山城Love☆

お城とカメラが大好きな山城女子です^^
仕事と家事の合間を見つけ、体力の低下を感じながらも、デジイチ片手に気になる山城を見つけては登城しています♪
最近では、地形や古戦場、護衛艦など興味が拡大中ですw
城ガール隊の隊長として、城学と藪の中を邁進中~♫

天正伊賀の乱を歩く ~田矢伊予守城~

ぬはっす~流星☆です( -д-)ノ
前回に続いて、伊賀の山城散策日記を綴っていきます
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―田矢伊予守城―

天正九年(1581) 織田信長公による伊賀侵攻の際(天正伊賀の乱)、玉滝口より攻め入った蒲生氏郷公、脇坂安治公の軍に対し、城主の田矢氏を初め、河合地区の土豪が立て籠もり戦った城とされる。
(現地案内板より)

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これといった登城口はないようで…

♬探し物はなんですか~ 見つけにくいものですか~
 南の方も北の方も探したけれど見つからないのに~
 まだまだ探す気ですか~ それよりいっそ飛び込みませんか~
 藪の中へ~藪の中へ~ 入ってみたいと思いませんか~


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入ってみたものの、どこにいるのか分からない…
完全に縄張迷子…
でも、土塁に囲まれた曲輪なのは確か

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この写真だと分かりやすいかな
ココから主郭を目指して北へと進んでいきました

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主郭の虎口を発見
なんとなく坂虎口になっているのかな
そして、右側の土塁から狙われている…
なんでも、虎口の前は石段になっていたのではないかとのこと
そう言われると、なんとなく石段の痕跡らしき石が転がっているかも…
また、この虎口は喰い違いになっていました

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そして、虎口がある土塁の内側には石垣が残っていました
なぜ、内側にだけ石垣があるのか…本当は外側も石垣だったのかなぁ
この城には他にも石垣が残っている部分があります。

天正十二年に伊賀国破城時に、意図的に主郭などの石垣が壊されたのではないかとも

主郭の北西にあたる部分に櫓台なのか、小さめの曲輪がありました。
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竪土塁のように登っていった先にあります。

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この曲輪は主郭を容易に見下ろせる高い位置にあります

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そして、種類が違う瓦の破片もあった
コビキAの瓦片が見つかった場所でもあるようです。

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三重県の城といえば、この青いプレート
残念ながら読めない…

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主郭の東側にも虎口がありましたが、なんだかヒッソリした印象でした
先ほどの喰い違い虎口のすぐ近くにあったので、隠し門みたいな感じでしょうか
この虎口にも石積みがチラホラ見えました

田矢伊予守城は、主郭の外縁丘陵に家臣団の城館群が存在しており、其々が田矢伊予守城の出城的な役割を担っているそうです。

城の北側には、杉野氏館があります
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土塁で囲まれた曲輪が階段状に築かれていました。

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お次は、杉野氏館から切通しみたいな道を東に向かって進んでいきます
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北東方面にある曲輪は、写真じゃわかりにくいですが前方後円墳を利用しているそうです
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古墳の上まで登って、先に下りていった2人を見下ろす。

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なんか塹壕に兵が潜んでいるみたいに見えませんか

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2人が潜んでいた場所からさらに一段おりた場所から見上げてみる。
階段状に曲輪が設けられているようにも見えます

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古墳を上手く利用して防御を固めたのかな
※私の勝手なイメージです…しかも下手

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石室もあった
え…開いてないですか、コレ

ちなみに、南東方面にも円墳と石室がある曲輪があると後日るーちんさんより教えていただきました
この日の散策はココまでだったので、是非とも再訪して全域歩いてみたいです

余談ですが、田矢伊予守城の城主である田矢氏は信長公記に登場しています。

天正九年九月三日
河合の田屋と申す者、名誉の山桜の真壺、ならびに、きんかうの壺進上致し、降参仕り候。即ち、きんこう返し遣はされ、山桜の御壺止めおかれ、滝川左近に下され候。

天正九年九月十一日
阿閉郡、瀧川左近、堀久太夫、(中略)甲賀衆。
右の衆として、所々にて討ち取る頚の注文。河合の城主 田屋、岡本…

(信長公記より)



