2017年03月

2017年03月31日

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こちらは、2月24日に、西武新宿線の西武新宿駅で撮影した、30000系の38102Fによるプレミアムフライデー号(急行西武遊園地行き)です。

2月24日から、毎月最終金曜日がプレミアムフライデー(早目の退社を呼び掛ける運動)となったことにより、最初のプレミアムフライデーであるこの日に、西武新宿から西武遊園地まで、プレミアムフライデー号(直通急行)が運転されたのであります。

時刻は、西武新宿 17時12分発→西武遊園地 17時57分着で、イルミネーションであるイルミージュに便利な時間に設定されていました。

途中停車駅は、高田馬場、鷺ノ宮、上石神井、田無、花小金井、小平、萩山、八坂、武蔵大和と、通常の急行と同じでありました。

西武遊園地駅が開業したのは、多摩湖鉄道の時代の1936(昭和11)年12月30日のことで、当時は村山貯水池駅と呼ばれていました。

それ以前の1930(昭和5)年1月23日に萩山〜村山貯水池(仮)間が開業していたけど、村山貯水池(仮)駅は現在の武蔵大和駅のことであります。

1941(昭和16)年4月1日に狭山公園前、1951(昭和26)年9月1日に多摩湖駅となり、1961(昭和36)年9月20日に現在地に移転されていました。

現在の西武遊園地駅となったのは、1979(昭和54)年3月25日のことであり、西武狭山線(池袋線系統)の狭山湖駅が西武球場前駅に改称されていました。

1985(昭和60)年4月25日に西武山口線がおとぎ列車から新交通システム(現在のレオライナー)に変わってからは、乗り換え駅となっています。

西武園ゆうえんちは、西武鉄道所有、西武レクリエーションによる運営の遊園地(アミューズメントパーク)であり、1950(昭和25)年1月25日に開園した当時は、東村山文化園と呼ばれていました。

その翌年の1951年9月26日に西武園となったし。

現在の多摩湖線は、萩山〜西武遊園地間の運用がメインとなり、国分寺からの直通列車が大幅に増えています。

小平折り返し列車は、拝島線にシフトされているし。

スマイルトレインこと西武30000系がデビューしたのは、2008(平成20)年4月26日のことであり、この38102Fは、38101Fと共にデビュー当時から新宿線系統で活躍しています。

同年5月には、38103Fの導入により池袋線系統にも進出していました。

今年3月25日にデビューした40000系は、今のところ池袋線系統に限定されています。

こちらは、20000系が2000(平成12)年2月20日にデビューした当時に新宿線系統限定だったことと同様であるし。

今日(3月31日)は2回目のプレミアムフライデーを迎えていたということで、2月24日に運転されたプレミアムフライデー号を話題にすることが出来て良かったです。


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こちらは、3月20日に友人と気仙沼に行った時のレポートです。

気仙沼駅でBRTから降りた後、気仙沼市役所を目指して歩きました。

気仙沼市役所も、2011(平成23)年3月11日に発生した東日本大震災に伴う津波にやられた場所であり、到達点の表示があります。

一緒に行動していた友人からは南気仙沼で降りようと言われていたけど、自分(しゃもじ)は終点の気仙沼まで乗っていたいことや、大船渡線のポケモンウィズユートレインを撮影したかったこと、乗る予定の大船渡線の列車まで時間があったことから気仙沼駅まで行ったのであります。

