日々是好日−つれづれよっぽブログ

ご訪問ありがとうございます。 日々是好日―いつも、きょうが一番よき日である、と信じ、感謝して生きる…茶道の師範だった亡き祖母が教えてくれたことばから命名しました!2016年3月、開設10周年を迎えたブログです。 「よっぽ」は、イタリアのおしゃれなねずみ“トッポ・ジージョ”からとった僕の幼い頃からの愛称です。只今、月に複数回程度の更新頻度となっています。※コメント大歓迎!(但し、記事と全く無関係なコメントは、予告なく削除させていただきます)

大学教育

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『薔薇の名前』『フーコーの振り子』で知られるイタリアの作家・哲学者で記号論学者でもあるウンベルト・エーコ氏の訃報(19日、享年84歳)に接した。

論文作法─調査・研究・執筆の技術と手順─ (教養諸学シリーズ)

氏には、その著に『論文作法─調査・研究・執筆の技術と手順─ (教養諸学シリーズ)』(谷口勇訳・而立書房、1991年)がある。

1990年代初め、大学院の研究生だった当時、論文の執筆技法や研究方法のブラッシュアップを図りたいと考えていた僕は、氏の本を手に取った。
テーマの立て方や資料の収集の仕方、論拠の示し方などについて、参考になる記述があり、ずいぶん学ばせていただいた。
(章構成)
第1章
学位請求論文を中心とした、論文の存在意義や執筆の心得
第2章
論文の種類によるテーマの選び方
第3章
調査による文献資料の収集
第4章
先行研究の整理
第5章
引用の仕方や脚注の付け方を中心とした、素案づくりの方法など
第6章
全体の見直し・調整など
第7章
本書のむすびと参考文献


この本などを通じ、学んだ論文作法の一部は、自身の論文執筆だけでなく、後年、教員として担当したゼミナールでのレポートや論文の執筆支援・指導方法にも大いに生かされた。

ウンベルト・エーコ氏のご冥福をお祈りしたい。

論文作法─調査・研究・執筆の技術と手順─ (教養諸学シリーズ)
ウンベルト エーコ
而立書房
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全国の大学、短大、高専等、高等教育機関で学ぶ、障がい学生の調査(2008年度)が、独法)日本学生支援機構から公表されました。
通学生の障がい学生の支援は、記事にあるような形で、受講保障を中心に、以前よりは支援が充実してきた感がありますが、現在では、通信教育や放送授業、パソコンを使ったオンデマンド授業など、学習形態も多様化していますので、たとえばテキストの点訳教材の準備、とか試験方法、レポート出題の配慮など、支援にもいっそうのバリエーションが求められるでしょう。
家で放送大学の講座を聴講していますので、そのあたりの事情がどうなっているのか、大変気になりました。

ある通信教育のスクーリングに出席した、聴覚障がいの友人は、講義を受けるため、自費で手話通訳者の方をお願いしなければなりませんでした。
個人負担は、スクーリングが限られた日数でも、大変高額になります。30数万円かかったそうです。
こうした場合の、大学による手話通訳者の配置などの条件整備は、ほとんど進んでいません。

これからの障がい学生の修学支援を考える場合には、従来の肢体不自由、視覚、聴覚、内部の各障がいに加え、「発達障がい」「学習障がい」などの人を含め、高等教育機関における門戸解放はもとより、「インクルーシブ教育」が本格的に検討される段階に入った、と考えています。

過去記事:障がいある大学生支援の取り組みを知る(2007年06月27日)

