2013年10月

2013年10月31日

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こちらは、今月17日に、東池袋四丁目で撮影した、都電ハロウィン号の9002号車です。今日(10月31日)はハロウィンということで載せました。

都電雑司ヶ谷〜東池袋四丁目〜向原間は、将来道路が出来る予定で、都電の線路は、鬼子母神前〜都電雑司ヶ谷間と同様に、中央側に入ることになります。

早稲田行き乗り場の横に吉野家があったけど、取り壊されていたのはその為であり、線路沿いにあったクリーニング店などの建物も取り壊されていました。

都電ハロウィン号は、ハロウィン当日である今日まで運転される予定となっています。


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今月20日は、小田原駅で、切り離されていたはこね35号の30000形EXEの付属の4連(30051F)の特急表示を撮影しました。

30000形や60000形の10連の場合は、小田原〜箱根湯本間の箱根登山線で6両分しか入れない為に後ろの4両が切り離されるので、小田原〜箱根湯本間で6両編成となるけど、30000形の6連の場合は、定員358人と、50000形VSEと同等のキャパとなります。

10両編成の場合のキャパは、588席と、小田急ロマンスカーで最大となる点が通勤輸送で重宝されています。

小田原で切り離された4連は、箱根湯本に行った6連が戻ってくるまで、小田原駅の留置線で待機することになります。

60000形MSEのほうは、6両の基本編成と4両の付属編成で運用がバラバラになっているけど、30000形EXEの場合は、JR東日本の中央快速線や京葉線のE233系の分割・併合対応編成と同様に、同じ編成同士に限られています。例えば、30051Fの場合は、30251Fと組まなければならないし。

EXEのほうは、観光輸送としての魅力が薄いので、ロマンスカーのCMや広告で、2002(平成14)年に10000形HiSE(現在は50000形VSE)にバトンタッチされていたのはその為であります。

土休日のはこね号では、30000形EXEによる運用がぼちぼちあり、小田原19時46分発以降の上りロマンスカーが全てビジネス向けで行楽輸送に不向きなEXEとなっているのでがっかりモードも言うまでもないです。それでも、高級感のある内装が評価されているし。

土休日の小田原21時35分発新宿行きの最終ロマンスカーであるさがみ96号(N46+66運用)は、30000形EXEで運転、但し他の形式で運転される日がありますと言われている(ロマンスカー時刻表で、三角マークが付いている)けど、海老名留置の予備運用のN47+67運用があるので、よほどのことがない限り、EXEで限定運用されています。

1996(平成8)年3月23日にデビューした当時は、30251+30051,30252+30052Fの2編成で、分割・併合のあるN41+61運用と、分割・併合のないN42+62運用(スーパーはこね号も含まれていた)に分かれていました。当時は、1編成が使えない時に限り、分割・併合のない運用で10000形HiSEによる代走が見られたこともあったし。

ビジネス特急と言えばやっぱりEXEということで、30000形の全編成に公衆無線LANサービス(au Wi-Fi SPOT)が導入されたことで話題になっています。

平日の朝の上りには、30000形EXEによる本厚木→新宿間ノンストップのさがみ68号と70号(どちらも小田原始発で秦野にも停車)が運転されているので、珍しい状態となっています。

平日の朝には、変則的な運用である唯一の新百合ヶ丘始発(8時11分発)のはこね5号(7000形LSEや60000形MSEが主に使われている運用)もあります。

同じく平日の本厚木 9時17分発箱根湯本行きのはこね7号(30000形EXE、7000形LSE、60000形のどちらかが使われている)も、途中駅始発の下りロマンスカーとなっているし。

平日の相模大野 6時10分発のさがみ62号、土休日の相模大野 6時26分発のさがみ58号と7時03分発のさがみ62号(全て30000形EXEによる運用)は、相模大野始発となっているけど、逆に相模大野行きのロマンスカーは設定されていないです。

かつて小田原駅では、JR東日本管理の南口と、JR東海管理の北口に分かれていて、小田急及び箱根登山鉄道のホームから改札に向かう場合に、連絡改札を通り、JRのコンコースを通り抜ける必要がありました。

今から10年前の2003(平成15)年にJRと小田急(箱根登山鉄道)の橋上駅舎及び南北自由通路が出来てからは、改札口が分離されて、このような問題が解決されています。

