山城Love☆

お城と艦船、地質に萌えるヘタレな山城数寄者です^^
仕事と家事の合間を見つけ、体力の低下を感じながらも、iphone片手に気になる場所を見つけては出かける週末旅人♪
基本ミーハー気質なので、色んなジャンルの興味が拡大中ですw
座右の銘は、『楽しく 美味しく 面白く』

2018年03月

2018沖縄グスク旅~グスク&グスク⁈~

ぬはっす~流星☆です( -д-)ノ
ガッツリ久米島を満喫した翌日は、沖縄本島の南部へとレンタカーで向かいました
お天気も良くて、誰も二度寝することなく、順調に旅が進むかと思いきや…
この日はマラソン大会が開催されており、まさかの交通規制に苦しむことに

この日は旅の最終日、時間のロスは手痛いところ…

今回訪れようとしているグスクは糸満市にあります。
しかしながら、情報が乏しく私も下調べ不足だったため、城の場所がわからない
みんなで協力して、なんとか到着

上里城 (8)
上里城 遠景
15世紀頃、上里按司の居城と伝わる上里城。

BlogPaint
城への入口。
最初は舗装路なのですが、その先は鬱蒼としているのが見て分かります

上里城 (5)
所々に石が散乱しているように見えたため、他のグスクでもよく見かけた石畳道だったのかもしれないなぁ~
上里城 (2)
登城道から進んでいくと、石垣が出現します
恐らく、この辺りが城門跡かな
この城門の左右には高石垣の上に物見台が築かれていたそうです。

上里城 (1)
鬱蒼としており、整備されていないグスク…絶対にハブいそう
ここは深入りしない程度にと、ビビりながら石垣に沿って歩きます

上里城 (13)

よ~く見ると、石垣が張り出しているように見える
この辺りが物見台かな(ちなみに反対側はブッシュがひどくて断念

上里城 (11)
ゴツゴツした石灰岩の石垣は、とっても沖縄県らしい

上里城 (12)
ほぼ垂直に近い傾斜の石垣は、古琉球時代のグスクを感じさせました

上里城 (3)
先ほどの城門跡から中に入ると、主郭と思われる場所に到着しました。
上里城 (4)
主郭は石垣で囲われた空間になっていました。
郭内に不自然に積まれた石があり、拝所なのかもしれないと感じました。

ちなみに、この上里グスクと崖を挟んだ反対側に、山城グスクがあるそうです
上里グスクから斜面をおりていけば、山城グスクに入れるらしいのですが…
まったくもってルートが分からない

ということで、進軍をあきらめて反対側からのアタックを目指します
上里城 (9)
帰ってから知りましたが、最初の城門跡の付近にも拝所があったそうです。
まったく気づかなかった…

上里城 (6)
ヤドカリの引っ越し現場に遭遇

山城城 (1)
地図とGPSなどを駆使して辿り着いた場所が、上の写真。
グスクの標柱などありませんので、自信はありませんが進んでみることに

山城城 (2)
しばらくすると、ちょっとした登り坂になり右手に大きな岩が出現しました
巨石の上に物見台があるそうなので、場所的には合ってるのかな

しかし、ココから先がどうやって進めばいいのかわからない…
あーでもない、こーでもないと話しながら右へ行ったり、左へ行ったり、直進したり…
山城城 (4)
あまりに巨大すぎて、巨石なのか、単なる丘なのかわからない

山城城 (5)
直進したら崖下に出ました。
この崖を隔てた先に、上里グスクがあるのでしょうか…それとも全くの見当違いか
山城城 (6)
時間の都合もあり、消化不良感はありますが今回の散策はココまでとしました
う~ん…もう少し事前学習するべきだった…と反省

山城城 (7)
ぶつかった崖下付近には、拝所が設けられていました。
恐らく山城グスクで間違いないとは思いますが…

訪城される方は、ハブが怖いので深入り厳禁をオススメします!


