせについてはすでにすべて考え尽されていた。つまり、ムスリムの占星術がなにか本質的に新しいことをつけ加えることなど不可能だった。その一方で、占星術の最大の正当化は先行世代の賢者たちが修得した世俗的体験が慎重に秘匿されたものとされる秘密によっていた。そこでムスリムの占星術師たちの務めは、先人たちのこうした様々な原理や手法の中から、彼らに都合のよいものを選び取ることに限られた。それは時に由来のまったく異なる諸要素を和解させ、空想の赴くままに特殊〔具体的〕な諸要素を拡張し補完したものとなる。先述の通り、これはたいへんな折衷主義を成し遂げることとなった。アポテレスマティカと称される固有の領野においてはなにも独創的なものはないにせよ、アラビア−ムスリム占星術にはギリシャのものを含む諸他の占星術にはるかに優る真の発展がある。それは長く継続された球体天文学の援用と占星術的探求に応用された正確な算術計算からなっている。ギリシャの占星術師たちにあっては、その計算はかなり粗雑〔近似的〕なものだった。黄道の円弧は赤道の円弧に替えられ、直立上昇が斜めの上昇に変えられ、特定の緯度にとって有用な粗い表がさまざまな緯度に応用され、諸惑星の緯度は光の放射(proiectiones radiorum, matarih ash-shua)の計算のうちに見過ごされることとなった。ギリシャ人たちに12の天の宿〔家〕の算術的特定法を探っても無益で、いずれそれは占星術体系の枢要点(要素?)の一つに過ぎない。プトレマイオス自身、『四書』で指示(directio, aphesisの計算法を詳細に教授しているが、諸惑星の緯度については完全に無視している。特徴的なのはプトレマイオスが『アルマゲスト』でただ占星術師たちにだけしか役に立たない三つの問題を取り上げていること(黄道および地平線に対して蝕が投げる影の傾斜、天球の日周運動の結果としての太陽に対する諸星辰の位置、太陽光線に対する諸惑星の顕現と隠匿)。さらに、占星術にとってもほとんど重要性がないが、アポテレスマティカにとっては主要な重要さをもつにせよ、球体天文学の諸問題にとっては取るに足りない主題をとりあげている。一方、ムスリムの天文学者たちは正確な計算を教えたばかりか、占星術師に必要な算術書問題、つまり12の天の家、「指示directio」、「年周revolutiones annorum」、「前進〔由来〕profectio、「光線の投影proiecto radiorumを解いた表の数々を準備した。ムスリムのもとで占星術は堅牢な学問的知識を要する業と化し、天上の諸現象を探求する手法としてますます精密で複雑な算術となっていった。すでに引いた事例の数々に、通過mamarr(「或る惑星が他の惑星を」追い越すこと、これはアポテレスマティカという観点からするとkathuperieresisに正確に一致するalmanarsupereminentia)のこと)をつけ加えておこう。しかしギリシャ人たちにとってこれは或る惑星がもう一つの惑星の東にある時あるいは短経度にある時のことだが、アラビア人たちにとって通過mamarr周転円〔複円〕の中にある或る惑星の周転円の最遠点から、もう一つの惑星がその周転円の最遠点から隔たっている分だけ引いた距離のことである。つまりムスリムの占星術師たちにとって、その計算は簡単なものではなく、諸惑星の完全な表を用いる必要がある。それゆえ、諸惑星の通過mamarrの理説については球体天文学において多く論じられているばかりでなく、これに関する専門的な論議に紙幅が割かれることにもなる。これらの重要さは明らかで、ヘレニスム世界では占星術は天文学が衰退する時期に栄えたが、中世ムスリム世界においては占星術は算術的天文学および観察の力強い盟友となった。

ロジャー・ベイコン版『秘中の秘』39


 

第六章 胃のさまざまな快と苦痛にかかわる睡眠法について、および嘔吐について。

 

気分転換の間食(おやつ)を食べ、食卓を立ったなら、柔らかい敷藁**の上に乗り*、寛いで(適切に)眠る。最初の一時間は右側を下に、つづいて左側を下にして安静にする。これは左側が冷で、熱を必要としているから***

歩むあるいは横になる〕

** 繊細な寝床〕

*** これが健全でよい配置であり、まず左側を下にするようにとアヴィセンナは教えている。つづいて右側を下に、最後に左側を下にするように、と言われている。〕

 

また胃や腹の痛みあるいは鈍重さを感じ、薬が必要*な場合には、貴殿は熱く美しい娘を抱擁するか、腹の上に重くて熱い掛布あるいは燕麦の茎を詰めた袋あるいは温かい瓦を亜麻布で三重に包んだものあるいは温かい*座布団を掛ける。

つまり、熱した〕

 

酸っぱいげっぷが出るのは胃の冷の兆候(しるし)である。これの薬としては [59b] 酢っぱいシロップを溶いた熱湯を飲んで、吐瀉する。腹の中に腐敗物が閉じ込められていると、体躯を破壊することになるから。

ナリーノ『ムスリムたちの占星術と天文学』4


 

4. その教え−列挙した典拠群からすでに分かるように、七世紀から八世紀のムスリムの民衆的占星術においてはビザンツ、インド、ペルシャの体系が遭遇することになった。これらの民のもとでは原初的な諸体系がもはやその基礎諸原理を識別し難いほどに混淆している。ギリシャ世界における理拠的体系構築の最新の試みは、西暦150年ごろのプトレマイオスによるものだったが、これも民衆的な占星術のさまざまな形態に譲歩を余儀なくされた。一方、プトレマイオスと同時代のヴェッティウス・ヴァレンスは体系的統一の試みを捨てることになる。彼以降のギリシャ人たちも同様に、それぞれの好みの方向へと論議を展開することに満足した。インドでもそれぞれの体系の重要性を説くことにとどまった。たとえば、有名なヴァラハミヒラVarahamihiraは六世紀前半、「サムヒーターsamhita」と呼ばれるインド式の体系を一書に纏め、また別書で「ジャータカjataka」と呼ばれる誕生時日に関わる体系を纏めている。占星術的に可能なすべての方式はすでに解説され、組み合わされ、混同されて、ムスリムの占星術師たちにはもはや先行者たちが想像したもののうちから恣意的な選択をなす他に方策はなく、想像力の翼に乗って、論理的とは言い難い奇妙なヴァリエーションを編みだす他なかった。

ムスリムのもっとも古い占星術師たちは、本来その端緒原理をまったく異とした知識を結び合わせたものから取り出された小冊の数々を用い、これらをインド、ペルシャ、ギリシャといった異邦の典拠の個別の部分と混ぜ合わせた。高名な哲学者アル−キンディー(アルキンドゥス)も同様で、時として彼はひとつの主題を論じるにあたり、これに関連した様々な典拠を援用した。たとえば、羅語ヴァージョンで現存する論考(『時間の変化あるいは降雨についてDe mutatione temporum sive de imbribusVenetii 1507, Paris 150)では気圏の変化に関わるインドの予測の数々が挙げられる。しかし彼の弟子アブ・マシャル(アルブマセル)(272eg., 886dC没)はあまり躊躇なく、さまざまな要素を一纏めにしてみせた。こうした態度は後代の著作家たちから何度も譴責されてきた。特にハリ・イブン・リドワンによって。そうこうするうち、占星術の初歩〔基礎〕的序文の著者たちは彼らの便覧にさまざまな計算法を列挙せざるを得なくなる。たとえば、アル−クァビーシー(アルカビティウス、西暦960年頃著作)にその例が認められる。彼は総体的に見る限りプトレマイオスに追随する者ではあるが、『四書(テトラビブロス)』に欠ける(彼が無用とみなした)さまざまな議論、あるいはプトレマイオスが公然と捨てた説をつけ加えている。インド−イランの影響により、デカン(facies, decaniが獣帯の星座の諸他の区分につけ加えられ、またギリシャの著作家たちは黄道の度数区分に『四書』に認められるもの以外に、puteales, lucidi, tenebrosi, fumosi, vacui等々の奇妙な区分をもちこんだ。また黄道の太陽や月あるいは五つの惑星の緯度を他の点に移動するための計算法の幾つかがインドやペルシャから採用された。つまりduodenariae (ithnaashriyyat)novenariaeあるいはanaubarach (nawbahrat)、そしてadorogen (darigianat)。あるいはalbuzic (al-bist, sanscr. visti)と呼ばれるインドの理論は、幸運な時と災厄の時の区別をするもの。これは月のひと月〔陰暦〕の時間を12に類別し、その下位区分123諸惑星〔太陽と月も含む〕の「三分相triplicitas」の「主〔惑星〕」が帰属されるもの。そこでalgebugthar (al-gianbakhtan) もしくはdivisoral-qasim)の計算法が教示される。どうやらこれらはインド−イランに発する方法で誕生時日の昇位点(アセンダント)の指示(駆動者)directioを諸惑星の「終端区界termini」と組み合わせたもののようである。そして、プトレマイオスの『四書』には無関係なものについては略し、プトレマイオスの幸運の部分〔籤〕Pars Fortunae, kleros tes tuchesについて。これにアル−クァビーシーは、アル−アンダルツガーal-Andarzghar、ヴェッティウス・ヴァレンス、ヘルメス、アブ・マシャルその他から取り出されたさまざまな部分〔籤〕(Partes o Sortes, sahm, pl. siham)をつけ加えた。つまり、幸運の部分〔籤〕その他の5つに加え、個別の44の部分〔籤〕を12の天の「宿(家)」に分配する予言の数々。また三つの部分〔籤〕の一般的特徴をもつできごとの数々が湧く生の合あるいは「世界の年周運動revolutiones annorum mundi」と結びつけられることで、さまざまな王国(地域)の変化、持続、君主たちの生(Pars regni, Pars temporis regis, Pars temporis elections regis)が特定される。その他26は「年周運動」とだけの結びつきをもって、個々の食糧の多寡が予想される(Pars aquae, Pars tritici, Pars hordei, Pars fabarum, Pars sacchari etc.

