2011年08月10日

新テチュリを訪ねて

家並みきれいすぎる家々、農地のない農民たちの村

(写真:11年8月4日、平澤市ノワリ、通称テチュリの村のメインストリート)

 韓国京畿道・平澤(ピョンテク)市の在韓米軍基地「K−6キャンプ・ハンプリーズ」の拡大により、4年以上の反対闘争にもかかわらず移住を余儀なくされた大秋里(テチュリ)の住民たちは今、平澤市と韓国国防部が老瓦里(ノワリ)に造成した新しい村に土地と家を買い、ここを新しい「テチュリ」として住んでいる。
 新テチュリへの移住から1年以上が経つが、農民だった彼らに農地までは用意されず、道路清掃などの日雇い労働で糊口をしのぐ状態が続いている。市と国が造成した村は欧米風のきれいな町並みで周辺からのねたみもあるといい、テチュリ住民らの苦悩は続いている。8月4日、「懐かしい」テチュリを初めて訪れた。

テチュリ(写真:08年撮影、基地建設中のテチュリの水田)

 かつては日本軍の施設としてテチュリ住民は土地を奪われ、太平洋戦争後には日本軍の代わりに米軍が入ってきて基地を拡大し、再び土地を追われた。2007年4月、世界的に進む米軍再編により、基地は3倍近くの広さに拡大されるため、テチュリは隣村の棹頭里(トドゥリ)、棹頭2里などと共に完全移転を強いられ、住民はすべての農地と住み慣れた家を接収され、破壊された。
 米どころとして知られる平澤市。はるかに広がるテチュリの水田はその象徴だった。今はブルドーザーによってならされ、軍事基地となるのを待っている。

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yorogadi at 23:30|PermalinkComments(0)平澤米軍基地 | 日記

2011年04月10日

「時事IN」今週号記事

yorogadi at 23:13|PermalinkComments(3)時事 | 日記

2011年03月22日

「ニッポンに生きる」出版

nipponniikiru

ニッポンに生きる
在日外国人は今

共同通信社取材班 著
現代人文社 刊
2011年2月 税抜き1600円


 日本には、200万人以上の外国人が暮らしている。故郷を離れ、異国で生活する理由は、さまざまだ。
抱える思いも、直面する問題も、それぞれ違う。
 今や多民族国家といえるこの国で、多様な外国人と共生していくために、私たちはまず、彼・彼女たちの実際の姿を知る必要がある―。

第1章 隣の外国人
第2章 隣の日本人
第3章 働いて働いて
第4章 併合100年の韓国・朝鮮人
第5章 難民鎖国
第6章 自らの手で
第7章 共生への提言
第8章 解説

http://218.42.146.84/genjin/search.cgi?mode=detail&bnum=40114


第4章のうち、「家族と普通に暮らすのが夢 帰国事業で北へ、脱北し再び日本へ」だけですが取材・執筆しました。書店でお求めください!



yorogadi at 23:33|PermalinkComments(0)在日問題 | 日記

2010年11月02日

新テチュリで村祭り(ハンギョレ記事)

 ごぶさたしております。大阪で記者をやっています。さて、私が韓国へ行くことになったきっかけの、米軍基地拡張によって潰された村、平澤(ピョンテク)市大秋里(テチュリ)の問題。「その後」がハンギョレ新聞の記事にあったので、ここにざっと翻訳しました。

元記事

テチュリを離れて3年、新しい住みかを訪ねたが・・・


44世帯ノワリ村へ移住

農地なくし公共勤労へ転落

「政府、生計対策を立ててくれ」

 

00376347301_20101101 10月30日、京畿道平澤市ペンソン邑・老瓦里(ノワリ)。行政上の名前はノワリだが、村の入り口を守るのは「テチュリ」と彫られた石碑だった。石碑には、在韓米軍基地のため移転し、ずっと暮らしてきたテチュリを離れても、いまだ「基地のフェンス」の中で生きている住民たちの願いが込められている。

 

 44世帯が暮らす小さな新しい村が、この日は久しぶりに人々の声でにぎやかだった。村の移住を記念し、テチュリの米軍基地拡張反対闘争をやってきたように、「平和村テチュリ村祭り」が開かれたためだ。住民は、07年3月に政府と移住に合意した後、近くの松花里(ソンファリ)の「フォーユービラ」アパート団地に臨時的に移住。そして今年2月から4カ月かけ、3万坪あまりのノワリの地へ、最後まで闘った60世帯中44世帯が引っ越した。
 