河合とは田矢伊予守城がある地名のようです。
城主の田屋氏は織田軍に降参するのですが、その後に討ち取られてしまったそうです
お宝も取られ、命も取られとは…

伊賀の城というと、方形館っぽいのが多い印象があったのですが、こんなに大規模な山城もあったんだなぁ~と驚きました
まだまだ奥が深いなぁ~伊賀の城は


城旅メモ

田矢伊予守城


三重県伊賀市川合1448
駐車場:不明  トイレ:なし


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城旅日:平成29年3月12日



天正伊賀の乱を歩く ~射手山城~

ぬはっす~流星☆です( -д-)ノ
書きかけで放置していた記事が幾つかあることに気付いた
しかし、旅の記憶がどんどん薄れていく…悲しいかな、これが現実
でも、残しておきたいから頭をふって記憶を呼び起こしてみようと思います

今回のテーマは『天正伊賀の乱』です
(天正伊賀の乱については、過去記事で述べた記憶があるので省略

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今回も城友るーちんさんに案内していただきました

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 伊賀上野城から程近い位置にある山の麓にある射手神社
この神社の背後にある山を登ります

今回の城は天正伊賀の乱にも関係すると思われますが、私が訪れたかった目的は別のところにありました 

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 神殿の脇を通っていくと、何気なく置いてある矢穴が残された石
そして、少し登ると本殿の裏手にある眺望が効く場所に出ました。
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 ちょうど真正面(東側)に伊賀上野城が見えました
そして大和街道が走っており、街道を見渡すには良い立地

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橋が架かっている場所には木津川が流れています。
この川沿いに脇坂安治公の屋敷跡(あれ、陣跡?墓?)があったそうです(赤い矢印)。
⇒追記:小牧長久手の戦い後に、伊賀を一時期統治した時の館だと考えられているそうです。(るーちんさんより)

 機会を見つけて訪れてみようと思います

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ここから三段ほどの削平地を認めますが、寺の跡だと伝わっているようです。
そして、これといって道がないので直登になります
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堆積物に足を取られることも

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 ―射手山城―

 射手山城は、天正伊賀の乱で北伊賀土豪の拠点となった比自山城の出城と伝わっているそうです
細尾根に細長い曲輪が築かれていました 。

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虎口なのか、後世の道なのかよくわからなかったけど、なんかいやらしい感じ


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北の方に見えるのは、御斎峠
御斎峠は、三重県伊賀市と滋賀県甲賀市信楽町の境にあります。
伊賀攻めの際、堀秀政氏らは信楽方面から出陣したと信長公記に記載されているので、恐らくこの御斎峠を通ってきたのではないかということです

城の北側には幾つかの堀切が設けられていました

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1つ1つの堀切の規模はそんなに大きくありませんが、下から登って攻めてくるのを想定しているならば十分だろうと感じました

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土橋っぽい

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今度は南の方へ向かっていきました
途中に竪堀っぽいのが

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南側にも堀切が設けられています
二重堀切といってよいものか分かりませんが、真ん中に仕切りのように土塁がある

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そういえば、大河内城にも同じようなものがあった気がする…

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南側の尾根の方が標高が高いので、堀切の深さはあります
堀底にいる城友さんで感じていただければ…

城の両端にある尾根を堀切で分断してはいるものの、防御性や攻撃性を考えるとそこまで高くないような気もしました

ということで、下山しつつお目当ての場所を目指します

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突如出現する大きな岩

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そして矢穴がある
ココは石切り場で、伊賀上野城を築城する際にココから石を切り出したのではないかとのこと

確かに、伊賀上野城から近い
そして、こんなに立派な石が切り出せる場所があったから、あんなに素敵な高石垣の城が築けたのかぁ~など思ってしまいます

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約15㎝もある矢穴

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岩の上に登って、自分の足と比べてみた

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石を切り出そうとした痕跡がアチコチにある
これはテンションが上がります

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割ったけど使わなかったのか、勝手に割れたのか
丸みを帯びた感じは、加工しているのでしょうか現代の痕跡かな

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素敵な石切り場に大興奮でした

そして、山の中腹付近にある石切り場から、石を切り出してどうやって運んだのだろうか…という疑問も

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石切り場の下方にある谷へ石を落として運んだのでしょうか
本当に、昔の人々の技術って凄いなぁ~と思いました

この日に訪れた城は、射手山城の他にあと2つあります。
そちらの方もカメ更新にはなりますが、そのうちアップしようと思います

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三重県に来たら買ってしまう、大内山コーヒー


城旅メモ

射手山城


三重県伊賀市長田2693
駐車場:あり(射手神社に停めました)


