2013年06月29日

だいすき、ありがとうね、さよなら

 妻による最終更新は6月10日ですが、その10日前から、夫の松尾公也によるメモ書きを中心に構成しています。

6月1日:妻を伴い中島医院の院長先生による診察。自分だけ先生に呼ばれ、既に黄疸が出てきた。2カ月から4カ月のこともあると聞かされる。中島医院は基本的に先生の往診は週1回、看護師は週3回。24時間態勢で対応してくれる。飲み薬、座薬などの置き薬もある。緊急対応の電話網は4段階としっかり整っている。

この日、妻は「なんか、死んじゃうみたいね。何か食べたいかなー」と言った。

6月2日:ビワをちょっと食べただけで嘔吐。さくらんぼは大丈夫。

「抵抗しないほうがいいのかな? 弱るに任せていったほうがいいのかな?」

夜、煎じた漢方を飲んで吐く。ジュースもご飯もパスして寝てもらう。

6月3日:腹水がたまってきた。抜くと危ないという話を聞いている。利尿剤を使う必要性。オムツも買ったほうがいいと言われる。

6月4日:看護師訪問。110と頻脈なので動くとハアハアしてしまう。足はむくんでおらず、酸素を使うほどではない。血圧は102-60。昨日は眠れなかったので、睡眠薬のリスミーを倍量。嘔吐への対策も指示される。

処方箋は近くの薬局に病院からFAXしてもらい、取りにいくというパターン。

6月4日:介護保険のケアマネージャーが決まる。3モーターのベッド、床ずれ予防マット、浴槽手すり、車いすを用意してもらう。

うなぎと鯛の刺身をご所望。手配する。

6月5日:ホスピスの牧師(チャプレン)院長先生のだんなさんに長時間コンサルティングを受ける。ここで聞いたことを看護師に伝え、コミュニケーションを密なものにしようということみたい。夫婦とも無宗教だが、自分の両親はカトリックの家系であり、そのあたりは問題ない。

聖書の言葉からの引用のようだが、「愛を完成させる」という言葉には、ぼくらにはぴったりだった。ホスピスによる看護、心がともにあること、それはぼくらの愛を完成させる行為にほかならないからだ。

6月6日:「薄紙が半分はがれかけたように良くなっている気がする」

しゃっくりと鼻血が出る。後で聞いたが、これは肝臓の肥大化、腹水による圧迫と、肝機能が低下しているためだそうだ。

「こうちゃんをつかまえといて本当によかった」と言われ、涙がでた。

夜10時ごろ、寝ている妻の頭を撫でたら、
「だいすき」
と言われた。

6月7日:起きた後で「だいすき」について本人に覚えているか聞いてみた。
「感謝するとかありがとう以外に、普段から伝えあいたいよね。それが寝言になったんだろうね」

だるく、食欲がない。頭では食べたいが戻してしまう。肝臓が圧迫されているためしゃっくりがでるのだと自覚している。

夜、据え置き式の酸素吸入装置を入れる。とりあえずは鼻孔に差すタイプのものを使い、「2リットルで十分でしょう」ということだった。緊急用ボンベも用意された。

6月8日:看護師に「進みが早いようです」と言われる。

6月9日:深夜の2時ごろに鼻血。なかなか止まらない。この頃から鼻血との闘いになる。10時半くらいにまた鼻血。

鼻血の止血方法として、ボスミン(アドレナリン)を生理用食塩水に溶かし、そこにガーゼを浸して花の奥に詰める方法を教わる。

昨日から皮下注射のボトルに、腸の動きをよくする薬と、モルヒネが入っている。モルヒネは微量と説明。しかし、本人はショックを受けているようだ。

マッサージの方法を教わる。足の付け根の真ん中、膝の裏を開くように。下の方向にマッサージする。足指の付け根、肩甲骨の下。背中と腕を上から下へ。妻は「背中が一番気持ちいい」
背中に沿って半円を描くようにさすってあげること。

