日々是好日−つれづれよっぽブログ

ご訪問ありがとうございます。 日々是好日―いつも、きょうが一番よき日である、と信じ、感謝して生きる…茶道の師範だった亡き祖母が教えてくれたことばから命名しました!2016年3月、開設10周年を迎えたブログです。 「よっぽ」は、イタリアのおしゃれなねずみ“トッポ・ジージョ”からとった僕の幼い頃からの愛称です。只今、月に複数回程度の更新頻度となっています。※コメント大歓迎!(但し、記事と全く無関係なコメントは、予告なく削除させていただきます)

教育

Google検索で、10月5日は「世界教師デー」(ユネスコ、1994年〜)であることを初めて知りました。
世界教師デーは、教師への支援を求めることと、将来を担う世代への教育を受ける権利について認識や理解を深める国際デーだそうです。

教師の「教育の自由」「学問の自由」や児童生徒、学生の「教育への権利」について再考し、顧みられる気運が高まれば、と思います。

職業としての「教師」について、教師は「魂の技師」(国分一太郎『君ひとの子の師であれば』新評論、1959年)であり、したがって「聖職」であるという考えや、「教育労働」という概念から、教師もまた一人の労働者である、という考えなどを巡り、教職を目指して学んでいた大学の学部生の時に『教育権の理論的研究』と題するゼミで、ゼミ仲間らとよく議論したことを思い出しました。

君ひとの子の師であれば



第4次安倍改造内閣で、新しく文部科学大臣に就任した、柴山という人が、「教育勅語も、使えるところはある」と会見で聞き捨てならぬことを発言していましたが、僕の学生時代の教師論、教職論は、こうした教育勅語云々の復古調の議論とは、一線を画するものだったなぁ、と自負の気持ちを抱いているところです。

自分自身が母校で仕事をさせてもらい、教師としての自分の仕事を振り返って、学生たちとともに、何とか励みたい、教育の裏付けになるような研鑽をするのだ、と、真面目にやってはいたけれど、実際、顔から汗が出るようなことばかりだったなぁ、と思いました。

「見よう見まね」から脱却し、自分なりの授業方法、内容を模索する入口に立ち、まだまだやれること、やりたいことがある、と思っていたのに、体調不良により断腸の思いで教職を退いたことは、今でも残念だったと思っています。

しかし、今は、以前のようにハードな責任を伴う仕事をし得る状態にはないので、これでよかったのだ、と自分を慰めてもいます。

表紙

<肢体不自由教育実践記録集>

僕が、東京の肢体不自由児養護学校に学んだ小学生時代、5年、6年と2年連続で担任していただいた、松本昌介先生が、肢体不自由児学校の教員生活38年の教育実践をまとめられた『実践記録集 肢体不自由教育覚え書き』を上梓され、刊行の案内をいただいた。

今回は出版社のつかない個人出版とのことで、先日、暑中お見舞いがてら、購入希望のはがきを書いて、本を早速送っていただいた。

先生は、現在78歳。

同書は300頁を越え、肢体不自由児養護学校での教育実践に関わって、これまでに発表された雑誌連載や単行本の分担執筆を中心に、時系列的に編んだ実践記録と論考30数本、および資料、先生の著作一覧で構成されている。

小学生の頃に取り組んだ、4年生秋の学校祭の展示「お化け屋敷」、6年生で3つのクラスが競合して発行したガリ版印刷の学級新聞「デイリークルパー」などのこと、そして学芸会の演劇発表「童話のカクテル」のこと(僕は、浦島太郎を演じた)・・・。

40年以上前のことなのに、筆致鮮やかに大変リアルに先生と子どもたちの当時の様子が伝わってきた。
読めばそれとわかる各々のクラスメイトの姿の中に、自分もいるのを発見し、それが嬉しかった。

「学校は、思い出作りのためだけにあるんじゃないよ、子どもに力をつけるためにやっているからね」


20年以上前、母校大学で研究会が開催された折、最寄りの宿舎ではなく、わざわざ僕の汚い下宿に宿泊してくれた先生と、眠くなるまで語り合った。その時の先生のことばを思い出した。

教育実践なので、先生の目からみた考察という視点があるが、先生の考え方が非常に鮮明に打ち出してあり、勉強になった。 先生によれば、「まるごと松本昌介の本です」とのこと。


大学院生の頃、研究や論文執筆に行き詰まり、大学附属図書館にこもって、あてもなく資料漁りをしていたところ、ある障害児教育の専門単行本に、先生の文章を見つけ、感動して励まされたことがあった。
今回、同書にその一編も収録されており、感慨深く再読したところである。


