2017年11月18日

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続いては、11月12日に、東急電鉄池上線の蒲田駅で撮影した、生活名所池上線のヘッドマーク付きの1000系1500番台の1501Fによる五反田行きです。

1501Fは、1988(昭和63)年12月26日のデビューの時から2013(平成25)年3月15日まで、東横線(日比谷線直通列車)で活躍していた1001Fの8両のうちの3両(1,3,8号車)から改造された編成であり、五反田、多摩川寄りの先頭車の電動化(クハ1000番台→デハ1500番台)も行われています。

当然のことながら、中間車(デハ1600番台)のVVVFインバータ装置の更新も行われていたし。

外観の帯の色や内装は、新7000系と同様であるけど、戸袋部に三日月模様(抹茶クロワッサン)があることが特徴であります。

薄い木目調の化粧板がお気にいりであるし。

1500番台が池上線や東急多摩川線で再デビューしたのは、2014(平成26)年5月10日のことであり、同年5月31日に蒲田から多摩川まで、1503F(旧、1003F)に初めて乗りに行っていました。

当時は、京急大師線で1501Fによる赤札号を追っ掛けていたけど、自分(しゃもじ)は、同年11月のさゆみんこと道重さゆみ氏の卒業を待たずに河口湖ステラシアターで行われていたモーニング娘。'14(当時)のコンサートや、富士急行線で運転されていたモーニング娘。'14のヘッドマーク付き電車の追っかけに行かずに、京急大師線や東急多摩川線の追っ掛けに行っていました。

当時は、その直前からの握手会でのしゃもじ着用(しゃもじスタイル)禁止令の影響により、アイドルグループの1推しがモーニング娘。'14から鉄道アイドルステーション♪に移行されつつあった時であったし。

日比谷線直通で活躍していた1000系の1500番台化は、1001,1002,1003,1004,1005,1007,1008Fの、7編成であり、1006Fが先頭車を含めた一部の車両が伊賀鉄道(三重県)に譲渡された絡みにより、1506Fが欠番となっています。

昨年12月12日には、1993(平成5)年に唯一編成単位で導入されていた1000系の最終増備車である1024Fから改造された1524Fも加わっているけど、種車の1024F時代と同様に、Mc車(電動制御車)が蒲田寄りに来ているので、既存の7編成との違いがあります。

新7000系は、Mc車が五反田、多摩川寄りに来ているし。

一昨年6月に廃車となった7902Fの蒲田寄り先頭車だったデハ7702号車の前頭部は、西武鉄道2000系のクハ2098号車や京急800形のデハ812-6号車の前頭部と共に、池袋にある藤久ビル東5号館(丸善池袋店)で、方向幕に戻された状態で展示されています。

昨年9月まで池袋線系統一筋で活躍していた、西武2097Fは、8両のうちの2両が試作VVVF車となっていたし。

生活名所池上線のヘッドマークは、1501Fに取り付けられており、運用の都合上、東急多摩川線にも使われることもあります。

生活名所池上線キャンペーンは、その名の通り沿線に生活名所が沢山あるから行われているし。

この画像には、ディズニー(Disney)のスタンプラリーの広告が映っているので、今日(11月18日)が、ディズニーのメインキャラクターである、ミッキーマウス(ミッキー)の誕生日であることのネタにもなりました。

ミッキーマウスは、今から89年前の1928年(日本で言う昭和3年)11月18日にアメリカで公開されていた短編映画である「蒸気船ウィリー」でスクリーンデビューしていたので、11月18日がミッキーマウスの誕生日となっているし。

このように、東急池上線の蒲田駅で、生活名所池上線ヘッドマーク付きの1501Fを撮影することが出来て良かったです。














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2017年11月17日

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11月12日は、蒲田から多摩川まで、東急電鉄多摩川線(東急多摩川線)の1000系1017F(T.K.K.スタイル、きになる電車)による多摩川行きに乗りました。

きになる電車は、1951(昭和26)年から1966(昭和41)年までの間に初代3000系(デハ3450形)に施されていた紺色と黄色のツートンカラーが復元され、内装のほうも、きになる(木になる)電車らしく、濃い木目調となっており、木の吊革が使われています。

