2014年02月

2014年02月28日

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こちらは、今月23日に、八王子駅の6番線で撮影したJR横浜線の205系H17編成(クハ205-77F)による快速磯子行きです。

横浜線の快速は、103系が当たり前だった1988(昭和63)年3月13日に登場した種別で、平日は全て桜木町発着、土休日は桜木町発着に加え、大船発着1往復、上りのみ磯子行き1本も設定されています。

この快速磯子行きは、土休日の八王子17時30分発(51K運用、上りの快速の最終)でしか見ることの出来ない希少価値のある表示であります。

磯子直通も、大船直通と同様に朝夕限定で、日中は快速を含めて東神奈川または桜木町行きとなっています。

八王子駅は、中央線、八高線、横浜線の発着駅で、1番線は、八高線(拝島、高麗川、川越方面、高崎方面は全て高麗川で乗り換え)、2番線は、中央線上り(立川、新宿、東京方面)、3番線は、八王子始発の中央線上り列車、4番線は、中央線下り(高尾、大月、甲府、松本方面)、5,6番線は、横浜線(橋本、町田、東神奈川方面及び相模線直通)から成っているけど、かつて中央線の上り列車は、常時3番線から発車していました。

八王子駅の発車メロディーは、夕焼小焼で、各線毎にバージョンが異なっているけど、それが導入される前の八高線ホームで、高崎線の本庄駅と同じ発車メロディー(JR-SH7)が使われていたことを覚えています。

横浜線の八王子駅で5番線しか使われていなかった頃は、南武線の立川駅で1面1線だった時代に似ていました。

1988(昭和63)年3月6日に相原〜八王子間が複線化された後も八王子駅構内が単線だったのはその為でありました。

根岸線が開業したのは、1964(昭和39)年5月17日の桜木町〜磯子間のことで、山手(やまて)駅が開業していたことにより、山手線の電車の表示が山手から山手線に変更されていました。

1970(昭和45)年3月17日には洋光台まで、1973(昭和48)年4月9日に大船までそれぞれ延長されて現在に至っています。

桜木町駅は、現在の横浜駅が開業するまでの間は、初代横浜駅となっていました。横浜駅の移転後に桜木町駅となり、根岸線に編入されるまでの間は、東海道線の支線として扱われていたし。

この時に、4番線と5番線の間に、EF210-1号機牽引によるタキ1000形の貨物列車が止まっていたけど、東側に向かっていたということで根岸まで送り込まれていたことが分かります。

根岸線の路線名の由来となった根岸駅には、ENEOSブランドでお馴染みのJX日鉱日石エネルギーの根岸製油所があり、タンク車の出入りが多いです。

この時に土休日限定でたった1本しかない205系による快速磯子行きを撮影することが出来て良かったと思っています。


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昨年11月23日は、上野駅の13番線で、EF64 1053号機牽引による寝台特急あけぼの号を撮影しました。

上野と青森を日本海経由で結ぶあけぼの号は、3月15日のダイヤ改正で、臨時列車に格下げされ、オールB寝台となるので、定期運用終了まであと2週間となりました。

あけぼの号の牽引機は、上野〜長岡間がEF64、長岡〜青森間がEF81で、以前は、全区間EF81型による牽引となっていました。

あけぼの号が登場したのは、1970(昭和45)年7月1日のことで、当時は上野〜青森間で20系客車により、東北本線、奥羽線経由で運転され、1980(昭和55)年10月に24系客車に置き換えられるまで、最後の20系客車使用の定期列車として有名でした。

奥羽線で、福島〜山形間が新幹線に転用されてからは、陸羽東線経由に変更されていたし。

奥羽線経由から現在の日本海経由のルートに変更されたのは、1997(平成9)年3月22日のことで、これまでの鳥海号のルートが踏襲されています。

あけぼの号の途中停車駅は、大宮、高崎、村上、あつみ温泉、鶴岡、余目、酒田、遊佐、象潟、仁賀保、羽後本荘、秋田、八郎潟、森岳、東能代、二ツ井、鷹ノ巣、大館、碇ヶ関、大鰐温泉、弘前、新青森で、上りの上野行きは、新発田駅と新津駅にも停車しています。

