2009年01月09日
人身事故とは?
年末年始、人身事故が多い気がする。つまり、電車に飛び込んで自殺している人が多いということ。年間日本では3万人を超える人が自ら自分の命を絶っている。簡単に計算すれば、一日約100人が自殺していることになる。
なぜ自殺がこんなに増えているのだろうか。生きる意味を失って絶望したからだろうか。じゃあ絶望させてしまう社会とは何か。いろんな疑問が浮かぶ。
動物は生きるために生きている。つまり、生きるために獲物を捕らえ、もしくは植物を食べ、そしてまた生きるために食べる。天敵が来たら生きるために戦い、もしくは逃げる。動物の一生は常に生きるために生きているといえる。
人間は不思議な生き物だ。人間は脳が発達し動物よりも「進化」し「発展」してきた。文明まで作ってしまうなんて、奇跡としかいいようがない気がする。他に人間のような生物がいるかわからないが、地球上の動植物界から見れば、人間は唯一無二の超スーパーな存在である。
そんな人間がなぜ、動物の使命ともいえる生きることを自分で放棄してしまうのだろうか。もしかしたら、生きる意味を考えることができるからこそ、生きないという選択ができてしまうのかもしれない。なんと皮肉なことかと思う。
それとも「生きるために生きること」ができないがため、人間は生きる理由を考えた
のだろうか。うーん、難しい。
男と女が交わると新しい命が生まれる。よくよく考えるとすごく神秘的だ。それが延々と続いてきている。そう考えると、今生きていること自体が奇跡な気がする。絶望している人にどうやったらそれが伝わるだろうか。うーん、難しい。
自分の能力を超えたトピックを選んでしまった。笑
では出直してきます。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしく。
なぜ自殺がこんなに増えているのだろうか。生きる意味を失って絶望したからだろうか。じゃあ絶望させてしまう社会とは何か。いろんな疑問が浮かぶ。
動物は生きるために生きている。つまり、生きるために獲物を捕らえ、もしくは植物を食べ、そしてまた生きるために食べる。天敵が来たら生きるために戦い、もしくは逃げる。動物の一生は常に生きるために生きているといえる。
人間は不思議な生き物だ。人間は脳が発達し動物よりも「進化」し「発展」してきた。文明まで作ってしまうなんて、奇跡としかいいようがない気がする。他に人間のような生物がいるかわからないが、地球上の動植物界から見れば、人間は唯一無二の超スーパーな存在である。
そんな人間がなぜ、動物の使命ともいえる生きることを自分で放棄してしまうのだろうか。もしかしたら、生きる意味を考えることができるからこそ、生きないという選択ができてしまうのかもしれない。なんと皮肉なことかと思う。
それとも「生きるために生きること」ができないがため、人間は生きる理由を考えた
のだろうか。うーん、難しい。
男と女が交わると新しい命が生まれる。よくよく考えるとすごく神秘的だ。それが延々と続いてきている。そう考えると、今生きていること自体が奇跡な気がする。絶望している人にどうやったらそれが伝わるだろうか。うーん、難しい。
自分の能力を超えたトピックを選んでしまった。笑
では出直してきます。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしく。
2008年12月30日
ただいま
先日、台湾旅行から帰国しました。台湾は「うまい!安い!優しい!」の三拍子そろったとてもいい国でした。人がとにかくフレンドリーだし優しい。道を聞けば丁寧に教えてくれるし、いろんな場面で会話を楽しむ雰囲気がある。特に日本人に対してはより優しいのですごく嬉しい。
すっごく美味しいご飯が150円くらいで食べられる。でもあまりに美味しいのとあまりに安いので、正直150円だけ払って食べるのが申し訳なくなった。それに台湾人のお店の人たちからは、一生懸命作ってサーブしてくれるのがすごく伝わってくる。
特に地方の観光地の人たちはこれだけ一生懸命働いてもお給料は高くないと思う。ただ、観光客を歓待して美味しいものを食べてもらうことが彼ら彼女らの幸せなのかな、とその笑顔を見て思った。
台湾でモデル活動中のサッカー部の先輩の目代さんとも会って、台湾人は本当に優しいし暮らしやすいので台湾に住みたいですねという結論に至りました。笑
今日はアフ氏とクラシックコンサートに行って来た。迫力あるし、様々な音がシンクロする瞬間がたまらない。つくづくオーケストラは凄いなと思う。
オーケストラは世の中の縮図なのかなとも思う。ヴァイオリンやチェロはカッコいいし目立つけど、一見簡単そうに見えるパーカッションだってオーケストラではなくてはならない存在。小さい木管楽器のピッコロの演奏者は一人であったが、十分存在感があった。
就職活動などでいろいろみていると、有名な大企業がすごくて無名なところは微妙という雰囲気はあるし、自分の働いているところにプライドを持つのはいいことだけど、それが過剰になって他を馬鹿にするような風潮もなくもない。
僕はミーハーなところがあり、パーカッションよりはヴァイオリンを弾きたいと思うし弾けたらカッコいいなーとも思う。でもヴァイオリンだけでオーケストラは成り立たないのも事実。集団のスポーツも全く同じ。みんなが機能して初めて形になる。
それがわかれば周りに敬意をもって接することができるのかな。そんなことをオーケストラから感じた今日この頃。皆さま良いお年を。