旅メモ

上里グスク・山城グスク

沖縄県糸満市束里339
駐車場:なし  トイレ:なし
(目印は上里区コミュニティセンター)


上里城 (10)
ハブがいなかったらな…

訪問日:平成30年3月18日





2018沖縄グスク旅~郷里を想う具志川城~

ぬはっす~流星☆です( -д-)ノ
今回の沖縄グスク旅で、久米島を訪れるキッカケとなったグスクです
具志川城 (25)
国史跡 具志川城

集落の北西約7mほどの海岸に突き出た石灰岩の独立した台地に築かれたグスクです。
グスクは4つの郭で構成されていますが、三の郭以外は約30mあまりの断崖に面しています。
具志川城 (26)
同じく国史跡に指定されている宇江城城と同様に案内板が設置されていました。
ちなみに、前記事などで登場した伊敷策城は県指定史跡、登武那覇城は町指定史跡です。
具志川城 (20)
沖縄本島にも具志川城という名前のグスクがあります
本島の具志川城と似たような雰囲気を感じました

『琉球国由来記』によると、

―仲地にやなる者の進言によって真達勃(まだふつ)按司がこの地に具志川グスクを築いた。
 地の利を生かして貿易をよくし、具志川グスクに繁栄をもたらした。
 二代目具志川按司に就いた真達勃按司の子とされる真金声(まかねくい)按司の時代、久米島一円に勢力をのばしつつあった伊敷索一族の真仁古樽(まにくたる)によって落城させられ、追放された。
 具志川グスクを追放された真金声は、本島南部に逃れて郷里と同名のグスクを築いた。―

と伝わっているそうです。

これによると、久米島から逃れた真金声が本島南部に具志川グスクを築いたことになります。
しかし、先にあったのは本島の具志川グスクで、久米島の具志川グスクは後で築かれたという説も存在するようです

城址碑がある場所から整備された階段を登っていくと、城門があります。
具志川城 (2)
具志川城の石垣には石灰岩だけでなく、板状に割った輝石安山岩を用いているとのこと
この城門に用いられているガッチリ感ある石垣は、安山岩だと思いました
具志川城 (15)
三の郭にある裏門跡。

具志川城 (18)
裏門跡の近くにも石垣が切れている部分がありましたが、コチラは崩壊したのかも

具志川城 (3)
三の郭と四の郭は、石垣で仕切られていました。

具志川城 (4)
仕切られた石垣に沿って進んでいくと、二の郭への入口がありました。
具志川城 (5)
三の郭から一段高くなった位置にある二の郭ですが、入口横にはたくさんの石がゴロゴロと積まれて幅広くなっていました。
城内ではありますが、二の郭入口に対する見張りなのでしょうか
二の郭から先は厳重な体制があったのかな
具志川城 (6)
二の郭を囲う石垣は、野面積みで石灰岩と安山岩が混ざっていました

具志川城 (7)
二の郭は二段になっていて、一段上は舎殿跡とありました。
具志川城 (10)
大きな礎石が残っているので、建物があったことが分かりました

この舎殿跡から三の郭方向にかけての石垣ラインがとても美しかった
具志川城 (9)

具志川城 (11)

具志川城 (12)
ゴツゴツした石灰岩と表面滑らかな安山岩とのコラボが素敵でした

具志川城 (19)
ボコボと穴があいている石灰岩

具志川城 (14)
此方は綺麗に加工された石灰岩かな
それともケイ素の少ない火山岩

舎殿跡の奥に、一の郭があります。
郭内は他の郭に比べると草木が生い茂っていました
具志川城 (13)
一の郭の先端からは、大和泊海岸とミーフガーを眺めることができます
(ミーフガーに関しては、後日記事をアップする予定です)
一の郭は、海岸を監視するのが主な目的だったのではないかと感じました。

城址碑の近くにあった「オモロ碑」には、

 唐の船
 ぜに 金 持ちよせる ぐすく
 良く げらへて
 大和の船
 ぜに 金 持ちよせる ぐすく


と刻まれています。

大和泊では唐船を繋留したと伝わる岩場もあることから、具志川城は防御性のグスクというよりも、貿易の拠点としての機能を重視したグスクと見た方が妥当だと書籍にありました。
また、平成11年度から始まった発掘調査では、青磁・中国古銭・陶器類などが出土しているそうです。

城の立地、出土品、オモロなどからも、他国との貿易をさかんに行い、具志川城を繁栄させていたということが伝わりました。

具志川城 (17)
四の郭は他の郭に比べて、なだらかな傾斜を感じました。
郭の真ん中辺りに大きな窪みがあったり…
案内板によると、四の郭は馬場で窪みは溜池ではないかといわれているそうです。

具志川城 (16)
四の郭は台地の先端にあることが良く分かります。
具志川城落城の際、按司の妻子たちはこの辺りの崖から布をおろして逃げ出したそうです
「こんな崖からどんな思いで…」と眺めていたら、向こうの崖に真ん丸の穴が…

具志川城 (27)
城門に入る手前に、石が積まれた台座みたいなものがありました。
「トートー石」という説明板があり、『稲の豊作を感謝する6月ウマチー(旧暦6月25日)の「グシクヌブイ(城登り)」の際に、久米島の最高神女である君南風(チンベー)が座する石のことである。』と書かれていました。
とても神聖な祭祀の場所ということですね