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石切り場大好き

城旅日:平成29年3月12日




2017 岐阜の旅、夏。~行基寺~

ぬはっす~流星☆です( -д-)ノ
今年の岐阜夏旅日記、今回で完結です

関ケ原~上石津町と散策して、お次にやってきたのは南濃町です
ココからは、「島津の退き口」から離れた旅になりました


2017岐阜夏旅 (50)
浄土宗 臥竜山 行基寺。

元禄年間、尾張藩二代藩主 徳川光友公の次男である松平義行公が、美濃高須藩の藩主として封ぜられるにあたり、松平家の菩提寺として境内および全伽藍を城郭に見立てて改築し、宝永二年に再建した。明治維新に至る160年間は、一般庶民の登山参拝は禁止だった。
(行基寺資料より)


2017岐阜夏旅 (49)
「城郭に見立てて改築し…」とありましたが、こうやって見るとお城っぽいですね

高須藩は平地に陣屋を構えていました。そのため、山頂に位置する行基寺を出城(隠れ城)にしたという伝承があるようで、臥龍山城と呼ばれていたともいわれています

行基寺には美濃高須松平家の墓所があります。
お墓がある敷地内は立ち入り禁止なのですが、以前は手前の門までは近づくことができました。
現在は石段が崩れているらしく、門まで行けなくなってました

2017岐阜夏旅 (62)
暗い空間に光る廊下の雰囲気も素敵です

そして、行基寺の回廊式庭園は本当に素晴らしい
2017岐阜夏旅 (51)

2017岐阜夏旅 (52)
眼下に広がる濃尾平野を借景にした眺望が見事です

2017岐阜夏旅 (55)
苔庭も美しい…

美濃高須藩松平家は、尾張徳川家の支藩であり、尾張藩で後継者が絶えた場合に相続人を出す役割があったそうです。
尾張十七代藩主のうち四代が美濃高須藩松平家の出身だといわれています。
高須藩は三万石でしたが、御三家を除けば将軍家筆頭家門の家柄で大大名と同格だったと資料に書いてありました。

美濃高須藩といえば、高須四兄弟が知られているのでしょうか
高須10代藩主 松平義建公の子供のことを指していますが、義建公には11人の子供がいたといわれています。その中で次男・慶勝公(尾張藩主)、五男・茂栄公(一橋徳川家)、七男・容保公(会津藩主)、八男・定敬公(桑名藩主)が高須四兄弟とよばれているようです。

2017岐阜夏旅 (53)
藩主専用の間もきちんとありました

2017岐阜夏旅 (54)
襖に輝く黄金の家紋が、大大名の風格を思わせます

2017岐阜夏旅 (67)
美濃高須松平家の家紋は、菊の花の中に葵紋がある。
そして裏門は立葵と教えていただきました。

行基寺へは4年前も訪れたことがあります。
その時は雨だったので、是非とも晴れている時に再訪したいと思ってました
2017岐阜夏旅 (60)
そして、晴れた日に再訪することができて感無量です
この景色が見たかったぁ~
ご一緒してくださった皆さんありがとうございました

こんな感じで今年の岐阜夏旅を終えました
さてさて、来年はどんな岐阜夏旅を提案しましょうか…
癒しの風景が堪能できる場所からの、飛騨牛BBQなんてどうかなぁ~
それとも思い切って、郡上踊り行ってみるとか(私が行きたいだけ

皆さん来年をお楽しみに~


歴旅メモ

行基寺


海津市南濃町上野河戸1024-1
駐車場:あり  トイレ:あり
拝観時間:9時~16時   拝観料:400円


2017岐阜夏旅 (61)
まさに空中庭園

歴旅日:平成29年7月17日

史跡☆写真館
  • 天正伊賀の乱を歩く ~田矢伊予守城~
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livedoor プロフィール
ようきてくんさった♫
  • 累計:

自己紹介♫
城旅開始 2011年1月より


2017年の初訪城 43城

2017年の総訪城 73城



今までの訪城 458城

複数回の訪城含めると701城

(2017年8月6日現在)



日本百名城 70/100城

(2017年5月26日現在)

岩村城 13訪城



【流星☆プロフィール】

城ガール隊 隊長

(北陸東海支部長)



城友会(軍師)



サイガ塾



ブラタモ部 ST部



城郭数寄者



古事記倶楽部



週末城旅人

愛する城:岩村城

好きな城:琉球のグスク

好みの傾向:実際に戦った城

※塹壕、仕寄、土塁線に萌える傾向あり



岐阜県ファンクラブ会員

岐阜県の城にたくさん行きたい!でも、単騎できない小心者

岐阜県の城歩き、いつでもご一緒します♫
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