部分〔籤〕の計算の基礎原理は次の通り。黄道に昇位点(アセンダント)から順に数値を振り当てる。或る時に二つの惑星〔太陽と月も含む〕の間の緯度の間隔を特定する。こうして定められた黄道の一点をあらためて昇位点(アセンダント)に取り、これによって予測を引き出す。二つの惑星の間(OからEもしくはEからO)の緯度の間隔を算えるにあたっての序列は、昼か夜かによって計算法が異なる。いずれにせよ、アル−クァビーシー自身、この奇想にさほど信を置いておらず、彼の解説にこう付言している。「ここに語ったように新たな部分〔籤〕の数々を導入することはこの辺で辞めることにして、判断の業の序論に戻ることにしよう。Introduximus quoque has partes novissimas, etsi est in eis narratio debilis, ne dimitteremus aliquid quod posset esse introductorium ad magisterium iudiciorum astrorum, quin proferamus illud.」。

プトレマイオスは真の誕生時日〔星図〕体系の擁護者たち同様、誕生時日の諸天体の相互配置が全生涯の宿命をしるすものであると考える一方、選択(electionis, katarchai)や質問(interrogationes, eroteseisに関しては変更が可能で誕生時日が指し示していたことを取り除くことができると認めていた。それはともかく、プトレマイオスにもっとも忠実なムスリムの占星術師たちのうちに誕生時日〔星図〕(mawalid, nativitates)の体系以外を認めない者がある。これは具体的で複雑な基準によって、誕生時日の昇位点(アセンダント)の黄道上の点に最大の公準〔威厳〕を置くもの。しかしムスリムの占星術師たちの大多数は、すでにギリシャ人たちがなしていたように、本来は理論的に相互に排除し合うこれら三つの体系を混ぜて用いた。西暦十一世紀前半のアラビアの占星術師イブン・アビ・アル−リジャールIbn Abi ar-Rigialは、ドロテウスが質問interrogationesを除外し、誕生時日nativitatesを第一の真実としこれに直続して選択electionesを据えて、これが誕生時日(占い)同様にあることがらに着手あるいはあることがらをなすに良い時宜を指すものと認めた。たとえば、壁の構築に着手することは、壁の誕生と同様にみなされる、と。ヴェッティウス・ヴァレンスとヘルメスは(イブン・アビ・ル−リジャルは付言する)さらにドロテウスに後押しされるように、誕生時日(占い)nativitatesと選択electionesと質問intellogationesを唯一のものと考え、すべてを認めている。これらの間には特に必然的な不一致はなく、そのうちの一つが過つ〔嘘を言う〕なら、他も過つ〔嘘を言う〕ことだろう。「それが真実であるとわたしが証すると言う時には、あなたが信じる見解(予測)もひきつづいて起こるに違いない。Quod et ego probo et dico quod haec est veritas et opinio quae credi debet et sequi」、とイブン・アビ・ル−リジャールは結論するこの見解は彼以前にも、アラビアの著作家たち皆に普及していたもので、アル−キンディーもアブ・マシャルもこれら三つの分枝を占星術の主要部分として扱っている。−もちろん、多くの占星術師たちが選択ikhtiyaratと質問masailを好むことになる実践的な理由の数々を忘れてはならない。これらは天文学的あるいは算術的な知識をたいして要せず、誕生時日(占い)の体系よりもずっと単純で、質問者の誕生時日を知らないことに由来する躊躇を避けることにも役だった。その上、この時こそ或ることをなすによい、あるいは遠く離れた親族の消息を知るに都合がよい、あるいは盗みをなした者や逃亡奴隷の行方を知ろうとする顧客〔質問者〕の慣習的な問いに対する適切な返答を与えるに好都合でもあった。いずれにせよ、熟達した占星術師たちは『百言集(カルポス、センティロキウム)』の第六寸言を決して忘れることはなかった。「日時の選択epilogeはただ誕生時日をもとに観られた好意的な瞬間だけが好ましい。もしも逆であるなら、選択はその幸福な成果に近いようにみえても、有用ではないだろう」。そこで、イブン・アブ・ル−リジャールは「誕生時日を知らずして選択をなしてはならない。ne facias electionem ei cuius nativitatem ignoras(lib.VII, proem., p.297)と勧告している。

選択electionesつまり或ることをなすにふさわしい瞬間(の選択)は、ムスリムの占星術師たちが12の天の宿〔家〕のうちその瞬間に月がある場所を探しつつ、一般的に規定したものである。この手法はおそらくギリシャのカタルカイkatarchaiに慣用されるものでもあったろう。しかし、アラビアの著作家の幾人かはこれとは別の手法をも用いている。それは行動にふさわしい時間を引き出すのに、月が28の留(sanskr., naksatra) あるいは月宿manazilのどこにあるかを観察するもの。この体系を最初に導入したのはアブ・マシャルであったようである。彼はこれに未公刊の『惑星の合についての書Kitab al-qiranat』の一章を充てている。この手法がインドに由来するものであることは明らか。というのもヘレニスム世界には月の留を論じたものが見つからないから。これ〔月の留(ナクシャトラ)〕はインドの天文学においてはたいへん重要な地位を占めている。月の留はすでにマホメット以前、アラビア人たちがすでに用いていたものだった。彼らは気象現象(特に降雨)に関わる予測の多くを宇宙の一年の西(おわり)annuo occaso cosmicoから引き出した。それゆえ、こうした類の選択electionesがアラビアのムスリムたちに迎え入れられたのも十分了解できる。彼らは当然ながら彼らの留をインドのものに置き換えることになった。イブン・アビ・ル−リジャールはまさにこれに一章(lib.VII, cap.101, pp.342-346)「月宿の移動に従う選択」electiones secundum motum Lunae per mansiones」を充てている。そこではつねにインドの見解とドロテウスの見解が対照されている。ここからすると、ギリシャのドロテウスに帰される偽書が存したものと想定される

誕生時日、選択、質問とともにわれわれは個人のアポテレスマティカapotelesmaticaの領野に入ることになる。apostelesmatiche katholike〔普遍(万有宇宙)アポテレスマティカ〕とは民の総体の、宗教の、町の未来の運命、つまり戦争、疫病、洪水、飢饉等々を予言する手法である。この部門に関してプトレマイオスは太陽と月の蝕だけを蝕の「主(kurios, mudabbir, mustawli)」惑星、つまり蝕の時に蝕が起こる黄道上の点およびこの点に先立つ四枢要角(centra o anguli, cardines, kentroseis, awtadのひとつで最大の「公準〔尊厳〕」をもつもの〔惑星〕の計算の基として用いるそこに惑星がない場合には第一あるいは第二の大きさの恒星を取ると、上述の二つの点とともに最大の「配列」(schematismoi, ashkal)をもつことになる。この原理〔方式〕を採用したアラビア人に、アル−バッターニ、ハリ・イブン・リドワーンがあり、彼らは可能な限りプトレマイオスの教説から離れないように努めている。しかしムスリムの占星術師たちの多くは蝕を副次的なものとしかみなさず、その計算を上位諸惑星〔火星、木星、土星〕の合(qiranat, iqtiranat)をもととして行う。この理説はおそらくインドではじめられたものであろう。というのもここにある歳月の循環という主題は、ムスリムの占星術を画然とギリシャの占星術から区別するものであるから。諸惑星の合 (synodoi) に関するたいへん簡潔でほとんど見逃してしまいそうな示唆が『百言集(カルポス)』5064に認められる。イブン・アビ・ル−リジャール(VIII, 5, 362-363)には(「年周運動」revolutiones annorumと結びつけることなく)素朴な予言が示されており、ヘルメスは太陽と月を含むいずれか二つの惑星の合を、それが起こる獣帯の星座の順に論じているが、これらはいまだムスリムの完全な体系からはほど遠い。一方、マーシャ・アッラー(メッサハラー)は『惑星の合についてDe coniunctionibus planerarumX-XII章(ed.1519, fol,136v)で、上位諸惑星だけの合について論じている。大合と呼ばれているのは土星と木星の合、中合が土星と火星の合、小合が木星と火星の合。これらが起こる獣帯の星座が火性、土性、気性、水性のいずれであるか、またそれらとは別の副次的な規範によって予言が引きだされる。マーシャ・アッラーのこの教説ヘジュラ暦の最初の三世紀のムスリム政治史へ応用した例が、イブン・ヒビンタの著作にみられる。いずれこの体系は西暦九世紀中頃から(アル−キンディーとアブ・マシャルとともに)ムスリムの占星術の特徴を決定づけるものと化してゆく。それは以下の四つの合に基づく体系である

a) 大合(al-qiran al-kabirあるいはal-akbar)。これは土星と木星が黄道の或る特定の点で合する時。たとえば白羊宮の初度で。二度の大合の間には960年の期間(間隔を要する。あるいは世界を更新する定めの千年期を要する。ここからして、大合は宗教(信仰)あるいは王朝の変化、ある民の覇権の他の民への移行を指し示す。
b) 中合al-qiram al-awsatつまり土星と木星が獣帯の四つの「三角相」muthallathatの一つで合する時。三角相の次の角での合までは240年を要する。この期間は征服者の到来、覇権を待望する民の出現を指し示している。つまりそこから小王朝および個々の権力者について予言が取りだされる。また中合がなすべきことを指し示している時、小合の数々によってそれが助けられることになる。
c) 小合al-qiran as-saghirあるいはal-asghar)。つまり土星と木星がいずれかの獣帯星座の中で合する時。この合は20年間隔で起こり、叛逆者たちや小党派の出現、領地や町の略奪が指し示される。
d) 土星と火星つまり二つの邪悪惑星(an-nahsani)の合が巨蟹宮の初度で起こる時。これは30年ごとに起こり、無秩序、戦争、叛乱、悪疫、飢饉を指し示す。

