2017年02月

2017年02月28日

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2月19日は、新宿から高尾山口まで、京王電鉄8000系の8714Fによる高尾山冬そばヘッドマーク付きの準特急高尾山口行きに乗りました。

こちらは、昨年2月20日と同様に、新宿 10時07分発→高尾山口 11時01分着の準特急の1本のみヘッドマークが取り付けられ、8000系で運転される予定と書いてあったけど、昨年の8713Fの緑色のラッピング列車(高尾山トレイン)とは異なり、従来の8714Fが使われていました。

この時も、貫通ドアを開けてヘッドマークが取り付けられたという貴重なシーンを見ることが出来たし。

8714Fは、1994(平成6)年12月に分割・併合可能な6+4編成として最後に製造された編成(東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所製))であり、2009(平成21)年に同じ東急車輛製造で完全新製された中間車であるサハ8564号車が組み込まれているという特徴のある編成であります。

こうなったのは、2008(平成20)年8月28日に8728F(8両固定編成)が高尾〜高尾山口間(単線区間)での土砂崩れによる脱線事故で被災していたクハ8728号車(新宿寄りの先頭車)が事故廃車となったことにより、8714Fの中間に押し込められていたクハ8814号車が2代目クハ8728号車として転用されていた為であり、その穴埋めとしてサハ8564号車が代替新造されていたのであります。

これにより、8000系の先頭車を造り直すことや、編成丸ごと代替新造させるという大掛かりなことにならずに済んでいたし。

現在8728Fの銘板が東急車輛 平成8年で、クハ8814号車から転用された2代目クハ8728号車だけが東急車輛 平成6年となっているのはその為であります。

8564号車の銘板は、井の頭線の1000系の後期型(1020番台)と同様のステッカー式で、8564 東急車輛と製造年の表示が省略されているし。

9000系の30番台のほうも、途中から日本車両の表示だけとなっています。

京王線では、2006(平成18)年に明大前駅構内(井の頭線下りホーム側)にあった無事湖が、フレンテ明大前の新設により撤去されて以来、高尾線での8728Fの脱線を含めた事故が多発しているので、明大前駅の高架化を期に、無事湖の復活を望む声が高まっています。

2009年にサハ8564号車が組み込まれた当時は、クハ8764号車が未だ中間車改造されていなかった為に、先頭車と中間車が繋がったという変則的な状態であり、サハ8564号車の新宿寄りの貫通路が塞がれていました。

2014(平成26)年11月には、中間に押し込められた先頭車であるクハ8764号車の中間車化(10両貫通編成化)により、変則的な状態が解消されたけど、クハ8764号車がサハ8514号車に改造された後も、サハ8564号車との構造の違いを見ることが出来ます。

京王8000系の中間車改造部分は、9000系に準じているので、小田急1000形の1095Fと1096Fの中間車改造部分に似ています。

こちらの改造部分は、新4000形と同様の構造となっているし。

京王8000系のうち、8701,8702,8704,8706,8709,8710,8712,8723,8724,8725,8726,8731,8733Fが日本車輌製造製で、他は全て東急車輛製造製であります。

京王8000系が本格的にデビューしたのは、1992(平成4)年5月28日のことであり、当時は初期に導入された6編成が、10両化の促進により新宿〜京王八王子間の特急に集中的に入れられ、捻出された6000系が新設されていた新宿〜橋本間の特急(初代橋本特急)に転用されていました。

8000系がプレデビューしていた時に廃止直前の通勤急行にも使われていたし。

京王線の通勤急行は、当時の急行の停車駅につつじヶ丘駅を加えたもので、平日朝の上りのみ運転されていた列車であり、1992年5月改定での急行のつつじヶ丘駅停車化により廃止されていたし。

同年10月から12月に掛けて、8707F〜8710Fが導入されたことにより、新宿〜京王八王子間の特急のみならず、新宿〜高尾山口間の急行(現在は準特急に進化している)も10両化されて、行楽シーズンを中心に混雑が緩和されたのであります。

