吉田寮祭は京都の三大祭りのひとつであるが、その中でもメインイベントをふたつあげろといわれたら誰もがヒッチレースと鴨川レースをあげるだろう、と主張すると反対意見が出そうである。吉田寮祭には他にも仮装決起やら芝居やらバラバーラ(居酒屋)やらいろいろあり、そっちのほうが魅力的だという人もいるかもしれない。いないかもしれないが。

 それはさておき、わたし(現在2回生)にとってヒッチレースと鴨川レースは昨年の吉田寮祭における忘れられない思い出となっている、ことにして話を進める。じゃないと寮祭パンフのボリュームが残念なことになる。

 

 ヒッチレースというのは、参加者(ヒッチレーサー)が他の寮生(ドライバー)の車でどこか他の土地に連れ去られ、そこからヒッチハイクで寮に帰ってくるというなんとも現代日本社会にそぐわないイベントである。緊急連絡のための携帯電話の所持は許可されている(昨年は許可されていた。それ以前のことは知らないが)ものの、財布(つまり現金)の所持は禁止され、まかり間違っても青春18きっぷで帰ってくるなどということはできない(そもそも例年は寮祭を5月に実施しているから時期的にもできないんじゃないだろうか)。つまり、知らない土地で知らない人に「○○まで乗せていってください」と直接頼まなくてはならないという、「ニコニコ動画と2ちゃんねるが三度のメシより好き」みたいな気持ちの悪いオタク大学生からは想像もつかないような人間的なコミュニケーションが求められるのである。と、比表現・誇張表現を用いて書いてみたが読者には伝わっているだろうか。日付変更線をまたいだパンフ執筆も考えものである。ついでにいえば、寮祭パンフの執筆を広く寮に募集せず、寮祭の中身が固まらないことも気にとめず、禁雀宣言に反して麻雀を打っている寮祭実行委員長サドイ氏も、考えものである。

 

 本題に戻ろう。わたしは昨年の寮祭でこのヒッチレースを体験した。「参加した」と書かずに「体験した」と書いたのは、ヒッチレース(開始は午前0時)の当日が総代会であり、学部生総代であったわたしには出席義務があったため、ヒッチレーサーとしての参加ができなかったからである。そのためわたしは同乗者としての参加(あ、「参加」って書いちゃった)であった。同乗者というのは文字通りドライバーと同乗する人であり、ドライバーに何かあったとき(こっちは運転できないんだから何かあった時点で終わりであるが)の連絡係およびドライバーが眠らないための目覚まし係(こっちが眠るのだが)である。こういう立場での参加は非常に気がラクである。現金の所持もできるし、安全に帰れる可能性が高いからである。

 さて、わたしの乗った車は寮祭初日の午前0時、無事寮を出発した。まず向かった先は和歌山県。この時点で生きて帰ってこれるかわかったものではない。だって乗せてくれる人がいなきゃどうしようもないんだから。まあとにかく、和歌山県で終わりではないわけである。車は港に向い、そこからフェリーに乗り換える。わたしはこのとき生まれて初めてフェリーに乗った、気がする。小さい頃に家族旅行で乗った気がしなくもないが、初めて乗ったことにしておいたほうが喜びも大きいというものである。誰にとっての喜びか知らないが。

 フェリーが着いた先は四国地方。香川県だったか徳島県だったか、とにかく和歌山県の港からフェリーが出ているほうが到着した先だ(当たり前だ)。フェリーに車を積んでいたので港からしばらくドライブし、徳島県の、人のいない小さな港でヒッチレーサーを降ろした。彼はここから京都に帰らなければならないのである。まさか生きて帰れないとは思わなかったが、とりあえず手を合わせて彼の姿を見送った。

 

 ここからはヒッチレーサーのエピソードとドライバーおよび同乗者のエピソードが存在するわけだが、とりあえずヒッチレーサーのその後についてざっと書いておく。

 

 徳島県の港でひとりぼっちになったヒッチレーサーは、とりあえずダンボールに「神戸」と書いて掲げ、助けてくれるドライバーを探したという。しばらくしておじいさんが乗った車が彼を拾ってくれ、淡路島まで行けたらしい。話によると「息子に似てたんじゃ」。どこかにありそうな話だが面白すぎる。だいたい、大学1回生でありながらおじいさんの息子に似てるってどういうこっちゃ。「息子は海外に行っとるはずなんだが、おかしいと思ったんじゃ」と言ってたらしいが、そらそやろ。おじいさんは老眼鏡の買い替えを検討したほうがいい。あるいはヒッチレーサーは見た目の若返りを検討したほうがいい。彼はヒッチレース中(どの段階だったか忘れたが)雨に降られてコンビニに入ったらしいが、無精髭を生やしてグチョグチョのダンボールを持っていたのが災いしたのか、「申し訳ございません。お客様のような方がいると他のお客様が入ってこられませんので」といわれ店を追い出されたらしい。かわいそうに。

 さて、淡路島からはカップルの車で神戸まで運んでもらったそうだ。そのあと「京都」と掲げて歩いていたら、黒い車が停まったという。中から出てきたのはヤンキー風の3人組。ひとりは金髪でオールバック。ひとりは眉毛なし。ヒッチレーサーは恐怖で震えあがったという。「活きて帰れないかと思った」と彼は供述している(このあたりの記述は非常におおざっぱである)。しかし話してみると非常に「いい」人たちで、しばらくして電車に乗り換えると、京都に用事があるわけでもないのにヒッチレーサーに「これくらいで足りるやろ」と京都までの電車賃をくれたという。3人組は途中で電車を降りて雑踏の中に消えていった。ヒッチレーサーはというと、無事電車で京都にたどりついたあと、そのままワンダーフォーゲル部の新歓コンパに出かけた。

