2006年01月26日

annuncio di gatto scomparso

b09dbf15.jpg明日締切だけど小ネタでも.

2005年6月3日、のどに白ぶちのある短毛のオスの去勢してない黒猫が行方不明になりました。
もし見かけた方は以下の番号まで連絡下さい。
059-*******
339-********
よろしくお願いします。
(番号消したのはヨシヨシです)
続きは以下を。
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2006年01月20日

んで仕事。

 いきなし某重要クライアントからの連絡が入り午後打ち合わせを入れる。昨年11月地獄の年末進行の折り、空前の6人態勢でやった仕事がスッタモンダの末無事終了したという報告の後、次回の仕事の折衝に入るという実にめでたい展開である。ああ...良かったよかった。

 実は先週今週失業中で(この仕事に安定の文字はない)のんびりブログ書きまくっていたが、今日だけで仕事の話が3つ来てしまつたよ。で、来週レギュラーの仕事来るしな。
 そろそろバカンスも終わりか...どこかに遊びに行けよなあ。でもクライアントの支払いなかったし、来たら来たで家賃3ヵ月分滞納して払ったらさっくしなくなったし、おまけにちょこと数ヵ月前の支払来たけど週末仕事だしな。ちぇ。なんでい。

で、その大変だった仕事を見直してみたんだが..「大変だった」というのがにじみ出ているという出来になっていた。結論。あんまし良くない。

 最後の方は事務所にコンピ持ち込みデイレクターの目の前で制作した。その方が誤差が無いのだが..でも私が仕事を終えた後もディレクターの方で手を加えないといかん部分がかなりあったみたいでアラがけっこうあった。4週間という制作期間の他私の方も通常ですら多い他の仕事があったりで..ああ幾つか仕事勇気を出して断わるべきだったなあ...後悔後に立たずだな。目も腫れたし。

 ディレクターは「あの期間でとりあえずのレベル」という事を評価してくれたけど...数年に渡って使われるものをああいう形で世に出してしまったのは実に悔しいというのが本音です。

ごめんよ。次はもっといい出来のもの作るよ。あなたとなら作れるよ。

++++++++++++++++++++++++++++++

そうだ。某協会コンテストで私の作品がしょぼい場ではあったが選ばれたみたい。幾つか掲載されそう。
自分では「これ」というのがなぜか選ばれなかった。「まあ無難だよなこれ」というのが掲載。
うーんなんでかねえ??
  
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2006年01月19日

ジェンティルウォーモの定義

イタリアの男性ってホントはどんな感じ?と聞かれる事がない。ヨシヨシに聞いてもねえと思う人が私の身の周り大半だろう。...わかってんじゃん。知らないよ。

 でも私でさえ正直日本の男性とだいぶ違うと思う。ほらよくそこらで男性から女性に大勢の目があるにも関わらずキスだのよくするけど、あれはしぜんにキスしたいと思う他、「この女は俺のなんだぞ、手出すなよ」という他の男性へのマーキング効果もあるんだろうかと思う。なんか野性動物の観察してるみたいだな。私。

 よく友人同士の集まりで「これが俺のラガッツァ=彼女=だよ。よろしく」っていう明確な紹介をする。あれも一種の「俺がここにいるんだからな」という示威表示ではないかなあ。日本の男性はもっとつつましい彼女の紹介を周囲にするような気がする。あれこれ考えるとイタリアの男性の方が野性的=オスなんかなあ。
 
 特に南イタリアの男性は北イタリアの男性と較べ感情の量が多い。ちと褒めすぎな感じもするが、例えばシチリアの男性って精力的で精悍でかっこいい、愛人にしたら素敵だっていうようなステレオタイプが世界にあるような気がする。で、大ざっぱにその通りな感じがする。うまく言えないが獣の優雅さを彼等は実際持っているように見える。そうじゃないのもむろんいるんだけど、マフィア等のボスの持つ危険なカッコ良さを多かれ少なかれ持ってると思う。...魅力的だと思う。

