ヘルモゲネスを探して

錬金術書を読む Si hoc est quomodo est, si non est quomodo non est [Avicennae ad Hasen Regem Epistula de Re Recta, c.1]

『ピカトリクス』抄

『ピカトリクス』のアドセンティンの方へ


 

Cfr. Moshe Idel, Magic Temples and Cities in the Middle Ages and Renaissance,

https://archive.org/stream/MosheIdelKabbalahInItaly/Moshe-Idel-Kabbalah-in-Italy#page/n349/mode/2up pp.344-349

 

Yohanan Alemanno, Sha’ar ha-Hesheq 『雅歌註解』

おそらくAbu al-Hasan ‘Ali al-Mas’udi, Muruj al-Dhahab『黄金の草地』(10世紀)によるものを典拠とした記述。これを14世紀のカスティリアのR. Shmuel ibn Zarzaは次のように註解しているという。

 

「古の驚異の事物についての書に、上位世界の形象に対する彼らの大いなる待望と地上からするその驚異について録されている。それによれば、ノアの子ヤフェトJafetは驚くべき神殿を東の果ての中国との境界に建立したという。その建物について、そこには七つの窓があり、それぞれの窓には七つの惑星の姿をかたどった立像が据えられた。一々の彫像は惑星に関係した石で、それぞれに相当する色で造られていた。黄金色は太陽、白は月、黒は土星、赤は火星、緑は木星、青は金星、そして水星にはさまざまな色が組み合わせられていた。彼(ヤフェト)はこの神殿をさまざまな形をもって設計し、そこから賢者ならだれでも上位なる諸形相の自然本性を理解することができた。いかに下位なる諸物体(体躯)は上位なるものに依拠しており、いかに上位なる諸物体(体躯)の運動、影響、閃光等々から(下位なるものたちがその)存在へともたらされるかについて。またわたしはあるギリシャ人が語るのを聞いた。彼は世界のはじめからおわりまで旅した文盲の男であったが、彼はその中国の神殿にも似たところを訪れたことがあると言った。われわれは賢者が語ったこととその暗示が確かなことであるか確かめるために彼に問うた。なにせそれらの驚異を知性の光に照らして見ることのない多くの者たちは、それが虚しいつくりごとだとみなしてきたから。」

 

アレマンノ(14章)はソロモンの神殿について想像的な対話を記した後、つづけて夢の対話者は言う。

「しかしあなたはこう言う。「賢者たちの目に隠されてきたことがらについてあなたはこの夢を弄んでおられるようだが、賢者たちはそれを知らずまたあなたが語ることの意味も分からないのではないか。彼らは「知性的な思索および突然来る洞察による合一において、叡知を到来させたまえ」と言っているのに。彼らは魔術的な作用、建物、うつわ、祈禱、虚しいことども、あるいは夢を介してそれを望んでいるのではない。これらは賢者たち、知性と理拠の人の目には根拠のないことであるから」。

 

これにアレマンノは答えて言う。

「しかしここでわれわれが語りあっているのは、実際に存在したものを知っていた古人たちの言葉であり、彼らが語ったのはそれら相互にどのようなつながりがあるか、上位なる諸物(天体)の影響を受け取るうつわの準備をどのようにするかということです。彼らにとってこれは大地をいかに耕すのかということ同様、彼らの叡知と体験からして明らかなことでした。植物を植え種を播く土壌の準備ができたなら、彼らはそこに降り注ぐ奇瑞を受け取ることに違いないと。これが農耕、耕作、植林、接木の手法を知らないものにとっては奇妙に見えるかもしれないように、神の光と神の善と慈悲がわれわれの中に力を生じさせ、セフィロトを受け取らせまた発するものであることを知らないなら奇妙に見えるようなものである。あなたが諸形相の師たちの諸規定を、副次的自然本性を、自然本性的な諸考案について学ぶなら、あなたの霊もわたしが語ったことに混乱することはないだろう。それは聖なることであるから」。

 

マイモニデス『迷える者への導き』XXIX; cfr. Howard Kreisel, Veridical Dreams and Prophecy in the Philosophy of Gersonides, Da’at 22 (1989), p.80 Hebrew

「彼らは神殿群を建て、そこにさまざまな彫像を据えた。そして諸惑星の力をこれらの彫像に向けて注がせ、これによって彫像群は語り、理解し、民に預言的な啓示を与え−つまり彫像群が−民に有益なことがらを教えた。また彼らは樹木についても語っている。それらはさまざまな惑星に宛てられ、ある特別な樹木がある惑星に指定され、これに向けて植えられ、これに特別な処置が施されると、惑星の霊はこの樹木に注ぎ、民に預言的啓示を与え、彼らが眠っているうちに語りかけるのだった。」

 

Book of Josiphon 十世紀の南イタリアのユダヤ史にかかわる書 1544 Venetii版で公刊された。Cfr. David Flusser, Introduction to Josippon, The Original Versionm Ms. Jerusalem 8.43280 and Supplements, Merkaz Dinur, Jerusalem, 1978

「マケドニアのアレクサンドロスは、大洪水の前に統治したエノスEnosの息子ケイナンKeinanという古の王の墓がある島を見つけた、と報じられている。この王は賢者で、さまざまな知識をもち、諸霊、ダイモーン、邪悪な霊たちを支配し、この島に大きな町をつくった。町には城壁をめぐらし、その中に大理石の大宮殿を造営した。彼はそこに大量の貴石や宝石、金銀の宝を納めた。そして彼の墓の上に彼を記念する塔をも建てた。これは七惑星の知識を基として魔術の業をもって建てられたので、その城壁に近づく者はたちまち死に、誰もこの町に入ることはできなかった。」

Keinanの町はJosiphonを典拠としたThe Book of Yasharに出る。またIsaac Abravanel, Commentary on Genesis,(Warsaw 1862, f.27a)にもJosiphonからの引用がある。

 

あらためてスコラ知解認識論を魔術的に読む 6


『ピカトリクス』II.12 (1256年西訳完了、羅版から)

(すこしとばして天秤宮)

 

「(46)天秤宮。これの形相(かたち)は胃の疾患のすべてに効果がある。これを第一相(ファキエス)の初度から十度の間につくる。金星が逆行しておらず、木星が天秤宮になく、太陽が地平の上にある木星の日の一時から五時までの間に、中位の小麦粒七つの重さの黄金か銀でつくる。インドの賢者たちはこの慣習を変えることはないが、太陽の日の太陽の時間にこれをつくる。実際、曇りの日にはつくらない。また太陽が形象に射す時につくることができるなら最善である、とエノク[1]は記しており、これは実証済みである。また天秤宮の形象は昇るあるいはまっすぐ進み出る一人の男で、その手に平衡のとれた天秤をもち、その頭に半分白で半分黒い一羽の鳥がいるようなもの、と言われる。南の人々は、月がその光を減じる時[2]であってはならない、と記している。天秤宮にある時には、と形相(かたち)に十分注意するように、これは実証済みである。また初度にある時が最良であることも証されている。彼らの見解によれば、木星の日[3]、木星が地平の上にある時につくるのが善く、撃ち叩くのではなく刻んでつくるようにする[4]

 

ベルナルド・ゴードンの印章Sigillo

Tractatus magistri Bernardi de Gordon ad faciendum sigilla et imagines contra infirmitates diversas

天秤宮の印章

「天秤宮は黄金の男のしるし。この図像(形象)は天秤を手にもった男。母胎、脾臓、胃の痛みを癒すために、このひとがた(?)に両手をかたどり(印刻し)、右手には天秤、左手には書物を、あるいはその逆にもたせる。これをなんらかの金属(黄金?)に、太陽が天秤宮の第一デカン(ファキエス)にある時につくる。この時、金星が逆行しておらず、月が満ちつつあり、これが天秤宮にあればなおよい。これは太陽の日(日曜日)の太陽の時間にだけ、あるいはエノクが謂うところに従って鍛造されなければならない。」[5]

 

ヴィルヌーヴのアルナルドゥスの場合

Liber sigillorum Magistri Arnaldi de Vilanova [ed. Federici Vescovini, Traditio 60 (2005), p.254.

「九月につくる天秤の印章」

「われらがイエス・キリストの御名において、純金を融かし、これで円い印章をかたちづくりつつ、こう唱える。「主よ、今夜蘇りたまい、あなたへと叫ぶわが声を聞き届けたまえ。われを憐れみ、聞き届けたまえ」。そして詩篇(27)の「われを照らしたまう主」を唱える。こうしてこれをつくり、保管しておく。そして太陽が天秤宮に入るつまり十月一日の十五日(前)、そして月が磨羯宮あるいは宝瓶宮にある時、これの片面にひとがたを片手に天秤を十字にもつ姿で刻む。そして天秤宮に太陽を、そしてその周囲にHely hely alabazatani, consummatum est.と。また別面の周囲にはIhesus Nazarenus rex iudeorumと、その中央にMichael Ioth. Matheus Van.と記す。

たいへん聖なるこの印章は海や大地での悪魔の待ち伏せおよび死からたちまち解放してくれる力能をもつ。これを身に着けるなら平静で慈悲深い叡知を得、誠実に有益な忠言を与えることができる。...

また、これは腹痛を癒し、海の波を鎮め、腎臓の病を治す。...

 

Sigillum Libre quod sit in mense septembris

In nomine domini nostri Ihesu Christi: accipiatur aurum purum et fundatur, postea formetur sigillum rotundum et dum formabitur dicas: “Exurge domine in statera et exaudi vocem meam qua clamavi ad te, miserere mei et exaudi me.” Et dicas psalmum “Dominum illuminatio mea.” Quod cum factum fuerit, reponatur. Et hoc fiat Sole intrante in Libia videlicet XV [ante] Kalendas octobris et postea, luna existente in Capricorno vel in Aquario, sculpatur ab una parte figura hominis tenentis in manu libram ad modum crucis, sole existente in Libra, et in circumferentia sui sit: “Hely Hely alabazatani, consummatum est.” Et ex alia parte in circumferentia “Ihesus Nazarenus rex iudeorum” et in medio “Michael Ioth. Matheus Van.”

Valet istud sigillum sacratissimum contra insidias demonum in mari et in terra et a morte subitanea liberat portantem se. Et qui portet eum erit mansuetus et misericors sapiens et honestus et ad dandum consilia utilis….

Et valet contra impetus ventorum et marium inundationes et contra dolorem renum. …

 



[1] Enoch ; cfr. L.Thorndike, Traditional Medieval Tracts concerning engraved astrological Images, in Melanges Augste Pelzer, Lovain 1947, pp.217-273. esp.221-223.

[2] 「欠ける月の時」

[3] facta de die 「日中に」かも。

[4] Picatrix II.12 (46) Libra. Forma eius est posita super omnes infirmitates stomachi. Et fiat in prima facie a primo gradu usque ad decimum. Et Venus non sit retrograda nec Iupiter in Libra. et Sol sit super terram; et fiat in die Iovis a prima hora usque ad quintam. Fiat ex auro vel argento ad pondus septem granorum mediorum tritici. Sapientes vero Indie non mutabant consuetudinem; imo faciunt in die et hora Solis; et sunt experti quod in die nebuloso non fiat. Et si poteris facere quod Sol percuciat formam, non potest esse melius, sicut scripsit Enoch; et expertum est. Et dicitur quod forma Libre debet esse vir unus ascendens vel incedens recte. et in eius manu tenens balancias rectas. et in eius capite avem mediam albam et mediam nigram. Et scripserunt meridionales quod Luna non sit in diminucione sui luminis. Si fuerit in Libra, sis bene cautus in numero et forma; hoc est expertum. Et qui expertus est invenit eam meliorem in primo gradu; et secundum opinionem eius fuit quod Iupiter erat super terram et fuit facta de die, et fuit melior quia fuit facta sculpendo et non percuciendo.

[5] Libra est signum aureum masculinum cuius figura sit homo habens libram in manibus suis. Et subvenit egritudini matricis, splenis et stomachi, fiat ergo impressio hominis habentis duo manus, tenentis in manibus dextris libram et in sinistram librum e converso. Fiat ex quocumque metallo sole in Libra existente in prima facie ipsius et non sit Venus retrograda et Luna sit in augmento et si sit in Libra erit valde bonum: fiat quoque in die et hora Solis tantum et non aliter percutiendo, vel aliter fiat impressio secundum quod dixit Enoch.

[Ed. Demaitre, Doctor Bernard de Gordon Professor and Practitioner, p.98 n.131; citato Federici Vescovini, Traditio (60) 2005, p.203; id., Medioevo Magico, p.373 n.10]

あらためてスコラ知解認識論を魔術的に読む 5


『ピカトリクス』II.12 (1256年羅西訳完了、これに準じた羅版から)

 

「(39ヘルメス・トリスメギストス『結石のための諸図像(デ・イマジニブス・アド・カルクルム)』で、すべての図像を挙げ、その一々を人のからだの一々の部分に連繋させ、それぞれのしるしのもとにそれらをつくってみせる。純金をもって封印をつくるにあたり、そこに獅子の形象をしるす。太陽が獅子宮の第一あるいは第二相(ファキエス)にあり、東あるいは南の角隅にある時に。月は自らの宿にあってはならず、昇る(アシェンデンテ)主(ドミヌス)は土星(サトゥルヌス)をも火星をも眺めず、それらから遠ざかってもいないように。そしてこの封印を脇あるいは腰[1]に結ぶ。これをこうしておくとその後は決して苦しみを感じない。吾はこれを実証済みである。またある医師がオリーヴや蜜蝋に封印を捺し、これを患者に飲ませてたちまち癒すのをも見た。吾はこの教説にしたがって山羊の血の小塊に封印を捺してみたところ、驚くべき作用(はたらき)があった。これ同様に、諸他の器官の苦痛にも惑星の様相、形相(かたち)、同置(合)に準じて処置を施すことができる[2]

40)白羊宮。これの形相(かたち)は舌なしの直立像である。その特性はあらゆる頭の病患にわたる。太陽が白羊宮の初度(*一度)、三度あるいは五度にある時に生まれた者は、月が満ちる時つまりその光を増すときでなければ、これを利することができない。[3]

形象の諸条件は以下のとおり。土星と火星が真直ぐにあり、木星は宝瓶宮になく、金星は抑圧(*憂鬱)の宿である処女宮になく、水星は金牛宮にない。このような形象を白羊宮の相(ファキエス)の初度から五度までにつくる。決してこれを第二相(ファキエス)でつくってはならない(第二相(ファキエス)は眼に、第三は耳にかかわるものだと言う者もあるので、度数を考慮しなくてはならない)。また太陽あるいは木星が完全に地平の上にある太陽の時間につくる。また他の者は木星の日と時間が善いという。これを中位の小麦粒七つ分の重さの黄金あるいは銀でつくる。これは実証済みである[4]。」

 



[1] renes おそらく「腎臓」と特定してもいいだろうが、からだの外からなので、腰にしておいた。当時この特定器官を指して用いられていたかどうか確証はない。

[2] Picatrix, II.12 (39) Hermes autem Trismegistus dixit in libro De ymaginibus ad calculum ubi posuit ymagines omnes et singulas appropriatas cuilibet membro corporis humani et sub signorum faciebus constructas: recipe aurum purum et fac sigillum, in quo scribas figuram leonis, Sole existente in Leone in prima facie vel secunda et in angulo orientis vel meridie, et Luna non existente in eius domo. et domino ascendentis non aspiciente Saturnum vel Martem aut recedente ab eo. Et hoc sigillum ligetur in lumbari vel circa renes. Expertus sum quod qui tenuerit eum postea numquam passus est. Vidi eciam quendam medicum sigillantem cum sigillo illo olibanum tamquam ceram; et illud sigillatum dabat in potu pacienci. et statim liberabatur. Ego enim feci sigillari trociscos de sanguine hirci secundum doctrinam istam factos. et operabantur miraculose. Hoc idem fit in aliis passionibus membrorum secundum modum et formam et ad equacionem planetarum.

[3] 40 Aries. Forma eius est erecta sine lingua. Et proprietates eius sunt ad omnes infirmitates capitis. Tamen qui natus fuerit Sole existente in primo vel tercio vel quinto gradu Arietis, non prodest ei hec figura nisi fiat in augmento Lune sive eius luminis.

[4] Et he sunt condiciones figure: sint Saturnus et Mars directi. Iupiter non sit in Aquario. et Venus non sit in Virgine quia est domus depressionis. et Mercurius non sit in Tauro; et fiat hec figura a primo gradu Arietis usque ad quintum prime faciei. nec fiat in secunda facie (dicunt enim aliqui quod secunda facies pertinet ad oculos et tercia ad aures, unde debet respici in gradu); et quod Sol vel Iupiter sit ex toto supra terram; et fiat in hora Solis. Dicunt alii quod bonum est in die et hora Iovis. Et fiat ex auro vel argento ad pondus septem granorum tritici mediocris. Et expertum est.

宝の館 4


J. Rusca, Tabula Smaragdina, Heidelberg 1926, pp.61-68.

 

『ハギ・ハリファHaggi Halifa』によれば、ヘルメス・ブダシルの変成術(キミア)の玄義に関する証言が『リサーラト・アル−シール・フィル・キミヤ(変成術の秘鑰)』*ということになる。イクミムで天蓋の中の大理石板の下に屍が見つかった。それは黄金を編み込んだたいへん美しい七枚の衣装を纏い、その編み髪は足元にまで届いていた。この論考は黄金の小板に記されていたもの。見知らぬ文字で書かれたこの板は大きな肩甲骨(肩衣?)のようで、屍の頭の下に置かれていた。当時、カリフ・アル−マムーンはエジプトに居て、聖刻文字に造詣のあるヒムヤリテスHimjariten(!)にこの文字を読ませ説かせた。墓の中にあったのはアムトゥナシヤAmtunasijaヘルメス・ブダシルに送った手紙だった(3)。


3)この両者の名はE.J.ホルムヤードが公刊したKitab al-ilm al-muktasab, s.50および 53にもみられる。ブロシェ前掲書s.52によると、ホルムヤードがアムヌタシヤAmnutasijaと書写しているアンドゥワシヤAnduwasijaはゾシモスによって知られるテオセベイアTheosebeiaのこととされている。ベルグ・シュトラッサー教授がヘジュラ曆1279年(1862年)に公刊した石版小冊s.15-31にはヘルメスに擬された別の錬金術論考群が載せられている。〔インチピットの亞語引用〕。以下、王女マトゥタシヤMatutasijaがアラミスAramis、ホルムヤードs.49 z.8以下の長い引用ではArbisに宛てた手紙がつづく。わたしはRisalat al-sirrにこれを見つけることができないが、ヘルメスとアムヌタシヤの間に交わされたとされる論議は後々、付会加筆を蒙り変容していったものとみえる。

〔*拙ブログ『アルテフィオの秘密の書』参照。ARTEPHII ANTIQVISSIMI PHILOSOPHI de arte occulta, atque lapide philosophorum Liber secretus, Paris 1612.

 

E.ブロシェは幾つかの不可解な名、特に『フィリスト』に挙げられているものの解明を試みている。この試みを完全に信頼する訳ではないが、そこからギリシャ名や不可解な表題名の幾つかを採った。こうした不可解な名辞は隠秘(オカルト)文書中に百近くあらわれる−M. J. De Goejeが監修したDozy訳の『ガーヤト・アル−ハキム(賢者の目的)』断片(671)あるいはこれに類した『石譜』の護符を見れば、それは了解されるだろう−それが今日では不思議な響きをもって伝えられている。

 

(67-1) Nouveaux documents pour l’etude de la religion des Harraniens, Actes du VI. Congres Internat. Des Orientalistes, Deuxieme Partie, Sect.I, 1885, s.297-298, im arabischen Text s.321,

〔*拙ブログ・カテゴリー欄「ピカトリクス抄」中の「十九世紀に発見されたハラン宗教文書」項参照〕

2J. Ruska, Griechische Planetendarstellugen in arab. Steinbuchern, S.-B. Heidelbg. Akad. 1919, 3 Abh., s.29. ヘルメス石譜についてはs.24参照。またヘルメスの書についてはクァズウィニQazwiniの『宇宙論』sv Seastone e Melachitにも記述がある。ただしアリストテレスの石譜にはヘルメスの書に関する言及はない。


この件についてはこれくらいにしておくことにするが、最後にD. クウォルソンのサバ人に関する大著に触れておかない訳にはいかない。なんといってもこの著作において、すでに十世紀、錬金術の密かな教えを記した板がヘルメスの墓で発見された、という伝承の基礎はできあがっていたという証拠が与えられたのだから。アラビア語のヘルメス文書の大半はギリシャ語やコプト語の著作を範型にしたものではなく、十−十一世紀に錬金術が流行するとともに独自のアラビア文書として生まれたものだった。

エジプトのピラミッドや墓室にヘルメスの書を探すことは已んだにせよ、これが諸他の地域に長く遺贈されることとなったことには信憑性があり、これを示すたいへん興味深い写本がベルリン国立図書館に蔵されている。この写本についてはすでにM.シュタインシュナイダーがBeiheften zum Centralblatt fur Bibliothekswesen, Bd. XII, s.90, §45 (69)に報じている。これは『エメラルド板』の文言の変容過程を示す典型例であり、特に一章を充てて論じてみたい。

 


十九世紀に発見されたハラン宗教文書 10


M. J. De Goeje, Memoire posthume de M. Dozy contenant de Nouveaux documents pour l’etude de la religion des Harraniens, Leide 1884. pp.61-86所収仏語訳から

 

サバ人たちはこれ以外にもいろいろ特有の慣習をもっていた。しかしこれについて一々論じていると本書は膨大なものとなり、われわれの主題から離れることとなろう。

このブラフマンの民(85-1)は奇妙な儀礼を行っていた。この民について述べるとこれまた長くなるので、ここでは人の頭についてだけ触れておく。これは星辰崇拝の諸邦で実修されたもので、若者(試練を蒙ることとなる)の頭を供えた(2)。この頭を得るために、彼らは金髪で濃い青に赤の混ざった眼をもち、眉毛が繋がり、豊かな髪の若者を捕えた。あらゆる美食を与えて神殿の一室に導きいれ、着衣を脱がせ、胡麻油で満たした大桶に首まで漬け、体躯は油に浸ったまま頭だけが出るように、この盥の首回りを蓋して融かした鉛で封をした。この生贄に四十日間にわたり一定量の干し無花果を胡麻油に浸したものを与え、その鼻の近くで占星術の燻香と称する香を焚き、魔術定式を唱える。その間、一滴たりとも水を与えてはならない。糞尿は油に混ざり、これをつづけるうちに生贄の体躯の諸関節は緩み、血管は膨張して、体躯は蜜蝋のように柔らかくなる。体躯が蜜蝋のようになったと祭司たちが判ずると、儀礼実修の準備が十分に整ったものとして、祭司たちは集まり、祈禱を唱え、燻香を焚く。そしてその頭を掴んで引くと、頭は脊椎とともに引きずり出され、体躯は油の中に残る。そして体躯を燃やした灰を少々混ぜたオリーヴの灰を敷いた壁がん(櫃)(5)にこの頭を据える。そして選りすぐった綿花を詰め飾る。つづいて頭の近くで燻香を焚くと、(頭は)民の繁栄、商益等々将来の出来事を予言する。その眼はもう光を宿していないが、いまだ視つづけている。民が星辰崇拝の儀礼を疎かにしているなら、その復興を勧告する。それはさまざまなことがらを守護し、また彼らの内心に注がれる(伝えられる)。そればかりか知識や技術に関する問いにも応えてみせる。体躯の方は盥から引き出して、肝臓を取り出し、これを刻むことでそこにあらわれるしるしを占う。また生贄の手の骨(86-1)その他の部分でも同様に占う。彼らは髪を刈り(切りとった頭の?自分たちの?)、この頭の名にかけて飲食断食する。カリフ・アル−ムクタディルの時代、ある官吏が彼らの所業を知り、祭司たちを同道して神殿に入ると頭を発見、これを埋葬した。


 



十九世紀に発見されたハラン宗教文書 9


M. J. De Goeje, Memoire posthume de M. Dozy contenant de Nouveaux documents pour l’etude de la religion des Harraniens, Leide 1884. pp.61-86所収仏語訳から

 

