山城Love☆

お城とカメラが大好きな山城女子です^^
仕事と家事の合間を見つけ、体力の低下を感じながらも、デジイチ片手に気になる山城を見つけては登城しています♪
最近では、地形や古戦場、護衛艦など興味が拡大中ですw
城ガール隊の隊長として、城学と藪の中を邁進中~♫

信長公を想う旅 ~小牧山城~

ぬはっす~流星☆です( -д-)ノ
予定のない休日にブログ記事を書き溜める習性があります
そして、また書かない日が続くのだろうという

今回は前回に続いて、信長公関連の記事です

清州城を拠点に尾張統一を成し得た信長公、次に目指すは美濃平定
信長公は、西美濃侵攻を開始しますが、なかなか思うようにいかなかったようです
それには西美濃三人衆の活躍があったからともいわれています

※西美濃三人衆が気になる方は、良かったらコチラを山城Love☆~西美濃三人衆~

永禄5年頃まで清州城にいた信長公でしたが、その後に拠点を小牧に移します
西美濃平定がうまくいかないので、東美濃侵攻へとシフトするためではないかとも伝わっています

※ここでいう「東美濃」とは、現在の東濃地方(恵那や岩村方面)とは違い、西美濃から見て東に位置する部分をいいます。現在でいうと中濃地方の辺りをさしています。

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ということで、前置きが長くなりました
今回は小牧山城についてです

※前回に引き続き、詳しくは城友しみずさんのブログをご覧ください
 城友しみずさんのブログ⇒歴旅.こむ 

小牧山城は、発掘調査が精力的に行われています
調査のたびに新しい発見があり、多くの城好きさんが注目しています
また発掘と同時に、整備作業も行われています。
今回訪れて一番ビックリしたのは、数年前に訪れた時とは比べ物にならなかったこと
「あの時は、あんなこと(自粛)思ってゴメンナサイ」と心の中で思いました

大手道があったであろう場所に、現在は市役所が建っています。
しかし、大手道がちゃんと分かるようになっているのが面白い
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このラインが、大手の痕跡です
(ちなみに、市役所前に謎めいた土盛がありますが、城とは全く関係ないそうです

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市役所の中まで続いているのが凄いですね

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そして、見事な横堀~
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小牧山城は信長公のあと、小牧長久手の戦いで徳川家康公が入っています。
小牧山城にある土の城遺構は、家康公による改修ではないかといわれています。
確かに、信長公の城で横堀ってあんまり見かけない気がしますね

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まっすぐに続く大手道
小牧山城には200以上の曲輪があったそうです
恐らく、この大手道の両サイドにも曲輪が配置されていたんでしょうね~怖い
この真っすぐな大手道、主郭に近づくにつれて折れ折れの道へと変化していきます
安土城もそんな感じでしたね~確か

大手道を歩いて行くと、隣の茂みが急に開けます
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ちょうど横堀と大手道が合流する感じになります。
でも、それはちょっと不自然すぎますよね
写真でみると、ちょうど城友さんが立っているあたりは塞がっていたようです

主郭へ向かってさらに進むと、先ほどの横堀を上から見下ろせる位置に着きます。
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平坦地になっていました。うっすら見える土塁は、横堀を掘った時に積み上げたものらしいです。
そして、先ほどの横堀の壁がココにつながっていたんですね
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この横堀は、徳川家康公時代に築かれたものだといわれています

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発掘作業中で通行できませんが、攻め込む側からしたら嫌ぁ~な感じですね
正面、サイドから狙われています
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石垣の名残が見えています

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小牧山城の案内図は、とても丁寧に書かれているので分かりやすい

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さっきの案内図を見ると、この写真にある道は後世のものみたいです。
そして、写真の両端にある石垣がつながっていたということが分かります(赤い矢印)

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小牧山城の石垣に用いられているのは、チャート(堆積岩の一種)です
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ちゃんと裏込め石もありました

