蕩減復帰は生きている間に地上でしなければ

 『・・・・・・私が行かなければならない道が難しいが、私の前で行かれる神様がおり、私のそばから行く友人がおり、わが兄弟がいるという事実を考えなければなりません。また人類が行かなければならない未来の運命の道が今でも我々の前に残っているということを考えなければなりません。』

 蕩減復帰は地上でしなければならない。*蕩減復帰は霊界でなく地上で完成しなければならない。そのある空間でない地上でしなければならない。失ってしまった場である地上でしなければならないのであって他の所がないのだ。(*から英語で話される) そう、生きている間にしなければならない。

 この法は、永遠にこの法が問題がある為にこれを解決しなければ霊界に行って引っかかる。天国の門に行って越えて行くことが出来ない。*頭で知って蕩減復帰世界に越えて行くことが出来ないのだ。堕落の結実なのでそのような結果をつくらなければならない。そうでなければあの国を通過できない希望がないのだ。(*から英語で話される) それを知らなければならない。

 絶対的な事であるが、サタンの管轄下にいるために、数多くの宗教が分からなかった為にそこに待っているのだ。永遠な課題だ、これは。ここで知ると出来るのでなく仕事をなさなければならない。なすところは父母様も教えて下さるだけであり、学校に行くのを案内するだけであり、父母様が勉強し試験をして譲ってあげることが出来ない。皆さんが原理を知ったとすれば原理そのままに従わなければ卒業状をえることが出来ないのだ。

 特別に西洋の家庭で、学校で個人主義を主張するが、そうでない。ある誰かについて行くところも独創的な面で働くが、大きなサタンの計略に陥っているのだ。その世界は個人主義的なコンセプトを立てるようになれば、永遠にそのモデルのタイプの上にインヂビジアル(individual) なコンセプトが出てこない。それが問題だ。公式が矛盾するのだ。千の人であれば千の人がすべて自己中心的に独創的な考えをすれば、それがどこで一つになる? それが問題なのだ。それを徹底して教えてあげるのだ、皆さんに。蕩減復帰、責任分担!

 責任分担をしようとすれば蕩減復帰、カイン、アベルの問題を解決しなければならない。個人的なカイン、アベル問題、家庭的なカイン、アベル問題・・・8段階を越えなければならない。蕩減復帰というのがその言葉一言を知ることによって全て越えて行くのではない。8段階の争いを経て行かなければならない、生死の権を。そうじゃないか?

 ちっぽけなものが大きなものを占領できない。ちっぽけなものが大きなものを占領するためには投入してその大きなものがよいとしてこそ、私があなたについて行くと言ってこそ復帰が出来るのであってそうでなければ復帰はだめだ。大きなものの前に投入するが、もっと投入しろ、投入しろと言う。その投入が愛なのだ。愛的な蕩減の道を投入しろと言うが、サタンは自分の基準を超えたその理想をできない。絶対的な道を取ることによってすべて成すということだ。

 生きて出来なければ霊界に行ってもしなければならない。皆さんが祝福を受けたが、祝福を受けた天国が本来理想的な天国だ。祝福された人たちが入って行く理想的な天国なのだ。祝福家庭の理想を完結して入って行くのだ。3代が一つになった愛の実体圏から入って行くのだ。それを知るとして、3代が知るとしておじいさん、お父さん、自分の4大権を超えることが出来ない。蕩減が必ずふさがっているのだ。山になっている。山になっているのだ。それを壊してしまわなければならない。神様が壊すことが出来ない。

 そのために代表的なメシアが来て、蘇生時代のメシア、長成時代のメシア、完成時代のメシア、旧約時代・新約時代・成約時代、蘇生時代の霊形体まで育ててあげるその時まで2千年、生命体級の2千年・・・。それ以上行けない。待たなければならない。

 再臨主がイエスの代わりに来て地で勝利の基盤をぬぐい、家庭をもって天国の門を開けておかなければならない。でなければ首を切ってしまってイエスの首をすべて持って、体がイエスの体とこの二つが動くところに一致してこそ天国に入って行く。それは漠然としたものではない。具体的だ。それを知らなければならない。さ!

   
絶対価値観は相対と共に一つになれば生じる

 『・・・・・・どのようにすればサタン圏の愛とサタン圏の血統を脱げますか? 自分を愛し自分だけ考えればいつでもサタンは引っ張って行きます。反対に私を否定し、神様を中心に考えて生活するようになれば、サタンは私を管理できず神様が臨在して管理するようになります。これゆえにサタン世界の天使長圏から解放を受けることが出来るのです。』

 クアク(郭)会長、いつ行く? 「元来は明日の夕方に出発しようとしましたが飛行機がなくて・・・」 私がここで6日の日に行こうとしている。「私が侍ることができます。」 うん、自分が切らずに。「はい。」 さ、訓読会をしなさい。読みなさい。

 『・・・・・・愛というテトリーをもって私がサタンよりももっと愛する心で、神様を愛し宇宙を愛する心をもって ‘神様のみ旨と人類の解放のためにどん底に下りて行く。’ と言えなければならないのです。下りて行くことは何によって? 踏みつけられてみなさいというのです。40億人類にすべて踏まれてみなさいというのです。踏まれても私は不平を言いません。感謝し愛によって消化するのです。このような事をしなければなりません。

 革命、革命というのはそこに入って行かなければならない。レボルーション(revolutionn)という言葉は入ってひっくり返してしまうのだ。さ!

