こたつにみかん(^ ^) そしてLEGO♪

タイトルとブログの内容は特に関係ありません。 今は青年海外協力隊でカメルーンに来て、幼稚園を巡回して子ども達に歌や手遊びを教えてます。カメルーンでの生活の様子を書いてるので、日本の良さやカメルーン良さを知ってもらえればと思います。 青年海外協力隊に参加したい人の参考になれば嬉しいです。


これが最後の記事です。

最後は、自分がなぜ協力隊に参加したのか、その動機や理由、経緯を書きたいと思います。

めっちゃ長い記事ですが、最後まで読んで頂けると嬉しいです。

ではでは。

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私は、協力隊に参加しようと思った31歳までほとんどJICAや青年海外協力隊について何もしりませんでした。

青年海外協力隊と聞いて、すごく考えて、井戸を掘りにいくやつ?って答える程度でした。


中学から英語が苦手で高校でも英語は欠点で、自分は一生国内で過ごして、外国に行く事はないと思ってました。


高校を卒業する時は、コンピュータの専門学校に入学し、資格を取ってサラリーマンになろうと思ってた。

親は大学に行くように言ったけど、親の姿を見ていて親のようになりたくなかったのと、学歴が高卒とか専門学校卒でも立派に社会でやっていけるところをみせてやりたかった。

勉強が好きではなかったし、大学に行きたいと思ったことも無かった。


コンピュータの専門学校にいってみると、、、さすがはコンピュータの学校。

メガネ率が90%!

そして、みんなオレにはわからない内容のアニメやゲームの話をしている。

可愛いなって思った女の子に声を掛けて話てみると、、

ガンダムとゴジラが好きって言われ、一緒に学校から帰る時にコスプレしてる人が舞台でダンスしてる店に連れて行かれ、あ~住む世界が違うなって思った。


正直、ずっとパソコンとにらめっこしてるのもしんどかった。


その時に楽しかったのがテニスのコーチのバイト。

それまで子どもが好きじゃなかったけど、子どもにテニスを教えてて可愛いなって思うようになった。


そこで、進路を変更して保育士の専門学校に入り直したのです。

まだ、保母から保育士に名称が変わったばっかりで、男性保育士がほとんどいない時代。

保育学科で男性を受け入れている学校も大阪府内で3校しかなかった。

だから、選択肢が少なく、家から一番近い学校に入学しました。


こんどは、メガネではなく女子率が95%!

とにかく、女子、女子、女子!!

コンピュータとは全く別世界。


学費の面で親に負担を掛けているので、ここでは本当に真面目に授業を受けた。

男性の就職も厳しく、更衣室がなかったり、女の子のトイレの扱いや、赤ちゃんの扱いで、まったく信用がなかった。

だから、成績は1科目だけ「良」で他は全部「優」。

成績順とかでなかったけど、たぶん学年で1番やったと思う。


その時に、就職を有利にするために、色々なボランティアをしました。


その中の1つが児童養護施設でのボランティアです。

この経験が自分の人生に大きな影響を与えてくれました。


「殺すぞ」と言って包丁を持って脅してくる子ども。

性的虐待を受け、5歳で下ネタばっかり言う子ども。

2歳の時に、親がポテトチップ1袋をおいて遊びに行き、排泄をたれながしでポテトチップで生き延びている所を保護された子ども。

学校から帰ってきたら親がいなくなっていた子ども。

などなど

他にもたくさんの子どもがいた。


日本にも本当にこんな現状があるんやって思ったし、めっちゃ衝撃を受けた。

自分は何て恵まれた家庭に育ったんやって思った。


そこの子どもたちと一緒に遊んだり話をしたりしてる中で、将来の夢をもってるけど、実際に叶えることができない事を子どもたち自身がわかっていたのが悲しかった。

施設をでた子どもは、土木、建築系の現場仕事とか、水商売とかが多いんじゃないかなって思う。


また、世界にはもっと過酷な環境で暮らしてる子どもたちがたくさんいると思った。

その時に、こういった子どもたちが夢を叶える手伝いがしたい!!児童養護施設で働こう!!って思った。


しかし、現実は厳しかった。


就職試験で児童養護施設を受けようとすると、男性は児童指導員で大卒が条件やった。

保育士は女性のみの募集。


働きたいところで働けない。

これはさすがにちょっとショックやった。

でも、これ以上、親に迷惑をかけることはできないので、内定をもらっていた私立の乳児保育園に就職しました。


保育士1年目は本当にしんどかった。

保護者には先生として扱われず、女の子の親からは、うちの子のオムツは変えないで欲しいと言われたり、

同僚の先生からは気分で怒られ、保育が全然楽しくなかった。

車に轢かれたらちょっとの間、仕事を休めるかなって何回も思いながら仕事に行ってた。


数人の良い先生がいたからオレは仕事を続けられたんやと思う。


その中の1人の先生が

「あなたがそこに座っているだけで仕事になっているのよ。あなたが居なければ誰かが代わりに入らないといけない。でも、あなたが居ればその必要がないし、座ってるだけでも子どもを見ることはできるでしょ。だから居るだけでいいの」