<肢体不自由児の学童疎開>


8月9日夜、NHK・Eテレ(教育テレビ)で『“戦闘配置”されず〜肢体不自由児たちの学童疎開』が放映された。

戦時下で障がいのある子どもはどう扱われたのか。
学童疎開の本質が、子どもを守るためではなく「次代の戦力を培養するため戦闘配置を整える」点にあった時、肢体不自由児は「疎開に適さぬ児童」として取り残された。

手足などに障がいをもつ肢体不自由児の学校としては、日本初である東京の「光明学校」(1932年開校/現在の東京都立光明特別支援学校)を舞台に、学校に残された貴重なフィルムや関係者の手記、証言などから、肢体不自由の子どもらの校庭での「現地疎開」から長野県戸倉上山田温泉「上山田ホテル」への学童疎開に至るまでの経緯や実際が簡潔に、しかし理解しやすい形で紹介された、大変良質の番組だった。

当時の校長の肢体不自由児教育への使命感と、陣頭指揮、そして関係機関への粘り強い交渉力がなかったら、子どもらの命は守られていたかどうか。

学校の古いフィルムに、松葉杖をついて、軍事教練に参加する障がい生徒の姿があり、大変痛切なものがあった。

この番組を、安倍首相に見てほしい、と感じた。
こんな事実をふまえても、首相は戦争への地ならしに、やはり前のめりを続けるのか・・・。


前述の松本昌介先生は、大学卒業後、光明養護学校教諭として20年間勤務されました。

在職中に光明校の学童疎開についての古い資料を発見され、爾来、「光明学校」史研究の一環として、資料整理や関係者への聞き取りなどを重ねられ、約20年前には、疎開に参加された卒業生や先生方と、光明養護学校の学童疎開の記録集「信濃路はるか」(田研出版)1993年、を刊行されました。

先生は今回の番組にも少し出演し、コメントされてました。 お元気そうにお見受けしました。よかったです。

3
「落ちこぼれを出さない教育」を目指し非行歴のある生徒や中退者を積極的に受け入れた学校として知られた私立篠ノ井旭高(現・長野俊英高)校長を努め、その著『教育は死なず―どこまでも子どもを信じて (1978年)』がベストセラーとなった若林繁太氏が、7月27日に亡くなった(訃報記事)。

肢体不自由児施設での生活体験から、教師への夢を膨らませていた僕は、1980年代前半の、20歳を過ぎた高校生時代から、ずいぶんたくさんの教育書を読み漁った。その中の一冊が若林さんのこの本だ。

当時は、「校内暴力」や非行児を巡る問題が社会問題と化しており、非行は戦後“第3のピーク”といわれていた頃で、僕は、障がい児教育の本とならび、熱血教師の教育実践に憧れて、そのような種類の本を片っ端から読んでいた。その内容から、必ずしも、教師は“熱血”である必要はなく、必要なのは、子どもを信頼して“待つ”力であることを学んだ。

そこには人間としてまともに生徒にかかわることの大切さ、と同時に、こどもたちには、自分を信頼して見守ってくれる大人の存在が、いかに大切かが示されていたものだ。
大学に入ってから、一度、若林繁太校長の講演を聴く機会があり、おおらかで静かな情熱を持った、温かな先生だなー、と感銘を受けた記憶がある。

この本が原作で、故・江利チエミさんが女性教師役で主演した映画『巣立ちのとき 教育は死なず』(1981年)も、後年見る機会があった。僕の記憶に間違いがなければ、この映画が江利さんの遺作である。

教育は死なず―どこまでも子どもを信じて (1978年)
若林 繁太
労働旬報社 (1978/12)
売り上げランキング: 32054

5
小川利夫先生(名古屋大学名誉教授/社会教育学)が7月21日にご逝去されたことを知った(訃報記事)。
謹んでご冥福をお祈りしたい。

小川利夫先生には、二回お目にかかった。
最初は、母校大学院の「社会福祉学各論特講検廖1988年度)の一環として「教育福祉論入門」の集中講義(4コマ)を通じて、2回目は1994年、修士論文の指導教員であった山口幸男先生(日本福祉大学大学院教授)の還暦のお祝いを兼ねた出版(加藤幸雄・赤羽忠之・野田正人(1994)『司法福祉の焦点―少年司法分野を中心として』ミネルヴァ書房…小川先生は本書に「山口さんと私」という“はしがき”を寄せられた)記念パーティーの席で、先生の温顔に親しく接することができた。

