2016年06月

2016年06月30日

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昨日(6月29日)は、都庁前から清澄白河まで、今日(6月30日)に最後を迎える白い大江戸線こと都営大江戸線の12-000形の初期型車両である12-041Fによる清澄白河行きに乗りました。

この日も平日27運用に使われていたし、仕事が休みだったので、都庁前 20時43分発、清澄白河 21時12分着の入庫列車に乗ることが出来たのであります。

先週の土日は、土休日23運用に入っていたので、土休日とは無縁となっていた白い大江戸線の土休日の運用が最後に復活していたことで話題になっていました。

ファイナルランステッカーは、12-051Fにも取り付けられていたけど、平日の朝にしか使われていなかったし、6月24日に赤い大江戸線こと12-600Fの12-671Fの導入により運用離脱されていたので、お目にかかることは無かったです。

12-041Fも、平日の朝にしか使われていなかったけど、先週の土曜日から終日運用に入っているので最後の花道に相応しい状態であります。

赤い大江戸線こと12-600形は、2012(平成24)年2月23日に輸送力増強にデビューした車両であり、初期の段階では川崎重工業製の2編成導入されていました。

昨年4月6日には、白い大江戸線こと12-000形初期型車両の置き換え用として、フルカラー表示、LCD仕様の12-631F(日本車輌製造製)が導入され、今回の12-681Fの導入をもって白い大江戸線の置き換えが完了となります。

これにより、白い大江戸線こと12-000形の初期型は、四半世紀(25年)の歴史に終止符が打たれることになるし。

開業当時は白い大江戸線が当たり前だったけど、2000(平成12)年12月12日の環状部分の全線開業の時までに、12-000形の後期車(銀色の車両)が大量に増備されたことで影が薄くなり、仕様が後期型と大きく異なっていることにより、稼働率が大幅に減っていました。

製造されてから25年経ったことで老朽化していることだけでなく、仕様が異なり、扱いにくいということで、12-600形に置き換えられる運命となっていたし。

1997(平成9)年12月19日の新宿延長に伴う8両化の時に導入された白い大江戸線の5号車と6号車のユニットは、床の色が異なっていることが特徴だけど、製造されてから20年経たないうちに廃車となってしまいます。

2018年度から2020年度に掛けて、12-600形が11編成追加導入される予定となっているので、12-000形の後期型の置き換えだけでなく、2020年の東京オリンピック輸送に伴う輸送力増強用となることが分かります。

都営大江戸線の12-600形は、兵庫または豊川から根岸まで甲種輸送され、本牧埠頭から木場車両検修場までトレーラーで陸送されて、搬入口での釣り下ろしにより搬入されています。

12-000形の時は新座貨物ターミナルまたは小名木川貨物駅まで甲種輸送され、光が丘車両検修場(現、高松車庫)または木場車両検修場で搬入されていたし。

小名木川貨物駅は、2000(平成12)年12月1日(大江戸線の全線開業直前)まで江東区北砂(都営新宿線の西大島駅付近)にあった貨物駅であり、その名の通り、小名木川に面していました。

この周辺には、1972(昭和47)年に川崎重工業に吸収合併された汽車製造の東京製作所があったことで有名であり、ここから発送されていたし。

現在小名木川貨物駅の跡地の一部は、アリオ北砂(イトーヨーカドー(セブン&アイホールディングス)系列のショッピングモール)となっています。

都庁前駅は、その名の通り、東京都庁の前にある2面4線の駅であり、1番線が練馬、光が丘方面からの新宿、六本木、大門方面の列車、2番線が都庁前始発の新宿西口、飯田橋、両国方面の列車、3番線が新宿西口、飯田橋、両国方面からの降車専用ホーム、4番線が、新宿、六本木、大門方面からの練馬、光が丘方面の列車となっています。

光が丘方面から飯田橋、両国方面またはその逆の乗り換えには、同じホームで出来るようになっているし。

1997(平成9)年12月19日に新宿まで延長された当時は、新宿駅構内に渡り線がない為に、都庁前〜新宿間が単線並列運転となっていたので、1番線が、新宿駅6番線到着の列車(現在と同じ)、2番線が、新宿駅6番線からの光が丘方面の列車、3番線が、新宿駅7番線到着の列車、4番線が、新宿駅7番線からの光が丘方面の列車(現在と同じ)と、ややこしい状態となっていました。