羽後本荘〜青森間では、B寝台に限り、指定席特急券でも乗れるけど、臨時化されてからはその制度が廃止されます。

あけぼの号の車内案内

1号車、レディースゴロンとシート(女性専用車両)

2,3,4号車、開放式B寝台

5,6号車 1人用B個室寝台(ソロ)

7号車 1人用A個室寝台(シングルデラックス)

8号車 ゴロンとシート

ゴロンとシートは、運賃と指定席特急料金で乗れる寝具なしのスペースで、285系サンライズエクスプレスのノビノビ座席に相当しています。

臨時あけぼの号は、上野発4月25日〜5月6日、青森発4月24日〜5月5日運転予定で、B寝台と1人用B個室寝台のモノクラス編成となります。

臨時列車に格下げされるとはゆえ、ブルートレインがまた一つ消えて行くことで寂しさを感じます。

あけぼの号の上野発の時刻は21時16分で、現在は撮影者が殺到し、パニック状態となっているけど、昨年の11月23日の廃止正式発表前に撮影することが出来て良かったと思っています。

おまけの画像は、2011(平成23)年4月3日に大宮駅で撮影したあけぼの号で、当時は震災後の運転再開第一号便となっていました。


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2014年02月27日

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今月23日は、横浜線の橋本駅(神奈川県相模原市緑区)で、E233系に置き換えられる予定の205系のクラH12編成(クハ205-72F)による橋本始発の各駅停車東神奈川行きを撮影しました。

この時には、雪が残っていたので、雪の中で撮影することが出来ました。

前面の行先表示は、埼京線の205系と同様にLED式で、横浜線→行先と交互に表示されているけど、側面は、幕式のままで、黄緑色地で横浜線と縦に表示されています。

横浜線の205系は、1988(昭和63)年9月から、翌年の1989(平成元)年2月に掛けて、103系の置き換え用として生え抜き編成の7連25本175両が導入されていました。

この先頭車の番号は、61〜85番と、2005(平成17)年4月17日まで山手線用で活躍していた編成の続番となっているけど、客用扉の窓の大型化により変化していました。

1993(平成5)年には、輸送力増強用として、京浜東北線からクハ205-136Fの一部が、追加新製されていたサハ205-232号車を組み込んだ上でH26編成として転用されていたけど、こちらは横浜線の205系で唯一の全て3桁番の編成でした。

1994(平成6)年12月3日には、6ドア車(サハ204100番台)が組み込まれて8両編成化されていました。

その後に入った元山手線の車両は、6ドア車ごと転用されていたH27編成(クハ205-30F)、京葉線→武蔵野線を経て転用されていたH28編成(クハ205-15F)の2編成から成っているけど、前者のH27編成は、横浜線で唯一の0番台の6ドア車(サハ204-30号車)組み込み及び全て2桁番の編成、後者のH28編成は、唯一の6ドアなしの編成となっています。

今年2月16日に営業運転が開始されたE233系の導入により、H26編成を皮切りに運用離脱され、サハ2両を抜いた6両が、3月15日のダイヤ改正に伴う増備編成(E233系導入への繋ぎ)として転用されるけど、その次に運用離脱されていたH3編成(クハ205-63F)が、昨日(2月26日)に大船から長野総合車両センターまで廃車回送されていました。H26編成に関しては、余剰となったサハ2両が長野送りされていたけど、今回は初の編成単位での廃車となっていました。

JR横浜線と相模線の橋本駅は、橋上駅舎の3面5線で、1番線が横浜線上り(町田、東神奈川方面)、2番線が橋本始発の横浜線上り(橋本4時46分発の一番列車のみ下り、八王子方面)、3番線が横浜線下り(八王子方面)、4番線と5番線が相模線(海老名、厚木、茅ヶ崎方面)、相模線からの横浜線下り(八王子行き)は5番線から発車から成っています。

都営10-510Fのところで紹介した、京王相模原線の橋本駅は、西側にある1面2線の高架駅で、手前でJR線とオーバークロスしています。

橋本駅の西南部には、アリオ橋本というイトーヨーカドーも入った相模原市最大のショッピングセンターがあり、電車からも見ることが出来ます。

こちらは、2010(平成22)年9月17日に、日本金属工業(日金工)の相模原製造所(愛知県碧南市にある衣浦製造所への集約によって閉鎖された工場)の跡地にオープンしていました。