時事ドットコム:障害学生15%増の6200人=大学など支援進む−08年度調査
全国の大学、短大、高等専門学校に2008年度に在籍した障害のある学生数が前年度比15.4%増の6235人だったことが、独立行政法人日本学生支援機構(本部横浜市)の調査で分かった。学校側も授業で補助を付けるなど支援を充実させている。
 調査では全1218校が対象で、08年5月時点の通信制、大学院なども含めた状況を集計。年度ごとに障害の定義が変わっているため単純比較はできないが、学生数は調査を始めた05年度以降で最も多く、学生全体に占める割合も0.03ポイント増の0.20%で最高だった。
 障害種別の人数では、肢体不自由の学生が2231人で最多。聴覚・言語障害の1435人、病弱・虚弱の1063人が続いた。
 在籍先の学校数は719校で、割合は1.3ポイント増の59.0%。学校種別では年限の長い大学、高専がそれぞれ72.4%、71.9%、短大は31.5%だった。
 障害学生が授業を受ける際に教職員、学生らがノートテイク(筆記通訳)や手話通訳などの補助を行っていた学校は、前年度より58校増えて543校。05年度の206校に比べて約2.6倍となった。
 同機構特別支援課の担当者は「門戸が開かれてきている」と評価。「障害で進路が閉ざされてはいけない。学校に適切な情報提供を行うなどして、受け入れをさらに促したい」と話している。(2009/09/26)


特集:「障害学生支援の障害学」障害学研究3(2008年5月刊)

障害学研究3 (障害学研究)

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ネットでコピペ(コピー&ペーストの略)と言えば、大学生のレポートが話題になっている。ところが、なんと小学生の読書感想文にまでコピペが広がりつつあるというのだ。はたして、防ぎ手があるのか。

リンク: 大学生から小学生まで 「ネットでコピペ病」蔓延 - 速報 ニュース:@nifty(2008年7月20日)

夏休みに入り、児童・生徒、学生の「宿題」が話題になる季節。
このブログでも、過去に書いた「夏休みの宿題・自由研究の思い出」へのアクセスが急に増えました。

僕の宿題の思い出は、ほめられたものではなく、ちっとも参考にならない、と思います。一般に苦手とされるドリル、漢字の書き取りなんかより、僕は、自由研究や図画工作など、多少とも創造性などが求められるものが苦手でした。オリジナリティーに弱い子どもだったのです。

ところで、現代の夏休みの宿題には、学生のレポート・論文代行サイトはもとより、小学生の読書感想文にまで、「コピペ自由」のサイトがあるらしい。
「ネットでコピペ病」がここまで蔓延しているとは、ビックリ。

大学生のレポートの「コピペ」病に関しては、勤務していた大学の先生方が、「最近の学生は、ネットからの情報の切り貼りで片付けようとする」と嘆いておられました。今から4,5年前あたりから、既にそのようなことが起こっていたと思います。最近では「コピペ発見ソフト」まで現れました。しかし、これでは、学生と教員の「相互不信」の基だと、僕はいぶかしく思っています。

冒頭の紹介記事では、「大事なのは、学生への教育」とありますが、まったく同感です。
ていねいに「レポートの書き方」「図書館での情報検索の方法」「本の選び方」などを伝えると、かなり懇切なレポートを仕上げてくるものです。

僕は、大学で、夏休みのレポート課題を出題する前には、必ず時間をとって「図書館ガイダンス」で、資料の探し方のレクチャーと実習を職員にしてもらい、「レポートの書き方」については、懇切なレジュメを作って、自分で講義をしていました。

それと同時に、単純な「コピペ」では、満足にレポートが完成しないような、少しだけ高めのハードルも設けておきます。
僕のゼミでは、3年生の夏のレポートの場合、参考文献、資料最低5件を、簡単な内容紹介とともにリスト化することが、ハードルでした。

こうして生まれたのが、8000字レポートでした。

ずいぶん厳しい教師だったかもしれません。手を変え、品を変え、同じ実践を、10年続けました。

でも、今は社会人になった「よっぽゼミ」卒業生の力に、どこかで役立っていると信じたい。


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私立大学に学ぶ学生の約2割の「日本語力」が中学生以下、というニュース。
「驚きの調査結果」と書いてあるけれども、長く大学の教職にあった僕はそれほど驚きませんでした。むべなるかな、と受け止めました。
以下の記事の範囲では、大学における学年進行による「日本語力」の差異に触れられていないことや、大学教育へのeラーニング導入の推進というバイアスがかかっているので、この点をふまえて結果を理解する必要がありそうです。

