ヘルモゲネスを探して

錬金術書を読む Si hoc est quomodo est, si non est quomodo non est [Avicennae ad Hasen Regem Epistula de Re Recta, c.1]

アズラエル考 7


ヴィリエ・ド・リラダン『残酷物語』のエピローグ「告知者」を読む

 

しかしソロモン王は、その本質においてこの大広間に、ユダヤに、可感的世界に在るのではなかった。おそらくこの世界のうちに在るのでなく、彼の魂はすでに離脱して久しく、到達し難い場所に住んでいる。諸天球の彼方に、啓示されて。

生きているのか、死んでいるのか。永遠のうちに入った彼の霊には、もはやこうしたことばも届かない。

王はただ偶々そこに在るように見えるだけ。もはや欲望も怖れも、快楽も怒りも知らない。ただ観たところを洞察するばかり。限りない形象のうちに散らばり、ただ彼だけが解放されている。こうした非人格性の至高の段階に到達して、観照するものと同化し、万物の全一性のうちに震え輝いている。

ソロモンは館の中の光のようにあるばかりで、もはや万有宇宙の中にすら在る訳ではない。

 

アズラエル考 6


ヴィリエ・ド・リラダン『残酷物語』のエピローグ「告知者」を読む

 

偉大な霊媒(媒介者)がこの不謬の天の指輪に想いを巡らすと、たちまちその正面の黄金の燭台の七つの炎が長く延び上がり、不動の七つの輝きとなる。祓魔師はついにそこに至高天の存在のあらわれの気配を感じる。彼の相貌は偶像群よりも無表情で、緘黙したまま墓場のような色をしている。不易なる秩序(命令)の届け手が、深淵から気中へと昇り近づいてくるのを認める。その飛翔が起こす嵐が黒影を重く積みかさねる。突然、円柱が一本、露台の近くに崩れる。隠秘なしるしなす炎が廃墟を駆ける...

ヒルキヤ(ヘルキアス)は魂の豪胆さを取り戻した。厳かな歓びに震えつつ、彼は神のサレムを、エロヒムのしるしを、死の五芒星(ペンタクル)を認めた。

――遣って来るのはアズラエル(死の使い)

蒼白の群衆が大広間の中で叫ぶ。

――稲妻だ。

――雷が谷に落ちた。

――嵐だ。

 

冒瀆の山の上、声は途絶える。夜の第二時。過ぎ越しの祭の歓喜を凍らす冷たい風があたり一面に吹き渡る。

群衆は露台に近づこうとする。不安が祈願と化す。

大広間は卒然とその様相を変える。人々は玉座に向かって押し寄せ、混乱のうちに大騒ぎとなる。

――目覚めよ、イスラエルの強者よ。

――黄金の林檎よ。

――いと高き者よ。

そしてルベン族の花嫁たち、王の母バト−シェバ(ベテシバ)の女官たちは恐慌に陥る。

――王よ、癩病者が砂漠からやってきます。

王女ナエマの女官たち、目も絢なアモニ(告発された)人たちがイェブスの方言でつけ加える。

――愛の子よ。力強い汝の右手で災厄の邑を指したまえ。

ヒルキヤ(ヘルキアス)の最初の指示により、イアロベアム(ヤラベアム)[1]は王の馬に跨ると、露台の敷石からイル−ダヴィテの方へと駆け去った。

なにやら空気はひどく重くなり、徐々に人が呼吸できないほどになっていく。

大洪水の夜々のように、かつて見たこともないような大雨が降りしきる。いずれにせよ、雲影の上の諸天は晴れ渡ったまま。

座したまま微笑んでいた低地の邑の医者たちは突然立ち上がり、立法者(モーゼ)を思い出してなにか呟くと、オリーブ樹の杖の先でネフタリ女の踊り子たちを指す。

――あれらこそ異邦の冒瀆女たち。姦淫によって点された伝染病を運ぶものたち。あの女たちから死が発散してくる。ソフェティムの書[2]を参照せよ。あの癩病女たちを磔にせよ。館の壷、ダヴィテの古盃の数々に毒を入れたのは、あのものたち。

この告発を聞いて、女降霊術師たちが叫ぶ。ただ額に烏の羽根をつけ、夜の戦場の飾りとしたところからモアブの村のものたちと分かる。

――ヒルキヤ(ヘルキアス)よ、イスラエルの偉人たちを前にあのものたちを呪いたまえ。カモス[3]の娘は自らの父を召喚したまえ。

しかし宰相はヨサファトの上の雲を凝視めたまま。

皇子レハベアムはマギたちの王に向かって「父上」と言ったまま、彼もまた震えつつ動転して眼前の光景を眺め遣って叫ぶ。

――なんという奇妙な夜でしょう。

 

レヴィ人たち、「何をなすべきか、わたしはそれをなそう」という徒党は聖なる衣装を纏って恐怖によろめきつつ、会食者たちになんとか説諭をしようとするのだが、叫び声がそれを遮る。オフィルの金細工師たち。彼らは抜け目なくまたひどく迷信深いが、王の知識を重くみていた。

――主を目覚めさせる者に百タレント。

彼らはそれが銀タレントで払われるのか金タレントかを言わない。ソロモンの統治下にあっては、銀は石のようになんの価値もない。

あらゆる側から圧し拉がれた声が聞こえる。

ヒラムの王の贈り物、シドンの蒼白な奏楽女たちは闇影の中で別れの挨拶を長々と交わしつつ抱擁しあう。彼女らはお互いの耳に、不断にアスタルテの名が繰り返される単調な旋律の死の歌を囁き合う。

司直らがその腕を捩じり、(彼女らは)伝道の書を観照して歎願する。

――目を開きたまえ、ダヴィテの子よ。

――(王は)われらを見捨てたまう。(王は)アドナイの顔前で亡くなった。

と、アモレエ(愛)の女たちは、死よりも苦く叫ぶ。

すると軍隊長たちは言う。

――イドゥメア(エドム)の洞窟の底あるいは山上に身を潜めて、汝(ヤハウェ?)を脅かす預言者たちの憤激の祈りにヤハウェも譲歩したまう。

――老叛逆者たちを撃退する指示を出したまえ、シェロモ(ソロモン)よ。

――セイルの勝者ダヴィテは息絶える時、汝に言った。「彼らの白髪を血染めにして、墓を越えて下らせよ」と。

そして二十の邑の商人たち。

――ヨシュアならば今夜、星辰(太陽)の帰還を急がせたかもしれない。戦場の光を長引かせ得る彼であれば...しかし彼、イスラエルの牧者はもういない。

この名を耳にしてソドムの騎兵隊長たちは、数多の戦勝を想起し、恐ろしい声を発する。この瞬間、彼らの声は大広間の喧騒を支配する。

――彼こそ先駆者だった。

――カナンを征討したのは彼だ。

――彼は三十二人の王を殺戮し、二百三の町を燃やした。

――神々の本質(ヤハウェ)に煽られ、婦女を、兵士を、ロバを、老人を、使節を、赤子を、捕虜を、彼は剣で殺させた。

――そして日々を満たし、満ち足りて、父祖たちとともにエフライムに永眠した。

兵士たちのこうした重々しい喧騒に悲痛な沈黙がつづく。玉座の前には、胸に顔をうずめて眠る乙女たちと重ねた枕の間でまどろむ皇子ハイエムの静かな寝息が聞こえるだけ。往時も乙女たちもそのちいさな指に木製の骨牌を握ったまま眠り呆けている。

――われわれの衣を裂こう、と怯えるヘブライ女たちが叫ぶ。女奴隷たちよ、灰を。

嵐の風は枝草を撓め、ことばをとぎれさせる。

 



[1] (列王上1214

[2] 立法者の書、つまりモーゼ五書のことか。

[3] モアブ人たちの神性

アズラエル考 5


ヴィリエ・ド・リラダン『残酷物語』のエピローグ「告知者」を読む

 

そうこうするうち、偉大なる秘儀参入者はあらためて頭を挙げ、より注意深く影の性格に思いを巡らし、考え深げな表情をする。

露台に距離を置いて燃えさかる七本燭台の炎の数々が会衆の方へと靡く。炎の七本の舌は黄金の枝脚の上に仰け反り、爆ぜるとともに長く伸びては、喘ぐように息を切らせ、ひゅうと鞭のような音を立てる。

ネフタリ女たちの蛇はとぐろを解き、髪房の中に身を隠す。山猫たちもこの恐ろしげな老翁の周りに蹲り、不安げに喉を鳴らしながら彼を眺めやっている。

しかし彼はさまざまな予兆の意味を洞察することに努める。祭司用の経札(フィラッテリ)をヒアキントスの玉の疵の上に交差させて、彼は判じる。神秘のテラフィム[1]を一瞥して参照してみるも、啓示の薄刃は黄金の響きを立てて折れた。

霊媒(媒介者)の肩の上には王の輝く手が置かれたまま。ヒルキヤ(ヘルキアス)の目がその手をとらえ、そこに指輪、第一鎖骨(最初の小さな鍵)つまり冥府を四分する形象である十字の鍵を模した契約の宝石をみる。

指輪の外形は力能ある五芒星のかたちになっており、その指輪の光の中に宇宙の円環のかたちが封じ込められている。

神的な胚種であるソロモンの魂は、そこに諸星辰の光も浄化されるこの勝利のしるしの反射光に混入する。

鎖骨はマグスが、宇宙内部の諸力を直接はたらかせるため、さまざまな試練を克服し勝利するためにはたらくための総力となる、その思惟の努力の一部をそこに注集することの表現である。

ヒルキヤ(ヘルキアス)が観照するこの星型十字の護符(タリスマン)には諸元素(さまざまな要素)の暴力をも支配することのできる力能が染みわたっている。地上においてはかぎりなく希釈されているとはいえ、そのしるしは人の価値、数の予言的知識、王冠の荘厳、痛恨の美しさを讃えあらわしている。これこそ権威の紋章であり、ここに霊は密かに(その権威を)ある存在(者)あるいはある物に賦与する。それは決定し、贖い、跪かせ、照明(啓示)する。...瀆神者ですらそれの前には身を屈する。これに抵抗する者はこれの奴隷である。これをかわす者はこれを誤解し、永劫に自らの侮蔑に苦しむこととなるだろう。それは到る所にあらわれるが、世俗の子らには無視される。しかしそれもいたしかたない。

十字は人のかたちである。その欲望に向かって両手を広げ、あるいは自らの宿命を諦めるときの。それはまた愛の象徴そのものでもある。これ(愛)なくしてはいかなる行為も実を結ばない。こころの昂揚感のうちにこそあらかじめ予定された自然本性が実現されるのだから。ある人の実在がその額にだけ含まれている時には、この人は自らの頭より他に照明(啓示)されることはない。するとこの人の妬み深い影は彼の足もとに逆倒し、その両足を引き、不可視なるもののうちに彼を引きずり込もうとする。彼の諸情念の色情的な低劣さとは、まさにその悟性(精神)の氷のような高さの逆位(裏返し)に過ぎない。それゆえに、主は言いたまう。吾は賢者らの思惟を知っており、それゆえそれらがいかに虚しいものであるかをまで知っている、と。

