2013年09月

2013年09月30日

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昨日(9月29日)は、東武の浅草駅で、250系(200系で唯一のVVVF車)による特急りょうもう45号の伊勢崎行きを撮影しました。

特急りょうもう号は、浅草〜太田、赤城間の運用が中心で、館林、葛生、伊勢崎発着が1往復のみであり、伊勢崎発着は、伊勢崎、7時32分発の10号、浅草、20時40分発の45号となっています。

この列車は、2006(平成18)年3月18日の系統分割以降、浅草と伊勢崎の間を結ぶ唯一の直通列車で、途中、とうきょうスカイツリー、北千住、東武動物公園、久喜、加須、羽生、館林、足利市、太田、木崎、境町、新伊勢崎に停車しています。

東武伊勢崎線の新伊勢崎駅と伊勢崎駅は、10月19日に高架化される予定で、伊勢崎駅では、既に高架化されているJR両毛線部分と合わせて高架化切り替えが完了することになります。

250系は、1998(平成10)年に導入された200系のVVVFバージョン(3M3T)で、当時増備が進行していた30000系に準じたインバータ装置が搭載されています。

200系は、東武日光線系統の特急で活躍していた1700系や1720系DRC車の足回り品(オールM車、203〜206Fは座席も)が流用されていたけど、9編成分しか無かったので、やむ無く完全新製の250系が1編成導入されていたのであります。

こちらは西武10000系(特急NRA)の10112F(唯一のVVVF車でLED表示)と同じような関係で、10111F以前は、旧101系(701系の先頭車が電装化された3代目501系を含む)や5000系(初代レッドアロー)から足回り品が流用されています。

250系のほうは、207〜209Fと同様の外観(LED表示)だけど、5号車(モハ251-2号車)のパンタグラフが2基となっていることやボルスタレス台車が採用されていることが特徴となっています。

この251Fは、昨年12月2日に南栗橋車両管区で行われた東武ファンフェスタで展示され、重要部検査に入場していました。

この251Fには、2010(平成22)年9月25日に珍宝僧氏と一緒に東武動物公園から北千住まで乗ったことがあります。

東武の浅草駅は、1,2番線が4ドアロングシートの通勤型電車(区間急行、区間準急、普通)用、3,4番線が伊勢崎線と日光線の特急用、5番線が6050系(2ドアセミクロスシート車)による日光線直通快速、区間快速、区間急行用ホームで、4番線に止まっていたので、制限エリアではない5番線側から撮影しました。


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こちらは、一昨日(9月28日)に撮影した、青梅鉄道公園の0系新幹線の22-75号車の運転台です。

操作方式は、左手でブレーキ、右手でマスコンと、従来の電車と異なる点があります。

速度計(スピードメーター)は、横の表示のアナログ式で、年代物であることが分かります。

鉄道博物館とは違って、自由に座っても良いということでお子様にも大人気であるし。

0系の最高速度は、220Km/hとなっていたけど、開業当時は210Km/hで駆け抜けていました。

0系が東海道新幹線から撤退したのは、1999(平成11)年9月18日の東京発名古屋行きのこだま473号車のことで、こだま専用のY8編成が使われていました。東海道新幹線のこだま専用編成は、指定席が2&2シートとなっていました。

Y8編成の16号車に連結されていた22-2029号車は、1986(昭和61)年に日本車輌で製造された0系の最終増備車で、廃車後に豊川市の日本車輌豊川製作所内にあるメモリアル車両広場で静態保存されています。

ここには、名鉄で活躍していたモ811号車、四国で活躍していた日本車輌製の蒸気機関車の58623号機、上野モノレール(上野懸垂線)の初代車両(日本初の懸垂式モノレール、H形)も保存されているし。

東海道新幹線からの撤退後は、2008(平成20)年まで、100系と共に4両または6両の短い編成で山陽新幹線内の列車に使われていました。

0系の定期運用は、2008(平成20)年11月30日に運転された岡山発博多行きのこだま659号が最後で、R68編成が使われていました。

同年12月6,13,14日には、0系による臨時ひかり号(全席指定)が新大阪、広島〜博多間で運転されていたけど、12月14日に運転された新大阪発博多行きのひかり347号が最後となり、44年間の歴史に終止符が打たれていたし。

この列車は、途中岡山、広島、小倉のみ停車で、R61編成が使われていました。

0系最後の運転に使われていたR61編成のうち、博多寄りの先頭車(1号車)だった21-7008号車が神戸市兵庫区にある川崎重工業車両カンパニーの兵庫工場で、東海道新幹線開業前に初代こだま号で活躍していたボンネット車両である151(181)系のクハ151(181)-1号車と共に静態保存されています。

定期運用最終となったこだま659号や、最終運用の臨時ひかりの一部に使われていたR68編成の6号車に連結されていた22-7007号車は、吹田市にある吹田操車場跡地で静態保存される予定となっています。