 それはそれ、安易に女性を口説くというのはホントだし中にはわざと女性を怒らせてこの女どう反応するかな、頭いいのか悪いのか、お手軽なのかカタいのか、性格いいのか悪いのか分析するのが好きなやつもいる。迷惑な野郎だ。こういう手合いが一番苦手だ。
こういう女性を詮索するのが好きなのには、
「しつけのいいジェントルマンは女性にそういう答えるのに困る質問をしないんだよ」
と言うのがよろしいようで。もっとも私にはそういう事を言う機会などあまりないんだが。

女を口説きまわる一部のイタリアの男性というのは、そういう口達者なふりをして女性を冷静に分析する技術がどうも日本人男性より長けてるのが多いかもしれない。で、自分から口説いたくせにそれに簡単になびく女性を内心どこかでバカにしている事が多いんじゃないかと思う。  
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2006年01月18日

殿方はウサギが好き

イタリアで長い間暮していてそういやこの国の男性と特に何もなかったよなあと思う今日このごろ。今回の様にまれに機会があるとうーんと悩むが別に普通でいいだろう、ちと忘れていた女性らしさを何とか頑張って(まあもともとないんだが)思い出しあと金、身なり、時間その他バランスを取るのに気をつければいいだろう。

 そういえばイタリアに来たばっかしの時どこでもかしこでも口説かれていたような気がする。「イエーさすがイタリア」と思っていたんだが、しかしヤバイ目に来た早々逢うのは恥ずかしいしなと思ってイタ語わかんないのごめんあそばせとシラ切りまくっていた。
 ローマの6月夜はいつまでも明るく観光気分が抜けず兄ちゃんはハンサムだしねえちゃんは露出度高いし、バールに行くとじいちゃんから子供にまでチャオ!ベッラと言われるとなあ。照れるし困るぞおい。

そんな折り同じ語学学校に行く日本人の若干年上の女性とあちこち美術館だのなんだのに行った。..しかしこのねえちゃん、余りにあけすけなんだわ。にいちゃんに声かけられればデレデレし、バールで知らない男性に「今晩飲みに行こうよ」と言われれば実にあっさり「ええ、いいわよ〜」だし。そんでそばにいる私にもとばっちりが来るのだった。....書きすぎかな。8年経ってるし時効だよね。

そんで私にその男数人含めて「行きましょうよ〜今晩」と言われる。頭に来る。この女危険つーもんがわかってねえのかという顔を露骨にしてしまった。しかも私その場一人で浮いてしまう。

これが例えば同じ学校に行く人で素性そのほかはっきりわかっているやつならそりゃ喜んで行くわい。
「やめとくわ」
と言ったら
「俺の事信じてないだろ」
と凄まれた。
...
後で何て言い返せば良かったかなあと思ったし、その姉ちゃんには恨まれるしもう散々だった。次の日授業で先生と日本人の男性達にごく内輪の話として「もうああいう女のそばにいとうない」つったら「そう、それでいいのよ」と言われた。当り前だ。

しかしこれを機になんとか「このジャッポやるじゃないか!」と言われたい言い返し方を学習したいと思っている。くそお。とりあえず、あの場では
「今夜飲みに行かない?」と言われたら
「ごめんね。あなたと飲むと悲しむ人がいるの...」
とか嘘でいいから言えば良かったかなあ。ああ、口が曲がりそう。

そうだ、一度だけうまく切り返せた事があった。ある殿方と2人きりだった時、たまたまうさぎ=コニッリオ(コリオーニじゃないよ)の話になって、仕事の話をひとしきりし、夜も更けてなんかシットリした雰囲気になった。うーこれはまずいと思いつつオリエンに出てきたうさぎの話をくりかえししてたところ、その男性がじっと私の目を見つめて

「うさぎって繁殖とセックスの象徴なんだよねえ....」

と言われた。あれ口説きに入ってたのかなあ?多分そうだと思う。まあそういう事にしてくれ。
私はちょっとその場で考えて、

「...だから男性はバニーガールが好きなんでしょうか?」

と答えた。「ワハハ!」とその男性は笑い「おまえは○○だ!!」と言った。何て言ったかわかんないけど多分褒め言葉だと思う。とりあえずその場の妙な口説き雰囲気はなくなるし、変に私も固くならずに済んだし楽しい雰囲気に流れを戻せた。まあ私バニーガールじゃないんだけどというお断わりにもなったしな。やったー私って頭いいじゃないか。
 つーわけで今日は自画自賛でシメ。bunny  
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2006年01月17日