って言ってくれた。

その言葉は、すごく自分の心に残って、仕事をする時の支えになった。


本当に、そういった人の助けが無かったら辞めていたかもしれない。



ちょうどその時、自分と専門学校が同じMさんと出会った。

Mさんは、自分より3つ年上で、めっちゃしっかりした女性だった。


Mさんの夢は20代のうちに自分の居酒屋を開く事。

その夢を叶えるために彼女はすごく努力をしていた。

保育士の仕事をした後、お酒の知識、接客、経営を学ぶために、居酒屋、BAR、料亭などで深夜までバイトをし、土日は調理師免許の勉強、それに加え、祖母の介護をするためにヘルパーの資格も取ろうとしていた。

毎日の睡眠時間は2時間くらいと言っていた。


彼女とは年に数回会っていたが、会うたびに着実に彼女の夢が実現に向かっているのがわかった。

本当に夢を叶える人って言うのはこういう努力をしているんだなと、彼女の姿から学んだ。


彼女と出会ってから数年の間に、自分は公務員になり、保育士としてのキャリアを積んできたけど、彼女の前で自分が努力してるとは一切言えなかった。

会うたびに、自分はまだまだやなーって感じた。


そして、彼女は宣言通り29歳で自分の店をオープンした。

経営も半年で黒字になっていたらしい。


彼女は努力して夢を叶えるということを教えてくれた。


今、彼女とは連絡がとれないけど、自分が1番尊敬してる人になっている。

自分の将来で困ったことがあった場合、彼女ならどうするか?って考えたりする。



それから数年後、自分にも大きな変化があった。

保育所の園児が亡くなったのだ。

原因はインフルエンザ脳症。


彼が亡くなる前日、私は彼を園庭で一緒に遊んでいた。

彼は元気に三輪車をこいでいた。


その次の日の朝、彼は目覚めてこなかったのだ。


信じられないくらい、突然の訃報だった。


通夜、葬式と参列したが、彼の死をすぐに受け入れられなかった。

しかし、棺桶に入った青白く血の気が無い彼の顔をみると涙が止まらなかった。


なんで彼は死んだんや。

たった3年しか生きていない彼の人生は何やったんや。

彼は何のために生まれてきたんや。


両親の気持ちは想像もつかなかった。


家に帰ってからもずっと彼と両親のことが頭から離れなかった。


そして、自分自身についても考えた。


自分は何のために生まれて、何のために生きてるんやろ?

これからの人生をどう生きるつもり?

そして、どうやって死んでいくん?


ずっと、考えているうちに、昔の自分の気持ちを思い出した。


自分は家庭環境に恵まれてない子どもたちが夢を叶える手伝いをしたかったんや!!


何で今、オレはそれをしてないんやろう。

自分もいつ死ぬのかなんてわからへんのに。


彼は、後悔しない人生を送ることを教えてくれたんや。

そう思った。


その時から自分の人生は恵まれない子どもたちのために生きようと決めた。

保育士としてのキャリアを活かし、世界の恵まれない子どもたちに夢を持って生きてもらう手伝いをしようと。

たとえ、たった1人の子どもでもいいから、オレと関わったことで、その子どもが夢に近づけて、幸せに生きる手伝いができれば、オレが生きてる意味があるんじゃないかと思った。

そして、その2年後、青年海外協力隊に幼児教育の分野があることを知り、応募したのです。


ここからの話はブログの最初に戻ります。



2013年11月20日にブログを始めてから約3年、これがちょうど750個目の記事です。

初めは誰にも教えず1人で始めたこのブログを、このように続けることができたのもみなさまのおかげです。

私自身は、協力隊としてカメルーンで大きな成果をあげるようなことは出来ていないと思います。

ですが、このブログが青年海外協力隊になろうとしている方や、アフリカ・カメルーンのことを知りたい方のお役に少しでもたてていれば嬉しく思います。

また、みなさまのクリックのおかげでランキング1位にもなり、上位をずっとキープすることができました。

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このブログもそろそろ終わりにします。

明日の記事が最後かな。

今日は自分の今の想いを書いたものです。



人は歳を取ることを嫌がる。

やっぱり死にたくないからかな?