 



[1] 家(一族)の守護神

アズラエル考 4


ヴィリエ・ド・リラダン『残酷物語』のエピローグ「告知者」を読む

 

大広間の三つ目の壁面は夜に開いている。そのなにもない広漠な空間は、ヨサファトの領地の上へと延びて暗闇に沈んでいる。

ここに霊媒(媒介者)の肩は、王の手の下で身震いする。露台の黒影がいよいよ重く、卒然と奇瑞によって蠢くかのように、一瞬ごとに荘厳さを増していくので。

怖れをもたらすように渦巻く風を前に、偉大なる司は大理石のようなその顔を慄く女たちの方へ、また蒼白な兵士たちの方へと向け、大声で言う。

――司祭らよ、黄金の燭台の七つの火を熾せ。祓魔の七本の燭台を灯せ。すぐさま立ち上る煙は、それに問いかける者がなければ、たちまち失せるであろう。ユダヤの娘たちよ、汝らの香炉から立ち上る煙が、永劫の果て(リミテ[1])の諸霊の不安な威嚇から汝らを守り給いますように。汝らが大地の懐に呼び戻される時が来たるまで、歓喜せよ。

彼がこう語ると、祝宴は活気を取り戻した。アッシリアの呪詛に挑むように。その黒魔術師たちは彼らの王ネブ−クドゥリ−ウッスルをうまく救い得たろうか。粘土の足[2]を幻視したその王を。その者はエロヒムの譴責を受け、皮衣を纏い、富裕を離れて、四大河のあるシェウナアルの広大な土地をも閉じ込める大洪水の森を七年も流離ったのではなかったか。マハ−ナイムの踊りは花咲く棕櫚を揺らし、盃の数々を燦めかせる。ネフタリの女たちは長槍を煌めかせつつ打ち合わせ、蛇の首輪を吹き鳴らす。松明は髪を血色に染め、愛の叫び、偶像崇拝の賛歌が太平洋(パシフィコ)にまで響き渡る。...すると突然、ジェリコを追想するようにソドムの騎士隊長たちが鉄のトゥーバ(喇叭)を七度吹かせる。ヒソップ(ヤナギハッカ)を冠にしたロイム[3]たち、至高なる生贄を捧げるコヘン[4]たちが過ぎ越しの祭りの子羊に先だつように、白く長い衣装を纏ってあらわれる。

この時、陶酔の火が数多の人々をその瞬きで照らす。群衆は太陽の光射す恐ろしい彫像の名を呪詛する。これこそ高祖たちをエジプト王(ファラオ)たちの苦役に呼びたてたもの――水から救われた者(モーゼ)の杖(若枝)をも貪る燃える茨を振り上げ、彼ら(高祖たち)への威嚇に屈し、予言諸書にある禁制、レヴィ記にある禁止にもかかわらずピラミッドの薔薇色花崗岩(グラニート)に不承不承のうちに彫らされた朱鷺、クリオスフィンクス(冷徹なスフィンクス)、フェニクス(不死鳥)、リオコルノ(一角獣)の神像群、聖なるものの中でも最も聖なるものに怖気を震わせるものども、あるいは硬い聖刻文字(ヒエログリフ)をもって刻まれた勲功(砂粒のように数知れず、砂粒のように掻き消えた)、またすでに忘失されてしまった闇の王メネスの娘たちの王朝の忌まわしい名の数々。また彼らは報酬に与えられた玉葱を、メンフィスのパンを呪詛する。王ネカオとの同盟にもかかわらず、数々の傷が快哉の声に呼び覚まされる。

神殿の宝物庫から取り出した聖なるシンバルを鳴らす者。それはアーロンの老いた姉(ミリアム)が海浜の軍隊の前、神の怒りに酔いしれその灰色の髪を振り乱して踊り、勝利をもたらしたシンバル。そして廃絶された偶像群にガマディムたちによって薔薇が投じられる。宦官たちはエジプト人たちに対するふざけた脅迫をする振りをし、解放の悦びのどよめきが遠雷の轟きのようにヒエルシャライム(エルサレム)上空の雲をよぎっていく。

 



[1] Limite → Limbo 冥府 ?

[2] 齊藤訳:「粘土の足をした黄金のバアリム(異教の神)」

[3] 預言者

[4] 祭司

アズラエル考 3


ヴィリエ・ド・リラダン『残酷物語』のエピローグ「告知者」を読む

 

清めの水が黄金の盥に光輝きながら落ちる。王の女奴隷たちは指輪や琥珀(アンブラ)の腕輪を数々装い、燻香を焚きしめた皇女たちは座布団の間に跪き、タルソスの貴石を七宝細工に嵌めこんだ香炉のなかに没薬(ミルラ)や白檀(サンダル)の粉、アラビアの香料、燻香の粒の数々を魔女のような身振りで燻らしている。

玉座の両側には軍隊長たち(サール)がダヴィテの栄光に想いを馳せ、周囲に時折イスラエルの高祖たちのヘレブが光輝を放つのを見つめている。これは数多の闘いにおいてサバオトの聖櫃、つまりバール・イォカベドつまり崇高なる解放者モーセが手づから書いた律法(トーラー)の巻物の下に十戒(律法)の二枚の石碑を交差して置いた契約(同盟)の舟(櫃)を載せていたもの。

その基檀の周りでは緋色の衣を纏った黒人たちが、赤縞瑪瑙(サルドニケ)を鏤め、黄金の葦の長枝をつけたダチョウの羽扇を揺らし、低い声で彼らの神バール−ゼブブ、蝿の王[1]を召喚している。

その階段の上、獰猛な山猫たちが鎖に繋がれて跳び上がり、縞瑪瑙(オニキス)の堂々たる三脚の上から睥睨している。これはアドニラムとその弟子の鏨師たちの作で、そこには東方の亡霊が憩っている。誰にも王の玄妙なる犬(山猫?)たちを撫でて誘ったり、捧げ物を与えて宥めたりできないだろう。

両側面の彫像群の間には、七本枝の燭台の数々の下に斑岩(ポルフィド)でできたヘルモン[2]の花や果実が崩れ落ちている。食卓には、リビアのサバから来てユダヤ王に類推を質した[3]この蠱惑のひと、王女マケデイアの贈物の数々が溢れていた。その高貴な酒盃の数々、サマリアのパンナグ[4]、苦草、ガゼルや孔雀、シードル、供物のパン、野鳥、カナンの葡萄酒瓶の重みに撓むように。

シードルの丸椅子の上、玉座の輝く熾天使たちの足元、荒々しいギボリム[5]たちに囲まれて、背を丸め、蒼白で素面の衛兵の長ベン・イェフ(エヒウ)[6]が膝に剣を置いて坐している。

シュネムのアビシャグ[7]を偏愛した主(ソロモン)の兄、反逆者アドニア[8]を誅殺したのはこの人であり、彼こそは偉大な忠臣でアビアタルやシメイの、また大祭司ヨアブの殺害者でもあった。彼こそ王の生きているヘレブであり、指名された生贄を、大祭壇の角隅に吊るされ、両手を広げて哀願する者をすら刎殺する者。

その傍らに、彫像が掲げる松明にその額を照らされ、黙して両腕を組み、暗欝な時を待つイスラエルの相続人(王位継承者)ではあるが、アモン人の王女ナアマの時宜を失した息子であり、ユダヤを統治するようなことがあってはならない[9]忌まわしいレハベアム[10]が立っている。

そこから離れた玉座の絨毯の上には、ミッロのたいへん若い乙女が二人横たわっている。この娘たちは神殿の地下礼拝所の大洪水の水にも触れなかった礎石であるエベン・シェティヤの前で燻香を焚く役目。これらの娘の間に、黄金を散らした暗緋色の衣装を纏った皇子ハイエムが坐している。この髪を編んだ褐色(オリーヴ色)の若者こそ、南の王女(サバ)がリビアに帰還した後、灌木や織布、香料や芳香剤、輝石を象に積み、美しき賢者、ヘブル人たちの王(ソロモン)に、貢物の数々とともに遣わした謎の若木(後継者)だった。ハイエムはちいさな声で聴いたこともない歌をうたっている。その赤い唇の間、音節の数々に歯が覗くと、それはシール・ハシリムの蒼ざめた花嫁(サバの女王)の歯にそっくり、沐浴をおえた子羊のように真っ白だった。

食卓の周りでは、ソフェティムつまり智慧の長老たちが燦めくように集まり、巡礼のように立ったまま会食していた。

彼らの背後にはオフィルの黄金業者たち、シャブルの二十の町の商人たち、イドゥメア(エドム)の不満を抱く使節たち、ズールの使者たち、サドクの学者たちの集団が彩りを添えている。

イスラエルのすべての氏族が、すべての山々からその富をもたらしたのだった。サニル山の柘榴、キプロス(チプロ)の葡萄菓子、ガラアデ(ガラアド)のイボタノキ(リグストロ)の房、エン−ガッディのナツメヤシ(ダッテリ)とマンドラコラが水差しの数々を取り巻いている。

彼方のエタムの葉叢にまで届きそうなテラスの階段のもと、笑いながらヘブロンの葡萄酒を酌むエジオン−グエベルの郷の兵士の一団の中央で、香を焚きしめた革の胸当てをつけた背の高い若者が、女のような相貌に騎兵隊長の衣装を纏い、地平線を指さしながら語っている。彼こそミッロの館の寵児――まさに敵手――将来、神の国を分割する者、イスラエルを統治することとなる巧知にたけたヤロベアムで、祝宴に気をとられることもなく、すでにエフライムの国境情報にも通じていた。

それはさて、いまや禁じられた歌の女奏者たち、愛を咎め、胸に挿す百合のように無垢なる娘たちが数々の宝石に蒼白に、キンノール、ティムブリル、チェムバリの響きとともに進み出る。一瞬、イサシャル族の歌い手たちの歌が、竪琴の音が已む。

暗色の布地を纏い、額に真珠を飾った二番手の女たちが、緋色の寝台に放恣な身振りで凭れつつべシャムの香袋を嗅ぐと、彼女らの衣裳の縁飾に連なる銀の鈴が鳴る。

遠くには赤い編み髪のネフタリの誘惑女たち、パレスチナの乙女たち、サロン(シェラアオン)の水仙のように白いヘブル女たち、バビロニアから来た神聖娼婦たち、エウフラテスを泳ぐ金塗の女たち、ケダルの天幕よりも日に焼けたスナミ(スラム)の女たち、細身で赤黒いテーバイ女たち――昔、ファラオ・プセンネスの娘、ソロモン王の死んだ花嫁の近侍女だったものたち――、最後に、逸楽の娘たち、数々の星の炎を微かに通す虹色の霧の野に咲く野生の花であるイドゥメネ(エドム)の女たち。これら三千のものたちが、ツロ(ティリヤ)の薄紗を、蛇を、花輪を揺らしつつ、ユダヤの偉大な「選ばれた者」、神の「石工」の前を舞い踊る。

 



[1] 「汚辱の王、ベルゼブル」

[2] 約束の地の北限を限る山脈の中の最高峰(ヨシュア記11.17

[3] 齊藤訳:「難問を以てユダヤの王を試みんがため」

[4] パレスチナからツロへ輸出されていたお菓子?(エゼキエル27.17

[5] ghibborim 天使?