 平澤市と韓国国防部が村を造成し、住民たちが自費で土地と家を買った。建物だけは内部設備はテチュリよりかなり良くなったが、テチュリの土地を売った補償金だけでは、新しい生活場所を準備するには不足していた。農家らは農地を失って「公共勤労」に通い、老人たちは借金の山の上にあぐらをかいた。

 

 ノ・ヨンヒさん(72)にとって、新しい村は「中身のない菓子」だった。40年前、テチュリに引っ越して来て小作農をやってきたノさん一家は、金持ちではなかったが食べるものには不自由のない平穏な暮らしを手に入れた。子どもたちが育った土地は故郷そのものだった。その故郷が壊されたとき、心に釘が打ち込まれ、最後まで闘う道しか残されていなかった。

 

 いま、農地のないノワリから、ノさんは雑草を抜いたり道路を掃除したりする「公共勤労」に通い、その月90万ウォンちょっとの給料で生活している。しかしこれさえも来年で終了し、その後は糊口をしのぐのも難しい状況だ。

 

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yorogadi at 23:01|PermalinkComments(0)平澤米軍基地 | 時事

2009年09月13日

「ろうそくデモを越えて」出版

rousoku 2008年5月から8月にかけて毎日のように韓国ソウル市の街頭を、ろうそくを持った人波が埋めた。
 米国産牛肉の輸入解禁をきっかけに、李明博大統領に反感を持つ多くの市民が集まり、祝祭のようなデモを続けた。 発足直後の李政権はこれを徹底的に弾圧。金大中、盧武鉉と10年間続いた民主政権は終わりを告げ、再び軍事独裁の時代がやってきたかのような、なりふり構わぬ弾圧の中、ろうそくデモは衰退していった。
 

 「ろうそくデモを越えて」(東方出版)がこのほど出版された。ろうそくデモとは何だったのか、現場ルポや参加者の証言だけでなく、現代韓国社会の諸問題も合わせて、ろうそくデモを総括的に見る本が初めて出た。
 多少、総花的なきらいはあるものの、これだけろうそくデモを緻密に分析した書はこれまでになかっただろう。韓国の民主主義はなぜ“熱い”のか、疑問を解いていただきたい。
 現場ルポは、私が警察の放水を浴びながら3カ月に渡って取材したものを載せた。

 ★2冊目も共著本ですが、ぜひぜひご購入!よろしくお願いします!★

 「ろうそくデモを越えて 韓国社会はどこに行くのか」
東方出版 川瀬俊治、文京洙編 2800円(税別)

 韓国民主主義の壮大な実験とまでいわれた2008年の「ろうそくデモ」。あれから一年。本書では多面的に「ろうそくデモ」を分析するとともに、日韓の論者がいま韓国社会で何が課題か、市民社会はどう進むもうとしているか、など掘り下げた待望の書!! 韓国社会の現在に向き合える1冊!! 700枚

http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-86249-147-3.html
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yorogadi at 16:50|PermalinkComments(1)日記 | ろうそくデモ・牛肉問題

2009年06月10日

続・戦争への想像力

共著「戦争への想像力」(新日本出版社)が去る5月、(やっと)増刷されました。20〜30代の9人が、それぞれのフィールドで「戦争」と向き合う、身近な体験から生まれたこの本。まだ読んでないという方はぜひぜひ書店で探してみてください。

戦争への想像力―いのちを語りつぐ若者たち戦争への想像力―いのちを語りつぐ若者たち
著者:小森 陽一
販売元:新日本出版社
発売日:2008-07




brog「続・戦争への想像力」
http://blog.livedoor.jp/sensouheno/


yorogadi at 19:55|PermalinkComments(1)日記 

2009年05月24日

大統領の自殺

 盧武鉉前大統領が自殺した。大統領経験者の自殺とは余りにショッキングな出来事。彼は済州4・3事件について初めて国の責任を認めて謝罪した大統領であり、やり方は別として、血塗られた現代韓国の歴史や日本が支配した時代の歴史精算を推し進めた、希有な存在だった。巨大な権限が与えられている韓国大統領として、歴史分野で名を残しただけに、自殺は残念だ。

 その一方で彼は、ぼくが韓国に惹かれた原因である、テチュリという村をつぶした。テチュリの人々を戦闘警察を使って蹂躙し、共同体をズタズタに切り裂き、素晴らしい田畑と家々をブルドーザーでならし、空挺部隊を投入して学校をつぶした。そして、米軍に明け渡した。この所業は絶対に許されないものだ。
 韓国の歴史上、初めて高まった反米感情と同時に大統領に選出されたが、アメリカにはやはり盾つくことはできなかった。テチュリをつぶした大統領。自ら死を選び、責任を問うこともできなくなった。

yorogadi at 01:44|PermalinkComments(2)日記 

2009年01月16日

「独島守護運動」と鬱陵島

対馬も韓国領?

