震災で壊滅、宮城の養殖銀ザケ「再生」のゆくえ

20130528-00010001-wordleaf-000-1-view宮城県が全国の9割を占める養殖銀ザケの出荷が進んでいる。2011年3月の東日本大震災で壊滅した養殖施設はその年のうちに早くも再建し、昨年は水揚げまでこぎつけた。しかし価格暴落という新たな課題に悩まされた。復興は補助金頼りの面もあり、早期自立に向けた模索が続く。

 春の陽光を浴びる前の早朝3時、宮城県女川町の穏やかなリアス式海岸を、船が離れた。10分ほどで、網で囲われたいけすに着く。内海なので船の揺れは少ない。

 漁師が網をたぐり寄せると、次第に銀ザケが海に顔を出し、バシャバシャッと跳ね上がった。銀ザケを一気に船上に引き上げると、漁師の顔が次々とほころんだ。

 宮城県の銀ザケ養殖は1976年に始まった。稚魚の育つ水温など環境が最適で、一大産地になった。出荷は例年3〜8月ごろで、1.5〜2キログラムまで成長した銀ザケが広くスーパーや飲食店に運ばれる。冷凍の輸入品と違い、刺身など冷蔵状態で届けられる強みがある。

水揚げ再開も価格が暴落

2011年3月の出荷直前、県内の養殖施設や船、工場など全てが流された。しかし再建の出だしは早かった。主要因は水産庁の補助金「がんばる漁業・養殖」だ。人件費など事業経費が補助され、収穫が赤字でも国が9割を負担する。同年秋には養殖施設を替え、翌2012年度は約9400トンを水揚げした。復旧率は震災前年比約64%で、1〜3割の復旧率だったノリやカキを大きく上回った。

 しかし思わぬ事態を招いた。銀ザケの平均単価が例年の半値ほどに暴落した。宮城県漁協によると、震災で需要の高まりを見込んで南米チリの輸入銀ザケが大量に入る一方、国内産の出荷が「予想外」に回復した。さらに風評被害の影響もあり、供給過剰になったという。その結果、金額ベースでは昨年度、震災前年比で3分の1程度の回復にとどまった。

 今年について漁業関係者は、「円安でチリ産の輸入コストは高く、国内産は使われる。昨年ほど暴落はしない」と分析する。

震災後、変わる流通構造

水産庁の補助金の目的である「早期再開」と「生産量の回復」は進みつつある。しかし養殖業の安定には依然として厳しい状況だ。

 地元の水産業者は「震災後、流通構造が変わった」と話す。チリ産より国内産は一般的に高い。しかし昨年、チリ産がスーパーなどに多く流通し、安価になった国内産が格下の加工品に回る「逆転現象」も起きたという。また、一部の業者が安値で契約した影響で、全体の相場が低くとどまる傾向もあったという。

 水揚げの受け皿となる加工業者は「変革」への意欲を示す。銀ザケ養殖再開にあわせて昨年4月に工場を再建した、ヤマホンベイフーズ(宮城県女川町)の山本丈晴専務は「養殖は飼料代など費用がかかる。競りでなく、費用に見合った価格で漁師と相対取引を増やしていくべき」と話す。別の加工業者は「スーパーとの取引のみだったり、漁師も市場に卸すだけでは生き残れない。消費者と直接つながる必要がある」とネット通販への関心を示した。