[6] Ben-Jehu 前九世紀のイスラエル王(列王記下910)。齊藤訳註:「ペナヤ」

[7] 「ダヴィテ王は年がすすんで老い、夜着を着せても暖まらなかったので、その家来たちは彼に言った、「王わが主のために、ひとりの若いおとめを捜し求めて王にはべらせ、王の付添いとし、あなたのふところに寝て、王わが主を暖めさせましょう」。そして彼らはあまねくイスラエルの領土に美しいおとめを捜し求めて、シュナミびとアビシャグを得、王のもとに連れてきた。おとめは非常に美しく、王の付添いとなって王に仕えたが、王は彼女を知ることがなかった。」(列王記上1.1-4

[8] ダヴィテの第四子「ハギテの子アドニヤ」(サムエル下3.4);(列王上12

[9] 齊藤訳「而して唯ユダヤのみに君臨すべき」

[10] (列王上11.2614.21

ヤナーチェク「永遠の福音」

ふと思い出し、ググってみると、アーノンクールによる演奏がみつかる。
リーヴスのヨアキム主義研究『中世の預言とその影響』参照。

 

アズラエル考 2


ヴィリエ・ド・リラダン『残酷物語』のエピローグ「告知者」を読む

 

ミッロの丘の地平線、明るい靄につつまれて奇怪な館がある。その階段状の空中庭園、数々の柱廊、貴重な木材を梁にした司祭室、オリーヴ樹に囲まれた亭、軍馬たちの厩舎、道の円蓋を載せた塔の数々が重なって、静謐な星空の下、ベツサイダ[1]渓谷の上に混沌と聳えている。

そこは祝祭の夜。エチオピアの女奴隷たちは銀色の長衣(トゥニカ)にその細いからだを包み、大理石の階段の上で香炉を揺らしている。それは囲み(聖域?)の頂のエタムの庭につづいている。宦官たち(エヌンキ)は酒壷(アンフォラ)と薔薇の花を運ぶ。唖たちは樹木の影で、香炉檀に挙げる炭火を熾している。

玄関前室(ヴェスティボロ)のアーチ枠に向かって、黄色い(サフラン色の)矮人たちが、ガマディム[2]たちが黄色の衣装を揺らめかせ、古い天幕を時々持ち上げる。

その時、シードル樹に釘づけされたマディアンの斧の間の三百の黄金の楯が突然あらわれ、燈火の炎を反射する。なんとも驚くべき光輝。

玄関前の平坦地には火の槍をもつ騎士たち、また死海沿岸の遊牧民の兵士たちは自らの大きな駿馬が−その馬具には数々の貴石が輝き−煌めきの中、力強く、後脚で立ちあがるのを宥めている。

彼らの上、木々の枝葉の高さに、玄妙な「蠱惑の大広間」がある。カルデア人たちが造作したこの大広間は碧玉(ディアスプロ)でできた数知れぬ彫像で飾られ、アロエの炬火を燃え上がらせる。玄妙な円柱群をめぐらした大広間の高みはすべての方角を花綱模様(フェスティーニ)で飾り、それが中天にまで伸ばされて、眩暈のするような奥深い三角形をなしている。入口の角に発する二つの面はモリア(死?)に向かい、シオンの輝く王冠である神殿の影の中に埋まった町へと開いていた。

 

この大広間の奥、黄金の四熾天使(ケルビム)のはばたく翼の先に支えられた糸杉の椅子(玉座)の上に、ソロモン王は至高なる夢想に耽り(眠りに落ちて)、彼方のレビ人(神官)たちの歌に耳傾けているかの様子。預言者(ネビイム)たちは躓きの山で、世界の創造を語る巻物(セフェル)の句節を唄っている。

王の三重冠の上には裁きの帯を分けて、権能と光(明識)のしるしである六芒星が輝く。伝道者は亜麻の長衣に胸牌(ラツィオナーレ)をつけている。それは彼が贖罪の燔祭を挙行できることを示している。またエフォドを纏っているのは彼が大司祭だからであり、その平安な足に兵士のサンダルの青銅の網目が交錯しているのは彼が戦士だからである。

彼は過ぎ越しの祭を祝う。奴隷の家、ミスライム(エジプト)を出るにあたり、モーゼによって導かれた高祖たちを想起して。狂奔する戦車部隊や軍隊と戦いつつ、約束の地へと逃れたその大いなる夕べの年次祭。神々の本質存在であるヤハウェが不吉な月を昇らせ、紅海の波に馬や騎士たちを攪乱したまうた年次祭。

そう、王はその夕べの宴席を祝う。...彼の右手は、諸象徴の解釈者であり隠秘な諸力を司る霊媒(仲介者)ヒルキヤ(ヘルキアス)の肩に置かれている。

ヒルキヤ(ヘルキアス)、シャルムと女預言者ホルダの息子[3]は砂漠にも似て、またそれにもましてマナが落ちた日以降、ますます不毛である。彼は数々の試練を乗り越え、それら(試練)をレバノンの樹が自らを傷づける斧に芳香を与えるように祝福した。彼はその大きな瞳の上に、成就された業のしるし[4]をあらわにしていた。つまり時はすでに彼の眉毛を取り去っていた。眉毛とは額に滴なす汗が目にしたたり落ちてこれを盲目とすることないように、ただ人にだけ添えられたものである。

 



[1] ヘブル/アルマイック בית צידה beth-tsaida, 字義通りには「狩り(あるいは漁)の宿」、ヘブル語語根 צדה あるいは צו に由来。ガリラヤの一邑、イエスの奇跡の漁の場所。

[2] Ezekiel 27:11

[3] 列王下22.14-20;「祭司ヒルキヤ、アヒカム、アクボル、シャバシおよびアサヤはシャルムの妻である女預言者ホルダのもとへ行った。シャルムはハルハスの子であるテクワの子で、衣装べやを守る者であった。その時ホルダはエルサレムの下町に住んでいた。彼らがホルダに告げたので、ホルダは彼らに言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられます、『あなたがたをわたしにつかわした人に言いなさい。主はこう言われます、見よ、わたしはユダの王が読んだあの書物のすべての言葉にしたがって、災をこの所と、ここに住んでいる民に下そうとしている。彼らがわたしを捨てて他の神々に香をたき、自分たちの手で作ったもろもろの物をもって、わたしを怒らせたからである。それゆえ、わたしはこの所にむかって怒りの火を発する。これは消えることがないであろう』。ただし主に尋ねるために、あなたがたをつかわしたユダの王にはこう言いなさい、『あなたが聞いた言葉についてイスラエルの神、主はこう仰せられます、あなたはわたしがこの所と、ここに住んでいる民にむかって、これは荒れ地となり、のろいとなるであろうと言うのを聞いた時、心に悔い、主の前にへりくだり、衣を裂いてわたしの前に泣いたゆえ、わたしもまたあなたの言うことを聞いたのであると主は言われる。それゆえ、見よ、わたしはあなたを先祖たちのもとに集める。あなたは安らかに墓に集められ、わたしがこの所に下すもろもろの災を目に見ることはないであろう』。」彼らはこのことばを王に持ち帰った。」

歴代誌下34.22:「そこでヒルキヤおよび王のつかわした人々は、シャルムの妻である女預言者ホルダのもとへ行った。...」

[4] 「人事を尽くしたといふ徴」齊藤磯雄訳

アウソニウス『十字架のクピド』6


 

みな、この子を侮蔑しつつ、この子を死の罪に晒そうとして。

各々がその甘美な復讐によりアモルを罰し、

死なせるための道具−とみなすもの−を選んだ。

罠を手にするもの、剣のようなものを差し出すもの、

深い流れを、断崖絶壁を、

荒れる海の恐怖を、波もない広漠たる水を用意するものもあった。

また炎を揺らすもの、威嚇的な大音響、また

炎を立てることもなく爆ぜる松明を。その胸襟を割き、

ミュラーは涙の光を溢れさせ、恐怖に慄く子に

その涙の樹脂に粘る真珠を投じる。

またあるものたちはその子を許す振りをしつつ、ただ

その子を振り回そうとしているだけ。彼に細い針を突き刺して

繊細な血を溢れさせると、そこから薔薇が生まれる。あるいは

この神の恥部に燈火の不躾な光を近づける。

 

アズラエル考 1


ヴィリエ・ド・リラダン『残酷物語』のエピローグ「告知者」を読む

 

イェブス[1]の町を守る楼塔の頂から、ユダの兵士たちが丘の連なりを注視し、警戒している。

防護壁の内側にはアスモニ時代(ハスモン朝)の建物、その王族の地下墓所、葡萄園、蜜蜂の巣、刑罰の塚、降霊術師たちの界隈、ダヴィテの町(イル−ダヴィテ)[2]へとつづく起伏の多い大路があった。

夜。

獰猛な獣のための罠の傍らの四辻に、サウルの治世に建てられた裁きの広場が墓碑の群れのように白く四角く見えている。

シロエ[3]の運河に近く、貯水槽の鏡なす水面にはエラムやフェニキアの隊商の到着を待つ旗亭とその中庭のいちじくの木が映っている。

その東、エジプトイチジクの並木道に沿ってユダヤの君公たちの館がある。中央通りの外れには象たちの水飲み場があり、その上に棕櫚の大きな葉が揺れている。

ヨルダンから来る者たちの入口にあたるエブロンの側には、武具工房、香料工房、彫金工房の煉瓦煙突から煙が立ち上っている。その向こうにはイスラエルの裕福な者たちの葡萄園や生家の数々の展望テラスが、涼しげな庭や浴場が段をなしている。北に向かっては織物屋の界隈がつづき、アジアの商人たちが乗るヒトコブラクダにセティムの木や、緋布や薄絹を積んだまま、膝を折って休息している。

また町の南では、偶像神たちを運び込んできた異邦の商人たちが、マグダラやナイムやシュウメンの村々の柔らかいものを食べて生活している。

彼らが売るのは、金色の濃い葡萄酒や髪結いの得意な女奴隷たち、欲望の妄想を喚起するカルメロの苦いマンドラゴラ酒や贈物を納める樟脳(カンフォラ)の小箱、グィレアドの香油(バルサム)、イスラエルの驚嘆の的にして乙女たちの愉しみ、タデモルの船でインダス河から運ばれてきた猿、いとも繊細な香料の数々、アッコンのガラス、白檀(サンダル)でつくられた工芸品、捕囚、真珠、入浴用の花の精油(エッセンス)、亡骸に芳香をつける防腐剤、皮膚に艶を出すための擂り潰した石の練り粉、見たこともない穀物、怯えやすいイラン種の馬、哩言を刺しゅうした帯、黄(サフラン)色の羽根をしたアジア産の鶫、スーサから運ばれてきた魔法の蛇、快楽のための寝台、黒檀の枝をめぐらした金属製の大鏡。