台湾からみる太平洋
すっごく美味しいご飯が150円くらいで食べられる。でもあまりに美味しいのとあまりに安いので、正直150円だけ払って食べるのが申し訳なくなった。それに台湾人のお店の人たちからは、一生懸命作ってサーブしてくれるのがすごく伝わってくる。
特に地方の観光地の人たちはこれだけ一生懸命働いてもお給料は高くないと思う。ただ、観光客を歓待して美味しいものを食べてもらうことが彼ら彼女らの幸せなのかな、とその笑顔を見て思った。
台湾でモデル活動中のサッカー部の先輩の目代さんとも会って、台湾人は本当に優しいし暮らしやすいので台湾に住みたいですねという結論に至りました。笑
今日はアフ氏とクラシックコンサートに行って来た。迫力あるし、様々な音がシンクロする瞬間がたまらない。つくづくオーケストラは凄いなと思う。
オーケストラは世の中の縮図なのかなとも思う。ヴァイオリンやチェロはカッコいいし目立つけど、一見簡単そうに見えるパーカッションだってオーケストラではなくてはならない存在。小さい木管楽器のピッコロの演奏者は一人であったが、十分存在感があった。
就職活動などでいろいろみていると、有名な大企業がすごくて無名なところは微妙という雰囲気はあるし、自分の働いているところにプライドを持つのはいいことだけど、それが過剰になって他を馬鹿にするような風潮もなくもない。
僕はミーハーなところがあり、パーカッションよりはヴァイオリンを弾きたいと思うし弾けたらカッコいいなーとも思う。でもヴァイオリンだけでオーケストラは成り立たないのも事実。集団のスポーツも全く同じ。みんなが機能して初めて形になる。
それがわかれば周りに敬意をもって接することができるのかな。そんなことをオーケストラから感じた今日この頃。皆さま良いお年を。
台湾からみる太平洋
2008年12月19日
アジア
2008年12月16日
携帯
この前の土日はゼミ合宿のため熱海に行ってきた。品川から東海道線でトコトコ一時間半ほど。途中で女子高生3人が乗ってきた。見た感じまじめそうな子たち。川越出身の人はわかると思うけど、川女生っぽい感じ。
「シーン」
ビックリしたのはその3人が30分間ほど一度も喋っていないのだ。仲が悪いならわかるけどそんな感じではなかったし、ひたすらみんな携帯をいじっていた。
僕が高校のときは、周りからみたらうるせー!って感じだったかもしれないけど部活帰りには西武線ユーザーのチームメイトといろんなことをよく話していたものだ。くだらない話のなかにも、本質的な会話はあったと思う。
今回の女子高生たちにとって今目の前にいる友達ではなく携帯越しの相手とのメールのほうが重要らしい。もしかしたら、それまで散々話してて電車のなかで溜まったメールを返すみたいな感じだったかもしれないし、メール越しにめちゃくちゃ深い悩みの話や将来の話をしていたかもしれないけど、なんだかむなしいなとその一瞬思った。
この世に生れ落ちてから既にその人の人生は有限。人との関わりも必ず終わりが訪れる。なんでもそうだけど、終わりや別れが見えるとなんだか急に寂しくなるしもっとたくさん話しておけばよかった、なんて思うことはよくある。
だからメールなんて家に帰って一人の時間に返せばいいのになーと思う。友達や家族と一緒にいる時間ほど貴重な時間はないと思う。まぁ彼氏や彼女といるときにずっとメールする人はあんまりいないと思うけど。だから自分は特に家族と家で夕飯を食べているときには緊急なことがない限り電話もでないしメールもしない。食事が終わって部屋に戻ってからするようにしている。
友達とかとの飲み会の席でもメールや電話の確認をする程度で実際に携帯をやたらいじることはない。もし、いや君は携帯を長らくいじってたよっていう方がいたらスミマセン。でも、そういう意識は常に持っているつもり。
逆にみれば自分と会話してて、携帯が鳴ってても見向きもしない人は自分との会話を大事にしてくれてるんだなーと思うし、しょっちゅういじっている人は携帯越しの相手のほうが大事なんだなと認識してしまう。
世界に60億人以上いるなかで出会う確率、さらに一緒に食事するなんて天文学的確率なのに、そんな相手を大事にしないなんて、もったいない。携帯の相手も大事じゃん、なんて揚げ足とらないでください笑。
自分自身一期一会を大切にしているつもりだが、それでもそう思うことはある。大学の友達とか、この時期になると同じ学部の人なんかは友達の友達みたいな人がほとんどだし、実際数回しか会ったことなくても、いい人だなーもっと話せたらなーと思う人はたくさんいる。上にも書いたけどあと大学で一緒にいる時間が少なくなってきたからそう思うようになったのかもしれない。
大学自慢をするわけでも女の子びいきでもなんでもないけど、うちの大学の特に女の子は本当にいい子が多い。(男子陣ももちろんたくさんいい人いるし男友達が大事なのはいうまでもない)。見た目は華の大学生って感じだけど人間的にしっかりしているというか本当に人がいい。もちろん人によるけど、僕の会った人たちはその割合が高いと感じた。だから、もっと話せたり仲良くなれたら人間的に幅も広がったかなーなんて思う。
長くなってここまで全部読んでくれた方は少ないかもしれないけど、まぁ何がいいたいか一言でいうと、自分の目の前にいる人や友達との時間が本当に貴重だということ。
いやー師走は流れが早い。
写真はスウィッシュ!
