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(斜陽館)

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(金木観光物産館)
 弘前駅前のアートホテル弘前シティの朝食バイキングをたらふくごちそうになった私たちは、荷物を忘れないように周到に部屋を点検し、午前9時頃にチェックアウトした。この日の予定は、まず、太宰治の生家「斜陽館」に行き、妻が幼年時代を過ごした木造町(現つがる市)訪問、そして、吉永小百合さんのCMで知られる「鶴の舞橋」(※1)を見ること。結構なハードスケジュールといえる。

というのも、この日の宿泊は、映画「八甲田山」(高倉健主演)やその原作「八甲田山 死の彷徨」(新田次郎作※2)で知られる「八甲田山」にある八甲田ホテルだったからだ。1000人露天風呂で有名な酸ヶ湯温泉と同系列で、実際酸ヶ湯温泉のすぐそばにあった。

要するに遠そうだった。

※1JR『大人の休日倶楽部』CMで吉永小百合さんと青森県「鶴の舞橋」が共演(2016年6月放送)

※2日露戦争直前の1902年(明治35年)に、ロシアとの戦争に備えた寒冷地における戦闘の予行演習として、また陸奥湾沿いの青森から弘前への補給路をロシアの艦砲射撃によって破壊された場合を想定して、日本陸軍が八甲田山で行った雪中行軍の演習中に、参加部隊が記録的な寒波に由来する吹雪に遭遇し、210名中199名が死亡した八甲田雪中行軍遭難事件を題材にした山岳小説。

さて、大鰐弘前ICに乗ると東北自動車道を青森市方面に向かう。黒石市に入る。津軽SA、高舘PAを通り、浪岡ICでいったん降りて浪岡五所川原道路を北上、小泊道に入り、さらに北上すると金木町(現在は市町村合併で五所川原市)だ。この間、絶景だったのは東北自動車道から見えた黒石市のなだらかな早春の小高い丘。そこはリンゴ畑で、なんともいえない牧歌的な景色が長く続いた。「アルプスの少女ハイジ」が遊ぶ高原とでもいおうか。

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太宰治、もちろん、読んだことがある。学生時代は日本文学科専攻で卒論は野間宏だった。文学士なのである。だが、太宰が津軽の金木町の生まれであることは知ってはいたが、地図を広げて津軽の何たるかを考えたことはなかった。もとはといえば、妻が小学時代過ごしたという西津軽郡木造町(現在はつがる市)を見たかったので、ついでに斜陽館にも足を延ばそう、といった感じだった。

地図をまじまじと見た。想像以上に金木町は日本の端っこだった。東京からも、ものすごーく遠い。しかも田舎。最果てなのだ。実際、一帯は平野なので延々田んぼが続く。高い山はない。そんななか、斜陽館は特別な存在だ。今でも観光客がひっきりなしにやってくるからだ。

金木観光物産館が斜陽館の目の前にある。青森銀行も。原之町よりは商店街の規模は大分大きいようだった。車を物産館の駐車場に置き、記念写真をバチバチ…入場券を買い求めて斜陽館(※3)に潜入。最高級の木造家屋の魅力満載の邸宅、巨大な金箔仏壇、大人数が寝泊まりしたことを彷彿とさせる土間や大きな米蔵など、今もなお、当時の大地主の権勢を誇示するに十分な佇まいだった。

食事は物産館でいただいた。私は名物といわれるしじみラーメンを注文した。透き通ったスープ…少々生ぐさい感じがしてあまりお勧めできない(笑)。

(※3)斜陽館=明治の大地主、津島源右衛門(太宰治の父)が建てた入母屋造りの建物で、明治40年6月に落成。日本のヒバを使い、階下11室278坪、二階8室116坪、付属建物や泉水を配した庭園などを合わせて宅地約680坪の豪邸。

 この豪邸、津島家が戦後、手放し、昭和25年から旅館「斜陽館」として生まれ変わり、観光名所として全国のファンが訪れた。その後、平成8年に旧金木町が買い取り、太宰治記念館「斜陽館」となり、現在に至っている。

 一方、太宰治は1909年6月19日生まれ。金木尋常高等小学校、県立青森中学、官立弘前高等学校分科甲類、東京帝国大学仏文科に入学。1939年30歳の時に、石原美智子と結婚。1948年39歳の時、6月13日に山崎富栄と東京の玉川上水に入水自殺を図った。代表作は「人間失格」。無頼派の象徴的な作家。