福祉系大学で13年間授業をし、主に学部の3,4年生を担当することが多かったのですが、僕の教育は、学生に「書く力」をつける、ということを重視していました。ゼミナールで、取り扱うテーマの区切りごとに提出してもらうミニレポート(1200字)や、3年生夏休みの8000字レポート、卒論テーマに対応した、新聞記事を活用したプレゼンテーション(3年生後期または4年生の5,6月)はその試みとしての教育実践でした。

大学生の「日本語力」は、「考える力」の育成とセットでなければ伸びません。
福祉系大学の学部教育のゴールを、「ジェネリックソーシャルワーカー」の育成に置く(宮田和明ほか編:社会福祉専門職 中央法規出版、2007年)場合でも、日本語力は、高齢者、障がい者などの生活状況を、誰にでもわかるように構造化して表現する力の基礎であり、コミュニケーション力の土台でもあるはずです。

福祉を学ぶ学生には、自分の学んだこと、考えたことを「自分のコトバ」で表現する力を、卒業論文執筆で身につけて欲しいと願い、これを端的に、社会福祉における「専門的読み書き能力」と僕はとらえていました。
なお、eラーニング導入で、こうした力がつくかどうかは、未知数であり、教員の指導性いかんによると思います。
受講生との懇切な応答関係の確立なしにその教育効果は上がらないでしょう。

私大生2割「日本語力中学生以下」 学力底上げにeラーニング導入(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース(2008年1月5日)
「ゆとり教育」に端を発する学力低下が叫ばれるなか、「私大学生の2割の学生の日本語力が中学生以下」という驚きの調査結果が明らかになった。この調査を行った教育機関では、「大学でのeラーニング導入を推進しないと、今の大学は生き残れない」と提言している。

■66%が「中学生以下」と判定された大学もある

 大学生の基礎学力の低下を受け、独立行政法人・メディア教育開発センター(NIME)では、日本語・英語・数学の基礎学力を測定するための「プレースメントテスト」を開発し、各大学で提供している。調査は1998年から00年、04年から07年にかけて行われたが、「日本語力が中学生レベル以下」と判定される大学生の割合が非常に多いのだ。まとまったデータが残っている04年時点(24大学・7353人が受験)で、「中学生以下」なのは、国立大学で6%だったのに対し、私立大学では20%で、短大では実に35%。06年の調査では、66%が「中学生以下」と判定された大学もあった。

 このプレースメントテストを開発したNIMEの小野博教授によると、大学での授業を理解するためには、高校生レベルの日本語力が必要だといい、この調査結果からすると、授業の内容さえ理解できない大学生がかなりの数にのぼる、ということになる。

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今年もあと2週間余り。今月に入って、“よっぽゼミ”で卒論を書いて、大学院に進み、現在は修士論文執筆の追い込みだという3人の院生から、相次いで近況報告のメールを受け取った。
母校の大学院に学ぶ2人は、年内に論文の第1次提出(仮提出)をやっとのことで終え、年明けの本提出に向け、最終の仕上げに余念がないという。関西の大学院で学んでいるもう1人は、自分の住む県で「障害者差別禁止条例」の制定をめざす学習と署名運動に取り組みながら、修士論文執筆の真っ只中である。

この一年間、3人の院生は折にふれ、研究の進捗状況を中心に、メールで近況を伝えてくれ、彼らが取り組んでいる研究の一端について、知ることが出来た。
大学の専門教育と研究の現場を退いて、やがて2年になる僕にとって、かれらのメールは大変刺激的で、本当にうれしかった。
障がい者の自立と共生、高齢化と生活支援などを巡り、当事者からの聞き取りを研究方法に含むのが、奇しくも3人の共通項である。
院生の取り組みの中に、この二年ほどの新しい動向や論点を発見し、学ぶことも多かった。
時には、論文内容や研究上の論点について、鋭い問題提起とともに、意見を求められ、僕は自分の鈍った頭脳を奮い立たせ、返事を書いたこともあった。
本当に、教師冥利に尽きる。