サバ人たちは、土星(サトゥルヌス)への生贄には欠損なく成長した牡牛がよい(2)と言う。その頭の上に角が隠れるくらいの冠をかぶせ、四足獣の中で最も美しいもの、生贄にふさわしいもの、と唱える。この豪華な生贄はヘルメスの教えによってはじまったもので、これは若い娘たちが日の出に刈り集めた草で育てられる。これを育てる場所は秘密にされ、娘たちはそのため別々の道を辿ってやってくる。牡牛には一本でも白毛があってはならない。これの角に渡すように黄金の鎖がかけられており、生贄に捧げるにあたり抵抗することができず、フィジャル(83-1)つまり綱を結ぶ必要がない。牡牛の前で燻香を焚き、ギリシャ語で祈禱を唱える。獣が祭儀の場所に近づいたなら、その角をミクカン(2)の端の小さな円環に繋ぐ。祭司は小刀の一突きでこれを殺し、決して二度突かない。そしてこれの頭を切りとり、アラタ(3)に載せ、その舌、耳、唇、眼のうごきで占う。またミクカンの中の血の色やその上に浮かぶ気泡を調べる。サバ人たちはここから彼らの幸となる吉兆を引き出す。土星の宿(サトゥルナリア(4))は幸運(吉)であり、土星の吉兆がこれ(生贄の牡牛)に遣わされる時、つまりこの生贄祭は太陽が金牛宮に入る時に行われる。

 

(83-1) この語の音綴が正確かどうか不明。Nidjadかもしれない。

(2) Dimachkか。ミクカンMichkanはおそらくアラム語の言葉で、なんらかの特殊用語。

(3) これもアラム語で、「祭壇」の意。

(4) この語を用いることに関して深謝しておく (ドージーの註)


この牡牛はトーラーに出るものであろうか。つまり生贄にされぬようエノンの息子のもとから逃げ出した牡牛。

サバ人たちはまた生贄の顔に葡萄酒と塩を振りまき、目覚めさせ震えさせることでその血が全身を駆け巡るように。

彼らはまた蛇の館をももっていた(5)。これは神殿の類で、誰も入ることを許されてはおらず、誰も入れなかった。そこには井戸が入念に穿たれ、念入りに清められていた。太陽が獅子宮に入る時、頭の調製のところで述べたようなキプロスの金髪の若者を連れてくる(84-1)。彼を美しく着飾らせてそこに入らせる。そして樹木、花、草のある心地よい場所へ連れて行き、葡萄酒を注いで飲ませる。夜になってこの神殿の井戸まで連れて行き、胡麻油に浸らせる。そして乾した赤薔薇の葉を七種の素材つまりカラシ、レンズマメ、ヒヨコマメ、コメ、エンドウマメ、ウチワマメ、小麦のスープに入れて食べさせる。そしてイヤル月(五月)の二十八日に盲目となった若者に失神させる粉末(2)を与える。夜闇に人通りのない小道へと連れ出し、その頭を体躯から切断し、体躯を埋める。その頭をカディの神殿3)へ運び、これを円柱の上に据え置くと、大声を発する(4)。これはサバ人の増減を、幸不幸を予言する。これはブラフマン・ブラフマという名の賢者が彼らに教えたもので、この人はその地の一部の民にブラフマネス(ブラフマンの民)という名を与えることにもなった。

 

(5)この語釈は正解かどうかひょっとすると「天上(楽園)の部屋」とも。こちらの方がいいかもしれない。なんといっても生贄に供される若者はその庭に導きいれられ、泥酔するまで酒を供され、またあらゆる美食で供応するのだから。これはイスマイル派がいずれかの敵を殺害するために送る彼らの殺人者になしたところと同じ。

[*この「蛇」にいわくがありそうな点については、John C. Reeves, A Manichaean ‘Blood-Lebel’?, in Aram, 16, (2004); Id., Talking Heads and Teraphim: A Postbiblical Current in interpreting Gen 31:19 (unpublished)参照。]

(84-1) 序参照。

(2) これは食物とか滋養分とは訳し難い。頭の調製の節によれば、もうその目には光がないがこの頭部は視つづけているもののよう。

(3) ハランの市門の近く。Chwolson Kadi Yaeout (T.II, pag. ??)参照。Juynboll (Lexic. Geogr. V. 565)ではGadha

(4) Chwols. II, 452.参照。


十九世紀に発見されたハラン宗教文書 8


M. J. De Goeje, Memoire posthume de M. Dozy contenant de Nouveaux documents pour l’etude de la religion des Harraniens, Leide 1884. pp.61-86所収仏語訳から

 

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サバ人たち(2)は今もこうした祈禱を諸星辰に向かってなしつづけており、彼らの崇拝儀式には醜悪なところがある。たとえば、幼児供儀はこれが天球に五度昇るか、五度沈んだ時に行われた。これはヘルメス、トリスメギストゥスつまり三倍の賢者―なぜといって彼は王、預言者にして哲学者であったから―と呼ばれた者によって定められたことであるという。

神殿での儀礼にあたって、彼らは白黒の斑になった雄羊を生贄にすることはなかった。それは黒でも盲目でもなく、骨あるいは角が折れていてもならなかった。彼らは生贄の肝臓を精査し、刃傷が見つかると供物を捧げた者に災厄が降りかかると告げた。つづいてこの肝臓を煮て、神殿での儀礼に参集した者たちにその小片を分け与えた。

彼らは火星(マルス)をマラ−サムヤMara-Samya3)と呼んだ。これは「盲目の神」の意で、その矯激な暴力性は怒りを見境なしに発露させるところから盲目と称されたものだという。これは、右手に剣を、左手に松明をもつ姿であらわされ、時として人を切り裂き、時に火を放つことをあらわしている。その暴力を怖れ、彼らはこれを深く崇拝し、太陽がベリエルBelier(白羊宮)に入る時にこれに生贄を捧げた(81-1)。これがそれの星座(しるし)であるから。また天蠍宮に入る時にもこれを行った。

 

(3) En struaqye, ce qui signifie en effet le seigneur aveugle. シリア語で意味は「盲目の主」。

(81-1) C’est-a-dire, a l’equinoxe du primtemps.「春分点」の意。

 

彼らのもとには少年のための試練という慣行もあった。ハランとは別の地に住む同信の者の男の子供は町(ハラン)に入ると密かに彼らの館へ導かれた。

 

 

彼らは男児を香木とギョリュウを焚く暖炉あるいは香炉の上に据え、そこで炎に向かって魔術的な言葉を唱えた。その炎煙が右から燃え上がる場合にはなんらかの病のしるしで、この男児は聖域に入ることを許されなかった。炎煙が正面から舐めてもなんの苦痛も感じない場合には、性倒錯者か放蕩者になる恐れがあるとされた(?)。

この試練を乗りこえ、身体に欠損がないことを証した男児は、暗い別の神殿へと導きいれられる(2)。その目には目隠しがされる。祭司は彼の前に立ち、男児の頭に赤い柳の枝の冠をかぶせる(3)。また履物はそのために生贄に捧げた獣の皮、ラバの皮(女物?)でできたものを履かせる(4)。男児の右足の傍らに炎をあげる甕を、左足の傍らには水を満たした甕を置く。男児の母親は雄鶏を抱えて神殿の扉の前に坐す。そこで祭司は男児を驚かせる光る銅製の器具(82-1)を手に取り、宣誓をさせてから、一年にわたり密かな祈禱(太陽にだけ向けられる)を挙げて信仰にかかわる勤めのすべてを果たすなら、勤めから解放されることになる、と告げられる。そこで男児の母親は雄鶏を奉納すると、祭司は男児のためにこれを生贄に捧げ、その目隠しをとる。男児はこの瞬間、鳥を目にするが、目が眩んでその場に倒れる。その震える身体に母親が覆い布を投じる。

 

2)ここに語られている儀礼は、男児が赤子の時ではなく、語り考えることができるようになってからなされるもの(ドージー註)

(82-1) 本文中の語の意味を正確に理解できない。

 

サバ人たちの信仰を棄てて別の信仰に就いた者も、決して彼らの秘密を明かさない。なぜなら彼らの祭司はそれを発くようなことがあれば即刻死が訪れると説いていたから。

男児が神殿の外に出ると、人差し指と親指に猿と鶏冠のかたちを刻んだ指輪を受ける。



十九世紀に発見されたハラン宗教文書 7


M. J. De Goeje, Memoire posthume de M. Dozy contenant de Nouveaux documents pour l’etude de la religion des Harraniens, Leide 1884. pp.61-86所収仏語訳から

 

火星に祈りを捧げるためには、赤い外套を纏い、同じ色の頭巾を被り、剣その他の武具を可能な限り身につけて、これ(火星)が守護する兵士、盗人、偶像崇拝者の邪悪な身なりをして、指にこれ(火星)にふさわしい銅の指輪を嵌め、同じ金属でできた香炉に以下の処方の燻香を満たす。つまり、月桂樹の実、麝香、アロエ、香葦の緑葉、胡椒を等量とり、これに人血を混ぜつつよくすり潰す。これを棒状にして使用するまで保管する。そしてそれに祈禱を捧げる時、それに向かって堂々と歩みを進め、それが中天にある時にそれの方へ顔を向け、焼香をしつつ次のように唱える。

「熱、乾の卓越した主よ、その血をも怖れぬ勇猛は万人に聞こえ、驚くべき厳格さで諸邦を制圧し、悪を処罰を捕囚を虚言を讒言を破廉恥を好むものよ、気まぐれな殺人者よ、唯一孤高なる兵士、暴力と征服をしか考えぬ自制の利かぬものよ、邪悪をなす者なら弱者であっても強者であっても援け、罪ある者を処罰する汝よ、汝の圏域(天球)の運動とそこに棲む者たちに嘆願する。強力なる復讐者として卓越したものの勝利と処罰に。吾が祈りを聞き届けたまえ。吾が願いをかなえたまえ。吾はあれこれを願上する。某を死から守りたまえ」。

このようにすべて願いを唱える。そして祈りを繰り返しつつ、何度か平伏する。そうすれば汝の願いはかなえられるだろう。

十九世紀に発見されたハラン宗教文書 6


M. J. De Goeje, Memoire posthume de M. Dozy contenant de Nouveaux documents pour l’etude de la religion des Harraniens, Leide 1884. pp.61-86所収仏語訳から

 

(祈禱承前)

「汝のすべての名をもって汝を召喚する。アラビア語でモクタリ、ペルシャ語でビルディス、ローマ語(新ギリシャ語)でホルムス、ギリシャ語(古語)でゼウス、吾が祈りを聞き届けたまえ。吾が招請に耳傾けたまえ。吾が願いのすべてをかなえたまえ。吾は汝のはたらきを届ける(遣いである)天使ロウフィヤエルを通して願上する。また館の高みの唯一の永遠なる主にダルヤス、ハティス、マギス、ダリス、タミス、ファロウス、ダヒダス、アクリドウス、ダマホウス2)を介してその祝福と恩恵とを願う。吾に吾が望みをかなえ、吾が必要を満たしたまえと。吾は平伏し、真率に恭しく祈る。汝の前に敬虔に。吾は汝の純潔の前に跪く。吾は汝の光を愛し、汝を信じる。汝を凝視め(3)、汝の高貴を従順に模倣する。吾が祈りに耳傾け、吾が願いを聞き届けたまえ。吾らを脅威から免れしめ、吾らに汝の高貴と美の一部を授け、汝の高貴、寛大にして至高なる霊の力能により吾らの繁栄と富を授け、民が吾らに好意をもち、吾らの行ないのすべてが愛され、吾らの判断、法を遵守する行ないが尊ばれますように。君公たちの好尚(78-1)、民の恭順(2)が得られますように。吾らの真率が民に伝わり、皆が吾らの意志につづくことになりますように。汝の光に、汝の魂と汝の高貴、寛大にして至高なる霊の力能を介して汝に祈願する。老若を問わず汝が寛大に援けたまうように。慈悲深きものよ、汝の高貴と美によって、汝の高貴なるはたらきと汝をとりまく至高なる創造者の光によって、吾が祈りを聞き届け、吾が魂の煩悶を取り去り、汝の善性と愛によって吾が願いを聞き届けたまうたことの証を与えたまえ。汝の慈悲をもって吾らの悲哀を拭い、吾らに幸いを与え、どのような不幸にも耐えることができるようになしたまえ。慈悲と寛大であるもののもとにある仲裁者を介して汝の報いと汝の寛大を願う。この世の君公たちすべての民が吾が意に従いますように。過去、現在、未来の神たる主の名にかけて祈る。汝の寛大と汝の報いとを。この世の終わりまで永劫にわたりこの世の主が慈悲と祝福を授けたまいますように。かくあれかし、かくあれかし。また神および汝を真率に愛する者たちにも。かくあれかし、かくあれかし」。

 

彼ら(サバ人たち)は、燻香を焚き上述した祈りをなす者はそのこころを木星(ユピテル)に包まれ、一年にわたり人々からあらゆる悪を払い、いかなる困難をも乗り越えることができる。特にこの祈禱を唱える者がこの星辰のもとに生まれた者であるならなによりである。塵(遺骸?頭?)を前にしての悔悛、敬虔、平伏の儀式は祈りをたちまちかなえてくれる。



十九世紀に発見されたハラン宗教文書 5


M. J. De Goeje, Memoire posthume de M. Dozy contenant de Nouveaux documents pour l’etude de la religion des Harraniens, Leide 1884. pp.61-86所収仏語訳から

 

木星に祈禱を捧げようとする時にはキリスト教修道士のような慎ましい身なりの白と黄の衣装を纏う。頭巾も黄色(3)、帯を締め、十字をつける(十字に帯を結ぶ?)。水晶の指輪を付け、白い外套をはおって、香炉を調える。燻香の処方。サンドラク、安息香(ストラクス)、アルカデ(オルカネト)、涼やかな(風をもたらす)十字の(4シャクヤク(ペオニア)、香葦(トウシンクサ、イォン)、松脂、ジネプロの実を等量とり、葡萄酒を加えてすり潰す。これを小さな棒状にして必要に応じて焼香する。そして土星のところで述べたのと同様になし、汝の顔を木星に向けてこう唱える。

「善にして幸なる主よ、熱、湿、中庸、正義、公正、慈悲、信仰の賢明、節度ある権能、寛大、幸運、寛容、至高にして偉大なるものよ。枷を嵌めまた誓いに忠実な者に光輝を賦与するものよ。真の愛にして高貴な性格のものよ。汝に祈る、おお父よ、汝の卓越した寛大なる意志により吾が願いのあれこれをかなえたまえ(1)」。

また別の祈禱と燻香。コストゥス3. 1/2、ミント3. 1/2、香木(インチェンソ)3. 1/2、ケルト・ラベンダー3. 1/2、ミルラ9、茎軸を除いた干葡萄2を、芳香性葡萄酒とともに石(マトボウクmatboukh)の挽臼ですり潰し、祈禱に供するまで保存する。清廉潔白な衣装を纏い、聖なるハニフの書をもって(首から下げて)、上述した燻香を焚き、汝の顔を木星に向けて慎ましく厳粛に以下のように唱える。

「おお、ロウフュアエルRoufiyael2)、木星の上に据えられた天使よ、幸(吉)、完璧、完全、全知、美、真率にして不純と邪悪から離れてあるものよ、すべての名をもって汝を召喚する。。アラビア語でモクタリMochtari、ペルシャ語でビルディスBirdjis、蛮語(3)でホルムスHormuz、ギリシャ語でゼウス、インド語でワハスファトWahasdat4)。高き館(?)の匠に祝福と恩恵を願い、吾にあれこれをなしたまえ」。

こう唱えてそれの前に平伏し、白い子羊を生贄に捧げ、先述したようにこれを燃やし、肝臓を食べる。すると汝の願いはかなえられるだろう。

また別の木星への祈禱。こちらは燻香不要。海の嵐の危険を避けるために用いられたもの。この知識に専念した多くの者たちがこれを語っているが、その中でもアル−ラージは神の知識に関する著作の中で私見を述べた後に、なすべきことについてこう言っている。木星が天にある時に汝の顔をこれに向けて次のように唱える。

「高貴にして美しく、偉大にして寛容な星辰よ、人の生に配慮し、清き人の魂を導くものよ、まさに海波に溺れようとしている者たちの危急にあたり、汝に祈願する。汝の光と霊に、吾らが航行を守り、吾らが旅が無事に果たされますようにと祈る。かくあれかし」。

祈りが聞き届けられたしるしとして、祈禱する者たちに灯された燈火を掲げると、木星の霊があらわれる。

これ(木星)のすべてのはたらき、すべての力能を召喚する大いなる祈禱(74-1)。これに向かい、次のように唱える。

「おお、幸(吉)なる星辰よ、高貴にして威厳に満ちた高位なるものよ、善なる主よ、熱、湿、気、中庸、美、勤勉なるものよ、神学に注がれたその真の愛には真実、確証、幸福を、その善意、信心、正義、公正、慈悲、賢慮、明晰、健常、敬虔、寛大、寛容、才知、高尚をあらわすものよ。汝の命に服させ、高貴を与えるものよ、完璧、完全、善、純粋、清浄なる汝のことば、不純と邪悪から遠く離れ、善き意志からする責務を賦すものよ、荘重、荘厳、聡明、賢慮、明察、夢判断の真実、主の世界への献身と服従、正義と公正をもって統率する業よ、高き名声を享受し、忍耐強く聖なるものを、平安と卓越、高貴、幸運、勝利、統率、権力を守り、王たち貴顕たちを守護し、富を積むことへの欲求を支持し、寛容に善意から喜捨をほどこし、善をなし教養を愛し、住まいを保守するべく人々を援け、契約を守らせ、忠誠を誓わせ、冗談や軽口を、歓びやからかいを、おしゃべりや移り気を、性的交渉を、善への愛と悪への抵抗を、讃えるべきものへの傾斜を、卑しむべきことがらへの慎みをもたらすものよ。おお、寛容と礼儀を利する星辰よ。人の生に配慮するものよ、純潔な人々の魂を守り、海波に溺れる危険に遭遇したものの安全を図り、危難から救うものよ。汝に嘆願する。吾とわが子および吾が一族に汝の光を、汝の魂を、汝の高貴な霊の明晰を注ぎたまえ。天の力能(徳)と結びつき、吾らの現状を支える汝よ、吾らの善(財)を増し、吾らの日々の不安と焦燥を取り去りたまえ。吾らの生が豊かとなり、愉しく繁栄するように。汝の霊の力能により、吾らの体躯が健常を保ち、長寿を得、病や痛苦を免れることができますように。汝の高貴にして美しく最善、尊く誉れ高く崇められる霊の力能により、吾ら地上のすべての民に快美な生を授けたまえ。吾らを損なおうと待ち伏せる獣を退散させ、吾らに汝の愛を与えたまえ。汝の外套で吾らを守りたまえ。阿諛追従をなす者たちを黙させ、吾らを守りたまえ。霊の覆いをもって妬みの視線を閉じ、悪意ある視線を逸らしたまえ。罵詈雑言を黙させ、吾らに悪をはたらこうとする者たちを止め、汝の高貴にして卓越した力能に引き寄せられるよう、彼らの邪悪なる企図を圧服したまえ。彼らの視線とこころに映じる吾らの霊的な魂を彼らが是認するように。吾らの尊重と崇敬の念に彼らも合するように。太陽光線もまた卓越した光ではあるが、吾らは汝の高貴にして卓越した霊の力能(徳)に恩頼する。その力能により神学〔の高き特質〕を保ち、主の世界への献身と服従を誓う。吾らをこうした力能の一部で包み、援け、吾らを正道に就かせ、誉れを授け、吾らの創造者への仲介をなしたまえ。その聖なる名によって吾らの悪弊と諸情動をぬぐい去り、賢慮を与えたまえ。吾らに神的照明を授けたまえ。吾らに純粋な魂と真率な意図(知解)を与えたまえ。その天上の潜在力と霊的力能により吾らに剛毅(力)を授けたまえ。主の王国にある鉱脈中の鉱脈に入る欲求を吾らの魂と知性に与えたまえ。われらが思惟をつかの間の目標から逸らし、恒久なるものへと向かわせたまえ。吾らの大きな罪を贖い、吾らに敵する者たちその徒輩から解放したまえ。吾らに文字通りの意味を知らしめたまえ。吾らを試嘗したまうな〔木星(ユピテル)よ〕、その曖昧な文字、その矛盾した形象によって。また名や音節を変じることによって。そうすれば吾らは汝の高貴にして寛大、至高なる霊の力能によって幸いにも救われるだろう。吾らの性格(呪文?)の汚れを清め、この世のまた彼の世の善(財)を与えたまえ。かくあれかし、かくあれかし。


十九世紀に発見されたハラン宗教文書 4


M. J. De Goeje, Memoire posthume de M. Dozy contenant de Nouveaux documents pour l’etude de la religion des Harraniens, Leide 1884. pp.61-86所収仏語訳から

 

これらの星辰のいずれかに祈禱を捧げるには、以下のようになさねばならない。まず土星から。これに願いを唱えるのに最も適当な時は、これの昂揚にあたる天秤宮にある時、あるいはこれの宮(家)にあたる宝瓶宮にある時(69-1)。つづいて(さもなければ)、これの第二の宮(家)である磨羯宮にある時。ここに挙げた場所のいずれにもない時には、これらと逆位(2)あるいは三角相をなすようにこれが幸運惑星の宮(家)にあるようにするか、東(アセンダント)あるいは中天(南頂)に来るように(3)、それとも順行つまり右へ進んでいるとき、また中天から東(アセンダント)まで災厄惑星の影響を免れているとき(70-1)を選ぶ。なによりもこれが災厄の位置にないように注意する。特に火星と四角相になったり、排除的な(落位(?)の)星座とともにあったりしないように。ともあれ星辰(この惑星)がよい配置にあり、あらゆる災厄的影響を免れ、祈禱を願う顧客の体液気質にうまく馴染むように。しかしこれが災厄諸惑星の影響によって燃やされる時(2)、あるいは逆行時もしくはこれに敵する星座にある時には、怒った人のように、他の者に対してよりも自身の関心に囚われることになる(?)。土星が上述したようなよい条件の場所にあり、これに祈りを捧げる場合、まず黒い装束を纏い、黒い頭巾を被る−これが賢者の慣習である−また天蓋(3)がある場合には、これも黒くする。祈禱を唱える場所へと慎ましく悲痛な面持ちで頭を下げ、ゆっくりと無心で赴く。ユダヤ人の祭式者のような衣装を纏って。指輪も香炉も鉄製で調える。香料の処方は、阿片、安息香、サフラン、オオバコ、カルダモン、香木の外皮(4)、羊毛の脂、コロシントウリの実、黒猫の頭蓋それぞれを等量とり、よく擂り潰して黒山羊の尿とともに混ぜる。これを棒状にして、祈禱時に燻蒸するまで保存する。

汝の顔をそれ(土星)に向け、燻香の煙が立ち昇る間にこう唱える。

「おお、主よ、尊く偉大な権能、至高なる霊の御名であるものよ、おお土星(サトゥルヌス)の主よ、冷、乾、闇、有害なるものよ。真率なる愛、ことばに忠実なるものよ。孤独な主(71-1)、唯一の約定者(2)よ(異解:単独にして至高なる知性よ)、深みよ。その約束は確かならず、他の誰よりも苦しみ悲しみ労苦に困窮させるものよ、喜びも愉しみも果てるところ。すべての姦計を知る老人の狡猾さ、奇瑞をも荒蕪をも、幸をも不幸をももたらす奸策と賢慮と知性よ。第一の(先なる)父よ、汝の大いなる好意を、汝の高貴な諸特性を、われにあれこれをかなえたまえと祈る」。

こう唱えたなら、汝は慎ましく地に平伏し、悔悛の念を込めてこの祈禱詞を何度も繰り返す。そうすれば願いはかなえられるだろう。ただしこれ(土星)に祈りを捧げる日と時には格別の注意を払い、それがこれの日と時であるように配慮する。祈りをかなえるためにはこれが肝要である。

 

4Dioscorid. I, 82 [phroios libanon]


彼らの祈禱と燻香にはまた別に多用されたものがある。燻香の処方は、ササンウッド(アブロトネ)(3)、サビナビャクシン(サビーネ)、松の実、アジュワ’adjwaと呼ばれるナツメヤシ、アスパラガス(4)を等量とり、芳香ある葡萄酒のマトボウクmatboukh5)とともにすり潰す。これで錠剤をつくり、使用に供するまで保存する。汝の顔をそれ(土星)に向け、燻香を焚きつつ次のように唱える。

