ぬはっす~流星☆です( -д-)ノ
仕事と旅の合間に旅記録を書き溜める日々を送ってます…
この勢いで3本書き溜めれるか…
今回は久しぶりにお城について綴ります

福山城(松前城)
福山城というと、どうしても広島県の福山城を思い浮かべてしまいます
なので、今回は敢えて松前城と称します
松前城について…となると、コシャマインの戦いで活躍した松前藩祖 武田信広氏から綴る?
いや、長くなりそうだから端折ります
※武田信広氏が登場したブログはコチラから⇒箱館歴旅③ (詳細は求めないでください)

慶長5年(1600)、松前慶広氏が陣屋を構えて福山館とよび、蝦夷地支配の拠点としていたそうです。
嘉永2年(1849)、北辺警備を幕府に命じられた松前藩13代藩主 松前嵩廣氏が、外国艦船による海上からの攻撃を想定して城を築いたと伝わっています。

松前藩13代藩主 松前嵩廣氏
城内へ通じる坂は5つあったそうです。

そのうちの一つ、馬坂からアプローチしました
明治元年(1868)11月5日、土方隊がこの馬坂から松前城へ突入したのではないかと言われているようです。
馬坂を登っていくと、搦手門前に到達します。

反対側の台地上には、前回の記事で登場した法華寺

堀を越えて…

門の先には日本らしい天守が見えます

松前城は日本最北端(でいいよね?)にある天守であり、日本最後の天守に加えて、西洋式の砲台が備わっているという点からしても、珍しいのではないかと感じました
ちなみに、松前城は国史跡に指定されており、日本百名城にも選定されてます

こちらにスタンプがありました。

現存の本丸御門と、昭和36年に外観復元された天守

本丸表御門玄関

京都伏見城の一部が移されたとも伝えられていると書かれてます。

天守台の石垣には、箱館戦争時の弾痕が今でも残っています

本丸と二の丸の間にある水堀
そういえば、堀らしい堀ってココくらいかな
松前城は、海上からの攻撃を意識しているため、海側にある三の丸に7基の砲台を設けていたそうです。


監視のための櫓もバッチリ
現在、五番と七番の砲台跡はきちんと表示してあります。
でも、他の砲台も痕跡を確かめたく歩いてみる…

ただの崩れと言われればそうかもしれないが、砲座に見えなくもない
また、2番砲台と3番砲台の間には門があったみたい。

石段の痕跡があり、坂虎口にも思える場所がありましたが、門の跡かしら


五番砲台

天神坂から登ってきた此の辺りに、恐らく6番砲台があったのかも

天神坂からも、旧幕府軍が攻め込んできたのではないかと言われています。

七番砲台

七番砲台は、覆屋が復元されています。

七番砲台だけ海方向を向いてない気がする…

もしや、法華寺⁈
海側に位置する三の丸や、沿岸部に台場を設けて意識を強めている松前城ですが、反対側はどうだったんだろう

反対側は寺町だったようです

松前藩主の菩提所があります。

歴代藩主のお墓もありました。

当時の寺町の道路は半分程度の幅で、残りは堀だったとか。
それでも、コチラ側の防御は弱いような気がしました
この寺町も、松前城陥落の際に火を放たれたそうです。

松前城が陥落した時の藩主が松前徳広氏。
松前藩が二ヶ月の突貫工事で築いた館城へと避難していましたが、11月15日に旧幕府軍が攻め込んでくる直前に脱出し、11月19日に熊石から津軽に向けて脱出したそうです。
もともと病弱だった徳広氏は、敗戦の衝撃で喀血(肺結核)して25歳の若さで亡くなったそうです。
ちなみに、完成から20日で陥落した館城も国史跡に指定されているそうです。
ここまで順調な旧幕府軍、この後の展開は…
旅メモ
松前城(福山城)
北海道松前郡松前町松城144
駐車場:あり トイレ:あり
開館期間:4月中旬~12月中旬 開館時間:9時~17時
入館料:大人 360円