チャオ!
「シーン」
ビックリしたのはその3人が30分間ほど一度も喋っていないのだ。仲が悪いならわかるけどそんな感じではなかったし、ひたすらみんな携帯をいじっていた。
僕が高校のときは、周りからみたらうるせー!って感じだったかもしれないけど部活帰りには西武線ユーザーのチームメイトといろんなことをよく話していたものだ。くだらない話のなかにも、本質的な会話はあったと思う。
今回の女子高生たちにとって今目の前にいる友達ではなく携帯越しの相手とのメールのほうが重要らしい。もしかしたら、それまで散々話してて電車のなかで溜まったメールを返すみたいな感じだったかもしれないし、メール越しにめちゃくちゃ深い悩みの話や将来の話をしていたかもしれないけど、なんだかむなしいなとその一瞬思った。
この世に生れ落ちてから既にその人の人生は有限。人との関わりも必ず終わりが訪れる。なんでもそうだけど、終わりや別れが見えるとなんだか急に寂しくなるしもっとたくさん話しておけばよかった、なんて思うことはよくある。
だからメールなんて家に帰って一人の時間に返せばいいのになーと思う。友達や家族と一緒にいる時間ほど貴重な時間はないと思う。まぁ彼氏や彼女といるときにずっとメールする人はあんまりいないと思うけど。だから自分は特に家族と家で夕飯を食べているときには緊急なことがない限り電話もでないしメールもしない。食事が終わって部屋に戻ってからするようにしている。
友達とかとの飲み会の席でもメールや電話の確認をする程度で実際に携帯をやたらいじることはない。もし、いや君は携帯を長らくいじってたよっていう方がいたらスミマセン。でも、そういう意識は常に持っているつもり。
逆にみれば自分と会話してて、携帯が鳴ってても見向きもしない人は自分との会話を大事にしてくれてるんだなーと思うし、しょっちゅういじっている人は携帯越しの相手のほうが大事なんだなと認識してしまう。
世界に60億人以上いるなかで出会う確率、さらに一緒に食事するなんて天文学的確率なのに、そんな相手を大事にしないなんて、もったいない。携帯の相手も大事じゃん、なんて揚げ足とらないでください笑。
自分自身一期一会を大切にしているつもりだが、それでもそう思うことはある。大学の友達とか、この時期になると同じ学部の人なんかは友達の友達みたいな人がほとんどだし、実際数回しか会ったことなくても、いい人だなーもっと話せたらなーと思う人はたくさんいる。上にも書いたけどあと大学で一緒にいる時間が少なくなってきたからそう思うようになったのかもしれない。
大学自慢をするわけでも女の子びいきでもなんでもないけど、うちの大学の特に女の子は本当にいい子が多い。(男子陣ももちろんたくさんいい人いるし男友達が大事なのはいうまでもない)。見た目は華の大学生って感じだけど人間的にしっかりしているというか本当に人がいい。もちろん人によるけど、僕の会った人たちはその割合が高いと感じた。だから、もっと話せたり仲良くなれたら人間的に幅も広がったかなーなんて思う。
長くなってここまで全部読んでくれた方は少ないかもしれないけど、まぁ何がいいたいか一言でいうと、自分の目の前にいる人や友達との時間が本当に貴重だということ。
いやー師走は流れが早い。
写真はスウィッシュ!
チャオ!