太陽と月の毎月の合あるいは衝(逆位)にはほとんど重要性がない。

これらの合にdirectioaphesis, tasyir)の手法を応用するか、その他の基準に従って、たとえば或る民の王国の継続期間が算定されるばかりか、この期間に起こるであろうさまざまな騒擾やできごとが指し示される。こうして占星術は重要な政治の一要素と化し、君主たちや躊躇のない野心家たちの企てを援け、その実現を容易としたものだった。占星術師たちも惑星の合の理論をもととして怯むことなく大胆な予言をなした。イスラム教そのものの継続限界をすら算定し、しばしば非アラビア人たちのアラビア支配に反する暴動に自覚的に参加することにもなった。イブン・ハルドゥーン(Proleg., lib.III, cap.LIV, vers. de Slane II, pp.222-223)によれば、すでに3項で述べたアッバス朝初代カリフの占星術師トマスの息子テオフィルスはイスラム教の王朝が960年つづくと主張したという。つまりイスラムのはじめをしるす天蠍宮に起こった大合から次の大合までの時間間隔。その時、ムスリムの宗教は新たな教義によって枉げられるだろう。イスラム教に関する預言でこれよりも有名なのがアル−キンディーのもので、ムスリムの著作家たちによって頻繁に引用されてきたもの。これはO.ロスによってアラビア語テクストが公刊され、広く解説されている。ヘジュラ暦の直前の春分は西暦622321日の5時の末に相当する。その時、土星と火星が巨蟹宮20度で合しており、昇位点(アセンダント)は巨蟹宮3度で、月がこの合の場所の支配(惑星、mubtass)だった等々。これらの要素を占星術的地誌の個別(固有)の体系(そこではたとえば天蠍宮の中の金星はアラビア人を指し示す)と組み合わせ、この天の配置がササン朝帝国のおわりを予告しており、アラビア人たちの覇権への移行を指し示している、と。アラビア人たちの継続期間は1133分=693と与えられる。これは合の時、金星がまだ双魚宮の中を進みつつあり、特殊な理由からこれの経過の1分が一年を意味するものとされ、アラビア人たちの王国の継続期間が693年とされる。そしてこれにつづく土星と火星の巨蟹宮での合まで、つまりヘジュラ暦の最初の二世紀半のもっとも重要な政治的事件の数々が解説される。

普遍〔万有宇宙〕アポテレスマティカとして、さまざまな獣帯星座の中のシリウスの傾斜した上昇とこの時の諸惑星の位置から、政治的、気象的等々の予言が語られるが、これらの素材はすべてエジプトのアラビア人占星術師たちによってだけ論じられたものである彼らはエジプトの最古の伝統を継承する者たちで、ソティス(シリウス)の傾斜した上昇を太陽年のはじめに据えていた。アラビア人たちは彼らの主要権威〔典拠〕として神話的なヘルメスの書を引いている。これはすでに五世紀のビザンツの著作家たちにはperi tes tou Kunos anatolesとして知られていたものだった。

不変〔万有宇宙〕アポテレスマティカおよび個別(個人)アポテレスマティカの一般的〔に共通の〕手法は「年周運動〔年数転換revolutiones annorum」の計算であるが、これについては今まで公刊されたギリシャの著作家たちの中に確かな痕跡を見出すことができない。一方、これはムスリムの占星術師たちのもとでは慣用されていたもので、その最初期の者たち(たとえばアル−ファドル・イブン・ナウバクートal-Fadl ibn Nawbakhtやマーシャ・アッラーMa sha Allah)がすでにこの論題に特化した論考を著している。天文学的に観るなら、これは太陽年の常用年への転換のことであり、つまり選択された常用暦に準じて太陽が端緒としての黄道の或る点に戻り周回を完了する時を特定しようとする手段である。「世界の年周revolutio annorum mundi, tahwil sini al-alam」が計算される時にはこの点が春分点とされることになる。一方、「誕生時日の年周revolutio annorum nativitatum, tawhil sini al-mawalid」が計算される時には、或る人の誕生時日あるいはなんらかの行動の端緒(はじめに太陽が黄道上に占める点となる。「周回revolutio」が完了する時の天の様相〔状態〕から占星術師は複雑きわまりない計算によって新たな年周の過程で起こるであろう個々の〔具体的な〕できごとを見出してみせる。それは誕生時日あるいは行動の端緒においては天に一般的に〔漠然と〕指し示されていただけのものだった。

ムスリムの占星術がギリシャの占星術から隔てられる諸点を検討していくなら、それは膨大なものとなるだろう。ここではフリダリアエfridariaefardarについてだけ観ておこう。これは本来、ギリシャの惑星のクロノクラトリエ(時の神々に符合するものだったが、継続時間数において異なるばかりか、ファルダールfardarは月の上昇交点(龍頭、Caput)や下降交点(龍尾、Cauda)にも擬され、さらにアブ・マシャルその他の体系の導入により複雑化していった。numudarつまり誕生時日の昇位点(アセンダント)の仮の計算(偽作)法として用いられるものがギリシャ由来のものでないことは明らかである。プトレマイオスの手法(『四書』III, 2: peri moiras horoskopouses)はヴェッティウス・ヴァレンスの手法とほぼ同じで、ムスリムの占星術師たちの多くは帰ってヘルメスに擬される手法を好んだ。これはどうやらイラン由来のもののようである。これは『百言集(カルポス)』51に述べられた原理に発するもので、つまり誕生時日に月が占める場所は受胎時の昇位点(アセンダント)にあたり、受胎時に月が占める場所は誕生時日の昇位点(アセンダント)にあたるというもの。これを用いてなされる計算は複雑きわまりないものだが、誕生時日に先立つ朔望とは何の関係もない。第三の手法は上記二つよりも稀なものだが、ゾロアストロに擬されるもの。これは朔望にも月の場所にも関係がない。リーノ『ムスリムたちの占星術と天文学』4

 

4. その教え−列挙した典拠群からすでに分かるように、七世紀から八世紀のムスリムの民衆的占星術においてはビザンツ、インド、ペルシャの体系が遭遇することになった。これらの民のもとでは原初的な諸体系がもはやその基礎諸原理を識別し難いほどに混淆している。ギリシャ世界における理拠的体系構築の最新の試みは、西暦150年ごろのプトレマイオスによるものだったが、これも民衆的な占星術のさまざまな形態に譲歩を余儀なくされた。一方、プトレマイオスと同時代のヴェッティウス・ヴァレンスは体系的統一の試みを捨てることになる。彼以降のギリシャ人たちも同様に、それぞれの好みの方向へと論議を展開することに満足した。インドでもそれぞれの体系の重要性を説くことにとどまった。たとえば、有名なヴァラハミヒラVarahamihiraは六世紀前半、「サムヒーターsamhita」と呼ばれるインド式の体系を一書に纏め、また別書で「ジャータカjataka」と呼ばれる誕生時日に関わる体系を纏めている。占星術的に可能なすべての方式はすでに解説され、組み合わされ、混同されて、ムスリムの占星術師たちにはもはや先行者たちが想像したもののうちから恣意的な選択をなす他に方策はなく、想像力の翼に乗って、論理的とは言い難い奇妙なヴァリエーションを編みだす他なかった。

