長野は日本のヘソなのか?

羊男の読書日乗

あとがき

「「挫折」の昭和史」山口昌男を読む。


主要参考文献

あとがき


秩序に対しても、自然に対しても、自然及び環境に対して開かれた状態に置いて置く精神の技術こそ、

薩長中心の藩閥体制に飼いならされてきた近代の日本の人々の最も不得意な、あるいは全く欠如して

いたものと言える。

今日、日本出身の人間たちはこうした欠如の故に、国内においても国外においても、その柔軟性の

欠如の故に、至るところで行き詰まりの状態に達している。

昭和モダニズムを含めて、日本近代で一度政治的に敗北したか、あるいは近代の隊列から横へ足を

踏み出した人物たちの中に、日本人の生き方のもう一つの可能性を探り出せる鍵が秘められている

のではないか、という目的を設定して書き進めてみたのが、本書である。


主要人名索引


補遺2 - モダニズムと地方都市-北海道と金沢

「「挫折」の昭和史」山口昌男を読む。


補遺2 - モダニズムと地方都市-北海道と金沢


1 北の建築家

五歳の頃のある遭遇

田上義也とライト

北海道のモダニズム建築

建築と文化人類学


五歳の私を魅了した建築・網走市立郷土博物館が、モダニズムの流れの上にあるものであり、

フランク・ロイド・ライトの直系の弟子の一人である田上義也という人の手になるものである

ということを知った。


2 金沢の一九二〇-三〇年代

映画の地方モダニズム

昭和モダン展1920-40

落たー「染色破風壁掛」


本康氏が特に力を入れて説明してくれたのは、「北陸の宝塚」と称された「栗ヶ崎遊園」

についてである。


歴史の残酷さは、地方都市で昭和モダニズムを生きた芸術家に特に過酷な運命を課したようである。


補遺1 - 知のダンディズム再考-「エロ事師したちの精神史」

「「挫折」の昭和史」山口昌男を読む。

補遺1 - 知のダンディズム再考-「エロ事師したちの精神史」


ジュール・シエレ展からの旅(抑)

不思議な二冊の古書

トリックスター梅原北明

梅原北明と浅草空間

梅原の「文芸市場」の位置

好色の出版文化

F・シャンソールの水脈

影の精神史-知のダンディズム再考


野坂昭如は「好色の魂」の中で、「文芸市場」を北明が一人で切り盛りすることに決めた昭和二年、

小生夢坊が、酒井潔を連れて来たと次のように描いている。


性の猟奇モダン―日本変態研究往来 単行本 – 1994/9 秋田 昌美 (著)

大正末期から昭和初頭にわたる「エロ・グロ・ナンセンス」の時代。続々と発刊された変態雑誌と、梅原北明、中村古峡、斎藤昌三、酒井潔など日本性学の泰斗を照射し、そのまなざしのありかを検証する、猟奇モダン時代の性メディア史。


実験的<知>の系譜学へ

「「挫折」の昭和史」山口昌男を読む。

第九章は、実験的<知>の系譜学へ


浅原逮捕-東条の影

帰国後の石原

東条暗殺未遂事件

石原のスポーツ・コネクション

昭和天皇と石原莞爾-みょうひん事件

石原の死と大川周明

補論・将軍の蔵書

おわりに - 甘粕にはじまり石原に終る


極真道空手の創始者大山倍達が石原門下であったことを世に知らしめたのは、おそらく平岡正明「石原莞爾試論」であろう。


平岡は、第二次世界大戦における石原莞爾の最良部分の継承者は大山倍達であり、極真空手であるという。

 