そのとき、先生が、「君か!福祉大で“教育福祉”を手がけている人は…」と声をかけてくださり、「教育でも福祉でも、君、ロマンを忘れちゃいかんよ」と大きくがっしりとした分厚い手で、握手してくださった先生の笑顔を忘れることができない。

小川先生は戦後日本の社会教育研究に大きな足跡を残された。
また、わが国社会事業における「教育的救済」についての歴史的解明を通じ、教育学研究と社会福祉学研究の両面にわたって多大な貢献をなさった。
特に、「貧困」「障害」「発達」等なんらかの社会的困難を抱えた人たちの教育保障の現状とあり方を、教育と社会福祉の権利の統一的保障の問題として明らかにし、これを「教育福祉」(小川利夫:『教育福祉の基本問題』勁草書房、1985年)と命名されて、実践的研究をされてきたことは忘れられない。

僕の修士学位論文「『教育福祉』論の実践的検討−子どもの学習権保障の立場から」(日本福祉大学大学院、1989年度)は、小川「教育福祉」論に学ぶことなしにまとめられなかった初めての「研究論文」であった。
そういう意味で、小川利夫先生は、僕の研究の足がかりとなった「もう一人の師」ともいえる方であった。
先生は、教育も福祉も、ともに人間形成を支え働きかける車の両輪のような営みだ。だから厳しくともロマンがある。それを忘れちゃいかんよ、と教えてくださった…。
先生の言葉をもう一度胸に刻んで、励みたい。

小川利夫:社会福祉と社会教育 教育福祉論(小川利夫社会教育論集第5巻、亜紀書房)
小川利夫・高橋正教編(2002)『教育福祉論入門』(光生館)
――福祉は教育の母胎であり、教育は福祉の結晶である――

5
斉藤孝さんの『教育力』(岩波新書、2007年1月刊)を読む。
久しぶりに教育ジャンルの本を手に取った。

先週の金曜日(16日)、駅前ショッピングセンター内の書店に出かけ、購入した一冊
久しぶりに外出して、医者じゃないところに行けてうれしかった。
また、最近ようやく、読書をする集中力が回復してきた。
よい傾向である


これまで斉藤さんの著書は、
三色ボールペンで読む日本語
子どもに伝えたい「三つの力」―生きる力を鍛える
原稿用紙10枚を書く力を読んできた。

解りやすく、簡潔な表現ながら示唆に富む問題提起が、この新書にもあふれている。肩が凝らず、読みやすい。


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4
livedoor ニュース - カンボジアの密林で野生化、18年ぶり娘を発見(2007年1月20日)
カンボジア北東部のラタナキリ州で、18年前に消息を絶っていた女性(27)が、19日までに保護された。ジャングルでの生活が長く言葉はほとんど話せず、全裸で動物のように4本足で歩くなど“野生化”しているという。女性は1989年、水牛の世話で外出したまま行方不明となっていたが、今月13日、同州の村で米を盗もうとしているところを発見された。腕の古傷の位置が一致することなどから女性は地元の警察官(45)の娘とみられている。

 9歳で行方不明となった少女は、18年後、野生化した“獣人”になっていた。

 保護されたのは、ロチョム・プチエンさん。長いジャングル生活で、間の言葉もほとんど話せなくなっていた。自分の腹をたたいて空腹を伝えたり、衣服を着せてもビリビリと引き裂いてしまう始末。起きているときは、ただ座って左右をキョロキョロ見回し、家族のすきを見ては衣服を脱ぎ捨て、ジャングルに戻ろうとするという。
…ロチョムさんはほとんど言葉を話せないため、18年間ジャングルでどのように暮らしていたかは分かっていない。地元警察は「半分が人間で、もう半分が獣のようで、言葉を全く話さず、昼間は眠り、夜は目を覚ましている」と話している。

このニュースに接し、学生の時に話を聴いたり、テキスト(児童心理学試論―科学的発達理解のために)で学んだりした「狼に育てられた少女2人」の話や「野生児」の逸話(狼に育てられた子―カマラとアマラの養育日記)を思い出しました。
カンボジアの女性は、その現代版といえるでしょうか。

かつてアドルフ・ポルトマン(1961)が述べていたように、人間は離乳後も、親への依存度が高く、自立に時間がかかる動物(人間はどこまで動物か―新しい人間像のために)なので、9歳の少女が1人、ジャングルで生き延びることなど、果たして可能だったのだろうかと疑問を持ちます。なにか別の要因があったかも知れません。
人間は他の動物に比べ、成長過程で得るものが大きく、9歳という大切な成長期に、対人コミュニケーションを絶たれたことは大きい。例えば言語の習得には、聴覚障害児教育などでしばしば「9・10歳の壁」と指摘されてきた臨界点があるそうです。
この女性の「人間回復」には多角的で手厚い専門的支援と、言い古された言葉かも知れませんが、家族などの愛が必要でしょう。