気仙沼駅には案内所があるので、南気仙沼とは違い迷う心配はないし。

自分(しゃもじ)にとって初めての気仙沼だったけど、友人は以前気仙沼に来たことがあると言っていたので、気仙沼市役所から目的地の海沿いまでのルートを知っていました。

周辺で船を見ることが出来たけど、こちらは気仙沼と大島を結ぶ船であります。

気仙沼で昼食を取ろうと、この日をもって最終日を迎えた復興屋台村気仙沼横丁に行った時に早く閉まっていた店が多かったです。

そんな時、隣にあるかもめ食堂を発見したので、そこでラーメンを食べました。

かもめ食堂のラーメンは、気仙沼らしく、魚介類が使われたスープや、サンマの香油が使われているので、海の恵みを感じました。

かもめ食堂のラーメンは、潮味を食べてみて美味しかったので、これを食べる為に気仙沼に足を運びたくなる気持ちがよく分かりました。

友人も食べてみて美味しかったと言っていたし。

看板メニューであるラーメンの他にも、かもめのメンチカツ、牛タンコロッケ、鮪丼、サーモン丼もあるので、気仙沼の食堂に相応しいメニューであることが分かります。

かもめ食堂は、現在とは異なる場所での営業が行われ、漁師さんや観光客たちに親しまれていたけど、2006(平成18)年4月に後継者不在により閉店され、その跡地が震災に伴う津波により失われていました。

そんな中、気仙沼市出身のラーメンちばき屋(東京都江戸川区東葛西にあるラーメン店)の店主である千葉憲二氏による一言(震災復興により故郷の味を守っていきたいこと)により、震災の翌年の2012(平成24)年2月2日に、気仙沼での建築制限解除(営業再開)の繋ぎとして、新横浜ラーメン博物館(ラー博)で復活し、新横浜に居ながらにして、気仙沼がアピールされていました。

一昨年の2015(平成27)年4月5日には、気仙沼での再開準備により閉店(ラー博を卒業)され、同年11月19日に、現在の場所で営業が再開され、9年半の時を隔ててかもめ食堂が気仙沼に帰ってきたのであります。

こちらからは海を眺めることも出来るので、憩いの場所ともなっているし。

このことで、復興屋台村気仙沼横丁で食べるよりも、かもめ食堂で食べることが出来て、かえって良かったと思っています。

その後、復興屋台村気仙沼横丁に立ち寄り、名物のシャークナゲット(鶏肉の代わりにサメの肉が使われたナゲット)を食べました。

我々が普段食べている三大食肉(牛肉・豚肉・鶏肉)とは異なり、サメの肉を食べる機会が少ないので、復興屋台村気仙沼横丁の最初で最後の訪問と共に貴重な機会でした。

気仙沼市はサメの水揚げ量日本一であり、高級中華料理の食材であるフカヒレの産地として有名であります。

気仙沼では、フカヒレ丼やメカカレー(メカジキを使ったカレー)も名物であり、肉よりも魚介類が盛んに食べられていることが分かります。

気仙沼市は、マジシャンのマギー審司氏の出身地として有名であるけど、アンジュルム(ハロプロ系のアイドルグループ)の佐々木莉佳子氏の出身地であるので、友人とこのことで話題になっていました。