ムスリムのもっとも古い占星術師たちは、本来その端緒原理をまったく異とした知識を結び合わせたものから取り出された小冊の数々を用い、これらをインド、ペルシャ、ギリシャといった異邦の典拠の個別の部分と混ぜ合わせた。高名な哲学者アル−キンディー(アルキンドゥス)も同様で、時として彼はひとつの主題を論じるにあたり、これに関連した様々な典拠を援用した。たとえば、羅語ヴァージョンで現存する論考(『時間の変化あるいは降雨についてDe mutatione temporum sive de imbribusVenetii 1507, Paris 150)では気圏の変化に関わるインドの予測の数々が挙げられる。しかし彼の弟子アブ・マシャル(アルブマセル)(272eg., 886dC没)はあまり躊躇なく、さまざまな要素を一纏めにしてみせた。こうした態度は後代の著作家たちから何度も譴責されてきた。特にハリ・イブン・リドワンによって。そうこうするうち、占星術の初歩〔基礎〕的序文の著者たちは彼らの便覧にさまざまな計算法を列挙せざるを得なくなる。たとえば、アル−クァビーシー(アルカビティウス、西暦960年頃著作)にその例が認められる。彼は総体的に見る限りプトレマイオスに追随する者ではあるが、『四書(テトラビブロス)』に欠ける(彼が無用とみなした)さまざまな議論、あるいはプトレマイオスが公然と捨てた説をつけ加えている。インド−イランの影響により、デカン(facies, decaniが獣帯の星座の諸他の区分につけ加えられ、またギリシャの著作家たちは黄道の度数区分に『四書』に認められるもの以外に、puteales, lucidi, tenebrosi, fumosi, vacui等々の奇妙な区分をもちこんだ。また黄道の太陽や月あるいは五つの惑星の緯度を他の点に移動するための計算法の幾つかがインドやペルシャから採用された。つまりduodenariae (ithnaashriyyat)novenariaeあるいはanaubarach (nawbahrat)、そしてadorogen (darigianat)。あるいはalbuzic (al-bist, sanscr. visti)と呼ばれるインドの理論は、幸運な時と災厄の時の区別をするもの。これは月のひと月〔陰暦〕の時間を12に類別し、その下位区分123諸惑星〔太陽と月も含む〕の「三分相triplicitas」の「主〔惑星〕」が帰属されるもの。そこでalgebugthar (al-gianbakhtan) もしくはdivisoral-qasim)の計算法が教示される。どうやらこれらはインド−イランに発する方法で誕生時日の昇位点(アセンダント)の指示(駆動者)directioを諸惑星の「終端区界termini」と組み合わせたもののようである。そして、プトレマイオスの『四書』には無関係なものについては略し、プトレマイオスの幸運の部分〔籤〕Pars Fortunae, kleros tes tuchesについて。これにアル−クァビーシーは、アル−アンダルツガーal-Andarzghar、ヴェッティウス・ヴァレンス、ヘルメス、アブ・マシャルその他から取り出されたさまざまな部分〔籤〕(Partes o Sortes, sahm, pl. siham)をつけ加えた。つまり、幸運の部分〔籤〕その他の5つに加え、個別の44の部分〔籤〕を12の天の「宿(家)」に分配する予言の数々。また三つの部分〔籤〕の一般的特徴をもつできごとの数々が湧く生の合あるいは「世界の年周運動revolutiones annorum mundi」と結びつけられることで、さまざまな王国(地域)の変化、持続、君主たちの生(Pars regni, Pars temporis regis, Pars temporis elections regis)が特定される。その他26は「年周運動」とだけの結びつきをもって、個々の食糧の多寡が予想される(Pars aquae, Pars tritici, Pars hordei, Pars fabarum, Pars sacchari etc.

部分〔籤〕の計算の基礎原理は次の通り。黄道に昇位点(アセンダント)から順に数値を振り当てる。或る時に二つの惑星〔太陽と月も含む〕の間の緯度の間隔を特定する。こうして定められた黄道の一点をあらためて昇位点(アセンダント)に取り、これによって予測を引き出す。二つの惑星の間(OからEもしくはEからO)の緯度の間隔を算えるにあたっての序列は、昼か夜かによって計算法が異なる。いずれにせよ、アル−クァビーシー自身、この奇想にさほど信を置いておらず、彼の解説にこう付言している。「ここに語ったように新たな部分〔籤〕の数々を導入することはこの辺で辞めることにして、判断の業の序論に戻ることにしよう。Introduximus quoque has partes novissimas, etsi est in eis narratio debilis, ne dimitteremus aliquid quod posset esse introductorium ad magisterium iudiciorum astrorum, quin proferamus illud.」。

プトレマイオスは真の誕生時日〔星図〕体系の擁護者たち同様、誕生時日の諸天体の相互配置が全生涯の宿命をしるすものであると考える一方、選択(electionis, katarchai)や質問(interrogationes, eroteseisに関しては変更が可能で誕生時日が指し示していたことを取り除くことができると認めていた。それはともかく、プトレマイオスにもっとも忠実なムスリムの占星術師たちのうちに誕生時日〔星図〕(mawalid, nativitates)の体系以外を認めない者がある。これは具体的で複雑な基準によって、誕生時日の昇位点(アセンダント)の黄道上の点に最大の公準〔威厳〕を置くもの。しかしムスリムの占星術師たちの大多数は、すでにギリシャ人たちがなしていたように、本来は理論的に相互に排除し合うこれら三つの体系を混ぜて用いた。西暦十一世紀前半のアラビアの占星術師イブン・アビ・アル−リジャールIbn Abi ar-Rigialは、ドロテウスが質問interrogationesを除外し、誕生時日nativitatesを第一の真実としこれに直続して選択electionesを据えて、これが誕生時日(占い)同様にあることがらに着手あるいはあることがらをなすに良い時宜を指すものと認めた。たとえば、壁の構築に着手することは、壁の誕生と同様にみなされる、と。ヴェッティウス・ヴァレンスとヘルメスは(イブン・アビ・ル−リジャルは付言する)さらにドロテウスに後押しされるように、誕生時日(占い)nativitatesと選択electionesと質問intellogationesを唯一のものと考え、すべてを認めている。これらの間には特に必然的な不一致はなく、そのうちの一つが過つ〔嘘を言う〕なら、他も過つ〔嘘を言う〕ことだろう。「それが真実であるとわたしが証すると言う時には、あなたが信じる見解(予測)もひきつづいて起こるに違いない。Quod et ego probo et dico quod haec est veritas et opinio quae credi debet et sequi」、とイブン・アビ・ル−リジャールは結論するこの見解は彼以前にも、アラビアの著作家たち皆に普及していたもので、アル−キンディーもアブ・マシャルもこれら三つの分枝を占星術の主要部分として扱っている。−もちろん、多くの占星術師たちが選択ikhtiyaratと質問masailを好むことになる実践的な理由の数々を忘れてはならない。これらは天文学的あるいは算術的な知識をたいして要せず、誕生時日(占い)の体系よりもずっと単純で、質問者の誕生時日を知らないことに由来する躊躇を避けることにも役だった。その上、この時こそ或ることをなすによい、あるいは遠く離れた親族の消息を知るに都合がよい、あるいは盗みをなした者や逃亡奴隷の行方を知ろうとする顧客〔質問者〕の慣習的な問いに対する適切な返答を与えるに好都合でもあった。いずれにせよ、熟達した占星術師たちは『百言集(カルポス、センティロキウム)』の第六寸言を決して忘れることはなかった。「日時の選択epilogeはただ誕生時日をもとに観られた好意的な瞬間だけが好ましい。もしも逆であるなら、選択はその幸福な成果に近いようにみえても、有用ではないだろう」。そこで、イブン・アブ・ル−リジャールは「誕生時日を知らずして選択をなしてはならない。ne facias electionem ei cuius nativitatem ignoras(lib.VII, proem., p.297)と勧告している。

選択electionesつまり或ることをなすにふさわしい瞬間(の選択)は、ムスリムの占星術師たちが12の天の宿〔家〕のうちその瞬間に月がある場所を探しつつ、一般的に規定したものである。この手法はおそらくギリシャのカタルカイkatarchaiに慣用されるものでもあったろう。しかし、アラビアの著作家の幾人かはこれとは別の手法をも用いている。それは行動にふさわしい時間を引き出すのに、月が28の留(sanskr., naksatra) あるいは月宿manazilのどこにあるかを観察するもの。この体系を最初に導入したのはアブ・マシャルであったようである。彼はこれに未公刊の『惑星の合についての書Kitab al-qiranat』の一章を充てている。この手法がインドに由来するものであることは明らか。というのもヘレニスム世界には月の留を論じたものが見つからないから。これ〔月の留(ナクシャトラ)〕はインドの天文学においてはたいへん重要な地位を占めている。月の留はすでにマホメット以前、アラビア人たちがすでに用いていたものだった。彼らは気象現象(特に降雨)に関わる予測の多くを宇宙の一年の西(おわり)annuo occaso cosmicoから引き出した。それゆえ、こうした類の選択electionesがアラビアのムスリムたちに迎え入れられたのも十分了解できる。彼らは当然ながら彼らの留をインドのものに置き換えることになった。イブン・アビ・ル−リジャールはまさにこれに一章(lib.VII, cap.101, pp.342-346)「月宿の移動に従う選択」electiones secundum motum Lunae per mansiones」を充てている。そこではつねにインドの見解とドロテウスの見解が対照されている。ここからすると、ギリシャのドロテウスに帰される偽書が存したものと想定される