2000(平成12)年4月20日の都営大江戸線の国立競技場への先行開業によって現在のような複線運転となったので、ややこしい状態が解消されていたし。

同時期に競い合うように開業し、全通していた東京メトロ南北線と都営大江戸線が交わる駅は、春日(後楽園)、飯田橋駅、麻布十番駅であり、春日駅に関しては、大江戸線の開業により、結ばれるようになっています。

後楽園駅は、四ッ谷駅と同様に、丸ノ内線が地上、南北線が地下にあるので、乗換には時間が掛かっています。

都営大江戸線と三田線の乗換可能な駅は、春日駅だけであるけど、芝公園駅付近では交差するだけとなっているし。

東京メトロ千代田線は、東京の地下鉄で唯一都営大江戸線と接続していない路線であり、湯島駅が上野御徒町駅に、乃木坂駅が六本木駅に近い状態でありながら乗換駅となっていないです。

本郷三丁目駅での丸ノ内線⇔都営大江戸線の乗換は、蔵前駅と同様に一旦地上に出てからの乗換となるので、雨の日の場合は、後楽園⇔春日駅間のほうが濡れずに行くことが出来ます。

2013(平成25)年3月16日には、都営新宿線の岩本町駅が、地下鉄日比谷線の秋葉原駅への乗換駅として認められるようになったけど、一旦地上に出てからの乗換となるし。

都営大江戸線と接続している東京の地下鉄の駅

銀座線 上野広小路駅(上野御徒町駅)、青山一丁目駅

丸ノ内線 後楽園駅(春日駅)、本郷三丁目駅、新宿駅(新宿西口駅)、中野坂上駅

日比谷線 仲御徒町駅(上野御徒町駅)、六本木駅

東西線 飯田橋駅、門前仲町駅

千代田線 なし

有楽町線 飯田橋駅、月島駅

半蔵門線 青山一丁目駅、清澄白河駅

南北線 後楽園駅(春日駅)、飯田橋駅、麻布十番駅

副都心線 東新宿駅

都営浅草線 蔵前駅、大門駅

都営三田線 春日駅

都営新宿線 新宿駅、森下駅

新御徒町駅は、つくばエクスプレス線(TX)への乗換駅であり、地下1階が都営大江戸線とつくばエクスプレスの改札口、地下2階が都営大江戸線のプラットホーム、地下3階が連絡改札、地下4階がつくばエクスプレス線のプラットホームとなっているので、同時に作られた駅であることが分かります。

つくばエクスプレスは当初2000(平成12)年度中の開業予定となっていたので、開業延期により、都営大江戸線の駅が先に開業したことになっているし。

新御徒町駅には、留置線が2本あるので、双方向からの出入りが1本ずつあります。

都営大江戸線の両国駅は、清澄通りの地下にあり、江戸東京博物館へは近いけど、JR中央・総武緩行線の駅と両国国技館とは離れているので注意が必要であるし。

清澄白河駅は、2面3線で、木場車両検修場への分岐駅でもあるので、中央の線路が双方向から(へ)の出入庫列車専用として使われています。

木場車両検修場のある木場公園へは、東京メトロ東西線の木場駅が近いけど、清澄白河駅からは徒歩15分程度で行くことが出来るし。

木場と言えば、深川ギャザリア(イトーヨーカドー木場店)があることで有名であり、第二土曜日には、元ステーション♪のいっちーこと加藤一華氏やなること金城成美氏によるラジオの収録も行われています。

今年2月20日には、木場で当時ステーション♪に在籍していた、ほののんこと安田帆花氏が行われていたので、雨の中見に行ったことを思い出しました。

ほののんは、海賊がテーマのアイドルグループである黄金時代のリーダーとして活躍するようになり、6月26日に東京ドームシティラクーアでお披露目が行われていました。

ラクーアは都営大江戸線や三田線の春日駅からも近いので、その前に白い大江戸線に乗りに行っていたし。

ほののんのメンバーカラーは、ピンク色となっています。

この時に、白い大江戸線で清澄白河まで行くことが出来て良かったです。

今日は27運用で最後となるので、トラブルがないことを願っています。

白い大江戸線よ、ありがとう、25年間お疲れ様でした。



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2016年06月29日

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昨日(6月28日)は、JR新宿駅の4番線で、東京臨海高速鉄道(TWR)りんかい線の70-000形のZ3編成(70-030F)によるりんかい線開業20周年記念のラッピング電車による大宮行きを撮影しました。