この系譜は、甘粕正彦-内田吐夢-大塚有章-岡田桑三-林達夫-岡正雄-東方社-日本工房という風に、

戦時下に知的挫折を遂げながら、それを逆手にとってユニークな仕事をした芸術家、知識人に繋がる。


読書する軍人

「「挫折」の昭和史」山口昌男を読む。

第八章は、「読書する軍人」



さまざまなる石原像を超えて

昭和七年、石原、満州を去る

永田鉄山

宇垣組閣反対運動の深層

林内閣の人脈

建国大学の夢、或いは今日の大学批判

孤立する石原


平岡正明が、「石原莞爾は日本近代史上稀な『武装せる右翼革命家』である」


建国大学の、教授候補者の中には、先に挙げたトロツキーなどの他にガンジー、スバス・

チャンドラ、ボース、作家の周作人、胡適、オーエン・ラティモア、パール・バックの名が挙げられていた。


「夕陽将軍」の影

「「挫折」の昭和史」山口昌男を読む。

第七章は、「夕陽将軍」の影


駒井祐二の「満州」

駒井祐二は、京都二中に転校し、中学三、四年の頃、宮崎滔天の「三十三年の夢」を読み大いに感ずるところがあった。

中学四、五年の時の夏休み、和歌山県田辺付近の海岸で南方熊楠の指導を受け、その「世界人」的風格に強い印象を受けた。


満州斬変頃の石原莞爾

満州国と大同学院

衛藤利夫の軌跡

笠木良明のサイドから

于沖湊と石原莞爾

自治指導部と資政局

協和会

満州と北海道

民間人と満州

駒井の後半生の活動



ダダイストのような将軍の肖像

「「挫折」の昭和史」山口昌男を読む。

第六章は、「ダダイストのような将軍の肖像」


メタ軍人石原莞爾

石原の精神形成

青年石原

見岸雄と山中智学

ベルリン時代の石原

満州時代の人的背景

花谷正と石原イズム

都市ハルピン

軍事郡司次郎正の満州事変




田中智學は大正13年4月、衆議院議員総選挙に立候補し、次点で敗れたため宰相の地位につくことはなかった。従って、石原大尉も陸相の地位に就くことはなかった。


それにしても、東条のしつこさ、陰険さ、想像力もユーモアも欠いた小心者の小役人根性にはおどろくべきものがある。たしかに、近代の日本の高学歴者には二つのタイプがあるようだ。それはやはり、石原タイプと東条タイプで後者が勿論圧倒的に多い。


自然科学の提供する情報に人間の思考がついて行けないという石原の指摘は驚くほど正しい。


1960年代には必ず世界人類のまだ経験したことのない大発明が完成される。

それは全く驚異すべき大発明であって、ポケットにも入る小さな機械であるが、それを持っていると世界中のあらゆる出来事を感知することができるというのだ。

絵師と将軍

「「挫折」の昭和史」山口昌男を読む。

第五章は、「絵師と将軍」


絵師竹中英太郎

浅原健三の水脈

竹中の周辺 ー 牛原虚彦・美濃部長行

小山勝清と「少年倶楽部」

橋本憲三と高群逸枝

下中彌三郎と平凡社の周辺

雑誌「苦楽」のモダニズム

山名文夫と英太郎

「新青年」・乱歩・久作

絵師と将軍

満州時代の英太郎



当時のモダン建築において大阪が東京にまるで遜色のない斬新性を示していたことは、海野弘氏が「モダン・シティふたたび 1920年代の大阪へ」創元社でよく示したところである。


二・二六事件のからみで、英太郎は何度か日本に連行されていたらしい。

日本に送還された時を利用して、英太郎は「月刊満州」の東京支社長も努めた。


スポーツの帝国(二)―岡部平太の“満州”

「「挫折」の昭和史」山口昌男を読む。
 
第四章は、スポーツの帝国(二)
―岡部平太の“満州”
岡部平太のアメリカ体験
岡部平太の「満州」
日本初の国際スポーツ大会、日仏対抗陸上競技会
・岡部は極めてすぐれた戦略家であった。

満州事変の影
さまざまな岡部像をの超えて
・岡部は、無防備なまま時代から突出していた。それ故に時代は報復として岡部の経歴を破壊した。

むすびにかえて

スポーツの帝国(一)―小泉信三とテニス

「「挫折」の昭和史」山口昌男を読む。
 
第三章は、スポーツの帝国(一)
―小泉信三とテニス

小泉信三とテニス
岩波書店と小泉
平沼亮三との関係
戦前・戦中の小泉
戦後の文化人批判
小泉と戦後のメディア
小泉のなかのスポーツ
軽井沢テニスの光景
・名取和作は長野県諏訪郡落合村の生まれである。つまり岩波茂雄の生誕の地の近くである。
・羽仁五郎には、逆流の中に立って敢然と民衆のための旗を掲げる英雄の面と、優雅な軽井沢のなかにすっぽりとはまる貴族的な面とがあった。
 