その後は、目的地である亀乃湯という銭湯に立ち寄りました。

気仙沼の亀乃湯は、昔から漁師さんたちに親しまれている銭湯であり、震災の影響は受けたものの、建物自体が震災に耐えていました。

4月末には、かさ上げに伴う区画整理により閉店され、取り壊されてしまうので残念に思いました。

やはり、周辺にある気仙沼温泉に押されていることもあるし。

銭湯のシンボルである富士山の絵画のほか、浴槽に鯉のイラストもあったし、湯加減も良かったので、無くなるのが残念であることもそのはずであるし。

出た後には、店の叔母さんとの会話やお茶とお菓子のサービスが行われていたので、流石だなと思いました。

この時に東京から来たということを話した時に驚かれました。

亀乃湯の閉店と共にこのようなことが出来なくなることで寂しさを感じています。

当初の予定では、友人と18きっぷを使って山梨・長野まで行くことになっていたけど、すぐに東北(気仙沼)に変更されたのは、このことであったのであります。

友人は銭湯めぐりが趣味であり、そのお陰で自分(しゃもじ)も亀乃湯に行くことが出来たのであるし。

その後、気仙沼駅まで歩いて行き、気仙沼 16時15分発のドラゴンレール大船渡線の一ノ関行きに乗り、気仙沼での思い出を胸にして、気仙沼を後にしました。

気仙沼では、13時34分に到着し、16時15分に出発していたので、滞在するのにちょうど良かったです。

このように、初めての気仙沼を満喫することが出来て良かったです。本当に友人や気仙沼の皆さんに感謝しています。

画像は、復興屋台村気仙沼横丁、かもめ食堂のラーメン(潮味)、亀乃湯(銭湯)です。

よしちゃん@しゃもじyosiltdexp_mse60000 at 11:25│コメント(0)トラックバック(0)有名な観光地  |

2017年03月30日

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先程の続きで、3月20日は、柳津(やないづ)から、気仙沼まで、日野ブルーリボンシティ(ブルシチ)ハイブリッドのY537-13508(宮城200か22-88号車、LNG-HU8JMGP型)による気仙沼線のBRT(バス高速輸送システム)に乗りました。

こちらのBRTの車両は、JR東日本所有であり、運行は、JRバス東北ではなく、宮城交通の子会社であるミヤコーバス(気仙沼エリアのバス会社)に委託されています。

車体は赤色で、BRT沿線復興キャラクター(リスのキャラクター)である「おっぽくん」が描かれているので、おっぽくん号とも呼ばれています。

JR東日本では、1987(昭和62)年4月1日に国鉄分割民営化により発足された当時は、国鉄から継承されたバス事業(JR東日本バス)があったけど、翌年の1988(昭和63)年4月1日にJRバス関東とJRバス東北に移管された為に1年間で姿を消していました。

2011(平成23)年3月11日に発生した東日本大震災によって被災した路線のうち、被害が大きく、鉄道による復旧が困難な気仙沼線の柳津〜気仙沼間と、大船渡線の気仙沼〜盛間がBRTによって復活していたので、事実上のJR東日本バスの復活となっていたし。

大船渡線BRTは、岩手県交通(国際興業系の岩手県のバス会社)に運行が委託されています。

気仙沼線と大船渡線のBRTでは、昨年にグッドデザイン賞の金賞を受賞していたし。

気仙沼線BRTの路線

前谷地…(ノンストップ)…柳津〜陸前横山〜陸前戸倉〜志津川〜ベイサイドアリーナ〜清水浜(しずはま)〜歌津〜陸前港〜蔵内〜陸前小泉〜本吉〜小金沢〜大谷海岸〜陸前階上(はしかみ)〜最知〜松岩〜南気仙沼(市立病院入口)〜不動の沢〜気仙沼

専用道区間は、陸前戸倉〜志津川間、歌津〜陸前小泉間、本吉〜小金沢間、大谷海岸〜松岩間、不動の沢〜気仙沼間

大船渡線BRTの路線

気仙沼〜鹿折唐桑(ししおりからくわ)〜(※八幡大橋(東陵高校))〜長部〜奇跡の一本松〜陸前高田〜(※まちなか陸前高田)〜高田高校前〜高田病院〜脇ノ沢〜小友〜碁石海岸口〜細浦〜下船渡〜大船渡魚市場前〜大船渡〜盛

陸前矢作〜竹駒〜陸前高田→(一部のみ盛へ直通運転)