東京臨海高速鉄道りんかい線が、臨海副都心線として開業したのは、1996(平成8)年3月30日のことで、当初は、幻となった旧国鉄京葉貨物線から転用された、新木場〜東京テレポート間の路線でありました。

70-000形は、JR東日本の209系ベースで製造された車両で、全て川崎重工業製となっています。

開業当初に導入された編成は、70-010,020,030,040F(020,030Fは初代)による4両編成で、1999(平成11)年には、増発用として70-050F(現在の2代目70-030Fの一部)が増備されていました。

開業当時は、臨海副都心エリアの町開きが行われていたけど、当初は、新木場からのアクセスの悪さが仇となり、前年11月1日に開業した新交通ゆりかもめに人気が集中し、臨海副都心線(現、りんかい線)がガラガラとなっていたし。

臨海副都心線が、りんかい線となったのは、2000(平成12)年9月1日のことであります。

やはりりんかい線のほうが読みやすいし、2008(平成20)年6月14日に開業した東京メトロ副都心線と混同する恐れがあったので、変更されたのもそのはずであります。

自分(しゃもじ)的には、臨海副都心の名称はダサいと思っているので使わないようにしているし。

翌年の2001(平成13)年3月31日には、天王洲アイルまで延長され、東臨運輸区(八潮車両基地、東京貨物ターミナル付近)が使用開始されていました。

この時には70-060F(当初からLED表示でJR線乗り入れに対応)が4両編成として増備され、東京モノレールとの乗り継ぎにより羽田空港へも行けるようになっていたし。

それ以前は、東京テレポート駅の未開業部分が留置線として使用され、検査時には、京葉線を通り、京葉電車区(現、京葉車両センター)まで回送されていました。

2002(平成14)年12月1日に、りんかい線の天王洲アイル〜大崎間が開業し、JR埼京線、川越線経由で川越までの直通運転が開始され、JR205系が新木場まで、りんかい線の70-000形が川越まで乗り入れるようになっています。

当時の埼京線は、205系が当たり前だったので、209系ベースの70-000形が来た時は新鮮でした。

この時に増備された車両は、70-070,080,090,100Fの10両フル編成(JR線乗り入れ対応車)で、TWRロゴにりんかい線の表示が追加されています。

同時に70-060Fが10両化され、初期型の70-010〜050Fが、りんかい線内(新木場〜大崎間)専用車として、6両化されていました。

当時は、ベースとなった本家JR209系の製造が打ち切られ、E231系へと移行していたけど、仕様統一の関係などの問題により、209系ベースの仕様が踏襲されていたし。

6両編成で使われていた頃、6両の表示があったことを覚えています。

70-000形の定期検査は、JR東日本の東京総合車両センター(旧、大井工場)に委託されているので、全線開業前は、京葉線〜外房線〜総武線〜中央線〜山手貨物線経由の迂回ルートで回送されていました。

2004(平成16)年10月16日(湘南新宿ラインが南北直通列車に統一された日)には、10両編成に統一され、6両編成で残されていた5編成のうちの3編成(70-010,040,050編成)が10両化されて70-040Fが2代目70-020F、70-050Fが2代目70-030Fとなり、4号車と7号車の部分(付随車)が新製されていました。

余剰となった初代70-020Fの4両(先頭車と、6両化の時に増結された中間車)と、初代70-030Fの先頭車が、JR東日本に売却され、209系3100番台として八高・川越線(川越〜高麗川〜八王子間)に転用されていました。

これらの編成は、りんかい線時代の最後まで、前面が方向幕のままとなっていたし。

209系3100番台のうち、ハエ71編成(クハ209-3101F)は、初代70-020Fの先頭車に、JRによって導入された中間車を組み合わせたものであり、209系として最後に製造された車両であります。

こちらは川越駅で、70-000形と出会うこともあるし。

りんかい線の70-000形が全て10両編成となった理由は、混雑に対応出来ないからだけではなく、輸送障害が発生した時の運用のやりくりをしやすくする為であります。

やはり湘南新宿ラインが南北直通に統一されていたのでそのはずであるし。

埼京線の205系は、2013(平成25)年から2014(平成26)年に掛けてE233系7000番台に置き換えられていたけど、現在でもハエ28編成(クハ205-107F)だけが残されています。