きになる電車が登場したのは、昨年3月28日のことであり、同年12月1日に木になるリニューアルが行われていた池上線の戸越銀座駅とのコラボレーションもあります。

きになる電車に初めて乗ったのは、昨年5月5日の池上線の蒲田→五反田間のことであり、その前に多摩川から蒲田まで、7700系の7914F(歌舞伎顔編成)で移動したことを覚えています。

東急1000系は、1988(昭和63)年から1993(平成5)年に掛けて、日比谷線直通専用8連8本、日比谷線直通・目蒲線兼用(1000N系)8連2本、池上線・東急多摩川線用(1000N’系)3連11本の計113両が導入されていました。

車体は、当時増備が進められていた9000系(現在は大井町線で活躍中)がベースとなっているので、9000系の3ドア18mバージョンでもあります。

こうなったのは、当時直通運転が行われていた営団地下鉄→東京メトロ日比谷線で、3ドア18mの8両編成しか入れなかったことの影響であるし。

日比谷線直通で営業運転が開始されたのは、1988年12月26日のことであり、当時は、1001F(現在は東急多摩川線、池上線用の1501Fとなっている)の1編成だけでありました。

1002Fは、昭和64年(1989年の1月1日から1月7日までの間)に落成していた為に、東急車輛 昭和64年の銘板があったけど、1502F化により失われています。

小田急電鉄の1000形1252Fも昭和64年に落成した車両(こちらは日本車輌製)として有名であり、日本車輌 昭和64年の銘板がありました。

こちらは、リニューアルされたと共に、1052Fとドッキングされた10両固定の1096Fとなった為に、昭和64年の銘板が見られなくなっているし。

これによって、1991(平成3)年までの間に、日比谷線直通で活躍していた初代7000系の全てが置き換えられていました。

日比谷線直通で活躍していた1000系のうち、1990(平成2)年に導入された1010+1011Fと1012+1013Fは、目蒲線での4両編成としても使えるように4+4の8両編成となっていたけど、目蒲線で使われた時にはどちらかが正面に貫通ドアのある顔つきとなっていました。

現在は最初に日比谷線直通から撤退していた1012Fと1013Fがそれぞれ3両化された上で正式に池上線、東急多摩川線用となり、正面に貫通ドアのある先頭車が1013Fに纏められています。

1010Fと1011Fに関しては、1006Fと共に先頭車を含めた一部の車両が200系として伊賀鉄道(三重県、旧近鉄伊賀線)に譲渡されていたし。

伊賀鉄道は、近鉄の南大阪線系統や近鉄養老線(現、養老鉄道養老線)と同様に、1067mmの狭軌であり、近鉄時代は伊賀神戸(いがかんべ)駅で接続する近鉄大阪線(こちらは1435mmの標準軌)との違いが表れていました。

伊賀鉄道の車両が200系に置き換えられるまでの間は、近鉄から継承された860系が使われていたし。

伊賀神戸駅の神戸は、こうべではなく、かんべと読むので注意が必要となります。

このことは、わたらせ渓谷鐵道のわたらせ渓谷線の神戸駅(群馬県みどり市、元東武鉄道1720系DRCの中間車が使われたレストラン清流のある駅)で、こうべではなく、ごうどと読むことと同様であります。

1989(平成元)年3月29日にわたらせ渓谷鐵道に転換される前(国鉄→JR足尾線の時代)は、兵庫県にある神戸(こうべ)駅と区別する為に、神土駅と呼ばれていたし。

1991年には、目蒲線で7700系化の対象から外された初代7000系の置き換え用として、1000系の1014〜1018Fが導入され、翌年の1992(平成4)年に池上線での車両限界拡幅工事が完了するまでの間、目蒲線(4両編成)で暫定的に使われていました。

池上線の車両限界拡幅工事が完了してからは、1018〜1023Fの先頭車と、最終増備車であった1024Fが導入され、1014〜1018Fが本来の3両編成となって池上線に移され、7200系とのトレードが行われていました。

1014〜1018Fの中間車のうちの1両(デハ1219〜1223号車)は、1018〜1023Fに組み込まれていたし。

これにより、池上電気鉄道の時代の1930(昭和5)年6月に導入されたデハ200形(玉電の200形とは別)以来63年ぶりに導入された池上線の新車として話題になっていました。

