2015年05月

2015年05月31日

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こちらは、一昨日(5月29日)に、都電荒川線の鬼子母神前電停で撮影した、全般検査から出場したばかりの9002号車(青色のレトロ電車)による折り返しの三ノ輪橋行きです。

鬼子母神前電停の三ノ輪橋方面の仮設ホームでは、サンシャイン60や新豊島区役所をバックに撮影出来るポイントとなっているけど、近いうちに学習院下寄りに再移設されることにより、このことが出来なくなります。

入線の時には、8504号車による早稲田行きとスライドしていたけど、移設後にはこの位置に止まることになるし。

都電の向きは、荒川車庫が一方通行のデルタ線方式での出入庫となっている為に一定でないので、パンタグラフの向きが運用によって異なることになります。

8504号車と9002号車の画像のように、パンタグラフ側同士の並びは、いつも見られる訳ではなく、非パンタグラフ面同士または片方がパンタグラフ面となることもあるし。

検査出場した9002号車は、台車はもちろんのこと、パンタグラフも綺麗になっています。

青いレトロ電車の9002号車は、ステッシャーの友人の藤次郎氏の好きな車両でもあるので、検査から帰ってきてという喜びもありました。

こちらは、自分(しゃもじ)の一番好きな都電の車両が幸せの黄色い8810号車であることと同様であります。

これらの車両は、Bトレ(バンダイから発売されているミニサイズの鉄道模型)のほか、MODEMO(模型メーカーハセガワの鉄道模型ブランド)でも製品化されています。

自分(しゃもじ)がステーション♪のライブやイベントで乗車(参戦
)している時を、都電で8810号車が運転されている時に、逆に運休となった時を8810号車が荒川車庫で寝ていることに例えているのはその為であります。

8810号車はたった1両しかない黄色い8800形であり、目立つ存在となっているので、ステーション♪界隈での自分(しゃもじ)に似ている点があるし。

9002号車は、今から4年前の2011(平成23)年6月に、がんばろう日本号として運転されていたこともあったけど、9002号車のBトレにこのステッカーを貼ってあります。

9002号車は、9001号車とは異なり、屋根の部分にも、東京都交通局の旧紋章があるのが特徴であるし。

現在建設中の地下道路は、豊島区役所前から千登世橋付近までを結ぶ地下のバイパス道であり、明治通りの池袋駅前の渋滞緩和の役割もあります。

鬼子母神前電停の三ノ輪橋方面乗り場が移設されていたのは、地下道路の建設による線路の仮受工事の為であり、期間限定でありながら、このような姿を見ることが出来て良かったと思っています。







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2015年05月30日

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5月24日は、京急久里浜駅付近にある京急ファインテック久里浜事業所で行われていた、毎年恒例のイベントである京急ファミリーフェスタ2015に行ってきました。

このイベントの車両撮影会では、黄色に赤帯の事業用車であるデチ15・16形車両、800形の826F、1500形1700番台(8連)の1707F、2000形の2011F(2ドアクロスシート復刻塗装)、1000形の1057F(イエローハッピートレイン、西武風塗装)、2100形の2133F(ブルースカイトレイン)、600形の605F(標準塗装の赤い600形)、1000形ステンレス車両の1361F(6連、今年3月に川崎重工業車両カンパニーで製造され、4月9日に営業運転が開始された最新編成)で、昨年大好評だった黄色、青、赤の並びも披露されていました。

表示は、826Fが、普通 京急蒲田、1713Fが、エアポート急行 羽田空港、2011Fが、特急 平和島、1057Fが、wing 三崎口、2133Fが、快特 品川、605Fが、アクセス特急 成田空港、1361Fが、けいきゅんとKEIKYUの表示となっていたし。

昨年とほぼ同じ内容で展示されたことでマンネリ化していたけど、展示車両や表示を変更してくれて良かったと思っています。




よしちゃん@しゃもじyosiltdexp_mse60000 at 14:02│コメント(0)トラックバック(0)大手私鉄 | 鉄道イベント |
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昨日(5月29日)は、都電荒川線の鬼子母神前電停で、全般検査から出場したばかりの9002号車(青色のレトロ電車)による早稲田行きを撮影しました。