誕生時日、選択、質問とともにわれわれは個人のアポテレスマティカapotelesmaticaの領野に入ることになる。apostelesmatiche katholike〔普遍(万有宇宙)アポテレスマティカ〕とは民の総体の、宗教の、町の未来の運命、つまり戦争、疫病、洪水、飢饉等々を予言する手法である。この部門に関してプトレマイオスは太陽と月の蝕だけを蝕の「主(kurios, mudabbir, mustawli)」惑星、つまり蝕の時に蝕が起こる黄道上の点およびこの点に先立つ四枢要角(centra o anguli, cardines, kentroseis, awtadのひとつで最大の「公準〔尊厳〕」をもつもの〔惑星〕の計算の基として用いるそこに惑星がない場合には第一あるいは第二の大きさの恒星を取ると、上述の二つの点とともに最大の「配列」(schematismoi, ashkal)をもつことになる。この原理〔方式〕を採用したアラビア人に、アル−バッターニ、ハリ・イブン・リドワーンがあり、彼らは可能な限りプトレマイオスの教説から離れないように努めている。しかしムスリムの占星術師たちの多くは蝕を副次的なものとしかみなさず、その計算を上位諸惑星〔火星、木星、土星〕の合(qiranat, iqtiranat)をもととして行う。この理説はおそらくインドではじめられたものであろう。というのもここにある歳月の循環という主題は、ムスリムの占星術を画然とギリシャの占星術から区別するものであるから。諸惑星の合 (synodoi) に関するたいへん簡潔でほとんど見逃してしまいそうな示唆が『百言集(カルポス)』5064に認められる。イブン・アビ・ル−リジャール(VIII, 5, 362-363)には(「年周運動」revolutiones annorumと結びつけることなく)素朴な予言が示されており、ヘルメスは太陽と月を含むいずれか二つの惑星の合を、それが起こる獣帯の星座の順に論じているが、これらはいまだムスリムの完全な体系からはほど遠い。一方、マーシャ・アッラー(メッサハラー)は『惑星の合についてDe coniunctionibus planerarumX-XII章(ed.1519, fol,136v)で、上位諸惑星だけの合について論じている。大合と呼ばれているのは土星と木星の合、中合が土星と火星の合、小合が木星と火星の合。これらが起こる獣帯の星座が火性、土性、気性、水性のいずれであるか、またそれらとは別の副次的な規範によって予言が引きだされる。マーシャ・アッラーのこの教説ヘジュラ暦の最初の三世紀のムスリム政治史へ応用した例が、イブン・ヒビンタの著作にみられる。いずれこの体系は西暦九世紀中頃から(アル−キンディーとアブ・マシャルとともに)ムスリムの占星術の特徴を決定づけるものと化してゆく。それは以下の四つの合に基づく体系である

a) 大合(al-qiran al-kabirあるいはal-akbar)。これは土星と木星が黄道の或る特定の点で合する時。たとえば白羊宮の初度で。二度の大合の間には960年の期間(間隔を要する。あるいは世界を更新する定めの千年期を要する。ここからして、大合は宗教(信仰)あるいは王朝の変化、ある民の覇権の他の民への移行を指し示す。
b) 中合al-qiram al-awsatつまり土星と木星が獣帯の四つの「三角相」muthallathatの一つで合する時。三角相の次の角での合までは240年を要する。この期間は征服者の到来、覇権を待望する民の出現を指し示している。つまりそこから小王朝および個々の権力者について予言が取りだされる。また中合がなすべきことを指し示している時、小合の数々によってそれが助けられることになる。
c) 小合al-qiran as-saghirあるいはal-asghar)。つまり土星と木星がいずれかの獣帯星座の中で合する時。この合は20年間隔で起こり、叛逆者たちや小党派の出現、領地や町の略奪が指し示される。
d) 土星と火星つまり二つの邪悪惑星(an-nahsani)の合が巨蟹宮の初度で起こる時。これは30年ごとに起こり、無秩序、戦争、叛乱、悪疫、飢饉を指し示す。

太陽と月の毎月の合あるいは衝(逆位)にはほとんど重要性がない。

これらの合にdirectioaphesis, tasyir)の手法を応用するか、その他の基準に従って、たとえば或る民の王国の継続期間が算定されるばかりか、この期間に起こるであろうさまざまな騒擾やできごとが指し示される。こうして占星術は重要な政治の一要素と化し、君主たちや躊躇のない野心家たちの企てを援け、その実現を容易としたものだった。占星術師たちも惑星の合の理論をもととして怯むことなく大胆な予言をなした。イスラム教そのものの継続限界をすら算定し、しばしば非アラビア人たちのアラビア支配に反する暴動に自覚的に参加することにもなった。イブン・ハルドゥーン(Proleg., lib.III, cap.LIV, vers. de Slane II, pp.222-223)によれば、すでに3項で述べたアッバス朝初代カリフの占星術師トマスの息子テオフィルスはイスラム教の王朝が960年つづくと主張したという。つまりイスラムのはじめをしるす天蠍宮に起こった大合から次の大合までの時間間隔。その時、ムスリムの宗教は新たな教義によって枉げられるだろう。イスラム教に関する預言でこれよりも有名なのがアル−キンディーのもので、ムスリムの著作家たちによって頻繁に引用されてきたもの。これはO.ロスによってアラビア語テクストが公刊され、広く解説されている。ヘジュラ暦の直前の春分は西暦622321日の5時の末に相当する。その時、土星と火星が巨蟹宮20度で合しており、昇位点(アセンダント)は巨蟹宮3度で、月がこの合の場所の支配(惑星、mubtass)だった等々。これらの要素を占星術的地誌の個別(固有)の体系(そこではたとえば天蠍宮の中の金星はアラビア人を指し示す)と組み合わせ、この天の配置がササン朝帝国のおわりを予告しており、アラビア人たちの覇権への移行を指し示している、と。アラビア人たちの継続期間は1133分=693と与えられる。これは合の時、金星がまだ双魚宮の中を進みつつあり、特殊な理由からこれの経過の1分が一年を意味するものとされ、アラビア人たちの王国の継続期間が693年とされる。そしてこれにつづく土星と火星の巨蟹宮での合まで、つまりヘジュラ暦の最初の二世紀半のもっとも重要な政治的事件の数々が解説される。

普遍〔万有宇宙〕アポテレスマティカとして、さまざまな獣帯星座の中のシリウスの傾斜した上昇とこの時の諸惑星の位置から、政治的、気象的等々の予言が語られるが、これらの素材はすべてエジプトのアラビア人占星術師たちによってだけ論じられたものである彼らはエジプトの最古の伝統を継承する者たちで、ソティス(シリウス)の傾斜した上昇を太陽年のはじめに据えていた。アラビア人たちは彼らの主要権威〔典拠〕として神話的なヘルメスの書を引いている。これはすでに五世紀のビザンツの著作家たちにはperi tes tou Kunos anatolesとして知られていたものだった。

不変〔万有宇宙〕アポテレスマティカおよび個別(個人)アポテレスマティカの一般的〔に共通の〕手法は「年周運動〔年数転換revolutiones annorum」の計算であるが、これについては今まで公刊されたギリシャの著作家たちの中に確かな痕跡を見出すことができない。一方、これはムスリムの占星術師たちのもとでは慣用されていたもので、その最初期の者たち(たとえばアル−ファドル・イブン・ナウバクートal-Fadl ibn Nawbakhtやマーシャ・アッラーMa sha Allah)がすでにこの論題に特化した論考を著している。天文学的に観るなら、これは太陽年の常用年への転換のことであり、つまり選択された常用暦に準じて太陽が端緒としての黄道の或る点に戻り周回を完了する時を特定しようとする手段である。「世界の年周revolutio annorum mundi, tahwil sini al-alam」が計算される時にはこの点が春分点とされることになる。一方、「誕生時日の年周revolutio annorum nativitatum, tawhil sini al-mawalid」が計算される時には、或る人の誕生時日あるいはなんらかの行動の端緒(はじめに太陽が黄道上に占める点となる。「周回revolutio」が完了する時の天の様相〔状態〕から占星術師は複雑きわまりない計算によって新たな年周の過程で起こるであろう個々の〔具体的な〕できごとを見出してみせる。それは誕生時日あるいは行動の端緒においては天に一般的に〔漠然と〕指し示されていただけのものだった。

ムスリムの占星術がギリシャの占星術から隔てられる諸点を検討していくなら、それは膨大なものとなるだろう。ここではフリダリアエfridariaefardarについてだけ観ておこう。これは本来、ギリシャの惑星のクロノクラトリエ(時の神々に符合するものだったが、継続時間数において異なるばかりか、ファルダールfardarは月の上昇交点(龍頭、Caput)や下降交点(龍尾、Cauda)にも擬され、さらにアブ・マシャルその他の体系の導入により複雑化していった。numudarつまり誕生時日の昇位点(アセンダント)の仮の計算(偽作)法として用いられるものがギリシャ由来のものでないことは明らかである。プトレマイオスの手法(『四書』III, 2: peri moiras horoskopouses)はヴェッティウス・ヴァレンスの手法とほぼ同じで、ムスリムの占星術師たちの多くは帰ってヘルメスに擬される手法を好んだ。これはどうやらイラン由来のもののようである。これは『百言集(カルポス)』51に述べられた原理に発するもので、つまり誕生時日に月が占める場所は受胎時の昇位点(アセンダント)にあたり、受胎時に月が占める場所は誕生時日の昇位点(アセンダント)にあたるというもの。これを用いてなされる計算は複雑きわまりないものだが、誕生時日に先立つ朔望とは何の関係もない。第三の手法は上記二つよりも稀なものだが、ゾロアストロに擬されるもの。これは朔望にも月の場所にも関係がない。