「神の名にかけて。土星の上に据えられた天使イクビルIchbilの名にかけて。汝、第七天の主に、その冷と凍のすべてに、汝のすべての名によって。アラビア語でゾハル、ペルシャ語でカイワン、ローマ語(近ギリシャ語)でクロノス、ギリシャ語(古語)でオクロノス、インド語でカナカルChanachar72-1)。吾は高き館の主により汝に祈る。吾が願いをかなえ、吾が神への祈りを受け入れ、その命に服したまえと。吾のためあれこれを成し遂げたまえ」。

 

(72-1) サンスクリット語Canaiceara

  

燻香は鉄の香炉で焚く。これの自然本性に則った祈禱を唱え終えたなら、これの前に跪き、上述した詞を繰り返す。創造者(*「これ」とは別の?)を讃えて、汝はこれ(2)に白い斑のない黒い牡牛を生贄に捧げる。つづいてこれの体躯(からだ)を燃やし、その炎の煙を天に昇らせる。土星のはたらきを確かめる(促す?)ためにその血を眺め(保存し?)、その肝臓を食べる。そうすれば願いはな変えられるだろう。

 


十九世紀に発見されたハラン宗教文書 3


M. J. De Goeje, Memoire posthume de M. Dozy contenant de Nouveaux documents pour l’etude de la religion des Harraniens, Leide 1884. pp.61-86所収仏語訳から

 

では、ここで被造物の中にあらわれるさまざまな自然本性について説くことにしよう。

第一にして、最も高く、獣帯の諸星座の天球に最も近いのが土星(サトゥルヌス)である。その力能は冷と乾。その自然本性は陰惨で破壊的。有毒な臭いと胆をつぶすような奸策。それがなにかをなす時には、欺き、恐ろしい恐怖に突き落とす。それは庭や用水の作業、農産、水や棕櫚(オアシス?)、貧困、不和、詐欺、邪で暴力的な悪意の実践、投獄、改竄、重労働、衰弱、遅延、老衰、怠惰、不安、焦燥、苦痛、憤激、頑迷、善良さの欠如、不快、困難、中断、死、欺き、財産、疑惑、長考、噂話、秘匿された晦渋なことがらの知識にかかわる。ここに遅延というのは弱さや屈辱を言うだけではなく、確固とした決意をもあらわしている。これが逆行運動する間は、より低いところにある別の惑星に敵対し、それの力能をも衰弱させる。それゆえこの逆行運動の時になにごとかを願うなら、それがかなうことは困難で、たいへんな重荷となり苦痛を伴うことになるだろうと言われる。それが幸運(惑星の宿)にある時(2)にもたいへん困難を伴う。それが東に昇る時(アセンダント)、それの影響は緩和され(3)鎮められる。

木星(ユピテル)の力能は熱と中位の湿。その自然本性は幸福。高さとしては土星の下にある。これはいのち、生きもののからだ、成長、実在をあらわす。増殖、正義、万物の均衡、厳粛さ、慣習の純粋さ、真正性、聖性、善意、節制、慈悲、神への畏れと賛美、堅忍、慇懃、治世、賢慮、こころの抑制、聖なるものに対する擁護と配慮、慎重さ、平安、誇り、繁栄、勝利、統率、富を積む欲求、遺産、性格の善良さ、喜捨、自由闊達さ、気前の良さ、さまざまなことで人々を援助しようという欲求、文物や住居への愛、寛容さ、契約の厳修、正統性、装飾や規律を冗談を交えて解する趣味、歓び、笑い、おしゃべり、移り気、仲間内での協調性、頻繁な肉体関係、善なることがらに対する愛と悪しきことがらに対する憎悪、秩序の尊重と、譴責されることがらの擁護(等々をあらわしている)。

火星の力能は燃やすような熱と乾にある。その自然本性は陰惨で破壊的。それは最大の損害、破壊、旱魃、無降水、炎、不和、殺人、突然に起こることのすべて、暴君、暴力、悲惨、人殺し、戦争、無秩序、不和、離散、腐敗、惨禍、肉体的刑罰、鞭打ち、牢獄収監、刑苦、奴隷の逃亡、鎮まらぬ心、眩暈、強情、失墜、愚劣、下劣な言葉、喜びの欠如、嘘、悔言、不誠実、流浪の生、戯れの欠如、孤立(66-1)、憤激、怒り、聖なるものに対する侵犯、気まぐれ、自制の欠如、不誠実、破廉恥、邪悪、偽証、邪な行為、善性の欠如、いかさまな仲介、獣姦、姦淫、胎児殺し、堕胎といった冒瀆、詐欺、窃盗、隣人への悪しき行い、過剰な疲労、病苦、無知、邪念、略奪、欺計、壁破り(2)、押し込み強盗、婦女の住居への暴力的侵入等々、一言でいうなら、よからぬ行為のすべてをあらわにする。

太陽の力能は熱と乾。その自然本性には善悪が入り混じっている。損ないまた益をなし、幸をなすかと思えば不幸をもたらす。これはこころ、知性、自覚、勇気、覇気、知ることへの欲求、活力、熱気、卓越、暴力的な行為を抑制する行い、敵対する者への暴政、同盟者に対する正義、近隣者を傷つけたいという欲求、遠い者たちへの親しい気遣い、大きな援助と真に罪深い行為、言辞に対する忠実さ、慈悲、歓喜、忍耐、論争好き、素早い返答、富や名声に対する欲求、協調的尊重、王や君主が統治するための一々の性質や徳能、貴金属の調製、花冠や貴重な調度品の制作、鉱山から金属を抽出する方策、真偽の判断をあらわしている。

金星の力能は冷と湿である。その自然本性は幸運(吉)。清浄、自画自賛、自尊、自慢、冗談、歌舞音曲、衣装、舞踏、縦笛、竪琴、歌の趣味、婚姻、香料、香辛料、作曲、バックギャモンやチェス遊戯、快楽的で軽薄、放恣な生、婦女から愛されたい、信頼されたいという欲望、慇懃、丁寧、鷹揚さ、善良さ、気前の良さ、個性、優美、節制、おおげさな誓い、酒の趣味、よい習慣をあらわす。また同性愛、婦女に対する反自然的な罪に満ちたさまざまな性的なことがら、子供を得たいという欲求、正義と平等への傾向、虚言癖、愛されようとの欲望、慈悲心、冠や花輪への嗜好、大口、性格の弱さ、欲望をかきたてる美しいものからの歓び、染色、金細工、商い、香料。信仰と信心のための隠棲を好むも、完璧な賢慮を阻む情熱の過多をあらわしている。

水星はたいへん変移性(移り気)で、その力能と自然本性は諸他の惑星すべての影響を蒙る。これは知性、発語、洞察力に富んだ言辞、よい教え、文芸談義、上品な言葉遣い、哲学、知識上達、算術的発見、幾何学、天文学、予測予言、吉兆占い、夢判断、占断、雄弁典雅な文書記述、適切な応答、知識理解、賞賛の辞、名声を得たいとの欲望、詩作術、書物や記録資料に関する知識、預言者の啓示の秘密、寛容さ、寛大さ、慈悲心、真率さ、威厳、歓び、富の喪失、商業、交渉、贈答授受、口論、合意、省察、狡猾さ、姦計、詐欺、憎悪、嘘、人の情動を見きわめる慎重な態度、仮託された書物(?)、敵意、敵への怖れ、行為の迅速さ、博識、さまざまな器物の制作術、あらゆることがらにわたる知性、美しく典雅なものすべてを所有したいという欲求、富を積む行為、堅忍、悪を抑制する救済行為をあらわす。

月の力能は冷と湿である。その自然本性は幸福(吉)。これは作業の着手、諸物に対する省察、煩悶、賢慮、雄弁、活力、典雅な恵み、困難知らずの僥倖、気品を与えるすべてのことがらの獲得、善良なる性格、ここちよい交渉、愛らしさ、繊細さ、のびやかさ、真率さ、大食、稀薄な肉体関係、声望への無関心、賞賛への欲求、美の歓び、天上界のことがらに関する知識、秘密の開示、婚姻、教育、家族に対するよいふるまい、愛情と名誉欲、あらゆる状況に応じた姦計、忘却、愚劣さ、賢慮の欠如、嘘をつき悔告する傾向、恨み、幻滅、嫉妬、臆病、横柄さ、屈託、無精、怠惰、失意、浪費、散財をあらわす。

 



十九世紀に発見されたハラン宗教文書 2


M. J. De Goeje, Memoire posthume de M. Dozy contenant de Nouveaux documents pour l’etude de la religion des Harraniens, Leide 1884. pp.61-86所収仏語訳から

 

土星には、高貴なシャイク、領主、王、貴顕、信心深い人、領主、農夫(3)、管財人等々の官吏、役人、農夫、大工、奴隷、泥棒、両親、老いた祖父母等の親族からなにごとかを得るための願いを唱える。また汝が落胆し、黒胆汁過多の場合に。これに以下に述べるその自然本性にみあった願いを唱えるとともに、土星が破壊したところを木星が修復してくれるようにと援けを願う。われわれは時として誤ってある惑星に願いをかけるものゆえ、別(の惑星)に願をかけることで、望みは満たされることとなるから。いずれにせよ、その惑星がかなえることのできることを汝は願うようにこころがける。

木星(ユピテル)にはその自然本性と調和したことがらを願う。つまりこれの(気質の)配当を期待する者たち、学者、司法官、神学者、警吏、陪審役や証人のような付和雷同してはならぬ職責の者たち、正しい道を歩む者、夢解釈者、禁欲に生きる卓れた人、哲学者、王、カリフ、貴族、偉人、大臣、その若き子息たちに関連したことがら。またこれに息災を、商売繁盛を願う。

火星にはその自然本性にかなった願いを唱える。つまり騎士、将校以下兵士に到る軍隊各位、勇敢な者たち、叛逆者たち、住処を破壊し、戦士から楯持ち、牧人、泥棒、山賊、論争好き等々さまざまな暴力をふるう者たちにかかわることを。また下半身の病患、出血、吸玉など、その自然本性にかなった願いを。その繋縛を逃れ、破壊を修復するには金星の援けを願う。

太陽には、王、カリフ、首長等々権威や権力ある者たち、貴族、勇敢な人、偽りの言辞で賞賛を受ける者たちを裁く正義の番人、司法官、神学者、賢慮ある哲学者、著名な学者等々、また両親や年上の兄弟への願いを唱える。つまり金銭、地位、報酬等々の望みを。

金星には、婦女、男女の性的関係、子供、愛人、放蕩者、娼婦、男女の同性愛者、不倫者、弦楽器や管楽器の奏者、歌手、女装者(63-1)、去勢者、男女の奴隷、小児愛者等々にかかわる願いを唱える。あらゆる技芸者、享楽を愛する者にかかわること、妻、母、叔母、年下の姉妹に関することを。愛情にかかわることは火星にも願うと汝の援けとなるだろう。

 

63-1Doziは「両性具有者(ヘルマフロディトゥス)」と記している。


水星には、文書家、算術家、測量士、説教者、雄弁な者たち、学者、賢者、詩人、王の息子、官職に就く者、蒐集家、商人、自由技芸や工芸にかかわる者、口論好き、奴隷、女装した若者、男女の奴隷、年若い兄弟、文書家、画家、彫金師等々にかかわる願いを唱える。

月には、王、副王、王座を継ぐ者たち、収税官、伝信士、飛脚、使者、旅人、巡歴者、人足、農夫、測量士、村長、船乗り、漁師、民衆、魔女、妊婦、母親、祖母、年長の姉妹にかかわることを願う。しかしこの星の自然本性に関係のないことを願ってはならない。



アル−タバーリについて


D. Pingree, Al-Tabariピングレー「アル−タバーリ」

Complete Dictionary of Scientific Biography. 2008.

http://www.encyclopedia.com/doc/1G2-2830904414.html

 

アブー・ハフス・ウマール(762-812)はカスピ海の南、イランのタバリスターン生まれ。古ペルシャ名ファルクハーンを添える。古ペルシャ語(パーラヴィ語)の文書をアラビア語に翻訳したことで有名な初期アッバス朝宮廷のペルシャ学派の学者の一人。彼は最初、ナウバクート、マーシャアッラー、アル−ファザーリといった占星術師たちの一人としてこの舞台に姿を見せる。その一団にはアル−マンスールがバグダッド創建にあたり、吉時を選ぶよう命じ、762730日を選定したナウバクート、マーシャアッラー、アル−ファザーリもいた(1)。彼に関する最後の記録はヘジュラ曆196年のシャッワール月つまり西暦812615日から713日で、この時、彼はプトレマイオスの『アル−アルバアの書K itāb al-arba’a(テトラビブロス)』の訳註書を完成したとある。この日付けからすると、アブ・マシャルの弟子シャダンが『ムドハカラル』(2)で師の言として伝え、これをサーイド・アル−アンダルーシ(3)とイブン・クイフテイ(4)が繰り返しているところ、つまりウマールは宰相アルーファドル・イブン・サール(818年没)にバクダッドに招聘され、アル−マムーンと接見した、は誤っていることになる。アブ・マシャルの別の言及、つまり彼はヤヒヤー・イブン・ハリド・イブン・バルマク(807年没)に仕えた、という記述はおそらく正しい。

ウマールの私生活については、息子が一人いたこと以外にはなにも分かっていない。息子のアバー・バクル・ムハンマドも占星術や天文学についてさまざまな述作をなしている。イブン・アル−ナディーム(6)は残念ながら彼の一覧でしばしばこの父子の著作を混同している。ウマールの諸著に関する以下の表題は、より信頼のおける典拠から知られる現存する文書群のものである。

 

1. プトレマイオス『テトラビブロス』註解(タフシール)は812615日から713日の間に完成している。これの写本はウプサラ大学図書館に蔵されている。Uppsala, Universitetsbibliotheket MS Arab. 203. その序によれば、ウマールは自身でおそらく古ペルシャ語文書から訳出したもの。イブン・アル−ナディームは、彼はアブー・ヤヒヤー・アル−バトリクがおそらくギリシャ語原典から訳した翻訳を用いた、と言っている。どうやら彼はアル−バトリクの要請によって古ペルシャ語版をもとにこのパラフレーズ集を編んだものでもあろう。

2. シドンのドロテウスの占星術的著作註解(タフシール)は五世紀初頭の編纂になる古ペルシャ語に拠ったもの。これについてはYeni Cami 784 およびBerlin or. oct. 2603.二写本が残されている。

3. マサイル・アル−クァイサラニ要約(ムクタサール)(カエサル(?)星図診断要約)全138章。この著作の写本は数多現存する。わたしが実見したのはBerlin Ar. 5878 and 5879,Escorial Ar. 938, and Beirut, Univ. St. Joseph Ar. 215. クァイサラニという称の由来は不詳。九世紀後半のジュルジャーンやアシュタラバードの宮廷で活躍したアブー・ユースフ・ヤクブ・イブン・ハリ・アル−クァスラニの『大全』とは関係がない。どうやらこの要約(ムクタサール)はアレクサンドリアに写本Alexandria, MS Ḥurū 12がある『アル−イクティヤラルの書Kitāb al-ikhtiyārār』(『選択の書』) と同一のようである。

4. 『フィル−マワリードの書Kitāb fi’l-mawālīd 』(『誕生星図占いの書』)は誕生日占いの小論でアラビア語版の一写本 (Nuru Osmaniye 2951, ff. 162v–172) が見つかっているだけである。おそらくこれはヨハンネス・ヒスパレンシスが羅訳した三巻本De nativitatibus secundum Omarと同一であろう(これは1217年、あらためてヘブル人アバウメットの息子の援けを借りてサロモンが訳しているものか?)。F. J. Carmody, Arabic Astronomical and Astrological Sciences in Latin Translation (Berkeley-Los Angeies, 1956), 38–39 (Carmody版のDe iudiciis astrorumは明らかにアル−ファルガーal-Farghānīの著作であり、Laurentius Beham de ascensione termini Haomardoesも必ずしもウマール・イブン・アル−ファルクハーンと関連はない)。わたしはNicolaus Pruckner, Iulii Firmici Materni . . . Libri VIII (Basel, 1551), pt. 2, pp. 118–141.を参照した。ウマールの典拠はプトレマイオス、ドロテウス、マーシャアッラーといったところか。

5. 『アル−イラルの書Kitāb al-‘ilal』。この著作はアル−ビールーニーの太陽均分法(方程式?)に関する書(Rasā‘nĩ al-Bĩrūnĩ [Hyderabad, 1948], pt. I, p. 132)の中の引用によってのみ知られるもの。ここで彼は太陽均分法における正弦をもちいた近似法*を提示している。どうやらアル−ビールーニーは、ここでウマールの天文学の過誤について論じようとしているようにみえる。彼の文献一覧(D. J. Boilot, “L’oeuvre d’al-Beruni: essai bibliographique,” in Melanges de l’Institut Dominicain d’Etudes Orientales, 2 [1995], 161–256)62Fi’l–fahs ‘an nawā abĩ Hafs ‘Umar ibn al-Farrukhān 『アブー・ハフス・ウマール・イブン・アル−ファルクハンの不可解な諸論について』は240葉にのぼる大冊だったという。

 

*これについてはE. S. Kennedy and A. Muruwwa, “Bĩrūnĩ on the Solar Equation,” in Journal of Near Eastern Studies, 17 (1958), 112–121, esp. 118–119.参照。

十九世紀に発見されたハラン宗教文書 1


M. J. De Goeje, Memoire posthume de M. Dozy contenant de Nouveaux documents pour l’etude de la religion des Harraniens, Leide 1884. pp.61-86所収仏語訳から

 

以下は一九世紀末、ドージーが発見した文書。

(これについてては『ピカトリクス』第三書第七章をも参照されたい)

 

***

 

「占星術師タバーリ(61-1)はサバ人たちが諸惑星の力能を自らに引き寄せる手法を報じている。わたしはこのはなしをサバ人の指導者たち神殿の侍者たちの口から直接聞いた。彼らが言ったところを報じよう、と彼は言う。

ある惑星に祈禱を唱え、なにごとかを願おうと思うなら、まず汝の魂を至高なる神への想いで満たし、汝のこころから邪な考えを追い払い、汝の衣装を清める。七つの惑星に願いを向けるにあたり、汝のこころがその気質(カラクテル、呪文?)と調和しておらねばならない。それの衣装を纏い、それの燻香を燻し、それの祈禱を唱えることで、その天球の場所に到達するなら、それは開示される(聞き届けられる)。これによって汝の願いは実現し、願いがかなえられるだろう。

 

61-1)おそらくオマール・イブン・ハフス・イブン・アル−ファロクハンのこと。アブ。ベール・モハンマドの息子カリフ・マムーンの時代の人。Steinschneider in Z. D. M. G. XVIII, 179以下参照。



表題がないゆえに忘れられていること。十九世紀のハラン宗教文書研究 5


M. J. De Goeje, Memoire posthume de M. Dozy contenant de Nouveaux documents pour l’etude de la religion des Harraniens, Leide 1884.

 

『ガーヤ』によれば、木星(ユピテル)の神性を召喚しつつ、信徒たちは『ハニフの書Hanifに書かれている通りになしたという。この一節は『フィリスト』の一節(22, Chwolson II, 21)、つまりその『アル・ハテイフィal-Hatifiの書』という意味不明の書名を訂正するのに役立つかもしれない。ハニフという名はシリアの異教徒たちに対するキリスト教徒たちの侮蔑の言葉だが、これ以外にもハランの民はさまざまな言葉をとり入れることで、聖なる父たち(教父たち?)の信仰に等しいものとなった(偽装した)。高名なタービト・ベン・クッラは言明している。「われわれはハンフォウトの衣鉢を継ぐ者である。つまり往昔たいへん地上に広まった真の宗教のこと。この信心を強くもちつづけることで、このハンフォウトの聖性に与るがよい」と(Chwolson I. 178)。『ハニフの書』はハランの民の聖なる書であり、『フィリスト』の一節にある[…]あるいは[…]もこう読まれるべきものにみえる。『フィリスト』では同書について別の箇所(1)でも語られているが、ここではハランの民の書とサバ人の真の教義について著した他の書とが混同されている。ハニフという名称は太陽の神性に捧げられる燻香の調合法を意味して用いられており、これは「偉大なハニフの燻香」と呼ばれている。

一々の惑星はそれぞれの神性あるいは守護天使の住まいである、というのがハランの民の教義であったことが分かっている(Chwolson II, 406, 610, 703 e segg.参照)。人の中で魂がからだを統べているように。これらの神性はそれぞれの住まいである星の名をもって呼ばれたが、『ガーヤ』に記載されたハランの民の祈禱定式には、太陽を別にして、その他にも特別な名が残されている。土星の天使の名はイクビルIchbil、木星のそれはロウファエルRoufael、火星のそれはロウバエルRoubael、金星のそれはベタエルBetael、水星のそれはハルキルHarkil、月のそれはサルバエルSalbael。これらの名は謎に包まれている(16-2)。わたしはロウフエルとハルキルという名を別の箇所にも見つけたので、少々想像をたくましくしてみよう。『ガーヤ』の最終章には諸惑星を召喚する祈禱が載せられている。そこでヒンドゥー語とされているものは、ハランの民のものとされる呼称とほぼ同一である。この祈禱詞には同じ名称が含まれており、諸写本を対照してみた。太陽の天使はライデンの二写本では[…]と呼ばれており、オクスフォード写本では[…]と呼ばれている(17-1)。

 

(16-2) ノエルデケ氏はこれを改めて検証してくれた。わたしが挙げたelでおわる天使と悪鬼の名の一覧に加え、エチオピアのマンダ教に由来する別系統があるが、こうした惑星名は見つからない。

  

しかしこれらの天使の名に加え、一々の惑星の霊は魔術的なさまざまな名をもっている。木星は"Daryas, Hatis, maghis, Daris, setacci, Farous, Dahidas, Akridous, Damahous"と呼ばれ、火星は"Daghidious, Haghidis, Ghidious, Maghras, Ardaghous, Hidghidous, Mahandas, Dahidmas"と呼ばれる。わたしはこれらの名を諸写本で対照してみたが、これを説明づけることはできず、なんらかの説明が可能かどうかも分からない。これらの語彙がギリシャ語やラテン語に由来するものかどうか、実際『ガーヤ』の著者は魔術的な要素(元素)や惑星の名を載せたアリストテレスの『アル-イスタマティス』と題される書の一章を引いている。この書はアレクサンドロスへの手紙のかたちをとっており、わたしはこれがアリストテレスの『天界論peri Kosmon』に発する著作であろうと考える。ハージ・カリファ(V,41)はこの書の表題を挙げており、どうやらこのアラビア語訳書はボードリアン図書館(Marsh 556 (2), Catal. Uri I, p.126 n.DXV)[……]に相当するようである。この表題は[… …]の転訛のようである。これと同じ転訛は『ガーヤ』写本Aにも、オクスフォード写本Bにも二度認められるものだから。フリューゲルFluegel (Fihrist II, 189)もまた同じ見解である。ライデンにはこれまたアリストテレスに帰される小論考[… …]つまり『占星術的魔術的論考書簡』があり、これまたアレクサンドロスに宛てられている。これらの不思議な名にみられるある種の文字の組み合わせが特定の性質をあらわすものであることを観てみるため、この論考を参照することにしよう。また人によっては、或る名にはある意味があるものと考えたがるもの。たとえば土星は「首(第一のもの)」である。おそらくハランは偽アリストテレス文書群、隠秘学書の類を編著した中心地であった(18-1)。『フィリスト』(11,12)によると、これら諸著の著者はヘルメスであり、ハランの民にその宗教的信仰の秘密を伝えたものとされるメルクリウスの性格は重要で、『ガーヤ』の著者も「この類の諸著」を引いている。この書の定式によれば、木星の魔術的な名として慣用されるものは、ダリュアスは上方、ハティスは下方、マギスが右方、ダリスが左方、タミスが前方、ファロウスが後方で、ダヒダスがこの惑星の天球における運動の霊の名、ダマホウスがこれらすべてを総合し、この星の神性のためにはたらくものの名である。アクリドウスという名についてその意味は明示されていない。火星の神性の魔術的な名はダギディオウス、この惑星の運動の霊の名はダヒディマス。その他の名は木星の名同様に説明づけられており、ただマハンダスという名についてだけは説明がない。ハランの民の祈禱定式におけるその他の惑星の名は『ガーヤ』には引かれていない。

 

18-1Chwolson I.714以下参照。その他『ガーヤ』に引かれている諸著の名に[… ][…]があり、これらは『フィリスト』にもしばしば引かれる名である。著者にはまたマッタ・イブン・ユウノスやフナイン・イブン・イシャクが訳出した真正アリストテレスの書に関する知見もある。


諸星辰を召喚する供犠執行者たちは、そうした名をさまざまな土地に運ぶこととなった。おそらく最も親炙する神性の名を忘失することがないようにとの配慮でもあったのだろう。アラビア名ばかりでなく、彼らはペルシャ名、ギリシャ名、ローマ名、インド名まで。ただしローマ名として引かれるラテン名はほぼギリシャ名の転用であり、一つだけペルシャ名(ホルムス)に由来するものがある。インド名の識別は容易い。ただし太陽に関するものにはサンスクリットの原型が見出されず、どうやらエジプトのホルスがギリシャ化されたものに由来するもののようにみえる。

ここで重要なのは、これらハランの民の惑星名にバール(ベル)、ベルティ、シン、ナブといった名がまったくあらわれないこと。これだけで、彼らの祈禱定式がハランで用いられたものの逐字的翻訳でないことがわかる。実際、アラビアの著者は読者を想定して素材文書に手を加えている。つまり富裕で上品なバグダットの人々のために。一方、儀礼の実修については、秘密の教義その他さまざまな迷信に到るまで遍く拾っている。ただし、著者自身が惑星の神性の力能に信頼を置いていることに間違いはなく、この祈禱定式の基本形が真正なものであることに間違いはない。

ドージーが発見した断片群の重要さについてはこれでお分かり頂けたことと思う。これらはクウォルソンがサバ人たちに関する著作の中で提起したハランの宗教および信仰崇拝に関する難儀な問いを明かす援けとなるに違いない。それはまた隠秘な知識に関する解読作業に新たな光をもたらすこととなるかもしれない。

 


表題がないゆえに忘れられていること。十九世紀のハラン宗教文書研究 4


M. J. De Goeje, Memoire posthume de M. Dozy contenant de Nouveaux documents pour l’etude de la religion des Harraniens, Leide 1884.