堀の向こうは墓地や塹壕で囲まれ、ヤイル[4]の囲みあるいは燈明よりも高く遥かにダヴィテの町が拡がっている。千二百の戦車が十二の門を護る。暗い天の下、ヒエルシャライム(エルサレム)は何千もの水路のアーチを煌めかせ、円なす街路と交錯し、建物群の青銅の円蓋を雲にまで聳えさせて。

公共広場には夜警の兵士たちの兜が赤く照らし出され、いまだ消えやらぬ松明がちらほらと、野営する隊商、女占い師の家、奴隷市場の在り処を示している。そしてすべては闇の中に消え去る。そして預言者たちの聖なる息吹きは風に乗ってカナンの崩れた囲壁を過ぎ去っていく。

かくして奔流のさざめきに近く幾世紀もの厳粛なる儀式とともに、神の町シオンは眠りに就いた。

 



[1] エルサレムの旧名

[2] El'ad (ヘブル語で אלע"ד‎‎, "אל עיר דוד", ダヴィテの町のアクロニム) 

[3] ヘブル語 Shilōaḥ; ギリシャ語 Σιλωά [μ])、エルサレム南東

[4] יָאִיר 「光を与える者」、cfr. Num. 32:41

アウソニウス『十字架のクピド』5


 

その渦中、不用意にもアモルはその翼をはためかせ

靄のほの暗い影を追い払う。

みなこの子供をまのあたりにすると、たちまち

みなに共通する宿命の罪深さを思い出し、この子を

とりまく湿った雲がその金の飾り鋲を隠しているにせよ、その帯は輝き、

も松明の炎に赤く染まっている。

みなこの子が誰か分かると、この唯一の敵に、

誰もが虚しい力をふりしぼる。この見知らぬ場所を、

その闇深くを遅々と飛翔する子を

濃密な雲で閉じ込めてやろうと。怒りに震えつつ、

なんとか救いの途を見出そうと、彼女らはその子を

騒乱の群れの中に引きずり出すと、

この森から悲しくも高名なギンバイカ(ミルト)が選ばれた。

神々の復讐の憎しみのしるしとして。それは、ある日、

ヴェヌスの思い出に忠実なアドニスの侮蔑をプロセルピーナが罰したものだった。

その幹の高みに、背中で両手を縛られてその子は吊るされた。

足もとの草に隠された罠に涙を流すアモルを、みな一切の慈悲なしに罰した。

何の告発もなしに罪を着せられ、アモルは審判者もなしに審問された。

−各々が自らの罪を他者に押しつけて、自らの罪障を消滅させようと熱望して−。

 

アウソニウス『十字架のクピド』4


 

***

 

不幸な母、不運な母、悲しみに沈む

エリフィレはアルモニアの衣装を撥ねつける。

クレタ近郊(アエリア)[1]のミノア伝説のすべては、

幻を見せる光の中の画面のように震えている。

パシファエは純白な牡牛の跡を追い、

うち棄てられたアリアンナは手に糸玉をもち、

パイドラは拒絶の小板を眺め、絶望する[2]

ひとりは罠をもち、もうひとりは虚栄の冠の図像を掲げ、

また別のものはダイダロスの未通雌牛の内に身を隠して自らを恥じる。

ラオダメイアは虚しい悦びに引き裂かれた二夜を悔やむ、

一夜は生きている夫と、他は死んだ夫との。

あるいは、皆、鞘を払った抜き身の剣を握り、

ティスベ[3]、カナケ、シドンのエリッサは威嚇するように、

ひとりは夫の剣を、もうひとりは父の剣を、また別のものは客の剣を掴む。

そしてラトミアの岩場を流離い

エンディミオンを愛し、夢の中で誘惑する。松明と

星の冠、それに額に二本の角なす月(三日月)をつけて。

その他数多のものたちの古の愛の傷について、

その甘美な悲哀の嘆きが掻きたてる懊脳とともに想う。

 



[1] Aeriaはクレタの旧名あるいは添名でもあった。

[2] 妻パシファエ、娘アリアンナとパイドラ。

[3] Cfr. Ovid., Met. 4.55-166:バビロニアのプリアモスとティスベの愛のものがたり。

アウソニウス『十字架のクピド』3


 

詭計に嵌った母セメレー[1]は雷〔ゼウス〕によって孕まされた産褥に

涙し、(バッカス(ディオニュソス)の)宿る胎を灰にして引き裂くと

虚空に贋雷の力ない炎を閃かせる。

先には幸せであった男性性(力強さ)の無益な賜を歎き、

懊脳するカエニス(ケニデス)はその本来の相貌に戻る。

プロクリスの傷を乾かし、彼を傷つけたケファロスの

血まみれの手を愛する[2]。燈火の燻る光をもち上げ[3]

少女はセスティアカの塔から身を投げる。

雲に包まれたレウカデスは〔サッフォーの〕跳躍を脅かす[4]

 



[1] カドモスとアルモニアの娘セメレーはヘーラーの奸策にかかり、ゼウスの顔を見ようとして灰と化した。

[2] Cfr. Ovid., Met.7.796-862:

[3] Cfr. Virg., Aen.6.592ss.

[4] Virg., Aen. 3.274.: Leucatae nimbosa cacumina montis. アテネオスによればステシコロスの詩ではレウカデスから身を投げるのはカリカCalica。フォツィオによれば、アドニスへの愛を断ちきるためにアポロンの忠告を受け入れたアフロディテ。

アウソニウス『十字架のクピド』 2

アウソニウス『十字架のクピド』

 

ヴィルギリウスの詩句中、広々した野(気圏)[1]

テンニンカ(ミルテア)の木立が愛する者たちに陰を投げ[2]

女傑たちは秘儀を挙げ、各々が

往昔滅びた死者たちの帰属象徴を捧げもっていた。

彼女らはこの大きな森の微かな光の下、

葦の葉叢や頭を垂れた芥子の間を、さざ波も立てぬ

静謐な湖の間を、音も立てずに流れる小川の間を彷徨っていた。

その岸辺の朧な光のなか、往昔、王であり幼児であった者の

名をもつ草花の数々が萎れていく。

自らを観想するナルキス、オエバルスの息子(エバリデス・)[3]ヒヤキントス、

黄金の前髪を緋色に染めるクロクス[4]。アドニス[5]

その悲しいうめきを心に刻むサラミニウス[6]のアイアス[7]

これらの像(イマジネ)はどれも涙と愛の懊脳の

心の乱れをもって、その死後も悲痛な記憶を

蘇らせ、新たに女傑たちの失われた時(生)を呼び起こす。

 



[1] エリゼオ

[2] cfr. IV.443ss.: secreti celant calles et myrtea circum / silva tegit : 450ss.: recens a uulnere Dido / errabat silva in magna.

歎きの野の女英雄:Aen. VI.440-451

[3] Cfr. Ovid., Met.10.196 ; Stazio Silva 2.1.112.

[4] Cfr. Ovid., Met.4.283:「さらに、恋人のスミラクスとともに小さな花に変身したクロクス(サフラン)」 ; Ovid., Fast. 5.227.アッティスとアドーネとともに。これはヒヤキントスとナルキスにつづく(id. 223-226)記述。

Cfr. Verg. Georg., 4.182ss.: et glaucas salices castamque crocumque rubentem / et pinguem tiliam et ferrugineos hyacinthos;

[5] Cfr. Ovid., Met.10.731-739:「おお、アドニス、わたしの悲しみの祈念がいつまでも残るようにしましょう。あなたの死が年ごとにくりかえされて、そのたびにわたしの悲しみをも人びとが真似るようにしましょう。...こういうと、女神は、若者の血の上に芳醇な神酒をそそぎかけた。血は神酒にふれると、ちょうど褐色の泥沼の底から透明な気泡がたちのぼってくるように、ふくらんだ。やがて一時間もたたないうちに、その血からおなじ色の花が咲きでた。それは、かたい外皮の下に種子をかくしている柘榴の花に似ている。しかし、この花をながいあいだ愛でることはできない。というのは、この花はくっつき方がよわくて、あまりにも華奢なので落ちやすく、その名前のもとになった風(アネモス)に散らされてしまうからである。」

[6] Cfr. Hor. Carm.1.15.23ss.: urgent impavidi te Salaminius / Teucer, te Sthenelus sciens / pugnae,; Ilias Latina 198: quam (navem) duxit Telamone satus Salaminius Aiax.

[7] ヒヤキントスとアイアスの組み合わせcfr. Ovid., 10.196ss.:「そこでポエブスはこういった。「おお、オエバルスの息子よ、青春の花をうばわれて、おまえは死んでいく。わたしは、おまえの傷のなかにわたしの罪を見る。おまえは、わたしの悲しみであり、罪である。おまえを死にいたらしめたのは、わたしのこの右手だ...」 laberis, Oebalide, prima fraudate iuventa’ / Phoebus ait videoque tuum, mea crimina, vulnus./ Tu dolor es facinusque meum; mea dextera leto / inscribenda tuo est; ego sum tibi funeris auctor …

206ss.: 「そして、おまえは、あたらしい花となって、その花びらの文字によってわたしの嘆きを真似るであろう。また、いつの日にか、たぐいなく勇猛なひとりの英雄がおなじ花となって、その名をおなじ花びらの上にのこすであろう。」flosque novus scripto gemitus imitabere nostros. / Tempus et illud erit, quo se fortissimus heros (i.e.Aiace) / addat in hunc florem folioque legatur eodem …

210ss.: 「見よ、地上に散って草を染めていた少年の血は、もはや血でなくなって、テュルスの緋衣よりもさらにかがやかしいひとつの花が咲きでてきた。その格好は、百合によく似ているが、百合が銀白いろであるのにたいして、これは深紅であった。しかし、ポエブスは、これだけでは満足せず、その花びらの上にみずからの嘆きの文字をも書きしるした。それで、この花は、いまでもAI AIという文字をつけていて、この文字は、悲しみの文字とよばれている。」ecce cruor, qui fusus humo signaverat herbas, / desinit esse cruor Tyrioque nitentior ostro / flos oritur…214ss.: Non satis hoc Phoebo est… / ipse suos gemitus foliis inscribit et AI AI / flos habet inscriptum. [Aiace]

13.391ss.: 「こうさけぶと、かれは、これまでかすり傷ひとつ受けたことのないその胸に、するどい剣先を刃のとどくかぎり突き刺した。このふかく突きささった剣をだれの手もひきぬくことができなかったが、ほとばしる血潮がそれをおしだした。血に赤くそまった大地は、みどりの芝生のなかから、むかしオエバルスの子の傷口からうまれでたとおなじ真紅の花を咲かせた。その花弁のまん中には、かの少年にもこの英雄にも共通な文字があらわれていた。」Dixit, et in pectus… / … letalem condidit ensem. / Nec valuere manus infixum educere telum; / expulit ipse cruor, rubefactaque sanguine tellus / purpureum viridi genuit de caespite florem, / qui prius Oebalio (i.e. Giacinto) fuerat de vulnere natus. / Littera communis mediis pueroque viroque / inscripta est foliis, haec nominis, illa querellae:

