山城Love☆

お城とカメラが大好きな山城女子です^^
仕事と家事の合間を見つけ、体力の低下を感じながらも、デジイチ片手に気になる山城を見つけては登城しています♪
最近では、地形や古戦場、護衛艦など興味が拡大中ですw
城ガール隊の隊長として、城学と藪の中を邁進中~♫

2019 箱館歴旅⑧ ~松前城争奪戦 part-Ⅱ~

ぬはっす~流星☆です( -д-)ノ
仕事と旅の合間に旅記録を書き溜める日々を送ってます…
この勢いで3本書き溜めれるか…

今回は久しぶりにお城について綴ります
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福山城(松前城)

福山城というと、どうしても広島県の福山城を思い浮かべてしまいます
なので、今回は敢えて松前城と称します

松前城について…となると、コシャマインの戦いで活躍した松前藩祖 武田信広氏から綴る?
いや、長くなりそうだから端折ります
※武田信広氏が登場したブログはコチラから⇒箱館歴旅③ (詳細は求めないでください)

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慶長5年(1600)、松前慶広氏が陣屋を構えて福山館とよび、蝦夷地支配の拠点としていたそうです。
嘉永2年(1849)、北辺警備を幕府に命じられた松前藩13代藩主 松前嵩廣氏が、外国艦船による海上からの攻撃を想定して城を築いたと伝わっています。
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松前藩13代藩主 松前嵩廣氏

城内へ通じる坂は5つあったそうです。
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そのうちの一つ、馬坂からアプローチしました
明治元年(1868)11月5日、土方隊がこの馬坂から松前城へ突入したのではないかと言われているようです。

馬坂を登っていくと、搦手門前に到達します。
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反対側の台地上には、前回の記事で登場した法華寺

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堀を越えて…

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門の先には日本らしい天守が見えます

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松前城は日本最北端(でいいよね?)にある天守であり、日本最後の天守に加えて、西洋式の砲台が備わっているという点からしても、珍しいのではないかと感じました

ちなみに、松前城は国史跡に指定されており、日本百名城にも選定されてます
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こちらにスタンプがありました。

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現存の本丸御門と、昭和36年に外観復元された天守

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本丸表御門玄関

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京都伏見城の一部が移されたとも伝えられていると書かれてます。

箱館歴旅s
天守台の石垣には、箱館戦争時の弾痕が今でも残っています

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本丸と二の丸の間にある水堀
そういえば、堀らしい堀ってココくらいかな

松前城は、海上からの攻撃を意識しているため、海側にある三の丸に7基の砲台を設けていたそうです。
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監視のための櫓もバッチリ

現在、五番と七番の砲台跡はきちんと表示してあります。
でも、他の砲台も痕跡を確かめたく歩いてみる…
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ただの崩れと言われればそうかもしれないが、砲座に見えなくもない

また、2番砲台と3番砲台の間には門があったみたい。
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石段の痕跡があり、坂虎口にも思える場所がありましたが、門の跡かしら

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五番砲台

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天神坂から登ってきた此の辺りに、恐らく6番砲台があったのかも

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天神坂からも、旧幕府軍が攻め込んできたのではないかと言われています。

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七番砲台

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七番砲台は、覆屋が復元されています。

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七番砲台だけ海方向を向いてない気がする…

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もしや、法華寺⁈

海側に位置する三の丸や、沿岸部に台場を設けて意識を強めている松前城ですが、反対側はどうだったんだろう

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反対側は寺町だったようです

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松前藩主の菩提所があります。

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歴代藩主のお墓もありました。

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当時の寺町の道路は半分程度の幅で、残りは堀だったとか。
それでも、コチラ側の防御は弱いような気がしました

この寺町も、松前城陥落の際に火を放たれたそうです。

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松前城が陥落した時の藩主が松前徳広氏。
松前藩が二ヶ月の突貫工事で築いた館城へと避難していましたが、11月15日に旧幕府軍が攻め込んでくる直前に脱出し、11月19日に熊石から津軽に向けて脱出したそうです。
もともと病弱だった徳広氏は、敗戦の衝撃で喀血(肺結核)して25歳の若さで亡くなったそうです。
ちなみに、完成から20日で陥落した館城も国史跡に指定されているそうです。