ヒストリーオブバイオレンス

7a3fb364.jspで、映画は何を見たかというとクローネンベルグのヒストリーオブバイオレンスでした。米国映画。
この監督は確かスパイダーという心を病む青年の過去を描いた秀作を出した事があった。この映画、でかくヒットするつー映画ではないが個性的映画だった。他人にはわからない言葉をひたすら手帳に書く病んだ青年。どうも見ていても心の病気は治りそうにない。蜘蛛の糸を張るように家の中にぐるぐる糸を張っていく。

 この監督の新作おもろそうだ。トローバチネマでも評価4つ星だったしなあと見てみるがやっぱしいいわあ。
冒頭で2人のギャングが女子供をむごく殺して金を奪い、とあるアメリカ中部の静かな平和な街に次の標的を探してやって来る。
 そしてふつーの家族を持ちエロくて元気で楽しい女房を持つ痩せたおっさんが、ダイナーというしょぼいファミレスでぞうきんふきふき無害な小市民として働いている。

 ギャングは閉店まぎわのダイナーに入ってその場にいる全ての客を含めて銃で殺して金を奪おうとするが、そのダイナーでコーヒー入れてるこのふつーの素手のおっさんが、玄人顔負けの素早い格闘技で一人をぶちのめし銃を奪い、ウエイトレスの女性の頭に今にも銃をぶちこもうとする若いのに数発入れ即死させ、でかいナイフでシブトク抵抗する相棒を即死させる。
 「いやーおみごとでした」とインタビューされボソクソと「怖かったです」と言う。しかしそのおかげでまたいらん客がこのダイナーにやって来るのであった...

なんか書いてると別にフツーの話だなあ..でもこの映画の演出の正確さとリアリティが卓抜でした。
以下ネタバレあり
historyviolence  続きを読む
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2006年01月15日

人生の先輩その2の2

「今年私は35歳になりました。子供を産める年齢の上限に段々近づいてきています。親は私に結婚しろと言います。あたまごなしでは決してなかったけれどずーっと結婚しろと言われるとそんな気にあまりなれなかったしかえって反発したし、なによりもやりたい事があった。けれど今では親が余りにも自分達と違う人生と人生観を持つ娘の将来を先が読めなさすぎて心配していたのだし、今もますますそうなのだと言う事がわかります。自分の将来がどうなるか私だってわからないのですから。答えなど簡単に出せないのですが...」

 しかしそのデジじいちゃんの言う言葉は親父が私に国際電話をかける度に言う言葉とはまったく違うものだった。

「それは現在自分のやっていることデザインの仕事をさらに進めて極めた方がいいでしょう。知人の娘さんで中近東で日本語教師をやっているあなたと同じ歳の娘さんがいます。彼女はもう男性と結婚する事をあきらめてひたすら自分の職業に殉じているようです。充実した人生のように思います。生活が安定しないと悩む事もあるでしょうが、餓死することは今の世界ではもうあまりないでしょう。頑張って下さい。」

 とここまで書いておもったがどうも正確なこのデジいちゃんの言葉が思い出せない。要するに結婚の事はあまり考えないで現在の自分の仕事を極めるべきだというしっかりした主張だったので私はとてもリラックスしてしまった。
 
実は、
「もう35歳でしょう?子供を持てる上限の年齢に達し始めているのよ。35を過ぎたら40になるのはあっという間なのよ。子供育てるのにすごいエネルギーも要るし。結婚したらしたで互いに生活ペースを譲歩し整え合うという手間のかかる作業もあるんだから。これから一人で生きていくの?」

...という事を日本では親、親戚一同、友人、先輩、会社の先輩その他色々と言われ、イタリアでは同業の友人、同業の先輩、私の低い収入を把握している会計士マダムに散々言われズシズシとプレッシャーを感じていたのであった。
 そして上記の質問に答えの全くない私は「ヨシヨシおまえ日本にもイタリアにももはや世界に逃げ場なしだよ」という気分に陥っていたのでそのデジいちゃんの前でも私はそういうシケた顔してたかもしれない。