8000系が10両貫通編成化される理由は、客室スペースの増加だけでなく、2006年9月改定でのシーズンダイヤ廃止に伴う特急の分割・併合が廃止されたこと、地下トンネル区間が調布駅付近にも拡大されたことの影響もあります。

京王8000系は、グッドデザイン賞の受賞のきっかけとなった斬新なスタイルで話題となっていたけど、デビューから今年で25年を迎えても古さを感じることはないです。

当初速度計がデジタルメーターとなっていたことも8000系の特徴であり、2011(平成23)10月2日の京王線のATC化(相模原線は前年の2010(平成22)年3月26日に行われている)により、従来のアナログメーターに交換されていました。

現在は中間に押し込められた先頭車で、作動しなくなったデジタルメーターを見ることが出来るけど、中間車改造されるのも時間の問題であります。

高尾山冬そば号(準特急)の途中停車駅は、笹塚、明大前、千歳烏山、調布、府中、分倍河原、聖蹟桜ヶ丘、高幡不動、北野、京王片倉、山田、めじろ台、狭間、高尾の各駅であり、前回と同様に、府中競馬開催日により東府中駅にも臨時停車していました。

北野駅で京王八王子行きと複数の駅のある高尾線高尾山口方面に分かれることは、能勢電鉄(兵庫県)の山下駅で日生線の日生中央行きと妙見線の山下〜妙見口間に分かれることに似ているところがあります。

今回の高尾山冬そば号は、8713Fの高尾山トレインが使われるとは限らない状態となっていたので、特徴のある8714Fが使われたことで嬉しく思っています。

このように、今年も京王8000系による高尾山冬そば号に乗ることや、それを撮影することが出来て良かったです。

画像は、京王線の新宿駅で撮影したものです。


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2017年02月27日

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続いては、2月18日に、曳舟駅で撮影した、東武亀戸線の8000系の試験塗装車(緑亀塗装)の8568Fです。

曳舟駅では、4番線側から撮影したけど、編成全体を入れて撮影することが出来ました。

曳舟駅の5番線(亀戸線専用ホーム)は、2両編成までしか入れないホームである為に編成全体を撮影出来るのであります。

このように夜間に撮影すれば、天候には関係なく逆光の心配もないし、場合によって綺麗に撮影出来ることもあるし。

5番線側では、ライトアップされた東京スカイツリーをバックに撮影出来るけど、4番線側での撮影今回それを忘れていたのが残念でありました。

曳舟駅の東側では、駅ビルが7階建てに改築されると共に、来年度中に伯鳳会白髭橋病院が、白髭橋の近くから移転されてくることになります。

これにより、東向島駅から徒歩10分掛かっていたことに対し、曳舟駅からすぐに行けるようになるし。

このことで、東急電鉄直営による東急病院が、東急大井町線と目黒線の大岡山駅の真上にあることを思い出します。

東急病院が駅の北側から駅の真上に移転されたのは、2007(平成19)年11月3日のことでありました。

改築される前の曳舟駅東口の駅ビルには、曳舟東武ボウル(ボーリング場)もあったけど、2011(平成23)年3月11日に発生した東日本大震災により損傷した為にそのまま閉鎖されていました。

駅の北側には、向島郵便局があり、こちらも駅に近い郵便局であります。

牛田駅と京成関屋駅前には足立郵便局があるし。

足立郵便局の近くには、屋内の釣り堀であるスーパーフィッシング足立があり、雨の日でも釣りを楽しむことが出来るほか、バッティングセンターやゲームコーナーも完備されています。

現在の白髭橋病院のある場所は、1928(昭和3)年4月7日から1936(昭和11)年2月28日まで運転されていた京成白髭線の終点である白髭駅があった場所であります。

京成白髭線は、当時の京成電気軌道により、京成押上線の向島駅(京成曳舟〜荒川(現、八広)間にあった駅)から分岐し、白髭まで行っていた路線であり、その途中に、長浦、京成玉ノ井の各駅がありました。