Cfr. カルターリ、ピニョリア補註II.12 図
 

アウソニウス『十字架のクピド』


 

アウソニウスから息子グレゴリウスへ[1]

「君は、壁に描かれたその靄を見たことはなかっただろうか。いや君はそれを見たし、それを覚えているに違いない。そう、この絵はトレヴィリのゾリウスの宴会堂に描かれていたのだった。愛する女―現下の女たちのように自らの自由意志によって罪に陥るような者ではなく、自らを咎め、この神を罰する英雄的な女のひとり―にクピドが十字架に釘づけにされているところ。われらがヴィルギリウスのある節[2]に見られる歎きの野の記述のような景観。この絵の主題と技法にわたしは激しく撃たれた。そこでわたしはその驚きに霊感を享けてこれを詩節に翻案してみた。その表題より他には、それはわたしを満足させることとてなかったが、わたしはこの拙劣な作を君に委ねる。われわれはわれわれの善悪や短慮を愛し、われわれの愚行による過ちだけでは満足せず、他人たちにもそれを愛させようと奸策する。とはいえ、いったいなぜこの牧歌を苦労してわたしは擁護するのだろう。わたしが示唆するすべてを君はよく知っていることだろう。そうであるといいのだが。君の賞賛を願っている訳ではない。なにより自愛のほどを。汝の父より。

 



[1] アウソニウスにグレゴリウスという名の子供はいないという。年下の友くらいの意か。

[2] Virg. Aen. IV, 887.

D. M. ダンロップ「アラビア語から翻案されたコルコデアcolcodeaに関するノート」1949


D. M. Dunlop, A Note on Colcodea in rendering from the Arabic, Jewish Quarterly Review, New Series 39/4 (1949), pp.403-406

 

C. A. ナリーノに「アヴィセンナとT. カンパネッラのコルコデア」という小論がある(Giornale Critico della Filosofia Italiana, 6 (1925))。この中で論じられたところは、ひきつづきカンパネッラ『事物の意味と魔術』伊訳版(A. Bruers刊、Classici della Filosofia Moderna, XXIV, Bari 1925)の付録や、『イタリア大百科Enciclopedia Italiana』の「コルコデアcolcodea」項(1931)、そして最近ではH. A.ウォルフソンの論考「コルコデア」(JQR, 36 (1945-6)[1]によってひろく知られることとなっている。

要約しておくなら、ナリーノはカンパネッラが用いているcolcodeaがアラビア哲学においては「能動知性al-‘aql al-fa’’al」の月下界に「形相を付与するものwahib as-suwar」としての特殊な機能を指すものであったことを指摘したのだった。しかし言語学的にcolcodeaはこれらの語彙から導出され得ず、カンパネッラの典拠資料は別に探されねばならない。そこでナリーノは、カンパネッラがcolcodea15世紀のアヴェロエス主義者アゴスティーノ・ニーフォ(Niphus)から借用したこと、またニーフォ自身がそれを「形相賦与者dator formarum」の解説において不適切に導入していること、つまりそこで彼が「生命を与えるものdator vitae」を意味するアラビアの占星術語彙を漠然と想起しつつ、colcodeadator formarum を等価(同置)していること、を示唆している。その語彙とはal-kadkhuda(家の主)で、通常、ラテン語文書にはalcochodenalchocodenakcicidesとしてあらわれる。あるいはより抽象化された名詞としてal-kadkhuda’iyahがあり、これは本来alcodcodehiaと綴られたが、ラテン人たちにはalcolhodebiaatelchodelaaclehotebiaatelethodalcia等々と転綴されている。

ナリーノが言うように、ニーフォあるいは誰か彼に先行する者がdator vitaedator formarumと混同したものとみなされ、また確かにcolcodeaは偽アラビア文書のkadkhuda’iyah(冠詞なしに)に由来するものであろう。これらはどちらもこの問題を解明するに重要な知見である。ウォルフソンは、どうして「生命を付与するもの」が「形相を賦与するもの」に変じたか、について説得的な推測を加え、これがニーフォの手元に届いたものと考えている。しかしナリーノは、アラビア文書群にもヘブル語やラテン語文書にも、中世の西欧の著作家たちにもcolcodeaという語は認められない、と述べていた。ここで彼は単純に過ちを犯していた。この語彙はラテン・アヴィセンナおよびすくなくとも中世の著作家のひとりに認められるもの。それゆえ、ナリーノが言うようにカンパネッラの典拠資料がニーフォであったかどうか問題は残るが、コルコデラcolcodeaという語のかたちがルネサンス時代の創案でなかったことは確かである。しかしナリーノの観点は、上掲したウォルフソンの論考にも引き継がれており、「alcochodenは、これの語形ヴァリエーションであるcolcodeaをもととして彼(ニーフォ)が記憶から再現しているもの」(p.182)と言われている。

ではまずこの語があらわれるアラビアの著作家からその一節を引いてみよう。十世紀の編簒書で『純潔兄弟団の書簡Rasa’il Ikhwan as-Safa’』と呼ばれるものには、次のような一節が含まれている。「兄弟よ、誕生するあらゆる被造物は、地上に父と母をもつように、天圏(天球)にふたりの親をもつ。その一方は彼の生命(いのち)の導き(守護者)で、カドクダーKadkhudaつまり「家の主」と呼ばれる。他方はハイラージュHailajつまり「家の女主人」と呼ばれる。これら二者がその被造物の誕生にあたり好意的であるなら、これはその生涯にわたり幸福に生きることとなろう」[2]。この言及は明らかに天文学的なものである。これはこの語彙の最初期の典拠という訳ではなく、アル−キンディー(870年頃没)の誕生時占い(誕生星図)にかかわる高名な著作のヘブル語訳にも[culcudiae]の表記が認められる[3]

アラビア語としてはこの語はアヴィセンナ(1037没)の時代以前からすでに流通していたもので[4]、彼もまた用いている。ナリーノはcolcodeaの由来の探索において、中世に利用できたアヴィセンナのラテン語訳哲学著作群に探求を限り、これに類するものを見出せないと言う。しかしアヴィセンナの偉大な医学的著作『医学典範(カノン)Qanun』には次のような一節が見つかる。これに類したものはおそらく他にも見つかることだろう。「自然本性熱はあらゆる善い性質の援け(道具)であり、冷はそれらに逆するもので、ただ偶性として時に役立つばかりである。それゆえ、われわれは自然本性熱について語り、自然本性冷についても、熱に関連して語られる体躯の抽象的な(抽象名詞としての)kadkhuda’iyahの冷についても言及することはない」[5]。これが晦渋であることに疑いはない。ラテン語訳では、「Calor igitur innatus virtutum omnium est instrumentum. Sed frigiditas est et inconveniens et neque prodest, nisi accidentaliter. Ideoque dicitur calor innatus et non dicitur frigiditas innata, neque proportionatur ad frigiditatem illud, quod ex colcodea corporis ad caliditatem proportionatur.[6]。ただ注記しておくべきは、ここでkadkhuda’iyahcolcodeaと音綴されているが、明らかにそこに占星術的な意味はない。

colcodeaという語彙の使用が、十二世紀のクレモナのゲラルドゥスに遡るものであることには疑いはない。上に引いたのはアンドレアス・アルパグスAndreas Alpagusによる別訳だが、これは十二世紀の翻訳をもととして、それを古註(antiqua expositio)として自らの註に附載している。その古註には「ペルシャの名辞コルコデアは生命を賦与するものを指すコルコデオに由来するcolcodea persicum nomen est derivatum a colcodeo qui est dator vitae」とある。またペトルス・アバヌスは往昔著名であった『和解Conciliator(1303)で、アヴィセンナの同一節を以下のかたちで引いている。「冷は体躯のコルコデアつまり生命を与えるものとしての熱とは対照できない(比較にならない)Non comparatur frigiditati ex colcodea corporis i. datore vitae illud quod comparatur caliditati」(f.205v)。ここからすると、彼はcolcodeaという語彙をすでに註釈書から借りているようにみえる。これらの句節の数々からして、ニーフォの時代にはすでに長く使用されてきたものであって、彼の創案になるものでも、彼の直前の先行者によるものでもない。するとカンパネッラにおけるこの語彙の典拠資料も広がりをみせることとなり、コルコデアとアヴィセンナの関係性もニーフォの言辞を越えて広がることとなる。

興味深い事実を一つ指摘しておこう。alcochodenという語形に類するもの(アルカビティウスAlchabitiusにおけるdans vitae[7]colcodea(上述したとおり、ペトルス・アバヌスのdator vitae)と同じ意味であるが、前者は疑いもなくalkadkhudaに由来し、colcodeaは抽象名詞kadkhuda’iyahに由来するもので、相互に同一視され得るものではない。『和解Conciliator』においても、colcodeaとは別にalchochodenf.163r)も遣われ、ペトルス・アバヌスのまた別の著作『毒についてDe Venenis』にはalcotodeumc.iii末尾)―これはalchochodenの異体―が、またカンパネッラの『占星術書Astrologicorum Libri(V, c.ii, art.1)[8]にもAlcocodemが認められる。ここからすると、alcochoden等々はすくなくともアルカビツィオやアルブマセルのcolcodeaとは別の典拠文書に由来するものであると言えそうである。

 



[1] これについてはSartonによる評がIsis 36 (1945-6)に載せられている。

[2] Bombay ed. A.H.1305, II.290.

[3] Steinschneider, Heb. Uebersetz., p.563. [culcudiae]cf. I. Efros, JQR 36, p.79)も[culcudia]H.A.Wolfson, loc.cit.)は疑いなくラテン語からの重訳である。

[4] Dozy, Supplement, sub voceにはTha’alibi350/961-429/1038, Syntagma dictorum brevium, ed. Valeton, Leyden 1844, 30, 5; 58, n.3.

[5] Lucknow ed. I, 171.

[6] Avicennae Liber Canonis, Venice 1555, I Fen ii, Doctrina 3, c.3.

[7] Steinschneiderによれば、アルカビティウスは’Abd al-‘Aziz(あるいは’Abd ar-Rahman b. ‘Uthman al-Qabisi.

[8] 1524年版ではf.257v.