 そういう私に配慮した言葉だっただろうけれど、私よりはるかに長い人生を生きて私より若干年上の娘さんを育て結婚し家庭から卒業(?)させなお社会の中で現役で仕事している男性の明快な言葉にえらく安心した。本当はそう生きたいという部分が私の中にしっかりあるという再確認ができたのでした。

 それにしても、と思うのはこのデジいちゃんはもしかして「私も出来ることなら海外で自力で仕事をしてみたかった。もうこの年齢では出来ない。ましてや家庭持ってしまってはやりたくてもできなかった。この娘はなんか悩んでいるみたいだが、やりたいこと精一杯やっているならそれをどんどんやればいいじゃないか。うらやましい」と思ったかしら。...うーん。そんな感じではなかった。私の深読みでしょう。

 人生相談するとなぜか自分の答えを探すより答えてくれる人の人生観に関心持ってしまう事があるのでした。
それどころじゃないくせにねえ。  
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人生の先輩その2

 日本の実家のすぐ隣にデジタルに強いおじさんがいる。孫がいるからデジタルおじいさんと呼ぶべきか、...こう書くとその人を尊敬を欠く気もするな。外付けハードディスクをイタリアから持って行った時、うっかりファイヤーワイヤー及びUSBケーブル忘れてしまったんで「すいません、もし持っていたら貸して下さい」と借りに行った。

 親父おふくろはその隣のデジタルおじいさんを尊敬している。戦前の人で親父より7つほど年上なんだがアプリはもちろん、ネット環境のみならずシステムそのものにもすごく詳しくて私など「アプリ3ツ4ツ使い方さえわかれば後はどうでもええわ、手作業の頃はウイルスもなくカスタマイズだのにわずらわせられなくて昔はよかった」などとトロい事言うのが恥ずかしいばかりである。
 
 会社でバリバリ偉い人現役どころかコンピ及び仕事のやりかた等後輩ゴリゴリ指導してるらしい。こないだ親父と国際電話した折りそんな話が出ていたく感心した。いやあこういうおじいさんが日本にいるってすごいなあ。頼もしいと言ったらなめんなって怒られそう。親父に「隣のじいちゃん見習え」と言ったら「やだ。」と言われた。地獄の通勤がしんどい親父の年齢の人こそコンピ覚えて週2〜3日自宅勤務すりゃいいのにと思う。

最新の作業システムに私が制作しているデザイン像の重たさや動作速度や環境も見たくてちょっと忙しい所おじゃまして私のデザインを見てデジじいちゃんの持っているコンピ上で走らせてみたところそこそこ良好だった。

「へえ、これあなたが作ったの。どれくらい時間かかった?」
「2日はかかりますね。素材探しからやるともう1日。...大体動作環境わかりました。ありがとうございます。じゃこのデータ棄てますね。」
「あ。棄てないで。どう制作したか見るから」
「(んもー企業秘密なんだけど)あ、興味あります?仕事もらえます〜?」
「いやそれはちょっと..」
(ああやっぱし)

まあそれはそれ、ケーブルやワイヤー結局2週間程借りっぱしたのでお礼に私のカンで作ったイタリア商品を持っておじゃましたところ風呂上がりだったので玄関で失礼しようとした。

「これからもイタリアにいるんですか?」

風呂あがりでバスタオルを腰に巻き、その姿でサシで私の前に立つのを恐縮してるデジおじいちゃんはガラス戸の向こうで(見えるてば)身体を隠しているつもりで顔だけ出すという実に不自由な態勢で簡単に答えられない質問をした。

ここで適当な事を言い、恥じをかかせずそそくさと帰るのが30代女性として礼儀として正しいと思った。

..しかしこの聡明な年配の男性なら娘へ言えない親父の本音のようなアドバイスを言ってもらえるのではないかと思いきって言った。

「本当は悩んでいます。労働許可延長もしんどいし、言葉の壁はまだまだあるし。ですから日本に帰省した折りに営業をやったりしていつ日本に帰ってもいい準備は始めているんです。
 ・・・・正直な所イタリアでまだやりたいデザインはあります。でも日本で仕事もやりたい。そういう中途半端な心持ちがここ3年程続いてます。そういうこと考えないで手は休めないようにしてるんですが...これで例えば配偶者になる人がいれば決断も簡単なんですけど。例えばイタリア人の恋人ができる、とか、日本で恋人が待っている。とか。」