2008年11月26日
サティとショパン
ジムノペディ第一番 サティ
この曲を聴くとすごく落ち着く。この曲名をみてあ〜あの曲ね!っていう人がいたらかなり感動。とまぁ作曲家や曲名は全然知名度ないけど、聴けばわかる方も多いはず。
クラシックの曲はなぜかわからないけど、なんというか自分を清めてくれる感覚がある。最近は生の演奏を聴きに行ってないから、親にでもねだって連れて行ってもらおうかと計画中。だって生で聴こうとしたら昼ごはん10食分くらいだもん。笑
平和で「満たされた」生活に浸っていたら、こんな曲は到底作曲できないだろうなと思う。モーツァルトでもベートーベンでもショパンでも、彼らが生きた時代はフランス革命といった市民革命などの激動の時代だった。だからこそといっては語弊があるが、だからこそ生まれたのかもしれない。
後世に残る思想や芸術は反逆、反骨、自由への渇望、こういった精神があって初めて生み出されるのかなとも思う。時代のせいにするわけではないけど、満たされた世界にいると想像力や考える力が欠如してしまうのかもしれない。
最近では、よく「ブレトンウッズ体制2」に向けてといったような議論があるが、英雑誌のエコノミストには「役不足だ!」的なことが書いてありました。確かに。
一市民の僕にとって、経済危機の中大きな役割を果たしているアメリカ財務長官のポールソンとかイギリスのブラウン首相とかはこの時代で選ばれた人なんだろうなと思うけど、その雑誌にはバッサリと、ポールソンとケインズを比べてみよ、ブラウンとチャーチルを比べてみろ、と。
やはり激しい時代を経験した人たちっていうのは圧倒的なのだろうか。向こうにいる間イギリス人によく聞いたけど、やはり一番の政治家はチャーチルらしい。それに戦後の経済学というか世界の仕組みを考えたのは言わずもがなケインズ。
といっても優秀な社会人の人とかに会うとこの人すごいなと圧倒されることがあるので、結論的には今の自分はなんともゴミのような存在だなと再確認せざろうえない笑
でも時代は選べないし今の時代だからこそ享受できていることはたくさんあるから、そんな寂寥感にかられずに頑張っていこうじゃないかと思う。
今サティの曲から映画「戦場のピアニスト」でも有名なショパンのあの曲が流れている。いつか弾けるようになりたいっす。
チャオ!
この曲を聴くとすごく落ち着く。この曲名をみてあ〜あの曲ね!っていう人がいたらかなり感動。とまぁ作曲家や曲名は全然知名度ないけど、聴けばわかる方も多いはず。
クラシックの曲はなぜかわからないけど、なんというか自分を清めてくれる感覚がある。最近は生の演奏を聴きに行ってないから、親にでもねだって連れて行ってもらおうかと計画中。だって生で聴こうとしたら昼ごはん10食分くらいだもん。笑
平和で「満たされた」生活に浸っていたら、こんな曲は到底作曲できないだろうなと思う。モーツァルトでもベートーベンでもショパンでも、彼らが生きた時代はフランス革命といった市民革命などの激動の時代だった。だからこそといっては語弊があるが、だからこそ生まれたのかもしれない。
後世に残る思想や芸術は反逆、反骨、自由への渇望、こういった精神があって初めて生み出されるのかなとも思う。時代のせいにするわけではないけど、満たされた世界にいると想像力や考える力が欠如してしまうのかもしれない。
最近では、よく「ブレトンウッズ体制2」に向けてといったような議論があるが、英雑誌のエコノミストには「役不足だ!」的なことが書いてありました。確かに。
一市民の僕にとって、経済危機の中大きな役割を果たしているアメリカ財務長官のポールソンとかイギリスのブラウン首相とかはこの時代で選ばれた人なんだろうなと思うけど、その雑誌にはバッサリと、ポールソンとケインズを比べてみよ、ブラウンとチャーチルを比べてみろ、と。
やはり激しい時代を経験した人たちっていうのは圧倒的なのだろうか。向こうにいる間イギリス人によく聞いたけど、やはり一番の政治家はチャーチルらしい。それに戦後の経済学というか世界の仕組みを考えたのは言わずもがなケインズ。
といっても優秀な社会人の人とかに会うとこの人すごいなと圧倒されることがあるので、結論的には今の自分はなんともゴミのような存在だなと再確認せざろうえない笑
でも時代は選べないし今の時代だからこそ享受できていることはたくさんあるから、そんな寂寥感にかられずに頑張っていこうじゃないかと思う。
今サティの曲から映画「戦場のピアニスト」でも有名なショパンのあの曲が流れている。いつか弾けるようになりたいっす。
チャオ!
2008年11月22日
自己管理
Body肉体、Mind知性、Emotions感情、Spirit精神のバランス
「モチベーション」、日本語でいえば「活力」であろうか。これを維持、向上させていくことがすごく大切であることをよく感じる。あるビジネス雑誌にも書いてあったが、上記の四つのバランスをとることがすごく重要だと思う。
何をやるにもこの「活力」しだいで変わるし、パフォーマンスにも影響する。その活力を維持、向上していくには自分なりの工夫が必要だ。
例えば僕の月曜日のコンディションは最悪だった。土曜日はサッカーの蹴球会の納会があり夜中にカラオケなど超久しぶりに夜更かしをした。次の日もサッカーがあったため睡眠時間は三時間。次の日のサッカーはたまたまフットサルになり、たまたま膝を痛めたのとサッカーではあまり使わない筋肉を使ったため翌日月曜日は激しい筋肉痛で迎えることになった。
自業自得だがこの状態で月曜日を迎えたため激しく体調が悪かった。まず肉体面。土日に読もうと思っていた本や勉強しようとしていたことができなかったことがありなんだか不完全燃焼に終わった。これが分類すれば知性面であろう。この二つが崩れたので月曜日は正直「活力」を失っていた。いわゆるやる気のない日である。
火曜日は一日アルバイトだったためそんなことは言ってられず一日頑張った。ただ活力は戻らない。社会人になったら休めずに金曜日まで続くのかもしれないが、僕は学生なのでそれに甘え水曜日の午後は完全にOFFの日にした。
部屋を片付け夕飯を作り好きな音楽を聴き本を読み映画を観て夜は早めに寝た。そしたら木曜日のコンディションはかなり高く自分のなかに「活力」が沸いているのを感じた。二つが整っていると精神面でも凄く楽になり例えば将来の自分のビジョンや企業などについて考えていてもポジティブに考えられる。
誰でも当たり前のことだと思うけど、自分でコントロールすることで「モチベ」を維持できるし何かをやる原動力に繋がる。
留学中もよく意識していたが一日一日を大切にして過ごすこと、そして自分をうまくコントロールすることでモチベーションを維持向上できると思うし、いいサイクルに繋がるはず。
今年の4月のオックスフォードにて
バッチゴー!
