この本の著者は澁澤榮一。言わずと知れた「日本資本主義の父」ですね。去年の大河ドラマの主人公でした。自分は大河ドラマはあまり見ないのですが、これはなかなか面白くみました。澁澤は武州血洗島の百姓の出ですので、藍玉農家の様子が描かれていて興味深かったです。
この本は昭和12年(1937)11月11日に岩波書店から発行されました。自分はもちろん古本屋で買いました。「謹呈 澁澤敬三」という短冊が入っていました。もちろん栄一の孫で大蔵大臣になった人物です。民俗学でも著名です。網野善彦さんの本によく出てきていました。
さて内容ですが楽翁とは松平定信の号です。当然彼の伝記が書かれています。澁澤榮一は明治初年に東京市養育院の責任者になりますが、この養育員の資金として定信が設置した町会所で積み立てたお金が使用されたのです。澁澤はそれで定信に興味を持ったようです。
自分がこの本で一番興味を持ったのは以下の定信のエピソードです。定信は浄瑠璃・長唄を嗜む藩士には自分の前でそれを上演させて、どんなにうまくても追放したというものです。
定信がぜいたくを嫌ったことは有名です。ぜいたくは奢侈とか風流とか言われました。風流は今日ではむしろ典雅な感じのする言葉ですが、定信は派手な流行のような意味で使用しています。風流踊りの風流ですね。定信はそれよりも質素倹約を尊んだわけです。
今日江戸時代の藩主たちが質素倹約を尊んだことはよく知られています。しかしそれは当然のこととはいえないでしょう。荻生徂徠も質素を尊んだのですが、彼の場合は「良質な商品は少ない。粗悪な商品は多い。良質な商品は少数の身分の高い人間のもの。悪質な商品は多数の庶民のもの。このバランスが大事」と言っています。ですから徂徠の構想では質素倹約は庶民が行なえば良いことで君主は必ずしも行なう必要はないのです。17世紀は藩主クラスの身分的上位者はむしろ衒示的消費を行なって経済を廻すことを求められていたと言っていいでしょう。
でもそれならばなぜ19世紀に近づくと定信のような君主まで質素を追求するようになるのでしょうか。これは愚問でしょうか。その答えは財政難の折、支出を削減しなければならないからに決まっているということになるからです。
確かにそれは無視できないことです。ただ質素倹約以外に方法はなかったのでしょうか。今日のリストラのように藩士たちを次々に放逐してしまえば支出を削減できるのではないでしょうか。自分もすべての藩について知っているわけではありませんが、藩士の大量首切りは一般的とはいえないでしょう。各藩とも藩士の知行を半減するなどのことはよく行ないましたが、「解雇」はあまりなかったのではないでしょうか。
これは藩の性格が変わったからです。江戸時代初期には藩主に忠誠心を持っている家臣はせいぜい下級武士までです。足軽のような武家奉公人や陪臣は藩主に忠誠心などは抱かなかったでしょう。「主の尊きは知れども、主の主の尊きは知らず」というところです。しかし19世紀には藩全体が主君に対する忠誠心を要求されました。忠誠心を要求される以上「解雇」はあり得ません。それが身分制社会です。
藩全体が忠誠心を要求される以上、藩主の位置づけも変わってきます。全藩士の規範的存在として主君は存在することになります。当然全藩士の忠誠心の対象となれるような論理が要求されます。このような藩の変質をここでは「藩の身体化」といっておきます。
定信の場合それは「誠」だったようです。誠は朱子学の四書の一つ『中庸』で強調された概念で「誠は天の道」とされます。例えば孝という行為も誠がなければ真の孝にはならないとされます。まあ、真心のようなものですね。
ですから誠は誰にでも実践可能です。定信は誠を実践しているかどうかを質素倹約を行なって、風流奢侈に陥っていないことで判断したようです。とてもわかりやすいですね。上記のように誠は朱子学の影響が大きい言葉ですが、「藩の身体化」によって始めて朱子学は支配イデオロギーとしての背景を備えたといっていいでしょう。
それで質素倹約ですが、定信は領民統治にも用いていました。所謂風俗取締令です。臣下と領民を同一な基準で統治しようとしたことはもっと注目されていいことです。定信は江戸時代で定められた領民の統治理念を可能な限り積極的に位置づけました。「仁政」を最大限拡大させたわけです。これは封建君主として評価されるべきことです。
一方民衆が自己の生活空間を快適化させていこうという主体的な行為はまったく認めませんでした。それは風流な行為と認識したからです。彼は錦絵などただの奢侈としか認識していません。後世の美術史家からみればまったくの無知です。民衆の主体的な活動は自分が認めている「誠」に基づいているかどうかが基準だったのです。ですから風俗取締令は今日からみると庶民文化弾圧令のように感じるのです。
話を戻すと浄瑠璃や長唄など今日の目からみればとても情緒的なものに思えます。定信も心は良く理解しています。何しろ源氏物語の大ファンですから。しかし源氏物語の恋は誠の感情で理解できます。人間の本質の問題と捉えることができるわけです。
しかし浄瑠璃や長唄の恋はもっと不条理です。近松の作品は経済原理か人間原理かで悩み、自滅していく人間の業の深さを描いています。定信にいわせれば人間原理に決まっていて悩む必要などないわけです。そうすると浄瑠璃の下世話な部分だけが印象に残るわけです。それがあることは事実です。つまり浄瑠璃や長唄の作品は「商品」です。定信はそのいやらしさを認めなかった。
自分は定信は市民社会に形式を与えた人物だと評価しています。それまでの支配者は民衆統治の場合、公法的な民衆、つまり成人男子の家長をターゲットにしていました。しかし彼が展開した風俗取締令は女性や子どもも対象になります。これはもちろん否定的な評価ですが、統一的に対象にしたことは事実です。このことは近代国民国家を考える場合逸すことができない事実です。しかし定信は民衆生活とは何かということは遂に理解できなかった人物なのです。