 

ハランの民の最大の祭儀であるカルカカンディCalcachandi (Chwolson II, 525, comp.175 e 500)は、太陽が白羊宮に入る日つまり春分の日に催されたことが分かっている。断片群によれば、この祭日に祝われる神性は火星であったという。これは最大の災厄をもたらす力能をもつもので、その好意をかちとろうとしたものである。これはその怒りをなりふり構わずにぶちまけるもので、盲目の神(**Rabb al-‘Umyan呼ばれる。この一節の精確さは『フィリスト』の「...亞語(al’-Umyan)」という語からも証される(13-1)。クウォルソン(II, 188)はこれを[…]つまり「炎熱道」の誤写と見做している(2)が、これはかえって誤りだろう。断片群にはシリア語名「Moro Samyo」***が保存されている。この神性の召喚にあたり燻蒸される焼香は、『ガーヤ』によると、唯一、人の血を用いるものとされている。『ガーヤ』の著者の言明を信じるなら、当時、つまりアル−マムーンの時代、まだその祭儀における召喚でこれが実修されていたことになるが、クウォルソンも言うように初期イスラム時代に今だ人身御供が行われていたと信じることは難しい。この一節の著者は火星の燻香に人の血が必要であるという記載の典拠を明かしていない。ただ、幾つかの儀式において厳粛に幼児を生贄にする、と語っている(3)

 

      Dayr Kadhiでの祭儀か。cfr. Tamara M. Green, The city of the Moon God, Leiden 1992, p.155

*** Mara-Samya, in T. M. Green p.155

(13-1) Edit. De Fluegel […] (Chwolson II, 24, 39)

(2) […] Chwols. II, 24, l.2

(3) Firist (Chwol. II, p.28ss.). Berouni参照。

 

口をきく人の頭の恐ろしくも不可思議なはなしもまたこの断片註で詳細に語られているが、その概括は『フィリスト』(Chwolson II, 20ss)や、ディマクルDimackl (ed. Mehren, Chwolson II 388ss.)のものと符合している。ヤコブ派総主教ディオニシウス一世は、765年に人身御供に遭う筈であったある男が、彼に先立って血を流すこととなった者の頭をまのあたりに、自分を襲った危難からなんとか逃げ出し、その祭司たちをメソポタミアのハラン総督であったアッバスに告発した。この人はカリフ・アル−マンスールの兄弟で、この件を厳重に処罰した(Chwolson II, 131)。マムーンはハランの民の代表者830人の前で言った。「汝らこそ吾が父ラシュドを巻きこんだ(口をきく)頭の民であろう」(Firhrist, Chwolson II, 15)と。また、『ガーヤ』によれば、カリフ・アル−ムクタディルの時代、ある寺に入ると、不意に頭が見つかり、これを埋めた、という。これら三つのものがたりは同じ事件を語ったものであるのか、三つの別の事件であったのか。わたしには後者であるように思われる。総主教が語るところは、この年代記が775年までを扱ったものであるところからしても、それ以降のことではない(Chwolson I, 464 以下参照)。マムーンは彼の父の時代に起こったことと、それより以前アル−マンスールの時代に起こったことの二つを混同している、というクウォルソンの所見(II. 132)は受け入れがたい。ラシュドの時代の大きな災厄の帰結を受けて、このカリフの時代にハランの民は災難のための備蓄をはじめた(Fihrist, 27, Chwolson II, 17, comp.I, 466)。ムクタディルの時代に起こったことについて断片群の著者が語ることの真正性を疑う理由はない。買収はどこにもあり、まず皆金品を求めるものだった。ハランの民は、公にはサバ人への寛容を享受したことになっているが、サバ人の祭儀が啓示宗教群(一神教群)の諸原理と相容れるものではなかったことも確かである。彼らが迫害を蒙らぬためには金品を捻出せねばならなかった。災難のための備蓄とは総督たちの歓心を買うための方策であった。

ムスリム教徒の役人たちによる寺での頭の発見はなにも本物の人の頭であった訳ではなく、マソンディがその構造について述べている(ed. Barbier de Meynard IV, 63, Chwolson II, 370)音声あるいは言葉を発するように設えた模造品であったのだろう。クウォルソンもまたこれの蓋然性を論じており(II, 152 ss.)「頭の準備調整」という表現はすでに錬金術師の特殊用語(15-1)となっていたことも分かっている。実際、人の供犠が行われた痕跡が発見されるようなことがあったなら、ハランの民は大枚を払うくらいでは済まなかっただろう。

 

15-1Fihrist 1, Fluegel II, 191の註参照。

 

クウォルソンが公刊した文書によれば、ハランの民は息子たちを寺の地下に連れて行き、祭司たちがさまざまな方策を講じて恐怖で慄かせ、そのこころを支配して服従を誓わせたという。以下の断片群の著者もまたこれについて述べているようにみえる。そして、ハラン(の外から連れてこられた)子供たちもまたこの特別な試練を受けたことを付言している。子供たちはギョリュウ(タマリス)の燻香の上に運ばれる。炎が子供たちを前から後から舐めると、そこ(燻香)から降ろされ、聖域に入ることは許されない。そうならなかった者たちは入信儀礼を済ませ、儀式に与る者として他の子供たちとともに、寺へ導かれる。儀式に与る者たちは親指と人差し指に、あるしるし(形象)と羽根(ヤツガシラ?)を刻んだ指輪を受ける。『フィリスト』にはこの指輪のことも記されている(24, Chwolson II, 21 141)

 



表題がないゆえに忘れられていること。十九世紀のハラン宗教文書研究 3


M. J. De Goeje, Memoire posthume de M. Dozy contenant de Nouveaux documents pour l’etude de la religion des Harraniens, Leide 1884.

 

「ヘジュラ曆215年(3)(西暦830年)、ハランの民はサバ人という名を採用した。カリフ・アル−マムーンは215年にビザンツ遠征のためメソポタミアを縦断し、ハランの地を通過した。その折、住民たちの代表が彼を表敬訪問している。彼らの装束をまのあたりにして、彼らがムスリム教徒であるのか、と問うと、彼らは否定する。あらためて「キリスト教徒か」と問う−「いいえ」−「ではマギか」−「いいえ」−「聖なる書をもつか、預言者がいるか」−問われた者たちは満足できる答えをしなかった。そこでカリフは言った。「ふむ、吾が帰還する時にイスラムに戻るか、聖なる書をもつ信仰のいずれかを選んでおらぬなら、汝らは一人残さず殲滅されるであろう」と−この言葉はハランの民を不安と絶望に陥れた。二世紀に渡り宗教的迫害を免れてきたのだが、いまや、この小さな賜も失われたように思われた。彼らの多くはムスリム信仰を宣言し、他の者たちはキリスト教徒となった。そんな折、ムスリムの調停者の一人がハランの障害をとり除いてみせた。彼は皆に言った。「サバ人たちの教義はほとんど知られていない。この徒党はコーランが賦与する恩恵に与るものであると言えよう(言うことにしよう)」。そこで彼の忠言が受け入れられた。マムーンはハランを改めることはできなかった(ハランには戻ってこなかった)が、この時以降、この町の古の崇拝を守る者たち、この町出身の者たちは皆、サバ人の名を採用した。たとえ彼らの信心が真のサバ人たちとは異なるものであったにせよ。

クウォルソンは、ハランの民の宗教的実修がじつのところ古代シリア人の儀礼で、ギリシャ人たちとの接触によってその外見が変じたものであった、と論じている。ハランの民の宗教の研究は完全に闇に葬られた宗教史の一頁を明らめるものとしてたいへん興味深い。亡くなったドージーが発見した断片群はこの研究にとってたいへん重要なもので、その真正性に疑問の余地はない。そこには新たな知見がいろいろと記されている。それはおおむね諸他の典拠群から知られるところに符合しており、著者が事情に精通していたことを窺わせる。これらの断片群の再検討を一瞥して浮かび上がる興味深い帰結の一つは、アヴィセンナ、イブン・ハズム、シャフラスターニその他の碩学たちがハランの民の信仰を一神教の一つとしたことに道理があったように見えるところだろう。実際、この文書を検討してみると、天界の諸星辰(コルプス)とはつまり世界を統率するものであり、人がその祈りを向ける諸神性であるが、その諸権能はそれを賦与した至高存在に由来するものであり、彼らは神と人の媒介者たち、彼らに援けを祈る者たちを神のもとで調停する者たちである。いずれにしてもこの教義がハランの民のものであったという確証があるわけではない。クウォルソンは、これをある自然学(哲学)学派によって案出されたものであったか、そうした者たちの著作の知見をムスリムの学者たちが学んだものであったと考えている。ノエルデケも同様の見解で、彼はわたしに「ハランの一神教というのは真正なものとは言えません。これはキリスト教およびギリシャ哲学の影響と見た方がいいでしょう。ハランの賢者たちが同信の者たちに得心させたこの手のパロディーはムスリム教徒たちを刺激しないための算段だったのでしょう」と、その所見を伝えてくれた。

ある星辰の神性の好尚を得るためには適切な時を選び、適切な供物を捧げねばならない。天の星辰(コルプス)の軌道、一々の星辰が地上にまた人々にもたらす特別な影響、ある星辰が他の星辰のはたらきによって蒙る要件の変化に関する深い知識なしに最良の(第一の)条件を満たすことはできない。こうした実体(スブスタンチア)の諸特性および、これらと他の諸星辰の特性との関係性に関する深い知見をもつなら、適切な供物を捧げることができる。占星術と魔術は星辰崇拝の本質であり、中世の隠秘学的探求もまた、ムスリムやキリスト教の見かけを纏ってはいるが、こうしたバビロンの異教的伝統の継続であった。この断片群はハランの民がこの知識に関してなしとげた進捗を証している。

ハランの民は、彼らの信仰実修における祈禱をヘルメスから伝承されたものだと言い、彼を啓示者であるという。サイスによれば(L'astronomia e astrologia dei Babilonians negli Atti della Soc. Di Bibl. Archeologia III, 168)、メルクリウスはバビロニアの小板に「ハランの民の君主」という称でしるされている。『ガーヤ』の諸星辰の特性にかかわる章(III-7)では、サバ人つまりハランの民の信仰はメルクリウスに属するものであると記されている。


表題がないゆえに忘れられていること。十九世紀のハラン宗教文書研究 2


M. J. De Goeje, Memoire posthume de M. Dozy contenant de Nouveaux documents pour l’etude de la religion des Harraniens, Leide 1884.

 

「パリ写本n.1078 Supp.ar.同様、この写本の序によれば、書写者はヘジュラ曆439年から442年の間に、この書にさまざまな題材を纏めたと語っている。この年記は339年あるいは342年ではなく、書写者が生きたのはマスラマのようにウマイヤ朝カリフのもとにではなく、所謂フィトナfitna時代、つまりアンダルシアで謂うところのカリフ制崩壊後、スペインが分断され君主たちが乱立した時代のことだった。その一節。「...亞語引用」。そればかりか、サン・ペテルブルク写本には、著者の没年の記載が認められる。「...亞語引用」。ここには明らかに「469年没」とあり、著者の友か弟子の一人の註記であろうが、おそらく書写生の錯誤だろう。いずれにせよ正確な年記および著者名を見出せるかもしれないという希望はここに絶たれる。イブン・アビ・ウサイバも、『ルトバ』の著者に比定され得る469年に没したという人の名を挙げている訳ではない(8-1)。

 

(8-1) 『ルトバ』著作の時代としてわたしが挙げた年代はある書冊の一節、著者がジャービル・イブン・ハイヤンに捧げた頌詞と矛盾するものであるかもしれない。つまりそこに彼は、「わたしと彼の間には百五十年の時が流れたが、わたしは彼の弟子となった」と記しており、ジャービルは二世紀の半ばから末に活躍した人だった(Catal. Leiden, III, p.197)。180150を加えると330年となる。しかし本文中で述べたところと較べてみるに、この帰結はあまりにも奇妙であり、著者はジャービルが生きた時代についてなにか誤信していると考えざるを得ない〔『ガーヤ』にも同じような内容の一節があるが、そこでは著者とジャービルを隔てる期間についてはなにも語られていない(8...亞語引用)。『ルトバ』中の一節は150でなく350と読まれるべきかもしれない。いずれパリ写本(Fondo 973 (1), Supplem.ar.1078)には〔469年に没した〕という語がないことは、わたしのためにグヤール氏が確かめてくださった〕。

 

 

著者自身、マスラマ(マドリードの)とも何とも記しておらず、その名と住まいを秘匿しようとしている。彼の別の雑纂にある言明。(...亞語引用)。どうやら当時、自然学者(哲学者)は不信者とみなされていたので、捕らえられ、牢に繋がれて殺されるかもしれないという怖れから、彼は慎重に対処しているようである。

いずれ著者は不詳。おそらく(ジャービルの)友ではなく、より後代の者であった。彼について分かっているのは、これら二著作以外に上述の雑纂があり、抄録にみる通りそこでも『ルトバ』についてはなにも語られていない。『ガーヤ』にはこれら論考群[…][…….]、『ルトバ』の名が引かれており、そこにはスーフィの教義が開陳されている。またアラビア哲学史の著者名、[…][…….]もあるが、[……]の表題のもと、単に名を列挙しているのみである(『ガーヤ』)。

先に、魔術書の数々にはしばしば有用な知見が盛られている、と記したが、『ガーヤ』(上述したように443年から448年の間に著された)はハランのサバ人たちの信仰、儀礼を伝える長い一節を載せている。そこには他にも、歴史資料として最古層を垣間見せる幾つか貴重な知見が見つかる。

クウォルソン氏が1856年に公刊されたサバ人とその教えに関する卓越した書(9-1)は、闇に包まれたこの主題の大部分を明らかにされた(2)。

 

9-1Chwolson, Die Ssabier und der Ssabismus, St.Petersbourg, 2voll.

2)以下の引用に関しては親しい友ノルデクNoldeke氏の示唆を受けて加筆をしている。

 

現在サバ人の名のもとに知られる者たちとは、コーランにおいてまた伝統的にカリフ・マムーンの時代のかなり異教的な要素を取り込んだキリスト教の一派であるヘルケサイ派Elkesaitesを意味している。彼らはバビロニアに居した者たちで、マンダ教あるいは誤って聖ヨハネ派キリスト教徒と称される者たちとよく似た信仰をもっていた。現在も僅かにその名の一派が存するが、クウォルソン(I, p.100-138)が説くようにその信仰形態は過去の者たちと同一ではない。彼らの名「サバ」はおそらくアラム語Tz-b-aの方言形Tz-b-tzに由来するもので、これは「水浴し、清める」(10-1)という意味であろう。同じく「洗い清める者たち」を意味するアラビア語の[ … ]、またその類語によって彼らの「清め払い(エメロバプティスタイ)」の実修が名指されている。ムハンマドは彼らについては漠然と知っていただけであったようにみえる。コーランにも、おそらく彼らの聖なる書のおかげで同様にキリスト教徒と記され、寛容に扱われている(2)。


10-1Chw. I, 806Fleischer註参照

2Dozyによる備忘録はここまで。


表題がないゆえに忘れられていること。十九世紀のハラン宗教文書研究 1


 

(*De Goejeが十九世紀末に記した以下の短い序には、ここまで観てきたトーキングヘッズからピカトリクス亞版をめぐるさまざまな想いが記されています。亞語で綴られた部分については埋めきれませんでしたが、一世紀以上を隔て、現行研究がそれほど変容していないことを確かめつつ...かえって以下の文書がオンラインで探せてしまう現状...

D. Chwolsohn, Die Ssabier und der Ssabismus, St.Petersburg 1856

Gustav Fluegel, Kitab al-Fihrist, 2voll., Leipzig 1872

を受けての、

M. J. De Goeje, Memoire posthume de M. Dozy contenant de Nouveaux documents pour l’etude de la religion des Harraniens, Leide 1884.

『ルトバ』については、そのうちあらためてパオラ・カルーシの論考をとり上げてみたい。)

 

***

 

M. J. De Goeje, Memoire posthume de M. Dozy contenant de Nouveaux documents pour l’etude de la religion des Harraniens, Leide 1884.

 

「時に有益で興味深い知見を含むアラビアの隠秘学的な諸著には概して偽書名が付されている。これは明らかにこの手の知識にかかわる法的な断罪をすり抜けるためであり(1)、石撃ちの刑に処されたり民からの処断に遭ったりする危難を免れるための算段であり、これらの書冊は古の有名な学者たちの名を纏わされて公刊されることとなった。またこうした書冊に関心を寄せた書写生たちは著者名なしで書写を仕上げた。

これはスペインで著された魔術と錬金術の二冊の書物、『ルトバ・アル−ハキム』と『ガーヤ・アル−ハキム』の場合にもあてはまる。通常これらは頽廃期の写本とされ、たとえばイブン・ハルドゥーン(5-1)はその著者をマスラマ・アル−マジュリティ(マドリードの)に帰している。伝記作者たちはこの人をヘジュラ曆四世紀のスペイン最初の算術家と呼び、これは西欧の東洋学者たちに受け入れられてきたものではあるが、これが間違いであることを証するのはさほど困難なことではない。すでにM.ド・スレイン(2)が、マスラマの伝記作者たちはその著作を列挙しているが『ルトバ』も『ガーヤ』も挙げていない、と指摘している。それにこの両書の著者が著したと言っているかなりの量の著作群についても伝記作者たちはなにも語っていないし、年代から見ても別のマスラマに帰されるべきものであろう。幾つかの写本の序からすると、著者は『ルトバ』編纂を339年にはじめ、342年に完成。一方、『ガーヤ』は343年から348年の間に著されたものとみえる。M.ド・スレインは、イブン・アビ−ウサイバがマスラマの死を398年としているところに準じ、この年記を認めている。この著者はライデンの便覧に載る『ガーヤ』に関連して(6-1)、懸案の両書の著者がそれから半世紀も生きたとも思えない(2)、と賢明な所見を述べている。マスラマの死を353年とするカシーリ(I, p.379 a)の記載からしてもこれは首肯される。ただ、カシーリは別の箇所(II, p.147 b)でこれをイブン・バクコワル同様に395年とし、矛盾した記述をしている。カシーリの論考からすると、このマスラマの伝記作者とM.コデラの写本書写は信頼できそうである。エスコリアル写本にはこう記載されている。「亞語引用......」(3)。
 

(5-1) Ibn-Khaldoun, Proleg. III, p.135, ed.IVe

(2) M. de Slane, Prolegomenes d’Ibn-Khaldoun, t.III, p.174, note

http://classiques.uqac.ca/classiques/Ibn_Khaldoun/Prolegomenes_t3/ibn_pro_III.pdf

(6-1) P.III, p.169, note

(2) t.V, p.247.

 

上述したように、イブン・バクコワルは395年から397年の曖昧さを残すものの、353年は論外としている。この最後の年記(353年)は、彼の伝記作者たちが証しているようにカシーリの数多の過誤のうちの一つに過ぎず、マスラマは(ヘジュラ曆)四世紀の末に亡くなっており、ライデンの便覧にみられる反駁はまったく正しい。約言するなら、マスラマは彼の弟子たち、たとえばイブン・アッサファ(4)、イクワン・アッサファ(7-1)によって、誤って他のさまざまな著作の著者に擬されているが、周知のように東方で著された著作「石に関する論考」(2)その他をマスラマの弟子の一人であるケルマーニがスペインへ運んだのだった。ともあれ、マスラマは『ルトバ』と『ガーヤ』の著者ではない。これらの書冊その他を彼に帰す者たちは無知からそれをなしたのか、あるいは偽証することとなったものであったのか、いずれにせよわれわれの観るところこれらの著作、特に『ルトバ』は彼よりも一世紀も後のものである。われわれの手元に写本がある訳ではないが、サン・ペテルブルグ博物館のアジア写本からの抄録を入手するにあたり、ローゼン侯の厚情をいただいた。

 

(7-1) 同コレクションXIII, 25参照。Roediger ibid.227「マスラマという名のババリア(バイエルン)の修道士」についてはn.652

(2) オクスフォード写本no. CCCCXLVIII (4)、ケンブリッジ大学写本no. DD. 4.28 (9)。写本の写しについてはライト氏のご尽力をいただいた。



カディ寺Dayr Kadhiの方へ


 

トーキング・ヘッズそのものに関する文書はどうやらこのあたりに尽きるようなので、懸案の儀礼が毎年挙行されたとされるDayr Kadhiについて。タマラ・グリーンはいろいろ調べてくれています。以下かぎ括弧内は要約で、厳密な訳ではありません。

 

「『フィリスト』の記録から...ニサンNisan月(おおむね四月)二十日。ズハルZuhal(土星、クロノス)に三頭の牡牛を、アリスArisつまりミリクMirrikh(火星、マルス)である盲目の神Rabb al-‘Umyanおよび月つまりシンSinを含む七つの神性、精霊の神、時の主Rab al-sa’atに供物を捧げる。九頭の子羊を生贄にし、そのうちの七頭をそれぞれ七神性に、一頭を精霊の神に、一頭を時の主に。」(タマラ・グリーンp.150, 153, 155

「ビールーニーによると...ニサン月六日。mmar(?)および月の精霊の祭。また同日はダイル・カディの祭。

ニサン月二十日。ダイル・カディでの集会と祭。」(同p.151

 

その他にも毎月(陰暦月)27日にダイル・カディに皆が赴くという記述もみつかる。

 

●「『フィリスト』中のワーブ・イブン・イブラヒムWahb ibn Ibrahimの曆によれば、カディ寺はハランの東にあり、この日(ニサン月二十日)水の神性Sanam al-Ma’の帰還を待つ。この神性は恐ろしい星(Astah Watiraniqus=希語aster tyrannikosの音写)の支配の期間、彼らの地から消え去るもの。彼らはそれに帰還を願うが、もう町へは戻らないと言い、ただ「この点hahunaには来たるであろう」と告げたという。hahunaという語はシリア語ではkadhaで、ここから毎年ハランの民はダイル・カディDayr Kadhiに赴き、この神性の帰還を待った。」(p.156)

 

●「純潔兄弟団書簡IV,306にも同祭儀が載せられているが、そこで帰還する神性はArusとされ、これは「アストルニクスAstruniqusの時、神々のもとから水を降らせる」ものであると言われている」。Y. Marquet, Sabeens et Ihwan al-Safa’, Studia Islamica 24 (1966), p.51はこの名を希語のエロスの音写であると示唆している。一方、書簡ではこれをユダヤ教のメシア待望と関連づけているが、その典拠および意図は不明。」(同上)

 

なるほど、ダイル・カディというのは星神が帰還する「その」場所の「寺」という意味なのでした。ではその「恐ろしい星」とは何なのでしょう。

 

●「H. Lewy, Chaldaean Oracles and Theurgy, Nouvelle edition par M. Tardieu, Paris 1978, pp.143-45Astah Watiraniqusが、アドハル月の15日から20日まで天から消えるプレアデスPleiades(昴)のこと(プレアデスと月が合に入り、見えなくなる期間)だとしている。

 

トーキング・ヘッズという主題 9


Chwolsohn, Die Ssabier und der Ssabismus, bd.II, St.Petersburg 1856, pp19-21.