6月10日:睡眠薬があまり効かないため、リスミーからレキソタンとレスリンの組み合わせに換えるよう、看護師から提案。試してみることに。

「その後の古時計」を妻のボーカルでレコーディングしたいという話を友人としている、という話をする。

「調子が良くなったらね。今は歌えない。でも、そのために練習するからiPhoneに入れておいて。曲が長すぎるからなあ」

そこはぼくも歌ってサポートするから、と。

「遺作?」

「そうならないように、だよ」

6月11日:鼻血が2回、朝までほとんど眠れず。

「体力がなくなってきた」

友人の和恵がニシン漬け、トムヤムクンをもってきてくれた。ニシン漬けはこれからしばらく、酵素玄米との組み合わせで食べることになる。

処方されている生薬がかなり苦痛になっているようで、その味についてこう説明している。

「コーヒーからこくをとって、ユンケルから甘さをとって、味わったことのないスパイスを加えたような味」

煎じるときのにおいもだめなようで、水で濡らしたタオルを当てている。

猫の話をしているとき、ちょっと笑った。

6月12日:近所のオステオパシーの先生が推薦する、別の漢方医のところに行く。以前から予約していたのだが、やっとかかることができた。妻は相当期待していたようだ。こちらは生薬ではなく、ツムラの組み合わせで。いずれにしても生薬は飲めないので、食べてはいけないものリストをもらって、今後の食事の指針とする。牛乳、大豆、芋、ニンニク、韮、卵、刺身、枝豆、カニ、エビ、生もの。主食は里芋のおかゆで。

でも、ネコを部屋に入れてはだめ、というのは譲れなかった。

6月13日:朝はボケボケ。睡眠剤が効きすぎたかも。

トイレに行くのがきつくなってきたようだ。ドアを閉められなくなっている。本人は脳転移を疑っている。気力がどんどん削がれていっている。

6月14日:熱が出る。38.1度。肝臓のところが痛い。アンヒバ座薬を入れる。眠剤をまた換えてみる。

「あんまりがんばれない気がしてきた」

軽音サークル「GMC」の仲間である和波夫妻、山田さんの3人によるお見舞い。フラワーポッドを2回から吊り下げて、ベッドから見える空中庭園を造ってもらう。

腫瘍熱のようだ。氷をあてている。痛み止めはやりたくないみたい。やったら最後だという例を見ているから。熱は続く。

「これまでがんばってきたけど、どうしてもがんばらなくちゃという感じではなくなってきた。こうちゃんががんばろうというならがんばるけど」

6月15日:妻だけが地震を感じたようだ。家族のLINEグループに、夢が入り込んだような書き込みをしていた。医療麻薬の影響が出ているのだろうか。

起きた後、自分が見た夢の話をする。愛媛の国会議員が桜蔭の先生だったとかなんとか。

先生から、解熱剤として日医大でもらったまま使っていなかったナイキサンを8時間置きに飲むように言われる。さらに、医療麻薬のフェントステープを皮膚に貼る。1日ごとに取り替え。睡眠剤のリフレックスは2つに分割し、眠れなかったら残りを飲む。

6月16日:朝4時、スティーブ・ジョブズの夢を見た、と話してくれた。ジョブズが講義をしていて、「死ぬときはどうなんですか?」と聞くと、「普通だよ。何もわからない」と答える。その講義の内容は、カードを見せて、その反応を解説してもらうというようなもの。スパゲッティミートソースを皿に盛りつけてあって、そのバランスがおかしい、皿に大きさが違う、などなど。
iPhoneも出てくる。「私は何も用意されてないの。めちゃくちゃ小さい。後ろがナイフみたいに欠けている。それなのに、“持ちやすい?”と効いてくる。持ち主はあなたのはずなんだけど。そしてうるさいOS。誰が使うんじゃ」