東京臨海高速鉄道りんかい線の路線

新木場〜東雲(しののめ)〜国際展示場(東京ビッグサイト前)〜東京テレポート(フジテレビ前・お台場メディアージュ前)〜天王洲アイル(寺田倉庫本社前)〜品川シーサイド(ビッグローブ本社前)〜大井町〜大崎→(JR埼京線・川越線経由、川越まで直通運転)

乗換駅

新木場 JR京葉線、東京メトロ有楽町線

国際展示場 新交通ゆりかもめ(有明駅)

東京テレポート 新交通ゆりかもめ(お台場海浜公園駅または青海駅)

天王洲アイル 東京モノレール羽田空港線

大井町 JR京浜東北線、東急大井町線

大崎 JR(埼京線(川越まで直通運転あり)、山手線、湘南新宿ライン(東海道線⇔高崎線・横須賀線⇔宇都宮線)

地下にある駅、国際展示場、東京テレポート、天王洲アイル、品川シーサイド、大井町の各駅

新木場〜品川埠頭分岐部信号場(八潮車両基地への分岐点)間は、京葉貨物線として建設されていた区間であり、品川埠頭分岐部信号場〜天王洲アイル〜大崎間は、新たに作られた地下トンネル区間であります。

りんかい線の大井町駅は、上下2層式の駅となっており、上の1番線が、大崎、埼京線方面、下の2番線が、東京テレポート、新木場方面であります。

埼京線とりんかい線の大崎駅は、西側の5〜8番線であり、埼京線及びりんかい線が大崎まで延長されるまでの間、湘南新宿ラインが通過となっていました。

昨年12月に大崎駅西口に出来た西口バスターミナルには、WILLER(ウィラー)グループの高速バスのほか、東急バスの渋41系統(渋谷駅西口〜大崎駅西口間)も乗り入れています。

品川シーサイドは、楽天の本社のあった場所であり、楽天本社の二子玉川への移転により、ビッグローブ本社前となったのであります。

ビッグローブ(BIGLOBE)は、インターネットサービスプロバイダーの会社であり、かつてNECの系列となっていました。

天王洲アイルは、日本の大手航空会社であるJAL(日本航空、ワンワールド系列)の本社がある場所であり、その本社ビルは、名称がJALビルから野村不動産天王洲ビルに変わっています。

一方のANA(全日本空輸、スターアライアンス系列)の本社は、汐留シティセンターにあるし。

東京テレポート駅は、現在のフジテレビ前であり、発車メロディーが踊る大捜査線のテーマ曲となっています。

1997(平成9)年に、フジテレビの本社、スタジオが新宿区河田町(東京女子医大の近く)からお台場に移転されるまでの間は、都営新宿線の曙橋駅がフジテレビ前となっていました。

周辺にある都営大江戸線の若松河田駅は、フジテレビがお台場に移転された後に開業していたので、フジテレビへの最寄り駅にならなかったし。

1990(平成2)年にちびまる子ちゃんのテレビ放送が開始され、ちびまる子ちゃんブームが起きた時は、河田町スタジオの時代でした。

フジテレビのお台場への移転により、お台場の知名度が更に上がり、イベントも盛んに行われるようになっています。

東京ビッグサイト(東京国際展示場)が、晴海(東京国際見本市会場)からの移転により開業したのは、1996(平成8)年4月1日のことであり、今年でりんかい線と共に20周年を迎えていました。

晴海の時代は、バスに頼っていたけど、ビッグサイトとなってからは、バスに加え、鉄道(りんかい線とゆりかもめ)、水上バスでもアクセス出来るようになっています。

りんかい線開業20周年ラッピング電車は、70-030Fと70-070Fの2編成に施されており、明日(6月30日)まで運転される予定となっています。

このように、70-030Fによるりんかい開業20周年ラッピング電車を撮影することが出来て良かったです。


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続いては、一昨日(6月27日)、都営大江戸線の12-000形の初期型車両である12-041Fで撮影した、車内のドアのファイナルランステッカー部分です。

