2013年09月30日

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こちらは、一昨日(9月28日)に撮影した、青梅鉄道公園の0系新幹線の22-75号車の運転台です。

操作方式は、左手でブレーキ、右手でマスコンと、従来の電車と異なる点があります。

速度計(スピードメーター)は、横の表示のアナログ式で、年代物であることが分かります。

鉄道博物館とは違って、自由に座っても良いということでお子様にも大人気であるし。

0系の最高速度は、220Km/hとなっていたけど、開業当時は210Km/hで駆け抜けていました。

0系が東海道新幹線から撤退したのは、1999(平成11)年9月18日の東京発名古屋行きのこだま473号車のことで、こだま専用のY8編成が使われていました。東海道新幹線のこだま専用編成は、指定席が2&2シートとなっていました。

Y8編成の16号車に連結されていた22-2029号車は、1986(昭和61)年に日本車輌で製造された0系の最終増備車で、廃車後に豊川市の日本車輌豊川製作所内にあるメモリアル車両広場で静態保存されています。

ここには、名鉄で活躍していたモ811号車、四国で活躍していた日本車輌製の蒸気機関車の58623号機、上野モノレール(上野懸垂線)の初代車両(日本初の懸垂式モノレール、H形)も保存されているし。

東海道新幹線からの撤退後は、2008(平成20)年まで、100系と共に4両または6両の短い編成で山陽新幹線内の列車に使われていました。

0系の定期運用は、2008(平成20)年11月30日に運転された岡山発博多行きのこだま659号が最後で、R68編成が使われていました。

同年12月6,13,14日には、0系による臨時ひかり号(全席指定)が新大阪、広島〜博多間で運転されていたけど、12月14日に運転された新大阪発博多行きのひかり347号が最後となり、44年間の歴史に終止符が打たれていたし。

この列車は、途中岡山、広島、小倉のみ停車で、R61編成が使われていました。

0系最後の運転に使われていたR61編成のうち、博多寄りの先頭車(1号車)だった21-7008号車が神戸市兵庫区にある川崎重工業車両カンパニーの兵庫工場で、東海道新幹線開業前に初代こだま号で活躍していたボンネット車両である151(181)系のクハ151(181)-1号車と共に静態保存されています。

定期運用最終となったこだま659号や、最終運用の臨時ひかりの一部に使われていたR68編成の6号車に連結されていた22-7007号車は、吹田市にある吹田操車場跡地で静態保存される予定となっています。

このように、0系新幹線が団子鼻の丸型の顔で人気があったことが分かります。

今年3月15日を持って定期運用から離脱され、4月14日をもってラストランを迎えていた200系新幹線は、0系ベースの団子鼻の丸顔で豪雪や震災に耐えていたことで有名でした。

鉄道博物館に行けば、0系と200系を一同に見ることが出来ます。

青梅鉄道公園では、0系新幹線の運転台を撮影することが出来て良かったと思っています。


よしちゃん@しゃもじyosiltdexp_mse60000 at 11:05│コメント(0)トラックバック(0)JR | 鉄道の博物館

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