 鬱陵(ウルルン)島には私立の「独島博物館」があり、観光客は必ずここに寄る。政府は独島守護運動を主導しながら、なぜ博物館は国立ではなく私立なのか、と韓国マスコミによく政府批判されている。博物館の前には、「対馬も元はわが国の地」という驚愕の石碑が。ある住民は「一時期は確かに韓国が支配していた時代もあったが、あれは日本が『竹島問題』を言うのに対抗した行き過ぎの主張だね」と話していた。

モニュメント
写真:独島博物館内の古地図を元にしたモニュメント

 博物館内の展示に、韓国の古地図をデザインしたモニュメントがある。これがおかしい。元になった古地図は「鬱陵島」の西側に「干山島」が載っている。この干山島が当時の独島の呼び名だったとし、モニュメントでは鬱陵島の東側、つまり本当の独島の位置に勝手に移しているのだ。これは博物館の展示が古地図をいいように捏造していることになる。これでは保守的な日本人に突っ込まれるだけで、何のメリットもないと思うのだが。ほかに、史実にはない展示もある。韓国での独島への論理はおかしい部分が多く、感情的な面が多い。ただしこれは、歴史的に仕方のないことでもある。
 日本は朝鮮より先に近代国家となった。国家は領土という観念、国際法という観念を持つ。そこで日本は竹島を領土に組み入れた。その後、朝鮮が日本の植民地になった際、島に関する資料で韓国側に有利なものが、そのまま韓国に残されたとは考えにくい。独島は鬱陵島からは肉眼で見えるが、日本の隠岐からは見えない。それでも両国の漁民が島を利用していたことだろう。理論的には日本領であるかもしれないが、感情的・歴史的には韓国領なのではないか。様々な意見があるだろうが、わたしはそう思っている。でも本音は、どっちでもええやん、興味ないよ、ってところか。

鬱陵島
写真:風光明媚な鬱陵島










米軍が住民を殺した

 博物館で私が期待していた展示は、太平洋戦争後に米軍が独島を爆撃訓練地としていたため、独島に仕事で来ていた韓国人の多くが犠牲になったことの展示だった。しかし、独島に打ち込まれた米軍機の弾頭があるだけで、詳細な記述はなかったのが残念だった。米軍の犠牲になった漁師の遺族も探してみたが、あいにく不在で会えなかった。

日露戦争からの軍事拠点

 博物館からロープウェイで隣の山の頂に登ると、展望台があり、目の前は雄大な日本海(東海)が広がる。天気がいいと独島が望めるらしいが、時化ていて見えなかった。山から降りて街を歩くと、日本家屋が数軒残っている。植民地時代の遺産だ。特に鬱陵郡守官舎として最近まで実際に使われていた官舎は、畳敷きの純日本家屋。裏には防空壕もきれいに残っていて、生きている歴史を感じた。

日本家屋
写真:郡守官舎の中

 島をぐるっと回って北側の山の頂に立てば、日露戦争当時の日本海軍の砲台跡と兵舎跡がある。鬱陵島周辺海域は、東郷平八郎率いる連合艦隊と、ロジェストヴェンスキー率いるバルチック艦隊が衝突した激戦地だ。朝鮮を獲り合う両国海軍の砲声を、島の人々はどのような思いで聞いただろうか。砲台跡の絶壁からは、果てしない海が広がっているだけだ。

兵舎跡
写真:島北側の山の頂にあった砲台の兵舎跡


yorogadi at 00:01|PermalinkComments(2)TrackBack(0)日韓関係 | 日記

2009年01月15日

イカの島、鬱陵島へ

 絶海の孤島、鬱陵(ウルルン)島へ旅した。日本海(韓国名東海)の真ん中に浮かぶ島だ。山がちな島なので、主産業はイカ漁。このとき漁は最盛期を迎えていて、独島(日本名竹島)方面などへ毎晩のようにイカ釣り漁船が出ていた。夜、岸から海をみると、煌々と照明をつけた漁船が波間に浮かんでいる。



漁船
写真:夜の海を照らすイカ釣り漁船





 朝、島の各港に大量のイカが水揚げされ、多くがその場でスルメにされていく。島のあちこちにスルメが干されている。スルメは柔らかく香ばしくて美味しかった。刺身も安くてうまい。ただ燃料費が高騰しており、ここでもやはり漁に出れば出るほど赤字になるのだそうだ。毎年、毎日、これだけのイカを乱獲していれば、イカの数も減っているだろう。漁船の照明はLEDではなく未だ白熱灯で、電力消費量も無駄が多そうだ。