 

III章 頭について

 

「上述した人(ユースフ・ベン・アブシャア)は言っている。「これは水星の姿を写した男の頭である。つまりこれはその惑星の形相(スぺキエス)に十分以上に照応するもの。ひとたびある人物に水星の姿が見つかるとこの人物は捕らえられる。そしてさまざまな処遇を受ける。たとえば彼は長い間、油と硼砂(ボラクス)に浸される。関節が緩くなり―(からだから)引っ張るだけで―自然と頭が落ちるようになるまで。―そこから、恐怖に坐り込む男のことを古い諺に「彼は油の中にいる」という。これは毎年、水星がその至高点(昂揚?)に達する時に行われる。彼らは、この男こそ毎年、水星からこの地へやって来ては、その舌であらかじめ将来のことを告げ、また彼らの問いに答える魂であると信じている(140)。彼らはこの男の自然本性こそが他の誰よりも水星の自然本性に一致符合したものだとみなすばかりか、水星としての人は言葉や判断その他により秀でたものだと信じている。こうした頭の崇拝、これに関連する処置、頭をからだから取り外す前後の儀礼、頭をとり去って残されたからだの部位に関する処置等々の委細は彼らの書冊の一つ、『エル−ハティフィの書』と字された書物に縷々述べられている(141)。この書には驚くべき自然魔術の数々(142)について、蠱惑術(143)、魔術的結節(144)、図像(145)、その他の秘密つまり豚(147)、驢馬、烏(148)等々さまざまな獣の諸部位(146)について録されている。またさまざまな目的のために行われる燻蒸(149)、指輪の印章として刻まれるべき獣の像(150)等々についても。昨今わたしが実見したこうした図像の大部分は指輪に嵌め込まれた貴石に刻まれていた。これについて彼ら(151)に問うたところ、彼らは昔亡くなった者たちの墓で見つかったもので、神性を祝ったものだと嘘を言ってみせた。」

トーキング・ヘッズという主題 8


Chwolsohn, Die Ssabier und der Ssabismus, bd.II, St.Petersburg 1856, pp12ss.

 

[En-Nedim, Text I, Cap.II.]

註(121)(アラビア語語釈略)...この「頭の持ち主たち」によって、アル−マムーンは後にサバ人たちと呼ばれることとなるハランの異教徒の諸領を指しているのかもしれず、そこで起こったことをものがたっているのかもしれない。頭というのはまさに人の頭のことで、彼らはさまざまな準備を重ねた後、これから託宣を得たものだった。この頭については後述p.142以降の「Excurs脱線話」を参照。公刊されたもの未公刊のものを含め、カリフ・ハルン−ラシドのものがたりはわれわれにとっては有名なものであり、彼の治世の諸事がしるされているが、この不可思議な頭についてはなにも記載が見つからない。いずれにせよ、カリフ・アル−マムーンがハランの民をどのように言っているか見ておこう。「要するに汝らは古のペルシャの伝統に就く者Zendiqiten、偶像崇拝者、吾が父ラシドの時代に頭を所持していた者」、つまり祖父アル−マンスールの時代の出来事と父の時代に起こったことの二つが混同されているということになる。前註で述べたように、当時ムスリムたちからマニ教徒たちは古のペルシャ人の伝統に就く者Zendiqitenとみなされていた。また先に見たように(前註参照)、ハランにはかなりの数のマニ教徒たちが住んでいた。過越の祭りに男が殺され、その頭が崇められるという噂が広まったのは西暦765年のことだった。ヤコブ派の長老ディオニシウス一世はその年代記の775年の項に以下のように記している(Assemanni, l.c.)。「その時期(西暦765年)、アメラスのイェツィラGezirae Amerasあるいは総督アバスス(これはタリク・アイニTarich ‘Aini, Bd.II, Ms. ar. Des Mus. Asiat. Petrop. Nr.524, a.f. 499, b.u. 558, a.ad. an.143, u.155.によれば、[1]

「アッバス・ベン・モハメド・ベン・アリ。彼は143-155年(西暦760-773年)、ハランの町に住むマニ教徒たち(メソポタミア?)を支配した。彼はこの民が罪深い妖術に耽る者たちと断じた。その罪は以下のように発かれたのだった。彼らはハランから千ピエデの場所に修院をもち、そこには司教とともに偽修道士たちが住んでいた。彼らの儀式はたいへん罪深いもので、過越しの祭にあたり民はそこへ赴き、過越しの祭の殺戮(供犠)を行っていた。彼らは前年に捕らえた者を祭儀の日に殺害し、その頭をとり上げ、口に一枚の貨幣を入れると、(祭壇?の)扉の前に燈明を灯してこれを晒し(民に開陳し)、魔術(詐欺行為praestigias)に用いた。このような過越しの祭の冒瀆行為のため、彼らは町の市場ですべての男たちの中から諸条件を満たす優れた者に近づくと(を抱擁して)、この者に修院の修道院長にこの手紙を届け、返書を書いて貰ってきてほしいと頼む。ところで修道院長がこの未見の男を(修院の)奥まった部屋に厳めしく導きいれる(閉じ込める)と、そこには惨めに囚われた別の男がいた。この男は過越しの祭になると生贄に捧げられる筈の者、そして新参の男は翌年に生贄に捧げられる筈の者。この男が(新参者に)忠告したところによると、この邪悪を免れたいなら、ここのマニ教徒たちが彼の頭を切り落とし、血が飛び散るのを見たなら、それ(頭)を抱え、掴みかかろうとする者たちには血をまきちらし、囲みを解いて逃げるしか方策はない。その後、アバッサムのイェツィラ・アバススはこの冒瀆的な民の祭儀について報せを受けることとなった。」[2]

ネストリウス派の歴史家アムル・ベン・マッタエウス(1349年頃、cfr. Assemani l.c. p.387, n.425. T.III, Pars I, p.161, u.P. II, p.612.またBeausobre, hist. de Manich. IX, C.6. T.II, p.713.Sainte-Croix, recerch. sur les myst. du pagan. II, p.191.はマニ教徒たちが人身御供をすることはなかったと言っている)もこれと同じ話を伝えている。東方教会主教ディオニシウスが伝えるところから、マニ教徒の崇拝対象としての切断された頭が発する声の真偽はいざ知らず、これがアル−マンスールの時代に起こったハランのマニ教徒の何らかの頭にかかわる事件が驚きとともに大いに喧伝されたものであったことが分かる。上掲二つ目の事件は、おそらくラシュドがゴルグアンの狂信的な古ペルシャ信仰を守る民Zendiqitenの叛乱を鎮圧した時のことだろう。これについてタリク−アイニは180年(f.605 b)の項にこう記している。「この年(180年、西暦796年)ゴルグアンに、赤服を纏うところから赤党と呼ばれた一団があらわれた。その主領はアムル・ベン・アル−フダキ・モハマドと呼ばれ、古ペルシャ教徒たちを教導した。アル−ラシュドは彼を殺すよう命じ、彼はメルヴで殺された」と。前記したように(Bd.I, 第一巻十章)、古のパルシー教徒(拝火教の一派)の公然たる支持者また暗黙のうちにこれを支持する者たちはイスラム東方地区に長く存し、何世紀にもわたってさまざまな名のもとに闘いつづけることとなる。どうやらこの狂信者たちもパルシー教徒の秘密結社の類で、イスラム教に対して抵抗運動を起こしたものであったようにみえる。奇妙な装束をまとったハランの民は、アル−マムーンにはマニ教徒つまり巫言する男の頭を崇めるハランの古のペルシャの信仰を守る者たちZendiqiten、彼の父がたいへん苦労させられたZendiqitenと映じたものでもあったのだろう。おそらくアルタイの異教についてなにも知らず、彼に対する答えからそれらの者たちを古ペルシャの宗教を守る者たちZendiqitenと見做したのだろう。あるいはアル−マムーンはハランの民にこう宣言しつつ、「吾が父ラシュドの時代」ということばからして、ディオニシウスの報告したところだけを念頭に置きつつ、自らが統治支配するにあたり、これを嫌な思い出として思い出したのだったろうか。148年=西暦765年、ハルン・アル−ラシュドは3歳だった。



[2] Per idem tempus (765 p.Chr.) Abbasus, Gezirae Ameras seu Praefectus in Manichaeos, qui in urbe Haran morabantur, maleficiorum reos gravissimis poenis animadvertit. Eorum flagitium hac ratione deprehensum. Habebant illi coenobium ad orientem urbis Haran positum, mille circiter passus distans, in quo Pseudo-Episcopus cum nonnullis falsis monachis habitabat. Mos autem apud ipsos invaluerat, ut adventante Paschate hominem quempiam comprehenderent, et ad alterum Pascha mactandum servarent: interim eum, quem praecedenti anno comprehenderant, in ipsa profanae solemnitatis die jugulabant, eiusque caput immisso in os nummo, et accensa coram lampade ad fenestram adorandum exponebant, quo postea ad praestigias faciendas utebantur.Quum igitur sacrilegum Pascha ea qua dixi ratione celebraturi essent, prosiliens in forum urbis quidam ex eorum primoribus, virumque omnibus, quae requirebantur, conditionibus praeditum conspicatus, quantovis, inquit, pretio hanc epistolam ad Abbatem illius coenobii propere deferto, et tandiu illic maneto, dum is per te responsum mihi mittat. Ille nil mali suspicatus, coenobium adit, Abbati epistolam reddit, responsum rogat. Abbas vero, qui hominem ex condicto expectabat, laute exceptum in intimum conclave introducit, ibique miserum claudit, ubi alter detinebatur, qui proximo Paschate sacrificandus erat. Verum is opportuno socii consilio usus, qui Manichaeos a sanguine contrectando abhorrere observaverat quum miseri illius caput amputatum cruentumque vidisset, illice ipsum arripiens, atque huc et illuc circumcursans, totam conclave sanguine asperget, et inde circumstantes fugat viamque sibi ad evadendum ex impio loco aperit. Mox Abassum Gezirae praefectum consulit, quem de sacrilega hominum consuetudine certiorem reddit”.

トーキング・ヘッズという主題 7


第4回のアル−ナディーム『フィリスト』再考。独訳による。 Chwolsohn, Die Ssabier und der Ssabismus, bd.II, St.Petersburg 1856, pp12ss.

 [En-Nedim, Text I, Cap.II.] [同上別事例]
「キリスト教徒アブ−ユセフ・アブシャア(110)・エル・クァティル(111)はその著書『現時サバ人の名のもとに知られるハランの民の教えの解明』(112)において以下のようにものがたっている。アル−マームーンがその生涯の最後の時期、ディジャール・モドハール(113)からローマ(114)へと戦に出征すると、逆に彼のもとへ到着を祝うため住民たちがやって来た。その中にはぴったりした長衣を纏い(115)、長い髪を垂らした(116)クッラつまりセナン・ベン・タービトの祖父のようなハラン人たちもいた(118)。彼らの奇妙な装いを見てアル−マムーンは問うた。「汝らは何処の民か」−彼らの答え。「ハランの民です」−「汝らはキリスト教徒か」−「いいえ」−「ユダヤ教徒か」−「いいえ」−「マジャール人か」−「いいえ」−「汝らには聖言が伝えられておるか、あるいは預言者がおるか」と彼は最後に問うた。すると彼らはよく分からぬ答えをした(混乱したことを言った)(119)。「つまり汝らはペルシャ人Zendekiten(ゾロアスター教徒?)(120)か」、そこでアル−マムーンは言った。「吾が父ラシュド(121)の時代、(巫言を語る)頭を秘匿していた者たちのような偶像崇拝者だな。汝らの血が流されることは必定、どんな被護もかなえられない」。「上納金をお払いしましょう」(122)と彼らは言った。−「上納金だと。イスラム教徒ならずとも、至高なる神−全能にして偉大なもの−の聖言を信じ聖なる書をもつものなら、イスラム教徒でなくても平和の約定をなすことができる。しかし汝らはこれ(イスラム教徒)でもなく、それ(啓示された別の信仰に就く者)でもないという。どちらかを選べ。イスラムであると言明(信仰告白)するか、あれらの者たちの聖書にあるような全能の神の信仰のうちの一つをとるか。さもなければ、汝らを殲滅する。今は猶予を与えよう。吾がこの戦役から戻るまで。それまでにイスラムか、あれらの者たちの聖書に準じる全能の神−権能あり偉大なもの−の信仰のいずれか一つを選択しておくように。さもなければ、吾は汝らを根絶するだろう」。そしてアル−マムーンはローマへと出立した。彼らは慣習をあらため、髪を剃り、ぴったりした長衣を纏うのをやめた。多くの者たちはキリスト教徒となり、腹帯を締めた(123)。若干の者たちはイスラム教徒となり、もとのままにとどまった者はほんの僅かの一群だけだった。これらの者たちは逡巡と不安の中で、彼らの仲裁者であるハランの族長の一人に相談をもちかけると、彼はこう言った。「わたしはあなた方が彼から救われ、死を免れる手段を見つけた」と。そして彼らの貯蔵庫(宝蔵)から大量の金品を取り出した。これはラシュドの時代からずっと不測の事態(災厄)に備えて貯めつづけたものだった。(読者よ(?))わたしは死に対峙する。主よわたしをその原因に対抗できるよう力づけたまえ(124)。−そこで彼は民に言った。「アル−マムーンが戦役から戻ったなら、彼に言うがいい。われわれはサバ人である、と。これこそコーランに録されるとおり、神、その名こそ讃えられてあれ、神を信仰するものの名であるのだから(125)。これ(サバ人という名)(126)こそは救われるであろうものという意味なのだから(127)」。しかし神の配剤により、アル−マムーンのバデンドゥンでの戦い(129)は違った結果をもたらした(130)。その時以降、彼らはこの名を採用することとなる。それ以前にハランおよびその周辺に居住していた民には誰も「サバ人」と称する者はなかった。アル−マムーンの死の報せが届くと(131)、キリスト教に帰依した者も元のハランの宗教に戻り、サバ人として、アル−マムーンがその地にやって来た時以前のようにあらためて髪を伸ばした。しかし彼らは元のようにぴったりした長衣を纏う赦しをムスリム(イスラム教徒)たちから得てはいなかった。なぜといってこの衣装は指導層の君公(あるいはその廷臣たち)が纏うものであったから(132)。イスラム教を受け入れた者たちは、怖れの意識から元の信仰を標榜することはなく、緩外套を纏いつづけた。ただ結婚するのはハランの信仰の婦女を選び、男児はムスリムにとどめ、女児はハランの信仰につかせた。これがハラン近郊の邑をも含めたサバ人たちのため、タルウズTar’uzとセレムシンSelemsin(133)が二十年ほど前に(134)採った算段だった。この時、アブ−ゼララハAbu-Zerarahとアブ−アルバハAbu ‘Arubahという名の二人の族長(135)、ハランで法律と善行の勧めに関して最も学識深い族長の二人(136)がハランの他の族長たち法学者たちを巻きこんで、彼ら(イスラム教に改宗した者たち)がハランの女たちと結婚することを禁じた。彼らはこう言った。「ムスリムの徒がこの地の婦女たち(サバの女たち)と結婚することは許されない。彼女たちは啓示された書物をもつ民のものではない」(137)。ハランの住民たちの状況(138)もさまざまだった。アル−マムーンの時にも元の信仰の留まった者たちばかりか、その時以降ムスリムとなった徒もキリスト教徒となった者たちも、イスラムにもキリスト教にも属さない者もあった。そうした者の中にはたとえばベヌ・エブルトBenu Ebluth(あるいはイレト、ベルト)やベヌ・クァトランBenu Qathran(あるいはフェネトラン、アクィトラン)その他高名なハランの家系もあった(139)。」

トーキング・ヘッズという主題 6


 

ふたたびトーキング・ヘッズをめぐって。夏休みも終わり、タマラ・グリーンの『月神の町』が手に入ったので...

「トーキング・ヘッズという主題」第2回つづき。

 

「『賢者の目的』の著者は亞版(ムスリム文書)によればスペインの天文学数学者マジュリティ(1005年頃没)に擬されている。しかしDozyGoejeはこの編纂書が十一世紀中頃のものであると論じている。Pingreeは純潔兄弟団の書簡集と『賢者の目的』には共通典拠があると示唆している。

もちろんこれらの見解を文字通りに受け取る訳にはいかない。ムクタディル(『賢者の目的』)、ハルン・アル−ラシドあるいはマムーンがこのような儀礼をなす崇拝が残存することを許した筈もないから。とするとこの記述は、人身御供というものは敵を非難するための容易な手段であるゆえこうした宗教宣伝のためになされたか、秘教的教義の象徴表現の一部であったとみなされるか、のいずれかとなるだろう。初期キリスト教徒たちはこうして告発され、後にはユダヤ教徒たちが同じくその犠牲となった。ヤコブ派司教テル・マーレのディオニシウスDionysius of Tel Mahreの年代記によれば、ハランに神殿をもっていたマニ教徒たちもまた765年に同じような実修を行うものとして告発されたという(47)。

しかしハランの民をめぐる秘教的伝統という文脈からするなら、「頭」のものがたりは身の毛もよだつものにせよ、ゾシモスその他の秘教的知識に関する著作に見つかるような言辞を思い起こさせる占星術的錬金術的象徴主義のヴァージョンに過ぎないだろう。それはまたヘルメス主義のうちに見出される守護(伏魔, apotropatic)魔術にも近いものである。たとえばプロクロスは、降霊術師ユリアヌスが蛮族(異邦人たち)との境界線上に、自ら泥土で造り神聖化した人の頭を据えた、と報じている。これには敵が帝国の境界線を越えようとする時にはつねに雷を落とす力能があると言われている(48)。

『フィリスト』の「頭」のものがたりにみられる降霊術的目的は、イブン・アルーナディームがこの頭をハラン人たちが所蔵していたある書物と結びつけて述べているところに確認することができる。それは『アル−ハティフィal-Hatifi』と表題された書物で、頭のつくり方ばかりか、その他ヘルメス的魔術の実修者たちに常用されるあらゆる蠱惑術、呪言、魔術的な結び目、護符等々に関する教えを載せたものであるという。De Goejeはこの書の表題を『キタブ・アル−ハニフ』と解し、『賢者の目的』には木星(ユピテル)の神を召喚するにあたって彼らは『キタブ・アル−ハニフ』を首に吊したという記述があることを指摘している。この解釈はタービト・イブン・クッラが同輩たちの信心について用いている語彙からも支持されるものだろう。」[pp.179末−180]

 

47Chwolsohn II, 130.

48H. Lewy, Chaldaean Oracles and Theurgy, nouvelle edition par M. Tardieu (Paris 1978), p.247.

 

ときどき、数秘術 2


 

そのSolomon Gandzの論考の註に見つけた一書。

 

Smith-Karpinski, The Hindu-Arabic Numerals, Boston-London 1912.

 

漫然とこの書を捲るうちに、面白いものが目にとまりました。ヘブル語ゲマトリアでは周知の事実ですが、digit記述法の歴史とからめると、不思議な景観が拡がる思いがします(ゲルベルトゥスはイブン・エズラよりも以前に生きた人であったことを確かめつつ...)。

 

「...同じ頃『数の書(セフェール・ハ−ミスパル)』*がヘブル語で著された。著者ラビ・アブラハム・イブン・メエル・イブン・エズラはトレドに生まれ(1092頃)ている。1139年、彼はエジプト、パレスチナ、東方に赴き、また数年をイタリアに過ごした。その後、彼は南仏やイングランドに住み、1167年に没している。彼のヒンドゥー算術(アリスメティカ)の知識はおそらく生地トレドで学んだものと思われるが、旅の途次、算術に関する別の知識をも得たに違いない。彼はヘブル語の最初の文字(アルファベート)の数々を数にあてはめ、また零に丸を宛てている。...しかし彼の写本ではヒンドウー形式が援用されているものの、計算にあたっての数記については九つのヘブル文字を用いている。」p.127.

 

Sefer ha-Mispar, Das Buch der Zahl, ein hebraeisch-arithmetisches Werk des R. Abraham ibn Esra, Moritz Silberberg, Frankfurt a.M., 1895.

 

これによれば、『ピカトリクス』亞語版註に挿入された三文字は、beth2, he8, daleth4と読めます。

数字をdigitで書くという新方式がここで採られているという確証がある訳ではないし、それ以前に数字である蓋然性も不明ですが(アラビア語で計算式でない文書中にdigitで数を書き込むことがあったかどうかさえ分かりません。おそらくdigit数表記される場合、articoliはわたしたちが現在慣用するように、アラビア語でも左側に向かって桁があがっていく表記―これをわたしたちは右から読む習慣になっている訳ですが、左から右へと書く西欧語でもいまだ11を一と十と言うようにアラビア式に右からつまり桁の少ない方から読む習慣が残る―になっていたらしいことを確かめるのに四苦八苦しながら*)、ひょっとこれが284を指しているとすると、これはどこかで見た数です。

一方、220digitで書くことの困難は、空位の点あるいは丸が文中で知らぬ間に欠損することで22に変じかねません。そのうち、友愛数についてなにか分かるといいのですが...土星と友愛数の関係を論じたものにはいまのところ出逢えません。

 

*これについて史的証拠を見つけることはできませんでしたが、現行表記がそうであること、またメンソ・フォルカーの論考(Menso Folkerts, Early Texts on Hindu-Arabic Calculation, in Science in Context, 14 (June 2001), p.23)などの記述から、まあ間違いはなさそうです。

 

ときどき、数秘術 1


 

わたしたちは数秘術といわれるとなんだか不思議な感興を抱きます。サイファーCiferを解いてみせることdeciferを「解読」と訳してなんのためらいもない単純さの裏には、もっと素朴な算術が隠されています(あらわれてきます)。それは中世西欧の書記(公証人)たちnotarioが記した署名が不思議な組文字に見え、これを解読しようと夢想を寄せるうちにノタリコンという魔術が発見?されるようなものでした。

サイファーとは「数」ですが、本来は位取り数記法がはじまったときの空位をあらわすための丸や点を指す特殊用語だったようです。すると、ゼロが発見される!というおはなしはまた近代における別の数学魔術の発明に過ぎないように思われます。「無はない」という文章にはどんな意味があるのかという中世に連綿とつづく存在論の論議を別の視角からみてみる必要があるのでしょう。すると中世以前の「非理性」も違ってみえてくる筈です。なぜわたしたちは「無理数」を簡単に受け入れられるようになったのか。ピタゴラス派の「有理」の追求つまり哲学とは、この「無理=非理性」を喧伝しない、ということにその要諦があります。

それはさて、十進法が採られるようになり、1から9までの数記号で数をあらわす慣用が広まるまでには長い経緯があります。その過程で123等々という数記号もまた、先には空欄を意味する丸や点を指したサイファーという語が用いられるようになっていったようです。当然ながら現在われわれが慣用するアラビア数字の定形が決まっていくまでに、そのそれぞれにギリシャではギリシャアルファベートが宛てられ、ヘブル語でもヘブルアルファベートが宛てられた訳で、アルファベートに数価があるというのは、秘密でもなんでもなく、代示の一例に過ぎません。

ただ、計算過程は結果が導き出されれば消される運命にあったわけで、「砂ghubarの書」という詩的な響き(たとえばボルヘス的な)も、元をただせば繰り返し眼前でなされてはすぐに消されていく計算過程を言ったものであったのでしょう。*

 

*さきに占星術をハルトナーに啓明されたように、このあたりの論議についてはメンソ・フォルカーに聞いてみたいところですが、今のところ当地ではなかなかフォルカーの本が見つかりません。ちなみにオンラインで以下のようなものに辿りつけます。

Menso Folkerts, Early Texts on Hindu-Arabic Calculation, Science in Context 14 (1/2), (2001), 13-38.