このように、0系新幹線が団子鼻の丸型の顔で人気があったことが分かります。

今年3月15日を持って定期運用から離脱され、4月14日をもってラストランを迎えていた200系新幹線は、0系ベースの団子鼻の丸顔で豪雪や震災に耐えていたことで有名でした。

鉄道博物館に行けば、0系と200系を一同に見ることが出来ます。

青梅鉄道公園では、0系新幹線の運転台を撮影することが出来て良かったと思っています。


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2013年09月29日

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こちらは、昨日(9月28日)に撮影した、青梅鉄道公園の0系新幹線の22-75号車の車内です。

座席は現在の車両の普通車にも採用されている3+2配列で、開業当時からの転換クロスシートが並んでいます。

初期の転換クロスシートは、銀色と青色で、0系らしい感じの座席となっていました。

1981(昭和56)年から1986(昭和61)年に掛けて製造された2000番台は、東北・上越新幹線の200系に準じてマイナーチェンジされ、200系と同様の簡易リクライニングシートとなっていたので、1000番台までこの座席が採用されていました。

JR西日本に継承された0系新幹線では、延命に伴うリニューアル工事により、全席回転リクライニングシートとなっていたけど、1999(平成11)年9月18日をもってラストランを迎えていた東海道新幹線の0系(JR東海所属編成で、晩年はこだま号専用となっていた)では、自由席車の一部にこのような転換クロスシートが残されていました。

鉄道博物館にある0系新幹線の先頭車である21-2号車や、名古屋のリニア・鉄道館にある21-86号車も、このような転換クロスシートなので、当時の雰囲気を味わうことも出来るけど、リニア・鉄道館では、座席への着席が禁止されています。

新幹線の3人掛けの座席(トリプルシート)は、山形・秋田両新幹線を除いた新幹線の普通車のほとんどに採用されています。かつて日本エアシステム(JAS、現在は日本航空(JAL)に吸収合併されている)で活躍していたリアエンジンの飛行機(旅客機)であるDC-9シリーズ(MD-81,MD-87,MD-90を含む)も、新幹線と同様の3+2の座席配列となっていました。

青梅鉄道公園の0系新幹線では、運転台を含めた車内への立ち入りが自由なので入ることが出来て良かったです。


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昨日(9月28日)は、2007(平成19)年8月26日以来6年ぶりに青梅鉄道公園に行ってきました。

この時のメインは、1964(昭和39)年の初代東京オリンピックの開催に合わせて開業した東海道新幹線でデビューし、今から5年前の2008(平成20)年まで活躍していた、元祖新幹線の0系でした。

青梅鉄道公園で保存されている0系新幹線は、1969(昭和44)年に汽車製造(現在は川崎重工業に吸収合併されている)で製造された22-75号車で、K18編成として東京寄りに連結されていました。こちらは、翌年の1970(昭和45)年に開催されていた大阪万博輸送の為に増備された車両であったし。

1985(昭和60)年に引退した後、青梅鉄道公園で展示されるようになったけど、一時期東北・上越新幹線で活躍していた200系新幹線と同じ緑色となっていたこともありました。

やはり0系らしさを表す為に青色に戻されていたことも言うまでもないです。

さいたま市にある鉄道博物館で展示されている0系が屋内で展示されているのに対し、屋外の青空の下で展示されているのが特徴であります。

青梅鉄道公園は、1962(昭和37)年10月19日に、日本の鉄道開業90周年事業として、交通博物館(現在の鉄道博物館の前身)の分館として、青梅丘陵の東端にある永山公園の一角にある鉄道公園として開設されていました。この日は、ヤッターマンなどのタイムボカンシリーズでお馴染みのタツノコプロ(武蔵野市中町(三鷹駅付近)にあるアニメ製作会社)が設立された日と同じでした。今年3月までは国分寺市にあり、タツノコプロがあることで有名な街となっていました。

当時の青梅鉄道公園は、入場無料だったけど、1997(平成9)年の改修工事により有料化されていました。これにより、小学生以上100円の入場料が掛かるようになっています。

0系新幹線のある場所は、階段を下りたところであり、その車内に立ち入ることが出来るけど、夏場は暑くなるのでオススメ出来ない状態となります。

0系新幹線は、1964(昭和39)年から1986(昭和61)年までの22年間に、3216両が製造され、日本の高速輸送を大きく変えたことはもちろんのこと、オリンピック輸送や大阪万博輸送にも貢献していた車両でもあり、新幹線といえばやはりこれという状態でありました。