今から約18年ぐらい前、年末年始返上で、僕も、一人暮らしのアパートの自室にこもって、修士論文執筆の追い込みに入っていた。提出期限ギリギリまで、指導教員から、口調は柔らかいものの、後から先生に示唆されたことを思い返すと、じっとりと汗が出てくるような厳しい指導を受けた。
教授の研究室で、直接指導を受ける機会は、年末で時間切れとなってしまい、あとは提出まで、教授の自宅に郵送で修論の原稿を送り、添削指導を受けた。返送された原稿は、教授の朱筆が入って真っ赤だった。
“論”が観念的、論証の註を付して裏づけよ、文献の出典の表示が不十分…
赤いボールペンでは飽き足らず、青や緑のペンで色々と指示が入っており、先生の高水準の指示に、なんとか近づこう、と努力したものだ。

クリスマスが近づいたが、当時、論文はまさに崖っぷちでそれどころではなかった。せめて夕食にクリスマス気分を味わおう、と近くのスーパーで、夜遅く、お買い得シールが貼ってあるローストチキンを買ってきて、そそくさと、しかし美味しく食べた。
ところが、食後2時間後位から、腹痛と嘔吐がひどくなり、上を下への大騒ぎとなってしまった。論文の執筆で体力を消耗しているところに、ローストチキンがあたったらしいのだ。
胃が空になるまで吐いて、正露丸をのんで、また脱水症状を防ぐため、スポーツドリンクを作って飲んで寝ていたら、一昼夜で吐き下しは治まった。

体がフラフラで、論文提出までの貴重な作業にあてる数日を、棒に振ってしまった…。
僕は、このときのトラウマで、ローストチキンは嫌いではないけれども、今でも食べるのを躊躇してしまう…。

院生よ、学位請求論文提出までには、本当に何が起きるかわからない。
仕上げまで色々な意味で細心の注意を払って、素敵な研究論文を完成させてほしい。

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『障害者問題研究』第35巻1号(全国障害者問題研究会出版部、通巻129号,2007年5月)特集「大学における特別な教育的ニーズへの対応」を入手して読んだ。

障がいのある学生が、高等教育機関(主として大学)に学ぼうとする時、勉学と生活、環境上の困難が本人の前に立ちはだかり、そのカベは厚かった。

しかし、大学では、おおむね1970年代から、肢体不自由、視覚・聴覚などに障がいのある学生に入学の門戸を開き、キャンパスのバリアフリー化に始まり、講義やゼミナールなど、勉学の場面で支障が生じると思われるポイントに焦点を当てたサポートのあり方とシステムが切り開かれてきた。そして近年の大学教育は、高機能自閉症や注意欠陥・多動性障がい(ADHD)など、「軽度発達障がい」をもつ学生の教育的ケアをはじめ、大学の地域貢献の一環として、知的障がい者を対象とするオープンカレッジのとりくみまで視野にいれ、実践されているのを、この特集で学ぶことが出来た。

学生の持っている困難の多様性に即して、大学生活を巡る支援のあり方は、学習の保障のみならず、学外生活(生活介助・通学支援等)に至るまで、まさに「特別な教育的ニーズ」に応えるために、部分的サポートというよりは、きわめて総合的になっている、といってよいと思う。
今回の特集では、以上の動向と学生支援の課題をつかむことが出来る。




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3
卒論のころ(2006年11月18日)を過ぎ、12月の卒論提出を経て、1月の下旬から、大学に、ゼミ学生の単位認定の結果を通知しなければならない今頃まで、毎年、昨年まで10年余にわたって、力を入れて取り組んでいたのが、卒論を評価し、その結果を学生に知らせる作業だった。

「よっぽゼミ」では、A4版一枚の大きさで、独自の「卒論講評シート」をパソコンで作成し、このフォーマットに次のような内容を書き込んでいた。
卒論テーマ、執筆者の学籍番号、氏名の他、「課題の設定」「文献・資料の活用」「論文構成および論旨の一貫性」「表現力」の、4つの「評価の観点」を、それぞれA〜Cまでの評定で表した項目別評価がある。
同じく、A〜Cまでの総合評価(80点満点)は、その項目別評価をふまえ、論文指導の経過と、卒論のテーマの発表や研究の「中間報告」等、ゼミ生によるプレゼンテーションの成果(20点満点)を加味して、決めるものである。
そして、用紙の下半分には、「論文に対する所見」というコメント欄を設け、そこに、僕が読み取った論文の特長、評価点、課題などを記述する。