※八幡大橋(東陵高校)駅は4月1日、まちなか陸前高田駅は、4月27日に開業予定となっています。

専用道区間は、気仙沼〜鹿折唐桑間、陸前矢作〜陸前高田間、脇ノ沢〜盛間

その他、ミヤコーバスによる気仙沼〜鹿折唐桑〜上鹿折間(鹿折金山線)もあり、気仙沼〜鹿折唐桑間で、BRTによる専用道区間を通ることになります。

BRTでは、切符や現金のほか、odeca(BRT専用ICカード)、Suicaなどの交通系ICカードも使えます。

こちらは当然18きっぷでも乗ることが出来たので、18きっぷでも乗れるバス旅となりました。

柳津駅前を出た後、一般道を通り、陸前横山、陸前戸倉方面へ。

BRTのうち一般道を通る区間は、通常の路線バスと変わらないけど、道路渋滞による影響もあります。

BRTの車両には、鉄道時代や高速バスの車両とは異なり、車内トイレが付いていないので、乗車前にトイレに行っておく必要があります。

乗車中にトイレに行きたくなった場合は、運転手さんに報告し、最寄りのトイレ設置駅(志津川、本吉駅など)で停車して貰うことになるし。

降りる駅(バス停)が近づいたら、押しボタンで降車を知らせることも、通常の路線バスと同様であります。

陸前戸倉からは、鉄道区間から転用された専用道区間を通ったけど、鉄道用として使われていたトンネルをバスが通るという不思議な感じがしました。

専用道では行き違いが出来ないので、出来るようなスペースで行き違いが行われるし。

南三陸町の中心である志津川駅は、周辺に魚市場、南三陸温泉などがあり、3月3日には、南三陸さんさん商店街が開設されていました。

南三陸町防災対策庁舎は、震災が発生した当時に高台に避難して下さい!というアナウンスがあったことで有名であり、このアナウンスによって高台に避難していた人たちの命が救われたというエピソードがありました。

こちらは現在でも解体されずに残されているのは、震災遺構として残す為であります。

女川駅などが高台に移設されたのも、津波から守る為でもあるし。

モアイ像は、東京渋谷にあるものが有名であるけど、南三陸町にもあることを知りました。

こちらは震災によって被害を受けていたけど、2013(平成25)年に南米チリのイースター島から復興のシンボルとして再び贈呈されていました。

こちらは、渋谷駅のハチ公口と秋田県の大館駅前の忠犬ハチ公の銅像の関係と同様であるし。

南三陸町の名物であるキラキラ丼は、A級グルメの海鮮丼であり、3月と4月は春づけ丼、5月〜8月はうに丼、9月〜10月は秋旨丼、11月〜2月はいくら丼となります。

ベイサイドアリーナ駅は、BRT化と共に新設された駅であり、その名の通り、スポーツ交流村(南三陸町総合体育館ベイサイドアリーナ)があります。

周辺には、南三陸町役場の仮庁舎や南三陸病院もあるし。

南三陸町には、田束山、平成の森、神割崎などの見所もあります。

歌津を出た後、再び専用道を通り、陸前港、蔵内へ。

BRTでは、車窓からの海の眺めも良いので晴れて良かったと思っています。

本吉駅は、鉄道時代に折り返し列車があった駅であり、BRT化された後も折り返し便があります。

日中は本吉〜気仙沼間30分間隔、前谷地、柳津〜本吉間1時間間隔となっているので、鉄道時代よりも本数が増えたことを実感しました。

本吉駅などには、旧ホーム跡が残されているので、今でも列車が走り出しそうな感じがしたし。

大谷海岸駅付近には、道の駅大谷海岸(はまなすステーション)があります。

ここを出た後に専用道区間を通り、陸前階上へ。

周辺には、気仙沼向洋高校があり、震災に耐えていた南校舎跡が震災遺構として残されています。

震災の時には生徒たちが全員避難して無事であったし。

岩手県陸前高田市の奇跡の一本松(BRT大船渡線沿線)は、震災前にあった高田松原の一部であり、津波によって流された中唯一残った一本松として親しまれていました。

こちらは震災遺構によるモニュメントとして残されているし。

南気仙沼駅(市立病院入口)は、市立病院近くの県道上にある駅(バス停)であり、震災前は、市場等に近い場所でありました。

一緒に行動していた友人からは南気仙沼で降りようと言われていたけど、自分(しゃもじ)は終点の気仙沼まで乗っていたいことや、大船渡線のポケモンウィズユートレインを撮影したかったこと、乗る予定の大船渡線の列車まで時間があったことから気仙沼駅まで行ったのであります。