おもしろい。で、ジョブズには触ることができないので、「ああ、これは夢なんだな、ということがわかった」そうだ。

「レコーディング、一生懸命がんばるから」と言っていた。

この日は朝から近所のプライベートスタジオでボーカルを録音する。レコーディングの手配をしてくれた山崎潤一郎さん夫妻が車で迎えにきてくれた。車椅子でスタジオ内に入り、歌をうたう。曲は、妻が5年前に訳詞した「その後の古時計」。このときは初音ミクが歌ったのだが、それを妻のボーカルで、友人のミュージシャン堀内功さんによるアレンジで再演し、iTunes Storeで発表しようという企画だ。ぼくが山崎さんに提案したら快く引き受けてくれ、有馬さんによる迅速な仮オケ制作のおかげで、実現したものだ。Facebookでつながっている、スタジオオーナーの山口さんの口利きで、このスタジオをお借りすることができた。ほんとにすぐ近所で、調子がよければ歩いてもいけるくらい。楽しく歌い、笑い、素敵な時間を過ごすことができた。本当に感謝しかない。

こういうことをやる、とくことは事前に先生に相談してあり、そのためのさまざまな対策も売っていただき、元気な状態でレコーディングを終えることができた。完成にはもう少し時間がかかるのでお待ちいただきたい。先生も看護師のみなさんも、みな喜んでくれた。

この後、GMCの友人である宮本くん、菊池くんの2人が見舞いに。これも楽しいひとときだった。

6月17日:体温も36.0度、脈拍も落ち着いている。自分は午前中の会議のため出社。そのあいだ、家族ぐるみの付き合いのある友人で介護の仕事をしている加賀谷さん、がん友の醍醐さんが付き添ってくれた。ぼくが戻るとすぐに介護用品のレンタル会社からベッド用のサイドテーブルを用意してもらい、園後でケアマネージャーさんと担当のヘルパーさんに来てもらい、説明をする。

その後で院長先生による訪問。「昨日はよかったですね」

6月18日:友人でライターのこばやしゆたかさんから、一筆書き画家である高橋美紀さんの個展に来ませんかというお誘い。実際に行くのは無理なので、今年いただいた招待状を見ながら悩んでいただが、なんと、FaceTimeで中継してくれるという。個展の画廊の様子、作品の解説を、こばやしさんが手持ちのiPhoneで、妻の手元にあるiPad miniに映像と音声で送る。

それだけでなくて、その場でライブドローイングする様子を見せてくれたのだ。その絵の中には妻、ぼく、3人の子どもたち、2匹のネコがいる。後でこの絵を額縁に入れて送ってくれたのだ。

まるでAppleのCMみたいだった。

6月18日:来客、訪問看護、来客、訪問オステオパシー、来客というスケジュール。最後の一組はフランスからきたGMCの友人、新谷さんと、ドラマーの澤くん。食欲が出るハーブをフランスで処方してもらい、持ってきてくれた。彼女が以前送ってくれたよく眠れるハーブはすごく効いたのだ。

6月19日:この日はぼくが午前出社。一度帰宅したあと、インタビューのため銀座に行かなければならず、午前中はヘルパーさん、午後は和恵が付き添ってくれた。そして、桜蔭時代の同級生で、開業医の森蘭子さんが、妻が希望する朝顔を持って見舞ってくれた。彼女は、妻がゼローダの副作用である手足症候群に苦しんでいるときに、パッドや軟膏を使った手当の方法を教えてくれ、それがなければこのときの苦しみは倍増していたと思われる。そのくらいの恩人。その彼女が中島院長先生との出会いを演出できたのはうれしかった、と妻は言っていた。