当時は1372mmの600Vだった為に、白髭から隅田川を渡り、三ノ輪橋まで延長されて王子電気軌道(現在の都電荒川線)との直通運転が計画されていたけど、1933(昭和8)年12月10日に京成線が上野公園(現、京成上野)まで延長されたことでその必要がなくなっていました。

向島駅へは押上方面から入線可能で、成田方面からはスイッチバックさせなければならなかったのでそのはずであるし。

白髭線自体は、水戸街道との立体交差が困難であった為に、8年間という短命で廃止されてしまったことになったのであります。

向島駅は、1943(昭和18)年10月に休止、1947(昭和22)年に正式に廃止され、その跡地は、1960(昭和35)年から1968(昭和43)年11月15日に西馬込まで延長されるまでの間、都営地下鉄1号線(現、都営浅草線)の向島検修場(暫定的な車両基地)として使われていました。

こちらは高架化により遺構が失われています。

京成白髭線が開業した後の1928年9月26日には、東武鉄道側しか認められていなかった京成線の浅草乗り入れに対して、東武鉄道と揉めていたことにより京成電車疑獄事件(汚職事件)が発生していたので、京成の浅草乗り入れが断念され、京成電鉄に吸収合併されていた筑波高速度電気鉄道(上野と筑波を結ぶ路線計画)の免許線が生かされた上での上野乗り入れに変更されていたのであります。

幻となった京成電車の浅草乗り入れは、1960年12月4日の都営地下鉄1号線との直通運転によって実現していたし。

都心とつくばを結ぶ鉄道のほうも、2005(平成17)年8月24日のつくばエクスプレスの開業によって実現していました。

東武博物館のある東向島駅は、1902(明治35)年4月1日に開業した当時は、白髭駅(京成白髭線とは別)だったけど、1905(明治38)年7月に一旦休止され、1924(大正13)年10月1日に玉ノ井駅として復活していました。

1945(昭和20)年5月20日の東京大空襲で被災した為に再び休止となり、1949(昭和24)年10月1日に再開されていたし。

1987(昭和62)年12月21日に、現在の東向島駅となり、駅名標に旧玉ノ井と表示されるようになっていました。

1989(平成元)年5月20日に東向島駅前(高架下)に東武博物館が出来てからは知名度が上がっています。

玉ノ井は、昔井戸があったことではなく、戦前から1958(昭和33)年の売春防止法の施行までの間、東側に玉の井という私娼街(銘酒屋)があったことが由来となっているし。

曳舟駅の東側には、イトーヨーカドー曳舟店があり、買い物にも便利であります。

東武伊勢崎線→東武スカイツリーラインでの10両運転は、杉戸高野台、南栗橋の両駅が開業した1986(昭和61)年8月26日のことで、当時は朝ラッシュ時に東武動物公園→曳舟間の準急(現、区間急行)で行われていました。

1990(平成2)年9月25日には、業平橋(現、とうきょうスカイツリー)駅に10両対応の地上ホームが貨物駅跡に設置されたことにより、業平橋まで延長され、伊勢崎線での曳舟折り返しの列車が廃止されていたし。

2003(平成15)年3月19日には曳舟〜押上間の連絡線の開業により地下鉄半蔵門線、東急田園都市線との直通運転が開始されてからは、業平橋駅の地平ホームが廃止され、その跡地は、東武橋付近にあった東武鉄道の旧本社と共に下町のランドマークである東京スカイツリータウンとして整備されていたのであります。

東京スカイツリータウンが出来てからは、早いもんで今年の5月22日に5周年を迎えることになるし。

三ノ輪橋から東向島、京成曳舟方面への連絡は、日暮里駅と亀戸駅を結ぶ都営バスの里22系統(南千住営業所所属)が受け皿となっているけど、三ノ輪橋へは、大関横丁バス停から行くことになります。

亀戸線では、東武大師線と共に、ワンマン化以前に8000系のほか、10000系の2両編成も使われていたこともありました。

このように、曳舟駅でも、東武亀戸線の8568Fを撮影することが出来て良かったです。


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2017年02月26日

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今日(2月26日)は、京成高砂駅で、京成3500形の未更新車(3588F)によるさよなら運転(団臨)を撮影しました。