ロジャー・ベイコン版『秘中の秘』38


 

第五章 食事を摂る前の運動、食物と飲物についておよび食べ方飲み方について有益な慣習。

 

食欲を増進するためには貴殿はその時間を習慣化するのがよい。適度(中庸)な体躯の運動*つまり乗馬や散策、[58a] その他をなすのは体躯にたいへん善く、おおいに推奨される。腹内の気を排出させ(放屁させ)、体躯を快適に身軽にし、胃の熱を燃え上がらせ、接合を強化し、体躯の余剰体液を液化し、粘液を胃に降らせて燃やす**、つまり熱と乾となす。

そしてさまざまな食物を前に、貴殿の望みに合わせて選びとったものを食べる。パンは完全に発酵させ、ふすまを十分清め、適度に塩を混ぜて必要なだけ寝かしたものをよく焼いて供する。つまり、朝食にはまず腹を柔らかにするように柔らかいものを食べ、つづいて腹に貯まるもの***を食べる。柔らかいものを先に食べると、よりよく早く消化される。腹に貯まるものを先に食べ、柔らかいものを後に摂ると、どちらの消化にも悪い。また、さまざまな柔らかい食物を食べるなら****消化が早く、前の食事で摂った何かが胃の底に貯まっているものも、胃の底は強熱であるので [58b](欄外註) 消化され、そこで柔らかくされる。この部分は筋肉質で熱く、肝臓に近く、ここに食物を熱する熱が由来する*****

あるいは、体躯を動かす〕

** あるいは、胃に熱を保つ〕

*** 腹に、濃密(粗雑)で固く乾いたものを〕

**** その後で固いものを摂らない〕

*****一般に食物は柔らかいものから固いものへ、液体物から乾燥物への順で食べる。これは著者も言うように創世記のイサクの食事にも見られるところ、またポリクラティクスの書スマラグドの書その他にも見られる。〕

食事はできるだけ控え遅らせるべきである。つまり食欲が起こると、食欲に誘われてたちまち食べるようなことはやめるように。余剰な食物が胃を満たし狭めると、胸が閊え、体躯が鈍重になり、心機(魂)が阻まれ、胃の底に残る食物が重く増え、未消化となり有害となる。

また食事にあたり、食物を摂る間**飲用水を飲まない*習慣をつけるように。冷水を飲むと、胃中の食物を冷やし、火と消化熱を消す。大量の水を飲むと食物が混ざり、阻害が生まれ、これ以上に人の体躯を悪化させるものはない。いずれにしても水の摂取は不可欠であり、時節(季節)の熱、胃あるいは体躯の熱、あるいは食物の熱***には、少量なら冷たい飲料もよい****

抑制する〕

** あるいは、決して〕

*** つまり、熱い食物の摂取〕

**** 水や葡萄酒を食物とともに摂ることにかかわる注意はアヴィセンナの薬の業(『医学典範』)第一巻に録されている。それゆえ食物とともに飲物を摂らないように、それも特に葡萄酒を避けるように。というのも飲物は胃の中で早々に消化されて肝臓に移される時、僅かながら未消化の食物をも一緒に運ぶことになる。これは土の上を流れる水が一緒に土の粉を運ぶのと同じ。その後この未消化部分は胃に運ばれる。これは有益ではないが、かといって有害なものでもない。ここから腐敗性で病根となる体液が生じる。[59a] これは野獣にも見られる自然本性で、獣はまず食物を完全に食べた後で水を飲む。胃の中に大量の熱があることの理由は三つ、あるいは二つ、あるいは一つ、とアリストテレスは語っている。アヴィセンナはおおよそその結論部あるいは末尾で、冷水を少し飲むと喉の渇きは消える。(食事の)後に水を飲むことは確かに必要であり、適度(中庸)に摂るのはよい。とはいえ習慣や社会(集会)は必要に応じて変化するものである。財産や所領をもたない者で望みのままに食事の後、大量に(葡萄酒を)飲むことができる者は僅かしかいない。つまり習慣を破ることになるさまざまな機会、友人たちとの集まりがあり得る。人としては食卓で節度をもって飲むようにするのがよい。食事の途中で飲物を摂ることは消化を遅らせるから。そうすれば、さほど損ないはなく、おそらく損害はずっと縮小されるだろう。〕

ナリーノ『ムスリムたちの占星術と天文学』3


 

3. その典拠群これには三種がある。a) ギリシャ語典拠。プトレマイオスの『四書』のいわゆる古典占星術、ギリシャ−エジプトの伝統を引き継ぐシドンのドロテウス(I sec)。ヴェッティス・ヴァレンスの折衷主義的な大編纂書(II sec.またアテネのアンティオコス(II-III sec.)のデカン、質問、誕生時日(星図)に関わる諸書はどうやらバビロニアの伝統に則ったもののようである。そしてプトレマイウスの著作に擬された『カルポスKarpos』つまり『百言集Centiloquium神話的なヘルメスに擬された幾つかの著作、アラビアの著作家たちによって誰か分からぬかたちに変形されて引用される著作家(RimosあるいはZimos。また別のギリシャ人著作家でアラビア人たちがシリア語経由で知ったバビロニアのテウクロスまたギリシャ語典拠群、ゾロアストロに帰属される占星術的諸観念の引用に溢れているようにみえる。これについては後述する。

b) インドの典拠群。ムスリムの占星術師たちは7もしくは8人のインド人占星術師を録しているが、どの名もいまだサンスクリット語表記に照応するものを特定できていない。そのうちでももっとも重要なものがK. n.k.h.あるいはK.t.k.h.で、アラビア人著作家の中にはこの人物がバグダットのアル−マンスールの宮廷にインドの天文学著作群をもたらしたと言う者もあり、他に彼がインド算術をも教えたと言う者もある。アラビア人たちは彼にnumudar(つまり誕生時日の昇位点(アセンダント)の偽作法を定める方法、誕生時日(占い)、諸惑星の合に関わる著作群を帰属している。彼はまたサンスクリット語でhoraあるいはjatakaと呼ばれるインド占星術の部分を論じたようにみえる。これはギリシャの影響を受けて生まれたものだった。ボルは、アブ・マシャルあるいはアルブマサルの『序論Introductoriumに含まれる引用からK.n.k.h.は、天に「デカン」の数々とともに昇るさまざまな形象の遥かなギリシャに由来する素材群を目のあたりにしていたと推論している。しかし一般的にムスリムの占星術師たちは漠然と「インド人たちal-Hind」として引用し、著者の固有名を記していない。その上、インドの占星術の影響はイラン人たちの口授を介してもたらされたようであり(中世ペルシャ語あるいはパフラヴィ語)、インドの語彙の幾つかは、たとえばdarigianind. drekkana)のようにイラン化されたかたちでアラビアの語彙に移入されている。

c) イランの典拠群。パフラヴィ語あるいは中世ペルシャ語。バビロニアのテウクロス一世紀後半)のデカンとともに天に昇る諸形象に関する著作は、ペルシャ語ヴァージョンを介してアラビアに伝えられ、そこで著者の名はタンカルーシャーTankalushaあるいはタンカルーシュTankalush(あるいはティンカルースTinkalus)に変じ、アブ・マシャルの『序論』にはその教理が「ペルシャ人たちの教理madhhab al-Furs」として示され、そこには幾つか星座のペルシャ語名も含まれている。或るムスリムの著作家によると、タンカルーシャーの書はヘジュラ暦の80年前(542/554dC)に著されたもので、フォン・グートシュミットが言うように、この年代はササン朝のコスロエ(ホスロー)一世アノシャルワーン(アヌーシールワーン、不滅の魂)531-579dC)の時代に数多のギリシャ語著作がパフラヴィ語に訳されたことに想到させる。また別の典拠にコスロエ一世の伝説的な宰相Buzurgmihrによるものがあり、この人の叡知については文芸伝承の中で驚異としてものが足られている。或る占星術書が彼に帰属されているが、その表題はアラビア人著作家たちのもとでさまざまに変形しており、解読不能な名辞と化しているこの中にはタンカルーシュからの引用もあることが分かっている。『フィリスト』の著者はこれをヴェッティウス・ヴァレンの書およびこれに対するBuzurgmihrの解釈(翻訳あるいは註解?)とみなしている。つまりこの書の解読不能の表題はアラビア語ではal-Bizidagと読まれるべきものであることに疑いはない。すなわちヴェッティウス・ヴァレンスの書のギリシャ語表題(Anthologia)のパフラヴィ語訳(Vizidhak(選集))またムスリムたちは占星術教義の典拠として神話的なゾロアストロの名をも引いている(アラビア語文書ではZaradusht、現代ペルシャ語ではZardusht)。この名はすでに四世紀以降、ギリシャの占星術においても頻繁にあらわれる名だった「三角相」をなす三つの「主〔支配惑星〕」を12の宿(家)の一々に指し示すにあたり、羅版アルカビティウス(Alcabitius, al-Qabisi)はつねにペルシャ人アレンデスゴットAlendezgodの名を引き、ユダヤ人イブン・エズラ(Avenezra, Ibn Ezra)の羅版『誕生時日占いde nativitatibusもつねにアラビア語典拠として某アンドルサガルAndrucagarを引いている。イブン・エズラの未完のヘブル語文書には、スタインシュナイダーによると□□□□□は、ペルシャ名[al-] Andarzghar filio di Zadanfarrukhを識別できる。しかしこの人物については他の知見が一切ない。その一方で、ムスリムの占星術的著作群の後代の偽作とみなされるものに、賢者イアムスプGiamaspに擬される書のアラビア語訳というものがある。これは神話的な王グシュタスプGushtaspの忠実な相談役を主人公とするイランの叙事詩の体裁である。