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主郭の部分はガッチリ石垣で囲っていたということが分かります。

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矢穴が残された石がありますが、これは名古屋城築城する際に運び込もうとしたが断念したものだそうです
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ちなみに、写真奥に鏡石と思える大きな石がありますが、あれは全く場所にあった石のようです
(天守閣内にある素晴らしいジオラマを見ると、一目瞭然です

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この空堀、かなりの規模ですよね~
主郭の周囲をしっかりと横堀が巡っていました。

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しかも、家康公が改修した当時の深さのままとのことでした

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小牧山がこんなに岩盤の山だとは思いもしませんでした
察しの通り、ここは石切場と伝わっています
小牧山城の石垣は、地産地消だったんですねぇ~

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今でも石を切り出した痕跡がよく分かります
チャートは硬い岩ですが、層状になっているので加工しやすかったんだと思います。
なので、矢穴がないんでしょうね~。

また、小牧山城の石垣には一部ですが花崗岩も使われているそうです。
花崗岩は岩崎山から運びこまれたといわれています。
小牧長久手の戦い時には、岩崎山は秀吉側だったので家康公が石を運び出すことは到底困難です
したがって、小牧山城の石垣は信長公時代のものだと伝わっています

そして、小牧山城に拠点を移した信長公は犬山城の攻略に成功します
次に狙いを定めるのは…稲葉山城ですよね
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主郭部分の張り出した位置からは、稲葉山城がある金華山がちゃんと見えます
信長公が小牧山城を拠点にした目的がよく分かります

そして、私たちの次なる旅は信長公による東美濃侵攻へと続きます…


城旅メモ

小牧山城


愛知県小牧市堀の内1丁目1
駐車場:あり トイレ:あり

小牧市歴史館:大人100円(9時~16時30分まで 第3木曜休館)

城旅日:平成29年3月6日





信長公を想う旅 ~浮野合戦と岩倉城~

ぬはっす~流星☆です( -д-)ノ
4月頭に以前から温め続けていた旅を決行する予定です
その旅につなげるためにも、あと2本は綴りたいと1人で必死な流星☆です

今回は信長公の尾張統一最終章といったところでしょうか 

相変わらず歴史に関しては疎いので、詳しいことは毎度のごとく同行してくださった城友さんのブログを参考にしてください(本人了承済み)

☆城友しみずさんのブログ⇒歴旅.こむ


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―浮野古戦場浮剕(うぐいす)首塚―

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―説明板―

永禄元年五月二十八日 二千余騎をひきいた織田信長は 岩倉城主織田伊勢守信安を攻撃のため浮野へ陣を進めた
この日は小競合いの瀬踏み程度に終わったが つづいて七月十二日 犬山城主織田十郎左衛門が千騎ばかりを従えて馳せ加わったので討ち取った これを浮野合戦と呼び この首級を埋めた地(通称浮剕首塚)に建碑した

             (浮野合戦場址碑文より)

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―鶯塚(通称 浮剕首塚)―

元禄元年五月、尾張統一を目指す信長公に対して岩倉城主 織田信賢公が反旗を翻しました。
そのため、信長公は岩倉城攻略へと乗り出しました。
そして、この浮野という地で激突したようです。

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首塚がある場所に、浮野合戦に関する資料や説明板が設置してありました。

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地元の方によって大切に保存整備され、守られているのをとても感じました
本当にありがたいことですね

旅のお供である『信長公記』にも、この浮野合戦について記載してあります。
その中では、浅野という村にいた林弥七郎という弓の名人だった武士と、鉄砲の名人だった橋本一巴との一騎打ちの様子が書かれていました。

そして、浮野古戦場の近くに「浅野」という地名があるとの城友さんからの情報により、探してみることに…
すると「浅野公園」を発見、車が停めれそうだったので立ち寄ることにしました
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そしたら、浅野公園は「浅野長政公宅址」だったようです
浅野長政公といえば、豊臣秀吉公の五奉行の一人として知られています
また、赤穂事件で知られる浅野内匠頭直矩は同じ家系のようです。