この車両は、9000形の増備車として、2008(平成20)年12月に落成し、翌年の2009(平成21)年1月31日に営業運転入りしたものであり、登場から6年ということで、初の全般検査から出場していたのであります。

9000形は、イベント用として使われていた6152号車と7504号車に代わるイベント対応車であり、1993(平成5)年に導入された熊本市電のレトロ調電車である8800形101号車と同様に、一般での運用にも使えるレトロ電車として導入されていたけど、7500形の置き換え用及び8800形の導入への布石としての目的もあります。

都電おもいで広場にある7504号車は、現役時代通常のワンマン列車と同様に使えた車両でもあり、6152号車の助っ人として運転されていた時に乗れた時は嬉しかったです。

鬼子母神前電停では、昨年11月1日に、三ノ輪橋方面乗り場が都電雑司ヶ谷寄り(現在の早稲田方面乗り場側)に仮移設されていたけど、地下の道路工事に伴う線路の仮受けの進捗により、近いうちに、早稲田方面、三ノ輪橋方面共に学習院下寄りに仮移設(三ノ輪橋方面は2度目の仮移設で、元の位置に戻される)されることにより、長年親しまれてきた現在の早稲田方面のホームとお別れとなり、このアングルでの撮影が出来なくなってしまいます。

2008(平成20)年6月14日に開業した地下鉄(東京メトロ)副都心線の雑司が谷駅の建設工事が行われた時も、このような状態となっていたけど、地下の道路建設(地下鉄よりも上に出来る)により、あの時に逆戻りとなってしまうし。

9000形では、窓の上の部分に、HID方式の補助灯があるけど、ほとんど使われていない状態であります。

8800形の初期型である8801号車と8802号車のほうも、落成から6年経っているので、全般検査入場が近づいてきています。

最終的にどのような形になるのかは分からないけど、このようなアングルで9002号車を撮影することが出来て良かったです。











よしちゃん@しゃもじyosiltdexp_mse60000 at 10:43│コメント(0)トラックバック(0)都電  |

2015年05月29日

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こちらは、5月21日に、京王れーるランドで撮影した、5000系の5723号車の車内の様子です。

この車両は京王線系統で最後の3ドア18m車であり、同じ3ドア18m車だった井の頭線の3000系と同様に運転台後部に座席のあるかぶり付きシートとなっていました。

5000系はデビュー当初、急行等の優等列車に使われ、同年10月1日に新設されていた特急にも使われていました。

1967(昭和42)年10月1日に高尾線が開業してからは、シーズンダイヤに於ける高幡不動駅での分割・併合特急にも使われるようになり、高尾山口方面には緑色の吊革で色分けされていたし。

こちらは、6000系や8000系にも継承されたけど、2006(平成18)年をもって廃止されていました。

今は高尾山口まで10両編成の列車が入れるようになったのでその必要が無くなっているし。

6000系は、初期型を含めた3+5編成、8000系は、6+4編成が分割・併合特急に使われていたけど、8000系の6+4編成に関しては、一部の編成で10両固定の貫通化されています。

1972(昭和47)年5月23日に6000系がデビューしてからは、京王線の優等列車の主役が6000系に譲られ、末期はかつての2000系列(京王グリーン車)と同様に各停用に格下げされていました。

6000系も晩年は、各停用に格下げされ、2連と4連が残った時点で競馬場線や動物園線で余生を過ごしていたので、5000系と同様の状態となっていたし。

5000系の種別表示はサボ式で、急行に使われた時には、井の頭線と同様の○急マークとなっていました。

運転台は、京王線系統で最後まで残った従来型のマスコン方式で、ステンレス製のメーターカバーが特徴となっています。

井の頭線で活躍していた3000系も、従来型のマスコン方式だったので、2011(平成23)年11月の全廃まで残ったことになりました。

京王れーるランドの3719号車は、車内に入ることが出来ないので、運転台等の様子を見れないのが残念であります。

側面には、KTRの文字が刻まれたスピーカーがあるのが特徴であるけど、以前5000系に乗った時に注目していました。

KTRとは、前身の京王帝都電鉄、Keio Teito Railwaysのことで、現在のKEIOのロゴマークに変わるまで、側面にK.T.R.の表示がありました。

KTRと言っても北近畿タンゴ鉄道とは無関係であります。

北近畿タンゴ鉄道と言えば、今年4月1日に、運用が元ツアーバスの高速バス会社のWILLER EXPRESS(ウィラーエクスプレス)の系列であるWILLER TRAINS(ウィラートレインズ)に委託されるようになり、京都丹後鉄道の愛称で運転されています。