ウォルフソン「コルコデア」1945


H. A. Wolfson, Colcodea, [qulqudia], The Jewish Quarterly Review, 36/2 (1945)

 

エフロスEfros教授はJQR, xxxvi (1945), p.79[qulqudia]という語彙がアラビア語であったかどうか疑念を抱き、問題の語がアラビア語の語彙から転訛した可能性を探っている。彼は、擬バヒヤBahyaの『Ma’ani al-Nafsp.42にかかわるGoldziherの能動知性の議論に対する註に当該語彙を見出している。

「コルコデアcolcodea」とラテン語文字で記される語彙とヘブル文字で[qulqudia]と記される語彙が、能動知性の呼称のひとつとしてどのように「形相賦与者」という意味で用いられるようになったか、についてはM. Steinschneiderが『Die hebraeischen Uebersetzungenp.563, n.183および『Die arabishe Literatur der Judenpp.28-29で、またC. A. Nallinoが「La Colcodea d’Avicenna et T. CampanellaGiornale Critico della Filosofia Italiana, VI (1925), pp.84-91で論じている。わたしは以下、彼らの論議から何を汲み取ることができるか簡潔に論じ、幾つか付言してみることとする。

ナリーノは「コルコデア」という語彙を「形相賦与者」を意味するアラビア語に淵源するものとして最初に用いたのは、アヴェロエスの『破壊の破壊Tahafut al-Tahaft』のラテン語訳に付されたニーフォNiphus1473-1546)による註解で、これは1497年に公刊された、と言っている。その註釈で「形相賦与者dans formamformasと読んでおく)」という語彙をアヴェロエスに帰しつつ、彼は「アヴィセンナその他の者たちは...これをアラビア語でコルコデアと称している」と言う。この註解において他に二箇所、dator formarumという表現に関して、彼は同じ註をしている。これと同じ註は、彼が1492年に著した『知性論六書De intellectu libri sex』および15071510年に著された『形而上学解明Metaphysicarum disputationum dilucidarium』にも認められる。これらの箇所からはっきり分かるのは、ニーフォがラテン語のdans formasあるいはdator formarumがアラビア語のwahio al-suwarの逐字訳であったことを知らず、アラビア語の語彙がコルコデアであったとみなしていること。

つづいてこれと同じ意味でコルコデラという語彙を用いたのはジマラZimara14601532)。彼の1508年の著作『アヴェロエスの言辞における矛盾した諸解決Solutiones contradictionum in dictis Averrois』の、形而上学XIIcomm.38に関する一節で、彼はdator formarumcolcodeaと別義接続詞disjunctive conjunctionseu」をもって結びつけている(Comp. Aristotelis opera, Venetii 1574, vol.VIII, f.421v2)。これら二つの語彙をseuで結んだものとして、アヴェロエスの『形而上学大註解』XIIcomm.18の欄外註にも見つかる(comp. op. cit., f.304A-B)。

これら二人の著者から「コルコデア」という語彙はカンパネッラ(15681639)の著作に移されることとなる。

ピサのイェヒエルJehiel of Pisaによるこの語彙の使用(156772、『Minhat Kena’at』中)について、またカウフマンの探求についても、ナリーノはスタインシュナイダーの『Die arabische Literatur der Judenp.29での言及を通じてのみ知っていたようである。というのも、彼は後者のp.30p.36とする誤植を引き継いでいるから。スタインシュナイダーはp.67に出る事例をも挙げているにもかかわらず、彼(ナリーノ)はp.30の記述をこの書における「唯一」の事例としている。彼はカウフマンについても「ヘブル語の他の書物には対照箇所を見出せない」と言っている。カウフマンは『Minhat Kena’otp.67の註において対照箇所をヨセフ・ソロモン・デルメディゴの『Nobelot Hokmahp.17bから引いているし、スタインシュナイダーも「ヨセフ・デル・メディゴ」に言及しているにもかかわらず。『Minhat Kena’ot』中でのこの語彙の使用について、ナリーノは「疑いなく、ニーフォとジマラによるもの」と言っている。この推測に付言しておくなら、ニーフォの名は『Minhat Kena’otp.33で語られている。

同じラテン文書典拠群がヨセフ・ソロモン・デルメディゴ(1591-1655)の『Nobelot Hokmahp.17bにも用いられたことは明らかである。『Minhat Kena’otp.57では書写は[culcudiae]の代わりに[culcudiad]を採っているが、これの著者がアヴェロエスの『破壊の破壊』に対するニーフォの註解の1517年版を用いたことに疑いはない。この刊本ではcolcodeacolchodeaと綴られている(M. BouygesAverroes: Tahafot at-Tahafot, 1930, p.407の引用参照)。この主題にかかわるデルメディゴの論議にニーフォが影響していることもまた明らか。

とはいえ、いったいニーフォはどこからラテン語のdans formasあるいはdator formarumがアラビア語のcolcodeaであると勘案することとなったのだろうか。スタインシュナイダーが集めたデータとナリーノの論議からするなら、その答えは以下のようになるだろう。

アラビア語の語彙kadkhudaはペルシャ語に由来するもの(kad khuda)で、文字通り「家の主」を意味している。Goldziherが偽バヒヤBahyaの『Ma’ani al-Nafsp.42の註に引いている一節に用いられているこの語彙が、文字通りこの意味であることは明らかで、そこでは能動知性は「神の命(指示)により元素的諸物の家主」として説かれている。ここで注意しておくべきは、kadkhudaという語彙はそこで能動知性の幾つかの呼称のひとつとして用いられている訳ではない、ということ。この語彙は占星術的な特殊用語としての「家(宿)の主」としても用いられてきた。これはギリシャ語のoikodespotesに類同な占星術的意味に符合している。この占星術的な使用法から、この語彙は「寿命」あるいは「生命の継続期間」という特殊な意味を獲得した。これはある者の寿命がそのものの誕生時を宰領する個別の宿の主によって決定されると考えられたことによる(G. Fluegel, Al-Kindi, p.24, n.70参照)。サール・イブン・ビシールSahl ibn Bishrの占星術的著作『al-Hilaj wal-Kadkhuda(830年頃)という表題にもこの意味で用いられている。さて、ラテン語占星術文書群において、アラビア語文書から採られたal-kadkhudaという語彙はalcochodenacolhodebia等々さまざまなかたちであらわ、さまざまに翻訳され、その中の一つとしてdans vitamもある。dans vitamdans formamの混乱から、ニーフォはこのアラビア語の語彙colcodeadans formamdans formasあるいはdator formarumとして語るに到る。

この解説にはひとつ飛躍がある。そこにはdans vitamからdans formamあるいはformasへの語の遷移が起こっているのだが、それら相互の間には論理的転移がある。これについては幾分説明を加えてみることができるだろう。

スタインシュナイダーによれば、alcochodenという語彙の訳語としてのdans vitamという表現はアルカビティウスAlchabitiusに見出されることだろう。ナリーノはalcochodenが生命賦与者を意味すると説く時、この意味について何の参照も示していないが、スタインシュナイダーの言及を信頼したものに違いない。しかし、アルカビティウスの『入門書Liber isagogicusVenetii 1482印行本には、わたしが検討した限り、akcicgidenという語彙の訳語としてのdans vitamという表現を見つけることができなかった。そこに見つかった句節は、「De alcochoden. Et hoc alcochoden q.e. significator vite idest dominus annorum: vel dans annos(頁づけなし、f.23r)。どうやらニーフォが用いた文書はおそらく写本で、dominus annorum vel dans annoという句節は、ニーフォにdominus animarum vel dans animasと読ませるように誘う略記がなされていたものだろう。印行版の同葉(フォリオ)の裏面に、alcochodendn~s a~niを意味すると印字されているところからも、この仮説は正当化されるだろう。Aの上の〜はdans animasの略記であろう。アヴェロエスの『破壊の破壊』の句節にはdans formasという表記があり、これにニーフォはarabice tamen colcodeaという注記を付している。語彙formasurah)とanimanafs)は繰り返し択一的に用いられている(Arabie ed. Bouyges, p.407, II, 2-15; ニーフォの註解つきラテン語訳Lugduni [1529], f.219b-220a; Aristotelis opera, Venetii 1574, vol.IX, f.101L-102A参照)。また確かにニーフォの手元にあったアルガザリAlgazaliの『Maqasid al-Falasifah』のラテン語訳本には、dator animarum (wahib al-nufas)という表現が認められる(Latin ed. J. T. Muckle, p.182, L20; Arabic, p.301, l.3参照)。こうして、ここにアラビア語のalcochodendans animasを意味するという信憑から、ニーフォがこのアラビア語彙を「形相賦与者」とみなすようになった理由を認めることができる。彼にとって「形相賦与者」とは、alcochodenという語彙の原義である「魂の数々を賦与するもの」と同じ意味であり、彼はこの語彙を記憶から再現しつつcolcodeaという語形で表現してみせたのだった。

 

ナリーノ「アヴィセンナとトマソ・カンパネッラのコルコデア」3


 

III

しかし亞文文書にもその羅文異文にも、上掲したような西欧中世の文筆家たちにも、「コルコデア」という語彙あるいはこれに類した語彙を見出すことができない。アラビア人たちにあって、「現勢(能動)知性」はal’aql al-ja’’al(ヘブル語訳者たちはこれをhas-sekel hap-po’elと訳している)、「形相賦与者」はおおむねwahib as-suwar、稀にmu’ti as-suwarで、ヘブル人ならこれをnoten has-suretと解するであろうにしても、誰もコルコデアcolcodeaを採るものはないだろう。中世の文筆家たちの羅語異文の数々ではつねに規則的に「能動知性intellectus agens(あるいはintelligentia agens)また「形相賦与者dator formarum」と訳されており、相当するアラビア語名辞が指示されることはない。

それゆえカンパネッラの「コルコデアColcodea」の典拠は別のところに探られねばならない。それはほぼ確かにアゴスティーノ・ニーフォやマルコ・アントニオ・ジマラのアヴェロエス主義的文書群に認められるもの。

1497年、二ーフォはアヴェロエスの『破壊の破壊Destructio destructionum』の形而上学部分(上掲)に長大な「註解commentarii」を付して(1494-97に編まれた註)ヴェネチアではじめて公刊した[1]。これは独立に、あるいはアリストテレスの著作に対するアヴェロエスの註釈集成として何度も再刊された。これらの中で、上掲4)のアヴェロエスの一節は長い註釈の対象となっている。アヴェロエスがアヴィセンナの理説について開陳した言辞を反映しつつ。「sed illud quod dat formas substantiales, maxime animas, est sine dubio ens separatum, quod apud eos nuncupatur dans formam」に、二ーフォは「アラビア語でコルコデアarabice tamen colcodea[2]と付言している。そのすこし後、これに関して彼は「プラトン主義的立場positio Platonis」、「アラビアの立場positio Arabum」、「逍遥学派の立場positio peripateticorum」について長い脱線をはじめる。そのはじめは、「Et cum hoc sit ita, propter bonum oportet aliqua dicere de illa colcodea quae latine dator formarum exponitur, dicta intellectus, anima et substantia seu forma separata[3]。またその先に、アヴィセンナの形而上学IX巻をもとに「アラビアの立場Arabum sententiam」を説きつつ、「Dicitur quidem hic motor forma sphaerae, dator formarum, intelligentia separata, intellectus et anima, prout diversis habitudinibus sphaeram hanc respicit. Respicit enim primo hanc sphaeram, prout istam conservat in esse et in operatione sua; et quia forma principium est essendi et operandi absolute, ideo, respectu huiusmodi, forma dicitur totius sphaerae. Dicitur secundo dator formarum latine, arabice vero colcodea, ab operatione particularium rerum; est enim agens omnes formas in materiis ab extrinseco, ponens eas ibi ex nihilo secundum Arabum principia; ergo hoc respectu, dator formarum vel agens formas dici mereretur. Dicitur tertio intelligentia… Dicitur quarto intellectus… Dicitur et anima…」。