一人ひとりの学生の顔を思い浮かべながら、文章を考える。同一の文章は二つとない…。
時には、学生個人の人柄や、2年間のゼミで学生にどのような力がついたのか、またこれからの課題について気づいたことを、励ましの気持ちを込めて書き添えたこともあった。学生の手元に届くよう、郵送したり、社会福祉学部の「障害者福祉ユニット」合同の卒論発表会のときに、封筒に入れて手渡ししたりしてきたが、いずれにしても短時日のうちに十数人分行う作業だから、かなりしんどい作業であった。

この取り組みは、一人の学生の問いかけがきっかけになっている。
10年余前、初めてゼミナールを担当した年のこと、今はある知的障害者共同作業所の主任になっている一人の男子学生から、「僕が書いた卒論に対し、先生のコメントみたいなものはないんですか」と問われ、その時は「もう授業も終わってしまったから、そのような機会はないなー、でも、卒論を、どのように読んだのかゼミ生に伝えることは、とても大切なことだよね!わかった、それじゃあ論文が読めたら、君に感想の手紙を書くよ!」と答えた僕だった。
そうしてその年の卒論を通読してみて、卒論を提出したら、なんとなく単位がついて、それで終わり、というのではなく、ゼミ生全員に卒論を読んだ結果を伝え、評価をできるだけ双方向的にする方法はないだろうか、と考えて編み出したのが「卒論講評シート」だったのだ。

論文執筆の支援・指導においては、論文全体を貫く視点や中心軸を、握って離すな、どのような方法をとれば、自分の言いたいことが論文の読み手に伝わるか、常に考えながら書こう、などと繰り返し強調し、ゼミ生に語りかけてきた。提出された論文の中には、取り組みの時間不足が響き、考察不足の論文、論旨の不鮮明さが残る論文、ようやくアウトラインがとれただけで力尽きた論文もあり、課題なしとはいえない。しかし、学生の生み出した成果を、正面から認め、よいところを褒めることは、きっと学生の力になるに違いない、と確信して、この作業に取り組んだ。

学部3・4年生のゼミの成否は、卒論で決まる、と言っても過言ではなく、こうした作業過程は、自身の教育実践の振り返りと反省の機会でもあった。

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僕のゼミに所属した韓国からの留学生Aさんが、この秋、大学を卒業する。
3月に最後のゼミ生の卒業を見送り、僕も同時に教職を退いたのだが、Aさんは学修上の都合で、半期分卒業が延期になっていたものである。

この度、その彼女の「卒業を祝う会」がゼミ卒業生の発起によって開かれた。僕も、呼びかけに応え、その学生に会いに、そして集まっている卒業生たちに会いに、会場に駆けつけたいと考えていた。
しかし、このブログでも何回か書いているように、6月ごろからの腰椎圧迫による痛みは一進一退でなかなか改善せず、遠方かつ長時間の外出はなおままならない。笑っても、くしゃみをしても腰に響くような昨今では、なんとも仕方がない。泣く泣くあきらめた。卒業生の方々にも申し訳ない思いで一杯だ。そこで「祝う会」を発起した卒業生に、留学生ご本人へのメッセージを託した。以下、一部省略、修正のうえ、そのメッセージを公開する。Aさんはしばらくのあいだ、引き続き日本で社会福祉の勉強と資格取得にまい進されると聞いている。彼女の活躍を願わずにはいられない。