5723号車の車内には、2003(平成15)年4月の90周年記念での京王資料館での公開に行った時に入ったので、あの時のことを思い出しました。

京王れーるランド入りしてからは、連結面にクーラーが置かれ、車内には子供たちの為に絵本が置かれています。

5000系は、車両限界の関係により、京王新線に乗り入れていなかったです。

1978(昭和53)年10月31日に京王新線が開業する前は、本線部分に初台駅と幡ヶ谷駅があったけど、初台駅は、地下トンネル内、幡ヶ谷駅は地上にありました。

1964(昭和39)年6月の山手通りとの立体交差化による地下線部分の延長によって地下化されていた初台駅の旧ホーム跡は、京成の博物館動物園駅跡と同様に撤去されずに資材置き場及び非常用の通路として残されているけど、1983(昭和58)年7月の地下線部分の再延長によって幡ヶ谷駅の地上ホームの遺構が失われていました。

初台駅の旧ホームは、18m6両分しかなく、10両分への延長が困難であった為に新線へのシフトが妥当であったし。

このような既存地下区間の延長のことで、阪神本線の福島駅(阪神福島駅)、山陽電気鉄道の西代、板宿の両駅を思い出します。

初台駅の旧ホームは、以前ブラタモリに出てきていたこともありました。

このように、京王線の歴史を語る上で欠かすことの出来ない5000系の車内に入ることが出来て良かったです。




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2015年05月28日

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こちらは、5月21日に、京王れーるランドで撮影した、5000系の5723号車です。

京王5000系は、1963(昭和38)年から1969(昭和44)年までの間に4連23編成、2連12編成、3連13編成(2連と3連は5100番台)の計155両が製造された車両で、1963(昭和38)年8月4日の京王線の1500Vへの昇圧化と共にデビューしていました。

京王線の新宿駅が同年4月1日に甲州街道の路面を走っていた区間から、地下新線に切り替えられたこととにより、これまでの路面電車に近い鉄道からの脱却となっていたし。

後は、緑色一色(京王グリーン車)から、アイボリーに赤帯という塗装、パノラミックウィンドゥに貫通ドアが採用されたスタイルにより、これまでの京王電車の常識を打ち破るスタイルや近代化に貢献した車両であることなどが評価されて、翌年の1964(昭和39)年度のローレル賞が受章されていたのであります。

これにより、前年の井の頭線の3000系に続いて2年連続でのローレル賞の受章となっていたし。

地下化されていた当初の京王線新宿駅は、5面4線で、4番線まであったけど、1978(昭和53)年10月31日の京王新線の開業及び、10両運転に伴う改良により、3面3線となっています。

1963(昭和38)年10月1日には、京王線の特急が、新宿〜東八王子(現、京王八王子)間で営業運転が開始され、高性能の5000系によって105Km/h運転で全区間40分を切るなどでスピードアップに貢献していたし。

同年12月11日には東八王子駅が200m北野寄りに移設されて京王八王子駅となり、1989(平成元)年4月2日に地下化されるまでこの姿となっていました。

5100番台のうち、5101〜5112Fは、2700系の余剰モーターが転用されていたので、吊り掛けモーター車となっていました。

初期の5000系は狭幅タイプで、翌年の1964(昭和39)年に導入された編成から広幅化されていたので、京王井の頭線で活躍していた3000系の関係に準じていたし。

1967(昭和42)年10月1日に、京王高尾線(北野〜高尾山口間)が開業した時には、5000系による祝賀列車や特急高尾号の運転により、5000系がアピールされていたけど、これまで京王八王子駅や国鉄高尾駅からバスまたは高尾駅から徒歩でのアクセスとなっていた高尾山まで、すぐに行けるようになったという喜びもありました。