松前城といえば、この構図
訪問日:2019年10月13日

仕事と旅の合間に旅記録を書き溜める日々を送ってます…
この勢いで3本書き溜めれるか…
今回は久しぶりにお城について綴ります

福山城(松前城)
福山城というと、どうしても広島県の福山城を思い浮かべてしまいます
なので、今回は敢えて松前城と称します
松前城について…となると、コシャマインの戦いで活躍した松前藩祖 武田信広氏から綴る?
いや、長くなりそうだから端折ります
※武田信広氏が登場したブログはコチラから⇒箱館歴旅③ (詳細は求めないでください)

慶長5年(1600)、松前慶広氏が陣屋を構えて福山館とよび、蝦夷地支配の拠点としていたそうです。
嘉永2年(1849)、北辺警備を幕府に命じられた松前藩13代藩主 松前嵩廣氏が、外国艦船による海上からの攻撃を想定して城を築いたと伝わっています。

松前藩13代藩主 松前嵩廣氏
城内へ通じる坂は5つあったそうです。

そのうちの一つ、馬坂からアプローチしました
明治元年(1868)11月5日、土方隊がこの馬坂から松前城へ突入したのではないかと言われているようです。
馬坂を登っていくと、搦手門前に到達します。

反対側の台地上には、前回の記事で登場した法華寺

堀を越えて…

門の先には日本らしい天守が見えます

松前城は日本最北端(でいいよね?)にある天守であり、日本最後の天守に加えて、西洋式の砲台が備わっているという点からしても、珍しいのではないかと感じました
ちなみに、松前城は国史跡に指定されており、日本百名城にも選定されてます

こちらにスタンプがありました。

現存の本丸御門と、昭和36年に外観復元された天守

本丸表御門玄関

京都伏見城の一部が移されたとも伝えられていると書かれてます。

天守台の石垣には、箱館戦争時の弾痕が今でも残っています

本丸と二の丸の間にある水堀
そういえば、堀らしい堀ってココくらいかな
松前城は、海上からの攻撃を意識しているため、海側にある三の丸に7基の砲台を設けていたそうです。


監視のための櫓もバッチリ
現在、五番と七番の砲台跡はきちんと表示してあります。
でも、他の砲台も痕跡を確かめたく歩いてみる…

ただの崩れと言われればそうかもしれないが、砲座に見えなくもない
また、2番砲台と3番砲台の間には門があったみたい。

石段の痕跡があり、坂虎口にも思える場所がありましたが、門の跡かしら


五番砲台

天神坂から登ってきた此の辺りに、恐らく6番砲台があったのかも

天神坂からも、旧幕府軍が攻め込んできたのではないかと言われています。

七番砲台

七番砲台は、覆屋が復元されています。

七番砲台だけ海方向を向いてない気がする…

もしや、法華寺⁈
海側に位置する三の丸や、沿岸部に台場を設けて意識を強めている松前城ですが、反対側はどうだったんだろう

反対側は寺町だったようです

松前藩主の菩提所があります。

歴代藩主のお墓もありました。

当時の寺町の道路は半分程度の幅で、残りは堀だったとか。
それでも、コチラ側の防御は弱いような気がしました
この寺町も、松前城陥落の際に火を放たれたそうです。

松前城が陥落した時の藩主が松前徳広氏。
松前藩が二ヶ月の突貫工事で築いた館城へと避難していましたが、11月15日に旧幕府軍が攻め込んでくる直前に脱出し、11月19日に熊石から津軽に向けて脱出したそうです。
もともと病弱だった徳広氏は、敗戦の衝撃で喀血(肺結核)して25歳の若さで亡くなったそうです。
ちなみに、完成から20日で陥落した館城も国史跡に指定されているそうです。
ここまで順調な旧幕府軍、この後の展開は…
旅メモ
松前城(福山城)北海道松前郡松前町松城144
駐車場:あり トイレ:あり
開館期間:4月中旬~12月中旬 開館時間:9時~17時
入館料:大人 360円

松前城といえば、この構図

訪問日:2019年10月13日

- カテゴリ:
- 北海道・東北地方
- 日本百名城&続百名城








































