ちょうど10年前の2008年のことである。滅茶苦茶ディープ パープルにハマった時期がある。
その間に、バンドがリリースしたスタジオ アルバムはすべてCDで購入した。具体的に書けば第1期の3枚・第2期の4枚・第3期の2枚・第4期の1枚の計10枚。ライブ アルバムならば第2時代の3枚・第3期時代の3枚・第4期時代の2枚の計8枚。合計18枚、それらを、2008年から09年の2年間で自分はすべて揃えてしまったのである。一体全体、パープルのどこがあのころの自分を惹きつけそこまで魅了したのだろう…?
2008年と言えば、足かけ14年に渡り在籍した会社を自分が辞めた年でもある。会社の業績不振に伴い給料の未払いが続きこのままでは生活に支障をきたすからとその年の5月に辞表を提出した…。
未払いさえなければ辞めるつもりなどさらさらなかった。仕事自体は大好きだったし、職場内の人間関係も良好だった。あの14年間は毎日が本当に充実していた。倖せだった。
そんな自分の青春そのものだった愛しい仕事と、毎晩のように酒を酌み交わした親しい同僚と決別せざるを得なかった。その反動はやがて訪れる。後悔と自責、そして不安がつきまとう日々…。
自分は一層酒に溺れた。そして仕事が多忙ゆえ長いこと遠ざかっていたロック、それもハードロックに再度傾倒するようになった。
ハードロックをBGMに、ウイスキーの水割りを自室でぐいぐいあおる。そのBGMはツェッペリンのときもあれば、ジミ ヘンドリックスのときもあった。第1期ジェフ ベック グループもよく聴いたし、BB&AもそのころCDで買い直した。そして、やがてそのBGMはディープ パープル一辺倒になっていった。
ロックが一番ロックらしく輝いていた時代のその輝きを“ブリティッシュ ハードロック”とあの頃皆謳った。パープルこそは、その“ブリティッシュ ハードロック”のロマンを最も“音”で体現していたバンドだった。いや、だったように思えた。
パープルの音楽には強い“意志”がある。それはカッコ良くありたいという“意思”である。裏を返せば、自分たちが本当はカッコ悪いことを、彼らは他の誰よりも自覚していたということでもある。パープルには、どうあがいても レッド ツェッペリンにはなれないというジレンマがつねに付きまとった。それでも万人が認めるナンバーワン ブリティッシュ ハードロックバンドの地位に君臨すべく“打倒ツェッペリン”を絶対視した時点で彼らのサウンドのカッコ良さは生まれた。極論すれば、ツェッペリンに打ち勝ちすれば、彼らは(特にリッチー ブラックモアは)カネもクルマもオンナも要らなかった。いつだってパープルは女性ファンが少なく男性ファンが圧倒的だった。彼らは“モテない”バンドでもあった。
僕は自分がカッコ悪いことを知っている。だからカッコ良い音楽に憧れることも知っている。カッコ良い音楽を聴けば、せめてそのときだけは、カッコ悪い自分がカッコ良くなったようなそんな幻想に浸ることができる。
あの頃、パープルを聴いているときだけはその音の世界に酔いしれることができた。卑小な自分が、“ハイウェイ スター”や“スピード キング”“ファイア ボール”になったような気がした。そうすることで、ハードロックのロマンの世界に逃避することで、自分が置かれたヘビーな現実を必死に忘れようとしていたのだ。
ロックとは、カッコ悪い男がそれでもカッコ良くありたいと願う強い意志のことでもある。ディープ パープルは男のハードロックバンドなのだ。
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若い時は特に。
4回結婚して、いまの妻は26歳年下。
どんなアーチストより、モテているでしょう。
クラプトンだって、結婚は2回です。やはり、凄い年下妻ですが、今は。
リッチーのモテぶりに誰も敵わないですよ。
ギター壊すステージがあったけど、あれは、パーフォーマンスでしたか?リッチー??