日々是好日−つれづれよっぽブログ

ご訪問ありがとうございます。 日々是好日―いつも、きょうが一番よき日である、と信じ、感謝して生きる…茶道の師範だった亡き祖母が教えてくれたことばから命名しました!2016年3月、開設10周年を迎えたブログです。 「よっぽ」は、イタリアのおしゃれなねずみ“トッポ・ジージョ”からとった僕の幼い頃からの愛称です。只今、月に複数回程度の更新頻度となっています。※コメント大歓迎!(但し、記事と全く無関係なコメントは、予告なく削除させていただきます)

福祉一般

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3月でヘルパーさんによる通院介助が事業所の都合で突如一方的に打ち切られたことについて、4月3日、市の障がい福祉室から電話があり、照会と謝罪があった。
経過説明をして、担当の人と意見交換を行なった。事業所の都合とはいえ、ユーザーに直ちにしわ寄せがくるようなあり方について、市の担当者も少し、疑問というか不信感を持った、というようなお話ぶりだった。
僕も、自分の考えを述べたので、言い分を聴いてもらえ、気持ちがおさまった。

今回の件は、事業所とトラブルがあった訳ではなく、いわば『福祉の貧困』が背景にあるが、障がい者本人としての自分に、どこか不遜なところがあったからか、と落胆していたが、理解してもらえ、自分を責める必要はない、と考えを改めた。

2019年度から市の障がい福祉窓口の「再編」があったが、4月からも同じ担当者が自分の住む区域の担当であるから、引き続きよろしくお願いします、ということで、こちらも安心できた。

障害者福祉での居宅介護サービス利用と、介護保険でのそれは、根拠法やサービス利用の認定方法、及び範囲が異なる。介護現場ではそれを巡る混同も見られ、僕の通院の月一回の利用が、現場にとっては、却ってヘルパーさんの派遣を難しくしたようだった。
ヘルパーさんの人手不足をどうやったら解消できるだろうか?
介護職員の待遇改善と介護報酬Upが急務だ。
政策的に、そちらの方向へ思い切って舵を切り、予算化してもらわないと、その仕事に従事してくれる人が居なくなる。
人材の待遇改善がなかなか進まないのは、私企業や法人の場合、経営陣が内部留保を貯め込んでいるからだという意見もある。
専門性の向上や従事者養成の課題は、以上の担保があって初めて併行して検討できる事項になるのではないか、と考えている。

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2017年12月から、内科への通院介助をお願いしていた事業所のヘルパー利用は、今月で、突然終了となりました。
次回の通院予定も、すでに相談して決めていたのですが・・・。

ヘルパーステーションの職員さんの病休、退職が相次ぎ、所長さんまでもが退職意向とのことで、ヘルパーのやりくりができなくなり、大変申し訳無いけれど、4月から他の事業所をあたってほしい、と連絡がありました。

障がいの訪問介護も扱っている、介護業界大手の事業所と契約していましたが、慢性的人手不足と、介護報酬減で、今回の事態となりました。
介護保険ではいわゆる「軽度者外し」ということが指摘されていますが、障がいの訪問介護でも、事業所の都合で「条件のよい」者から切られる傾向にある、ということでしょうか。

 当面、月一の内科通院は自前で行います。
ヘルパーの利用は、自身の疲労や負担の軽減のために始めたので、それなしに不可能な訳ではありません。また、ぼちぼちやってみます。

ヘルパーさんに来てもらう日が雨天になった場合、自分の体調に変わりがなかったら、医院で本人は受診せず薬局で処方薬を受け取って、届けてもらう(受薬)のを、ヘルパーさんに代行してもらえたら助かるな、と考え、この間、行政の担当者とかけあいましたが、薬を受け取るのは、通院介助ではなく、家事援助の一環となり、母と同居している条件や、現在の自分の「障害支援区分」では、それは使えないそうです。家族に代行してもらえ、とのことでした。

通院と決めた日に、雨天や、利用者の体調など、様々な事情で日程を変更されても、これからは、貴方様のご希望には添いかねます、と、説明され、それも今回の契約解除の理由となりました。

事業所の事情は理解しましたが、今回の措置に納得はしていません。

しかし、ヘルパーさん自体は、この一年余、よくやっていただいたので感謝しています。お話好きな方だったので、楽しく通院できました。

担当だった女性ヘルパーさんは、医院の待合室で、ペラペラと世間話をされます。沈黙が苦手な人のようでした。僕は、適当に相槌を打ったり、対話しながらでしたが、その状態で診察室に入ると、血圧が上がってしまいます。
だから、診察前は、雑誌でも読んで、静かにしておいて、と、強めに頼んだこともありました。ヘルパーさんは、それが気に入らなかったのかな、と考えたりしましたが、それは違うようでした(苦笑)。
どうもありがとうございました。