不動の沢を出た後、ラストスパートとなる専用道を通り、気仙沼駅に到着しました。

こちらは大船渡線BRTと同様に鉄道と同じホームに乗り入れています。

盛駅でも三陸鉄道南リアス線(盛〜釜石間)と同じホームに乗り入れているし。

気仙沼駅には案内所があるので、南気仙沼とは違い迷う心配はないし。

気仙沼駅からは目的の場所まで歩いて行った時に、気仙沼市役所を目指しました。

気仙沼には、気仙沼市魚市場、気仙沼温泉などの見所があるけど、この日に最終日を迎えていた復興屋台村気仙沼横丁にも立ち寄りました。

この日の昼食には、復興屋台村で済まそうと思っていたけど、早く閉まったところばかりだったので、すぐ近くにあるかもめ食堂に行きました。

かもめ食堂は、気仙沼ラーメンで有名であり、気仙沼らしく、魚介類によるスープやサンマの香油が使われているので、海の恵みを感じます。

気仙沼はサンマやサメの水揚げが豊富であり、フカヒレ料理やシャークナゲットも名物であります。

お目当ての場所は、亀乃湯という銭湯であり、残念なことに4月末をもって閉鎖されてしまいます。

気仙沼復興商店街南町紫市場も、4月中をもって閉鎖され、5月から内湾商店街隣接地に本設オープンされる予定となっているし。

このように、BRTに乗り、気仙沼を満喫することが出来て良かったです。

BRTの画像は柳津駅前で撮影したものです。

この記事は、JRバスのカテゴリーとさせていただきました。


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3月20日は、前谷地から柳津(やないづ)まで、気仙沼線のキハ110系(陸中型DC)のキハ110-103号車の単行による柳津行きに乗りました。

気仙沼線の前谷地〜柳津間は、1968(昭和43)年10月24日に、国鉄柳津線として開業した区間であり、1977(昭和52)年12月11日に柳津〜本吉間が開業した時に気仙沼線に編入されていました。

2011(平成23)年3月11日に発生した東日本大震災の後、比較的被害の小さかった前谷地〜柳津間が、同年の4月23日に復旧し、被害の大きかった柳津〜気仙沼間が2012(平成24)年8月20日にBRTにより仮復旧していました。

こちらは同年12月22日にBRTの本格運用に切り替えられたので、事実上のバス転換区間となっています。

これによって、国鉄柳津線の時代に逆戻りしたような感じがしてきたし。

気仙沼線の路線(前谷地〜柳津間)

(一部のみ小牛田まで直通運転)←前谷地〜和渕〜のの岳〜陸前豊里〜御岳堂〜柳津…(BRT)…気仙沼

のの岳駅は、周辺にある箟岳山が由来であります。

キハ110-103号車は、1991(平成3)年2月に新潟トランシスの前身である新潟鐵工所で製造され、郡山総合車両センター(磐越東線)に配属されていました。

現在はキハ40系列の置き換え用として小牛田運輸区に回されて現在に至っているし。

キハ100系列がデビューした時に、急行陸中号(現、快速はまゆり号、盛岡〜釜石線経由〜釜石間)に使われていたので、陸中型とも呼んでいます。こちらは、陸中エリアでデビューしていたということもあるし。

快速はまゆり号の指定席車両(3号車)が、リクライニング機構付きの座席となっているのは、2002(平成14)年11月30日まで運転されていた急行陸中号の名残であります。

関東でキハ110系列を見ることの出来る路線は、八高線の高麗川〜倉賀野〜高崎間のみであるし。

今から10年前までの2007(平成19)年までは茨城県と福島県に跨がる水郡線(水戸〜安積永盛〜郡山間)でも見られていました。

気仙沼線の前谷地〜柳津間は、鉄道(1日9往復)と前谷地〜気仙沼間直通のBRT(前谷地〜柳津間ノンストップ、1日10往復)に分かれているけど、今回は前谷地から柳津まで鉄道で、柳津から気仙沼までBRTで移動することが出来て良かったです。

前谷地〜柳津間のBRTは、ノンストップで線路から離れた場所を走っているので、つまらなかったところだったし。

柳津駅のある登米市は、2005(平成17)年4月1日に、登米郡の迫町、登米町、南方町、東和町、中田町、豊里町、米山町、石越町と、本吉郡津山町が合併して出来た市であり、陸前豊里、御岳堂の両駅は、旧豊里町、柳津駅は、BRTの陸前横山駅と同様に、旧、津山町に位置しています。