初代3000系列全廃後の1989(平成元)年3月から1993(平成5)年までの間の池上線は、7200系または7600系が当たり前となっていたし。

1986(昭和61)年6月まで目蒲線で活躍していた青ガエルこと初代5000系が池上線で使えなかったのはやはり、車両限界の絡みでありました。

初代5000系が吊り掛けモーターの非冷房車だった初代3000系列(デハ3450形)よりも先に東急線から全廃されていた理由は、直角カルダン方式で非冷房車だったことに加え、地方私鉄への譲渡の依頼があったからであります。

地方私鉄に譲渡された初代5000系のうち、熊本電気鉄道(熊本県)に譲渡された車両(5000系改め5000形)が最後まで活躍していたけど、元営団地下鉄→東京メトロ銀座線で活躍していた01系改め01形の導入により、昨年2月14日をもって営業運転から離脱されていました。

現在は最後まで活躍していた5101A(元東急デハ5031)号車がイベント用として北熊本駅構内(車両基地)で動態保存されています。

1986年から2000(平成12)年まで松本電鉄(現、アルピコ交通)上高地線(長野県)で活躍していた元東急初代5000系改め5000形のうち、5005+5006(元東急デハ5055+5048)号車が東急時代の青ガエル塗装に戻された上で新村車庫で静態保存されているし。

2007(平成19)年から2008(平成20)年に掛けて新7000系の7101〜7104Fが導入された時に1000系1014,1015,1016,1018Fが、2両化された上で上田電鉄別所線(長野県、東急グループ)に譲渡され、元東急の7200系が置き換えられていました。

上田電鉄では、東急1000系の1005Fに連結されていたデハ1305号車とデハ1255号車から改造された6000系(さなだどりーむ号)もあり、7200系の7255F(元東急7258F、まるまどりーむ号)が残されています。

1993年に7200系が入ってくる前は、元東急の初代5000系や5200系が使われていたけど、廃車後には、5001号車は、東京渋谷のハチ公口(カットボディの待合所)、5201号車は製造元である東急車輛製造→総合車両製作所横浜事業所、5251号車は下之郷車庫でそれぞれ静態保存されているし。

2008年10月26日に自分(しゃもじ)が上田電鉄別所線に初めて乗りに行った時には、行きが7255F(まるまどりーむ号)、帰りが1002F(元東急1018F、自然と友だち1号)に当たっていました。

1017Fは、1991年に目蒲線に暫定的に配置された1000系の5編成で唯一残された編成となっています。

多摩川駅は、多摩川園駅時代の1994(平成6)年11月に地下化される前は、同時期に地下化された田園調布駅と同様に、西側に東横線、東側に目蒲線が入っていました。

地下化された当時は、田園調布〜多摩川園(現、多摩川)間で、暫定的に連絡線が使われていたし。

東急池上線で、五反田〜旗の台間で品川区、長原〜蒲田間で、大田区を通っているけど、東急多摩川線では、全区間大田区を通る路線となっています。

目蒲線の時代は、大田区に加え、品川区、目黒区、世田谷区も通っていたし。

1017号車は、ハイスピ(HIGHSPIRITS)のゆきのんこと千葉憂紀乃氏(北海道出身の道産子)の誕生日の番号であります。

1017Fは1017+1217+1317号車である為に、昨年4月16日までステーション♪で活躍していたかなちゃの誕生日の番号である1117番は欠番となっているし。

かなちゃは、17回目の誕生日を迎えたのであります。

今日は17日ということで東急多摩川線の1017Fを話題にしました。

11月17日は、TOKIOの最年長のリーダーである城島茂氏の47回目の誕生日でもあります。

TOKIOということで、2003(平成25)年10月1日の東海道新幹線(JR東海)の品川駅開業の時にリリースされた、そのCMソングである「AMBITIOUS JAPAN!」を思い出します。

2014(平成26)年11月17日に自動車の世田谷ナンバー(世田谷区のご当地ナンバー)が導入されてから3年経ちました。

東急池上線沿線は品川区、大田区共に品川ナンバーの地域であるし。

品川ナンバーは、東京陸運支局の本庁舎が品川区(東大井)にあることが由来であります。

伊豆諸島(大島、八丈島等)や小笠原諸島を走る車も、大都会のイメージの強い品川ナンバーとなっていることで違和感があるし。

品川駅は、品川区ではなく、東京都港区にあるので注意が必要であります。

杉並区のご当地ナンバーである杉並ナンバーも3周年を迎えていたし。

現在東横線で活躍している新5000系の5122Fには青ガエル風のラッピングが施されており、それにはT.K.K.の表示もあります。

現在日比谷線では、東京メトロは03系から13000系へ、東武鉄道(乗り入れ車)が20000系列から70000系(どちらも4ドア20mの7両編成)に順次置き換えられることになっているけど、東急線と日比谷線との直通運転が廃止された為に東急側では幻となっています。