障がいのある人は936万人、人口の7.4% 厚労省推計

厚生労働省は9日、体や心などに障害がある人の数が約936万6千人との推計を公表した。前回2013年の推計(約787万9千人)より、約149万人増えた。日本の全人口に占める割合も、約6・2%から約7・4%に増えた。

 14〜16年に実施した障害者への生活実態調査からの推計で、身体障害者は約436万人(前回より約42万3千人増)、知的障害者が約108万2千人(同約34万1千人増)、精神障害者が約392万4千人(同約72万3千人増)。

 いずれも高齢者が増加傾向にあり、65歳以上の割合は身体障害者の74%(前回推計では69%)、知的障害者が16%(同9%)、精神障害者が38%(同36%)だった。厚労省は高齢化の進行に加え、障害への理解が進んで障害認定を受ける人が増えたことも増加要因と分析している。

引用:朝日新聞 2018年4月10日 大阪13版4面
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日本の障がい者数、統計上、結構増加したなぁ。
しかし、世界の障がい者10億人、世界人口全体の約15%を占める(WHO・世界銀行報告書、2011年)という数値と比較しても、障がい者の高齢化で増加傾向という共通基盤はあるにせよ、(障がい者の法的定義に幅があるので、単純にはいえないが、)日本の統計は、障がい者数をいかんせん低く見積もりすぎだ。少し検討してみたい。

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昨日(7日)は、ヘルパーさんに同行していただいての初の内科通院となりました。
前日に、最寄りのケアセンターから担当のサービス管理責任者の方がきてくださり、居宅介護サービス(通院介助)につき、正式に利用契約を締結させていただきました。

契約にあたって何通か書類に署名、押印をしました。
契約内容の丁寧な説明をしてもらいサービス提供の考え方や運用に関し勉強になりました。

ヘルパーさんは介護福祉士で、気さくな方に来ていただいて、往復に色々お話しながら行ってこられました。介助の手順等お伝えしながらの初回でした。
主役は自分なので、大切なことですが、とかく手間がかかるものです。

一回にヘルパーさんに介助をお願いできる時間が決まっているので、クリニックの待合室で、上着の脱ぎ着、あるいは、別フロアーの多目的トイレ前で、車いすのフットレストの上げ下げをしてもらう、などの主な介助に使う時間以外は、「中抜き」といって、ヘルパーさんは、クリニック内には居らず、外に出て、通路の椅子に座って待っていてくれます。(僕は、通常の費用負担額は0円と通知されていますが、)ヘルパー利用にかかる費用を抑える、という意味もあります。

「障害支援区分」認定にあたり、意見書を書いてくださった主治医にも、今回から内科通院は、原則としてヘルパーさん同行であることを、先生へのお礼とともに、ご報告しました。
先生は、「(手続きに)そんなに(時間が)かかったの?!」と、目を丸くしておられました。
「ちょっとトラブルがあって・・・」と理由を説明しておきました。

支援区分認定から障害福祉サービス受給者証の受取、訪問介護等目的にあった事業所の選定、依頼と契約、実際のサービス利用開始にいたるまで、本当に相当な時間と労力を消費しなければならないのが現実です。

ヘルパー同行等の自身への適用といった制度利用は、僕にとっては初めての経験ですが、現在、ホッとしたという面と、非常に気を遣う面との両方が混ざった気持ちでおります。

受給者証


今年の1月から手続きをすすめた「障害支援区分」認定に基づき、内科通院時の介助をヘルパーさんにお願いするため、「障害福祉サービス受給者証」(写真はその表面の一部、個人情報は消してある)が交付されるのを待っていた。

市の担当者から、4月に自分の区分についての内示を聴いていた。
ところが、正式な決定が一向に届かなかった。

このままでは、事業所との契約もできないので、11月に入り、しびれを切らして、市の地域保健福祉センターに電話して、担当の人に状況を確認して連絡してくれるよう頼んだ。

それからさらにひと月近く放置され、先日、ようやく正式な「受給者証」が送られてきて、最寄りのケアセンター(「訪問介護事業所」)の人が、自宅に来てくれて契約の上、近く、通院等介助のサービスを利用できる運びとなった。

支給決定内容


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僕の区分は2。
一回3時間で、一ヶ月の利用上限は5時間である、と、受給者証には書いてある。
費用の負担はない。

これらサービス受給の根拠法は、「障害者総合支援法」である。

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区分の認定が軽く出た上、当面のサービスの使途を限ったため、月一回の通院でギリギリの時間と支援量である。
6月1日付けで決定が出たのに、実際にサービス利用開始となるまで、半年近く経過した。