6月19日:看護師訪問。「血圧低いな」と指摘。自分の計測でも上が75、下が45。

また夢。「悩みを抱えている人が、シェアハウスでいっしょに住まないか、という話をしている」

6月20日:やはり血圧が低い。

6月21日:手が痙攣するようになってきた。見ていてつらい。

6月22日:血圧はやや持ち直す。看護師の指示で、不用意な出血を避けるため、オムツにした。ただ、それにはしたくなかったよづえ、夜中にトイレに行きたがった。

スイカを食べた後で嘔吐。なんとか朝食後の薬を飲ませる。桜蔭時代の友人、まりぷーとひとみちゃんから小さなひまわりが届く。「わあきれい、わあきれい」と5回。

医師訪問。血圧は120。このときはそれほど問題はなさそうだった。

夕方、「つらい、死にたい」と急に言い出した。滋音と系に手を握らせた。精神安定剤の飲み方を変えてみる。

6月23日:言動がおかしくなりつつある。いい間違い、勘違い、妄想が入ってきている。

曜日感覚がなくなってきているのを自覚。「一日を取り戻したい」

滋音のクッションを「まる」と呼び、それを背中に当ててほしいとせがむ。「まるを足にはさんで」とか。

血圧が再び低下。79-47。

朝食はたらみのゼリー。「水ゼリーってのがあってね」という話をする。
桃ゼリーとカロリーメイトアップルがお気に入り。
吸い飲みから水を飲むよりも、氷を口に含ませるのが好きなようだ。

トイレからの帰りに前のめりに倒れる。ぼくが先に行くのをいやがったのだが、これからはそういうことではいけない。

「針を刺してピューって出したら気持ちいいだろうね」
「それはやらないよ」

腹水を抜いたらすぐ死んでしまうというのを、以前から気にしていた。自分がそういう状態になっていることが分かっているのだ。

夕方、My Loveを歌ってきかせた。Wow wo wow woのところを妻も歌った。このコーラスは、妻にやってほしかった。

自分からオムツをすると言い出した。

6月24日:遺言「家族と子どもたち、長崎の両親、ひろみちゃんだけ、手をつないでGrow Old With Meを歌ってほしい」

息苦しい。酸素の量を2.5に増やす。

実家の母親にはまだこの状態を伝えていない。再発・転移のところから隠している。妹を通して伝えるよう頼む。

看護師到着。血圧は72-46。低い。

血圧が50。

子どもたち、母親、妹が集まる。

「愛してるよ」と言うと、朦朧としながら「だいすき」と答えてくれた。意識は混濁しているのに、このときは目が輝いていた。

その後で、

「ありがとうね」

「さよなら」

23時54分頃。

6月25日:呼びかけに応えがなくなり、呼吸を繰り返すだけの状態が2時間ほど続いた後、この世を去りました。

とても穏やかで立派な最期でした。あきらめず、精一杯がんばった。あきらめさせようという助言にも決して従うことはなかった。彼女の選択を無謀だったとか言うことなく、ほめてあげてください。最高の生き方をした人間でした。

yoshiko

yoshiko_sheila at 10:08|PermalinkComments(12)TrackBack(0)

2013年06月10日

めまぐるしい重病人

5月29日(水)日本医科大学武蔵小杉病院へ。27日に連携医療機関である東京メディカルクリニックで撮影したCTの結果、がんは増えていた。


タキソールでおさえたブツではない新しいのが、CT画像には6、7個映っていた。

今のところ肝臓だけだけど、肝機能は普通の3分の1以下。これでは抗がん剤はできない、と。確率は1割以下(だったかな?)だがたとえ抗がん剤が効いても、肝臓が耐えられないだろう、って。

なるべく家にいたい旨を伝えると、主治医が昔世話になった、という、米国型在宅ホスピスを実践している清瀬の中島医院を紹介していただく。

31日(金)急いで行って、といわれたので、なるはやで予約できたこの日、杉並のブース記念病院という救世軍系のホスピスに面接に。車椅子を旦那に押してもらい見学もした。ここへはもう一度1週間後面接に行き、申し込みから3日ですぐはいれますよ、とのお墨付きをいただく。

6月1日(土)屠内科クリニックへ。生薬が飲みにくいことを伝えると、少しでも飲みやすい飲みかた、煎じ方を工夫していい、とのこと。でもこのあと、夜の分をもどしてしまった。
先生は、気長にいきましょう、といってくださる。

在宅介護に向けて介護認定をとったり、合間に鍼、オステオパシー、ホスピス見学、中島医院、屠内科と、忙しい。

鍼は合計3回行ったんだけど、ちょっと身体に負担だった。痛み抑えがオステオパシーや薬で済むなら、鍼はあんまり行かないかもしれない。

こうしているあいだに、介護認定の手続きがすすみ、暫定的な決定で利用できることになった。末期がんだったら暫定はすぐ決まるそうだ。

4日には介護ベッドが入った。これも、旦那をはじめ、片付けに来てくれた友達のおかげ。
お手伝い、お見舞と、この10日くらいで友達が…延べ20人。みんなありがとう。
遠いところにいても、電話をくれたりメールをくれたり。