小田急の特急が登場したのは、1948(昭和23)年10月16日の新宿〜小田原間のノンストップ週末温泉特急で、復興整備車と呼ばれていた1600形が使われていました。

当時の運転日・本数は、土曜日の下り1本、日曜日の下り1本、上り2本となっていたし。

新宿〜小田原間ノンストップは、現在のスーパーはこね号と同じであるけど、当時は新宿〜小田原間100分(1時間40分)掛かっていました。

翌年の1949(昭和24)年には、1910形が登場し、現在のような毎日運転となっています。

小田急線が開業したのは、1927(昭和2)年4月1日の新宿〜小田原間で、当時は38駅あり、車両は、新宿〜小田原間の郊外区間用のモハニ101形(後の1200形、甲車)と、新宿〜稲田登戸(現、向ヶ丘遊園)間の近郊区間用のモハ1形(後の1100形、乙車)が使われていました。そのうちの1形10号車(後のデハ1160→デハ1105号車)は、1981(昭和56)年に譲渡先の熊本電気鉄道(熊本県、モハ301号車)を最後に廃車となった後、小田急電鉄に里帰りし、開業当時の姿に復元されています。

こちらは2006(平成18)年の海老名での小田急ファミリー鉄道展を最後に展示されていない状態が続いているし。

開業当時の社名は、小田原急行鉄道で、1942(昭和17)年5月1日から1948(昭和23)年までの間、京急、相鉄、京王と共に、一時的に東急に合併され、大東急として東急の一部となっていたけど、1948(昭和23)年6月1日に東急からの独立(大東急の崩壊)により、現在の小田急電鉄となっています。

小田原からは、JR線を乗り継いで、熱海や伊豆方面に行くことが出来るので、小田急線の小田急乗り継ぎの熱海、伊豆方面へのアクセスも活用されています。この場合は、JRで行くよりも安くなるし。

新宿〜小田原間の運賃は、JR線で1450円掛かるのに対して、小田急線で850円と、600円差があります。
30000形EXEは、登場当時、他の特急車と同じ喜多見検車区所属だったけど、現在は、特急車で唯一の海老名検車区所属となっています。

30000形EXEは、デビューから17年経ち、車体更新の時期が近づいてきているけど、東北沢〜梅ヶ丘間の地下複々線化工事(今年3月23日に先行地下化、2017年度完成予定)により莫大な予算が掛かっている為に、7000形の置き換えと共に進められていない状態となっています。

今年度をもって8000形の車体更新が完了するけど、来年度は1000形か30000形のどちらかが更新されると予想されています。

小田急の鉄道車両の車体更新及び車両整備の担当会社であった小田急車両工業が、今年3月末をもって業務が終了したことにより、小田急エンジニアリングに引き継がれています。


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2013年10月30日

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こちらは今月20日に、箱根湯本駅と小田原駅で撮影した、小田急1000形の箱根登山カラーの1059Fです。

こちらは、箱根登山カラーに変更された1058〜1061Fのうちの1編成であります。

小田原寄りの先頭車である1059号車は、アップアップガールズ(仮)のみーここと仙石みなみ氏の名にあやかった1059(せんごく)番となっています。

1061Fには、ゾロ目の1111号車(元モーニング娘。、LoVendoЯの田中れいな氏の誕生日の番号)もあることも有名であります。

箱根登山鉄道の小田原〜箱根湯本間は、1935(昭和10)年10月1日に、小田原市内線(路面電車)に変わる区間として開業し、小田原市内線の箱根板橋〜箱根湯本間が廃止されていました。

箱根登山鉄道の登山区間(箱根湯本〜強羅間)は、1919(大正8)年6月1日に開業していたけど、それまでの間は小田原市内線によるアクセスとなっていました。

小田原市内線の残りの区間だった小田原〜箱根板橋間が廃止されたのは、1956(昭和31)年のことであります。

小田急線と箱根登山線の箱根湯本までの直通運転が開始されたのは、1950(昭和25)年8月1日のことで、日本初の三線軌条に改良されていました。

当時の特急は、ロマンスカーの先祖とも言える初の特急専用仕様の2ドアセミクロスシート車だった1910形が使われていました。こちらは、箱根湯本への乗り入れの前年の1949(昭和24)年に登場し、日東紅茶(三井農林)による走る喫茶室のサービス(喫茶店と同様に座席で注文し、座席まで持ってきてもらうサービス)が開始されたことで話題となっていました。日東紅茶ということで、その名の通りの紅茶が主力商品となっていたけど、当時のメニューには、紅茶のお支度が出来ました。と書いてありました。