都営大江戸線が都営12号線として、光が丘〜練馬間で開業した1991(平成3)年12月10日は、光が丘はもちろんのこと、練馬春日町エリアも鉄道で結ばれた記念すべき日でもありました。

練馬春日町エリアからはこれまで、地下鉄有楽町線の平和台駅まで出るしかない状態であったし。

その11日前の1991年11月29日には、営団地下鉄南北線の駒込〜赤羽岩淵間が開業し、1972(昭和47)年11月11日に都電27系統の王子駅前〜赤羽間が廃止されて以来、鉄道が途絶えていた王子神谷、志茂、赤羽岩淵エリアが再び鉄道で結ばれていたので、都営12号線と競い合うように開業していたことが分かります。

当時の営団南北線は、9000系による4両編成(9101〜9107F)で、翌年の1992(平成4)年には、9108Fが追加されていたので、都営12号線の12-000形の初期型車両と似ているところがあります。

営団南北線は東京都北区(駒込駅だけは豊島区)、都営12号線→大江戸線は練馬区エリアから始まっていたし。

1997(平成9)年は、9月30日に営団南北線の溜池山王〜四ッ谷間が、同年12月19日に、都営12号線の練馬〜新宿間がそれぞれ開業していたけど、こちらも競い合うような形となっていました。

前年の1996(平成8)年3月26日には、営団南北線の四ッ谷〜駒込間が先行開業し、4両から現在の6両となっていたし。

都営三田線も、1968(昭和43)年12月27日に、都営6号線として、巣鴨〜志村(現、高島平)間で開業した当時4両編成だったけど、1972(昭和47)年6月30日に日比谷まで延長された時に6両となっていました。

ミレニアムと騒がれていた2000(平成12)年には、4月20日に、都営12号線改め都営大江戸線の新宿〜国立競技場間が先行開業し、同年12月12日に、国立競技場〜六本木〜大門〜清澄白河〜両国〜飯田橋〜都庁前間の環状部分が全線開業していました。

2000年9月26日には、営団南北線の目黒〜溜池山王間と、都営三田線の目黒〜白金高輪〜三田間が開業していたので、営団南北線が都営大江戸線よりも先に全線開業していたので、南北線の勝ちとなっていたし。

当初は営団南北線が1995(平成7)年度中、都営大江戸線が1996(平成8)年度中の全線開業が予定されていたけど、どちらも工事の遅れにより開業延期を繰り返していました。

練馬〜新宿間も、1994(平成6)年度開業予定だったのが、1997(平成9)年12月19日と大幅に遅れていたし。

日比谷線のほうも、都営1号線(現、浅草線)と競い合うように開業した区間があるけど、全線開業したのは、日比谷線が1964(昭和39)年8月29日(東銀座〜霞ヶ関間)、都営1号線が1968(昭和43)年11月15日(泉岳寺〜西馬込間)と都営が4年遅れとなっていました。

都営の12-000形の初期型が新車の12-600形に置き換えられるのに対し、東京メトロ南北線の初期型の9101〜9108Fは順次リニューアル化されていくことになります。

12-000形の初期型車のスピードメーターは、後期型のようなアナログ式ではなく、デジタル式となっているので、見納めとなってしまいます。

なので、26日に乗車中にガラス越しから撮影することが出来て良かったなと思っています。

12-041Fは、今日も27運用で活躍しています。


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2016年06月28日

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昨日(6月27日)は、都営大江戸線の光が丘駅まで行き12-000形の初期型車両である12-041Fを撮影してから、中井までそれに乗って行きました。

この時に、前回撮影した時に撮影し忘れていた別バージョンのファイナルランステッカーを撮影することが出来ました。

別バージョンのステッカーには、都庁も描かれているので、都庁前に乗り入れていることや、都庁の第二本庁舎に、東京都交通局の本局(本社に相当する部分)があるという縁もあります。

東京都庁が丸の内(現在東京国際フォーラムとなっている場所)から移転してきたのは、1991(平成3)年4月1日のことだったので、奇しくも都営大江戸線が都営12号線として開業した時と同じ年でありました。