上の記事で伝えられるいくつかの例証には、ややあいまいな感じが残るのですが、昔の「狼少女」は、“人間”に回復する前に死亡してしまった、ということだから、いずれにしても、子どもの成長発達における、人間的・社会的・文化的環境の保障と、「教育」活動の大切さを教えてくれる話として、理解しています。

3
[履修不足]総数9万人に 神奈川、沖縄の私立でも(2006年10月31日)livedoorニュース
高等学校の「世界史B」をはじめとする卒業必修科目の履修不足問題は、またたく間に全国の公立・私立高校に拡がりをみせている。
政府は31日、高校の履修不足問題に関する救済措置で、補習を課す上限を70コマ(1コマは50分授業1回)とする方針を固めたようである。
(追記−11月2日)政府は2日、卒業が危ぶまれていた3年生約8万4000人に70時間(2単位、
1時間は50分授業)の補習を受けさせることを基本とする救済策を決めた。
 文科省が明らかにした救済策によると、補習は放課後や冬、春休みに実施し、2単位だけ不足している生徒の補習時間は、
校長の判断で50時間まで短縮できる。また、70時間を超える未履修分については、リポート提出などで免除。
未履修のまま卒業した生徒の卒業認定は取り消さない。

大学受験に備えて、「生徒の要望だから…」(本当
と必要な科目の強化に力を注いでいたからといって、必修科目飛ばしがここまで常態化していたとは…。
今から補習授業を受けなければならない高校生が気の毒だ。70コマは相当なボリュームだ
この問題には、学習指導要領の問題、大学入試のあり方、あるいは「ゆとり教育」や学校5日制など、少なく見積もってもこの20年余の「古くて新しい」教育施策がその一要因として複雑に絡んでいる。文部科学省、教育委員会、当該学校現場は、互いに責任をなすりつけ合うことなしに、生徒にとって何が大切か、という「教育」の目線で議論し解決を図っていって欲しいものだ(最近の相次ぐ痛ましい「いじめ自殺」問題もまた然り)。
それにしても、この間の議論を聞いていると、高校の現場の先生たちがこの事態をどう受け止めているか、どのような意見を持っているか、
声が聞こえてこない。
また、「世界史」が必修科目であるということを踏まえた、歴史教育・社会科教育の観点からの議論も乏しい。
 一方、大学も、いまのところ、この事態を受けて、入試手続きや高校の調査書の扱いをどうするか、
という点での動きが始まったばかりのようだ。入学試験の科目に何を課すか、ということはもとより、特に人文・社会科学系の大学では、
高校生が「世界史」を学んでいないことによる大学教育への影響を、もっと指摘してもよいと思う。

生徒・学生の「歴史離れ」はいまに始まったことではない…。
自分の経験では、世界史は確かに覚えることが多く、複雑で学びにくい科目であったことは事実である。
しかし、よく知られる「4大文明」に始まって、ローマ、中国、イギリスなどの王朝の盛衰、中世ルネサンス期の芸術と文化、
イギリス産業革命など、全体像が見えてくるとダイナミックで面白いことも多い。
今なら、そう振りかえることが出来る。


僕が勤務した福祉系大学でも、10年以上前から、「社会福祉発達史」の担当者が、世界史を履修していない学生が多いことを憂い、
シラバスで高校の世界史程度の知識が「発達史」受講の前提になるから、高校世界史の教科書を参考文献に挙げていたことがあるくらいである(※これで補いになるとは思えない)。

社会福祉発達史は、イギリスを例にとった通史を中心に、教えることが多いし、僕も学生の頃、そのように習った。
「慈善事業⇒社会事業⇒社会福祉」の三段階の発展をたどる(高島進:社会福祉の歴史―慈善事業・救貧法から現代まで ミネルヴァ書房、1995.)社会福祉の成り立ちも、世界史的理解なしに学ぶことは困難だし、内容がチンプンカンプンなのである。

3
どのように大きく、きらびやかな翼を持つ鳥でも、空気なしで大空を翔(はばた)くことは出来ない。
鳥にとって空気とは、諸君にとって“事実”である。
事実を探求するに、徹底、徹底、そして徹底して欲しい。