Aさんへ
ご卒業、ほんとうにおめでとうございます。
このたび、Aさんの卒業が正式に決定し、心からうれしく思っています。
僕は、3月に、第10期ゼミ生が卒業していったなか、Aさんを大学に一人残して、職場を退いたような感じがして、ずっと気がかりでした。
しかし、Aさんの卒業で、ようやくゼミ生全員が卒業するという想いです。
これで安心です。よかったですね!
今回、Aさんの「卒業をお祝いする会」について、友情に満ちた素敵な提案とお誘いを頂き、僕も久しぶりに出かけるのも悪くないな、Aさんに会いに、ぜひ会場に駆けつけたい、と考えました。
しかし、残念ながら、いろいろな点で、体調が改善せず、まだ遠出は無理、と判断しました。
せっかくの会なのに、お会いできず、このメッセージをもってお祝いのことばに代えさせていただくことをお許し下さい。

2004年の春、その時はこれがいちおう最後のゼミ担当の二年間になるとは、かんがえてもいませんでしたが、他の14名のゼミ学生の皆さんとともに、留学生のAさんが僕のゼミナールに参加してくれました。
「僕のゼミナールも、留学生が参加してくれて、いよいよ国際的になってきた!」と心の中で胸を張る、喜びのスタートでした。
Aさんは、大変熱心な学びぶりで、ゼミ発表の機会でも、ゼミの友人たちと共に、誠実に取り組んでおられました。発表に緊張して汗をかきながら、発言しておられた姿が、印象に残っています。
社会福祉の専門的な事がらを、日本語で正確に表現することには、少なくない困難があったことを、十分承知した上で、いろいろな発表はもちろん、三年生夏休み恒例の「8000字レポート」にも、取り組んでいただきました。
僕は、その点で、大変「厳しい教師」だったかもしれません。許してくださいね。
また、Aさんには、僕が2004年度前期に、大教室で初めて取り組んだ「障害者福祉論」の講義の際にも、プリントの運搬、配布などにほとんど毎時間、大変親切に、力になって頂き、本当に感謝しています。
他の先生の中には、あなたのことを、僕のティーチング・アシスタントの方か、と思われていた方もいたほどです。
夜間の講義で、受講生の方々にたくさんの負担をかけたような講義担当でしたが、教員として、本当にいい勉強をさせていただいた体験でした。これもAさんのおかげです。本当にありがとう!

Aさんと学んでいて、ドキッとしたことがありました。
Aさんが、ゼミの中で、「日本の社会福祉は、韓国よりもっと進んでいると思って勉強に来たが、そうでもない点が多かった」と発言されたときのことです。Aさんの発言にもあったように、家族や近隣のつながりを大切にして支えあう「福祉」のあり方は、40年以上前の日本がもっていて、現在は残念ながら、人間関係や地域のつながりが希薄化して失いつつあるものです。日本の社会福祉が、人間の生活を守り支えるしくみとして発展してきたことは事実ですが、Aさんが「このようであれば良いのに」と思ってくれる福祉サービスの水準に、現在の日本はまだまだ達していないことに気がつき、恥ずかしくなったものです。
今、Aさんのご努力が大きく実を結びましたね!力の限り拍手を送ります。よくここまで頑張られました。もう一度おめでとう。いつも笑顔で、お元気で…。きっとまたお会いしましょう!

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暑いのに、夏休みの宿題なんて理不尽だ、と思っていたのは小学生時代。
きょうは大学教師としての僕の眼からみた、「夏休みの宿題・学生編」。


大学の教師になって、宿題を出す方にまわってからは、ゼミ恒例「8000字レポート」を毎年夏休みに課していた。

『障害児・者の生活福祉研究』と題した、僕のゼミナールは、人々の生活の中から「福祉」のあり方を問うことを目指した。
学部の3年生に出題していたレポートのタイトルは、『戦後障害者問題の歴史と課題−○○○を通して』。

副題の“○○○”のところには、例えば「障害児教育の変遷」とか「障害者雇用制度」とか、学生が自由に、自らの興味・関心、あるいは「書きやすさ」に応じて選んだジャンルが入る。

ゼミに所属して最初の夏休みに入るまでの学期で、「障害者福祉論」のテキスト講読によって、「基礎固め」を終えたことになるので、秋からの後半の学期の関心領域別研究に備えるために、学生各自が、自分の選んだ領域の「歴史と課題」について、概観させておくねらいがあった。