柳津駅の駅舎にある津山観光物産館ゆうキャビンは、津山町だったという証であり、津山と言えば、岡山県の津山市を思い出してしまいます。

柳津駅からは、登米市民バス津山線も出ているので、隣の南三陸町と同様に乗り合いバスとの連携が図られているところも、BRTの良いところであるし。

旧津山町は、スギの産地として有名であり、周辺にある道の駅津山もくもくランドでもアピールされています。

柳津は、日本三大虚空蔵尊である柳津虚空蔵尊があることで有名であるし。

登米市の郷土料理であるはっと鍋は、小麦粉で作られたはっとが入った鍋であり、登米市観光PRキャラクターである「はっとン」も、はっと鍋がイメージされています。

宮城県の超高級ブランド牛肉(肉質A5,B5ランク)である「仙台牛」は、約4割が登米市で生産されているので、登米産牛としても有名であります。

東北本線の梅ケ沢、新田(にった)、石越の各駅も登米市にある駅であり、梅ケ沢、新田の両駅は、旧、迫町、石越駅は、旧、石越町に位置しているし。

石越駅は、今から10年前の2007(平成19)年3月31日まで、くりはら田園鉄道(石越〜細倉マインパーク前間)が出ていたことで有名であり、1995(平成7)年3月31日までは、栗原電鉄による電車の運転となっていました。

くりはら田園鉄道は、気動車(DC)による再スタートから丸12年で廃線となったけど、活躍していた車両(KD95形やKD10形(元名鉄キハ10形DC))の一部が動態保存されています。

名鉄と言えば、竹鼻線(笠松〜江吉良間)にも柳津駅があり、こちらもやないづと読みます。

竹鼻線は、2001(平成13)年9月30日に江吉良〜大須間が廃止されてからは、江吉良〜新羽島間の羽島線と一体で扱われています。

新羽島駅は、東海道・山陽新幹線の岐阜羽島駅への乗換駅でもあるし。

名鉄から気動車が全廃となり、全て電車化されたのは、2004(平成16)年3月31日の三河線の西中金〜猿投、碧南〜吉良吉田間の廃止のことであり、2001年9月30日に廃止された八百津線(明智〜八百津間)でもDCが活躍していました。

これにより、大手私鉄所有の気動車が乗り入れ用を含めて全廃されていたけど、東武鉄道では、会津鉄道から野岩鉄道会津鬼怒川線を経由して乗り入れてくる気動車(AIZUマウントエクスプレス、会津若松〜鬼怒川温泉、東武日光間、会津鉄道のAT-600(650)形またはAT-700(750)形による片乗り入れ)があるので、気動車ゼロの状態ではないです。

東武鉄道では、1983(昭和58)年5月31日に廃止された熊谷線(熊谷〜妻沼(めぬま)間)で、キハ2000形DCが活躍していたけど、熊谷線の廃止以来、気動車の復活はない状態であるけど、会津鉄道の車両でありながら、気動車の復活となっていたのであります。

2005年3月1日から2010(平成22)年5月30日までの間、元名鉄のキハ8500系DC(元北アルプス用)が、350系によって運転されていた急行南会津号に代わって、AIZUマウントエクスプレスとして鬼怒川温泉まで乗り入れていたこともあり、東武線を元名鉄の気動車が走っていたことになっていました。

今回乗った柳津行きの列車は、1日4往復ある小牛田始発であり、前谷地駅で、女川・石巻方面の列車から接続していました。

御岳堂〜柳津間では、北上川を渡りました。

石巻〜陸前稲井間では、旧北上川を渡っていたし。

このように、気仙沼線の前谷地から柳津まで、鉄道で移動することが出来て良かったです。

画像は、前谷地駅で撮影したものです。


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2017年03月29日

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昨日(3月28日)は、茅場町から中目黒まで、3月25日に本格的に営業運転が開始された東京メトロ日比谷線の新型車両である13000系の13101Fに乗りました。