Id., Medioevo Rinascimento – La Scienza della Scienza Araba: Aritmetica e Geometria cap.iv, Storia della Scienza, Treccani,it L’enciclopedia italiana.

 

閑話休題。

 

ところで『ピカトリクス』は謎だらけですが、その第三書第八章Ritter-Plessner亞独版[231]に不思議な三文字が見られます。

 

[231]「ダグリットは土星にこの祈禱を唱えその図像に願いをかけると、図像は彼にその望みをかなえたと(イブン・ワッシーヤはその『ナバテアの農事書』で)いう。彼の祈りは次のようなものだった。「吾々は吾らが神の前に立ち、万有の圏域にあって唯一のそのいのち、永久不滅なる永世のいのちを誉め讃え崇め祈る。□□□*よ、永劫にその天に宿り、その力能を揮う。目に見えるものも見えぬものも含め、この地上のすべてに対して圧倒的に偉大な権能をもつ者よ。」亞独版p.243

 

*ここに突然直線で書かれる三文字(ヘブル文字のようにみえる)があるのですが、羅版当該個所は、以下のように文脈からこれを「土星」としています。

 

「(3)カルデアの農事にかかわる賢者たちのうちにあって最初の賢者であったゼヘリット*は、土星(サトゥルヌス)に祈りを捧げこれに望みを請願するなら、それはたちまちその図像(イマジネ)を介してあなたの望みに応える、と言っている。その祈禱は以下のようなもの。われわれは汝の足元に跪拝し、慎ましく敬虔に汝に祈り、汝を讃える。高く、活力に満ち、永劫なる主のその権能に、確固たる支配者である土星(サトゥルヌス)の足元に跪拝する。それはその永劫なる天に、その支配の潜在力とその効果のうちにあり、高き位階と荘厳(度数)とを併せもつ云々。」

 

*羅版 Zeherit 亞独版 Dagrit

 

亞独版註では土星(サトゥルヌス)のアラビア語名Zahalの転訛か、としたうえでコルネリウス・アグリッパの『隠秘哲学』第三巻第三十章の三つ目の略記法の示唆があります。これはアグリッパが紹介するヘブル文字略記法の記述にあたりますが、これを参照しても三文字からの一文字の選択用符号がないので、解読できませんが。これは護符の図であるのか、霊(天使)の名であるのか、土星の添え名であるのか、それともなんらか星座記号が崩れたものなのでしょうか。

 

***

 

じつのところ、わたしは別の謎文字をめぐって堂々巡りをしているのですが...

つまりそれは『ピカトリクス』第三巻第十一章[278]の二つの数字とされる謎文字です。

これに関する註にS. Gandz, Isis, XVI, 1931, s.393-424参照とあるのが、

 

Solomon Gandz, The Origin of the Ghubar Numerals or the Arabic Abacus and the Articuli

 

のことらしく、これを探して読むうちにいつもながらの脱線。ここで詳論されるゲルベルトゥスの算術論で意味が分からなかったdigitisarticulisのおはなしで中世の算術書の概念規定の錯乱の跡を辿るうち(まあ、どちらかというと著者の論旨は19までの数記号と桁取りの観念をアラビアから西欧に移入される前に、先にローマのアバクスがアラビアに移入され、これが逆輸入される過程で翻訳語の錯誤の海に投げ込まれた式の展開なのですが...これについてはひとまず措くとして)、ここにも特に件の秘文字を解く鍵が見出せたわけではありません...

 


『ピカトリクス』のエンペドクレス? 3


 

VI.111; [293]「エンペドクレスはこう言っている。知性は単純なものゆえに定義(限定)できない。それは単純実体であり、分割できず、類も種も差異もないから。要するに定義(限定)とは類、種、差異によるものである。ところで知性(のはたらき)には二様あり、一方は「普遍」で、これは可能的に過ぎ去ることなくまた痛みを感じたりせぬ(受動されるのではない)すべてのものごとに対応している(対処する準備ができている)。これはすべての事物の自然本性(を規定するもの)であり、先なる(あらかじめ存する)淵源(地平線)である。その上、一瞥では判じ難いにせよそれはこれと同じである(事物とは自然本性のことである)という。

これとは別に「獲得」muktasab = epiktetos)知性がある。これは痛みを感じ(受動され)、経過(経時=生成壊敗)および痛みを痛みとして感受することによって(受動感得されることによって)ただ人のからだの中にだけ見出される(証される)ものである。これこそ普遍知性の光の光。また魂というものも定義(限定)できない。なぜといってこれは単純実体(スブスタンチア)であり、どの単純実体も不可分であって、不可分なものは類をもたないから。類をもたないものは種ももたず、種のないところに差異もない。定義(限定)は類、種、差異に基づくものではないとはいえ。いずれにせよ類をもたぬところには定義(限定)はない。とはいえ、魂を定義(限定)できない訳ではない。これは単純実体であるにせよ、からだ(ittahadat)と知性の光(ta’allafat)が合一したものであるから。また、魂とは諸事物をもっとも深い水準で感得する力能であり、魂とは組み合わさった(集合)実体である、と教えている。

しかしアリストテレスはプラトンを前に、こう抗弁した。「すべて組み合わさったもの(集合mu’allaf)はあらためて解くことができる。解くことができるものは過ぎ去る(生成壊敗する)ものです。いったい先に単純と言われたものが、どうして複合したもの(murakkab)でありえるのでしょう」と。しかしエンペドクレスは最初の定義(限定)をもって語ったのであって、後者は解説である。合一というのも知性の光と結びついているという意味であって、それ自体が集合したものであるといっている訳ではない。いずれにせよプラトンもサリトゥスSaritus*もエンペドクレスの説の正しさを認めている。

 

Saritus:フナイン・イブン・イシャク『Adab al-falasifaI.19.14Sawitusとある名と同じであろうが、レーヴェンタールLoewenthalsがこれをスヴェトニウスSuetoniusとしているのには根拠がない(Honein ibn Ishak, Sinnspruche der Philosophen, 1896, p.81)

 

また、「魂はあらゆる事物のうちに潜在しそれを実現している〔元〕像(suwar, イデア?)の数々、形相や色の数々を採る(を写す)単純実体である」とも言われる*。また、「魂はからだ(コルプス, gism)と合一してあるのであり、その(からだの)自然本性としてあるのではない。一方、その(からだの)中の自然本性は(からだと)合一しているものではない。しかし〔なんらかの事物の中には〕自然本性があり、すべて〔なんらかの事物と〕合一しているが、それは結合しているところのものから分離され得るものである。なんらかの自然本性をもつものはどれも受動的(maf’ul)に捺印を受けとるが、これを捺印されたことを知りつつ合一することで現勢する(能作的となる)。すべては受苦され(受容され)経時(生成壊敗)する。それは食物が消化され、消化されぬものが残るようなもの。それ(魂)はそれがその内に留まっているからだ(コルプス, gasad)を強要し、更新し、賦活して、より安定したうごき(活動)のうちに実在するものであり、天の(卓越した)神の霊(息吹き)によって創造された霊および知性は、どちらも中間媒介なしにこのからだ(agsam)の中に移植され(埋め込まれ)ており、その内に見出される。それらは太陽の光が太陽に属するものであるように、からだ(agsam)に合し(属し)ており、それらは光線のようにからだ(badan)へと注ぐ。この序列秩序により自然本性は感覚感受、想像、記憶、思索等々(からだの)さまざまなはたらきを司っている。

 

      この言明はジャービルGabir, k. al-hudud (ed. P. Kraus, Jabir, Textes choisis, 1935, p.109)にみられるもの。その巻頭の翻訳はKrauss, Studien zu Jabir ibn Hayyan, Isis, XV, 1931, pp.15-30に公にされている。



『ピカトリクス』のエンペドクレス? 2


 

IV.13; [289]「賢者エンペドクレスは言った。「体躯の五感によって明かされる実体(スブスタンティア)はすべて複合した儚い死滅すべき物体的実体である。なぜといってそれは空間に閉じ込められ、これに限界づけられているから。体躯の五感によってではなく、五つの内なる霊的感覚によって感得される実体は純粋に単純なものであり、神の栄光の光に繋がれた霊的にして永劫な実体であり、これは決して壊敗することはない。なぜといってそれは空間に閉じられておらず、これに限界づけられてもいないから。部分的に外部感覚に覆われている物体の本質は霊的なものとの物体(コルプス)的な相互関係(比)をもつ物体(コルプス)である。一方、物理的な物体は物体的な諸物と結びついておりそれらと相互運動し色をもつ。光のように霊的なものは霊的なる上位の者と結びつき、これと合して恒久的に持続する」。それゆえ本書の読者よ、あなたの魂を浄福なるものとなし、霊的なものへともたらすため、あなたの潜在力を霊的なものへと向け、知性の力能によって自らを諸他のすべての動物から区別しなくてはならない。」

『ピカトリクス』のエンペドクレス? 1


*ちょっと気分転換。『ピカトリクス』では「新プラトン主義的」な救済論的信憑が語られているというけれど、それはどういう意味なのか、をめぐって。たとえば羅版でAbenteclis、
亞独版ではEmpedokles (Anbaduklis), 亞英版Bandakleesと表記されるこの賢者の論議。第三書末から第四書巻頭へとつづく。これはどうやらエンペドクレスの詩『自然について』の註解書のようなものからの採録であったようにみえる。羅版第四書一章(11)にはEmpedoclesと記載がある。エンペドクレスについてはPeter Kingsley, Ancient Philosophy, Mystery and Magic. Empedcles and Pythagorean Tradition, Oxford 1995という面白い論考もあり、拙ブログで途絶している『賢者の一群Turba』再考への道案内となればと...

 

亞独版ピカトリクスから
 

III.12 「...エンペドクレスは自然本性を単純実体と呼んだ。その一々は唯一の形相をもつ、つまり諸形相のうちの一つだけを採る、つまりある形相が消失した後に別の形相を採るのであって、決して複数を一度に受け入れない*。また、彼は言っている。自然本性のうちには生命力というものがある。つまりこれが生命の形相である。少年は可能的にあらゆる活動をなすことができるが、そのあるものを実践しはじめ、これを修得することでその活動は現勢する(現実態にもたらされる)ことになる。こうした恩恵(賜)をわれわれは十分考慮したことがない。なぜといってあなた方はあなた方の知識を燃え上がらせる理拠というものが、自分のこころのうちにあるものと思い込んでいるから。」pp.295-96,

 

(*どこかアヴィセンナの『気象論第四巻註解』の一節を彷彿とさせる。)

 

エンペドクレスはまた言う。実体の諸原因は四つある、と。そのうちの一つの原因は潜在(可能)的にもいまだあらわれておらず、別の二つの原因のうちの一方は潜在(可能)的にすでにはたらいており、他方の賦与されたものは潜在的に存し、もう一つの原因は更新されてはたらきはじめる。これら、つまり(ka-qaulina)意志、知性、魂、自然本性、元素(要素)が実体の諸原因である*。意志は潜在的に(可能態として)神のうちにあり、現勢(現実態)としては知性である。知性は潜在的に(可能態として)意志に、現勢(現実態)としては魂である。魂は潜在的に(可能態として)知性のうちにあり、現勢(現実態として)自然本性のうちにあり、自然本性は潜在的に(可能態として)魂のうちにあり、元素は常在する。このように各々の実体はそれぞれ潜在的に(可能態として)それの上位のものに原因され、その下位のものとして現勢(現実態)する。そしてこの現勢(現実態)がこれの下位のものを潜在的に(可能態として)導きだし、下位なるものに諸力能を注ぎ込む。下位なるものはこの発出の受容から発出し、受容を受容させることとなる。また(実体)は他に四つの原因をもっている。これらは偶性存在と実体存在の間にあり、諸偶性を原因する。つまり探求、蠱惑、愛およびその本質をはたらかせるもの(外部からのその本質の感得)である。探求とは霊的なことがらの一つであり、それが自然本性のあらわれと化すかどうかはどちらでもよい。蠱惑とは技巧(人為)的なはたらきによって喚起されることがらの一つであり、これは自然本性的なあらわれおよび外部からの感得の両者からなっている。とはいえすべては愛に遡るものである。全能の神こそが、はじめからおわりまですべての事物を完璧に発出させるものである。神こそ誉め讃えられますように。さて、ここに到り、本書の最終書に入ることとしよう。」

 

      五つの実体が何であるかに関する混乱 [p.297参照] についてはKraus, Jabir, II, p.137 n.1参照。意志についてはJulius Guttmann, Die Philosophie des Judentums, 1933, pp.116ss.ガビロールGabirol)参照。

 


土宜法龍覚書


 

突然こんな一節を引いても、ハルトナーの『ピカトリクス註解』の委細同様、あまり意味はないのだけれど、備忘のために。

 

亞独版『賢者の目的Ghayat al-Hakim』第四巻第七章の羅訳されていない部分を探っているうち、妙な印行のはなしをみつける。この章の内容に関してはまた後ほど詳細にとりあげるとして、

 

[355] 「それゆえにシャファーヒはこう伝えている。ジャラミクァGaramiqaはその町の住民たちに、彼らの神殿の数々に主ダワナジュの像を飾るように指示した。それは立像で、その右手の指は八をあらわし、左手の指三本を立てる*ように、と。その像はタチアオイ**の木〔の枝〕をもち、このタチアオイの枝には結ぼれ(瘤?)がある。その軸枝に巨きな蛇が巻きついており、その最上部は黄金の十字、その蛇はダワナジュに向かって口を開いている」。

 

     原註から「八は指で小さな輪をつくってあらわす。親指、人差し指、中指をまっすぐ伸ばし、他の二本は折って、腋の下に置く。」――仏像の印像(いんぞう)mudraaに由来するものか。指で丸をつくる転法輪印Dahrmacakramdraの一つにみえる。両手を組み合わせてつくる印mudraaを封印、印章と呼ぶ、つまり羅語にするならsigillumだと、妙に感心しているところ。

 

**原注から「Eibischハイビスカス、希語althaia, althainw(癒しの)」――この杖はアスクレピウスの杖あるいはヘルメスの杖(カドケウス)に近いものに思われる。

 

そして*の印行になにか名があるのではないかと思いウエブを探るうち、おもいもかけず南方熊楠の往復書簡の相手、土宜法龍の名に遭遇。この人の著作を初めて目にする。

 

Si-do-in-dzou; gestes de l'officiant dans les cérémonies mystiques des sectes Tendaï et Singon, d'apres le commentaire de m. Horiou Toki ..

By Toki, Horyu; Kawamura, Seiichi, tr; MillouéLeon de, 1842- ed

https://archive.org/details/sidoindzougeste00millgoog

 

親指とその他のいずれかの指で輪をつくるところを「八」をあらわすと解する事例がなにかみつかるといいのだけれど、今のところ不明。

 

トーキング・ヘッズという主題 5


John Reeves, A Manichaean ‘Blood-Libel?”, in Aram 16 (2004), 217-232

 

異教撲滅の手段としてのものがたり

 

○ヨセフスJosephs「アピオン論駁Contra Apionem2.95-96.

一世紀のエジプトでの反セム主義者アピオンを難じる中で...セレウコス朝アンティオコス四世がエルサレムの神殿の中にユダヤ人たちによって監禁されるギリシャ人旅行者を見つけ、これにはなしを聞くところ。

「実修は毎年ある時節に繰り返された。彼らは異邦のギリシャ人を誘拐し、一年に渡り肥らせた揚句、或る樹木のもとへと引き連れていって彼を捩り殺し、彼らの慣習儀礼に則ってそのからだを生贄に捧げ、その肉〔内臓〕を共食した。彼らはギリシャ人を生贄に捧げるとともに、ギリシャ人への敵対を誓い、生贄の残りの部分は穴に投げ込まれた。男は(アピオン)自分はあと数日の命だと言い、ギリシャの神々の尊重は別として、ユダヤ人の彼の生血を啜ろうという企みを破り、哀れな状況から救いたまえ、と王に懇願した。」

 

トーキング・ヘッズという主題 4


 

John C. Reeves, A Manichaean ‘Blood-Libel?”, in Aram 16 (2004), 217-232を読む

 

この論考は人身御供、性的淫奔がものがたられるところには決まって異教に対する誹謗中傷(表題にもLibelとあるとおり)というスタンスがあることをあらためて指摘してくれるばかりか、人身御供のはなしの架乗と比喩の実体化を跡づけてくれます。

 

ふたたび「その場所」Kadiについて、典拠が挙げられています。

p.219 n.14:「ハランの東の修院」Dayr Kadi’ に関する記載はIbn al-Nadim, Fihrist (cfr. B. Dodge, The Fihrist of al-Nadim, 2 voll. New York 1970, 2.757 n.54; 764; 767)

 

頭のはなし

グリーンのところで一部見たけれど...略されていたところを補いつつ(またオンラインではp.180がみられず、肝心の『ガーヤット・アル・ハキム』についてはなにが記されているのか不明なまま)。

 

アル−ナディーム『フィリスト』

 

「前記した人〔キリスト教著作家アブ・ユセフ・イシャ・アル−クアウイAbu Yusuf ‘Is’a al-Qau’i〕はまた、この頭はその相貌が水星に似た男、つまり彼らの信じるこの惑星の姿(あらわれ)をもつ男のものであったという。その男が見つかると−つまり彼らが水星の相貌に似た姿をそこに認めた者−彼はぺてんと裏切りによって捕えられ、彼にさまざまなものが贈られ、彼はその関節が柔らかくなるまで油と硼砂の中に長い間漬けられる。彼の頭を引っ張るだけで、もとの形を崩すことなく引きちぎれるようになるまで。まさに古の言い伝えに、緊張を強いられることを「彼は油漬け」という通りに。

彼らはこれを毎年、水星が高みに昇る時期に行った。彼らは、この男の(?)魂が水星の影響のもとでこの頭に降る、と信じていた。それ(魂)はその〔頭の〕舌をもって語り、将来の出来事を算え挙げ、問う者に答えた。彼らは、人の自然本性というものは諸他の生き物たちとよりも水星の自然本性のあらわれと強く結びついており、人の自然本性は弁舌、識別その他それ(水星)がもつと彼らが信じていた力能により近い、と考えていた。これこそ彼らが頭を讃仰し、その謀事(ぺてん)に用いる理由だった。

それを体躯からとり去るために彼らがなす下準備、また頭を引き抜いてからその体躯をどうしたかについては、『アル−ハティフィの書Kitab al-Hatifi』に詳細に語られている。そこには豚、驢馬、烏等々の獣のさまざまな身体部位を用いた様々な獣蠱惑、呪詛、結び目、形象、首飾りなど、また燻香、石にそうした獣の刻印をほどこした指輪の驚くべき効果がいろいろ挙げられており、さまざまな目的に効果を発揮すると記されている。わたしもまた石にこうした刻印をほどこした指輪を数多見た...(?)それについて彼らに問うと、彼らは高祖たちの墓の中に見つけたものだと言い、いまもその恩恵を蒙っていると語った。」

[Dodge, Fihrist 2.753-54]

 

頭の崇拝について二題。

 

シリアの年代記Chronicon Anonymum de ultimus regibus Persarum (Khuzistan Chronicle)

Bih Quwadhの地の一部のマニ教徒たちがシュスタルStrwという名の町で捕縛された。どうやら彼らは或る男を捕え、その頭のために一年に渡り地下室に隔離したという。彼らは男が望むものをなんでも与え、悪鬼への生贄として男を殺害した。そして男の頭を一年の間、予言や魔術的呪詛に用いた。このように毎年、彼らは誰かを殺害したという。そればかりか、彼らは男を知らぬ処女たちを(男の前に)引き連れてきて、みなに男と性交渉させた。この交渉から赤子が生まれるや否や、彼らは赤子の肉や骨が油のように(柔らかく)なるまで煮た。そしてそれを擂鉢で砕き、小麦粉を混ぜて小さな焼き菓子とした。彼らは信者たちとともにこれを食べ、決してマニの教えを破ることがないよう誓った。そうこうするうち、彼らが隔離しようと画策した学徒が彼らのもとを逃げ出し、神の摂理により彼らはみな捕縛されることとなった。彼らは彼らと姦通していた娼婦たちとともに捕えられ、一緒に首吊りに処された。それは総勢七十名におよんだ。」

[Chronica Minora I (CSCO I; ed. I Guidi, Paris 1903)]

 

○ズクニン年代記Chronicle of Zuqnin

「その時期(西暦764-5)、メソポタミアの町ハランのマニ教徒たちの信仰が侮蔑の対象となった。それはハランの東一マイルほどにある修院で起こった。彼らは毎年この修院で酷く恐ろしい祭儀を催し...

祭儀が近づくと彼らは男を一人誘拐し、一年に渡り監禁した。祭儀の日、彼らは男を生贄とし、その頭を切り落とし、その口に一枚の貨幣を入れた。彼らはそれ(頭)を壁がんに納め、それを崇め、それによって予言をなした。

彼らのこの無慈悲な祭儀が近づいたある日、彼らは或る男を次の祭儀の生贄にするために監禁隔離しようと画策していた。マニ教の指導者たちは一通の手紙を書き、ハランの市場に出向いた。望みの男を見つけると、彼らは取り囲んでこう言った。「望みのものを何でも得られるだろう。この手紙を某修院から修院の頭、つまり(マニ教)修院(の「頭」)に届けてくれるならば」と。この悪魔的な奸策のせいで、男はそれ(手紙)が不幸な同輩(つまり彼自身)の殺害にかかわることであるとも気づかず、殺されに行く羊のように男は急ぎ出立した。その修院に到着すると彼は門扉に近づき、そこに居た者たちにその修院の頭は誰かと問い、彼らに彼〔頭〕のもとへ通してくれるよう頼んだ(*彼〔男自身〕を裁くようにと依頼した)。すぐさま彼らは内へと彼〔男〕のことを伝え、修院の頭がこれを聞くと、彼〔頭〕はその男を出迎え、並々ならぬ歓待をした。彼〔頭〕は彼〔男〕に言った。「どうぞしばらくお休みください。なにかお食べになって。するうち手紙に返事を書きますから、それをもって行ってください」と。

彼らは男を内に導き、ある部屋から次の部屋へ、そしてその次、そして三つ目と六か七つ部屋を過ぎ、去年隔離監禁され次の祭儀で生贄に供されるさだめの男が居るところまで入っていった。彼〔頭?〕は彼〔男〕に言った。「この男のとなりにお掛けなさい」と。彼が坐ると、その男〔間近の祭儀で生贄となるさだめの男〕は彼〔男〕に言った。「憐れな者よ。おまえはなんと不幸なことか」。それに彼〔男〕が答えた。「なぜです」。最前の者はこれをひきとるように言った。「わたしもおなじこと。わたしがここに来た時も、ここに別の男が坐っていたよ。彼らの祭儀にあたり、彼らは彼を生贄とし、彼の頭は今あの壁がんの中にある。あそこ、蝋燭が灯されているところ。彼らはあれを崇め、あれで占い(予言)をしてみせるのだ。いまや彼らは祭儀でわたしを殺すべく準備中。その折、おまえは次の祭儀の時まで、お前自身が生贄となされるまで、いまわたしが居る場所に坐ることとなるだろう。おまえがここから逃げ出したいなら、わたしの言うことをよく聞いて準備しておけ。彼らがわたしを殺すためにわたしの横に立つ時を待て。わたしの頭が地に落ちたなら、すぐさまそれを拾い上げ、わたしの血が滴るうちに扉に向かって駆けろ。彼らが喚いても、おまえに懇願しても、おまえにいろいろ贈物を約束しても、それ〔頭〕を手放してはならない。彼らがお前を捕まえようとしたなら、彼らに血を浴びせればいい。そうすれば彼らはおまえから離れるだろう」と。

男は沈黙して〔この忠言を〕じっと聞き、その折には彼が言った通りなにも省くことなく気高い意気込みで(高貴な受苦をもって)これを成し遂げることとなった。彼らが彼〔生贄〕を殺した時、彼〔男〕はその頭を掴み、扉へと走った。彼らの一部は彼を取り押さえようと声を荒げた、彼〔男〕は彼らを怖れて錯乱する(こころ乱す)こともなかった〔*神経を失うこともなかった〕。結局、彼らは彼〔男〕を取り押さえることができなかった。

即刻、彼〔男〕はそれ〔頭〕を抱えてアッバス’Abbas*ジャジーラのエミル’Emir of Jazira**の前へ罷り出た。アッバスはなにが起こったのかを聞くと、(警吏を)派遣し、彼らをすべて男も女も子供たちも捕え、収監した。さまざまな拷問による尋問の末、彼〔アッバス〕は彼らの財産をすべて没収し、これによって彼は四十万か五十万ミナスを得た。」

*カリフ・アル−マンスール(西暦754-775)の兄弟

**ハランのあるメソポタミア北部

[Incerti auctoris Chronicon Pseudo-Dionysianum vulgo dictum (CSCO 91, 104, scrip. Syri 43, 53, 2voll.; ed. J.-B. Chabot, Paris 1927, 2.224.1 – 226.3)]

 

トーキング・ヘッズという主題 2


 

はなしを元に戻し、『ピカトリクス』第三書第十一章(54)。

 

[228]また彼らのもとには広壮な宝の館があった。これは聖域で俗人が入ることはできず、誰もその中を覗くことができなかった。これはまさに貯蔵庫として造られたもので、家具は一切なかった。太陽が獅子宮に入ると、彼らは赤銅色のキプロス出身の若者を引き連れ、前記したように*なし、美しく着飾らせてそこへ運び、その木や花で愉しませた。そして彼に望みのままに泥酔するまで飲ませ、夜、この聖域の貯水槽に入れて、胡麻油に浸す。またこのために摘んだ乾燥薔薇を加え、彼にカラシSenf, レンティッキアLinsen, チェーチKichererbsen, Reis, カラスノエンドウWicken, ウチワマメLupinen, 小麦Weizenの七食材でできた汁(スープ)を飲ませる。そしてアジャAjjar月(シリア暦五月)の二十八日、彼が息をつけるような何かを与え、目隠しをしてくしゃみをさせる。そして夜闇の中人影のない路に連れ出して、そのからだから頭を切断する。からだは埋めて、その頭をカディKadi*の隠所に運ぶ。これを神像の前に供えると、恐ろしい叫び(呻き声)をあげる。その叫びの数からサバ人の増減、治世の長短を占う。彼らのもとにこの儀礼を導入したのはバルティムという名のブラフマンBartim der Brahmane[あるいはBarnim, Barham (Brahma)]の賢者だった。彼はインドで亡くなり、そこからその地はブラーフマンの地Brahmanenと呼ばれるようになった。その他その書には数多のことが録されているが、ここでの主題から逸れるので略す。」

 

このKadivan Bladel, The Arabic Hermes, p.102 n.167が付している注から、二つの論考を見てみましょう。

 

Tamara Green, The City of the Moon God; Religious Traditions of Harran, Leiden 1992, pp.178-179.