『球陽』によると、1500年に八重山のオヤケアカハチ征伐に向かった首里軍は、同行した君南風の作戦で勝利をつかんだとのこと。そのため国王から勾玉をもらった君南風は、「おもろそうし」で英雄と謡われているそうです
君南風は久米島最高位のノロ(神女)として、現在でも久米時の祭祀を司っているそうです。

500年以上前から続いているということに感動しました

具志川城を後にする際、四の郭から見た真ん丸穴のそばまで寄ってもらいました
具志川城 (21)
波でえぐられたのでしょうか
それにしても、綺麗な真ん丸なだなぁ~と感心
具志川城 (23)

具志川城 (22)
石灰岩でできた崖は、波の浸食や風雨によって奇石を作り上げていくんですね
それが見る人によっては、ただの岩だったり、信仰の対象になったり、観光スポットになったり…
色んな意味で面白いと思ったし、自然とは奥深いなぁ~と感じました

具志川城 (29)
昨年に本島の具志川城を訪れた際に、「久米島の具志川城はどういう城なんだろう」と気になってました。
個人的には、久米島の具志川城のことを思った真金声が本島で具志川城を築いた説でいきたい。
久米島で落城した際、崖から逃げ出した妻子たち。それを参考にして本島の具志川城ではヒーフチミー(火吹き穴)と称して抜け穴が設けられたとか…

どちらにせよ、本島も久米島も具志川城は大好きなグスクの一つになりました

今回で、久米島でのグスク巡りは終了
久米島では、他にも素敵な場所を訪れましたが、ブログ記事に登場するのは後日ということにします
次回は、本島でのグスク旅を…


旅メモ

具志川城

沖縄県久米島町具志川仲村渠
駐車場:あり  トイレ:記憶になし

本島の具志川城記事はコチラをどうぞ⇒山城Love☆「沖縄グスク旅~平和を願う場所~」

具志川城
残念ながらノロではなく、オモロ
(photo:FULL2さん)

訪問日:平成30年3月17日


2018沖縄グスク旅~人望厚い笠末若茶良~

ぬはっす~流星☆です( -д-)ノ
今回も久米島のグスク旅を綴っていこうと思います

今回は、久米島町役場仲里庁舎の北約500mほどのところにあるトンナハ山にあるグスクです
山の中腹にある駐車場に車を停めて向かいました

登武那覇城 (2)
標高約120mほどの山ですが、眺望は良く奥武島の先にあるハテの浜も眺めることができます
登武那覇城 (3)
登武那覇城

駐車場近くに説明板もありました。

登武那覇(とんなは)城は、伊敷索按司の三男・笠末若茶良(がさしわかちゃら)が城主と伝わります。笠末若茶良は宇江城城や具志川城の城主とは異母兄弟だったそうです。

按司たちが集まり、『きんまむん』という最上位の神様のお告げを授かったのが三男の笠末若茶良だったため、妬みを買ったのか、首里軍にそそのかされたのか、父・伊敷索按司に狙われます。しかし、武勇に優れた笠末若茶良は父を追い返します。その際に田んぼで逃げ遅れた父を助け、城へ送り返したそうです。しかし、父は再び攻めてきて笠末若茶良を追い込みます。父を討つことができないと感じた笠末若茶良は自害したそうです。

悲劇のヒーローとして知られており、島民からの信望も厚かったイケメン・笠末若茶良と伝わっています
「おもろそうし」にも、笠末若茶良を称賛する歌が幾つかあるとか…
登武那覇城 (4)
駐車場の向かいに雰囲気がある階段道がありました。
ここを登って行くことに…チョット鬱蒼としていて、ハブが出現しないかとビビる
登武那覇城 (5)
整備された公園に出ました。
グスク感はほとんどありませんが、東屋があり景色を堪能することはできます
登武那覇城 (1)
駐車場よりも高い位置にあるので、ハテの浜がさらによく見えます
登武那覇城 (7)
登武那覇城 (9)
360度パノラマ風景です

登武那覇城 (10)
所々に大きな石がゴロゴロしてますが、この石が当時のものなのかは分かりません

また、事前の下調べでは「城は山の中腹にある」だったのですが、この位置は明らかに山頂…
ココは城ではないのだろうか…と疑問に思うメンバーも

景色を堪能後、駐車場まで戻り向かいの広場奥を散策する城友さん
草むらの隙間から崖下へと降りて行く数名の猛者…
私はハブが怖いので、その場で待機していると、奥から「石垣あった!」という声が