こちらは、昨年12月23日から25日までの3日間に、南千住〜霞ケ関間の1往復で特別運転された時と同じ編成であり、本格的な営業運転開始により、北千住〜南千住間、霞ケ関〜中目黒間はもちろんのこと、東武スカイツリーライン(北千住〜東武動物公園、南栗橋間)の直通列車にも進出したことになりました。

初日の25日と26日は、13102Fが使われていたけど、26日に乗ろうとした時に13102Fが千住検車区に入庫され、ドア故障により03系の03-112Fに車両交換された為に乗れなかったので、今回リベンジすることが出来たのであります。

この日は13101Fだけが14S運用で入っていたので、乗ることが出来て良かったけど、残念なことに13102Fの初乗車がお預けとなってしまいました。

3月25日の初日は13102Fが北千住〜中目黒間中心の16S運用に入り、最後の1往復のみが北越谷まで乗り入れていました。

3月26日には、22S運用に入り、東武動物公園まで初めて乗り入れるようになったけど、途中から03-113Fとの交換によって36S運用となり、北千住15時34分着をもって千住検車区に入庫され、再出庫が期待されていたけど、ドア故障により03-112Fに車両交換されて運用が終了していました。

昨日(3月28日)は、14S運用(平日初の終日運用)に入り、中目黒 12時15分発→南栗橋 14時12分着、14時41分発→中目黒 16時39分着の運用で初めて東武日光線の南栗橋までの営業運転に入っていたのであります。

日比谷線の路線

中目黒〜恵比寿〜広尾〜六本木〜神谷町〜霞ケ関〜日比谷〜銀座〜東銀座〜築地〜八丁堀〜茅場町〜人形町〜小伝馬町〜秋葉原〜仲御徒町〜上野〜入谷〜三ノ輪〜南千住〜北千住→(東武線、南栗橋まで直通運転)

乗換駅 中目黒 東急東横線

恵比寿 JR(山手線、埼京線、湘南新宿ライン(横須賀線⇔宇都宮線、東海道線⇔高崎線直通))

六本木 都営大江戸線

霞ケ関 丸ノ内線、千代田線
日比谷 千代田線、都営三田線、有楽町線(有楽町駅)

銀座 銀座線、丸ノ内線

東銀座 都営浅草線

八丁堀 JR京葉線

茅場町 東西線

人形町 都営浅草線

秋葉原 JR(山手線、京浜東北線、中央・総武緩行線)、つくばエクスプレス線、都営新宿線(岩本町駅)

仲御徒町 都営大江戸線(上野御徒町駅)、銀座線(上野広小路駅)、JR(山手線、京浜東北線(平日の日中の快速は通過)、御徒町駅)

上野 銀座線、JR(山手線、京浜東北線、上野東京ライン(宇都宮線、高崎線、常磐快速線⇔東海道線)、東北・北海道・山形・秋田・上越・北陸新幹線)、京成本線(京成上野駅)

南千住 JR常磐快速線、つくばエクスプレス線

北千住 東武スカイツリーライン(伊勢崎線、南栗橋まで直通運転)、千代田線、JR(常磐快速線、常磐緩行線(千代田線へ直通運転)、つくばエクスプレス線

三ノ輪駅からは都電荒川線の三ノ輪橋電停に行くことも出来るけど、都電側に日比谷線は乗り換えの表示があるのに、メトロ側にはそれがない状態であります。

東京メトロの中期経営計画によると、将来的には、日比谷線・都営浅草線の人形町駅⇔半蔵門線の水天宮前駅間と、日比谷線の築地駅⇔有楽町線の新富町駅間が連絡駅に指定される予定となっています。

人形町駅では、4月1日から、PASMOやSuicaなどのICカードに限り、都営浅草線の人形町駅から、東京メトロ日比谷線の乗り換え専用改札口(新設)を通り、日比谷線側にしかないA1,A2出口(水天宮方面)へと通り抜けられる改札通過サービスも行われるようになります。