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現在は浅野公園として史跡になっています

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現在は公園となっているので、屋敷があったという痕跡を見つけるのは難しいです
しかし、近くに「古屋敷」など関連性がありそうな地名があります。

長政公は信長公の弓衆をしていた浅野長勝公の婿養子となっているそうです。
そして、同じく長勝公の養女となっていたのがねね(後の北政所)だと伝わっています。

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公園内には「祢々の水」なるものがありました

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(地図アプリ GMapToolsより)

浅野公園を地図で見ると、どう見てもお城っぽいですね~
当時の館跡を想像させますね~これは
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となると、公園を囲っているのは堀でしょうねぇ~

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近くには切支丹灯籠の名残とともに、弾劾されたキリシタンの人々の慰霊碑が建立されていました

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―岩倉城―

現在は交差点の脇に城址碑がありました

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―説明板―

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―城址碑―

特に目立った遺構はありませんが、この辺りが本丸だったようです

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当時の様子を想像して描いたもの。
当時は方形館が主流だったんですかねぇ~やっぱり
勝幡城や清須城もこういう感じに描かれていたような気がします。

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岩倉城下町復元図もありました
この復元図と地図アプリを参考にして、周囲を歩いてみることにしました

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程なくして到達したこの地点は、恐らく旧五条川にあたるのではないかと思われ…
現在も暗渠となっていました

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となると、旧五条川の水を利用した堀跡も分かってきます

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神社の前が堀跡ですね
ちょっとした高低差があるので、とても想像しやすい

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旧五条川の流れを感じながら歩いてみる

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―神明生田神社―

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山内一豊公生誕記念碑があるようです

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蛇の目紋だぁ~

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山内一豊公の生誕地として伝わっているみたいです(諸説あり)。

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―説明板―

山内一豊公の父である盛豊公は岩倉の家老だったらしく、岩倉城落城の時に討死したと伝わっています

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山内一豊公といえば、数年前の大河ドラマ「功名が辻」ですね

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境内では早咲きの桜が咲いていました

神社の鳥居前を走るのが岩倉街道でした。
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岩倉街道を歩いて、城址碑のところまで戻りました。
街道の脇には、水堀があったようです。
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若干ですが、高低差があります

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そして、民家の脇に細い用水路と窪んだ地形が
恐らくこれも堀跡だろうなぁ~

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向かいの細い道は、「おしろ道」とありました。

永禄二年三月、信長公は岩倉城を攻めにかかりました。
町に火を放ち、四方に鹿垣を立て包囲したそうです。それから2~3か月したのち、岩倉方は降伏したとありました。信長公はその後、岩倉城を破壊したと書いてあるため、なかなか当時の城を感じることは難しいかもしれません

それでも実際に現地を歩いてみると、意外に城の名残を感じることができます
優美な天守や豪壮な石垣、または堀切や土塁などの遺構があるお城散策も楽しいですが、こういった現代の地形や地名から城の痕跡を探し出す旅も楽しいなぁ~と思う今日この頃です

岩倉城攻略後の信長公はというと…
その後、桶狭間の戦いで今川義元公を討ち、そして拠点を清州城からあの城へと移すのでした…


歴旅メモ

浮野古戦場跡


愛知県一宮市千秋町浮野海道25
駐車場:あり

浅野公園(浅野長政公宅址)

愛知県一宮市浅野八剱20
駐車場:あり  トイレ:あり

岩倉城

愛知県岩倉市下本町城址113-1
駐車場:なし  トイレ:あり(向かいの休憩所にあり)


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なぜか撮らずにはいられなかった…

歴旅日:平成29年3月6日




 

城か、否か、崎山城!