「錬金術およびヘルメス主義伝統の町ハランに関するムスリムによる釈義典拠が二つある。どちらも理論と実践に渡り、たいへん古い惑星諸神崇拝をも含んでいる。イブン・アル−ナディームの「頭(al-Ra’s)」の解説は意味のずれに戯れるもの。キリスト教徒アブ・ユスフ・イシャ・アル−クァティイによれば、アル−マムーンはハランを訪問した折、その住民たちの「頭の崇拝」を告発した。この頭というのは彼の父ハルン・アル−ラシド(西暦786-809)の時代に生きた人(のもの)だった。この史譚につづいて、イブン・アル−ナディームはこの「頭」の意味を解説してみせる。それは「彼らがこの惑星の形相(すがた)と信じていたところに符合して」、ウタリド(メルクリウス)にそっくりな人の頭首だった。この男は捕らえられ、そのからだの諸関節が緩むまで油と硼砂(ボラクス)の液中に漬けられた。そして、
「彼の頭を引っ張るなら、引きちぎるまでもなくとり上げることができるほどになっており...彼らはこれを毎年、水星がその高みに到った時ににおこなう慣いだった。彼はウタリド(によく似ていたので)、これ(水星)の魂が彼の頭に到来した、と彼らは信じた。なにが起こるかと問われると、これはその舌で答えを告げた。彼らはこれ(預言)を、これの自然本性が他の何物にもましてウタリドの自然本性に符合相似したからに他ならない、と信じた。なぜといって、弁舌、認識等々はなによりそれ(水星)にかかわることであるから。」(42

ディマシュキは「予言する頭」についてこれと類同なものがたりをしている。ただしそこでは男の身体特徴は惑星火星(マルス)と関連づけられているが(43)。またジャービルの著作群から編まれた十一世紀のアラビアの天界魔術便覧『賢者の目的(ガーヤット・アル‐ハキム)』にも、予言に用いられた斬首された頭について二箇所で述べられているが、これは『フィリスト』にみられる「頭」のはなしとたいへんよく似ている。前者はインドの占星術譚の中に見つかるもので(GoejePlessnerはこの文書がサバ人たちのものと論じてはいるが)、後者はサバ人たちについて論じた章に認められるもの(44)。前者では、頭は「龍の頭の逆(位置)」に置かれるが、これはヒンドゥ占星術教義に関連した象徴表現である。もちろん自らの尾を噛む錬金術的な龍、ウロボロスをも想起させる。業の実修においてその体躯が下へと降るところは、『フィリスト』に記されているところとたいへんよく似ている(45)。後者は随分短く、不幸な犠牲者は目隠しされており、ディマシュキが語るもののように火星(マルス)と結びつくもののように見える。『賢者の目的』の逸名著者はこの儀礼次第について「インドで亡くなったブラフマンのブラフマという名で知られた賢者」によるものと記している(46)。」

 

(42) Flugel, 321; Dodge, Fihrist, 753-54.

(43) Chwolsohn II, 388.

(44) The work had a very interesting career in a Latin epitome, entitled the Picatrix. See W. Hartner, Notes on the Picatrix, 448.

(45) Willy Hartner, 448

(46) de Goeje, Nouveaux Documents, 364.

 

[*わたしはなぜか、中井英夫の掌詩「水星の騎士」と、随分昔、彼が少年時に書いたと語ってくれた「水少年」という題のおはなしを思い出しています。彼がこのマニ経迫害悔告譚(?)を知っていた筈はないのですが...]

 




トーキング・ヘッズという主題 1


Gayat al-Hakim III.7 つづき

 

そしてこの章の末尾、サバ人の密儀として、件の生首(トーキング・ヘッズ)が語られる。『賢者の目的』[226-228]

羅版では少年の資質を見聞する話(III.7 (38))、キプロス産の牡羊の供儀(40)になっているところ。

 

この話は先に羅版では略されていた人身御供の話(『ピカトリクス』II.12参照)によく似ている。まずこちらを亞独版でみておくと、

 

[139.6] そこには幾つか驚くべきことどもが載せられている。それらのすべてを引くなら、本書はずっと長大なものとなるだろう。占者たち(祭司?Kuhhan)によればこれらは彼ら一族の長(頭)をなすものであり、龍の頭の上にこれに抗するように据えられる。そのためにはまず、金髪で濃い青眼、眉が分かれず豊かな髪の男を選びとる。この者を聖域に連れ込むために、まず彼の好むさまざまなことをもって驚かせる。男を引き連れ、胡麻油を満たした水盤に首まで漬ける。そして男の頭だけが出るようにこれの上から蓋をする。頭だけを外に、からだは油に漬かったまま、蓋覆いを釘付けにして鉛で塞ぐ。そして毎日、男に胡麻油に浸した一定量の乾燥無花果を食べさせ、その鼻と顔の近くで驚愕の燻香と呼ばれる燻香を焚き、呪言を唱える。これを中断なしに四十日続ける。ただし飲み水は必要に応じて与え、油に浸しつづける。するうち腱が柔らかくなり(脚を引きずるようになり)、関節が柔らかくなり、血管は液体で満たされ、蜜蝋のように柔らかくなる。そして定めの日、皆参集して呪言を唱え、燻香を焚き、その頭をもって脊髄から引きずり出す。頭は神経が垂れ下がったまま、付随するものすべてを一緒に取り出し、からだは油の中に残す。つづいて、トネリコの木の灰をよく揮ったものに僅かばかり残りのからだを燃やした灰を混ぜてつくった穴にこれを納め、刺繍した木綿の布で包む。そこである種の燻香をもって焼香すると、この頭は王統の転換その他この世に起こることがらの時と吉兆とを汝に答えて語り、その眼は眺めつづけて已まないが、もはやその眼に光はない。[140] 惑星崇拝を看過したとしても、これをなせば十分である。男は止めるべきことを忠告し、顧客たちに起こるであろうことを告げる。知識や業について問うなら、それに答える。−加えて、水盤から残りのからだを取り出し、その肝臓を刻む。するとそこに彼らの事業に関する兆しがあらわれるだろう。また肩甲骨や関節のいくつかにも彼らの事業の行方がしるされている。彼の名においてより他、髪を切ることも飲食することもならない。アル−ムクタディルスの時(カリフ在位ヘジュラ曆295 – 320H.西暦908 – 932)、彼らの聖域の捜索命令が出され、事態は発覚した。聖域から皆が放逐された後、そこで彼の頭が見つかり、埋葬するよう命じられた。」

 

『ピカトリクス』第二巻四章瞥見 2

あるいは占星術師の恐怖あるいは狼狽と天文学者の謂う摂動Trepidatioについて

 

ところがH. Ritter – M. Plessnerアラビア語独訳版の当該個所を捲ってみると、不可解な註があった。

まず、この「古の賢者たち」に註して(独訳1962, p.81, n.4)、「恒星天の摂動についてはアレクサンドリアのテオンのprokeiroi canones註解に言及あり」とある。これのアラビア移入に関して参照文献として、E. Honigmann, Die sieben Klimata, 1929, 118ssが、テオンのテクストとして同書8217)および、希語版Commentaire de Theon… sur les tables manelles, ed. Halma, I, 1822, p.53、羅語訳Nallino, al-Batenii Opus astronomicum, I, 1903, p.298が挙げられている。

また山本啓二・矢野道雄訳「アブー・ライハーン・ムハンマド・イブン・アルマド・アル=ビールーニー著『占星術教程の書』」、イスラーム世界研究3.2 (2010), p.364 [192(191).天球の運動とは何か]に、「これは、アレクサンドリアのテオンtawunが護符師、すなわち古代バビロン人の星学者に関係づけている見解である。つまり彼らは天球について次のように考えた。天球には宮の方向へ向かう運動があり、その限度は8度である。その後それと同じだけ宮と反対方向へ戻る。その運動の期間は黄道の1度につき80太陽年である云々」。その註に上掲H. Ritter – M. Plessner版当該個所が挙げられている。

 

つづく「8度の東西往還運動」についてのH. Ritter – M. Plessner註には、「テオンがsemeia tropika(夏至冬至点)について論じている」とある。ちなみにNallino, al-Batenii Opus astronomicum, I, 1993, p.301ss; J. Millas Vallicrosa in al-Andalus X (1945), pp.83ss.が参考論考として挙げられ、タービット・イブン・クッラの『第八天の運動についての書Liber de motu octave sphere』についてはこの亞語独訳版の諸所参照と記されている。

 

そしてこの章中段以降、亞独版の記述はより詳細になっている。独訳から引いておくなら、

 

「これを修得するためには、君は皇帝アウグストゥスの史譚を探る必要がある。皇帝アウグストゥスの時代を128年遡って。この時が八度の逆行が終わる時にあたり、この時以降、新たに順行(ママ)がはじまる。ここにアウグストゥスの統治のはじまりからデイオクレティアヌスの統治のはじまりまでの313年を加え、また彼が皇帝として統治した年数を加える。そしてその八十分の一を採る。それらは八十年毎に一度動くから。八十年を繰り返してそれ(八度)と等しくするには八倍を要する。これが太陽および五つの惑星がそれらの軸を周回する計算に加えられねばならない。これによって君はこの業から君の望むところを定めることができるだろう。それゆえ、惑星の順行と逆行を看過してはならない。なんといってもこれこそが図像(護符、タリスマン)をつくるための要諦であるから。これこそ彼らが秘した大いなる秘鑰であると知りたまえ。この八度の順行と逆行の運動には六百四十年を要する。君にこれを説いたのは、それらが順行運動を完了する(*留となる)ときに、これの順行と逆行を見定めることができるから。この知識は望みの諸効力を生むための基本である。順行と逆行は獣帯球の極が東から西にあるいは西から東に動くことに起因する。他の相は役に立たない。順行がはじまる時、これはこの世に起こるできごとの兆表であり、逆行相がはじまる時もまたこれら順行逆行によって起こる他のできごとの兆表である。これら二つの運動は獣帯球に起こるものであって、直立球に固有のものではない。」

 

その上、Hashem Atallah英訳版には以下の一文がつづいている。

 

「王アウグストゥスはアレクサンドロス大帝の二百年後に王となったが、これは前者の統治がアレクサンドロス大帝の統治の二百六十年後に終わったことを意味している。アウグストゥスとディオクレティアヌスの統治の時期の間が三百十(ママ)年とされているのは、アウグストゥスが別の王から権力を奪い取った時のことであり、これはキリスト誕生の十二年前にあたる。そこで、これにこの世のはじまりからの年数四千九百八十八を加える。この総年数をアレクサンドロスの年記と符合させるために十二を引く。するとディオクレティアヌスの年三百一に上述した百二十八年を加え、ディオクレティアヌスの年は四百二十九年となる。」

 

H. Ritter – M. Plessner, p.83はこれを引かず(年数にも揺れがあるが)、註(2)で「写本K=Istanbul. Hamidiye 852)に付された註釈(*上掲Ritter – Plessner独訳にHaschem Atallah英訳部分を含めた部分に相当するものか?)を是認することはできない」としている。「そこに特定の数が与えられているにせよ、十二年前という理由も、摂動のはじまりつまりディオクレティアヌスの年が313128411年でなく、429年であるという理由も理解不能。またアレクサンドロス大帝の時代というのもまったくその道理が分からない。註釈者の言う世界のはじまりもまた、摂動のはじまりから百六十年でなければならない、とテオンに拠りつつ提起している意味が分からない。Casanova, JA XI 19 (1922), p.134以下に、問題の箇所が載せられているヘジュラ曆500年頃のイスマイル派天文学便覧の著者のことが記されているがこれは、ヤズドジルトJezdegerd年(西暦632792年以降のものだろう」と一蹴している。

 

この書が書かれた時代(12世紀か、そしてこれの翻訳編纂は13世紀中期)こと摂動に関してはその順行逆行にあたり僅かにループが描かれることはまだ観察されていなかった、あるいは占星術師たちにとってはいまだ一般的知見でなく、玄妙不可解な説として囁かれるものだった、とみてよいでしょう(つまり摂動はいまだ観測誤差のうちに隠されてあった。ここは表題からして恒星天の問題ですが、占星術において惑星の昂揚と失墜に関連して黄緯の上下が謂われることはあっても、惑星の順行と逆行における黄緯の変化が勘案されている訳ですらない、と)。

 

閑話休題。ここにあらためて戻ってくるために、先に進みましょう。

『ピカトリクス』第二巻四章瞥見 1


あるいは占星術師の恐怖あるいは狼狽と天文学者の謂う摂動Trepidatioについて

 

意味不明な『ピカトリクス』第二巻第四章をまさぐるうち、こんなことになってしまいました。Pingree羅訳版では問題の所在がよくわからないと思うのですが(CompagniPicatrix latinusでは当該個所は省略されています)...

 

Capitulum quartum. De motu octave spere et stellarum fixarum.

1 Sapientes antiqui qui fuerunt in scienciis magicis eruditi viderunt quod quatuor quarte celi moventur ab occidente ad orientem 8 gradibus. postea redeunt ab oriente ad occidentem aliis 8 gradibus; et talem motum appellaverunt motum 8 spere. Et multi ex expositoribus tabularum astronomie obliti fuerunt istius motus, nullam mencionem facientes de eo; in quo quidem motu sunt magne utilitates ipsius magice. Et fuerunt aliqui ex eis facientes tabulas qui dictum motum in ipsis tabulis posuerunt necnon et numerum et calculacionem I quibus eius motus semper ad libitum invenitur. Et hoc nullo modo tradas oblivioni propter quod est in ipsa magice sciencie maxima radix eo quod isto motu figure celi mutantur, quod est unum ex secrecioribus istius sciencie. Qui quidem motus istorum 8 graduum completur in 640 annis, et in totidem redit. Et iam dictum est tibi et ostensum quantum custodire oportet ipsum motum in ista sciencia magice necnon in sciencia effectuum celi. Qui quidem motus est motus poli celi signorum et est motus ab oriente ad occidentem et e contrario, nec potest aliter esse nisi ex istis duabus maneriebus. Et quando motus iste movetur ab oriente ad occidentem ostendit et significat res que in hoc mundo fiunt et opera, et quando incipit de occidente ad orientem ostendit et significat alios qui in hoc mundo fiunt effectus. Et iste motus est motus octave spere signorum et stellarum fixarum, qui quidem motus non est celi motus equalis. Et oportet quod hunc motum intelligas et ipsum in omnibus operibus tuis inspicias diligenter.

 

第四章   八天および恒星群の運動について。

「(1)魔術的知識に通じた古の賢者たちは、四分の一天が西から東へと八度動いた後、東から西へとまた八度戻ることを観てとり、この運動を第八天の運動と称した。天文表注釈者たちの多くはこの運動を失念し、これについては何も述べていない。この運動は魔術そのものにとって大変有益なものであるのだが。ただ、こうした表をつくった者のうち幾人かは、その表にこの運動をも載せたばかりか、数値と計算をもっていつでもその運動を見きわめることができるようにした。まさにここに魔術的知識最大の礎があるということを決して忘れてはならない。この運動によって天の諸形象は変るのであるから。これこそこの知識の秘鑰の一つである。この八度の運動は六四〇年で完了し、同じだけかけて元に戻る。すでに汝に語り明かしたように、諸天の影響の知識であるばかりか魔術の知識でもあるこの運動であり、これについては十分守秘するように。この運動は天極の諸星座(しるし)の運動であり、東から西へ、またその逆への運動であり、この二様以外にはあり得ない。この運動が東から西へと向かう時、この世に生起しはたらく事物の意味が開示され、西から東へと向かいはじめると、この世に生じる影響(*効果)は別の意味をあらわすことになる。この運動は第八天の諸星座(しるし)および諸恒星の運動であり、諸天の運動と一致しない。この運動について知解し、汝の一々の業の実修にあたり十分注目する必要がある。」

 

つまりここで「八度」とされているのが「8の字」の訛伝であったのではないか、と...

 

『ピカトリクス』第三書抄 12

Picatrix lib.III


ユピテルは熱にして湿。...
マルスは熱にして乾。...
ソルは熱にして乾。...
ヴェヌスは冷にして湿。...
メルクリウスは多様なかたちをとり...
ルナは冷にして湿。...
では、サトゥルヌスと交渉する方法を明かすこととしよう。汝がサトゥルヌスと関係をもち、なんらかを問うことを欲するならば、それが好ましい位置に到達するのを待つが良い。つまりそれが宝秤宮(天秤座)に入るのを。あるいはそれが水瓶座に入るとき.これはまさにその座である。あるいは磨かつ宮(山羊座)の後端.これは第二の座である。これら三つの座にサトゥルヌスが来ない時には、東にそれら(三つの座)のひとつの後端が来るようにして、三角あるいはそれに代わる場所を選び(?)(これらは皆天の中心からの角度として選ばれねばならない)(24)、(サトゥルヌス)の順行時、それが四番目の男の座にある時を選び、視線を東に向ける。(他の惑星が不都合な位置にないかどうか)特に、マルスが四番目のアスペクトにないかどうか、それが降下順路にないかどうかを十分確かめる。...サトゥルヌスが好ましい位置に入ったなら、それに祈祷を捧げる.その折には、からだを十分に覆う黒布の服を纏う。つまり学者のように黒外套を纏い、同じ色の靴を履く。そして業を実修するため調えた隔絶した場所で、敬虔にユダヤ式に香を焚く。というのもサトゥルヌスは彼らの集合の主であるから。鉄の指輪を手に持ち、これまた鉄の香炉を携え、その内に熾した炭を入れ、そこに練粉を入れ燻す。その成分は次の通り。等量の阿片、Stirax officinalis(蘇合香)草、サフラン、月桂樹の種子、胡桃、苦蓬(アッセンチウス)、羊毛の切端、コロシントウリ、野生の黒猫(黒い石英?)。それらの汚れを取り去り、すべてを黒山羊の尿とともに混ぜ、細かい繊維となす。業の実修にあたっては、その一片(帯状のもの)をとり、香炉の炭火の上に置く。そして(煙を)サトゥルヌスの方に立ち昇らせる(サトゥルヌスの方を向く)。煙が香炉から立ち昇るうち、次の祈祷を唱える。「偉大なる主よ、すべての惑星の上なる天に住みたまう卓越した御名の主よ。あなたは神によりて至高なる不触のものと成された。


(24) Allora ponilo ad oriente rispetto ad uno dei suoi ultimi angoli, o di quelli triplicati o di quelli succedanei (fra tutti, si deve scegliere l’angolo posizionato al centro del cielo),

『ピカトリクス』第三書抄 11

Picatrix lib.III

マルスには...軍役に関することを...また鼠けい部より下の病、静脈の疾患、腫れその他の病(の癒しを)頼むがよい。ヴェヌスの援けによってそれは癒されるだろう。この惑星の自然本性はマルスが果たした業を解き、マルスが否定的に影響を与えたところを矯すものであるから。
ソルには...義と真実を愛し、偽と暴力を蔑することができるような人としての大いなる能力を...
ヴェヌスには婦女、子供の好尚を得るための祈りを...この祈りはマルスの援けとともに多くを利する...
メルクリウスには、公証人、書記、算術家、幾何学者、天文家、文法学者、弁論家、知を愛する者、弁証家、詩人、王の息子、その秘書官たち、司令官たち、商人、宰相、弁護士、奴隷、子供、幼い兄弟、画家、図案家等々の祈りを。
ルナには王に抗する祈り...
では各々の惑星の自然本性について記しておくことにしよう...
サトゥルヌスは冷にして乾。病と損傷を司り、悪しく腐った臭いの前兆がある。尊大な裏切り者。決して約束を守らない。...その運動が正行(直進)のとき、ことばに真性の意味を付与し、待望、黒色、老い、威厳(建物)、怖れ...隠された知識、隠された意味、知識の深みにあるところを意味する。その運動が逆行のときには、傷害、衰弱、病患を、幽閉その他人生のの災い意味する。それが他の惑星に向かうときには、その惑星の特性をすべて忌まわしいものに変ずる.逆行時に祈りを捧げるならば、不快、悲惨、大いなる徒労をのみ成し遂げることとなろう。

『ピカトリクス』第三書抄 10

Picatrix lib.III


6章 諸惑星の力能の誘引およびそれらと交渉するための手段。その効果は、惑星、図像、生贄、口誦、燻蒸によって分かれ、また天の状態とはそれぞれの惑星が必然的に関与する天の状態の呈示を要する。???