このような東京メトロ⇔都営地下鉄間の乗り換え専用改札口を経由してでの改札通過サービスは、市ヶ谷、春日・後楽園、門前仲町、青山一丁目の各駅でも行われているし。

東武スカイツリーライン(伊勢崎線)と東武日光線の北千住〜東武動物公園、南栗橋間の路線(日比谷線直通は全て普通列車)

北千住〜小菅〜五反野〜梅島〜西新井〜竹ノ塚〜谷塚〜草加〜※松原団地〜新田〜蒲生〜越谷〜新越谷〜北越谷〜大袋〜せんげん台〜武里〜一ノ割〜春日部〜北春日部〜姫宮〜東武動物公園〜杉戸高野台〜幸手〜南栗橋

※松原団地駅は、4月1日から獨協大学前(草加松原)駅となります。

西新井駅は東武大師線、新越谷駅はJR武蔵野線(南越谷駅)、春日部駅は東武アーバンパークライン(野田線)、東武動物公園駅は伊勢崎線(久喜、館林方面)、南栗橋駅は日光線(新栃木方面)への乗換駅であります。

東武スカイツリーラインの複々線化

1974(昭和49)年7月2日、北千住〜竹ノ塚間(関東の私鉄初の複々線区間)

1988(昭和63)年8月9日、竹ノ塚〜草加間

1997(平成9)年3月25日、草加〜越谷間

2001(平成13)年3月28日、越谷〜北越谷間

こちらの複々線区間は、外側が急行線、内側が緩行線であり、日比谷線直通の場合は全て内側の緩行線を通ることになります。

日比谷線からの北越谷行きの直通列車は、1962(昭和37)年5月31日の東武線と日比谷線との直通運転が開始された時のことを彷彿とさせるし。

日比谷線の北千住駅が3階部分と高い場所に移されたのは、1996(平成8)年7月23日のことで、それ以前は地平ホームの内側から発着していました。

北千住駅の日比谷線のホームは、2005(平成17)年8月24日に開業したつくばエクスプレス線のホームと同じレベルにあるし。

中目黒駅は、外側が東急東横線、内側が日比谷線が入っている高架駅であり、東武東上線から乗り入れている9000系列や50070系と、日比谷線直通の東武20000系列の組み合わせが見られているけど、4月21日からは70000系も加わることになります。

中目黒駅の留置線は3本あるので、ダイヤが乱れた時のやりくりがしやすくなっています。

これにより、2013(平成25)年3月16日に東急東横線と日比谷線の直通列車が廃止されても問題なく折り返すことが出来るようになっているし。

13000系は、03系と同様に東急田園都市線の鷺沼駅構内にある鷺沼工場(半蔵門線と共用で、鷺沼検車区に隣接)で行われるので、東急線を走ることが出来ます。

東横線〜日比谷線直通列車が廃止された後も、中目黒駅での渡り線が撤去されずに残されたことや、現在でも東急線を走る03系を見ることが出来るのはその為であるし。

鷺沼検車区は、1979(昭和54)年に長津田検車区に移転されるまでの間は東急の車両基地だったけど、長津田への移転により、南側が営団地下鉄(当時)に譲渡され、北側が東急による留置線となったのであります。

東京メトロ丸ノ内線、日比谷線、千代田線の霞ケ関駅(東京都千代田区)は、霞ヶ関ではなく、霞ケ関と表示されるのが正しい状態であるのは、東武東上線の霞ヶ関駅(埼玉県川越市)と区別することもあります。

東武東上線の霞ヶ関駅は、1916(大正5)年10月17日に的場駅(現在のJR川越線の駅とは別)として開業した駅であり、1930(昭和5)年1月14日に現在の霞ヶ関駅となっていたし。

車内の広告のほうは、ドラえもんの広告のままでありました。

このように、3月28日の自分(しゃもじ)の誕生日に、茅場町から中目黒まで、日比谷線の13000系に乗ったことにより、目標達成することが出来て良かったです。

画像の並びの03系は、03-103Fによる北千住行き、03-110Fによる北越谷行きです。


よしちゃん@しゃもじyosiltdexp_mse60000 at 15:24│コメント(0)トラックバック(0)大手私鉄 | 鉄道乗車記 |
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