ぬはっす~流星☆です( -д-)ノ
突然ですが、今年の目標が『どっぷり腰を据えて岐阜県の城を巡る』だった流星☆です
ところがどっこい、今年に入って岐阜県の城旅記録って

ちっちゃなことは気になるすなぁ~
ってことで、今回は2度目の訪城となりました謎の城について再び綴ろうと思います
(井元城といい、謎の城が好きなのね~私って

三重県鳥羽市にある崎山城です
初めての訪城が2015年だったので、2年ぶりとなりました
(記事の最後に、前回訪城した時の記事リンク貼りますので、よかったらご覧ください

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崎山城へと向かう手前にあった民家と畑。
どうやらこの辺りには千賀城という城があったそうです
写真奥の茂みの中に土塁が残っていると教えていただきました
(2年前にも聞いているらしいが、完全にすっぽ抜けてる

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―崎山城 遠景―

前回は曇り空でしたが、この日は快晴で最高の城日和
この景色を眺めたら、ジャングルが待っています
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前回以上にジャングルと化していた
シダって、こんなに伸びるものなのね…と感心するほどでした

足元は完全に見えないし、下手したら前を行く人の姿も見失うほどのジャングルを掻き分けて登って行きます
時に、足にシダが巻き付き躓きそうになることも…

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そんな中でも、石垣の名残を思わせる遺構が出現

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写真では伝わらないとは思いますが、虎口です

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本当に写真では伝わらないと思いますが、主郭から北へと伸びている土塁線がありました。
あまりのジャングルで方向感覚がなくなり、縄張迷子状態になります
崎山城は単郭の城っぽいのですが、この土塁が北に伸びている点からすると、他の尾根にも何らかの遺構があるのではないかとも思えます

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草木を掻き分けた先に出会う、この石垣にはため息が出ます
乱雑に積んだように見えて、どことなく規則的にも見える石垣

初めて訪れた時、すでに石垣が崩壊している部分がありました
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しかし、さらに崩壊が進んでいるように感じました
写真は、主郭西側の石垣です。
石垣を崩壊させている原因は、木の根でしょうか
石垣が崩れ、木が傾いているのが分かります

主郭内は階段状になっており、中心部が低くなっているように見えました。

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虎口なのか、破壊道なのか…
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虎口らしき部分からほど近くにあった埋甕
(2年前、同行者がこの穴に木をさして少し回したところ、とんでもない異臭が

この部分から一段上がったところにも、埋甕跡が2つあると教えていただきました
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…分かりますか

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現地で見ると、なんとなく分かります。
知らずに足を踏み入れたら、ズボッとなるのかしら…

この埋甕は、後世のものだそうです。
この辺りを田畑として利用していたことを想像させるものだということでした。

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主郭の高い部分から見おろしてみると分かりますが、曲輪内でもなかなかの高低差があります。

主郭は石垣で囲われているのですが、南西の部分だけ石垣がありません。
ココから地形は下り坂となり、海岸へと続きます
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あの崖の上に、見張機能を備えた何かがあっても不思議ではない気がする

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前の写真と反対方向は内海になっています。
この湾を警戒するためにも、先ほどの崖上に見張が欲しいなぁ~と私は思う

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もし、ここが水軍の城だったなら…
外海から隠れるこの位置に、船着場が欲しいところですね

主郭から海岸までの間に、階段状になった削平地がありました。
削平地は土留めの石垣が設けられていました。
私は、この削平地は舟屋みたいに居住スペースだったのかなって感じました
しかし、後から聞いた話によると、畑として利用されていたそうです
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よ~く見ると、階段状になっているのが見えるかと思います。
そして、多くの漂着物もあるのが分かります。
潮の加減によっては、確実に海水に浸かるであろうこの場所に畑か…

先日、志摩方面にある越賀城の古絵図を見せてもらいました。
それには使えそうな土地をフル活用して、田畑を造成している様子が描かれていました
リアス式海岸の入り組んだ地形で、田畑を設けて作物を確保するのが大変なんだということが分かりました