ルートは、京成上野→柴又→押上→市川真間→東成田→京成成田→成田空港→宗吾参道→宗吾車両基地だったので、前日の25日の千葉線と千原線を合わせて京成線の路線を全て通ったことになりました。

26日の最終日には、友人が乗車していたので、市川真間での休憩の時に交流出来たのであります。

ヘッドマークは、成田寄りの3585号車が卒業(graduation)、上野寄りの3588号車が感謝(thanks)となっていました。

その他のことは後程お伝え致します。












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2017年02月25日

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2月18日は、亀戸から曳舟まで、東武亀戸線の8000系の試験塗装車(緑亀塗装)の8568Fに乗りました。

この試験塗装(緑色に白帯の緑亀塗装)は、昭和30年代に7800系の4両に施されたものであり、2月16日に、亀戸線での団臨で初披露されていました。

これにより、亀戸線と東武大師線のレトロカラーが昨年3月23日にお披露目されたオレンジ色に黄帯の8577F(こちらも昭和30年代に7800系に施されていた塗装)に続いて2本目となり、亀戸線と大師線の8000系の5本のうちの2本がレトロカラーとなったのであります。

亀戸線では、2本共にレトロカラーで運転されることもあるし。

東武亀戸線の路線

亀戸〜亀戸水神〜東あずま〜小村井〜曳舟

亀戸駅は、JR中央・総武緩行線、曳舟駅は、東武スカイツリーライン(伊勢崎線、浅草、押上(地下鉄半蔵門線、東急田園都市線直通)、北千住、春日部、久喜、南栗橋方面)への乗換駅となっています。

亀戸線の亀戸駅は北側にある低いホーム(1,2番線)で、普段は、JR側にある1番線発着であります。

亀戸水神駅は、亀戸水神宮の最寄り駅であり、亀戸天神社(亀戸天神)に似ているところがあるけど、亀戸水神駅ではなく、亀戸駅(北口)が最寄り駅であるので注意が必要となります。

亀戸水神駅は、亀戸中央公園への最寄り駅でもあるし。

亀戸の由来は、昔江戸湾に浮かんでいた亀島であり、亀のような形であったから名付けられていました。

それが陸続きになったことから亀村となり、そこにあった亀ノ井という井戸があったことから、亀井戸がもじって亀戸と名付けられていたのであります。

亀戸は、亀戸餃子の本店があることでも有名であり、餃子1皿250円、2皿500円と安いのが魅力であるし。

亀戸駅の南側には、サンストリート亀戸があったけど、昨年3月31日をもって閉鎖されていました。

その跡地は再開発される予定となっているし。

その横には、都営新宿線の西大島駅付近(城東郵便局、ダイエー大島店)へと通じる遊歩道があり、途中には竪川人道橋もあります。

その遊歩道は、1972(昭和47)年11月11日まで都電が走っていた場所(専用軌道跡)であり、晩年は、都電の29系統(須田町〜葛西橋間)と38系統(錦糸堀車庫〜境川経由〜門前仲町間)が通っていました。

城東エリアの都電は、都心部で最後まで残されていた都電であり、都電荒川線の前身である王子電気軌道によって開拓された27系統の王子駅前〜赤羽間も一緒に廃止されていたし。

竪川の上には、首都高速7号小松川線(篠崎から京葉道路の有料区間に接続)が通っています。

亀戸駅前を含む京葉道路の無料区間は、両国一丁目〜(小松川橋・新小松川橋)〜篠崎町間であり、靖国通りに繋がっているし。

ダイエー大島店は、イオン(AEON)の系列となった後もダイエーのままとなっているけど、やがてイオンに鞍替えされていくことが予想されています。

ダイエーの碑文谷店(東急東横線の学芸大学駅付近)が、昨年12月にイオンスタイル碑文谷となっていたし。

こちらは、サークルKサンクスがファミリーマートに鞍替えされていくことと同様であります。

江東区から墨田区に入って最初の駅である東あずま駅は、東(ひがし)と東(あずま)と読む東々のような駅名であるけど、昔吾嬬町だったことやその東側にあることが由来となっています。