走る喫茶室は、日東紅茶と森永エンゼル(森永製菓と森永乳業の関連会社で1963(昭和38)年から走る喫茶室に参入していた)の2社によって行われていたけど、1993(平成5)年3月に日東紅茶が、1995(平成7)年3月に森永エンゼルがそれぞれ撤退し、あさぎり号のJR東海担当分(当時)を除いて小田急レストランシステム(小田急グループの会社)によるワゴンサービスに統一され、一時期に姿を消していました。

2005(平成17)年3月19日の50000形VSEの登場により、走る喫茶室と同様のシートサービスが、小田急レストランシステムによるロマンスカーカフェとして復活したことで話題になりました。

1951(昭和26)年に登場した1700形は、オール転換クロスシートの車両で、ロマンスカーの名の由来となった2人掛けのロマンスシートで統一された車両となっていました。

側面にかつてのロマンスカーのシンボルマークだった百合マークが取り付けられていたことでも話題になっていたし。

1955(昭和30)年に登場した2300形は、特急車としては初のカルダン駆動車、回転式リクライニングシートが採用された車両で、前面は2枚窓、側面は百合マーク付きとなっていました。

1957(昭和32)年7月6日の旧3000形SE車(ロマンスカーシリーズの元祖)の登場により、1700形が一般車に格下げされたけど、2300形は1959(昭和34)年のSE車の増備まで、特急専用車のままとなっていました。

1959(昭和34)年には、2320形と同様の2ドアセミクロスシートの準特急車(京王電鉄とは無関係)に改造され、1963(昭和38)年には3ドアロングシート車に格下げされ、貫通ドアスタイルへの改良、トイレの撤去も行われていました。

1982(昭和57)年に5700形として富士急行に譲渡され、1995(平成7)年に廃車となっていました。

1700形は、1974(昭和49)年に全廃されていたけど、足回り品の一部が1910→1900形と同様に吊り掛けモーター車時代の旧4000形に転用されていました。

因みに旧4000形は、1966(昭和41)年から1976(昭和51)年に掛けて、2600形に準じた車体に旧型車の廃車により発生した足回り品を組み合わせた車両で、1985(昭和60)年から1989(平成元)年に掛けて行われた冷房化及び新性能化までの間は、5両編成または3両編成の小田急の旅客用車両で最後の吊り掛けモーター車となっていました。

新性能化により、同時期に廃車が進められていた2400形HE車(小田急で最後の3ドア車で非冷房車でもあった)の足回り品に交換され、2004(平成16)年12月10日まで活躍していました。

旧4000形は、さよなら運転が行われずにひっそりと消えた車両なので、単なる型式消滅となっていました。

SE車以降のロマンスカーシリーズは、日本車輌と川崎重工業(50000形VSEと60000形MSEは全て日本車輌)で製造されていたけど、1700形などのSE車以前の特急車には、東急車輛(現、総合車両製作所)製も含まれていました。

当時は逗子から西横浜まで国鉄(現、JR)線、西横浜から海老名まで相鉄線経由で搬入されていました。

小田急の車両の搬入及び搬出は、松田(新松田)駅のあさぎりルートで行われているけど、以前は小田原駅構内で行われていました。

2008(平成20)年3月14日までは、ロマンスカー以外でも新宿〜箱根湯本間の直通列車があったけど、現在はロマンスカーだけとなり、通勤型電車は小田原で系統分割されています。

新宿〜箱根湯本間の特急ロマンスカーが満席で乗れなかった場合は、後続のさがみ号で小田原まで行き、小田原から始発電車で箱根湯本まで行くことも可能となっています。

昨年3月の5000形の全廃により、4連は1000形と8000形の2形式となっているけど、8000形は更新工事(今年度中に完了予定)により主に8000形同士の連結が主体となったことや、箱根登山線の小田急通勤型の運用が1000形に固定された為に1000形だけとなっています。

箱根登山カラーの1000形は、海老名検車区所属なので、海老名〜新松田、小田原間を走ることもあります。

行きは従来塗装だったので、帰りに赤編成に乗れて良かったです。


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今月20日は、海老名での小田急ファミリー鉄道展の第一会場が悪天候により中止となってしまったので、代わりの撮影により、箱根湯本まで行きました。