 宇宙から見える地球上の最も明るい光は、東京でもマンハッタンでもなく、日本海のイカ釣り漁船団だという話を聞いたことがある。本当かどうか知らないが、ロマンチックな話で、好きだ。日本と韓国の両方から、イカ釣り漁船は少しずつ北上して行くイカの群れを追って、最後にはロシア近くまで北上する。日本側の最後の漁場は羅臼だ。鬱陵島の漁民にとって、独島周辺はよい漁場なのだという。数人に話を聞いてみたが、昔から当たり前のように独島は自分たちの漁場だという認識だ。生活の範囲として独島の韓国領有は当然だと思っているようだ。何しろ、この鬱陵島からは、天気がよければ独島が肉眼で見えるのだ。ナショナリズムとして独島の韓国領有を主張する陸地の韓国人とはまた違った話を聞けて勉強になった。

衛星写真
写真:衛星写真(出処不明)。黄色い部分が宇宙から見える漁船の照明。日本海の真ん中辺りの黄色いかたまりが鬱陵島と独島。



 独島行きの観光船は時化で欠航。独島へ行くチャンスはなかった。それどころか陸地へ帰る船さえ出るかどうか分からない。寒くなると、時化で陸地と島を結ぶ高速船も欠航が相次ぐ。冬に鬱陵島へ来れば、予定より数日足止めを食うことだってしょっちゅうあるようだ。そうなれば、島でイカを食いながら待つしかない。不可抗力で島の生活を楽しもう。それもいイカ・・・

するめ
写真:漁港で干されているスルメ


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2009年01月14日

仁川中華街と日本租界

 韓国の代表的な港湾都市、仁川(インチョン)市は、1883年に日朝修好条規によって開港し、朝鮮「開国」のスタート地点となった。日本は米英などと関税自主権廃棄、治外法権などを内容とする不平等条約を結び苦しんでいたが、同じ条約を朝鮮に対して結ばせたことになる。日本はここを仁川府(じんせんふ)と名付け、列強や清国からの文化が流入した。現在でも中規模の中華街があり、日本の租界のあとや日本の銀行や港湾施設の建物が多く残っている。ソウルから約40キロと近く、チャイナタウンや歴史のある街並みが残る港湾都市という点から、横浜とイメージが重なる。

中華街
写真:仁川中華街

 中華街は世界各国にあるが、単一民族主義的な考えが根強い韓国では華僑ビジネスが成り立たないとよく言われる。植民地時代には、日本の満州政策の陰謀にも影響され、大規模な華僑迫害事件も起こった。それでもここ仁川には中華街が数ブロックにわたって開けており、飲食店だけでなく教会や商会もある。近年は観光地化してきており、多くの韓国人観光客が、韓国風中華のチャジャンミョン(ジャージャー麺)を食べに来る。

 中華街には、石灯籠が並ぶ階段の道がある。かつて、日本租界と清国租界を分ける目印だったという。近くには重厚な石造りの洋館が点在する。これらは日本の旧第一銀行(現みずほ)、第十八銀行(現長崎の十八銀行)、第五十八銀行(現みずほ)などの仁川支店だ。十八銀行は博物館になっている。歴史散策や中華街での食べ歩きなどが楽しい界隈だ。

租界
写真:日本と清の租界を分ける石灯籠の坂道







五十八銀行
写真:第五十八銀行



 仁川といえば、朝鮮戦争のとき、マッカーサー将軍発案による仁川上陸作戦があった場所でもある。この作戦が成功し、釜山近辺まで迫っていた北朝鮮軍は総崩れとなった。現在でも韓国社会、特に保守層において、マッカーサーに対する親愛は深い。港を見下ろす小高い丘の上にはマッカーサー公園があり、市民の憩いの場となっている。一番高いところにマッカーサー将軍像が堂々とそびえ、顕花までされていた。すぐ横に韓米修好100周年の大きなモニュメントもある。アメリカに弱い韓国がみえる。

 マッカーサーは韓国式英語でメゴドという。日本式英語のマッカーサーもたいがいだが、メゴドもどうかと思う。「メゴドを知らないのか?知ってるはずだ、メゴドだよメゴド!」と韓国人に言われても最初は誰のことか分からなかった。逆にマッカーサーと言っても韓国人には通じない。日本にも韓国にも大きな足跡を残したオッサンだが、このオッサンについて日韓で議論を始めるようにも、入口のところからつまづいてしまう。
 マッカーサーは、膠着する朝鮮戦争打開のため、満州地域に原爆を落とそうとし、米政府から更迭された。アメリカへ帰るマッカーサーのため、羽田空港の沿道には20万人の別れを惜しむ日本人が並んだとか。現在の視点から見る過去というのは面白く不可解だ。