現在の地名は墨田区立花であり、周辺にある吾嬬神社、第一吾嬬小学校、東吾嬬小学校にその名残があるし。

小村井駅前には、明治通りに跨がる踏切があるけど、京成曳舟駅が高架化されてからはここだけとなっています。

小村井駅のほうも、東あずま駅と同様に昔の地名(小村井村)が由来となっているし。

曳舟駅は、東武スカイツリーラインへの乗換駅である高架駅で、1番線が浅草からの東武スカイツリーラインの下り列車、2番線が押上方面からの下り列車、3番線が押上方面への上り列車(地下鉄半蔵門線、東急田園都市線直通)、4番線がとうきょうスカイツリー、浅草方面への上り列車、5番線が亀戸線専用ホームであり、亀戸線の車両の入れ換えは、4番線で行われる為に、南栗橋車両管区春日部支所から回送されていた曳舟 6時25分発の亀戸行きの1本に限り、4番線からの発車となります。

曳舟の駅名の由来は、昔駅周辺に曳舟川が流れていたことであり、曳舟の駅名や駅周辺の曳舟川通り、葛飾区の曳舟川親水公園にその名残があります。

京成押上線の京成曳舟駅は、曳舟駅の東側にある駅であり、一昨年8月には全面高架化されていました。

東武亀戸線が開業したのは、1904(明治37)年4月5日のことで、当時は同時に開業した総武鉄道(国鉄→JR総武線の前身)の両国橋(現、両国)駅まで乗り入れていました。

こちらは1910(明治43)年3月に、吾妻橋(のちの初代浅草→業平橋→とうきょうスカイツリー駅)への乗り入れの再開により、両国橋への乗り入れが廃止され、亀戸線として独立していたのであります。

開業当時は、非電化で、蒸気機関車(SL)による牽引となっていたけど、1928(昭和3)年4月15日に電化されていました。

東武のSLと言えば、今年8月10日に大樹号として復活することで話題になっています。

亀戸線がワンマン化されたのは、2004(平成16)年10月19日のことであり、それ以前から8000系の2両編成が使われています。

8568Fは、今年1月3日に大師線で撮影していたので、ビフォーアフターの状態でありました。

ビフォーは、東武の標準塗装で、曳舟、大師前寄りの先頭車であるクハ8668号車に幌が残されていました。

その幌は、南栗橋工場での検査入場及び試験塗装への変更により撤去されていたし。

8568Fの一般での営業運転開始は、この日(2月18日)のことであり、2月20日には、大師線の運用に入っていました。

7800系に施されていた試験塗装は、8000系の8568Fにも似合っていると思います。

こちらは、緑亀塗装であることから亀戸線を走る列車に相応しい状態であるし。

この日はドラゴンボールスタンプラリーを仕上げる為に羽田空港から浜松町乗り継ぎで常磐線に向かう時に、8568Fに乗りたいということで、亀戸から曳舟乗り継ぎで北千住まで別途運賃を払った上で東武線に乗ったのであります。

このように、東武亀戸線の試験塗装車の8568Fに乗ることや、それを撮影することが出来て良かったです。

画像は、亀戸駅で撮影したものです。

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2017年02月24日

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2月18日は、羽田空港国際線ビルからモノレール浜松町まで、東京モノレール羽田空港線の新型車両である10000形の10011Fに乗りました。

東京モノレールの10000形は、2014(平成26)年7月18日(空港繁忙期前)に、2000形以来17年ぶりの新形式としてデビューした車両であり、1000形の置き換え用及び開業50周年記念によるイメージアップの為に導入されていました。

デビュー当初は、10011Fの1編成しかなかったけど、翌年(一昨年)の2015(平成27)年2月1日に10021Fが追加され、昨年12月17日の改正までの間に、5編成導入されています。