 『6)信仰は蕩減法を守って行くこと
 統一教会は98%、95%生活的な面が信仰です。95%神様がつくったのを失ってしまったので95%の事をしてこそ再創造がくりひろげられるのです。そうしておいてまた5%まで私がしなければなりません。だからどれ程難しいか? 堕落しなかったとすれば95%は天がしてあげ5%だけ私がするのであって、堕落することによって神様が再びしてあげることが出来ないのです。再創造を私がしなければならないが、95%プラス5%です。ですから死ぬ覚悟をしなければなりません。犠牲する覚悟をしなければなりません。』

 何故創造の偉業に私が相続者になるのか? 愛の同伴者であり、愛の。神様の愛を完成させるのは神さまではありません。アダム、エバが神様の愛を完成させるのだ。そう、創造の偉業に加担するのだ。驚くべき言葉だ。神様もアダム、エバの完成した場で愛を探すことが出来ない時には神様の愛が完成が出来ない。

 皆さん、男と女を中心に見る時、男が女を愛することが出来る主人となる場は結婚して妻を愛してみることによって妻が男を愛の主人をつくることだ。女を愛することが出来る愛の主人は誰がつくるのか? 女がすることではなく男がすることだ。父母を愛することが出来る、父母の愛の主人をつくってあげるのは、お父さん、お母さんではない。腹中で生まれる、‘ウンア!’といって赤ん坊が生まれるその時間に父母の愛が来るのだ。

 それはどういうことか? 絶対価値、人間世界は絶対価値を知らなかった。絶対価値というのは絶対的な神様自体では探すことが出来ないのだ。いくら努力しても一人ではだめだ。必ず愛の絶対価値権というものは相対と共に一つになってこそ生じるのだ。

   責任分担と蕩減の内容を確実に教えてあげた

 それでは人は創造偉業を相続されようとすれば、95%、97%までは神様がしたが、神様にぴたりとくっついて他の考えをせず、行くところに従ってだけ行けば瞬間に越えるのだ。創造の偉業を継承しようとすれば絶対信仰・絶対愛・絶対服従すれば瞬く間になるのだ。

 この警戒線のてっぺんに上って行く時、それは針の端ではない。そこには分水嶺があり、分水嶺が。分水嶺があって雨のしずくが間に落ちれば右側に行くのか、左側に行くのかという面積があるということだ。このてっぺんにも面積があるか? 面積があるのだ。まさにそれのような立場だというのだ。

 そのためにその面積圏内において二面を中心に立つことが出来る場を脱線せず、神様がぴたりと立てばぴたりと合わなければならない。97%神様が創造の偉業・・・。神様が愛することが出来る対象を立て約婚式をしておいて結婚式の前日まで、結婚式をするその時間だけその場に立っているが、結婚して一夜だけ過すようになれば越えて行くのだ。瞬間に決定される。

 そう、絶対信仰・絶対愛・絶対服従、これを知らない人は永遠にあの国に行って待たなければならない。あの国で誰が教えてあげない。あの国では蕩減復帰できない。家庭まで、一族まで連れて行ってどうなるのか? 神様が苦労したことと同様に、自分が教えてあげることが出来ない。あの国の天国の門の前において復帰の内容を教えてあげることが出来ないのだ。

 先生が教えてあげたことがわかるか。わからないのではない。血で教えてあげたがなすことが出来なかったので永遠に未完成品だ。なそうとすれば自分の先祖たちが来て代わりに再創造に共助してあげなければならない。どれ程複雑か? 過ぎ去る言葉として、学校に通ってどの学科に対する責任も出来なくて、試験100点を取ったとなるのではない。深刻な問題だ。

 責任分担! 言ってみなさい、責任分担。「責任分担!」 英語では何か? ポーション オブ リスポンシビリチイ(portion of responsibility), このようになるのだ。責任分担! 責任分担というのが、ポション(portion)するようになれば別れるそれ自体、別れた概念がないのだ? 責任分担!漢字には‘分’の字が入るが、ポーションするようになれば自分自体取り分を言うのだ。英語で翻訳がどのようになっているのか? ポション オブ、そのようになっているか? 「はい。‘オウン ポション オブ(own portion of)' になっています。」 オウン ポション オブ! 分担という言葉がないのだ。「それは自分の取り分であるということだ。」 取り分ということが分担か? 「実感することではありません。」 責任分担、セパレイチド、別れた責任、セパレイチド ポション オブ リスポンシビィリチ(separated portion of responsibility)になるのだ。

 だから英語がどれ程、翻訳がどれ程不足するのだ。そう。‘ポション オブ ポンシビィリチ(portion
of responsibility)' と言う時は神様の場にも‘ポション オブ レスポンシビリチイ (portion of reonsibility)になる。責任が別れて出てきた。離れて出たので責任を言うがそれを神様のようにできない。インデムニチイ(indemnity)というのも蕩減という意味ではないのだ? 「はい。」

 保障であるとか、利権問題において保障であるとかそのような概念であって、自分がつくったという概念はない。*韓国語を学ばなければならない。そうでなければ確実に理解できないのだ。(*から英語で話される)蕩減、蕩減! そう、30%が不足だ。

 本がいいにはいいのだ! 一人で知っておいたことを本をつくっておけば一時に世界60億人類が一度に知ることが出来るのではないのか? 皆さんが伝えずわからなかったことがどれ程の罪かわかるか? み言葉を棚の上にあげておいて一気にくぼみに埋めてしまった。それをあげて風を起こして生きなければならない。さ、時間が1時間になった、いまや! 次にしなさい!

 『・・・・・・責任分担と蕩減ということを、この歴史の誰も知らなかったことを確実にしておきました。』


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