途中で市のセンターの担当者が異動となり、新しい人に変わったが、その過程で、緊急性がないと捉えられ、優先度を下げられた僕のケースファイルは、きちんと引き継がれず、事実上、棚上げされていたようだ。

日頃、温厚を自認する僕も、電話連絡の語尾が少々キレ気味で、担当者に、「今度は、バックレないでくれよ!」と、粘り強く迫り、ようやくここまでこぎつけた。

いろいろ相談して、ヘルパーさんの活用で、通院の負担と疲労の軽減につながれば、と考えている。

ミニ・ゴーフル

敬老の日。
母が、最寄りの公共施設で催された市の「地区敬老会」に初めて出席し、地元小学生のリコーダー演奏や、地元グループのハンドベルやエレクトーンの演奏、それに変面自在のパフォーマンスなど演芸プログラムを体験して、まあまあ喜んで帰ってきました。
行政関係者や来賓の挨拶も、理にかなったものだったそうですが、ステージ正面に掲出された日の丸に、逐一、恭しく一礼してから登壇する様子には、違和感を感じた旨、話してくれました。
旧知のご近所の方々にも、お目にかかったようです。

当該地区の75歳以上の方々は、男性が462名、女性が618名(6月1日現在)とのことです。
母もこの中に入ります。

地区敬老会のプログラムには、「みんなで幸せに年齢を重ねましょう!いつまでもお元気で」と『幸齢』の文字が使われており、印象に残りました。但し、このためには、ふくし、介護等の十分な下支えや裏付けが必要なことはいうまでもないですね。

写真は、敬老のお祝いで母が頂戴してきたミニゴーフルのセットです。
缶に「大阪城」や「通天閣」の表記がありますが、大阪なら大阪の「ご当地バージョン」があるのですね。知りませんでした。後ほどお相伴に預かります(笑)。

お世話いただきました方々に、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

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高松市で、車いすでエスカレーターに乗って転倒し、後ろの利用者が巻き込まれて死亡する事故が起きた。メーカーなどは車いすでエスカレーターに乗らないよう呼びかけるものの、利用する人はいる。エレベーターが使いづらい面もあり、障害者や支援する人々は頭を悩ませている。
(写真引用:朝日新聞、2017年7月13日、大阪14版34面)

ずいぶん昔の話ですが、僕も、友達についてもらって車いすでエスカレータに乗った際、降りがけに車いすの車輪がひっかかり、後方にひっくり返り、頭を打ったことがあります。友達は「ごめん、ごめん」と言っていましたが、転落ではなく、お互いに、そして他者も巻き込まず、大事にはいたらなくてよかったです。大阪のあるデパートでのことでした。それ以来、車いすでエスカレーターには乗ってません。この方式は、若い介助者がいても危険を伴います。

 以前は車いすをエスカレーターに乗せる「介助マニュアル」が流布していました。
また、上体(体幹)が安定して腕の力がある一部の車いすユーザーは、自力でエスカレーターに乗る方もおられます。

一部の公共施設や商業施設、駅等では、車いすでエスカレーターを利用する際は、係員さんが一般客の利用をその間遮断し、階段状の部分の回転を逆にして、「安全」に乗降できるようにしてくれるところもありました。しかし、このようなあり方も、ユニヴァーサルという観点とは逆行しており、疑問がありますね。
バリアフリーの観点から、「エスカレーターでも、何も無いよりはマシ」、と考える方もいます。福祉関係者からそのような声が聞こえるのは残念なことだと思っております。
建物にエレベーターはあっても、案内のピクトグラム(絵表示)などが小さくてわかりにくく、また大幅な迂回を強いられるため、つい近くのエスカレーターを使ってしまう事情も、一概には責められません。事故を教訓に、これらのことを再考してみる時だと思います。

浴室改修


足が動かしにくく、家庭内での自力での移動や入浴に困難が生じつつある、という相談を、居住地域の民生委員さんにさせていただいたのを皮切りに、市の地域保健福祉センターにつないで頂き、自宅の浴室など、一部バリアフリー改修まで、こぎつけました。
4月下旬に、写真のような工事が完了しました。
過去43年間、自宅のユニットバスには、手を加えないできまして、ようやく改修した次第です。


 改修の施工業者は、若い日に装着していた両足の補装具や、現在も使っている車いすの修理やオーダーでお世話になってきた業者さんが、バリアフリー専門の住宅改修も下請けでなく、自社で手がけておられることを知ったことから、工事をお願いいたしました。