(続くのです。  
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2006年01月13日

人生の先輩その1

数年前、同業に近い分野の仕事をしている英国の女性に出会う。実に優秀な芸術的直感力の持ち主で、彼女と張れるのは以前ここで書いた韓国の友人か某中東の知人くらいかと思う。
 彼等に共通しているのは現実的事務能力及び社会常識がないというのは絶対言いすぎなんだが、そういう部分が大なり小なりありそれと引き替えにずばぬけた表現能力があるのであった。
誇張ではなく、彼等の作品はその本来の目的を超え美術館のキュレーターに買われるレベルにある。羨ましいなあ。

で、その一人の英国の女性は社交性等抜群にあるのだが、社会常識をどこかで大きく外す事が多々ある。私は遅刻をするし打ち合わせを忘れたり、もう社会人じゃないと自分が嫌になるんだがこの私の友人はそのレベルではない。テロでピリピリする中パスポートを持たずに旅行をするだの(おまえロンドンテロの現場にいたんだろ?)名刺を持たずに営業するだの、あまつさえ営業先で漫才をやりにいくんじゃないかというようなめちゃくちゃな営業だったりする。

 しかしながらその滅茶苦茶な営業の合間ディレクターは彼女の作品をきちんと見ていて「こういう風に整理してくれれば大きな仕事を頼みます」というような真面目な話に最後はなるのでした。その整理するという作業が彼女には至難の事なんだが。多分。
 ...つーわけでシカゴ美術館やロンドンの某有名ミュージアムに彼女の作品は購入されるのだがおおざっぱに言えばかなり貧乏な人である。

 1週間ほど彼女は私の家にいたのだが(貧乏なのでホテルに泊まれなかった)やはり彼女は滅茶苦茶であった。もっともあらかじめ知っていたので別に腹は立たなかった。しかしながら自宅で仕事をしている時にあきらかに手間をかけられると頭に来た。ついに
「私は仕事を今日中に納めないといけないんだ!」
と言ってしまった。すると彼女は
「仕事、仕事って大切なのはわかるけどもっと自分の生活を大事にしなさいよ!仕事が人生の責任持ってくれるわけじゃないわ!」と答えた。
彼女は30代後半で未婚の母になった。仕事はせず生活保護を受けて生きている。普通ならもっと身辺を整えて子供を持つとおもうのだが、仕事が人生の責任を持ってくれるわけじゃない、という言葉に正直ズキンときた。

 私は家賃電気ガス代水道代、そのほか身の回りの生活整えるためにわずかな才能を使いあくせく仕事をしている。税金引かれた残った金は実に大切な金だ。自分に見合う収入に基き生活設計を立てやりくりして生きる。この世の大半がそういう人々だと思うしそれに沿って生きるのが社会性というやつだと思う。

 しかしそういう社会性を無視し、「私は女性で人生の中で今子供が欲しいから産むのよ」と言ったわけではないがそういうわけだし、社会の中で生きるのに金が要るからあくせく仕事する私に、彼女の言葉は森の中でさえずる野鳥のような堂々とした自然の主張のように聞こえたような気がした。どうも彼女の方が女性なのかメスなのかとにかく私より人生を生きている。気がする。

 そうは言っても社会の中で生きるのに金が要るからあくせく仕事する人間が世界の大半なわけだし「わかった、それでどうするんだよ」といわれればどうしようもないので結局ごりごり仕事をしている。

「仕事が人生の責任を持ってくれるわけじゃない」
いや、持ってくれる場合もあると思う。でもそれを超えた言葉のようでちょっと忘れられない。

++++++++++++++++
なんかいまいち...わかってもらえるかなあ。  
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2006年01月11日