登武那覇城 (12)
(photo:amさん)

登武那覇城 (13)
(photo:amさん)

割と大きな石を用いた石垣があったようです。
今まで訪れたグスクの石垣とは違った印象を受けました
実際にこの目で見ていないので判別は難しいですが、野面積みのようです。
また、石灰岩ではなく火山岩かなと思いました。

これ、当時の石垣なのかな…

登武那覇城は調査が進んでいないようなので、城の構造など詳しいことはわかっていないらしいです。

しかしながら、島民や親を大切にする心優しいヒーローがこの地に存在していたんだということを感じることはできました


旅メモ

登武那覇城

沖縄県久米島町宇根
駐車場:あり  トイレ:あり


IMG_0988
沖縄に来たら食べたくなる、ブルーシール

訪問日:平成30年3月17日






2018沖縄グスク旅~久米島で標高№1の山~

ぬはっす~流星☆です( -д-)ノ
沖縄グスク旅記録 久米島編を綴っていきます

今回はタイトルにもあるように、久米島で一番標高が高い山の上にあるグスクを訪れました

宇江城 (22)
標高310mの宇江城岳の山頂に築かれた宇江城城です

宇江城城には、伊敷索按司の長男・久米中城(くめなかぐすく)按司が配置されました。
久米中城按司ははじめ、大城山にグスクを築こうとしました。ところが堂の比屋の下女・音痴小原(おとちこばら)の勧めで、この仲城山(宇江城岳)に築くことにしたそうです。
築城は無久地樽金(むくちたるがに)が請負い、具志堅兄弟(てぃやんとーる)という石工の協力を得て完成されたという伝承があるそうです。

BlogPaint
駐車スペースとなっているこの辺りは、三の郭のようです。
もしかしたら茂みの中に石垣が…とも思いましたが、フォロワーさん情報で「ハブが多い」とあったので深入りはしません
宇江城 (4)
車を降りた途端に上がる全員のテンション

宇江城 (5)
城が標高高い位置にあることがよく分かります。

宇江城 (15)
この山頂に石垣がグルッと巡らせてあり、要所に張り出した櫓台が設けられていました
宇江城 (9)
石垣の積み方というか、用いてる石によって独特の雰囲気を感じました

宇江城 (8)
二の郭には、井戸跡がありました
山頂で水の確保はどうしていたのだろうか
湧水というよりは、溜水といった感じでしょうか

宇江城 (10)
井戸の上の平坦地は基壇跡とありました。

宇江城 (12)
一の郭跡。
東側の石垣は城内で最も高く、物見跡といわれています。

宇江城 (16)
胸壁とも思える構造。
宇江城 (14)
一の郭の端部分に窪んだ空間がありました。
特に何も表記されていませんでしたが、コチラも井戸なのかな
それとも虎口とか

宇江城 (11)
宇江城城は戦後米軍の基地内となりました。
日本復帰後には自衛隊施設に移管され、平成13年度に施設の一部が返還されたそうです。
城内からは、自衛隊のレーダーが見えました。

戦後まで城門が残っていたそうですが、米軍基地の造成に伴い石垣とともに破壊されたのが残念です

宇江城 (18)
宇江城城の石垣には、安山岩が用いられているそうです
沖縄県のグスクというと、石灰岩の石垣というイメージがあるので火山岩の石垣は初めてかも

宇江城 (17)
この石は片理によって割られたのだろうかと思うくらい、薄くて平べったい石を用いています

宇江城 (20)
薄い石を幾つも積みかさねているんだなぁ~と思ったら、
宇江城 (7)
一枚岩を用いている部分もあったり

琉球石灰岩のゴツゴツした石を用いた石垣とは、また違う雰囲気のグスクを楽しむことができました

ちなみに、宇江城城も尚真王の遠征軍によって火攻めにあい、落城したと伝わっています。


旅メモ

宇江城城

沖縄県久米島町宇江城
駐車場:あり  トイレ:なし

宇江城 (23)
宇江城城 遠景

訪問日:平成30年3月17日


2018沖縄グスク旅~伊敷索グスク~

ぬはっす~流星☆です( -д-)ノ
新年度に向けて波乱続きなため、連続更新が途絶えました
今年の沖縄グスク旅記録、完結するのがいつになるだろう…という不安がよぎる
ま、気長にお付き合いくださいませ