アタバリAthabaryという名の賢者は、古賢たちの魔術の業に関する諸著に見出されるかぎりの、惑星の力の受容についての賢者たちの業をもとに、なによりそこに認めるべき態度を次のように要約している。「ある惑星と交渉しようと欲するか、すくなくとも汝に必要な好意を得ようと望むならば、まず第一に、神を前に汝の意思と信仰を清めねばならない。特に注意すべきは、他の偶像を礼拝しないこと。そして、汝のからだと着衣の汚れのすべてを清める。つづいて、汝の要請が向けられるべき惑星の自然本性を検討する。祈りをもって惑星との交渉に入るにあたっては、それ(所定の惑星)にふさわしい色の着衣を纏う。こうすることによって適切に燻蒸を施すことができ、祈祷に利することができる。惑星が先述したような配置をとるときにこれらすべてを成すなら、汝のあらかじめ目的とするところが成就されるのを認めることができよう。そこで手短に一々の惑星に祈祷を捧げる。サトゥルヌスには、老人たち寛容な人々、町の長老たち、王たち、隠者たち、大地の耕し手たち、町に財を成す者たち、優れた人々、農夫たち、建築家たち、奴隷たち、泥棒たち、父たち、祖父たち、曽祖父たちのなした祈祷を。それによって苦痛やら思惟やらに苛まれるか、憂鬱あるいは病患が重くなったなら、先に説いたような方法でサトゥルヌスの好意を恃むか、先に述べた業のうちのいずれか、あるいはまさにその(?)自然本性に属するところを成す。これについては後述する。この勧請により汝はユピテルの利益を得ることとなろう。その秘密は祈祷一般において恃むことのうちにではなく、問うべき惑星の主宰に帰される祈祷をなすことにある。ユピテルにはそれにふさわしいことを招請すべきである、あるいは至高なる人々、権力者、高位聖職者、賢者、律法の説教者、司法官、義しき人々、夢占師、隠者、知を愛する者、王、その息子たち孫たち、兵士たち、その甥たちの祈り。平和と密約の祈り。いずれここに述べたようなことを問うがよい。

『ピカトリクス』第三書抄 9

Picatrix lib.III

 上述したところから明らかなように、完全な自然は賢者あるいは知を愛する者にあるのであり、それは師が弟子を前にするところ、師は弟子にまず単純な基礎を教え、つづいて段階的に単純からより重要で複雑なものへと向かい、ついに弟子は知識の主となるのである。前述の自然もまさにこのようにはたらくのであって、その力能と注入(影響)を介して、知を愛する者の知性をあるひとつの自然本性の性向へと向けるのである。それゆえ、ここまで述べきたったことを十分記憶にとどめおくことの重要性が理解されたことと思う。当然のことながら、本人の気質ばかりでなく、その生誕時を主宰する(ドミナント)惑星の力能およびその配置によらずして、この知識に到達することは不可能である(23)。

(23) Idcirco ex praedictis patet quod natura completa sic se habet in sapiente vel in philosopho, quemadmodum doctor erga discipulum, qui docet ipsum principaliter in primitivis et levibus, deinde ad maiora et difficiliora procedit gradatim, quousque discipulus in scientia perfectus efficiatur. Et sic operatur proprie natura praedicta sua virtute et influentia, intellectum disponendo philosophi secundum naturalem inclinationem. Et intelligas praedicta memoriae accomodari oportere, cum ex praedictis concludatur quod impossibile esset aliquem ad istam venire scientiam, nisi eidem scientiae naturaliter inclinetur tam propria virtute quam dispositione planetae in sui nativitate dominantis.

『ピカトリクス』第三書抄 8

Picatrix lib.III

 上述した三つの霊は、触覚を超え、運動をも静止をも超えてはたらき、世界という意味において合一し、霊の諸力そのものが誘引しあい、お互いにひとつに融合する。これが図像(イマジネ)あるいは護符(タリスマン)の基礎であるとともにその名の由来するところである(19)。
 ソクラテスは、自然本性の完全とはただ賢者の試みであり、その内的な基礎であると言った。賢者ヘルメスに、知識とはなんの謂いであり、知を愛する者たちはそれに合することができるか、と問うならば、彼は次のように答えることだろう。「完全な自然とともに」と。彼らはあらためて問う。「知識と知への愛の基本とはなにか」と。彼は答える。「完全な自然である」と。さらに執拗に問う。「知識と知への愛の扉を開く鍵とはなにか」と。彼の答えは、「完全な自然である」。ではいったいその完全な自然とはなにかと問うと、彼は「完全な自然とは知を愛する者、賢者の霊であり、またそれを主宰する惑星(20)に結びついたものである。知識の帳を開く者、彼を通してのみすべての秘密が理解されるのであり、さもなければそれは理解不能である。そこから自然に関する諸見解が直接、夢のうちにあるいは目覚めのうちに (21)溢れ出るところである」、と(22)。

(19) Et sic operantur tres spiritus superius nominati, qui, quando sensui mundi superius tacti iungitur spiritus motus et quietudinis, attrahuntur vires ipsius spiritus et ipsam in aliam effunditur : et haec est radix imaginis et eius nuncupationis.
(20) cum planeta これをcompletaと写した写本があるのは面白い。つまりソクラテスの〈完全な自然〉とそれを〈自然と惑星(の関与)〉と読むことに対する違和感の間で揺れる文章。
(21) Al-Kindi, De radiisの一節参照(上注8)。
(22) Et Socrates dixit quod natura completa est solum sapientis et eius radix cimentum. Et quidam Hermetem sapientem interrogaverunt, rogantes cum quibus scientia et philosophi iungebantur ; respondit :《Cum natura completa》. Et iterum interrogaverunt, dicentes :《Quae est radix scientiae et philosophiae?》; dixit:《Natura completa》. Preterea interrogaverunt eum strictius :《Quae est clavis qua scientia et philosophia aperiuntur?》; respondit :《Natura completa》. Deinde quaesierunt ab eo quid esset natura completa ; respondit :《Natura completa est spiritus philosophi vel sapientis, cum planeta ipsum gubernante colligatus. Et illa est quae apperit clausuras scientiae, ex quo intelliguntur ea quae aliter intelligi minime possunt, ex quo naturae opiniones procedunt et directe. tam in somnis quam in vigilando》

『ピカトリクス』第三書抄 7

Picatrix lib.III

 そしてギリシャ人ティミティンティムTimitintimもまた彼の著書の巻頭で同様の見解を表明している。この業を窮めようとする者は、ある特定の欲望や思惟から解放されていることが緊要である。すべての魔術の基本は思惟からなるものであるゆえに(17)。
 またアリストテレスは、図像(イマジネ)の数々がそう呼ばれるのは、諸霊の力がそれに結びついているからで、図像化(想像力、イマジナツィオーネ)にはそこに閉じ込められたある一つの霊の力能を含みもっている、と言う。諸霊の力(剛毅)あるいは意味には四つがあり、それらはこの世のうちに十分秩序づけられており、事物の霊に誘引される霊、完全で健全無傷な霊の反射(省察)、そして人の手によってつくりあげられた霊がある。これら三つの霊は質料のうち、意思のうち、業のうちに存し、完璧な省察(反射)の内なる意味関連のうちに合一する。これをこの世の中によく秩序づけられた存在と言ったのである。そして(諸惑星の)光線をとらえ、ふたたびそれをまさにつくろうとする諸事物の上に注ぐ。それはまさに鏡に起こるがごとく、それ(鏡)が太陽に向けられると光線を反射して、隣接する影の部分に太陽から集めた光を投げかけることによって照らす。それにもかかわらず太陽の光はまったく減少することはない(18)。

(17) Et Timitintim graecus idem in principio libri sui dixit quod qui hoc opus voluerit operari, ipsius voluntatem oportet et cogitaciones a certis depurare, quia radix et totius operis fundamentum in cogitacionibus consistit.
(18) Et Aristoteles dixit quod imago ideo nuncupatur imago, propter quod vires suorum spirituum sunt coniunctae, deinde cogitacio est inclusa in re in qua virtus in spiritu recluso consistat. Et fortitudines spirituum sunt quattuor, scilicet sensus, qui in mundo existit compositus, spiritus rei qua attrahitur spiritus, spiritus cogitacionis completus, sanus et illesus, et spiritus operis manibus laborati, et hi tres spiritus – in materia, voluntae et opere existentes – coadunantur sensum cogitacionis completae, quem diximus esse in mundo compositus, et attrahit radios et componit eos in rebus quas componere intendit, quemadmodum in speculo quod, quando versus lucem Solis elevatur, eius radii reflectuntur versus umbram collateralem et recipit radios Solis suo lumine et proiicit ipsos ad locum umbrosum, et ipsius umbrae locus lucens efficitur illuminantus : nec propter hoc aliquid minuitur ex lumine Solis.

『ピカトリクス』第三書抄 6

Picatrix lib.III

 第一に、これはアリストテレスも証言していることだが、彼らは数々の図像(イマジネ)をもって業を成した。はじめて諸霊があらわれたのはカラフゼビスCaraphzebizのもとにであったという。この人物はまた、魔術の業をはじめて見出した人でもあり、諸霊ははじめて彼にあらわれ、信じがたきことを成し、彼に諸々の知識に反する完璧なる自然本性をあかし、彼に自然本性と知識の秘密のすべてを理解せしめたのだった(14)。
 そのとき親しき霊は彼に言った。「わたしを近くに置き、誰にもわたしの存在をあかしてはならない。それらの者たちがわたしを召喚し、わたしの名に生贄を捧げるようなことがないように」と。この賢者は諸霊の欲するままにふるまい、業やはたらきばかりか、権能からする援けをも得た〔過去と現在ばかりか未来をも得た〕。それは、この賢者カラフゼビスからアメヌスAmenus(15)と称する者に伝えられ、そしてアメヌスは諸霊と魔術の望みのままにはたらく第二の者となり、一二六〇年を生きた。この賢者は彼の教えを次のように表わした。魔術の業を成し諸霊の力を利することを欲する賢者は、不安焦燥を引き起こすようなすべてを避け、この知識より他の知識のすべてから離れねばならない。かくすることによって、思惟ばかりか諸感覚のすべておよび知性のすべてを厳密に集中することが容易になる。魔術的知識の熱烈な省察に合するためには、他のなににも煩わされぬようにすることが好ましいゆえに(16)。

(14) Quod etiam Aristoteles dixit quod primus, qui cum imaginibus operatus est et cui primo spiritus apparuere, fuit Caraphzebiz : et iste fuit qui primo magicam artem invenit et spiritus primitus apparuere eidem, mirabilia facientes, et panderunt naturam completam contra scientias et ipsum naturae secreta et scientiarum intelligere fecerunt.
(15) Amenus→Arteriusと転嫁することは容易に思われる。つまりアルテフィウス、次注の1260がいったいどのように表記されていたものか実に気になるところ。ロジャー ベイコンが読んだ謎の書の記載1025とともにアルテフィオの出自を見極めるためにも。
(16) Et spiritus familiaris ait :《Me tecum teneas, nec me alicui reveles, nis me vocanti et in meo nomine sacrifitia facienti》. Qui sapiens erat ex spiritibus operatus et in suis potentiis, necnon et operibus in suis actibus se iuvabat. Et ab hoc sapiente Caraphzebis usque ad alium sapientem nominatum Amenus, qui Amenus fuit secundus ex spiritibus et magicis operatus, fluxerunt anni 1260. Qui sapiens in sua doctrina taliter admonebat, quod quidam sapiens volens in magica operari et sibi ipsi viribus spirituum servire, omnia sollicita et omnes alias scientias preter istam a se debet penitus amputare, propter quod omnes sensus et intellectus et cogitationes, circa quid strictius versantur, poterit faciliter acquiri ; et cum huic magicae scientiae multum cogitaciones assiduae congruent, oportet operantem per ipsam non esse circa aliqua alia involutum.

『ピカトリクス』第三書抄 5

Picatrix lib.III

 この儀礼は『アッティメケムAttimequem』と称する書物に記されている。古の賢者たちは一年に一度これを行ない、それぞれの霊に向けて完全なる自然本性を調え(自然本性に命じ)ていたという。そして友人たちとともに食卓にこのように配列し、調えたものを食したという(12)。
 またアリストテレスは、賢者たちはそれぞれ高き諸霊から注入された力能をもち、この権能を介して感覚や知性の閾を啓き、いろいろな知識をあらわしたという。この力能に生誕時知識を宰領する植物(?)を結び合わせたと。この力能はじつに本質的に知性を増強する。実のところ古の賢者たち王たちもまた、この儀式を実修していたものであり、上述の四つの名を唱えて、知識や知的な性格の仕事の援けとするとともに、数々の問題を解消したのだった。それにまた、それらの霊によって敵の妬みから身を守ったり、その他いろいろなことを成したのだった(13)。

(12) Hoc opus narratur in libro quod Attimequem nominatur. Et sapientes antiqui praedictum opus semel in anno suis spiritibus facere solebant, ut eorum naturas completas ordinarent ; hoc facto, comedebant, suis amicis secum adiunctis, quicquid erat in mensa composita.
(13) Aristoteles autem ait quod unusquisque sapiens habet virtutem propriam sibi a spiritibus altis infusam, quibus potentiis clausurae sensus et intellectus aperiuntur et scientiae patefiunt. Et haec virtus cum virtute planetae dominantis in scientia nativitatis iungitur, quae virtus sic in se congregata ipsum roborat et sibi dat intellectum. Sapientes quidem antiqui et reges hoc opus facere solebant et hac ratione cum quattuor nominibus supradictis orabant, quibus se iuvabant in suis scientiis et intellectibus et augmentacionibus suorum negotiorum et rerum ; et ex istis se tuebant ab insidiis inimicorum et multa alia faciebant.

『ピカトリクス』第三書抄 4

Picatrix lib.III

 そこであらためてわたしはいつどのような方法で彼を呼ぶことができるかと問うた。それに彼は答えて言った。「月が白羊宮(アリエテ)の第一度に入るとき。それが昼であっても夜であってもかまわない(8)。清浄に輝く家に入り、東向きの一角に土から高くもち上げて食卓〔祭壇〕を設けよ。そして1リッブラの容量のある四つの壷〔urceos〕をとり、ひとつを雌牛のバターで、もうひとつを胡桃油で、三つ目を扁桃油で、四つ目を胡麻油で満たせ。そして同じ容量の別の四つの壷をとり、葡萄酒で満たせ(9)。
 そして、胡桃油とバターと蜂蜜と砂糖の混合物を調え、同一の四つの壷とこの混合物を配し、また硝子の器をひとつ、食卓の中央に配する。そしてその上に汝が調えた混合物を置く。つづいて、葡萄酒を満たした四つの水差しを同じ食卓の四隅に配す。まずはじめの壷を東に、二つ目を西に、三つ目を南に、四つ目を北の順に配置する。その後で、残りの四つの壷をとり、まず扁桃油を満たしたものを東向きの葡萄酒の壷の脇に、そして胡桃油の満ちたものを西に、南にはバターで満ちたものを、北には混合物からなる油を満たしたものを置く。そして蜜蝋製の一本の蝋燭を灯し、食卓の中央に置く。炭火を満たした吊り香炉をふたつ用意し、一方に抹香と乳香を、他方にアロエの木を投じる。これらがすべて済んだら、立ったまま東に向き、七度、上述の四つの名を呼ぶ。そして七度呼んだ後、次のように唱える。「力づよく卓越した権能ある霊よ、まさに汝に叡智の知識および格別精妙なるこころの知性の由来することは判っている。汝の力能によりて賢者たちの問うところを解き報いたまえ。汝がわれとともにあり、汝の権能と力能をわれに合し、汝の知識をもってわれを剛毅なるものとしたまえ。さすればわれはわれの解し得ぬところをも解し、知らぬところをも知り、見ることを得ぬものを見ることとなろう。われより貧しさ、破廉恥、忘却、病患を除きたまい、古の賢者たちの段階まで高めたまえ。彼らこそたしかに知識に溢れ、賢慮、知性、知解を保ちし者たち。わがこころにも同じことを刻み、われをも古の賢者たちに等しきものとしたまえ」と(10)。
そして彼は言った。「汝がわたしの言うところの一々にしたがうならば、わたしにまみえることとなろう」と(11)。

(8) これはアル‐キンディーのDe radiisの一節、tum in sompnis, tum in vigiliis [ed.D’Alverny, p.252]の転嫁かもしれない。しかし後段に「夢と現」という表現はあらわれるのだが。
(9) Iterum interrogavi eum quo tempore vocarem et qualiter facerem in vocando. Et ille ait : “Cum Luna in primo gradu Arietis fuerit in die vel in nocte〔上注参照〕, quemcunque velis, ingrediaris domum nitidam et splendidam, in cuius angulo ponas mensam a terra elevatam ex parte Orientis. Et accipe quattuor urceos et eorum quilibet sit unius librae capacitatis, quorum unum impleas butiro vaccino, aliud oleo nucum, tertium oleo amigdalarum, quartum oleo di zizamo ; postea accipe alios quattuor urceos, priorum magnitudinis confectos, quos inpleas vino.
(10) Deinde facias compositionem ex oleo nucum, butiro, melle et zucharo ; et accipe ipsos quattuor urceos et hanc misturam, quam fecisti, et unum vas vitreum ipsumque in medio mensae primitus ponatur : et super eum ponatur compositio quam fecisti. Subsequenter ponas illos quattuor urceos vino plenos in quattuor partibus ipsius mensae, qui hoc modo sint distributi : primum urceum in parte Orientis, secundum in parte Occidentis, tertium ad partem Meridiei, quartum ad Septentrionalem partem situabis. Post hoc, accipias alios quattuor urceros et primo oleo amigdalarum repletum versus Orientem iuxta urceos et primo oleo amigdalarum repletum versus Orientem iuxta urceum vini ponas ; et oleo nucum repletum ponas ad Occidentem ; et butiro repletum ad partem Meridiei et oleo illius compositionis repletum versus partem Septentrionalem situabis. Subsequenter vero accipe candelam ceream accensam, ipsamque in medio mensae ponas ; deinde accipe duo turibula accensis carbonibus repleta, in quorum uno ponas incensum et masticem, in reliquo lignum aloes ponas. Quibus expletis, erigas te versus Orientem in pedibus et supradicta quattuor nomina septies invocabis ; quibus septies invocatis, eris taliter alloquuntus : “Exclamo vos, spiritus fortes, potentes et alti, quia ex vobis scientiae sapientum et intellectus intelligentium procedunt, necnon et vestrorum virtute petitiones philosophorum complentur, ut mihi respondeatis et mecum sitis, et me vestris potentiis et virtutibus vobiscum adiungatis et me vestris scientiis roboretis et intelligam ea quae non intelligo et sciam ea quae ignoro et quae non video videam. Et a me removeatis necessitatem, turpitudinem, oblivionem et infirmitatem et me ascendere faciatis ad gradum antiquorum sapientum, illorum videlicet qui habuere corda scientiis, sapientiis et intellectibus et cognitionibus repleta : et praedicta in corde meo affigatis, taliter quod cor meum ut corda sapientum antiquorum efficiatis”.
(11) Postea dixit : “Cum autem opus prefatum praedicto modo compleveris, videbis me”.

『ピカトリクス』第三書抄 3

Picatrix lib.III

 わたしは彼が誰かと問うと、彼はわたしに答えた。「わたしは完全な自然である。わたしと語りたいときにはわたしの名を呼びたまえ。そうすればわたしは汝に答えるであろう」(6)。
 彼にどんな名で呼ばれてきたかと問うと、彼はわたしに答えて言った。「わたしは上述の四つの名をもって召喚され呼ばれてきた。それらをもってわたしを呼ぶなら、わたしは汝に答えるであろう」(7)。

(6) Interrogavi eum quis esset, qui mihi respondit : “Sum natura completa et cum mihi loqui desyderas, nomine meo proprio voca me et respondebo tibi.”
(7) Cum enim interrogavi quo nomine vocabatur, qui mihi respondit, vel dixit : “Quattuor nominibus supradictis nuncupor et appellor ; quibus cum me vocaveris, respondebo tibi.”

『ピカトリクス』第三書抄 2

Picatrix lib.III

 実際、彼らは完全な自然本性をこれら四つの霊の名で呼んだ。Meegium, Berzahuech, Nacdem, Nufeneguedim。完全な自然本性の霊がこれら四つの名に分けられるというのは、賢者たちすらこの完全な自然本性〔の一性〕を予見できずして、完全な自然本性の能力〔潜在力〕をあらわす四つの名をもって呼んだということである(3)。またヘルメスは次のように言った。「真実を知ろうと欲し、この世界、つまり自然本性そのもののはたらき〔業〕の秘密の数々を推論する時には、わたしは深く暗い井戸の上に自らを置いたもの。そこから激しい風が出でるばかり、わたしはその暗い闇のうちを観ることもできなかった。火を灯した蝋燭をそこに差し出すたび、それはたちまち風に消された。そんなとき、夢に巨大で信じられぬほど堂々たる男があらわれ、わたしに言ったのだった。蝋燭を一本とり、それを硝子の角灯に容れよ。それが激しい風に吹き消されぬように。そして井戸に差し出すなら、それの光によってそこに像(4)を捉えることができる。ひとたび井戸からそれを引き出すと、風の息吹はその〔井戸の〕うちに消えるだろう。そこで同じ場所に確たる光を置くことができるようになる。そこで井戸の四隅を照らすことによって、汝は世界の秘密の数々を、すべての事物の生成についてばかりか、完全な自然をその本質まで推し知ることができよう」(5)。

(3) Ipsos enim spiritus ipsius naturae completae istis quattuor nominibus nominabant : Meegium, Berzahuech, Nacdem, Nufeneguedim, quia quattuor ex partibus sunt nomina istius spiritus naturae completae superius nominatae ; et cum ipsi sapientes dicta natura completa indigebant, istis quattuor nominibus appellabant, quae nomina potenciam naturae completae significant.
(4) Imagine ; al-Kindi, De radiis : ad eius similitudinem radios suos proicit in res elementares et eas movet aliquo modorum virtute radiorum suorum quam ab armonia recepit [ed. D’Alverny, p.253]
(5) Dixit autem Hermes :《Cum ego enim volui intelligere et extrahere secreta operis mundi et ipsius qualitatis, posui me supra quendam puteum profundum valde et obscurum, a quo quidam ventus impetuosus exibiat, nec in ipso propter eius obscuritatem aspicere valebam ; et cum candelam in ipsum accensam mittebam, statim extinguebatur a vento. Deinde mihi in somnis vir formosus et imperiosae auctoritatis apparuit, qui mihi fuit taliter alloquutus : “Accipe candelam accensam ipsamque in lanterna vitrea ponas, ut impetuositate ventus non extinguatur, eamque in puteum mittas, in cuius medio foveas. Et exinde imaginem〔上注参照〕 extrahas quae, cum tracta fuerit ab eodem, ipsiusque putei ventus extinguetur et sic ibidem tenere poteris lumen. Deinde quattuor putei angulos foveas, ex quibus extrahes mundi secreta naturamque completam et eius qualitates, necnon generationes omnium rerum”.

『ピカトリクス』第三書抄 1

Picatrix lib.III

以前エウジェニオ ガレンを読んだときに、わずかばかり取り出してみた『ピカトリクス』の破片がでてきたので、真夏の召霊(暑気払い?)にご紹介しておきましょうか。
そんなことを書いているうち、今日は午後、2ヶ月ぶりに雨が降りました。

『ピカトリクス』第三書
6章 諸惑星の霊を自然の諸事物からとりだす能力について、また護符とはなにか、それはいかにして力能を得ることができるか(1)。

 自らの自然本性を諸惑星の力能と配置に委ねることなしには、誰もこの知識を完全にすることはできない。アリストテレスはAztimehetの書においてこの原理を次のように言っている。「完璧なる自然本性は賢者たちを強壮とし、一々の業〔著作〕においてより容易に表現することを得さしめるように知性と叡智を確たるものとする。またこの叡智を識る賢者たちは、彼らに可能な方法をもって、また各々の知解の段階にしたがって、それをお互いに秘し、知を愛する者〔哲学者〕たちを例外に誰にも決して明かそうとはしない。彼ら〔知を愛する者たち〕は、自然本性の完全なる霊の賜のはたらきをばかりか〔をその著作として〕、すべての知識と哲学の精妙さを弟子たちに明かした」(2)。

(1) Capitulum Sextum : de magisterio trahendi spiritus planetarum naturalibus rebus et qualiter fit imago et cuius maneriei potest habere virtutem.
(2) Nullus in hac scientia potest esse completus nisi ad eam virtute et dispositione planetarum sua propria natura furerit inclinatus. Et hoc, quod est in libro Aztimehet, Aristoteles dicit in quo sic ait :《Natura completa philosophantem fortificat, eiusdem intellectum et sapientiam roborat, ut in omnibus suis operibus levius velat adimpleri. Huius autem scientiae sapientum quilibet secundum gradus suos hanc scientiam inter eos occultavere pro posse, nec ipsam alicui, preterquam philosophis, patefacere voluerunt : et ipsi omnem scientiam et subtilitates philosophicas suis discipulis, preter opera spirituum naturae completae, ostendere.》
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六年目、ということでまたプロフィル欄を更新しようと思ったのですが、もうその欄に触れられなくなってしまっていました。 さて、これからどこへ行くのか。 あと探しものといえば、Sanioris Medicinae。
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