当時は、新宿から高尾山口
まで45分で結ばれていたことで、新宿直通45分という表示もあったし。

1968(昭和43)年に導入された編成では、関東の大手私鉄の通勤型車両で初の冷房車となったことでも話題になっていました。

1986(昭和61)年からは、6000系または7000系の導入によって5000系の廃車が開始されていたけど、非冷房車で吊り掛けモーターの編成から廃車となり、1989(平成元)年3月に5000系の吊り掛けモーター車が全廃となったのであります。

これらの車両が伊予鉄道に譲渡された時には、台車交換と共にカルダン化されているし。

京王れーるランドに行った5月21日は、今から27年前の1988(昭和63)年に、京王相模原線が南大沢まで延長された記念すべき日でもあり、あの時は吊り掛けモーター車を含めた5000系も南大沢まで乗り入れていました。

開業当時の南大沢駅は、周辺に何もなく、都営線からの直通列車が朝夕のラッシュ時に限られ、他は従来通り、京王多摩センターでの折り返しとなっていたし。

1990(平成2)年3月30日に橋本まで延長されていたけど、南大沢〜橋本間で工事が難航していたので、南大沢までの暫定開業となっていました。

1992(平成4)年には、8000系の導入により、非冷房車が全廃となり、井の頭線を含めた京王線での冷房化率が100%へ。

1995(平成7)年3月には、3連バージョンの5100番台が、事業用車に転用された5125F(最終増備車だった編成)を除いて全廃となり、4+4の8連3編成が残されていました。

翌年の1996(平成8)年には、最後まで残った5022+5023Fが、動物園線で余生を過ごすことになり、同年11月に8028Fの導入により、定期運用から離脱され、12月1日に一般公募制のさよなら運転及び若葉台検車区での撮影会が行われたことで、33年間の活躍にピリオドが打たれていました。

さよなら運転は、午前と午後の2回に、若葉台→新宿→京王多摩センター→若葉台のルートで運転されていたし。

最後まで残された5000系のうち6両(5022Fの全てと、5021Fの先頭車,5023Fの中間車)は、高松琴平電気鉄道(ことでん、香川県)に1100形として譲渡されたけど、譲渡されなかったクハ5723号車が、静態保存され、若葉台検車区で保管された後に、京王資料館を経て、京王れーるランド入りしていました。

さよなら運転の時に、クハ5722号車(現在は高松琴平電気鉄道に譲渡されている)に、初期と同じヒゲ塗装が再現されていたけど、京王れーるランドの5723号車で再現されることはないのが残念であります。

高松琴平電気鉄道に譲渡された時には、レール幅が1435mmである為に、京急旧1000形の台車等に交換されていたし。

最後まで事業用車として残されていたデワ5125Fは、2004(平成16)年8月1日にレール運搬の仕事を終えた後、6000系の6107+6407+6457号車から改造されたデワ600形に置き換えられ、同年11月14日の若葉台検車区でのメモリアル撮影会が行われた後に解体されていました。

当時は、往年使われていた陣馬、高尾のヘッドマークが取り付けられ、2006(平成18)年まで、4〜6月、9〜11月に行われていたシーズンダイヤでの分割・併合特急を彷彿とさせる姿となっていたし。

5000系は、伊予鉄道や高松琴平電気鉄道のほか、富士急行(山梨県)、一畑電車(島根県)、わたらせ渓谷鐵道(群馬県、栃木県、トロッコ列車用)に譲渡されているけど、富士急行と一畑電車には、復刻京王塗装編成もあります。

この時に披露されていた前面の行先表示は、京王八王子で、山みたいな表示となっていました。

新宿など一部には文字だけの表示もあったし。

このようなフレーム式の表示は、1991(平成3)年3月の旧3000形の全廃まで使われていた京成電鉄のめくり式表示にも使われていたけど、上野の表示が三角タイプだったことを覚えています。

京王れーるランドのクハ5723号車は、1969(昭和44)年6月に東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所)で製造された4連としての最終増備車で、量産冷房車でもありました。

この車両を見た時には、5000系にはやはりこの色だなと思いました。

6000系はデビュー当時、5000系と同じアイボリーに赤帯塗装だったけど、6438号車が京王れーるランド入りした時には5000系があるということで旧塗装化されずに京王カラーのままで保存されたのであります。

このように、京王の名車とも言われる5000系が、京王れーるランドで保存されて良かったと思っています。




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