10000形は、これまでの東京モノレールの車両と同様の日立製作所製で、2000形ベースのスマートモノレールがコンセプトであり、黄緑色と水色と青色のグラデーション帯の外装、和のおもてなしが生かされた内装などで変化しているし。

中間には黄緑色と水色が使われているので、同じ日立製作所で製造された東武アーバンパークライン(野田線)の60000系を思い出します。

1000形の1091F(1996(平成8)年に導入された最終増備車)や2000形の2031Fも、10000形に準じた塗装に変更されたリニューアル車となっているけど、10000形目当ての場合には紛らわしい点があります。

側面表示は、2004(平成16)年8月の快速(現在は区間快速または空港快速)の増発により、種別のみが表示されるようになったけど、10000形では、種別に加え、行先も表示されています。

東京モノレール羽田空港線の路線

モノレール浜松町〜天王洲アイル〜大井競馬場前〜流通センター〜昭和島〜整備場〜天空橋〜羽田空港国際線ビル〜新整備場〜羽田空港第1ビル〜羽田空港第2ビル

区間快速の停車駅

モノレール浜松町〜天王洲アイル〜大井競馬場前〜流通センター〜羽田空港国際線ビル〜羽田空港第1ビル〜羽田空港第2ビル

空港快速の停車駅

モノレール浜松町〜羽田空港国際線ビル〜羽田空港第1ビル〜羽田空港第2ビル

乗換駅

モノレール浜松町 JR(山手線、京浜東北線、浜松町駅)、都営地下鉄(浅草線、大江戸線(大門駅))

天王洲アイル 東京臨海高速鉄道りんかい線(一部、JR埼京線、川越線へ直通運転)

天空橋 京急空港線

東京モノレールが開業したのは、1964(昭和39)年9月17日のモノレール浜松町〜旧、羽田間のことで、当時は途中駅がなく、100形によって、モノレール浜松町から羽田までノンストップで運転されていました。

こちらは同年10月10日に開幕していた東京オリンピック1964に間に合わせる為に出来た路線であるし。

翌年の1965(昭和40)年5月27日に、大井競馬場前駅が、競馬開催日の日中のみの臨時駅として開設され、1967(昭和42)年6月1日に通年営業化されていました。

1967年3月20日には、羽田整備場(現、整備場)駅が新設され、整備場地区への通勤客にも対応するようになっていたし。

1969(昭和44)年12月15日には、新平和島(現、流通センター)駅、1985(昭和60)年2月7日に昭和島駅、1992(平成4)年6月19日に天王洲アイル駅がそれぞれ新設され、東京モノレールが羽田空港へのアクセス以外にも使われるようになっています。

1993(平成5)年9月27日には、羽田空港の国内線ターミナルビルの沖合移転により、羽田空港(現、羽田空港第1ビル)駅まで延長されたと共に、新整備場駅が新設され、羽田(現、天空橋)駅が、旧国内線ターミナルビルの地下から京急空港線側に移転されていました。

これにより、整備場(羽田整備場から変更)〜旧、羽田間が廃線となり、羽田駅が、1998(平成10)年11月18日の京急空港線の羽田空港(現、羽田空港国内線ターミナル)への延長までの間、乗換駅として機能していたし。

2004年12月1日には、羽田空港第2ターミナルビル(ANAの国内線等)の新設(国内線ターミナルビルの増設)により、羽田空港第2ビルまで延長され、これまでの羽田空港駅(東京モノレール)が、羽田空港第1ビル駅に改称されていました。

2010(平成22)年10月21日には、羽田空港の新国際線ターミナルビルと共に、羽田空港国際線ビル駅が新設されて現在に至っています。

2007(平成19)年3月18日には、昭和島駅の待避線の使用開始により、浜松町〜羽田空港第1ビル間ノンストップの空港快速(HANEDA EXPRESS)が新設され、これまでの快速が、大井競馬場前、流通センター駅停車の区間快速に変更されていました。