「モチベーション」、日本語でいえば「活力」であろうか。これを維持、向上させていくことがすごく大切であることをよく感じる。あるビジネス雑誌にも書いてあったが、上記の四つのバランスをとることがすごく重要だと思う。
何をやるにもこの「活力」しだいで変わるし、パフォーマンスにも影響する。その活力を維持、向上していくには自分なりの工夫が必要だ。
例えば僕の月曜日のコンディションは最悪だった。土曜日はサッカーの蹴球会の納会があり夜中にカラオケなど超久しぶりに夜更かしをした。次の日もサッカーがあったため睡眠時間は三時間。次の日のサッカーはたまたまフットサルになり、たまたま膝を痛めたのとサッカーではあまり使わない筋肉を使ったため翌日月曜日は激しい筋肉痛で迎えることになった。
自業自得だがこの状態で月曜日を迎えたため激しく体調が悪かった。まず肉体面。土日に読もうと思っていた本や勉強しようとしていたことができなかったことがありなんだか不完全燃焼に終わった。これが分類すれば知性面であろう。この二つが崩れたので月曜日は正直「活力」を失っていた。いわゆるやる気のない日である。
火曜日は一日アルバイトだったためそんなことは言ってられず一日頑張った。ただ活力は戻らない。社会人になったら休めずに金曜日まで続くのかもしれないが、僕は学生なのでそれに甘え水曜日の午後は完全にOFFの日にした。
部屋を片付け夕飯を作り好きな音楽を聴き本を読み映画を観て夜は早めに寝た。そしたら木曜日のコンディションはかなり高く自分のなかに「活力」が沸いているのを感じた。二つが整っていると精神面でも凄く楽になり例えば将来の自分のビジョンや企業などについて考えていてもポジティブに考えられる。
誰でも当たり前のことだと思うけど、自分でコントロールすることで「モチベ」を維持できるし何かをやる原動力に繋がる。
留学中もよく意識していたが一日一日を大切にして過ごすこと、そして自分をうまくコントロールすることでモチベーションを維持向上できると思うし、いいサイクルに繋がるはず。
今年の4月のオックスフォードにて
バッチゴー!
2008年11月07日
働く意味
なんて働いてからじゃなきゃわからないと思うけど、働く場所を探している僕にとってはなかなかホットなテーマだ。
生活するため。生きるため。楽しむため。自分のため。家族のため。自己実現のため。贅沢をするため。社会に貢献するため...etc あげればキリがないけど、人それぞれ働くことに自分なりに意味を持たせて働いていると思う。
どんな理由でも各々の自由。自分たちが納得しているならそれでいいと思う。人間は意味を求めたがるもので、まさにキリスト教やイスラム教、いやそもそも宗教が生まれたのはそれ故かもしれない。「人類の起源はアダムと、、、」といったように。
生きる意味とか働く意味とか語ろうとすると、まぁそんなに堅く考えるなって、と言われることもあるし、今まで自分自身もそんなに真剣に考えてこなかった。
深く考えてもたいして意味はない、生きるためには働かなきゃいけないっしょ、ってね。それと同じで、企業は利益をあげることが至上命題だ。利益になることをしなかったら企業は存続できないし、世の中を動かしているのはビジネスだ。
確かにそう思う。でも自分が心からそれに納得しているかといえば、そうでもない。企業に入れば、いかに少ないコストで高品質の「モノ」を生み出すか、売れる「モノ」を出すか、究極なところそれだと思う。歴史的にその積み重ねが産業の発展を生み出したしおかげで今はすごく便利な世の中になった。今こうやって自分の思いを伝えられるのもいろんな人がITに尽力しているからだ。
でもでも利益を上げること、新しい価値を生み出すことが「正しい」と本当にいえるのだろうか。患者を救う病院や医者、未来の人材を育てる教師、秩序を守る警察、そして国を支える官僚機構。語弊を恐れずにいえば、必ずしも利益にならないことをするのも絶対に必要だと思う。だからといって非効率でいいというわけではもちろんないし、お給料はそれ相応に払われるべきだとも思う。というか今起こってる多くの問題はそういうところにうまく配分されてないから起こるんじゃないだろうか。
官が利益にならないことをするといってるわけじゃなくて、新自由主義といわれる思想の潮流のなかで民営化だ!ということで官が悪くて民がいい的な流れに疑問を感じるし、そもそも今その時流のなかにいることがどういうことなのか、ということが位置づけられないことは怖いことだなと思う。
まぁまだ11月なんで自分の進路が今後どう変わるかは全くわかりませんが!笑
ただ、何故働くのか、どう働きたいのかということはこだわって考えて行動していこうと思います。
今日は写真なし!笑
生活するため。生きるため。楽しむため。自分のため。家族のため。自己実現のため。贅沢をするため。社会に貢献するため...etc あげればキリがないけど、人それぞれ働くことに自分なりに意味を持たせて働いていると思う。
どんな理由でも各々の自由。自分たちが納得しているならそれでいいと思う。人間は意味を求めたがるもので、まさにキリスト教やイスラム教、いやそもそも宗教が生まれたのはそれ故かもしれない。「人類の起源はアダムと、、、」といったように。
生きる意味とか働く意味とか語ろうとすると、まぁそんなに堅く考えるなって、と言われることもあるし、今まで自分自身もそんなに真剣に考えてこなかった。
深く考えてもたいして意味はない、生きるためには働かなきゃいけないっしょ、ってね。それと同じで、企業は利益をあげることが至上命題だ。利益になることをしなかったら企業は存続できないし、世の中を動かしているのはビジネスだ。
確かにそう思う。でも自分が心からそれに納得しているかといえば、そうでもない。企業に入れば、いかに少ないコストで高品質の「モノ」を生み出すか、売れる「モノ」を出すか、究極なところそれだと思う。歴史的にその積み重ねが産業の発展を生み出したしおかげで今はすごく便利な世の中になった。今こうやって自分の思いを伝えられるのもいろんな人がITに尽力しているからだ。