東急電鉄での4ドア20m車の7両編成は、大井町線の急行で実現していたし。

このように、東急多摩川線でも1017F(きになる電車)に乗ることが出来て良かったです。

よしちゃん@しゃもじyosiltdexp_mse60000 at 16:06│コメント(0)大手私鉄 | 鉄道乗車記

2017年11月16日

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こちらは、11月12日に、東急電鉄の蒲田駅で撮影した、新7000系のトップナンバーである7101Fによる東急多摩川線の多摩川行きです。

東急新7000系は、東急新7000系は、2007(平成19)年から2011(平成23)年に掛けて3両編成7本導入された、新5000系列(元をただせばJR東日本のE231系)ベースの3ドア18m車(3両編成、東急多摩川線と池上線(池多摩)用の車両)で、1986(昭和61)年まで活躍していた青ガエルこと初代5000系や、1969(昭和44)年まで玉電で活躍していたデハ200形(ペコちゃん、現在は204Fが、宮崎台にある電車とバスの博物館で展示されている)がイメージされた丸みを帯びた前面(可愛い系)が特徴であり、自分(しゃもじ)にとってお気に入りの車両であります。

デビューしたのは、2007年12月25日(クリスマス)のことで、7101Fと7102Fの2編成しかなかったことにより、捕まえるのが困難でありました。

2008(平成20)年に7103Fと7104Fが、2009(平成21)年に7105Fが、2010(平成22)年に7106Fが、2011年に7107Fが導入されて現在に至っているけど、今年になってからは、7700系の残りの置き換え用として導入が再開され、一昨日(11月14日)から昨日(11月15日)に掛けて、7108Fと7109Fが、逗子(総合車両製作所横浜事業所)から長津田まで甲種回送されていました。

2本繋がれた双子のような状態で輸送されたのは、2008年の7103+7104Fの時以来9年ぶりだったし。

今から丸10年前の2007年11月16日は、新7000系の7101+7102Fが長津田に到着していました。

12月25日には、営業運転入りしてから早いもんで10年経とうとしています。

当初の予定では、2011年度までに19編成導入されて、7700系、7600系の全てと1000系の一部が置き換えられる予定となっていたけど、副都心線直通に伴う東横線への5050系の導入が優先されたことや、2013(平成25)年3月16日に東横線と日比谷線の直通列車が副都心線直通と入れ替わりに廃止されたことに伴い、1000系が余っていたことにより、2011年の7107Fの導入をもって中断されていました。

日比谷線直通で活躍していた1000系8両固定編成の8編成のうち、先に運用離脱され、伊賀鉄道伊賀線(三重県、旧近鉄伊賀線)に譲渡されていた1006Fを除いて、先頭車を含めた3両が1500番台に改造されて東急多摩川線、池上線に転用されたことで7700系や7600系が置き換えられていました。

近鉄伊賀線(伊賀上野〜伊賀神戸(いがかんべ)間)が、伊賀鉄道に、近鉄養老線(桑名〜大垣〜揖斐間)が養老鉄道にそれぞれ移管されてから10月1日で10年経ったけど、奇しくも移管された日(2007年10月1日)が郵政民営化と同じ日でありました。

7600系(7200系からの改造車)に関しては、一昨年2月10日をもって最後を迎えていたけど、最後まで残されていた7601Fが歌舞伎顔から7200系の登場当時のクラシックスタイルに戻されていました。

同年2月7日にイベントが行われ、それを撮影したことを覚えています。

7000系のトップナンバーだった7001Fから改造された7700系の7910Fも、2012(平成24)年4月から、池上線開業90周年記念として赤帯が外されたクラシックスタイルとなっていたけど、2014(平成26)年5月に廃車となるまでそのままとなっていました。

