学生による授業評価 全大学の97%が導入(朝日新聞 asahi.com 2006年6月6日)という、大学教育に関する記事。

関連⇒「教育事情−至れりつくせり」(2006年3月30日)
 
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 僕が非常勤で勤務した大学でも、1998年度から「学生による授業評価アンケート」が実施されていた。
 それは、大学および学部の教育目標の実現、進捗の度合いを把握して各科目の授業内容・方法の改善に結びつけることを目的としたものであった。

評価項目は、
*教員の話し方は、聞き取りやすかったか?

*授業の教材(講義テキストやレジュメ、視聴覚機器等)は内容の理解を促進することに役立ったか?

*講義概要(シラバス)はわかりやすく、そこに書かれた学習目標は達成できたと思うか?

*教員による学習上の助言や指導などが、適切なものであったか?


など、授業の理解と総合的な満足度を、学生に問うもので構成されていた。
もちろん、学生の授業への出席率や、その科目の、課外での予・復習を含む「主体的学習」の度合いも聞いている。

これら項目を5段階で点数化して、あとからレーダーチャートで視覚化して把握できるようになっている。結果はウェブ上で、全学に公表される。

 僕も長く、専門演習(ゼミ)や社会福祉実習科目を担当し、体調を崩しての退任直前は、受講生250人を越える講義も担当していた。

授業評価の方法は、当初は、「紙によるアンケート」を、授業時間を使って実施していたが、最近では「Web上でのアンケート」になっている。

 アンケートを紙でやっていたときは、結構気づかいをしたものだ。
学生に、記入してもらう時間を10分程度とり、記入方法や、アンケートの性格(記述したことが学生の成績などの不利益につながるようなものでは、決してないから、ぜひ率直な意見を寄せてほしい、)などの説明をし、あとは、僕は教室外へ退出して、終わるのを待つなどしていた。

教師の顔を見ながらでは、いくら無記名アンケートだから、といっても記入しにくいだろう、といった考慮からである。
その待ち時間というもの、ゼミ生のあの顔、この顔が浮かんできて、ドキドキしたのも事実である。

それでも、受講生15人前後の、ゼミなどでは、学生のレポートなどに見られる文字の特徴から、アンケート回収後に、授業への要望や改善点などの自由記述欄によって、誰がそれを記入したのか、ほとんど察しがつく“楽しみ”(笑)もあった。

 ゼミナール等での僕への授業評価では、「先生がしゃべりすぎ」などの注文もあったが、講義では、授業教材や授業内容の理解などの項目で、講義科目全体の平均値を0.3ポイント程度上回っていた。
どんな授業でも毎回、自作のレジュメをつくり、内容も、“基本”を大切にして臨んできた僕としては、大変うれしかった。

 僕のように、身体に障がいがあり、車いす使用の教員が、大学でレギュラーで授業を担当するケースは、全国的にみても、まだまだ少ない。

 プリントの運搬や配布、段差のある教壇への車いすの昇降、教室の行き帰りの簡単な介助に至るまで、学生さんによる真摯な支援によって、ようやく可能となった教職であった。

 「授業評価」も、教育活動の一環である。
学生の目の高さと内面に即した、双方向的な評価が、実現しないものだろうか。

 大学という教育・研究機関も、時代や社会の大きな変化の中で、(特に私学など)熾烈な経営的「生き残り競争」にさらされている。

 各大学とも、入学者選抜(入試)方法の多様化にはじまり、学風や研究・教育内容、学生のキャリア支援、また“福利厚生”に至るまで、特色づくりと差別化に腐心する「改革」が進行しているところだが、外に向かって、派手なことばかりする「改革」より、授業評価を、一つの礎として学生とその現状に、きちんと目線を据えた「改革」こそ、求められているものと考える。

健康を回復した暁には、機会があれば、再び教壇に…、と夢見ている。