まとまらない身の上話

 久しぶりに日本にいる同業の友人と国際電話で1時間近く長話をする。同業の優秀な友人を持つ事は大事でしかも彼女は私より若干年上なのでこれから数年後に私が出会う課題に面している事など(話す本人は気がついてないが)話してくれる。海外で仕事するのと日本で仕事することの差等、彼女との一見無駄話しの話題の中からくっきり見えてきたりする。

 歳をとるという言い方は嫌なんだが、この前親しいミラノ在住の日本人の集まりで「日本に帰るべきかイタリアに残るべきか、帰るとしたら何をやるべきか」などというアドバイスを私より若い人に求められたりしたときその人にとって的確なことを言えているかわからないが、もっともらしいことをいつのまにか具体的に言えてる自分がいたりして、そんなとき自分は歳をとったなあなどと感じる。そんなことない?

 正直今人生の転換期にいるなあなどという気がする。どうも公私生活共にまだ目に見えてないんだけど身辺がざわざわして落ち着かない。何がどうしたとは具体的に言えないのだが、どうもいままでおろそかにしていた人生の宿題がたくさんあったのではないかと思う。例えば今まで自由業自営業だったから金のことにあくせくしていたけれど正直金のあるなし、仕事のあるなし、言葉や外国で暮すストレスに振り回されて肝心な事をやっていない、金やキャリアのあるなしより怖い事(?うーん)があるのではないかとふと思ったりする

 日本に帰るか帰らないかというのは結局環境が変わるというだけであって、やらないといけないことはおおざっぱにはどこにいようが変わらないのだ。(じゃー日本に帰るか?でもそれは今の自分には意味のない環境変化な気がするしなあ。..ここ考え保留。わからん。)

 去年の夏日本に帰ったとき自分よりグッと年上の人生の先輩に当たる方々に様々な長話をした。私を見て「これを彼女に伝えた方がいい」と私を見て思ったのだろう。そこらへんの話をしばらく自分のために書こうかなあと思う。
  
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2006年01月07日

チャーリーとチョコレート工場

去年の秋は大好きなティム.バートン監督の2作品が私のクソ忙しい時に公開され上映終了となったのであった...ぐおおおおしどい、しどすぎると号泣したがクリスマスの後小さい映画館でめでたく上映されなによりのクリスマスプレゼントとなりました。めでたしめでたし。やっぱりあの妙なダークさ、カルトさ、そして妙なインスパイアのされかたとかもう実に面白くめでたく「あーひでえ..うわーいいのかこれ」の連続でありました。

 特にチョコレート工場社長が「ここがナッツチョコレート製造室です」と案内した白い部屋にはリスがズラーと並び大勢のリスがカリカリキーキー言いながらくるみをかじり実と殻を別けるところは爆笑してしまった。大声出して笑ったの私だけだった...あそこおかしくないかなあ...あの場面大好きなんだけど...あとミルカの牛みたいなのがミルク出すためにムチでしばかれてるのとか。

それにしてもジョニーディープ演じるチョコレート工場社長...なんか病的に色白でスティックをかっこつけながらカツカツ歩き、どこかダークな遊園地の様なチョコレート工場...大人も夢中になるあこがれる場所でただ一人君臨し甘いもので釣り罠に誘い、子供達を集めいたぶる...誰に似ているんだろうなあ...と思ったら、マイケル.ジャクソンではないか。ネバーランドとかいう遊園地を持っているし子供を集めて遊ぶついでに児童虐待にも問われていたよねえ。

ねえ、あの映画ってそうだよね。マイケル.ジャクソンがモデルだよね。...ごめん、こんな意見もうとっくに去年の秋に出てるか。
  
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2006年01月05日

某店のシミツ

時間が若干できたので仕事の間訪ねていなかった知人友人の間をうろちょろしている。先日私の師匠ともいうべき優秀なデザイナーの所に遊びに行って来た。そこで某日本食レストランの話しになった。
ミラノの和食レストランで「これは」というのは正直あんまりない。某店ではもずくが9ユーロしたりするくせに料理の内容は凡庸だ。むろん入手経路が極めて困難だというのはわかるが...それにしてもこの円安ユーロ高の中もっと一般人に値段を近づけて欲しい。美味しい所もあるんだけど。イタリアの旬の素材を使って美味しい新しい和食をきりひらいてくれる所はないだろうか。あったら誰か教えて。(ただそういう新しい試みを評価してくれるレベルの人々がいるかというとどうだろう...あんまりいないのではないかな?