現在残る7700系の6編成(7901,7903,7905,7906,7912,7914F)のうち、最古参なのは、7023Fから改造された7903Fであり、1963(昭和38)年に製造されていたし。

東急多摩川線は、2000(平成12)年8月6日に、これまでの目蒲線(目黒〜蒲田間)の分割(目黒〜多摩川(旧、多摩川園)間は目黒線に継承)によって出来た路線であり、西武鉄道の多摩川線(武蔵境〜是政間、西武では多摩川線が正式名称である)や、かつて存在した東急玉川線(玉電)と区別する為に、多摩川線ではなく、東急多摩川線が正式名称となっています。

こちらは、西武鉄道で西武秩父線や西武有楽町線が正式名称となっていることと同様であり、前者は、秩父鉄道の秩父線と区別することはもちろんのこと、西武秩父へと向かう路線であることがアピールされています。

西武有楽町線(東京メトロ副都心線経由で東急東横線にも続いている)も、営団地下鉄→東京メトロ有楽町線と区別する為に西武が付く路線となっているし。

7700系を除いた東急多摩川線の車両のLED表示では、東急多摩川線ではなく、多摩川線と表示されています。

東急目蒲線では、1989(平成元)年3月から、2000年8月4日までの間、7000系→7700系または7200系の4両編成が使われていたけど、1000系も使われていたこともありました。

当時鵜の木駅では、目黒寄りの1両がドアカットされていたし。

2000年8月6日に東急多摩川線として独立してからは、ワンマン化されて池上線と共通の3両編成(雪が谷検車区の本区(雪が谷大塚)所属)が使われるようになったことで、3両編成に戻されていました。

7月3日から8月5日までの間には、準備により3両編成での目黒〜蒲田間での運転が行われていたので、目蒲線の末期に3両編成が復活していたし。

目蒲線で使われていた車両は、奥沢検車区→雪が谷検車区奥沢班(奥沢車庫)所属で、奥沢がベースとなっていました。

現在奥沢車庫は、元住吉検車区管理による目黒線の車庫となっているし。

因みに東急世田谷線の上町車庫は、雪が谷検車区上町班であり、以前は上町検車区→長津田車両工場上町班→長津田検車区上町班と呼ばれていました。

東急多摩川線の路線

多摩川〜沼部〜鵜の木〜下丸子〜武蔵新田〜矢口渡〜蒲田

多摩川駅では地下ホーム(5,6番線)からの発着となります。

東急池上線の路線

五反田〜大崎広小路〜戸越銀座〜荏原中延〜旗の台〜長原〜洗足池〜石川台〜雪が谷大塚〜御嶽山〜久が原〜千鳥町〜池上〜蓮沼〜蒲田

地下にある駅、荏原中延、長原

乗換駅

多摩川 東急多摩川線⇔東横線(横浜駅からはみなとみらい線元町・中華街まで、渋谷駅からは東京メトロ副都心線経由、東武東上線または西武池袋線へ直通運転)、目黒線(目黒駅からは東京メトロ南北線経由埼玉高速鉄道線または都営三田線へ直通運転)

五反田 JR山手線、都営浅草線

旗の台 池上線⇔大井町線

蒲田 東急多摩川線⇔池上線、JR京浜東北線

東急多摩川線と池上線の蒲田駅は、降車専用ホームのある5面4線の駅であり、地上時代の東横線の渋谷駅や、阪急電鉄の梅田駅(京都本線、宝塚本線、神戸本線が乗り入れているターミナル駅)と雰囲気が似ています。

エンド側の車止め部分に花壇があることも共通しているし。

東側の1,2番線は池上線、西側の3,4番線は東急多摩川線の乗り場となっており、朝夕の出入庫に伴う池上線⇔東急多摩川線直通列車の場合は、2番線発着となります。

現在の東急多摩川線(旧、目蒲線)の路線は、1923(大正12)年3月11日に、前身の目黒蒲田電鉄目黒線として、目黒〜沼部間が開業したのが始まりであり、同年11月1日に沼部から蒲田まで延長されて目蒲線となっていました。

2000年8月6日に、目蒲線が目黒〜多摩川〜武蔵小杉間の目黒線、多摩川〜蒲田間の東急多摩川線として分離されてからは、目黒線の路線名が復活していました。

一方の東急池上線は、1922(大正11)年10月6日に、池上本門寺の参拝客輸送の為に、池上電気鉄道によって、蒲田〜池上間が開業したのが始まりであったので、目蒲線→東急多摩川線と生い立ちが異なる路線であることが分かります。

