政宗の白石城攻防戦は奥羽の関ヶ原の前哨戦であまり語られる事が少ない。

しかし、調べてみると実に興味深い事が数多くある。

登坂式部勝乃は甘糟景継の甥でこの時白石城代として守備していた。

この登坂式部勝乃は特別弱いというわけではなく、上杉軍の精強な甘糟景継の軍に所属している。

甘糟景継はかなりの勇将でもし白石城にいたならば政宗は城を落とせなかったのではないかと思う。

仙台市博物館に展示されている三宝荒神形兜

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伝上杉謙信所用の物と伝わっているが、これがなぜ伊達家がもっているのか、不思議に思った事はないだろうか。

これは登坂式部勝乃が政宗に降伏した時に献上したものだそうだ。

政宗のセンスには合わないが、謙信公のものであったと知ると非常に喜んだという。

そして、この白石城には政宗を敵視する武将たちも籠城していた。

大崎三次、葛西長三郎、富沢吉内、黒澤豊前、四釜某など・・

どこかで聞いた名前が・・・

そう、大崎葛西一揆で政宗に扇動されながら、政宗に抹殺された残党たちであった。

葛西大崎の残党たちは徹底抗戦したが、最後は殲滅させられた。

登坂式部勝乃は石川昭光を通じ、政宗に降伏を願い出て許されたがここでひと悶着があった。

鹿子田右衛門というものが一人でも戦うと場外の伊達勢に討って出た。

鹿子田右衛門は上杉軍から鉄砲攻撃され全滅させれたのであった。

この鹿子田右衛門こそ、輝宗事件の為に政宗に斬殺された鹿子田和泉の嫡子であった。

鹿子田和泉は畠山義継が輝宗を拉致する直前に政宗に陰謀ありと言った男であった。

その一言が義継を豹変させたと言われているが・・事実はよくわかっていない。

鹿子田右衛門は政宗に死んでも政宗に降伏などできないのであった。

これも何かの因果であるのだろうかと思うのである。

奥羽の関ヶ原の局地戦であるが、実は色々な人間ドラマがあった。

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