IMG_0994
今年は、離島へも足を運びました
飛行機そのものの乗車回数が少ない私にとって、プロペラ機は人生です

IMG_0995
ってことで、今年のグスク旅メインとなる久米島に到着
レンタカーに乗って、1日かけて久米島を1周しました

IMG_1001
最初に訪れたのは、久米島博物館
敷地内にあったフールと呼ばれる豚舎に釘付けな城友さん
博物館では久米島の自然や地形、歴史に関する展示がありました。
また、受付横には久米島の文化スポットガイドマップが豊富にあるので、旅の最初に訪れるといいかも

この博物館の敷地内にあるのが、伊敷索グスクです
伊敷索城 (2)
通称「チナハグスク」といわれています。

階段を上がって左手に回り込むように進むと、虎口らしき空間がありました
伊敷索城 (3)
虎口の左右には石垣がありました。

伊敷索城 (7)
虎口の先は二の曲輪と称されており、南側には約2mの石垣が設けられていました。

BlogPaint
(photo:FULL2さん)

二の曲輪の先端からは、海を眺めることができました
伊敷索城 (6)
私の身長では、これが限界…
石灰岩を用いた野面積みの石垣ですね

伊敷索城 (8)
一の曲輪を目指して進みます

伊敷索城 (9)
一の曲輪と二の曲輪の間が石積みで仕切られていました。

一の曲輪の南東辺りには石垣が張り出した横矢空間があるみたいなのですが、茂みが多くて見つけるのは困難でした
伊敷索城 (10)
ちょうど石垣の上にいる城友さんの右側あたりにあるっぽい

この辺りは、石がゴロゴロしていて足場が不安定でした。
恐らく石垣が崩れていると思われます

一の曲輪の北側へと進みたいところでしたが…
伊敷索城 (11)
行く手を阻む草木に断念しました

伊敷索城 (12)
石垣に勾配がなく、垂直に近い積み方だなぁ~
ってことは、かなり古い時代に築かれたグスクという認識でいいのかな

この伊敷索グスクは、中山王唐統4代 玉城王の庶子である伊敷索按司の拠点と伝わります。
このグスクを拠点にし、一族を周辺のグスクに配置しました。
伊敷索一族による久米島支配は100年近くも続いたそうです。

1743~1745年にかけて編纂された琉球王国の正史である球陽に、

―権力の傘を着て人民を暴虐し、朝貢を断ち、あげくの果てに謀反の兆しが見えたために、その罪を征伐するために久米島遠征軍がおくられた。―

と書かれています。
首里からの遠征軍に対して、伊敷索一族は抵抗を続けました。
しかし、内輪での裏切りなどが勃発したこともあり、1511年に尚真王によって討伐されたと伝わります。

今回の久米島旅では、この伊敷索一族のグスクを巡りました
伊敷索城 (13)
お次は、写真にもある久米島で一番高い山にあるグスクを目指します


旅メモ

久米島博物館

沖縄県久米島町嘉手苅542
開館時間:9時~17時  入館料:一般200円
休館日:月曜日 年末年始など(臨時休館もあり)
駐車場:あり  トイレ:あり

伊敷索グスク
久米島博物館に車を停めて散策しました


IMG_0998
沖縄は青い空と青い海がよく似合う

訪問日:平成30年3月17日




史跡☆写真館
  • 土岐氏の歴史に触れる旅 ~揖斐城~
  • 土岐氏の歴史に触れる旅 ~揖斐城~
  • 土岐氏の歴史に触れる旅 ~揖斐城~
  • 土岐氏の歴史に触れる旅 ~揖斐城~
  • 土岐氏の歴史に触れる旅 ~揖斐城~
  • 土岐氏の歴史に触れる旅 ~揖斐城~
プロフィール

流星☆

ようきてくんさった♫
  • 累計:

自己紹介♫
城旅開始 2011年1月より


2020年の初訪城 1城

2020年の総訪城 3城



今までの訪城 591城

複数回の訪城含めると916城

(2020年3月21日現在)



日本百名城 77/100城

(2019年10月14日現在)



続日本百名城 20/100城

(2019年11月24日現在)



岩村城 16訪城



【流星☆プロフィール】

城ガール隊 隊長

(北陸東海支部)



城友会(軍師)



サイガ塾



ブラタモ部 ST部



城郭数寄者



古事記倶楽部



週末城旅人

愛する城:岩村城

好きな城:琉球のグスク

好みの傾向:実際に戦った城

※塹壕、仕寄、土塁線に萌える傾向あり



岐阜県ファンクラブ会員

岐阜県の城にたくさん行きたい!でも、単騎できない小心者

岐阜県の城歩き、いつでもご一緒します♫
記事検索
メッセージ

名前
メール
本文