マッカーサー
写真:マッカーサー公園のマッカーサー銅像


yorogadi at 12:46|PermalinkComments(1)TrackBack(0)日記 

2009年01月05日

半島浪人を卒業しました

多くの皆様に読んでいただき光栄です。このたび日本に完全撤収し、半島浪人でなくなりました。3年近く、韓国でフリーのジャーナリストとしてもがきながらやってきましたが、今月中旬から日本の報道機関に入社することになりました。

まだいくつか書きたいネタがあるのですが、時間が許せば入社までに書きたいと思っております。これまでのご声援ありがとうございました。これからも立場を変えて、世界平和のために報道活動を続けていきます。2009年、皆様のご健康をお祈りいたします。ファイティン!


yorogadi at 00:49|PermalinkComments(1)TrackBack(0)日記 

2008年12月08日

本日開催!トークライブ

とうとう今日になりました!東京は下北沢でのトークライブ「Imagine the war 戦争を知らない世代が語る戦争」。18時半、北沢タウンホールに集まれ!ぼくもソウルから駆け付けます!
前回記事http://blog.livedoor.jp/yorogadi/archives/51202033.html


yorogadi at 01:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)時事 | 日記

2008年12月01日

キャンプ・ハンプリーの内側

 知人のつてを頼って、これまでいつも外から取材してきた平澤テチュ里にある米軍基地「K-6キャンプ・ハンプリー」に入った。基地内はアメリカなのでパスポートチェックを受け、身分証明書を預けて入る。中は車や自転車での移動が必要なほど広く、基地内のバス運行もある。アパート住宅が何棟も並んでいて、軍人や軍属とその家族の一部が住んでいる。滑走路を囲むように生活施設、娯楽施設、軍事施設が並ぶ。ゴルフの打ちっぱなし練習場や、平澤市内にも無いウォータースライダーを備えた大型プール、大型トレーニングジム、ショッピングモールなどもあり、基地内でほぼ何でもそろう。

アパート住宅
写真:広々としたアパートが並び、軍人軍属の家族たちが暮らす。外では家族総出で楽しそうにクリスマスツリーを飾っている風景も見えた。普通の幸福な家族生活がある。





 ショッピングモールではドルを使う。映画館やスターバックス、ファストフード店、韓国の土産物店などが入居する。働くのは地元の韓国人だ。スーパーはアメリカから直輸入の食品などが安く売られているが、関税を通っていないため基地関係者でないと買い物できない。

ファストフード
写真:ファストフード店

 ここキャンプ・ハンプリーズには、ソウルの米軍龍山(ヨンサン)基地や第2師団司令部などが引っ越してくる予定で、そのための拡張工事が進んでいる。最近大きなスポーツ施設が完成し、中にはバスケットコート、トレーニングジム、屋内プール、会議室などがあり、余暇やトレーニングのため汗を流す人たちがいた。とても恵まれている施設だ。これだけの施設は平澤市内にもないだろう。

バスケットコート
写真:バスケットコートが2面取れる体育館










ボウリング場
写真:ボウリング場では家族連れがゲームを楽しんでいた


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yorogadi at 00:42|PermalinkComments(1)TrackBack(0)平澤米軍基地 | 日記

2008年11月27日

朝鮮人学徒兵の反乱計画

 岩波書店の月刊誌「世界」今月号(12月号)に、「朝鮮人学徒兵の反乱―参謀・全相氏の証言」という記事が掲載されました。東京新聞の桐山さんという記者が書かれたものです。私のクレジットは入っていませんが、通訳として同行しました。ただ全さんは日本語が達者なため横で聞いてただけですがw

http://www.iwanami.co.jp/sekai/index.html(ネットで記事は読めませんが)

 北朝鮮地域で生まれた全相さんは学生だったとき、日本軍学徒兵として強制的に志願させられ軍人となりました。平壌の部隊で朝鮮独立を求める反乱軍に加わり反乱計画に加担しますが、失敗。捕まった後に脱走し、真冬の朝鮮半島を満州に向けて1人で逃げる話は、とても印象深かったです。解放後は南に逃げ、韓国軍兵士として朝鮮人民軍と戦いました。朝鮮に生まれながら日本軍で働き、北朝鮮に生まれながら南韓の軍務についた全さんの一生。お読みください。