自分の選んだジャンルを、より深めたい、施設などでの実習によって、関心が生まれた、という場合には、このレポートが「卒業論文」の土台になることもある。


「障害者福祉」を問わず、今日の社会福祉では、貧困や疾病、心身の「障害」など生活上の困難を起点として、「すべての人」が「よく生きる」(Well-being)ための方策という観点が求められている。


制度としての「福祉」とか「保護」は、すべての人の『人権』を守る社会的装置として拡充発展してきた。特定の対象を差別し、排除することは許されない。
しかし「すべての人」へ最大公約数を拡げる過程で、特定の対象を「保護」の名で“隔離”し、「福祉」の名で排除した痛恨の歴史があった。

法律も制度も、今はじめて立ち現れてきたものではなく、どのような条件にあっても「人間らしく生きたい」と願う人々の、地を這うような努力の中から今日の姿形となっている。
自分の関心あるジャンルでよいから、そのようなプロセスを、学生にぜひ学んでほしかった。

8000字は、400字詰め原稿用紙20枚相当。

ある程度、構成と内容を練り上げて、文献や資料なども集めて準備してかからなければ、到底仕上がるものではない。

ただ“書け”といっても書けるものではないから、この機会に「レポートの書き方」もていねいに伝える。

学生にこれだけのボリュームの宿題を課すのだから、こちらも真剣勝負だ。
秋になって再会したゼミ生からは、ずいぶん立派なレポートが提出されたものだ。
ゼミを担当した11年間、こんなレポートをずっと出題してきたものだから、僕のゼミには、「レポートが多いゼミ」という評価が定着してしまった。学生からも、「先生は、レポートを出題するときが一番うれしそうです」なんて言われる始末……
毎年15本前後のそれらレポートを、授業の合間に一ヶ月ほどかけて赤ペンで添削し、一人ひとりコメントをつけて返却するのが、今度は僕の大切な「宿題」であった。



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「遅刻学生に罰金“100円”/琉大工学部教授」(沖縄タイムス2006年7月10日)
琉球大学工学部機械システム工学科の教授が講義に遅刻した学生から罰金百円を徴収していることに学生が反発、大学側は教授の処分を検討する事態になっていることが十日までに分かった。工学部は教授に徴収をやめるよう勧告しているが、教授は応じない構えだ。同教授は沖縄タイムス社の取材に対し、「遅刻を減らすためで、学生とは合意している。強制ではなく、苦情も出ていない」と話している。…(略)

学生の一人は「(金銭徴収は)おかしいと思うが、成績評価に響くかもしれないので払わざるを得ない」と困惑した様子。別の学生は「遅刻したことの負い目もあるし、百円ならいいかなという感覚で、つい払ってしまう」という。「百円で出席が買えるなら安い」と話す学生もいる。

−−
いくら学生と合意の上だから、といってもこんな教室のルールはいただけない。
教授も教授なら、「百円で出席が買えるなら安い」という学生もいかがなものか

しかし、昨年度まで大学の教職にあった者として、このニュースはなんとも嘆かわしい、と思いつつ、あながち了解不能な措置だとも思えないのがつらい。

僕が経験した受講生250名を超える夜間の講義では、遅刻対策などとりようがなかった。授業期間中、何回か取り扱う事柄の節目ごとに、予告なしで学生に提出してもらう「感想・質問カード」(=リアクション・カード)を通して出席管理をすることが間接的な遅刻対策だったかもしれない。
堂々と遅刻して教室に来た学生が、着席するかと思いきや、当日配布した講義レジュメを受け取ると、そそくさと教室を後にするのには本当に頭に来た

教室運営上、何らかの学生の遅刻対策は不可欠だが、授業開始後、五分経過したら入室を認めない、“厳しい”教員から、私語さえしなければ、後はご自由に…、という教員まで、その対応は教員によってまちまちだ。

僕の場合、演習(ゼミ)や実習教育など少人数クラス(受講生15〜30人)では、教員として工夫していることがあった。
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