今はですね。
ほとんど横になってる。

頻脈ぎみなので、トイレに歩いていったあとは酸素吸入をしてる。
肝臓が腫れて胃を圧迫しているので、あまり食べられないようだ。その分、回数を増やすようにしている。

気がかりなのは、生薬がだんだん飲みにくくなっていること。母親、長崎の両親に言っていないことだ。

庭に咲いているマッカートニー・ローズ

mccartneyrose


yoshiko_sheila at 18:52|PermalinkComments(10)TrackBack(0)

2013年05月27日

西洋医学で打つ手がなくても

昨日、日医大で診察があり、主治医に厳しいことを言われた。

AST 506、ALT 174、LD 873、γ-GPT 1415と、これ以上は高くならないほど悪い数値だそうだ。
マーカーは、NCC-ST-439 175.0、CA15-3 102.7、CEAは今回のはまだわからず。

CTを撮らないと確定はしないが、がんのせい以外考えられない。
肝臓が耐えられる状態ではないので、抗がん剤はできない。ホスピスの予約を急いだ方がいい。こんなに急に悪くなるとは予測できなかった。お力になれず、と謝っていただいた。

できるだけ家にいたい、って言ったら、介護士に来てもらい、
訪問看護を受けないと難しいでしょう、って。ホスピスじゃなくて病院でもいいけど、あまりいい環境じゃないです、って。

家でいきたいけど、家族に負担かけるし、
あまり身体が苦しいのも怖いし、ホスピスでもいいかな、って気も少ししてきた。でもね、人一倍寂しがりなんです…。

さすがに、最悪に備える時がきてしまったらしい。いままで、
主治医などに「最善を期待し最悪に備え」てね、と言われても、旦那と「長生きするんだもんね~」と最悪のことは考えないようにしてきたが、そんな悠長なことは言ってられないようだ。

…と、ここまでは、闘病もいよいよ終わりに近づいた人の話。
ここからは、まだまだ終わらせたくないっていう話。

旦那をはじめ、
一緒に長生きしようって言ってくれる人たちがいるから。私の命を大事、って言ってくれる人たちがいるから。

屠先生に、漢方の生薬を処方していただいた。
これには二つの効能があり、一つは体力、西洋医学で言う免疫力を高めることと、もう一つはがんを溶かす効果と、とおっしゃる。

「がんを溶かす」って、
正直そんな成分が分かっているならとっくに広く使われているんじゃないの、と一瞬思った。だがさらに聞くと、私のような状態で来院する人も多いが、軽快した人もいます、とはっきりおっしゃる。

そしてなんと、抗がん剤の専門家である日医大の主治医ですら、今の私の状態なら、抗がん剤よりも漢方の生薬のほうが希望が持てます、と言っていた。

屠先生は、都立病院の医長もされていた、
西洋医学のれっきとした医師でもある。その医師が、まだ漢方で打つ手がある、とおっしゃっているのだ。信じてみよう。生薬はすぐ処方していただき、吉祥寺の専門の薬局で電気式の煎じ器と一緒に入手してきた。25日夕方から飲んでいる。

備えの方は、今日駆けつけてきてくれた大学時代の友だち3人が、
1階のリビングにベッドを置けるよう片付けをしてくれた。ほとんど、私の恥ずかしい私物の整理だったんだけど、もう、甘えまくってしまった。

在宅看護については、明日、ヘルパーをやっている友だちが来て、
相談にのってくれる。

1カ月前になったら自分でわかるものだ、
と主治医はおっしゃった。私はほぼそう言われた今でも、まだそんな気がしない。鈍いだけかもしれないけど^^; 備えはできる限りしよう。まだ希望を持ちながら。


yoshiko_sheila at 08:50|PermalinkComments(6)TrackBack(0)