1991年12月10日の都営12号線の練馬〜光が丘間の開業当初は、6両編成で、初期型の12-000形(白い大江戸線)が当たり前となっていました。

光が丘駅は、白い大江戸線との思い出のある駅であり、最初の区間の開業により、これまでバスに頼っていた光が丘エリアが鉄道で結ばれたという喜びがあります。

光が丘駅前には、光が丘IMA、イオン(旧、ダイエー)練馬店、LIVIN(西友)光が丘店があり、周辺には、光が丘公園、光が丘清掃工場、地域医療振興協会練馬光が丘病院、光が丘パークタウン(光が丘団地)などがあるので、賑やかな場所となっています。

練馬光が丘病院は、1986(昭和61)年11月の開院当時、練馬区医師会立光が丘総合病院となっていたけど、1991(平成3)年4月1日から2012(平成24)年3月31日までの日本大学(日大)医学部付属練馬光が丘病院の時代を経て、2012(平成24)年4月1日に現在の地域医療振興協会による運営となっています。

都営大江戸線が開業した当時、日本大学医学部付属練馬光が丘病院となっていたのはその為であったし。

光が丘IMAは、1987(昭和62)年4月24日に開設されたショッピングセンターであり、当初はLIVINが光が丘西武、イオンが忠実屋フランツとなっていました。

1994(平成6)年3月1日に忠実屋がダイエーに吸収合併され、今年3月12日にはダイエーからイオンに変わっています。

新越谷などでもダイエーからイオンへの転換が進められているし。

4階にはIMAホールがあり、コンサートや寄席などでも使われています。

2010(平成22)年1月31日に、IMAホールで行われたスマイレージ(現、アンジュルム)のFCイベントであるメガバンクに行った時に、当時のメンバーであったゆうかりんこと前田憂佳氏にくじ引きで指名され、ゆうかりんのサポーターに任命されたことにより、翌年の2011(平成23)年12月31日にゆうかりんが卒業、芸能界から引退するまでの間、さゆみんこと道重さゆみ氏並びにモーニング娘。1推しを中断し、ゆうかりん並びにスマイレージが1推しとなっていたことがありました。その間はモーニング娘。の応援を継続していたし。

2012(平成24)年1月1日には、さゆみん並びにモーニング娘。1推しに戻り、スマイレージはあやちょこと和田彩花氏が1推しとなっていました。

一昨年8月31日には、ステーション♪がアイドルグループ全般の1推しとなったことで現在に至っています。

当時は、ハロプロ系でも、例のしゃもじを刺した格好で握手会に参加することが可能だったのであの頃が懐かしいです。

光が丘公園は、米軍のグラントハイツの跡地に作られた公園であり、それ以前は成増飛行場となっていました。

グラントハイツとは、1948(昭和23)年から1973(昭和48)年まであった米軍(アメリカ空軍)の宿舎であり、アクセス路線として、東武啓志線(上板橋〜練馬倉庫前〜グラントハイツ間)が出ていたこともありました。

こちらは1959(昭和34)年に正式に廃止された非電化路線で、米軍やその関係者に対する旅客輸送(一時期は池袋から駐留アメリカ軍専用列車も出てきた)のほか、貨物輸送も行われていたし。

現在は東武東上線の成増駅と東京メトロ有楽町線と副都心線の地下鉄成増(旧、営団成増)駅から西武バスで行けるし、光が丘公園の北側へも歩いて行くことになっています。

もしも、東武啓志線が今でもあったら、池袋から光が丘へのアクセスとして機能していたところでした。

やはり川越街道等との交差の問題もあり、都営12号線→都営大江戸線が出来たことによりその必要が無くなっているし。

池袋駅東口と光が丘駅を結ぶ国際興業バスの光02系統が、東武啓志線の代わりともなっています。

光が丘駅の先のホテルカデンツァ光が丘(旧、第一ホテル)付近の地下(練馬区高松)には、木場車両検修場高松車庫(旧、光が丘車両検修場、東京メトロで言えば分室に相当する)があり、全線開業の時までメインで使われていました。

2000(平成12)年12月12日の全線開業の時に、木場公園の地下に木場車両検修場(清澄白河駅より分岐)が出来てからは、木場車両検修場がメインとなっているけど、全般検査及び重要部検査作業棟を作る予算がなかった為に、都営浅草線の馬込車両検修場で行われるようになり、汐留駅付近の連絡線から専用のE5000形電気機関車による牽引により送り込まれています。

西馬込の都営フェスタで、普段地下でしか見られない大江戸線の車両が地上で展示されている風景が見られているのはその為であり、2008(平成20)年11月8日には、初期型の12-061Fが展示されていました。