ここまで述べてきた著作群のすべてについて、それがいつ最初にアラビア語に訳されたものであったのかが分かっている訳ではない。しかしその大部分が西暦八世紀後半、つまりムスリム文化のはじめにはすでに知られていたのは確かである。ヘルメスの未公刊のArd miftah an-nugiumms. Biblioteca Ambrosiana di Milano)の末尾に置かれた記述が真実であるなら、この書は74311月(dhu l-qadah 125eg.)つまりいまだウマイア朝の統治下で訳されたことになる。『四書Tetrabiblos』の最初の亜訳は、アッバス朝第二代カリフ、アル−マンスール時代(136-158 eg., 754-775dCの翻訳家アブ・ヤヒヤ・アル−バトリクAbu Yahya al-Batriqによるもの。ドロテウスとアンティオコスの名はすでに八世紀後半のマーシャ・アッラー(Ma shaAllah, Messahala, Messahalach)の著作群で触れられている。その他、上述したギリシャ人著作家たちはみな、九世紀の占星術師たちによって広く引用されている。またインドの著作家K.n.k.h.の著作群も、アル−マンスール時代のバグダットでは知られていたもののようである。そして九世紀中頃には、アル−キンディー(al-Kindi, Alchindus)によりすでにかなりの量の占星術論考群がインド・モデルに準じて編纂され著されていた。ペルシャ語の諸書はナウバク−トNawbakht家の者たちによってパフラヴィ語からアラビア語に翻訳され、その家長はアル−マンスールの宮廷の占星術師だった。いずれにせよ、往古、占星術にイランの影響が濃厚であったことはマーシャ・アッラーの論考群からも明らかである。セヴィリアのヨハンネスによる羅訳からは、イランに由来する専門用語、alhyleg (al-haylag), alcochoder (al-kadkhudah), alimbutar (al-gianbakhtan)が正確に用いられていることが分かる。

文書典拠以外にも、イスラム教に改宗した民には口頭伝承があったことに疑いはない。シリア人たちのもとで、キリスト教はほぼ占星術を窒息させた。もちろん、バルデサネBardesane154-222)のように、キリスト教の教義と諸星辰の部分〔籤〕による予定〔宿命〕を緩和されたかたちで和解させた者もあった。またハラーンHarran、古のカッラエCarrhaeには他の異教的な知識とともに特殊な占星術的伝統が開花した。おそらくシリアの口頭伝承が、エデッサのキリスト教徒で、カリフ、アル−マフーディ(775-785dC)の占星術師だったトマスの息子のテオフィロスに結びついたものだろう。彼のことをムスリムの占星術師たちは、「選択Electiones」に関わる権威として引用している。同様に、ムスリム文化の中にメソポタミアやバビロニア、エジプト等々の異教的なアラム語環境の占星術的信憑と実践が流入したのは当然のことであった。そこにユダヤ的な要素が加わったことも忘れてはならない。ムスリムの初期占星術には彼らの貢献が著しい。ヘジュラ暦二−三世紀にアラビア語で占星術について著した者たちの中には、ヘブル人マーシャ・アッラーMa sha Allah、サール・イブン・ビシールSahl ibn Bishr、ラバン・アッタバーリーRabban at-Tabari、サナード・イブン・アリSanad ibn Aliがあった。

ロジャー・ベイコン版『秘中の秘』37


 

つづいてアラッコド*つまりアロエ樹の嘗薬(錠剤、エレクトゥアリオ)**を摂る。これは薬事書にラオウド***すなわちダイオウ(レウバルバロ)から調合されるもの4銀貨(ヌンモールム)重量を。これに****は口や胃から粘液を取り除き、体躯の本性熱を喚起し、放屁させ、口臭を減じる効果がある*****

アラビア語名辞〕

** あるいは、誘導(剤)、エレクト〕

*** アラビア語名辞〕

**** あるいは、ここで〕

***** これはたいへん有用であるので、つまり、アロエ樹とダイオウ(レウバルバルム)は十分うまく選ばれる(粉砕される)なら。註して言うと、ダイオウ(レウバルバム)は肝臓を活性化する(肝臓の命である)。人の体躯にこれ以上に効果あるものはなく、これは薬効のみで、毒性がなく、これを摂取しても緩和せず(下剤とならず)、これを摂取した体躯は浄化(嘔吐)を要せず、体質、複合、星座(?強要)にかかわる浄化(下剤)としてはたらく訳ではない。これを毎日あるいはしばしば摂ることは有害ではなく、たいへん有益で、これについてアリストテレスもそう語っている。これは主として粘液(冷静、不活性)を浄化する、とアリストテレスは註しており、現下の多くの医者たちはこれが憤怒質を清める(鎮める)ことを評価している。しかし憤怒質を浄化し軽減することと諸他の浄化軽減とは違っており、ヨハンネス・ダマスケヌスが箴言集80で、一々の浄化剤(カタルティクム)がいずれかの体液を浄化するのは憤怒質を取り去るのと類同である、と言うところは誤りである。「カタルティクム」はギリシャ語で、ラテン語の「浄化(プルガティヴム)」に相当する。しかし著作家たち、熟練の医師たちはこれを憤怒質にかかわる薬あるいはその調剤物とみなしており、ここから憤怒質を浄化するものとして、体験的な知識として主として粘液を浄化するものと認められるダイオウ(レウバルバリ)の自然本性(天然のダイオウ)が推奨される。そこで緩和剤(下剤)として以下の薬剤処方を勧めておく。まずオクシメル(蜂蜜酢)を7日間(昼間に)摂取する。これは旅人(ヴィアティチ)の書第五巻に記されている通り、肝臓と胃を冷やし、日中の発熱その他にさまざまな効果がある。また血清を5もしくは6個の卵白で浄化する。これは熟達した医師には周知のもので、血清とは特に山羊もしくは牡牛もしくは牝牛のものを謂う。ダイオウ(レウバルバリ)を粉砕したものに血清を加えて凝固させて冷やし、これを気に晒し、深夜に摂取する。摂取者は摂取後二時間ほど眠ると、胃からの吐瀉が容易となる。それ以上に眠りつづけると、体躯から蒸発し、溶解(消化)が遅延して断食をしたように人は衰弱するが、その後、食事をすればこれにも慣れる。熱い血清は排尿を阻むので、温かい血清を用いなければならない。その量は一度に半オンス。〕

 

こうして王や貴顕の高貴にして叡知溢れる [57b] 雄弁(論議)と貴殿にふさわしい行為がなされる

ナリーノ『ムスリムたちの占星術と天文学』2


 

2. その諸知識の中での類別−諸星辰の知識、とプトレマイオスは『四書Tetrabiblos, Quadripartitum』のはじめで言う。これは二部分からなっており、その第一は諸天体相互の、あるいは大地との間の見ための運動の探求第二は、月下界でなしとげられる諸変化〔運動〕を演繹するための物体的〔物理的〕諸性質の探求。第一はそれ自体で存し得る知識であり、第二とは独立に修得することができるもの。一方、後者は前者なしにはなし得ない。占星術は天文学の姉妹に他ならない、つまり「諸星辰の知識」の分枝であり、またそれは「算術」の一部('ulum riyadiyyah, ulum talimiyyah, taalimであるという観念は、ムスリムの天文学者にも占星術師にも共通のもので、哲学者の中にもそう認めている者もある(アル−ファラビー『諸知識についてDe scientiis』、十世紀の純血兄弟団Ikhwan as-safaの『書簡集』)、また『知識百科Mafatih al-ulum』(十世紀)、偉大な歴史哲学者イブン・ハルドゥーン(Proleg., libr.VI, cap.13; tr.fr. De Slane, III, 122-123)。