この時に小田原から箱根湯本まで、小田急1000形の従来の青帯車である1053Fに乗ることが出来ました。

小田原〜箱根湯本間は、小田急線と共通の1500Vの1067mm区間で、特急ロマンスカーを含めた全てが小田急電鉄の車両で運転されているので、小田急線の延長部分というイメージが強いです。

2006(平成18)年3月17日までの間は、箱根登山鉄道の電車(登山区間対応の小型車)も小田原に乗り入れていたので、小田原〜箱根湯本間が三線軌条となっていました。

箱根登山鉄道の電車の小田原乗り入れは、2000(平成12)年12月2日の改正で、朝夕のみとなり、2006(平成18)年3月18日の改正で、廃止され、箱根湯本で系統分割されていました。

箱根登山鉄道の車庫が入生田にある関係で、入生田〜箱根湯本間が三線軌条区間として残され、小田原〜入生田間で標準軌部分の線路が撤去されて狭軌の線路となっています。

2008(平成20)年3月14日までは、新宿〜箱根湯本間の6両編成の直通急行が運転され、1000形のほか、5200形、8000形、新3000形も箱根湯本に乗り入れていました。

2008(平成20)年3月15日からは、小田原〜箱根湯本間の通勤型電車の運用が、4両編成に変わり、風祭駅が島式から4両編成対応の相対式に変更されていました。

小田原駅の11番ホームは、かつて小田原発着の登山電車が発着していたホームで、12番線もありました。

箱根登山鉄道の車両の小田原乗り入れの廃止により、11番ホームが、小田原〜箱根湯本間の区間列車専用ホームに転用されていました。

箱根登山線で小田原を出た後、JR東海道線と併走し、小田原城のすぐ近くにある小峰トンネルを潜ってから東海道線と分かれて東海道新幹線のガードを潜った後に箱根板橋駅に到着。箱根板橋駅は、1面2線の島式ホームであります。

ここから早川沿いを通り、鈴廣蒲鉾や新春の風物詩である箱根駅伝の小田原中継所でお馴染みの風祭へ。改良前の風祭駅は、1面2線の島式ホームで、6両編成の場合は、箱根湯本寄りの1両のドアのみドアコックによって開閉されていました。

4両対応の相対式ホームへの改良によりこのような問題が解決されていたし。

その後に箱根登山鉄道の車庫のある入生田へ。入生田駅は、構内踏切のある2面2線の相対式のホームで、2008(平成20)年9月7日の珍宝僧氏と小田急沿線在住の友人のK氏共催による撮影ツアーで使われていました。

この後、三線軌条を通り、終点の箱根湯本に到着。この区間は、複線(一部複々線)の小田急線とは異なり、単線区間をのんびりと走っています。

箱根湯本駅は、箱根への玄関口のほか、箱根湯本温泉があることでも有名であります。

箱根湯本駅は、1番線が特急ロマンスカー(新宿、北千住方面)、2番線が新松田、小田原〜箱根湯本間の通勤型電車、3番線が強羅方面の登山電車、4番線が登山電車の臨時ホームとなっており、駅舎は橋上駅舎となっています。

小田急1000形は、小田急初のステンレス車及びVVVFインバータ車として1988(昭和63)年3月に営業運転が開始され、1993(平成5)年までの間に、4連,6連,8連,10連の各バージョンが導入され、1990(平成2)年から2010(平成22)年までの間、9000形に変わって地下鉄千代田線直通列車でも活躍していました。

2009(平成21)年3月の改正には、1059〜1061Fに箱根登山鉄道の標準塗装に準じた赤色塗装となり、新松田、小田原〜箱根湯本間の運用に固定されるようになっていました。

翌年の2010(平成22)年には、1058Fも箱根登山カラーとなり、昨年3月17日の改正からは、平日の早朝下りと夜間、土休日の夜間を除いて新松田発着から小田原〜箱根湯本間の区間運用に変更されていました。この時に長年行われてきた通勤型車両の分割・併合が全廃となり、小田原〜箱根湯本間が箱根登山カラーの4編成を中心とした1000形の4連に統一されていました。

小田原〜箱根湯本間の1000形は、4運用で、基本的に箱根登山カラーの編成が使われているけど、中止となったファミリー鉄道展で赤編成が展示される予定で、1編成使うことが出来なかったので、青帯の1053Fによる代走となっていました。