29歳から30歳になる時にめっちゃ歳をとった気がした。

実際は特に何かかわる訳でもないのに、自分の意識が勝手にそう感じた。


今、自分の人生を振り返って、後悔していることは無い。

むしろ、今が1番人生を楽しめていると思う。


ゆっくり自分の人生を振り返ってると、少しずつ人生の楽しみ方がわかってきてる気がする。

歳をとるごとに良い経験ができてると思う。

そう思うと年齢を重ねるほど人生が楽しいのかもって思える。


最近は、人に「それは止めといたほうがいいんじゃない?」って言われると、よけいにその道を選択しようとしてる自分がいる。

それは、なんとなく、そういう道の方が人生を楽しめる気がするからかもしれない。

人と違う道を歩んだ方が楽しいからかもしれない。



今、公務員で安定した仕事に就いてる。

辞めたら大変。不幸になるかも?

でも、辞めたら不幸になるって誰が決めたの?


続けたら公務員で今のままやけど、

辞めたら、色んな職業に就いて、色んな経験ができて、新しい人と出会うことができる。

そう思うと、不安はあるけど、それを少しうわまわる希望がでてくる。

ま、市役所の人間が嫌いやから、こんなん言うてるっていうのもあるけどね。


人生のチャンスは誰にでもくるけど、それをチャンスと認識できるのは現状を捨てる準備ができてる人で、準備ができていない人はそれをチャンスと認識できないんじゃないかと思う。


協力隊に参加するまでは、老後に孤児院を建てる夢を叶えよう、それまでは日本に居ようって思ってたけど、

いつ死ぬかわからないのに、将来のことばっかり考えて、今何もしないのはおかしいなって思ってきた。


今日を楽しまなくて未来が生きれるのか!
byみっちー

今日が1番若いからね!
byなやちゃん


ほんま、その通り。


希望を持つも捨てるも自分次第。

明日はきっと良い事がある。

明日、また一歩前進できる。

明日、また好きな人と一緒に過ごす事ができる。


何事も前向きに。


前向きの言葉が波動になって、良い運を引き寄せるらしいよ。


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カメルーンで過ごした1年9カ月。

これは、帰国した今思えば、やはり良い経験でした。


正直、カメルーン人は好きではないし、カメルーンの国じたいも好きにはなりませんでした。

それはこのブログの過去の記事にも書いてるけど、

汚職がひどすぎることや、自己中心的で性格の悪い人が多いこと、中国人やアジア人をバカにすることなど、

理由はたくさんです。


ただ、みんながみんな悪い人ではなく、良い人も確かにいました。

あと、小学生以下の子どもはめっちゃ可愛かったです。


何より自分が良い経験になったと思う事は、

汚職を含め、そういった途上国での生活を体験できたこと。

そして、たくさんの人と繋がりをもてたことです。

個人的にテニスをしていたおかげで、日本人以外の方とも知り合うことができ、すごくお世話になりました。


当然ですが、みんな海外で生活をしているので、話を聞いているだけで自分のプラスになったし、色々な海外生活での生活のアドバイスをもらうことができました。


これは、自分のこれからの人生を考える上で、すごく影響を受けました。


日本にいたときの数倍は視野が広がったと思います。


そして、宗教に触れたことも良い経験でした。

特に、影響を受けたのはイスラム教。


世界中でテロが起き、イスラム教は危険だ!というような報道が日本でもされているかと思いますが、

カメルーンやモロッコでのイスラム教の人たちは、本当に毎日きちんとお祈りをし、コーランの教えを守り、

真面目に生きている人がほとんどでした。


むしろ、カメルーンでは、キリスト教の人の方が、汚職をしてたし、悪い人が多かった。

イスラム教の人は、オレにも優しく、買い物でもぼったくったりせず、困っていたら助けてくれる、そんな人達でした。


中国人の方たちもカメルーンでは差別され、バカにされていましたが、中国人の方たちのおかげで、中華料理を食べる事ができ、しょう油などの調味料、豆腐、厚揚げ、インスタントラーメンを手に入れることができました。

日本食が無いカメルーンでは、中華がなかったらけっこうキツかったと思います。

中国の方たちに本当に感謝です。



自分自身が、外国人になり、差別を受けることで、日本に住む外国人の方たちの気持ちがわかったことも大事な経験でした。

カメルーンで、「こんにちは」と日本語で挨拶されるだけで、自分の文化を受け入れてくれたように感じ嬉しく思いました。


日本の自分の職場にはたくさんの中国の方がいたのですが、自分は1回も中国語で挨拶すらしたことが無かった。

中国語を学ぼうともしなかった。

それは、今思えば、本当に恥ずかしい。

もっと、相手の文化を知ろうとして、せめて挨拶だけでも相手の言語ですれば良かった。

これからは、どの国籍の子どもの担任をしても、挨拶は相手の言語でできるようになろうと思いました。


今、日本に帰ってきて約2週間。

いつまで日本に居るかわからないけど、

それまでは、この経験を忘れずに、

日本で働きながら夢を叶える準備を少しずつしていきます。


そろそろ、このブログも終わりかな。


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