このブログのタイトルにもなっている、「日々是好日」。
5月4日に亡くなった祖母の思い出ともあいまって、ブログタイトルにしたのは、つくづく奇縁だと思う。
大学に入学する前だから、もう20年以上前のことになる。
祖母が、朱色に金文字で、「日々是好日」という言葉の入った箸箱と、箸をくれた。
茶道の教授だった祖母が、「お茶の言葉で、“毎日毎日が無事でよい日である”ということだ」と説明してくれた記憶がある。
学生時代を通じて、この箸を大切に使ってきた。ところが箸箱が、もはやいくら探しても見当たらない…。今になって悔いが残る。本当に残念である。
僕は、ずっと「ひびこれこうじつ」と読み、何の疑いも持たなかったが、しらべてみると、これは中国の『碧巌録』という禅の書物の中の一節にあり、正しくは、日日是好日(にちにちこれこうにち)と読むらしい。言葉に、やさしく穏やかな響きがあるので、事実、茶席でも使われることがあるようだ。
書家の相田みつをさんにも、「日日是好日」と題する一節がある。
日日是好日
ふっても
てっても
日日是好日
泣いてもわらっても
きょうが
一番いい日
私の一生の中の
大事な一日だから
私たちが、心から今日一日を「大事な日」「最良の日」として感謝して生きることは、本当は至難である。
だが、この言葉には、今生きている一瞬こそ、一生懸命に生き抜くんだ、という強い決意が込められているように思う。
自分のいる場所や環境に逆らわずに、「いま、ここで」出来ることや考えられることを、まっすぐに見ることが出来れば、例えば、現在、逆境にあり苦しんでいる人であっても、少しは生きていることが楽しくなり、「日日」が大切に思えてくる。
祖母は、彼女の次男であった、父の死後、僕と母に、「生きているものが、明るく楽しく過ごすのよ!」と言って、長い間、温かく見守り、励まし続けてくれた。
「明るく楽しく生きる」という楽天性が、祖母が教えてくれた「日々是好日」の源泉なのだと、自分では解釈し、感謝している。
5月4日に亡くなった祖母の思い出ともあいまって、ブログタイトルにしたのは、つくづく奇縁だと思う。
大学に入学する前だから、もう20年以上前のことになる。
祖母が、朱色に金文字で、「日々是好日」という言葉の入った箸箱と、箸をくれた。
茶道の教授だった祖母が、「お茶の言葉で、“毎日毎日が無事でよい日である”ということだ」と説明してくれた記憶がある。
学生時代を通じて、この箸を大切に使ってきた。ところが箸箱が、もはやいくら探しても見当たらない…。今になって悔いが残る。本当に残念である。
僕は、ずっと「ひびこれこうじつ」と読み、何の疑いも持たなかったが、しらべてみると、これは中国の『碧巌録』という禅の書物の中の一節にあり、正しくは、日日是好日(にちにちこれこうにち)と読むらしい。言葉に、やさしく穏やかな響きがあるので、事実、茶席でも使われることがあるようだ。
書家の相田みつをさんにも、「日日是好日」と題する一節がある。
日日是好日
ふっても
てっても
日日是好日
泣いてもわらっても
きょうが
一番いい日
私の一生の中の
大事な一日だから
私たちが、心から今日一日を「大事な日」「最良の日」として感謝して生きることは、本当は至難である。
だが、この言葉には、今生きている一瞬こそ、一生懸命に生き抜くんだ、という強い決意が込められているように思う。
自分のいる場所や環境に逆らわずに、「いま、ここで」出来ることや考えられることを、まっすぐに見ることが出来れば、例えば、現在、逆境にあり苦しんでいる人であっても、少しは生きていることが楽しくなり、「日日」が大切に思えてくる。
祖母は、彼女の次男であった、父の死後、僕と母に、「生きているものが、明るく楽しく過ごすのよ!」と言って、長い間、温かく見守り、励まし続けてくれた。
「明るく楽しく生きる」という楽天性が、祖母が教えてくれた「日々是好日」の源泉なのだと、自分では解釈し、感謝している。

コメント
コメント一覧 (2)
初投稿、大歓迎です。
祖母のことをあれこれ思い出していたら、『日日是好日』のことを綴りたくなりました。
苦楽や禍福も含めての私たちの「日日」です。不思議に元気が湧いてくることばですよね。
離れて暮らしていた祖母ですが、あれこれと、40年ほどの思い出が走馬灯のように浮かんでくるこの頃です。
コメントいただき、本当にありがとうございました。これからもお気軽にお立ち寄りいただき、再びコメントをいただけましたら幸いです。
日日是好日いい言葉ですね。
みつをさんの一節と合わせて思わずメモしました。嫌な時、悲しい時、そしてうれしい時にもこの言葉を思い出したいと思います!