橋本駅到着後、E233系が来る時間までアリオ橋本まで行って時間潰しをしていたけど、余裕を持って戻ったので205系を撮影することが出来たのであります。

アリオ橋本では、自分は行かなかったけど、昨年5月5日に鉄道アイドルのゆゆこと木村裕子氏や、第一期ステーション♪が出てきたイベントが行われていたことがありました。自分の代わりにTJ氏が行っていたけど、TJ氏にとって第一期ステーション♪を見たのは最初で最後となっていたし。

木村裕子氏のほうは、残念なことに2011(平成23)年10月の日比谷公園でのイベント以来会っていない状態が続いています。

ステーション♪は、昨年6月2日の三江彩花、加藤一華、千葉奈々希各氏の卒業により、残ったねねちこと南寧々氏と共に、当時見習い乗務員だった神野愛莉、小池真実、石川きなり各氏の3人を正規メンバーに昇格させた上で再始動していたので、現在のステーション♪を第二期ステーション♪と呼んでいます。

横浜線の205系は、早ければ8月頃に置き換えが完了する予定なので、雪の中で撮影することが出来て良かったなと思っています。


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こちらは、今月22日に、りんかい線の新木場駅で撮影した、ありがとうヘッドマーク付きの205系ハエ28編成(クハ205-107F)です。

この日は東京テレポートから新木場までそれに乗り、新木場で最初で最後の撮影を行いました。

明日(2月28日)で205系の定期運用が終了し、E233系7000番台に統一されることになります。

これによって、新木場駅に乗り入れる205系は、武蔵野線直通列車(8両編成)だけとなってしまいます。
京葉線では、E233系の導入により、2011(平成23)年をもって、撤退していたし。

りんかい線の新木場駅は、2階部分(東京メトロ有楽町線の横)にある1面2線の駅で、葛西臨海公園駅側でJR線と線路が繋がっています。

この連絡線は、1996(平成8)年3月30日に、臨海副都心線として、新木場〜東京テレポート間が開業した当時から、70-000形の車両検査の時の回送として使われているけど、団臨でも使われることもあります。

70-000形の定期検査は、東京総合車両センターに委託されているので、大崎開業前は、京葉線〜外房線〜総武線〜中央線〜山手貨物線経由と迂回ルートで回送されていました。

2005(平成17)年10月2日に運転された埼京線開業20周年記念号(団臨)は、ハエ32編成(クハ205-54F、当時はサハの組み替え前だった)によって、大宮→(埼京線)→大崎→(りんかい線)→新木場→(京葉線)→南船橋→(武蔵野線)→武蔵浦和→(連絡線)→大宮のルートで運転され、南船橋で撮影していたことを覚えています。

このハエ32編成は、今月19日から21日に掛けて新津まで回送され、インドネシアに輸出されています。新津車両製作所から新潟東港までトレーラーで陸送され、船積みされてインドネシアへと向かうことになるし。

6ドア車連結編成で最後の1本で、2月初めにヘッドマークが付いていたハエ22編成(クハ205-141F)もインドネシアに輸出されていたし。

インドネシアに輸出された元埼京線の205系では、6ドア車の一部も含まれています。

こちらは短命だった山手線のE231系の6ドア車(7号車と10号車に連結されていた)とは違って、インドネシアでも大切に使われていることで嬉しく思っています。

ハエ32編成のサハは、2008(平成20)年1月にハエ1編成に連結されていたサハ205-146,147号車に差し替えられていたので、サハだけ大窓車という凸凹編成となっていました。

りんかい線の駅のうち、地上にあるのは大崎、東雲(しののめ)、新木場の各駅であり、相対式ホームの東雲駅では、賑わっていました。

このように、撮影したかった新木場駅で最後に撮影することが出来て良かったです。


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2014年02月26日

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今月22日は、新線新宿から桜上水まで、京王9000系の9730Fによる臨時列車である高尾山冬そば号に乗りました。