 その師匠は多趣味な人で知人知故も多く中にはイタリア人だが日本への滞在期間も長く実に日本語が流暢でもはや「イタリア人のふりをしている日本人」ではないかという人もいるのだ。そんな人と師匠が某和食店に行く。彼等のすぐそばでなんとその料理店では売春のやりとりをしている事が発覚した。

「..じゃ、今夜○時に隣のホテルの○号室に待機させときます。どんなコがいいですか」
「ゲイがいいんだけど」
「中性のコね、はいはい」

師匠の話を総合するとそういうことらしい。
「えーあの店で!?私そんなのあの店で聞いた事ないよ!」
「そらあそうだろ。外見どーみても日本人の君の前でんな話するわけないだろ」

まあ比較的知られた店なんだが。へーそういう経営も含まれてるんだな。まあ立地はいいのは認めるが料理の内容に対してあのバカ高い値段なら客もそう来ないとは思うが...日本人男性ビジネスマン系が客として多いのはそのせいか?そうじゃないならごめん。
まあ様々な日本人が来る中そういうのもあって当然か。しかしこういう話多分まだいっぱいあるんだろうねえ。
昨日もそういう詳しい話友達から聞いて、それはどういうのかというとヤクザがフィレ某おウワなんだおまえやめwtmt/i3」tz&%0=
  
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2006年01月04日

ソクーロフの「太陽」2

9a9e4179.jpg ここでは裕仁昭和天皇は「ホントはフツーの人だけど子供の頃からのしつけで神として扱われ、下手な事言うと詰め腹切る人が出てくるから言う事も言えなくてそのうち思考能力をどこかで止めた中味は子供な人」として描かれている。実際の裕仁天皇がどういう人か旧皇国臣民の私は知らないが、多分そういう部分もあったのではないか、そこを見抜いたソクーロフはすごいと思った。閉じ込められたような狭い部屋で陸軍、海軍の大臣と話をする。その大臣も山下奉文(「無条件降伏、イエスかノーか」って言った人)みたいな人やら海軍
大臣もどこかの江戸時代老中みたいな...今はもう年配の日本人でもあのような顔の人はいない..うまく言えないけど、「ああ、このような人々だったかもしれない」と思わせる所がすごくあったのでした。日本人のキャスティングすごいうまいし、日本の俳優陣がいいよ。イッセー尾形、本当裕仁天皇そっくしだった。後ろ姿、口を金魚みたくパクパクするのとか、立ち姿、どれをとってもうまかった。すごい勉強したんだろうな。すごいな。

 この映画は日本人及び天皇の戦争責任を問うという事は一切ない。2人きりでマッカーサーとの会話で「天皇やってるのって大変なんですよ」とボヤいたり「もっと肉食べていい?」とか言ったり、天皇自身が表には出せないけどどこかで「自分はもっと自由になって誰からも監視されずチョコレートや肉のんびり食べたい」と思い続けていたそのプライベートな姿と願い、でも人間天皇になろうとしたら誰かが直ぐに犠牲になりそれを誰も止めない。そんな映画です。...そしてこの映画は日本では公開されないんだよね。

そりゃ皇族の人が見ればなんとなく不愉快になるだろうけれど、でも別にいいではないかという気もする。

...
それより公開許可をしない日本の仕組が恐ろしい。。ここまで持ち上げてなんだけど、この映画芸術文学系退屈映画なんでどうせそんなヒットしないのに。

  映画の最後で裕仁天皇が切腹したアナウンサーの話を聞き「誰も彼を止めなかったの!?」「はい、止めませんでした」と答える従属。そして現在この映画の公開をしない日本人がなんか同じに思えて。

追記。ソクーロフもえらいと思ったけど熱演した日本の俳優陣もすごい。この映画のコンセプトを理解して頑張って演じたんだと思うのですが...裕仁天皇がこの映画見たらなんて言うかなあ。「朕はここまでアホではないぞ。(でも朕の悩みヲ描いてくれた。ボソ。)」とか。
  