でもでも利益を上げること、新しい価値を生み出すことが「正しい」と本当にいえるのだろうか。患者を救う病院や医者、未来の人材を育てる教師、秩序を守る警察、そして国を支える官僚機構。語弊を恐れずにいえば、必ずしも利益にならないことをするのも絶対に必要だと思う。だからといって非効率でいいというわけではもちろんないし、お給料はそれ相応に払われるべきだとも思う。というか今起こってる多くの問題はそういうところにうまく配分されてないから起こるんじゃないだろうか。
官が利益にならないことをするといってるわけじゃなくて、新自由主義といわれる思想の潮流のなかで民営化だ!ということで官が悪くて民がいい的な流れに疑問を感じるし、そもそも今その時流のなかにいることがどういうことなのか、ということが位置づけられないことは怖いことだなと思う。
まぁまだ11月なんで自分の進路が今後どう変わるかは全くわかりませんが!笑
ただ、何故働くのか、どう働きたいのかということはこだわって考えて行動していこうと思います。
今日は写真なし!笑
2008年10月31日
三周年
Hi there, today is the third years anniversary of my blog. I do not know exactly who or how many people are reading this blog. In addition, without comments, I do not know precisely what do you think about my articles.
But I've writen articles for three years due to the fact that I've wanted to express my idea, understanding and notion.
That is why I've intended to focus on what I thought rather than what I did in this blog.
To be sure every minute of time is really important for us, but in my opinion university student years are the most precious time because we can do whatever we want except illegal things. That is the one of the reason why I've kept writing articles in my blog.
It can be suggested that the only thing that God gives us equally is time. So, it completely depends on us. Some spend much time uselessly, while some spend much time effectively. It might be difficult to define what is important for our time and for our life. However, i would say that life will be to pursuit our happiness even though someone disagree with it.
Everybody has different happiness but we can do our best for our happiness. Time is money.
I just want to write in English because of anniversary. haha
Picture is in Athens in Greece
Best wishes
cheers
korekaramo yoroshiku onegai shimasu
But I've writen articles for three years due to the fact that I've wanted to express my idea, understanding and notion.
That is why I've intended to focus on what I thought rather than what I did in this blog.
To be sure every minute of time is really important for us, but in my opinion university student years are the most precious time because we can do whatever we want except illegal things. That is the one of the reason why I've kept writing articles in my blog.
It can be suggested that the only thing that God gives us equally is time. So, it completely depends on us. Some spend much time uselessly, while some spend much time effectively. It might be difficult to define what is important for our time and for our life. However, i would say that life will be to pursuit our happiness even though someone disagree with it.
Everybody has different happiness but we can do our best for our happiness. Time is money.