2011(平成23)年12月10日に、都営大江戸線が開業20周年を迎えていた時には、初期型の12-000形に記念ステッカーが付いていたので、狙いやすかったと大喜びの状態でした。

都営大江戸線が新宿を経て、都心と結ばれたことは、光が丘団地から都心まで乗り換えなしで行けるようになった喜びでもあります。

豊島園のほうも、池袋から直通または練馬乗り換えの西武線に加え、新宿などから都営大江戸線で結ばれているし。

豊島園は夏のプールで有名であり、ハイドロポリスというウォータースライダーが大人気であります。

この日に豊島園駅に行った時に、あじさいまつりが行われていました。

都営大江戸線の表示は、JR山手線と同様に、六本木方面、大門方面などと表示されているけど、終点近くになると、光が丘や都庁前の表示となります。

途中駅止まりの列車は、清澄白河行きの入庫列車のほか、留置線のある新御徒町行きや汐留行きもあるし。

白い12-000形による光が丘行きの表示を見た時に、開業当初のことを思い出しました。

白い12-000形のうち、5号車と6号車は、1997(平成9)年の新宿延長の時に増結された車両なので、仕様が異なっています。

都営大江戸線の中井駅は、東中野、中野坂上駅と同様に、首都高中央環状線の山手トンネルの下にある駅であり、深い場所にあるので、西武新宿線との乗り換えに時間が掛かる状態となっています。

6月5日には、西武新宿線の駅舎が地下化されていたけど、大江戸線の駅と繋がっていないので、一旦地上に出てからの乗り換えのままであるし。

おまけに各駅停車しか止まらないので、利便性は良くないと言われています。

西武新宿線の中井駅の地下駅舎は、南側だけで、南北自由通路や北口も整備される予定となっているし。

都営大江戸線の六本木駅は、下の1番ホーム(大門、門前仲町、両国方面)が42.3m、上の2番ホーム(新宿、都庁前、光が丘方面)が32.8mで、下のホームが東京並びに日本の地下鉄で最も深い場所にあります。

ステーション♪のワンダー・ジャパン@ステーション♪で、地下鉄深いぞ六本木駅「日本一!」と歌われているのは、このことであるし。

このことで、これまで六本木の地下にあるmorph-tokyoやニコファーレでステーション♪のワンマンライブが行われていたことを思い出しました。

昨日は、終日運用の27運用に入っていたけど、今日も27運用(都庁前 20時43分発→清澄白河 21時12分着で入庫)に入っています。

このように、2日連続で、都営大江戸線の12-041Fに乗ることが出来て良かったです。


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2016年06月27日

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昨日(6月26日)は、落合南長崎から都庁前まで、カウントダウンを迎えた白い大江戸線(都営大江戸線の12-000形の初期型車両)である12-041Fに乗りました。

この日は、終日運用である23運用に入っていたので、乗ることや撮影することが出来てちょうど良かったです。

12-000形の初期型編成(白い大江戸線)は、1991(平成3)年12月10日の都営12号線(当時)の練馬〜光が丘間の開業の時から使われている編成であり、前年の1990(平成2)年に6両5編成30両が日本車輌製造で製造されていました。

1994(平成6)年には、予備車確保により12-061Fが導入され、6編成となったけど、この時点でも白い初期型が当たり前となっていたし。

1997(平成9)年12月19日の新宿延長と共に8両化された時に銀色の後期型も加わっていました。

2000(平成12)年12月12日の都営大江戸線の環状部分の全線開業の時に、銀色の電車で埋め尽くされ、白い初期型の影が薄くなっていました。

製造されてから25年経ったことにより老朽化が激しくなったことや、少数派であり、後期車と比較して運用効率が良くないことなどの理由により、新型の12-600形(赤い大江戸線)に順次置き換えられることになり、最後まで残った12-041Fが6月30日をもって最後を迎えることになります。

末期は殆ど使われることがなくなったので、置き換えられるのもそのはずであるし。

これを記念して、ファイナルランステッカーが付いています。

この時に、12-000形の初期型に乗ることが出来て良かったです。


よしちゃん@しゃもじyosiltdexp_mse60000 at 11:00│コメント(0)トラックバック(0)都営地下鉄、舎人ライナー等 | 鉄道乗車記 |
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