ここまで順調な旧幕府軍、この後の展開は… 


旅メモ

松前城(福山城)


北海道松前郡松前町松城144
駐車場:あり  トイレ:あり
開館期間:4月中旬~12月中旬  開館時間:9時~17時
入館料:大人 360円

箱館歴旅s (12)
松前城といえば、この構図

訪問日:2019年10月13日

















2019 箱館歴旅⑦ ~松前城争奪戦 part-Ⅰ~

ぬはっす~流星☆です( -д-)ノ
何気に数えたら、今年の更新数25本にも届いてないことにショック…
まぁ、今年は色々とあったから仕方ないな

今回は明治元年10月26日に旧幕府軍が五稜郭を占拠し、その後の足取りを綴ってみます。
なんとなく長くなりそうなので、2本に分けて書こうと思います。
(そもそも、幕末、戊辰戦争の知識がないので、2本に分けても内容は薄い

五稜郭を占拠した旧幕府軍は、蝦夷地で唯一抵抗する松前藩を殲滅すべく、攻撃隊を編成しました。
明治元年(1868)10月27日、五稜郭を出発した松前攻城軍の兵力は750だったそうです。
土方歳三氏を総長に、彰義隊、陸軍隊、額兵隊、遊撃隊、新選組等で構成されていた模様。
旧幕府軍の軍艦 回天、蟠龍が福山湾に入り砲撃を行ったそうです。

軍艦の援護もあり、松前攻城軍は11月5日に松前城下に進出、松前城東方約500mの法華寺台上に陣地を構えました。
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台地の上ということがよく分かる高低差

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山門からは海が見えます

法華寺に陣を構えた旧幕府軍は、最初に法華寺の南方にある筑島砲台を攻撃したそうです。
ここの砲台があるため、旧幕府軍の軍艦が沖合から近づけなかったらしい。
実際、筑島砲台からの弾丸が蟠龍に当たり、蟠龍は箱館に引き返しているそうです。

筑島砲台の無力化に成功した旧幕府軍は、松前城へと突撃します。

松前藩兵は門内に野砲を並べ、攻めてくる土方軍に放火を浴びせると門を閉め、弾丸を装填しては開門して撃つという作戦を取り、これには土方軍も苦戦した様子。
しかし、土方軍は銃を構え、開門と同時に射撃するという手段に出て城中の突入に成功しました。

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箱館戦争関連地には、写真のようなパネルが設置されており、色々と説明が書かれています
無知の私には、とっても助かる
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旧幕府軍は、松前城を半日で陥落させたと書いてありました。
上の絵を見て分かるように、城下も焼かれ壮絶な光景が広がっていたと思います。
よく見ると、法華寺から松前城に向かって砲撃している様子も描かれています。
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この距離間で互いに砲撃し合っているわけですから、相当数の死傷者が出たんだと思いました。

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法華寺

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木彫りの彫刻が美しい

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旧幕府軍戦没者合同慰霊碑が建立されていました。

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慰霊碑の背後にある合葬塚

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銚子沖で遭難した美嘉保丸で死亡した徳川陸軍隊・士官隊の墓標


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伊州藩 松山明義墓碑

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元会津藩士の墓碑

松前の地で亡くなった旧幕府軍の志士は、法華寺歴代住職によって密かに供養が営まれていたと、現地で購入した冊子に書いてありました。
敵であれ、味方であれ、地元の方によって供養されていることに感動しました…

そして、旧幕府軍が攻め込んだ松前城とは、どのようなお城だったのでしょうか…


歴旅メモ

法華寺

北海道松前郡松前町豊岡258
駐車場:松前城の駐車場を利用  トイレ:不明

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訪問日:2019年10月13日








2019 箱館歴旅⑥ ~松前藩戸切地陣屋~

ぬはっす~流星☆です( -д-)ノ
もう12月…今年もあと1ヶ月…来年こそは、こまめに更新したい
(という時点で、今年はもう諦めている)