I just want to write in English because of anniversary. haha
Picture is in Athens in Greece
Best wishes
cheers
korekaramo yoroshiku onegai shimasu
2008年10月19日
季節
季節が刻々と変化していることを肌で感じる今日この頃。受験などが冬にあったからか、どうも冬へ向かうと気が引き締まる気がする。冬のいいところは人と一緒にいるだけで、温かさを感じること。夏の電車で隣の人と肌が接したりすると不快に思うこともあるけど、寒い冬はむしろ温かい気がしたりする。人肌恋しいといわれる季節も冬である。
季節感があるっていい。服装の色合いも違ってくるし、それ故街の景色も違って見える。食事のメニューも季節によって様々。
こういった春夏秋冬がある地域はすごく恵まれている。基本的に一年のなかに雨季があったり晴れる日があったりと季節がはっきりしているアジアの地域の土壌は肥沃だ。ちなみにイギリスはなんだかさえない天気が多かったりする。その分晴れた日のテンションは高い笑。
土壌が肥沃だといろんな食物が育つ。日本は自給率が低いといわれるけど、土壌は豊かなはず。一方ヨーロッパの北のほうは散々で、基本的に冬はジャガイモと玉葱くらいしか取れないらしい。今は技術が発展しているから多少はマシだけど、でも育つ食物の種類も南欧に比べれば少ない。
だからヨーロッパの北のほうは食事があまり美味しくないのはそういったこともあるでしょう。土壌が肥沃な南欧のフランス料理、イタリア料理、スペイン料理とかはよく聞くけど、北欧料理とかドイツ料理とかオランダ料理とか、あんまり有名ではない。
ちなみに南欧に多いカトリックにはマリア信仰があるが、それは自然の豊穣と母なるマリアがイメージとして重ねあわされているから、といわれている。一方プロテスタントの多い北のヨーロッパにはマリア信仰というものはない。北のほうでは、利潤を生むのは豊穣な土地ではなく労働である、と。カトリックは基本的に労働は原罪を持つ人間に与えられた苦役だが、プロテスタントにとって労働は喜びであり、そこから得られた富や利益は労働の対価として手に入る。
それゆえ、産業革命が起こったのが北に位置していたイギリスやドイツであるのも納得できる。そして全体的に北欧とかドイツとか北のほうの国のほうが勤勉で、南の国のほうがバカンスを重視するのも、それ故だろうか。
さらに過酷な土地といえば砂漠。イラク戦争でアメリカ軍の真の敵は「砂」だった、とも言われているように、ものすごく大変な土地らしい。オアシス以外、砂漠には食物は育たないし、だから移動して物々交換などを通して生活しているのにも理由がある。だから商売がうまいのでしょう笑。
そんなこんな、季節がしっかり分かれていて豊穣な土地があるって贅沢なこと。農業に従事したことがないのでなんともいえないけど、育つ土壌があるなら国内の農業をもっと促進すればいいのになと思う。WTOのラウンドで農業分野の関税を下げろって言われてるなら、制約があるにしろ農業を支援する政策をもっとすべきだとも思う。
でも、僕が今働きたいなと思っている分野は、そういった日本の農業を守るというよりは、脅威にさらしてしまう可能性もあるし、どうにかウィンウィンな関係にならないだろうか、と考え中である。
インタラーケンの湖
おしまい
季節感があるっていい。服装の色合いも違ってくるし、それ故街の景色も違って見える。食事のメニューも季節によって様々。
こういった春夏秋冬がある地域はすごく恵まれている。基本的に一年のなかに雨季があったり晴れる日があったりと季節がはっきりしているアジアの地域の土壌は肥沃だ。ちなみにイギリスはなんだかさえない天気が多かったりする。その分晴れた日のテンションは高い笑。
土壌が肥沃だといろんな食物が育つ。日本は自給率が低いといわれるけど、土壌は豊かなはず。一方ヨーロッパの北のほうは散々で、基本的に冬はジャガイモと玉葱くらいしか取れないらしい。今は技術が発展しているから多少はマシだけど、でも育つ食物の種類も南欧に比べれば少ない。
だからヨーロッパの北のほうは食事があまり美味しくないのはそういったこともあるでしょう。土壌が肥沃な南欧のフランス料理、イタリア料理、スペイン料理とかはよく聞くけど、北欧料理とかドイツ料理とかオランダ料理とか、あんまり有名ではない。
ちなみに南欧に多いカトリックにはマリア信仰があるが、それは自然の豊穣と母なるマリアがイメージとして重ねあわされているから、といわれている。一方プロテスタントの多い北のヨーロッパにはマリア信仰というものはない。北のほうでは、利潤を生むのは豊穣な土地ではなく労働である、と。カトリックは基本的に労働は原罪を持つ人間に与えられた苦役だが、プロテスタントにとって労働は喜びであり、そこから得られた富や利益は労働の対価として手に入る。
それゆえ、産業革命が起こったのが北に位置していたイギリスやドイツであるのも納得できる。そして全体的に北欧とかドイツとか北のほうの国のほうが勤勉で、南の国のほうがバカンスを重視するのも、それ故だろうか。
さらに過酷な土地といえば砂漠。イラク戦争でアメリカ軍の真の敵は「砂」だった、とも言われているように、ものすごく大変な土地らしい。オアシス以外、砂漠には食物は育たないし、だから移動して物々交換などを通して生活しているのにも理由がある。だから商売がうまいのでしょう笑。