こちらは、毎年この時期に行われている高尾山の冬そばキャンペーン(今年は12回目)に合わせて、大島から高尾山口まで臨時運転されており、京王電鉄と東京都交通局のクレジット入りの特製ヘッドマークが付いていました。

高尾山の冬そばキャンペーンは、高尾山の名物であるとろろそばの店が紹介されています。

高尾山冬そば号の停車駅は、都営新宿線の各駅、新線新宿、初台、幡ヶ谷、笹塚、明大前、桜上水、千歳烏山、つつじヶ丘、調布、東府中、府中、分倍河原、聖蹟桜ヶ丘、高幡不動、北野、めじろ台、高尾、高尾山口と、京王線では急行運転となっていました。

この日は、お台場のZepp Tokyoで行われたモーニング娘。'14のFCイベントに行っていた絡みで桜上水で降りていたけど、本当は高尾山口まで乗って行きたかったです。

高尾山口では、乗車記念のオリジナル箸入れが貰えていたところだったし。

この日の高尾山は、巻き上げ機更新工事によりケーブルカーが運休となっていたけど、4月上旬まで運休予定となっています。

高尾山冬そば号は、今年で9回目の運転で、京王9000系の30番台(都営線直通仕様)が使われているけど、過去には6000系も使われていたこともありました。

この日は、京王れーるランドにある6438号車に高尾山冬そば号のヘッドマークが取り付けられていたし。

京王9000系の30番台は、6000系の置き換え用として、2006(平成18)年から2009(平成21)年までの間に20編成200両が日本車輌で製造された10両固定、都営新宿線直通バージョンで、前面の貫通ドアの部分が平らとなっています。

京王9000系がデビューしたのは、2001(平成13)年1月24日のことで、当初導入された編成は8両2編成で、2004(平成16)年までに9708Fまで導入されていました。8両編成は、日本車輌のほか、東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所)でも製造されていたし。

10両固定編成は、2006(平成18)年3月15日にデビューしていたけど、当時は都営新宿線の10両編成の運転が平日の朝ラッシュ時に限られていたので、都営新宿線の直通に使われる以外は、京王線内での運用がメインでした。

同年9月1日の都営新宿線直通列車の10両運転の拡大により、本格的に使われるようになり、6000系が2+8の10両固定編成扱いとされていました。

今回の高尾山冬そば号に使われていた9730Fは、2009(平成21)年に導入されていた最終増備車で、番号がパンクした為に9730番台を名乗っています。

この編成の特徴は、前面のKEIOのロゴマークが、ヘッドライトの上の赤帯部分ではなく、ヘッドライトの下にあることで、ネタとなった編成が今年の高尾山冬そば号に使われていたことは嬉しいことだと思っています。

都営新宿線から高尾山口への直通は、1997(平成9)年12月24日から行われ、現在は、朝の高尾山口行きだけでなく、平日の夕方以降の上下にも拡大されています。

京王高尾線が開業したのは、1967(昭和42)年10月1日の北野〜山田〜高尾山口間のことで、そのうちの北野〜山田間は、1931(昭和6)年3月20日に開業、1945(昭和20)年1月に休止→1964(昭和39)年に廃止となった御陵線(北野〜山田〜御陵前(後の多摩御陵前)間の線路が転用されたもので、御陵線の片倉駅が京王片倉駅に変更されていました。

高尾山口駅の開業により、新宿と高尾山麓が乗り換えなしで結ばれ、高尾山へのハイキングのアクセス路線にも使われるようになっていました。

画像を撮影した桜上水駅は、1983(昭和58)年まで、車両基地や車両工場もありました。現在の若葉台に検車区と工場が移転されてからは、工場跡地が住宅展示場となり、車両基地が電留線(若葉台検車区桜上水派出所)と化しています。

1926(大正15)年4月28日に開業した当時は、北沢車庫前(後の京王車庫前)と呼ばれていたので、昔路面電車だったことを物語っています。

桜上水の地名や駅名は、駅の北側を流れていた玉川上水沿い(現在は暗渠化されている)の桜並木に由来しています。

今回は高尾山冬そば号を初めて撮影出来て良かったと思っています。


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