 今月号「世界」には庭田さんという方の「クラスター爆弾と日本人」という記事もあります。非戦闘員である市民を殺傷するために開発されたクラスター爆弾。日本でも石川製作所と小松製作所、IHIが製造しており、自衛隊が保有しています。その歴史をたどると、朝鮮戦争とベトナム戦争のときも、日本で製造され米軍が使っていた。しかも下請けで在日朝鮮人の工場がクラスター爆弾の部品を知らずに作っていて、それが朝鮮半島で同胞を殺していた・・・。
 とても素晴らしい記事でした。こういう記事を書きたいものです。


yorogadi at 16:36|PermalinkComments(3)TrackBack(0)日記 

2008年11月21日

ハンギョレ新聞、サムソングループと断絶

 韓国の進歩的全国紙「ハンギョレ」は、昨年10月に財閥サムソン(三星、サムスン)グループの裏金問題を報じて以来、グループからの広告掲載が一件も受け入れられない状態が続いていたが、このほど「サムソンとの関係断絶」を発表。広告掲載をあきらめ、役員の給料カットなどで運転資金をカバーしていくこととした。
 新聞社は広告収入と購読料収入で成り立っているが、収入の多くを広告収入に頼っている「ハンギョレ」は、商業的目的よりもジャーナリズムを選択して注目を浴びている。

 知り合いのブログ「ASUKA物語」が詳しい記事を載せている。
http://blog.livedoor.jp/jsomei/archives/1193137.html

 先日ソウル明洞の映画館で「労働者映画祭」が開催され、見に行った。開幕作品はサムソンの半導体工場で白血病患者が続出している問題を追ったドキュメンタリー映画だった。少なくとも若い女性従業員1人の死亡が公になっており、死者や発病者も10数人いる模様。遺族や関係者が会社の責任を追及しているが、会社側は「病気は自然発生」との見解で責任を全く認めていない。またメディアもサムソン広告の撤退を恐れてなかなか報道できずにいるようだ。
 いまやソニーなどと並ぶ世界企業に成長したサムソンだが、内実は前世紀的な体質のままだ。サムソンの製品はもう買いたくない。

 「ハンギョレ」はサムソン財閥と難しい闘いを演じているが、社会派週刊誌「時事ジャーナル」もかつて、サムソン批判の記事を出したところ、広告引き上げの圧力をかけられた。「時事ジャーナル」を発行する出版社の社長は編集部スタッフを締め出し、サムソン批判を封じ込めた。その後スタッフらは全員辞職し、私もお世話になっている週刊誌「時事IN」を新たに立ち上げて活動している。韓国のまじめなジャーナリズムは、サムソン財閥の不正と闘うしかない。

 「ハンギョレ」新聞の日本語版サイトはまだないが、「日本語サイトを創る会」が記事翻訳の活動をしている。
http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/


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2008年11月14日

父の面影を探して 済州4・3事件の傷跡

記事「父の面影を求め北の大地から南の島へ 済州4・3事件の傷跡」が、JANJANに掲載されました。
http://www.news.janjan.jp/world/0811/0811101221/1.php

 済州4・3事件がこういうところまで影響を及ぼしているとは思いませんでした。個人的には、ミカンの国・愛媛で育った私にとって、池端さんの北海道弁とミカンという組み合わせが印象的でした。不思議な感じがしました。池端さんのお父さんのことは、これからも私も微力ながら調査していきたいと思っています。
 ミカン畑で一日だけ働かせてもらいました。働きながら、そういえば昔、愛媛で、同じように取材しながら収穫を手伝ったことがあったなあと思い出しました。

 今回の取材旅行では、「済州4・3平和公園」を訪れることができました。ハルラ山の東側のふもとに広大な敷地を開拓してつくった公園です。「慰霊祭壇」には犠牲者と認定された1万3千5百数十人の位牌が飾られてあります。岩波書店「世界」6月号にも書きましたが、ここには認定されていない人もおり、国家が歴史真相解明をすることの難しさと限界が見えています。

平和公園写真:平和公園





 公園が広すぎて、慰霊祭壇から「平和記念館」まで歩いて5分くらいかかります。ススキの野原の向こうに青い海が見えていてとてもきれい。ただ平日はこの公園を訪れる人はおらず(交通の便がめちゃ悪い)、人のいない慰霊公園に数多くのカラスが舞っているのはちょっと不気味な光景でした。

 記念館は、とてもよく作り込まれた充実の博物館です。入場無料。じっくり見て周り3時間近くもかかってしまいました。当時の資料や証言などを時系列に展示しています。大量虐殺の跡が見つかった洞窟がそのままの大きさで再現されている部屋もあり、恐ろしくて写真を撮れませんでした。日本で始まった真相究明というコーナーもあります。
 右翼団体から抗議を受けて展示をやめた部分もあるなど、やはり行政がつくる資料館なので限界はあるようですが、それでも緻密な展示がされています。
「世界のジェノサイド」というコーナーには、ユダヤ人虐殺やカンボジアのポル・ポト政権下での虐殺などもちょこっと展示してありますが、現在進行形の虐殺(ダルフールやチベットなど)には触れられておらず、「4・3事件を研究して今の虐殺、これからの虐殺を止める」という意志までは残念ながら感じることはできませんでした。これからの展示に期待します。