 

 以上がヒッチレーサー側のエピソードである。昨年のヒッチレース後に聞いた話なので記憶があやふやな部分が多く、不正確な記述があるかもしれない。むしろ不正確な記述だらけかもしれない。いずれにしても、昨年のヒッチレーサーの様子が少しでも伝われば幸いである。誰にとっての幸いか知らないが。

 

 

 さて、今度はわれわれのエピソードである。とはいうものの特別大きな事件に巻き込まれたわけではない。ダラダラと帰ってきただけのことである。四国地方に来たからには香川県→さぬきうどんという図式が浮かんだため、車は香川県に向かった。うどん屋はたくさんあったがその中のひとつに決め店の中に入り、うどん2玉とかきあげを注文した。これがべらぼうにまずかった。べらぼうは言い過ぎかもしれないが、少なくともわたしが期待していたさぬきうどんではない。値段もそれほど安くない。京大に入って初めての後悔がうどん屋の選択ミスというのだから情けない。他の店で食べ直そうにもおなかのスペースは空いていない。「今度来たときは絶対にうまいうどん屋で食べてやる」と思いながら香川県をあとにした、と書きたいところだがそうではなかった。出るのに意外と時間がかかった。コンビニに入って売り物の地図を携帯電話のカメラで撮って車の中で検証したりしながら時間をかけてノロノロと出てきたのである。行きとは違って帰りは淡路島経由。ドライバーは島の途中で車を停めてひと眠りした。わたしは何もできずただボーっとしていた。総代会の開始時刻はすでに過ぎていた。終了までに帰れる見込みはなかった。

 その後神戸に出て京都に向かうのだが、渋滞に巻き込まれてなかなか動けない。総代会は終了し、総代会後の懇親会の出席すらできなくなった。寮に着いたのは20時。すでにすべてのヒッチレーサーは帰還していた。ドライバー・同乗者がヒッチレーサーに負けたのである。

 

 ヒッチレースに関する説明は以上である。「えっ?!」という感じである。こっちだってこんな冗長な説明になるとは予想していなかった。日付変更線をまたいだパンフ執筆も考えものである。ついでにいえば、寮祭パンフの執筆を広く寮に募集せず、寮祭の中身が固まらないことも気にとめず、禁雀宣言に反して麻雀を打っている寮祭実行委員長サドイ氏も、考えものである。

 

 鴨川レースとは、鴨川の中を仮装状態で三条大橋〜デルタまで駆け抜けるというレースである。昨年は鴨川レースの前に三条・四条で仮装パレードが行われたが、その仮装の状態で鴨川の中を駆け上がるのだ。わたしは学ランに熊野寮のヘルメットという状態で仮装パレードに臨んだため、その状態で鴨川レースに参加した。

 当初は1回生(当時の。わたしの同期)が何人か参加するみたいなことを言っていたが、フタを開けてみると吉田寮からの1回生の参加者はわたしだけであった。ダマされたような気分だ。学ランのポケットに入っていた財布や携帯電話を、観戦に来ていた人たちに預ける。これが非常に重要な行為であったことがしばらくして判明する。

 スタートの合図とともに参加者が三条大橋のところから鴨川を駆け上がる。まず気づくのが、鴨川の水は意外に深く冷たく、川の流れは意外に速く、学ランは意外に効率よく水を吸うということである。あっというまにわたしの下半身は水に覆われた。もし財布や携帯電話を入れていたら今のわたしはなかっただろう。気がつくとわたしはビリから2番目にいた。急いで駆け上がろうにも流れが速すぎてなかなか前に進めない。気がつくとビリの人はリタイアしていた。「マラソンで3位の人を追い抜くと何位になるでしょう?」という問題があるが、ビリから2番目の状態でビリの人が抜けたらどう考えたってビリである。京大に来て2か月で早くも敗北感を味わうこととなったのである。

 「今までの人生で死にかけたことはありますか?」という質問をされたら、わたしはためらいなくこの鴨川レースをあげるだろう。それほど鴨川は深く速く冷たく、足をふんばれずに下流に流されそうになったときなど「わたしはこのまま死ぬのか」と思ったものである。今冷静に考えればちょっとおおげさな話であるが(誰がどう考えたっておおげさかもしれないが)、当時のわたしにとっては異様な恐怖だったのである。

 どんなに声援をかけられても、どんなに急いで進もうとも、もはや追いつけないだけの距離の差が上位の参加者たちとの間にできていた。「オリンピックは参加することに意義がある」という残念なセリフが世の中にはある(わたし個人はオリンピックの参加自体には意義を感じていない。意義があるのならわたしがオリンピックに出られてもおかしくないのだから)が、鴨川レースについても「参加することに意義があるのだ。参加しなかった人たちよりはマシだ」と考えることにして、コースの半分くらいからはゆっくりと歩くことに決めた。鴨川レースは熊野寮から参加した1回生(メイド服、男)がぶっちぎりで優勝した。「若いなあ」と思った。

 

 なお、この鴨川レースで着用した学ランは寮の友人から借りたものであった(わたしはそれまで学ランというものを着たことがなかった)が、鴨川レース後にはあちこちがほつれてグダグダになっていた。また、鴨川レース中に身につけていた腕時計の中には鴨川の水が入り込み、のちに9の文字盤および12の「2」の文字盤をはがしていった。その腕時計は中に鴨川の水を入れたまま今年の6月4日まで時を刻んだ。

 

 

 てな感じです。今年は11日の24時(12日の0時)くらいからヒッチレースで、12日が鴨川レースだったかな。興味のある人は参加してみたらどうかな。


by itoken