2010年10月21日には、空港快速、区間快速共に羽田空港国際線ビルにも止まるようになり、空港快速の場合は、モノレール浜松町から羽田空港国際線ビルまでノンストップ(13分)で行けるようになっています。

東京モノレールの羽田空港国際線ビル駅は、地下にある京急空港線の羽田空港国際線ターミナル駅とは異なり、国際線旅客ターミナルビルに直結した地上部分にある為に、改札を出てすぐに国際線の出発ロビーに行くことが出来ます。

1998年11月18日に、京急空港線が羽田空港(現、羽田空港国内線ターミナル)まで延長されたことの影響で、東京モノレールの利用客が減少していたことにより、2001(平成13)年に筆頭株主が日立物流(日立グループ)からJR東日本に移り、快速(のちの空港快速、区間快速)の新設、増発、京浜東北線の浜松町駅停車化、モノレールSuicaの導入、天王洲アイル駅でのりんかい線とのリンクなどで巻き返しが図られていました。

日立グループ(日立製作所)への出資が継続されている為に、車両が全て日立製作所製となっています。

10000形は、JR東日本グループとなってから初めて導入された本格的な新車であるし。

羽田空港駅付近では、天空橋駅の手前から地下を走る京急とは違い、東京モノレールでは、天空橋駅を出た後、一旦地上に出て、新整備場駅の手前で再び地下に入るので、車窓から飛行場や飛行機を眺めることも出来るのが特徴であり、京浜運河からの景色を楽しむことや、4分間隔で待たずに乗れることが売りであります。

京急で羽田空港まで行った時には、飛行機利用の場合以外は展望デッキまで上がらないと飛行機を見れない状態であるし。

国内線の場合は、JAL(日本航空)、JTA(日本トランスオーシャン航空)、SKY(スカイマーク)、SFJ(スターフライヤーの北九州空港行き(ANAによるコードシェア便を含む))が羽田空港第1ビル(第1旅客ターミナル)駅下車

ANA(全日本空輸)、ADO(エアドゥ)、SNA(ソラシドエア)、SFJ(スターフライヤーの福岡、山口宇部、大阪(関西)の各空港行き)が羽田空港第2ビル(第2旅客ターミナル)駅下車であり、降りる駅を間違えてしまった場合は、京急の羽田空港国内線ターミナル駅の改札外にある自由通路を通っていくことになります。

東京モノレールの車両基地は、昭和島にあり、昭和島駅での出入庫が行われているし。

土休日には、東京モノレール沿線お散歩1dayパス(大人700円、小人350円)が発売されており、浜松町の世界貿易センタービルの展望台(シーサイド・トップ)に620円のところ、100円で入場出来ます。

京急まはえ号のところで紹介した沖縄都市モノレール(ゆいレール)は、跨座式で日立製作所製の車両が使われているという共通点があります。

東京モノレールは、アルヴェーグ式であり、ゆいレールは、多摩都市モノレールなどと同様の日本跨座式となっているし。

沖縄のお酒は泡盛であり、オリオンビールと同様に沖縄料理店で出されています。

東京モノレールでは、1967(昭和42)年から1981(昭和56)年までの間、日立運輸との合併により、日立運輸東京モノレールという社名となっていたこともありました。

2月27日まで行われているJR東日本主催のドラゴンボールスタンプラリーでは、天王洲アイル、羽田空港第1ビル駅も含まれているので、土休日のみ使える休日おでかけパスがお得であります。

羽田空港国際線ビル駅には、モノレールを撮影するスペースもあるので、オススメであります。

自分(しゃもじ)は、ドラゴンボールスタンプラリーをやるついでに飛行機も見てきました。

ドラゴンボールスタンプラリーでまだの方は、今週末がラストチャンスであります。

このように、東京モノレールの10000形に初めて乗ることが出来て良かったです。


よしちゃん@しゃもじyosiltdexp_mse60000 at 15:07│コメント(0)トラックバック(0)その他の私鉄、第三セクター | 鉄道乗車記 |
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