翌年の1923(大正12)年5月4日には、池上〜雪ヶ谷(現、雪が谷大塚)間が、1927(昭和2)年8月28日に、雪ヶ谷〜桐ヶ谷間、同年10月9日に、桐ヶ谷〜大崎広小路間がそれぞれ開業し、翌年の1928(昭和3)年6月17日には、五反田まで延長されたことにより、現在の池上線の路線が出来上がっていました。

桐ヶ谷駅は、大崎広小路〜戸越銀座間にあった駅であり、1945(昭和20)年7月に休止、1953(昭和28)年8月に廃止されていました。

当初の地下鉄乗り入れ計画では、桐ヶ谷駅を復活させ、そこから泉岳寺方面への都営三田線への連絡線路を通すことになっていたけど、目黒経由に変更された為に、東武鉄道による和光市〜高島平間の連絡線(東武高島平線計画)と共に幻となっています。

池上電気鉄道は、1934(昭和9)年10月1日に目黒蒲田電鉄に吸収合併され、後に東急のものとなっているし。

雪が谷大塚駅は、1933(昭和8)年6月1日に、これまでの雪ヶ谷駅と、1927年8月に開業した調布大塚駅との統合により出来た駅であり、統合当時は、雪ヶ谷駅と呼ばれていました。

1943(昭和18)年12月に雪ヶ谷大塚駅となったことを経て、
1966(昭和41)年1月20日に現在の雪が谷大塚駅となったけど、当時は、東急線で、ヶの付く駅で、がの表記に、ノの付く駅で、のの表記にそれぞれ変更された時でありました。

1928年10月5日から1935(昭和10)年10月までの間は、池上電気鉄道によって開拓された支線である、新奥沢線(雪ヶ谷〜新奥沢間)が出ていました。

こちらは、国分寺方面への延伸を見据えた路線であったけど、全長が1.44Kmしかなく、中間駅が諏訪分駅しかなかったことにより、利用客が少なかった為に僅か7年で廃止されていたし。

調布高等女学校(現、田園調布学園、現在でも女子校)のすぐ近くを通っていたので、女学校の生徒以外はほとんど使われていなかったです。

新奥沢駅(現在の世田谷区東玉川二丁目にあった駅)の跡には、新奥沢駅跡の碑が残されています。

同じ1928年4月7日に京成電気軌道によって開業し、1936(昭和11)年に廃止された京成白髭線(向島〜白髭間)も、似たような路線であり、僅か8年で廃止されていました。

京成白髭線は、当時の京成線と同様に、1372mmの馬車軌間の時代であった為に、白髭から三ノ輪橋まで延長され、王子電気軌道(現在の都電荒川線)と結ばれる計画もあったし。

東急線の蒲田駅は、開業当時は、目蒲線と池上線の乗り場が異なっており、目蒲線が並行、池上線が直角に配置されていたので、西武線の国分寺駅で、国分寺線が並行、多摩湖線が直角に配置されていることと同様となっていました。

1927年には、池上線の駅が目蒲線側に移転され、1940(昭和15)年に直角の位置に再移転、1968(昭和43)年10月29日に高架化されて現在に至っています。

今年は、池上線開業90周年という節目の年を迎えたことによりイベントが目白押しであり、大崎広小路までの延長開業から90年経った10月9日には、東急池上線1日フリー乗車券の無料配布により、無料(タダ)で乗れたことで話題になっていました。

自分(しゃもじ)は行かなかったけど、列車が満員になったことで大フィーバーとなっていたし。

7108+7109Fは、6年半ぶりに導入された編成であるので、仕様変更が行われていると思われます。

新7000系の増備が再開された理由は、日比谷線直通列車の廃止によって余剰となった1000系(1500番台の種車)の先頭車を使い果たしたことであり、その中間車は、福島交通飯坂線(福島県)への譲渡依頼があるのでそのはずであります。

福島交通飯坂線では、元東急初代7000系から元東急1000系への置き換えが進められているし。

このように、来月でデビュー10周年を迎える東急多摩川線と池上線の新7000系を話題にすることが出来て良かったです。




























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