ここに見られる通り、二―フォによれば、「コルコデア」はアヴィセンナによって想像(観念)された形相賦与者、あるいは月下界の質料に諸形相を与える知性の現勢(能動知性)のアラビア語名辞ということになる。

二ーフォ自身、『破壊』註解の五年前、1492年にパドヴァで『知性についての六書De intellectu libri sex』を著し、その中でアヴィセンナの「自然学六書の第五quinta parte sexti naturalium」(あるいは『デ・アニマ』第五書)に基づき、アヴィセンナの知性の現勢の理説を要約してこう言っている。「Volunt autem hunc intellectum agentem esse separatum ac immistum, et non solum esse principium intelligendi, sed creandi formas, propter quod colcodea dicitur apud arabes[4]

そして1507-1510年に著された著作で、二ーフォは「virtus autem generandi [res] est in anima mundi apud Platonem, quae ab Avicenna dicitur cholchodea, a Themistio Alexandrove intellectus agens[5]と録している。

「コルコデア」という語彙はほぼ確実に、ニーフォからマルコ・アントニオ・ジマラに伝えられることとなった。ジマラは1508年、ヴェネチアで彼の高名な著『Solutiones contradictionum in dictis Averroe』を公刊した。これはアヴェロエスの著作集の末尾に何度も印行されることとなる。『形而上学』第十二書comm.38について、ジマラはこう記している。「Sed contra a pari dicam pro Avicenna quod esto quod forma corporeitatis substantiae praeexistat in materia, non sequitur alias formas accidentia esse; quia secundum Avicennam aliae formae, quae de novo inducuntur in materia, non sunt eductae de potentia materiae, sed sunt ab extrinseco motore, quem datorem formarum appellat seu colcodeam」。

そればかりか、十五世紀のアヴェロエス刊本群には欄外註はないが、十六世紀初頭の刊本に付された逸名欄外註もまたジマラによるものである。上掲2)(In Metaph., XII, com.18)に言及したアヴェロエスの一節「Opinio Avicennae ponentis colcodeam, seu datorem formarum」が、まさにその欄外に付されている。

ニーフォやジマラに孤立してあらわれる不可思議な語彙が、ヘブル語の書物にも認められる。1539年、ヘブル人碩学イエキエル(=ヴィターレ)・ニッシム・ベン・サムエル・ダ・ピサ[6]は『熱勢の供物Minhat qena’ot[7]を著した。これは哲学と宗教(信仰)の関係についての小論考で、やっと1898年にベルリンでD. カウフマンによって印行された。その36頁にはヘブル文字でqolqode’ahという語彙が「形相賦与者」として挙げられており、この学識深い刊行者はこれが何に由来し、実際には何を意味しているのか、と無益に問うている。これは語源的にヘブル語とは認めがたく、ヘブル語の他の諸著にも見いだされない、としつつ。

 



[1] 1497年のインキュナブラはアヴェロエス註解アリストテレス著作集(1495-97)の一部

[2] Pavia 1521, f,247v.; ed. Comino, Venezia 1560, f.254c.

[3] Pavia, f.248r; Comino f.254D.

[4] De intellectu libri sex, lib.IV cap.9 (f.36v col.II, ed. Venetii 1553)

[5] Eutychi Augustini Niphi Philothei Suessani Metaphysicarum disputationum dilucidarium, Venetiis 1521, lib.I disp.XII (f.83r. col.I).

[6] Iechiel (=Vitale) Nissim ben Samuel da Pisa, アヴェロエスの形而上学大註解四巻のヘブル語訳を1524年に、またアヴェロエスの自然学註解第三巻および第四巻のヘブル語訳を1524-25年に書写している。

[7] The Minhat kena’ot was compiled by a vehement opponent of the teachings of Maimonides, the Provencal Rabbi Abba Mari ben Moses Astruc, who was born in Lunel toward the end of the thirteenth century and subsequently lived in Montpellier (1303) and Perpignan (after 1306). Abba Mari held that through its reliance on Aristotelian rationaism, the work of Maimonides theatened to undermine the authority of the Old Testament. Enlisting the aid of the famous Rabbi Solomon ben Abraham Adret of Barcelona, Abba Mari therefore conducted a forceful propaganda campaign against Maimonides and was able to enact a fifty-year ban on all those who studied science and metaphysics before their twenty-fifth birthday. After settling in Perpignan in 1306, Abba Mari assembled and had transcribed the letters connected with the controversy, the basis for the manuscript tradition.

http://www.textmanuscripts.com/tm-assets/tm-descriptions/descriptions-hebrew-november-2016/tm-121---abba-mari-ben-moses-astruc-of-lunel-minhat-kena-ot-jealous-offering-.pdf

ナリーノ「アヴィセンナとトマソ・カンパネッラのコルコデア」2


 

II

これらの句節のいずれからしても、アヴィセンナが「能動知性intelletto attivoあるいはintelligenza agente(アラビア語でal-‘aql al-fa’al)と称するところと「コルコデア」が同一であることに疑いはない。 これはアヴィセンナの体系においては「分離知性」の下降順位における最後のもの。まず神によって直接創造された第一知性[1]から、順々に「知性が到来し、われわれの魂の上に注ぐ。これが地上世界の知性であり、われわれはこれを能動知性と称するquousque pervenitur ad intelligentiam, quae flut (arabo: al-fa’id) super nostras animas, et haec est intelligentia mundi terreni (‘aql al-‘alam al-ardi) et vocamus eam intelligentiam agentem[2]。この最後のわれわれの魂の数々つまり可能知性あるいは潜在知性は可知的スペキエスあるいは形相(フォルマ)を受け取る(これら可知的スペキエスはアヴィセンナによれば、これらを意図(志向)するはたらき(現勢)が已む時、われわれの知性のうちに留まることはない)。一方、この同じ能動知性から質料は自然諸本性のはたらき(能作)によってさまざまに準備され、諸実体形相forme sostanzialiを受け取る[3]。こうして質料と形相の諸関係にかかわる問題は、アリストテレスとは違った様相で解釈されることとなる。そしてこの特殊な役割(はたらき)において、能動知性は月下界において直接、「形相賦与者wahib as-suwar, dator formarum[4]と化し、アル−ファラビーが考えたところとは異なったものとなる[5]

この「形相賦与者」としての能動知性概念については、アヴェロエスがさまざまな箇所で反駁を加えているもので、その箇所とは以下の通り。

1) In Metaph. Lib.VII, com.31:「ここでアヴィセンナはこれらの言辞(命題)に準じ、一々の形相は形相賦与者と称される能動知性に由来するものと信じ、これがテミスティウスが語ったところだったと考えている。Et ideo quia Avicenna obedit istis propositionibus credidit omnes formas esse ab intelligentia agente quam vocat datorem formarum: et existimatur etiam quod Themistius dicat hoc」。

2) In Metaph., lib.XII, com.18:「ここに一々の実体形相は外なる抽象形相からかたちづくられ、これが形相賦与者と称されている。そしてこれこそ能動知性であるという。Unde quidam dicunt quod omnes formae substantiales fiunt a forma abstracta extrinseca quae dicitur a quibusdam dator formarum: et dicunt quod hic est intelligentia agens」。

3) Ibid.:「その見解によれば、能作が形相を創造し、これが質料のうちに据えられることになる。そしてそのような能作は一切質料のうちにはないと言われ、それは形相賦与者と称される。これがアヴィセンナ説である。Una autem istarum opinionum est quod agens creat formam et ponit eam in materia. Et istorum quidam dicunt quod illud agens non est in materia omnino: et vocant ipsum datorem formarum: et Avicenna est de illis」。

4) Destructio destructionis, disp.IX, dub.2:「哲学者たちの見解によれば、魂のない物体および魂のある物体(コルプス)の形相は分離実体、あるいは知性(的実体)、あるいは分離魂であるという...これはプラトンの質料から分離した形相という見解に類同である。これがアヴィセンナの説く見解であり、イスラムの哲学者たちの追随する説である。この見解に従って、物体(コルプス)は熱い物体あるいは冷たい物体にはたらく、つまりそこにはたらく物体(コルプス)は上天の物体である、と言われる。しかし実体形相を付与するもの、最大の魂(*最大なる魂を賦与されたものmutanaffisah)とは、疑いなく分離した有(エンス)であり、これこそ形相賦与者と称される。Dicimus quod est hoc iuxta quorumdam philosophorum opinionem, qui opinati sunt quod dans formas corporum (Al-mu’ti li suwar al-agsam) inanimatorum et animarum est substantia separata vel intellectus vel anima separata … et hoc est simile Platonis opinioni in formis separatis a materia: et haec est expresse opinio Avicennae et eius sequentium philosophorum sarracenorum (Falasifat al-islam): qui asserunt ipsorum opinionem dicentes quod corpus agit in corpus caliditatem seu frigiditatem, scilicet illud corpus agens apud eos est corpus supercaeleste: sed id quod dat formas substantiales, maxime animas, est sine dubio ens separatum, quod apud eos nuncupatur dans formas (Wahib sa-suwar)」。

アヴィセンナの『形而上学』あるいは『デ・アニマ』から直接採られたところにせよ、アヴェロエスの引用を通して認められるところにせよ、この理説は西欧中世に大いなる声望をもって迎えられたものだった。アルベルトゥス・マグヌス[6]、またトマス・アクィナス[7]もこれを引用し、何度も論難を試みている。また逸名者の『哲学の過誤についてDe erroribus philosophorum』の911のアヴィセンナの過誤論駁にはまさに、「われわれの魂はその産物(知見)を最終知性から据えられる。これによってわれわれの魂は主宰(支配)され、つまりこれがわれわれの至福である。animas nostras posuit esse productas ab ultima intelligentia, a qua dependet gubernatio animarum nostrarum et per consequens beatitudo nostra」;「形相賦与者に関して誤って、一々の形相を最終知性から形相賦与者へと賦与されるものとみなされているerravit circa dationem formarum, posuit enim omnes formas esse a datore formarum, ut ab intelligentia ultima…」と記されている。

 



[1] アヴィセンナはこれを「神の天使」、「普遍知性」、「宇宙(世界)魂」とも呼んでいる。Cfr. Fi ithbat an-nubuwwah, p.122 (Tis’ rasa’il, Cairo 1326eg.= 1908cr.); Avicenne, Traites mystiques ed. Mehren, fasc.III (Leyde 1894), p.23.(arabo)

[2] Avicenna, Metafisica, lib.IX cap.3 fin. (trad.lat. Venetii 1508, fol.104v)

[3] アヴィセンナの能動知性説は中世ラテン世界にはMetafisica, IX, 3-5およびDe anima (VI Naturalium), lib.V, cap.3によってのみ伝えられた。

[4] この添え名はAvicenna, Metaf., IX, 5 (vers.lat. 1508, f.105v. col.1)に遡る。

[5] アル−ファラビーにおいては、能動知性は第一圏域をうごくもので、これの内側を下位の諸天球が動き、これらが万物の諸形相を創造する。

[6] Cfr. Albertus Magnus, De anima: Metafisica, Opera vol.III ed. Jammy, Lione 1561.