しかし、海水が流れ込む可能性がある土地で、何を栽培していたのだろうか…
今度はそちらが気になります

さて、城散策に戻ります

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主郭の東側も所どころ石垣が崩れている部分がありました

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主郭の北側は、石垣の隣に土塁が設けてあります。
石垣の脇に土塁…なんだか変な感じですね
どっちが先に築かれたんだろうか

土塁の北側には何かあったのだろうかと疑問に思います
そして、ますます「ここは城なのか、違うのか」と感じてしまいました。
崎山城は、史実や伝承に登場しないらしいです

この石垣は、田畑の所有者が仕切りのために設けた
でも、それには石垣が高すぎる気もする…
城として存在していた削平地に、後世で田畑として利用していたんだと思いたい
そうじゃなきゃ、わざわざ山の中の斜面を削平して田畑に利用するか
でも使える土地は使うという観点からしたら、斜面を削平してでも田畑にするか…

う~ん…謎だ

でも、史跡指定されていない、この崎山城。
このまま放置されていたら、石垣はますます崩壊してしまうと感じました
そして、幻の城と化してしまう気もしなくもない

崎山城がある岬の縁には幾つか塹壕と思われる部分があるようです
今回は時間に限りがあったため、その中の一つを探しに行くことにしました

そして、クランクする城道らしき痕跡も幾つかあるようです
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写真はその中の一つです。
城友さんの散策している感じから、クランクしているのが分かるかな

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主郭から北東に位置する場所にある塹壕らしき場所
城友さんの立っている位置を比べると、地形の高低差が分かると思います
左側の高い部分の先は崖になっており、その先には海が広がっています
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木々の隙間から、先の様子が見えました
遠くに見える岬とともに、見張的役割を担っているのでは?と感じました。
こういう部分があることからも、城だと思わせます

崎山城散策というよりも、探検を無事に終えました
朝に食べた伊勢うどんは、すっかり消化されていてお腹が空いたのでランチタイム
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お土産売り場が併設されたお店で、三重の海鮮を堪能しました
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昨年開催された伊勢志摩サミットにちなんで、サミット丼
まぐろ、鯛、アワビに鰆…新鮮な海鮮がたくさんで美味しかったぁ~

崎山城に再訪できて良かったです
ご一緒した城ガール隊の皆さんも楽しんでもらえたようで何よりです
それも、協力してくださった城友るーちんさんのおかげです

先日も、三重県のお城を案内してくださいました
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るーちんさん、いつもありがとうございます
私の中では「三重県の城達人」です
そんな達人の背中は素敵ですね~カッコいい
これからも、よろしくお願いします

追記:崎山城は、非常に散策が難しいお城です。単騎攻めならびに、初めて訪れる方はくれぐれもお気をつけて散策してください。訪城したことがある方との散策をオススメします

過去記事はコチラ⇒難易度☆☆☆崎山城!


城旅メモ

崎山城


三重県鳥羽市千賀町126-5
駐車場:なし

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城旅日:平成29年2月19日


 
史跡☆写真館
  • 信長公を想う旅 ~小牧山城~
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livedoor プロフィール
ようきてくんさった♫
  • 累計:

自己紹介♫
城旅開始 2011年1月より


2017年の初訪城 28城

2017年の総訪城 43城



今までの訪城 443城

複数回の訪城含めると671城

(2017年3月12日現在)



日本百名城 69/100城

(2017年2月12日現在)

岩村城 13訪城



【流星☆プロフィール】

城ガール隊 隊長

(北陸東海支部長)



城友会(軍師)



サイガ塾



ブラタモ部 ST部



城郭数寄者



古事記倶楽部



週末城旅人

愛する城:岩村城

好きな城:琉球のグスク

好みの傾向:実際に戦った城

※塹壕、仕寄、土塁線に萌える傾向あり



岐阜県ファンクラブ会員

岐阜県の城にたくさん行きたい!でも、単騎できない小心者

岐阜県の城歩き、いつでもご一緒します♫
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