そんなこんな、季節がしっかり分かれていて豊穣な土地があるって贅沢なこと。農業に従事したことがないのでなんともいえないけど、育つ土壌があるなら国内の農業をもっと促進すればいいのになと思う。WTOのラウンドで農業分野の関税を下げろって言われてるなら、制約があるにしろ農業を支援する政策をもっとすべきだとも思う。
でも、僕が今働きたいなと思っている分野は、そういった日本の農業を守るというよりは、脅威にさらしてしまう可能性もあるし、どうにかウィンウィンな関係にならないだろうか、と考え中である。
インタラーケンの湖
おしまい
2008年10月11日
見返り美人
を見ましたという話ではありません笑。今日は「見返り」について少々。ビジネスの世界ではgive and takeは普通ですよね。相手が何か自分にして欲しければ、その代わりに君は何をしてくれるの、と。会社のために働けば、その見返りとしてお給料をもらう。成長していくにつれ無意識のうちに損得勘定をしてしまっていることはありませんか。
人間は何か見返りを求める生き物なのかなと思います。見返りを何と定義するかによりますが、間違いなくビジネスではgive and takeだと思います。ある忙しい社会人の先輩と僕の友達(学生)の会話の一節。
友達「○○さん、合コン開いてください!笑」
先輩「俺が開く代わりにお前は何を提供できるの?笑」
もちろん笑いながらのトークですが、これもgive and takeですよね。友達が先輩好みの女性を連れて行けば、交渉は成立したと思われます。笑
じゃあ親友だったり恋人だったらどうでしょうか。ものすごく忙しいときに、何か頼まれたとします。もちろん親友が困っていたら忙しいときでも助けたいと思いますよね。でもその親友にいつも悩みの相談にのってもらったり助けてもらったりしていたから今度は俺が助けたい、と無意識に心の中で思うのではないのでしょうか。
恋人ならどうでしょう。例えば驚異的な金欠状態の際、僅かなお金を使ってでも恋人の誕生日に何かプレゼントをして喜ばせたい。これは無償の愛かもしれません。でもプレゼントを渡したときの「恋人の喜んだ顔をみたいという見返り」を求めているのかもしれませんよね。
親と子どもはどうでしょう。親になったことがないのでわかりませんが、親は子どもに見返りを求めていないと思います。おそらく親は無償の愛で子どもを育てているのでしょう。でも、誠実に生きて欲しい、立派な人間になって欲しいという想いが見返りとすれば、見返りを求めているのかもしれません。
人間は社会のなかでいきているので、それは当たり前のことかもしれません。ギリシアの哲学者のアリストテレスは「人間はポリス的な動物である」と言っています。つまり「人間は社会的動物である」ということ。個々の存在が社会においてそれぞれの役割を果たすことで社会は機能している、というようなことだろうと思います。
「見返り」、「損得」、「貸し借り」というと響きが悪いので、「人間は協力する生き物」「助け合う生き物」という風に捉えれば腑に落ちるかもしれませんね。
まぁいろんな意見があると思います。見返りなんて求めていないということがありましたらコメントまでお寄せくださいね。
ではでは再見!
人間は何か見返りを求める生き物なのかなと思います。見返りを何と定義するかによりますが、間違いなくビジネスではgive and takeだと思います。ある忙しい社会人の先輩と僕の友達(学生)の会話の一節。
友達「○○さん、合コン開いてください!笑」
先輩「俺が開く代わりにお前は何を提供できるの?笑」
もちろん笑いながらのトークですが、これもgive and takeですよね。友達が先輩好みの女性を連れて行けば、交渉は成立したと思われます。笑
じゃあ親友だったり恋人だったらどうでしょうか。ものすごく忙しいときに、何か頼まれたとします。もちろん親友が困っていたら忙しいときでも助けたいと思いますよね。でもその親友にいつも悩みの相談にのってもらったり助けてもらったりしていたから今度は俺が助けたい、と無意識に心の中で思うのではないのでしょうか。
恋人ならどうでしょう。例えば驚異的な金欠状態の際、僅かなお金を使ってでも恋人の誕生日に何かプレゼントをして喜ばせたい。これは無償の愛かもしれません。でもプレゼントを渡したときの「恋人の喜んだ顔をみたいという見返り」を求めているのかもしれませんよね。
親と子どもはどうでしょう。親になったことがないのでわかりませんが、親は子どもに見返りを求めていないと思います。おそらく親は無償の愛で子どもを育てているのでしょう。でも、誠実に生きて欲しい、立派な人間になって欲しいという想いが見返りとすれば、見返りを求めているのかもしれません。
人間は社会のなかでいきているので、それは当たり前のことかもしれません。ギリシアの哲学者のアリストテレスは「人間はポリス的な動物である」と言っています。つまり「人間は社会的動物である」ということ。個々の存在が社会においてそれぞれの役割を果たすことで社会は機能している、というようなことだろうと思います。
「見返り」、「損得」、「貸し借り」というと響きが悪いので、「人間は協力する生き物」「助け合う生き物」という風に捉えれば腑に落ちるかもしれませんね。
まぁいろんな意見があると思います。見返りなんて求めていないということがありましたらコメントまでお寄せくださいね。
ではでは再見!