[7] Thomas Aquinas, S. Theol., p.I, q.45 art.8c; q.65 art.4c; q.84 art.4c; q.91 art.2c; q.116 art.2c; p.I-II, q.63 art.1c; S. Gent., I.III, c.69 in.; De potentia, q.3, art.8c.; De veritate q.  10 art.2, 6c; q.11 art.1c.; Quodl. 8 art.3.; Opuse.2 cap.8; In Sent. II. dist.1 q.1.4 art.4m.: III dist.33 q.1 art.1c,solutio II.

ナリーノ「アヴィセンナとトマソ・カンパネッラのコルコデア」1


C. A. Nallino, La “Colcodea” d’Avicenna e T. Campanellla, Giornale critico della filosofia italiana, 6 (1925), pp.84-89.

 

I.

トマソ・カンパネッラは『事物の意味と魔術De sensu rerum et magia』(Francoforti 1620, Parigi 1637)で三度、『形而上学Metaphysica』(Parigi 1638, Opere, vol.IV)ですくなくとも十二回、アヴィセンナのコルコデア(ColcodeaあるいはColchodea[1]について、まさにアヴィセンナの理説に出る語彙として触れている。カンパネッラが批判的に述べるところによれば、コルコデアはアナクサゴラスの悟性Mens[2]、アフロディシアスのアレクサンデルの能動知性intellectus agens[3]、プラトン主義者たちの世界魂Anima mundi[4]とかなりの程度類比(アナロギア)的なものとみなされ、月下世界つまり「壊敗圏域corruptibilium sphaera」を司るもの、それゆえその能作(はたらき)の限界性によって、「神的魂anima divinissima」と相違するものとなる。カンパネッラによれば、こちら(神的魂)は「神に直接して感得し喜悦し、事物はすべてこれを参照するimmediate a Deo percipiat facienda et iubeat, et rebus consultat cunctis」。かくして「天使と悪魔の主をprincipatus Angelorum et daemonum」統率する。「それゆえその魂(カンパネッラが観念するところの)は壊敗性の圏域を統率するのではなく、全ての世界である魂を主宰(統率)する(つまりコルコデアあるいはアレクサンデルの能動知性のように主宰する)ものであるhaec enim anima non huic modo corruptibilium sphaerae praesidet, sed cunctis, quoniam totius mundi est anima[5]

カンパネッラによれば、世界の個々の「個物particulae」は「神によって事物への配慮として分配された知性の数々によってab intellectibus a Deo distributis ad curam rerum」矯正される(正道へと導かれる)。「外在する複数の知性が、神学者たちの言辞を借りれば、善および悪の天使たちとして、相対立する(自ら戦う?)ことによってopportet esse plures intelligentias exteriores et secum pugnantes, quas Theologi bonos et malos vocant Angelos」。一方、アヴィセンナの「コルコデア」とは、その変異と対立のすべてにおいて月下界の総体を支配するものであろう[6]。アヴィセンナは「形相がコルコデアから溢出するというponit formas effluere a Cholcodea[7]。これは「形成力virtus formatrix」である[8]。彼によれば、動物の魂あるいは生命(いのち)は「コルコデア」によって造られた[9]。これはまた腐敗した質料をも産生し[10]、嵐や風をも起こし[11]、諸物に固有なはたらきを到来させる外因である[12]とともに預言的力能(徳)の淵源でもある[13]

にもかかわらず、不可解にもカンパネッラはこのことばが見つかりそうなところ、つまりアヴィセンナの宇宙論を要約してみせるところで「コルコデア」を名指すことがない。「アヴィセンナは...一(者)においてでなくては一(者)が信憑される他はなく、神の思惟から第一知性が創造された。これが神を思惟することで第二の知性が創造された。これの自己知解が天界の魂の能作(はたらき)であり、これの自己知解が天界の潜在力(可能態)である。この第二の知性が第三の知性を創造した。これが第二天の魂であり、この天から月下界の知性にまで連鎖が拡がっており、これが魂と形相の混合物を創造する。Avicennas … cum ab uno non nisi unum fieri crederet, et excogitavit Deum creasse primam intelligentiam, quae intelligendo Deum creavit secundam intelligentiam; intelligendo se ut actum Animam caeli, et intelligendo se, ut Potentiam, caelum. Secundam vero intelligentiam creasse tertiam intelligentiam, et Animam secundi caeli, et caelum; ita quod extendit hanc catenam usque ad intelligentiam sublunarium, quam putat creare animas et formas mistorum[14]。明らかにこのintelligentia sublunariumとはカンパネッラが普通、他の箇所でアヴィセンナの理説を説く場合にはコルコデアと呼んでいたところのものである[15]

 



[1] Cholcodeaとも(De sensu rerum, lib.I, cap.6 princ., ed. Francoforti, p.16; あるいは Calchodea (Metaph., lib.XVI, cap.11, art 1)

[2] De sensu rerum, I,3 fin., I,6 princ. ; Metaph., XI, 2 art.6

[3] De sensu rerum, I,3 fin., I,6 princ. ; Metaph. IX, 6 art.5, XI, 2 art.6, XVI, 11 art.1.

[4] De sensu rerum, II,5 fin.; Metaph., XI, 2 art.6, cfr.XIII,2 art.4.

[5] Metaph., IX, 6 art.5.

[6] Metaph., XII, 2 art. unico

[7] Metaph., XIII, 3 art.4. formae substantialesを論じたところ; Metaph., XII, 1 art.6.

[8] Metaph., XV, 3 art.4.

[9] De sensu rerum, II, 5. fin.; Metaph., XVI, 10 art.2.

[10] Metaph., XIII, 2 art.1.

[11] De sensu rerum, I,6 princ.

[12] De sensu rerum, I, 3 fin.

[13] Metaph., XVI, 11 art.1; IX, 6 art.4 fin.

[14] Metaph., VII, 4 art.1.

[15] 上掲箇所以外に、Metaph., XI, 2 art.8 fin.; XI, 6 art.2.参照。

トマス・テイラー『算術論三書』II−32


 

第三十二章 三間隔(次元)に広がるもののうちで最大にして最も完全な協和(シュンフォニア)−およびそれに劣る協和

 

あと残されているのは、音楽の調性に大きな役割を果たす(可能態、潜在力となる)とともに自然本性を問う思惟において重要となる、三つの間隔(次元)に拡がりをもつ最も完全な調和について語ること。この種の三つの間隔(次元)をもつものの中でもっとも完全なものは、最も完全な立体(コルプス)の自然本性と本質を引き受けるものとなる。すでに見たように、三つの次元をもつ立方体こそ、こうした完全な調和をみせるものである。これは以下のようにして見出されるだろう。二項が与えられ、これ自体が三つの間隔(次元)つまり長さ、幅、深さ方向へと増大するとき、この種の二つの中項が見つかる。これは三つの間隔(次元)をもち、同から同の同性を介して、あるいは非同から同なる非同を介して、あるいは非同から同なる同性を介して、その他の手法を介して得られる。こうして調和比を保ちつつ、他の方途で比較をする(比をとる)なら算術中項を、またこれらからこれらの間に幾何中項を見出すこともできる。

たとえば68912のような数列を配してみる。これらが立体量をなすことに疑問の余地はない。6123から、12223からなっている。これらの間にある中項の一つ8124、もう一方は133から。これからすべての項が相互に連繋しており、それぞれ三つの間隔の次元が識別される。これらのうち、128に、96に比較すると128::96というセスクィアルテロ比の幾何比率が得られる。一方、129と、96と比較すると、これら両者の差異は3で、両端項の和は中項の二倍になっている。こうして幾何比率と算術比率が見つかる。

あるいは128と、86と比較してみる。ここで126に対する比は、128の差異486の差異2の比に等しい。

ここにわれわれは音楽的協和のすべてを見出すことになる。86を、912と比較するとセスクィテルツィオ比が得られ、これは同時にディアテッサロン協和でもある。69に、812に比較するとセスクィアルテロ比が得られ、これはディアペンテ協和である。126に比較すると、ドゥプロ比が得られ、これはディアパソン協和である。ところが89に比較すると、エポグドオスが得られ、これを音楽調整においてはトーノと呼ぶ。そしてこれが音楽的な諸音の共通尺度となる。これがすべての音のなかで最小音である。トーノはディアテッサロン協和とディアペンテ協和の差異である[1]。エポグドオスがセスクィテルツィオとセスクィアルテロ比の相違であるように。

また、立体数の配列において、算術比率と幾何学比率あるいは幾何比率と調和比率それとも算術比率と調和比率という二つの比率だけがあるような諸数の場合には、劣った協和が生まれる。たとえば数列5152545では算術比率と幾何比率だけがみつかる。つまり51545に幾何比率515::154552545には2554525の算術比率がある。また数列40251610にも劣った協和がある。401610は、4010の比が40161610の比に等しく、調和比率をなしている。また、402510では40252510に等しく、算術比をなしている。あるいは数列80403220には幾何比率と調和比率が含まれている。つまり804020は幾何比率、803220は調和比率。下表は本章で述べたところの理解を容易としてくれるだろう。

 

・完全協和・・・比率・・・・・・・・・差異と諸性質・・・・・・トーノと協和

12986・・幾何12986・・非連続セスクィテルツィオ ・sesquioctavo 9/8

・・・・・・・・算術1296・・・差異33・・・・・・・・・・sesquitertio 8/6

・・・・・・・・調和1286・・・ドゥプロ、差異42・・・・・sesquialtero 9/6

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・duplo 12/6

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・triplo 12/4

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・quadruplo 12/3

24181612・幾何24,18,16,12・・非連続セスクィテルツィオ・・sesquioct. 18/16

・・・・・・・・算術241812・・・差異66・・・・・・・・・sesquiter. 16/12

・・・・・・・・調和241612・・・ドゥプロ、差異34・・・・sesquialt. 18/12

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・duplo 24/12

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・triplo 18/6

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・quadru. 12/3

・劣協和

4525155・幾何45155・・・・トリプロ

・・・・・・・・算術45255・・・・差異2020

40251610・調和401610・・・クァドルプロ、差異246

・・・・・・・・算術402510・・・・差異1515

80403220・幾何804020・・・ドゥプロ

・・・・・・・・調和803220・・・・クァドルプロ、差異4812

 



[1] ディアペンテ8から128から99から12から構成される。6/9=6/8 x 8/9

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六年目、ということでまたプロフィル欄を更新しようと思ったのですが、もうその欄に触れられなくなってしまっていました。 さて、これからどこへ行くのか。 あと探しものといえば、Sanioris Medicinae。
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ピタゴラス派−オルフィックのロゴスへ... 2012年9月、デザインを変えることで、やっと旧メアドを削除できた。
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