JR西日本では、100系と共にグレー系に緑帯という0系らしくない塗装に変更されていたこともあったけど、引退直前に元の色に戻されて良かったと思っています。

青梅鉄道公園には、0系新幹線のほか、8機のSL(蒸気機関車)、ED16形電気機関車、クモハ40形電車(旧型国電、40054号車)も展示されています。


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2013年09月28日

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今月21日は、東京駅丸ノ内南口バスターミナルから晴海埠頭まで、都営バスの都05系統(グリーンアローズ)の三菱ふそうエアロスター(深川自動車営業所所属のS-V341、足立200か27-96号車、LKG-MP37FKF)に乗りました。

この車両は2010(平成22)年度(一昨年1月)に導入されていたけど、当初は練馬200か24-60号車、D番台の日野車(2代目グリーンアローズ仕様車)の置き換え用として小滝橋自動車営業所杉並支所に配置されていました。

今年4月には同じ練馬ナンバーのままで早稲田自動車営業所に転属され、8月には同型の新車(Y-488〜491号車)の導入により、現在の足立ナンバーへの変更の上で深川自動車営業所入りしていました。

こちらのモデルは、2010(平成22)年度の下半期のV番台、2011(平成23)年度のW番台、今年度(2013(平成25)年度)のY番台で導入され、変速機はマニュアルではなく、オートマチック(AT)となっています。

地元を走る練馬支所では、V343号車とV344号車の2台があるけど、どちらも北自動車営業所のCNG充填設備の廃止に伴うCNG車の放出(ディーゼル車への置き換え)により転用されたことによる穴埋めとなっています。

都05系統は、1988(昭和63)年6月8日に、都市新バスシリーズで唯一の新規開業路線として開設されていたけど、当時は富士重工車体+いすゞのグリーンアローズ仕様車が使われていました。この路線は、廃止されていた銀71系統(現、都03系統)の支線が復活したものとなっています。

当時の銀71→都03系統は、杉並自動車営業所(現、杉並支所)所属の新宿駅西口〜四ッ谷駅〜晴海埠頭間の路線で、都電11系統(新宿駅前〜月島間)の後継ぎ路線となっていました。都03系統に変更されたのは、1988(昭和63)年3月21日に都04系統(旧銀16系統、東京駅丸ノ内南口〜豊海水産埠頭間、江東営業所所属)と共に転換されていたけど、当時は日野ブルーリボンによるグリーンアローズ仕様車が使われていました。

晴海埠頭周辺には、1996(平成8)年まで、晴海見本市会場(有明にある東京ビッグサイトの前身)があったけど、周辺に鉄道の駅がなく、バスによるアクセスに頼っていたので、イベント開催時には、利用客が多い状態で、東京駅や豊洲駅から臨時バスが頻繁に運転されていました。

晴海見本市会場は、2年に1度に開催される東京モーターショーでお馴染みだった会場(1987(昭和62)年まで使われていた)となっていました。一昨年から幕張メッセから東京ビッグサイトに移転されているけど、今年は11月22日から12月1日に行われる予定となっています。

1996(平成8)年4月に東京ビッグサイトへの移転により晴海見本市会場が閉鎖され、利用客が減少していました。

2000(平成12)年12月12日には、都営地下鉄大江戸線の全線開業に伴う路線の再編により、地下鉄丸ノ内線と重複する新宿駅西口〜四ッ谷駅間が廃止され、深川自動車営業所に移管された四ッ谷駅〜晴海埠頭間の路線に変更されていました。

都05系統では、杉並営業所所属の間合い運用も設定されていたし。

昨年4月1日には、都03系統が、港南支所(はとバスによる委託路線)に移管されて現在に至っています。

はとバスは、大田区平和島に本社のある黄色い車体の観光バス運行会社で、東京都が筆頭株主であることの縁により、杉並、臨海、青戸、港南、新宿の各支所で運行がはとバスに委託されています。

杉並自動車営業所→杉並支所は、都03系統が運用されていた頃から日野車が当たり前となっていたけど、2004(平成16)年度導入のM代車から会計年度毎にメーカーに一括発注される方式に変更されていたので、2010(平成22)年度のV番台から、三菱ふそう車も加わっていました。

杉並支所は、2003(平成15)年4月1日から、はとバスへの委託となっています。

都05系統では、2007(平成19)年3月26日に、土曜、休日に都05系丙統(東京駅丸ノ内南口〜東京テレポート駅間)が開設されていたけど、こちらは晴海トリトンスクエアから晴海通りを直進し、晴海大橋を渡って有明方面へと向かうので、晴海埠頭に行く場合は誤乗に注意ということになります。

今年4月1日には、丙系統が増発の上で毎日運転となり、東京テレポート駅から東京ビッグサイト発着に変更されていました。

画像は東京駅丸ノ内南口にて撮影。


よしちゃん@しゃもじyosiltdexp_mse60000 at 12:45│コメント(0)トラックバック(0)都営バスなどの公営バス  |
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