自分にとって「わからないこと」が数多くあることをしっかりと分かる謙虚さがほしい。
謙虚は真理(しんり)を手元に引き寄せてくれる。

そして真理を求めるに、ひたすら情熱を持ってほしい。
情熱はわたしたちを限りなく真理に近づけてくれる。

(I.Pパブロフ:『若い科学者への手紙』から)


僕が、学部学生時代に『国民の教育権』論を学んでいたゼミの教授(教育行政、高等教育論)が、卒業論文を執筆するときに紹介して下さり、卒業時にも、もう一度「卒業生へのはなむけ」として贈って下さった一節。

条件反射学説」でノーベル生理学・医学賞を受賞(1904)したロシアの生理学者、パブロフ( Pavlov,Ivan Petrovitch,1849〜1936)が若い科学者に送った手紙の一節を、先生流に意訳されたものであるという。

事実こそが、私たちを鍛えてくれる。
それは、リアリティーを忘れるな、という意味だと受け止めている。
また、「自分にとって“わからない”ことがまだまだたくさんあること」を深く認識する謙虚さは、既成の事実、また自明のこととされていることであっても、よく吟味してかかる態度を生むことだろう。

混沌とした世の中で、何が事実であり、真理であるのか
それに近づくことはますます難しい。
しかし、これをあきらめない力は、情熱であろう。

自分なりの拙い解釈だけれども、学生時代に贈られた先生のメッセージを大切にしてきた。
そして、今考えると、解釈が未熟で説得力がなく、先生の受け売りに過ぎなかったかもしれないが、かつて自分のゼミの学生にも、このメッセージを伝えたことがあった。

しかし、パブロフが教え、恩師が伝えてくれた境地に至り、実行するには、僕は力不足で「途(みち)、なお遠し」の感があり、自分の非力さに嘆息する他はない。

asahi.com: 教員免許、現職も「更新」固まる2006年6月26日
教員の質向上を目的とした教員免許更新制について、中央教育審議会(中教審)の教員養成部会は26日、「現職教員も含めて導入することが必要」との答申案をまとめた。(…略)導入の理由について新たに「社会構造の急激な変化や、学校や教員に対する期待などに対応するため」と明記。不適格教員の排除が目的ではなく、その時々で求められる教員として必要な資質や能力を「刷新(リニューアル)」するため、現職へも適用すべきだとした。

 更新講習については、教職に就いているかどうかにかかわらず、教職志望者は全員が受講・修了する必要があるとした。教職に就かずに免許が失効した人については、回復講習を受ければ免許の再授与が可能とした。

−−
いわゆる「指導力不足」教員の問題などに対応したもので教員の資質や力量向上は確かに急務だけれど、更新講習などの官製研修で教育・教師への管理統制をねらうとすれば大いに疑問がある。児童・生徒の現状に即して、教材研究ほか教員の自己研鑽が豊かになしうるような、メンタルヘルス対策も含めた条件整備こそ必要。
このほど国会で継続審議となった教育基本法『改正』案の動きと連動した答申であると思われる。
僕の持っている教員免許は、現在の「介護等体験」も課されていない、旧カリキュラムの下で授与された古いものだけれど、答申の線で取り扱いが決まると、何もしなければそのまま失効してしまうのだろうか?

関連記事⇒教育実習の思い出(2006年6月14日)

3
よっぽが学生時代に繰り返しひもといた詩集、
安積得也氏の『一人のために』善本社

この中の「持ち味」という詩が好きだ。

一人ひとり、“持ち味”が違うことに気づくチャンスがあれば、
あの高校生は、医師である父のプレッシャーや軋轢から逃れるために、自宅に火を放ち、幼い弟、妹や、新たな母のいのちを奪うことは、なかったろうに。
もしも、逃れたければ、自分の“持ち味”を知りに、“家出”の一つもしてみるだけでよかっただろう?

自他共に持っている価値ある“持ち味”を、腹の底から大事にする術を学びに、大学へ行っていたなら、ささいなトラブルが発端の、大学生を含む、何人かの若者の集団暴行や生き埋めなんて起きなかったろうに…

持 ち 味

なぜこの世に
松があり梅がありばらがあるのであるか
なぜこの世に
馬があり獅子があり人間があるのであるか
なぜこの世に
地球があり太陽があり北斗七星があるのであるか
なぜ人間の持ち味が違い
ばらの色に区別があるのか
なぜだか知らない
しかしそういう世界に生きていることが
うれしいよ
みんな手をつないで
めいめいの持ち味を育て
集団の持ち味を育て
一つの世界を育てようよ
みんなが同一でないことを感謝する
安積得也詩集:一人のために

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