今回は青帯の箱根湯本行きを撮影することが出来て良かったです。


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2013年10月29日

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今月20日は、新宿から相模大野まで、小田急30000形EXEの30255+30055Fによる新宿10時20分発のはこね・えのしま15号に乗りました。

この列車は、新宿〜相模大野間10両編成で、相模大野より先、前の6両がはこね15号箱根湯本行き、後ろ4両がえのしま15号片瀬江ノ島行きとなっていました。

途中停車駅は、新百合ヶ丘、相模大野、本厚木、秦野、小田原(えのしま号の江ノ島線内は、大和、藤沢)と、さがみ・えのしま号の基本パターンと同じであります。

土休日のはこね・えのしま15,16号は、平日のはこね・えのしま9,10号と同様にたった1往復しかないはこね・えのしま号であることに加え、えのしま号で唯一車内販売の営業が行われています。

えのしま号で3100形や7000形がよく使われていた頃は、車内販売の営業も盛んに行われていたけど、現在えのしま号の車内販売は、この1往復だけとなっています。

新宿〜新百合ヶ丘、相模大野間の乗車では、当日券売機で買った場合に行先とは関係なく割り当てられているので、今回は、えのしま15号側の10号車に当たっていました。

1996(平成8)年3月23日に30000形EXEが登場した頃は、相模大野駅ではなく、町田駅で分割・併合作業が行われていました。

1998(平成10)年8月22日のえのしま号や一部の小田原、箱根方面の特急の相模大野停車へのシフトにより、かつての通勤型電車による箱根・江ノ島急行と同様の相模大野駅での分割・併合に切り替えられていました。同時にロマンスカーの秦野停車も新設されていたし。

ロマンスカーの新百合ヶ丘駅停車は、2000(平成12)年12月2日の唐木田行きのロマンスカーの新設の時から行われているけど、2002(平成14)年3月23日からは、サポート(現、さがみ)号やえのしま号の一部と江ノ島線直通のホームウェイ号も止まるようになっています。

新百合ヶ丘駅は、1974(昭和49)年6月1日の小田急多摩線の新百合ヶ丘〜小田急永山間と共に開業した駅で、開業当時は単なる乗り換え駅で、駅周辺には何も無かったです。

登場当時のEXEの座席の色は、誤乗防止により、前の6両が箱根の緑がイメージされた緑色、後ろの4両が江ノ島の海がイメージされた青色となっていました。

今回乗った30255+30055Fは、1999(平成11)年に日本車輌で製造された3次車で、座席が全てグレーとオレンジの色に変更され、アームレストが廃止されていました。(1次車と2次車はモケットが張替られていたことにより座席の色が統一されていたし)

同時期に導入された30256+30056Fと30257+30057Fは、川崎重工業製となっています。これらの編成の導入により、3100形NSE車が全廃となっていました。

1997(平成9)年に導入された30253+30053Fと30254+30054F(2次車)は、1996(平成8)年製の1次車(日本車輌製)と同じ仕様だけど、日本車両の白いプレートに変わっていました。

これまでは日本車輌のプレートとなっていたけど、1996(平成8)年9月の創業100周年を期に、日本車両の表示の白いプレートに変わっていたし。

30000形EXEは、ハーモニーブロンズ塗装、分割・併合運転に対応したスタイル、高級感があり、落ち着いた感じの内装等の採用、10両編成化による定員増により、観光客よりもビジネス重視となったことで、通勤客に対して安らぎの空間となっています。

歴代ロマンスカーの中で地味な存在で、魅力が薄いということで1997(平成9)年度のブルーリボン賞の受賞が見送られていたけど、その代わりに1996(平成8)年度のグッドデザイン賞、2007(平成19)年度のロングライフデザイン賞が受賞されていました。

ロングライフデザイン賞受賞車らしく、このデザインは登場から17年経った今でも古さを感じないです。

観光輸送ではロマンスカーらしくないと不評の声が聞こえているけど、ビジネス客にとっては好評と言われているので、EXEがビジネスや短距離利用客向けであることが分かります。

小田急30000形EXEに乗ったのは、一昨年10月16日以来でした。

画像は、新宿駅、相模大野駅と、車内で撮影。この座席も高級感のあるEXEらしいデザインとなっています。


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