記念館内写真:記念館内部


 日本にたくさんある平和博物館にも言えることですが、博物館や資料館はただ歴史を記録し展示するだけでなく、そこから芽生える平和への意志を社会に還元していく働きがないと、博物館としては未完成であると思います。「済州4・3平和記念館」はとても立派な博物館なので、今後の「活躍」に期待したいです。
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yorogadi at 00:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)南北朝鮮 | 在日問題

2008年11月10日

「戦争への想像力」だよ全員集合

 この夏発売された「戦争への想像力」の執筆者9人が、初めて一同に会します。そして、それぞれが体験した「戦争を受け継ぐということ」を語り合い、みんなと一緒に真剣に考えたいと思います。
 ニイタカヤマノボレ12月8日、ぜひぜひ東京は下北沢にお越しください。東京。

チラシ

























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太平洋戦争開戦67周年の日TALK LIVE

  Imagine The War    
    〜戦争を知らない世代が語る戦争〜  

  戦争の記憶の継承は果たして可能か?
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ 

http://imagine-the-war.blogspot.com/
 
 直接戦争体験を持つ世代の人たちが減っていく中、わたしたちは、どのように戦争やその体験者に向き合い、かかわり合い、それを継承していけるのか…。この夏、1冊の本(『戦争への想像力〜いのちを語りつぐ若者たち』新日本出版)をきっかけに、日本各地で、アジア・中東で、「伝える」活動に携わってきた、20代〜30代の9人が出会いました。 
 12月8日(太平洋戦争開戦67周年の日)、そのメンバーが初めてイベントの場に集い、9つのフィールドから見えてきた課題・悩み・挑戦を、スライド&トークでつなぎます。進行・討論者は、文学者で本書監修者の小森陽一さん、演劇表現を通じて差別・戦争を伝えてきた俳優・有馬理恵さん。 
 「今」を過ぎたら二度と取り戻せない、でも、「今」と向き合うことからしか始らない―あたなも、一緒に考えてみませんか?

【日時】 2008年12月8日(太平洋戦争開戦67周年の日)
     午後6時開場 6時半〜9時半
【会場】 北沢タウンホール(小田急線・京王井の頭線「下北沢」駅徒歩4分)
     http://kitazawatownhall.jp/index.html
【入場料】900円

【出演】 
コーディネーター・小森陽一(東京大学教授・9条の会事務局長)
特別ゲスト・有馬理恵(舞台女優・俳優座)
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村上 麻衣 (日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委)
荒川 美智代(南京への道・史実を守る会/撫順の奇跡を受け継ぐ会)
殿平 真  (東アジア共同ワークショップ・北海道)
西村 美幸 (靖国神社平和ガイド/日本平和委員会)
山本 唯人 (東京大空襲・戦災資料センター 研究員)
北上田 源 (沖縄・虹の会)
布施 祐仁 (ヒロシマ・ナガサキを受け継ぐ会/日本平和委員会)
角南 圭祐 (ソウル在住フリージャーナリスト)
相澤 恭行 (イラク支援・文化交流NGO「PEACE ON」代表)

【お問い合わせ】080-3209-7844 布施


yorogadi at 23:50|PermalinkComments(3)TrackBack(0)日記 

2008年11月09日

沖縄の次に用意された本土決戦・済州島

 済州島を訪れた。4・3事件取材のためだが、今回は昨年は行けなかった「平和博物館」を訪れることができた。ここはカマオルムという丘の地下に造られた日本軍の地下要塞などを展示する私立博物館だ。カマオルム地下要塞は、朝鮮半島・日本本土防衛のための前線基地だった。

入口
写真:カマオルム地下要塞への入口

 済州島西部の翰京面(ハンギョンミョン)にあるカマオルム。「オルム」とは済州特有の寄生火山のことだ。日本軍はこの丘の地下に、1935年から約5000人の朝鮮人を島内外から徴用し、司令部付きの巨大な地下要塞を造った。
 ろくな食事も与えられない過酷な労働だった。平和博物館では労働させられたお年寄りたちにインタビューした映像を見ることができる。徴用被害者は「あまりにも腹が減って、子どもたちに何か食べ物を持ってきたら万年筆をやると言ったほどだ」「日本人は、日本人が死ぬときはお前らも死ぬ、俺たちが生きるならお前らも生きる。だから生きるために一生懸命働け、と言った」などと話していた。労働現場は地下坑道の中に人形で再現されてある。

