2005年7月31日(日)、漢南国際研修院

 (敬拝) (シンジュン(信俊)様に)拍手! (拍手) マンセー(万歳)! ウインク! 「アイ、よくやった! 握手! (オモニム)」 「今日、ワールドカープ(World CARP)から180人来ました。」 ワールド カープ? 「はい。」 さ、訓読会! (『天聖經』 ‘罪と蕩減復帰’ 編 ‘第3章 蕩減と復帰の公式 2)真のお父様の選り抜き’から訓読)


   蕩減時代を越えて行かなければ


 『・・・・・・蕩減復帰は肯定の条件が少しでも残っていればなされることが出来ない。絶対否定の条件によって蕩減条件が立てられます。そのように絶対否定の基準が個人・家庭・氏族・民族・国家・世界・天宙・神様に進む時まで立てられなければなりません。』

 まさにこの時間のみ言葉と共に皆さんがこのような事をすべて決定し成し遂げる場で越えていく時代になったのだ。蕩減時代を越えて行かなければならない。さ! (‘3)8段階の蕩減路程と八定式’まで訓読終える)

 今回何日に行く? 「7日に行きます。(クアク・ジョンファン、郭錠煥)」 8月7日? 8・15が過ぎるのか。「7日に行けばそこに8日に到着か? (オモニム)」 「7日到着です。(郭錠煥)』 そこで8・15を過ごしてくる? 「はい。」 何日? 「はい、8月19日までです。」 そうだ! それでは今や世界が我々のみ旨と最後の時が来る。

 や、それだけで終えなさい。「敬礼が終わりました。」 すべて終わった?

 皆さんは今や祝福を受けた神様の息子娘になろうとすれば・・・。ここ明日明後日か? 「明日です。(郭錠煥)」 いや、晩餐会の事だ。「明日です。」 明日の夕方か? 「はい。」 明日の夕方8月1日の日が最後だが、‘真の父母は神様の体’ なのだ。体を完成するということだ。 父母になる。完全に父母になるのだ。八定式が我々訓読したこととぴたりと合うのだ。、8月1日。

   善悪果を取って食べてはならないという戒めの意味

 さ、郭錠煥!
 「この言葉は、明日合同祝福の恩賜を下され、11回文化体育大典全体を祝賀する晩餐会を明日の夕方にするが、世界の指導者たちの前でアボニムが下される晩餐の言葉です。題目は‘真の父母は神様の体’という題目です。」 真の父母は神様の体! (郭錠煥会長が2005世界文化体育大典の勝利祝賀晩餐の創始者の演説文朗読)

 『・・・・・・とすれば肉身をもって生まれた人間としてどのようにすれば無形でおられる神様の体になりうるのですか?
 神様の属性は絶対・唯一・不変・永遠です。神様のこのような属性を完全に伝授し、創造した最高の傑作品が人間です。

 有限の物質世界の原理原則を基盤としてつくった肉身は永遠たり得ません。そこで神様はアダムとエバが完成に至れば彼らの中に内在して完全一体をなすことによってアダムであると同時に神様であり、神様であると同時にアダムである永遠の真の人である父母の関係を結ぼうとしたのです。万一アダムとエバが堕落せず神様の戒めを守って個人完成をなして・・・』

 戒めは絶対信仰・絶対愛・絶対服従だ。すべての万有の存在はこの上にあってこの下にあるのではない。絶対信仰の上に、絶対愛の上に、絶対服従の上にある。愛と信仰はコンセプト(concept;概念)である。実体がない。しかし絶対服従は神様自体を投入するのだ。完全に投入するのだ。

 そこでこの全ての存在物は神様のものを完全に投入したものを伝授されたためにその完全なものが相対理想をなすためには反対に天の側の絶対信仰の相対がアダム、エバであり、絶対愛の相対がアダム、エバであり、絶対服従の相対がアダム、エバにならなければならない。与え受けるのだ。

 その戒めという言葉を知らなければならない。わかるか? 「はい。」 絶対信仰・絶対愛・絶対服従、この上に存在するものを食べて生きなければならないアダム、エバです。そのアダム、エバはこの全ての栄養素を、神様の信仰と愛と実体、神様の体全体、実体を投入したことを低級物から万有の存在を全て展開しておいたためにそれを吸収して食べて生きるのだ。だから完全に神様の前に受けて完全に戻してあげなければならない。

 それでは神様が愛の主人であるが、愛というのは一人でできません。愛というようになれば主体があらねばならないし相対があらねばならない。いくら絶対的な神様でも愛の完成は一人でできない! わかるか? 「はい。」 ここ男がいくら生まれがよく神様のような人がいるとしても、おんなが無くなる時は神様の愛は永遠になすことが出来る、出来ない? 「できない!」 できる、できない? それが正論だ。正論であり結論だ。

 神様も愛の完成をなすためには神様自身が必要な事よりも愛の相対である女が絶対必要だった! そのために絶対的な概念というものは神様一人では終わらない。それを知らなければならない。既成教会や宗教世界、哲学世界で話したように ‘絶対には相対がない。’ ではない。相対が出てくることによって愛の始まり、愛の信仰が生じ、愛のコンセプトが生じ、信仰と愛が一つになることによって実体になった実体を感じるが、その実体をどのように感じるのか? 神様自身を投入したのだ。