箱館歴旅記録、これまでは旧幕府軍関連ばかりだったので、今回は違う感じで

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松前藩戸切地陣屋跡

安政2年(1855)幕府に命じられ松前藩が築いた陣屋です。
四稜郭となる西洋式稜堡で、南東部の隅が突出し砲座が設けられています。

五稜郭の築城開始が安政4年(1857)なので、西洋式稜堡は戸切地陣屋が最初なのだろうか
勝手に五稜郭を設計した武田斐三郎氏が、初めて西洋式稜堡を取り入れたと思っていた
この縄張りを考案したのは誰なんだろう…気になります

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戸切地陣屋は広い駐車場が完備されています。
どうやら桜の名所らしく、春には多くの方が花見に訪れるんだろうな~と思いました

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戸切地陣屋は国史跡に指定されており、きれいに整備されています
復元された大手門の奥には、目隠し土塁がドーン

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大手門の前には、両サイドに空堀が設けられています。

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この戸切地陣屋、私がイメージする陣屋とは全く違うものでした

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なんといっても広い、広すぎるっ

敷地内は17棟の建物があったそうです。
現在は建物跡などが、丁寧に表示されていました。
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藩士詰所跡

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風呂場跡

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南東の隅部には、6基の砲座が設けられていました。

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砲座の近くには、大砲入跡もありました。

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砲座が設けられていたのは、この一角のみ

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搦手門も復元されています。
大手門同様、門の奥には目隠し土塁

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目隠し土塁にはスロープが設けられており、大砲を運んだのだろうかと思いました。
門からの侵入を大砲でドーンッってわけですね

戸切地陣屋は五稜郭と違い、土造りで出来た稜堡
(五稜郭については、今後登場する予定です)

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搦手門の前にも空堀が設けられています。
コチラの方が自然な雰囲気

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搦手門を出て少し行くと、火薬庫があるそうです。
歩いてでも行けそうな距離ですが、私たちは若干ビビリ気味…

なぜなら陣屋内部で大きい足跡らしき痕跡を見つけたから…
箱館歴旅s (2)
写真では分かりにくいですが、足跡が丸みを帯びている…
鹿や猪の類とは違う気がする…

ってことで、火薬庫まで車で移動しました
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松前藩戸切地陣屋附属火薬庫跡

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大砲や鉄砲に用いる火薬を保管していた場所です。

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入口は2ヶ所あり、周囲を土塁と堀で囲ってあります。

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堀は排水溝の役目を担っていたようです。
土塁は火薬が爆発した際の被害を最小限にするためであり、排水溝は湿気対策ですね

せっかく築いた立派な陣屋ですが、明治元年(1868)10月24日、旧幕府軍の急襲に陣屋を守備していた松前藩兵は、陣屋が使われないよう自ら火を放って退却したと伝わっています。
その翌日、箱館府知事の清水谷公考氏は青森へ退却したため、10月26日に旧幕府軍が五稜郭を占拠しました。


旧幕府軍が目指した次なる場所は…


旅メモ

戸切地陣屋

北海道北斗市野崎
駐車場:あり  トイレ:あり

箱館歴旅s (4)
今年訪城したなかでは上位に入るなぁ~

訪問日:2019年10月12日







史跡☆写真館
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  • 2019 箱館歴旅⑧ ~松前城争奪戦 part-Ⅱ~
プロフィール

流星☆

ようきてくんさった♫
  • 累計:

自己紹介♫
城旅開始 2011年1月より


2019年の初訪城 57城

2019年の総訪城 82城



今までの訪城 588城

複数回の訪城含めると909城

(2019年11月24日現在)



日本百名城 77/100城

(2019年10月14日現在)



続日本百名城 20/100城

(2019年11月24日現在)



岩村城 16訪城



【流星☆プロフィール】

城ガール隊 隊長

(北陸東海支部)



城友会(軍師)



サイガ塾



ブラタモ部 ST部



城郭数寄者



古事記倶楽部



週末城旅人

愛する城:岩村城

好きな城:琉球のグスク

好みの傾向:実際に戦った城

※塹壕、仕寄、土塁線に萌える傾向あり



岐阜県ファンクラブ会員

岐阜県の城にたくさん行きたい!でも、単騎できない小心者

岐阜県の城歩き、いつでもご一緒します♫
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