川村義肢(株)建築工房かわむらのホームページ

かかった費用全体の約7割を公費でやって頂きまして、「重度障害者住宅改造事業」「日常生活用具支援事業」(移動支援、入浴補助用具)等の助成を受けました。

写真のシャワーチェアーなども入浴補助用具として、費用を支給していただきました。

シャワーチェアー


=参考商品その1=



=参考商品その2=





おかげ様で、自力での入浴が比較的スムーズに可能となりました。
上記に書きましたように、改修工事業務にあたっていただいた担当者、作業員の方々には、配慮に満ちた対応をいただき、浴室工事自体は2日間(実質一日半)で迅速に行われ、終了日の夜からさっそく入浴可能となり、大変助かりました。

身体障害者手帳(ブログ主は、2級所持)の所持を前提とし、各種福祉支援制度を活用した改修でしたので、行政との手続き等で、担当者様にはご苦労をおかけしました。
今後ともよろしくお願いいたします。その節はありがとうございました。

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法律の施行から1年ー障害者差別解消法
「知っていますか」と手元に届いた市の広報紙の4月号に載っていました(写真引用:『市報すいた』平成29年(2017年)4月号、No.1226,8〜9ページ)。

差別解消の法律ができて、何が変わったか、といえば、生活レベルでの実感は、まだあまりありませんね。

地元の障がい当事者グループの方がたの声として、「何が『差別』なのかがあいまいで、声を上げにくい。相談窓口がどこなのかもわからない」「私達が『障がい者差別』と訴えても、ただ、権利の主張をしているだけに思われてしまうのが残念だ。」とあり、考えさせられました。

外出のため、車いすで通行していると、道行く人が、あえてこちらと目を合わせないようにそむけたり・・・ということが、昔は多くあったのですが、最近は、そのようなことはずっと少なくなりました。
買い物に行っても、ビルの通路やエレベーターのドアを押さえて、車いすの通行を待って下さる方がとても増えました。
「ありがとうございます!」といって通り過ぎ、
「いいえ、お気をつけて・・・」と返して下さる方もいらっしゃいます。

すれ違う小学生が、電動車いすのスイッチや、走行の様子に関心をもって、こちらを穴が空くほど見つめられることはありますが、元気な声で「こんにちは!」と挨拶してくれることがあります。そして、僕も当然「こんにちは!」と挨拶を返します。

こうした変化も、ささやかかもしれないけれど、障がいある人が求め、必要としている「合理的配慮」実現の基盤であり、大切な一歩なのかな?と思っています。

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障がい者、高齢者等リハビリテーションを考える際の基本概念として、大きくADL(Activity of Diary Living)とQOL(Quality of Life)がある。
前者は、日常生活動作を指し、後者は、生活の質、または生命の質などと訳される。
近年(約30年ほどの間)は、リハビリテーションの目標転換として、しばしば「ADLからQOLへ」と、生活の質を維持し、発展させるよう、その重点がシフトしてきた、と解釈される。

これは、病気や障がいなどのため、もろもろの日常生活動作(起居動作、衣服の着脱、整容動作、食事、排泄等など)が自力では出来にくくなり、あるいは不可能になっても、それら「自立」にこだわりすぎる余り、一つの動作に、時間がかかりすぎ、かえって生活の質の水準が落ちるようでは、本末転倒だ。

すなわち、自分だけでやりにくいこと、不可能なことを、選択的に、あるいは全面的に、他者の介助や介護に委ね、その分「生活の質」を確保し、発展させたほうが、はるかに人間らしい生活が送れるのではないだろうか、という考え方に基づいている。

けさ、起きてから自分自身、洋服を着替え、トイレに行き、洗面をし、食事をとる、といった一連の動作に、自力で取り組みながら、ふと、そう遠くない未来に、これらの動作が自分でできにくくなり、あるいは不可能になったら、現在の自分の暮らしに影響を与え、「生活の質」が落ちるだろうな、と思い至った。

生活の質を考える時、日常生活動作の遂行力は、その重大かつ基本的な構成要素を成すはずだ。
しかし、リハビリテーションの目標として、長年にわたって、ADLの獲得や維持と、QOLの実現は、切り離して語られてきたように思う。
またこの二つは、重点の置き方が変わってきたのだ、と特に疑問視もされず説明される。
福祉関係のテキストの多くにも、そう書いてあり、自分も教員時代、そんなふうに講じてきた。

「ADLは、QOLの重要な構成要素の一つである」という視点は、人間の尊厳とも関わって不可分の視点である。
それなのに、なぜ両者は、切り離して考えられてきたのか、その原因は何か。

朝、そのような考えが突如頭に浮かび、これまでに論じられてきた既存の自立観の影響など、背景は推測できるのだが、考えれば考える程、難しく感じてしまった。

自身、「福祉研究30年」にして、こんなことも分からんのか、と、自分の不明を恥じながら・・・。



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