とはいえ大方の哲学者によって、占星術はさまざまに類別されている。ムスリムの著作家たちは一般に知解可能なことがらを二類に分けている。a) 信仰の掟について言及する知識(ulum shariyyah)、つまり神学および司法の知識を超えたもの。またこれの導入として用いられる修養の数々、文法、語彙論、修辞学、詩学、歴史等々。b) 知的もしくは哲学的な知識(ulum aqliyyahあるいはhikmiyyah)、『知識百科Mafatih al-ulum』の著者はこれらの起源〔由来〕について考えつつ、「異邦の知識ulum al-agiam」と呼んでいる知的あるいは哲学的知識はまた三分される。これは古代ギリシャの逍遥学派によって規定され、新プラトン主義者たち、アンモニオス、シンプリキウス、ヨハンネス・フィロポノスによって論じられてきたもの。a) 形而上学(al-hikmah al-ilahiyyah, theologia, ta meta ta phusika)、b) 自然学的知識(al-hikmah at-tabiiyyah, 自然学, phusike)、c) 算術的知識(al-hikmah ar-riyadiyah, mathematike)。この最後のものはボエチウスの四課Quadriviumつまり算術、幾何学、天文学、音楽に相当している。一方、自然学的知識は八分される。その大部分はアリストテレスの著作の表題に一致する名辞をもって呼ばれる。聴覚自然学Auscultatio physica, 生成消滅論Generatio et corruptio, 天と地Caelum et mundum, 気象Meteorae, 鉱物Mineralia, 植物Vegetalia, 動物Animalia, De Anima。アヴィセンナ(Fi aqsam al-ulum al-aqliyyah, in Tis rasail, Constantinopoli 1298eg.=1881dC., p.71sgg.)、ムハンマド・アル−アクファーニー・アッサカーヴィ(Muhammad al-Akfani as-Sakhawi, Irshad al-qasid, ed. Sprenger, Calcutta 1849; この著者は749eg.1348dCに没している)、タシュクプリー−ザダー(Tashkupri-zadah, m.968eg., 1560-61dC)の文献学的百科全書的著作『Mifah as-saadah』と『Haggi Khalifah』(Lexicon bibliographycum et encyclopaedcumの序)は、占星術を自然学の7(あるいは9)副次的な分枝furuの一つとみなし、これを薬学、観想学fisiognomica、夢批評oneirocritica、錬金術、護符(タリスマン)の知識等々と並べている。これと同じ自然学的知識の類別はアル−ガザーリー(al-Ghazzali, m.505eg.,=1111dC)の『哲学の破壊Tahaful al-falasifah(Cairo 1319 (1901) pp.63-64)にも見られ、ここではムスリムの逍遥学派に一般的な分類として評価されている。

アヴェロエスは『破壊の破壊Tahafut al-tahafut(Cairo 1319 (1901) p.121)で、アリストテレス説に一致するものとして自然学的知識を8分しているが、いわゆる分枝は知識ではないと言う。彼によれば、薬学は業sinaahであって知識ではなく、実践的性格のものであって理論的なものではな。そして占星術は鳥の飛翔による予言〔鳥占い〕や四足獣zagiarの運動からの予言、預言kahanahのかたちをとった予言、観想学(フィジオノミカ)、夢解釈等々の来たるべきことを予言する業と同類の範疇のものと理解される。つまりこれらは「理論的な知識でも実践的な知識でもなく、実践において時として何か利点を取りだすことができるもの」である。

また興味深い分類が占星術師ヤークブ・アルークァシュラーニー(Yaqub al-Qasrani, III sec. eg., (IX sec.dC))の未公刊の『質問についてDe interrogationibus』の巻頭に見られる。ベルリン図書館のアラビア語写本カタログ(Ahlwardt, Verzeichniss, V, 275, n.5877)によると、彼は知識を三段階maratibに定めている。神学、医学、星辰学。この最後のものは観察に基づくものではなく、類比から演繹されたもので、他の二つの間に据えられている。

ロジャー・ベイコン版『秘中の秘』36


 

[k] 第四章、夜の眠りの後、食物を摂取する準備としての健康保持にかかわる規定(綱領)

この体躯が壊敗性であるとすると、その体質およびその中にある体液の逆性による壊敗が起こることについては、本書で貴殿に明かすところに見られる通り。ここには薬の秘密の業にかかわる有益で必要なことのすべてが記されている。その内容*はたいへん誠実(質朴)で、王の病患を扱う医師には見られないものである。これらの事例を入念に検討し、その様相(処方)と方式(秩序)に正しく則って生き、偶性から起こることがら、悪疫、戦争、その他生命を脅かす衝撃的なことがらを別に、経験に不足のない医師に相談するとよい。

あるいは、方途〕

 

アレクサンドロスよ、眠りから起き出したら、適度に歩き、四肢を等しく伸ばし、[56b] 髪を梳かす。均衡のとれた(適度な)歩行と四肢の屈伸は体躯を強化し(元気にし)、霊的な力能および自然本性的な力能を活性化し、消化による蒸気を追い払う。また髪を梳くと、眠っている間に胃から頭へ上ってきた蒸気を除去することができる。夏には冷水で手を洗い、口、歯、頭を洗う。冬には熱水で。これにより体躯の熱を保持し、頭からの蒸発を抑制することができる。こうすることで、おおむね食欲が刺激される。そこで最良の衣裳を纏い、美しい装身具*を身につける。これにより、貴殿の心情(こころ)は自然本性的に(当然)たいへん愉快**になり、相貌が美しくなる。このようにすばらしい衣裳の力は貴殿のうちに確かなものとして拡がっていく***ものである。そして芳香性の熱・乾で刺戟性(鋭い)あるいは苦い味の樹木の樹皮****で歯を磨き歯茎を乾かす。これにはさまざまな利益がありたいへん有用である。歯を清め、口の悪を液化し、粘液を乾燥させるなら、舌が滑らかに*****明快に語ることができるばかりか、食欲も刺激される。つづいて、時間に応じた燻蒸******をもって貴殿に香りをつける。[57a] この燻蒸はたいへん役に立ち、脳の閉塞を開き、肩凝りをほぐし、腕を肥らせ、容色容貌を明るくし、感覚******を活発にし、白髪化を止め遅らせ、魂を歓ばせ、甘美な香りは神へと届く。

 〔あるいは、装飾〕

 〔** 強固とする〕

 〔*** つまり、多くなる〕

 〔**** 肉桂(シナモン)あるいはモモolivarum persicarie、サルヴィア、リンドウgenciane、塩あるいは苦い薬草で〕

 〔*****つまり、雄弁に〕

 〔******すなわち、貴殿の鼻にその時間にふさわしい熱あるいは冷、乾あるいは湿の薬草をあてる。〕

 〔******* つまり五感のすべて〕

 

つづいて最高の香り高い軟膏、これを塗る時間*にふさわしいものを擦りこむ。これのよい甘い香りが魂を賦活する(元気づける)ばかりでなく、食物の甘美な香りも同様である。これにより魂は元気になり強壮となり繊細になり、体躯も賦活され**力づけられ、心臓は歓び、魂の歓びによって血も血管を流れはじめる。

あるいは、熱い時期には冷を、冷たい時期には熱を。〕

** あるいは、元気づけられ〕

ナリーノ『ムスリムたちの占星術と天文学』1


Carlo Alfonso Nallino, Astrologia e astronomia presso iMuslmani, 1908

 

I. 占星術

 

1.その名辞−2.その諸知識の中での類別−3.その典拠群−4.その教え−5.その具体的性格−6.占星術をめぐる論争−7.一般生活の中での占星術−8.西欧占星術への影響

 

1. その名辞−ムスリム〔イスラム教徒〕たちのもとでは、特殊用語として「諸星辰の法〔掟〕に関わる知識〔業〕ilm (あるいはsinaat) ahkam an-nugium」、「法〔掟〕の知識ilm al-ahkam」という。稀にahkamの替りに同義語のquayaが用いられる。また別の名辞としてan-nagiamah (あるいはan-nigiamah)がある。「諸星辰の知識〔業〕ilm (あるいはsinaat) an-nugim」、ilm sinaat an-nugium, ilm at-tangimは占星術だけでなく天文学をも、あるいは両方を併せて意味する。ahkamという語彙は「判断、審判」をも意味している。それゆえ、アラビアの著作群のラテン中世での翻訳においては、〔占星術astrologiaという〕名称が定着するまではscientia iudiciorum stellarumと訳された。ここからastrologia iudiciariaあるいはastronomia iudiciorumという名辞が生じ、これがastrologia (astronomia) quadrivialis (あるいはdoctrinalis)つまり天文学astronomiaに対置されるものとなる。つまり占星術(アストロロギア〕という名辞はムスリムたちにとってはギリシャ語の[techne] apotelesmatike〔占星術的予言の〕成就の知識)とはいささか異なっている。−通常、占星術はアラビアでは天文学を名指すのと同じ名辞munaggim(稀にnaggiam)で呼ばれる。とはいえ、時々特殊な語彙をもって呼ばれることもあり、たとえばアル−ビールーニー(440eg., 1048dC)の未完の『al-Qanun al-Masudi』ですでにahkamipl. ahkamiyyunあるいはashab sinaat al-ahkam)が用いられている。やっと十九世紀になって、西欧科学の影響のもと、munaggim(占星術)とfalaki(天文学)の区別が導入された。

ロジャー・ベイコン版『秘中の秘』35


 

善い胃の兆候(しるし)について

善い胃の兆候(しるし)は以下のようなもの。体躯の軽さ、知性の明晰さ、善い(適宜な)食欲。胃の悪さと消化不良(衰弱)の兆候(しるし)は以下の通り。体躯の鈍重さ、軟弱さ、怠惰さ、赤ら顔、開いた口*、目の重さ、嘔吐感(鋭く酸っぱく、苦い、無味あるいは腐敗した水分の吐瀉)、腹の気の生成(放屁)、腹の炎症(腹痛)、食欲減退。ものが大量である(大食する)と、これにより(胃が)極端に拡張し(排出物が多くなり)、[56a] 四肢が反り返り、体躯が震え、口が開き等々、健康に反し、体躯を破壊し、自然本性を腐敗させるあらゆる悪が起こる。それゆえ慈愛あふれる貴殿は上述した不都合から身を守らねばならない。

あるいは、ocitacio.

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