戦争と“知識人”―名取洋之助から富塚清へ

「「挫折」の昭和史」山口昌男を読む。
 
第二章は、戦争と“知識人”
―名取洋之助から富塚清へ

名取洋之助の活動
・名取洋之助「写真の読みかた」(岩波新書、1963年)。名取と岩波の結びつきの活字の上での成果ともいえる。

日本工房の人々
・「ライカによる文芸家肖像写真展」として開催された(昭和八年十二月)。
・因みに被写体になった人達の中には、長谷川如是我聞、土岐善麿、新居格、藤森成吉、佐藤春夫、横光利一、林芙美子、北村小松、杉山平助、板垣鷹穂、岩波茂雄、山田耕筰らがいた。

対外文化宣伝活動としての雑誌
・雑誌「NIPPON」は、後に岡田らが創刊する「FRONT」と併行する形になっていた。

名取洋之助と岩波書店
・名取は戦後、岩波写真文庫の編集に携わり、「麦積山石窟」や「ロマネスク」などの写真集
林達夫の知的ダンディズムの射程
・エノケンと林達夫という一見異質に見えるこの二つの世界を繋いでいたと言えるのは、葦原英了であった。

間奏曲 ー 三つのいたずら霊
・私のことを知っていたからこの娘さんが驚いた顔をしたなどと考えるほど私は自惚れていない。そのあたりは中沢新一と違う。

富塚清の場合
・科学史の人間・文化的環境をこれほど的確に表現したさりげない文章に出くわすことは滅多にない。「挫折」の技術史については次のように触れている。

回想録を手がかりに
・富塚は4サイクル・エンジンの全盛時代の到来と共に忘れ去られた「2サイクル・エンジン」と取り組むに至る。

戦時中の知識人として
・富塚は山形県に講演に赴いた機会を利用して、初めて石原莞爾と会っている。石原からの申し込みによるものであった。

モダニズムという光源
・エノケンも、菊谷栄も、白井鐵造も、大杉栄も甘粕正彦も、林達夫も、名取洋之助も富塚清をも含む線上で、挫折をばねとして自己の隠れた部分を発掘し、対話し、遊んだ人々の系譜の中に読み解きなおさねばならないのだ。


 

「挫折」の昭和史―エノケンから甘粕正彦まで

「「挫折」の昭和史」山口昌男を読む。
 
第一章は、「挫折」の昭和史
エノケンから甘粕正彦まで

白井鐵造と甘粕正彦のフランス
・昭和三年一月から翌四年一月の帰国まで、甘粕はほぼ一年、ルアンに住みついた。

白井・エノケン・ロッパ
・昭和十六年3月、第一回目の演目は「エノケン竜宮に行く」で、企画は秦豊吉、企画・構成はもちろん白井鐵造、宝塚からも草笛美子、橘薫が参加した。

満映の甘粕と「私の鶯」
・映画「私の鶯」について山口淑子は、「中国でも日本でも公開上映されることなく、文字通り"幻の映画"となった」

昭和の神話空間としての満州
・宝塚少女歌劇と甘粕を、同じ舞台に乗せた劇作家がいる。それは「少女仮面」における唐十郎である。

岡正雄と林達夫
・林達夫が平凡社の「世界百科事典」の名編集長として采配を振るっていたのは世に普く知られていた事実である。

東方社・「フロント」という磁場
・岡正雄氏は、学問的には私のパパのような人であった。

新劇人山川幸世と東宝の秦豊吉
・成果の一部は東宝舞踏隊・佐谷功編「日本民族舞踏の研究」東宝書店、1943年に収められている。

グラフィック・デザイナー原弘
・編集のスタイルは号によってはリシツキーなどが作った<ソ連建設>に範を取り、号によっては<ライフ>式のピクチュア・マガジンのスタイルをとったりした。

コスモポリタン岡田桑三
・東方社から身を引いた岡田桑三は、次に、驚くなかれ、満州、それも甘粕理事長の満州映画協会に姿を現すのである。

自分のうちに埋もれた歴史
・現代史の面白いところは、身の周り、日常生活の手の届くところに貴重な証人がいくらでもいるということである。

 
「挫折」の昭和史
山口 昌男
岩波書店
1995-03-24


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