金木町の人口は五所川原市への合併直前2005年3月時点で10557人。旧吉川町より行政規模は大きい。旧吉川町は本当に田舎だとずっと思ってきたが、首都圏や取り囲む県との距離を考えると…そういえばライターの友人は五所川原出身だった…それほどでもないのかもしれない。

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(木造駅前で)
 金木町を出て田んぼの中を車を走らせる。旧木造町は妻が幼年時代を過ごした町で、20歳の時に再訪して以来だという。「もう、ずいぶん変わってしまってわかるかな?」(妻)。ただ、人付き合いのいい妻はいまだに小学校時代の友だちと交流があるようだ。

旧木造町は、五所川原市の西側に位置して日本海に面している。2005年の合併直前のデータでは人口19123人。吉川町よりかなり大きい。中心部に五能線木造駅がある。五所川原駅の次の駅だ。旧木造町には亀ヶ岡遺跡があり、遮光器形土偶が出土したことで知られる。だから駅舎は数年前にその土偶を前面に打ち出した建物に変わった(笑)。

妻と自分が住んだであろう住宅や周辺の商店街や公共施設を探して歩いた。駅前はさびれていて、廃墟となった建物が少なくない。衰退ぶりが見て取れた。駅前の町の紹介看板が色あせてしまって、一目で旧木造町は時代に取り残されてしまったのだと思った。現在はつがる市になり、役場は市役所になり、別の場所に作られてそちらは再開発が進んでいくと思われた。

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 (鶴の舞橋)
 木造駅を出た。向かう先は「津軽富士見湖」の“鶴の舞橋”(※4)。私は知らなかったが妻がいうには「吉永小百合のCM出ていて行ってみたかったんだよ」とのことで。しかし、地上波民放はほとんど見ない私はそのようなCMの存在は知らなかった。

行ってみた。あいにく晴れてはいたのだが雲が空を覆っていて岩木山を入れた写真は撮れなかった。妻とゆっくり記念撮影をしながら向こう岸に渡り、そして戻ってきた。長生きできるかな?

(※4)鶴の舞橋は平成678日、岩木山の雄大な山影を湖面に美しく映す津軽富士見湖に、日本一長い三連太鼓橋「鶴の舞橋」として架けられました。全長300メートルもの三連太鼓橋はぬくもりを感じさせるような優しいアーチをしており、鶴と国際交流の里・鶴田町のシンボルとして、多くの人々に愛されています。

岩木山を背景にした舞橋の姿が鶴が空に舞う姿に見えるとも言われ、また、橋を渡ると長生きができるとも言われています。夜明けとともに浮かび上がる湖面の橋の姿や、夕陽に色づく湖と鶴の舞橋は絶景で、季節の移り変わりと共に多くの観光客たちの目を楽しませています。

 午後3時過ぎ。鶴の舞橋を後にし、宿泊地の八甲田ホテルを目指す。今度は逆を走る。浪岡五所川原道路を通り、東北自動車道浪岡ICに入り、黒石ICで高速を降りる。そこから国道394号(弘前~六ケ所村~むつ市)を走る。どんどん険峻な山間に入っていく。標高もどんどん高くなる。「こんなところだとは知らなかった。ちょっと違うホテルにしたかったから予約したんだけど。なんか外に食事するところは何もないらしい。ディナーしかないらしい」(妻)。

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 途中、恐ろしく眺めがいい場所が。城ヶ倉大橋※5)とか。もう、下は怖くて見れない(自撮り棒で撮影断行)。そこからさらに山をのぼり、酸ヶ湯温泉を尻目にさらに上に。「大丈夫かなぁ」「映画『八甲田山』のようにならないだろうなぁ」。

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(酸ヶ湯温泉)
(※5)城ヶ倉大橋(じょうがくらおおはし)市町村:青森市。上路式アーチ橋では、アーチ支間長が255mと日本一の長さです。平成71027日に開通し、「津軽」と「南部」を結ぶ橋として大きな役割をしています。また、十和田八幡平国立公園内有数の景勝地である城ヶ倉渓流を眼下に見下ろすことができ、車を降りて、景色を楽しむことができます。紅葉の頃は、360度紅葉を楽しめます。

 で、到着しました。八甲田ホテル。天空のホテル。周囲の山には雪が…。

(続く)