 そう、服従というのは自分の主張がない。自分が主張するコンセプトがないのだ。相対、主体の前にすべてを永遠に投入し忘れてしまえる場であって、私のものだという概念を探すことが出来ないのだ。

 このために驚くべきことが何かと言えば絶対価値の愛の完成は神様だけもってしてはだめなのだ。神様がつくったとしても神様の創造性、偉業、97%を神様がたて、3%を人間が助けなければ神様の愛が、神様のみ旨が、神様の愛の相対的な存在物はこの地の上に現れることが出来ないという論理だ。

 アダム、エバに対して善悪果を取って食べてはならないという戒めを与えたが、アダム、エバより天使長たちに話したのだ。神様を中心に3人の天使長、アダムを中心とした5人の男の前に善悪果を取って食べてはならないという、女に対して警告したことが神様自身を中心にアダムと3人の天使長にした警告であるにもかかわらずこの警告した戒めをひっくり返してしまった。

 公的な警告であるにもかかわらずこれを中心に・・・。中心に行ったが、あちらで授受できる基準が出てきてこれがこのように戻ったとすれば、この平面が縦的に回りこうして360度に宇宙は回るのだ。そう、永遠な多方面のおお主体と相対権を包括して愛を中心に全体が包括して管理され1つの実体、主体と対象、神様と人間として創造したエバと共に一つにならなければならないのだ。

   創造の終着点と絶対家庭

 創造の一番の終着点がこの見ることが嫌な女たちだ。創造の果てが誰かと言えば女だ、女。何故? 神様も男性格主体なのだ。男性格主体が女性格対象が必要なので、創造することは愛のみ旨をなすためのものなので、愛の対象であるエバを中心にすべのものをつくったというのだ。造る前に先有条件が何か? 何を標本としてつくったのかと言えば、エバを、女を標本としてつくったのだ。男はそれを知らなければならない。

 男がポルロク(볼록;凸)か、オモク(오목;凹か? 「ポルロクです。」 ポルロクとしては何をするのか、一人で? アダムを先につくったというが、それは結果的な観であり、アダムをつくる前に先有条件、先ず必要としたモデルの一つの出発できる条件が何かと言えば女という怪物だったというのだ。

 女、言ってみなさい。「女!」 何故女が怪物か? 女には子孫万代に自分の代を継ぐことが出来る家がある。その家が何かと言えば、母宮か、父宮か、子宮か? 「子宮です。」 子宮のない女がいるのか? 子宮から出た息子を持つことによって母宮になり、母宮から出た息子娘がいるので父宮になり、父宮から出た人間アダム、エバの家庭から神様アボジが出るのだ。縦横の父母が出る。絶対家庭の基準の上で愛の完成の安息する所が家庭なのだ!

 家庭は何か? オモク、ポルロク 毎日のように喜びで、歓迎して栄光をもって侍る生活をすることが夫婦生活なのだ! わかったか、わからないか? 「わかりました。」 今までは分からなかった。N, O(no)だ。今のときはわかったのでK, N, O, W(know)、異なるのだ。

 だからこの基準まで上がろうとするので、、堕落したために僕の僕から8段階を経て上がらなければならない。個人時代・家庭時代・氏族時代・民族時代、縦的な基準8段階、中央を中心に全て同じでなければならない。同じであってこれが息子娘までも相対理想を中心に立体的家庭の定着地が、エデンで堕落しない完成的な家庭の出発が統一教会で言う父母の日、子女の日、万物の日、その次に何? 1968年1月1日が神様の日だ。6数を超えるのだ。それが漠然としない。具体的だ。この宇宙がこのように公式的にぴたりと首を結んでいるのです。

 今日、訓読会の日が最後の日だ、事実は?‘真の父母は神様の体である。’ と言ったが、皆さんの体は? 真の父母の体だ! 真の父母の体を延長したのが皆さんの子女たちだ。自分を主張できない。神様を主張し、真の父母を主張し、真の父母と神様が願う家庭以上の後孫を中心とした出発が家庭であるが、その家庭にはオモクだけあっても永遠に家庭がありえないし、ポルロクだけを中心にしても家庭がなされない。これが合わさって、結婚して一つの体にならなければならない。永遠な一つの体だ。

 ここで始まって個人時代・家庭時代・氏族時代・民族時代・・・8段階、個人的に個人時代・家庭時代・氏族時代・・・ このように大きく上がって行くのだ。ここから別に描いておけば個人時代・家庭時代・氏族時代・民族時代・国家時代・世界時代・天宙時代、これを中心にずーっとこのようにして世界の基準になったのが主体の神様に対して相対になって縦横に与え受けたので一体になって、個人的な内外、家庭的な内外、8段階、個人の内外の内容をもって一つになることによって絶対家庭と言う言葉になるのだ、絶対家庭。わかるか?

 絶対家庭と言うようになれば絶対アボジがおり、絶対オモニがおり、絶対兄がおり、姉がおり、伯母がおり、全ているのだ。そのようになされた家庭で連結されたすべての民族も絶対民族、その国も絶対国家、その世界も絶対天国、神様が創造理想とした永遠な永生の福楽の地である地上・天上天国だったのだ! アーメンだ。「アーメン!」


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