労働現場
写真:再現された強制労働の様子

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yorogadi at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)靖国問題 

2008年10月27日

北朝鮮潜水艦侵入事件

 1996年9月17日夜、韓国東部の日本海(東海)に面する江陵(カンヌン)市郊外に、北朝鮮の潜水艦が座礁した。韓国領海に侵入し、工作員を上陸させるスパイ行動中、誤って座礁してしまった「江陵潜水艦侵入事件」だ。乗組員26人のうち11人は集団自決、13人は韓国軍・警察に射殺され、1人は捕虜となり、残る1人は未だに行方不明だ。韓国側も兵士13人、民間人6人が死亡した。朝鮮戦争が休戦となってから43年が経った現代における事件であり、韓国社会に大きな衝撃を与えた。
 この潜水艦は今、座礁地点近くに展示・公開されている。韓国海軍の退役軍艦と共に展示され、統一公園という施設となっている。

潜水艦全景

 統一公園を訪れ、潜水艦の内部に入ってみた。中はかなり狭く、どこに26人もが潜むのか想像もできない。体をかがめて1人がやっと通れる通路に船長室、トイレ、機械室などが縦に並ぶ。国産潜水艦であり、計器の多くはハングルの記載だが、中にはパナソニック製など日本製のモニターなどもあった。


内部1
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yorogadi at 13:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)南北朝鮮 | 日記

2008年10月18日

東京で、中国侵略の話を聞きたい

 今年出版した「戦争への想像力 いのちを語りつぐ若者たち」の共著者、荒川美智代さんは、南京事件について書いてくれました。この章は多くの人が「自分と非常に近い感じを持って」読める章だと思います。荒川さんが出会った中国との戦争という重い重いテーマが、思いやりのある荒川さんの口で語られます。
 その荒川さんからイベントのお知らせを受けたので、ここでもお知らせします。中国戦線で加害を行った元日本兵の話。行かなきゃ絶対損すると思います。

10月18日(土)10:30〜18:00
きゅりあん(東京都品川区総合区民会館、JR大井町駅前)
「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」企画会場 6階中会議室

■戦争の真実を語り継ぐ

10:30〜12:00
1,私たちはなぜ中国へ謝罪に行ったのか ━ 中帰連会員のリレートーク

<証言者>坂倉清さん、篠塚良雄さん、小山一郎さん <司会者>平山百子(撫順の奇蹟を受け継ぐ会東京支部長)

* 3人の方はそれぞれ90才に近い年令をおして、一昨年暮れから昨年にかけて相次いで自らの泥靴で踏み荒らしてきた中国の土地へ、謝罪の旅に出かけられました。

 坂倉さんは南京大虐殺のあった南京へ、香港に訪れて、現地の大学生たちの前で証言し、謝罪されました。731部隊少年隊員であった篠塚さんはハルピンの731部隊跡地で、永平寺と総持寺の僧侶を伴って731部隊の犠牲者に心からの供養を行ってきました。小山さんは、所属する部隊が作戦を展開した山東省で、被害者のお墓の前で土下座して謝罪してこられました。


13:00〜14:30
2,後半生は平和のために闘った━2つの元軍人団体の対談(中帰連と日中友好元軍人の会)

<発言者>高橋哲郎さん、金子広太郎さん <司会者>熊谷伸一郎(撫順の奇蹟を受け継ぐ会事務局長)

* 両組織は、ともに50年にわたって営々と中国侵略戦争参加の体験を語り、反省のための証言を繰り返してこられました。それぞれ多くの証言集も発刊してきています。しかしお互いに年を重ねて参りました。今一度ふり返って思いを語り合ってみたいものです。


14:45〜16:30
3,私たちは「蟻の兵隊」だった━奥村氏(映画「蟻の兵隊」出演者)と太原戦犯管理所体験者の対談

<発言者>奥村和一さん、稲葉積さん <司会者>野村真巳(撫順の奇蹟を受け継ぐ会埼玉支部支部長)

* 45年8月15日以降も、中国山西省でその後4年間もの間、銃をとって八路軍と闘っていた日本軍がいたことを知っていますか。
 彼らは軍の命令で現地の閻錫山軍に組み入れられて、多くの戦死者を出しながら八路軍と闘い、49年4月、太原城が陥落して太原戦犯管理所に収容されたのでした。敗戦後12年を経た57年に帰国したところ、「勝手に残った」との厚生省の見解の元に今なお彼らは棄民扱いなのです。


このイベントは、「9条フェスタ2008」の一環です。
http://www.9joren.net/9jofesta/2008/program.html


yorogadi at 00:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)靖国問題 | 時事