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ソクーロフの「太陽」

8fe9fc0c.jpgアレクサンドル.ソクーロフという、優れたロシアの映画監督がいる。10年前、「クリミアの亡霊」「日々は静かに発酵し..」を見てかなり感動した。タルい映画だから心の準備がいるんだけど。

 いわゆるハリウッド映画の対局にいる映画作家で作家性、芸術性の高い作品で退屈と思う人が大半だろうけど、ずばぬけた美しい映像、気温の冷たさと暗さ、夜明けの目覚め前に見たような現実と夢想の区別がつかないねっとりとした濃い空間に「今まで見たかったけど見れなかったイメージ」を見る事ができた気分にしてくれる希有の人だ。「クリミアの亡霊」は夜中騒音を絶ち心を静めてみると異次元に行った気分になれると思うんだけど...退屈な人は退屈かもしれない。死んだ作家が現世に蘇り廃屋に閉じ篭り青年とたった2人夜通し話をする。青年は亡霊に欲望を感じる。なんでかわかんないけど映画は夢の中のような不思議な世界なのでわかった気分になる。

イタリア国営放送ライトレの深夜ヲタク映画特集番組、フオーリオラリオでもこの作家はよく特集を組まれる。「魂の声」はロシア海軍及び陸軍のドキュメンタリーなんだけど、この人を通すと軍隊が詩や文学になってしまうんだよなあ。閉じ込められた暗い軍船の中の若い子供の様な兵士達の手元、顔、夜の冷たい波の音が繰り返し出てくる。監督ソクーロフの低いつぶやきと一緒にどこにもいけないまま彼等はずっとこの世の果てまで暗い北極の海の上漂うのかと錯覚する。...んなわけないんだが。

 この監督日本が好きらしく、ジャパン.エレジーとか、島村敏男という作家...「死の刺」とか「出撃は未だ来ず」を書いた...その奥さんと娘を扱った「ドルチェ」という映画も作った。旦那に裏切られ心を病みそれが娘に反射してしまう、そんな一生をとつとつとつぶやき振り返る老いた女性の顔を正面に水が跳ねる映像とかちょっと美しすぎて忘れられない。

 その監督がなんと昭和天皇を扱った「太陽」という映画を作った。えー。
さっそくトローバチネマという映画サイトに行く。
http://www.capital.it/trovacinema/scheda_film.jsp?idContent=298902
なんと評価は5つ星。ハウルや神かくしと同じだ。ティム.バートンのチョコレート工場は4つ星だった。ここの評価センスは私と大体同じなんで役に立つのでした。
 天才芸術閉塞監督がどう昭和天皇をイッセー尾形を通じて描いたか興味あったんで見たけど、やっぱしソクーロフ節で描いてある..というか、見た直後はわかんなかったけどこのひとの観察はやっぱり鋭いと思った。
続く  
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正月の抱負

まあイタリアでは正月は普通の休日で。31日夜中友人の家に集まりスプマンテ抜いてカウントダウンして終わり。でも今週金曜エピファニアというお祭りがある。その夜いい子はベファーナというほうきにのる空飛ぶばあちゃんが靴下の中にプレゼントを入れてくれる。クソガキには石炭を入れていくそうだ。

 皆初夢見た?去年私は全然見なかったんで期待してたが、友人に借金してそれも10ユーロとか30ユーロとかいう金額がどんどんふくれて「できれば返してね」ああ。。

 あと、なぜか札幌駅にいてどこかに行かなくてはいかんのに、「○×に行くにはどうしたらいいんでしょうか?」と誰に聞いても「ホームはあそこらへん」と言われるばかりで迷って往生していた。
 するとその進行方向から長崎から来た白い時代がかった服を着たきれいなねえちゃんに声をかけられ「私は天草四郎の子孫でね、今来たばっかりなんだけど道に迷ってて。ここの人冷たいねえ」と言うんだな。「でもあなたは白くてきれいな服を着ているなあ。似合っているじゃん」とお世辞を言う私。「あらそう?ありがとう!」なぜかそこで仲良くなる我々。

 それでも目的地に向かう電車に乗り窓の外に広がる田園風景(なんか高い所走ってるんだよねえ..京王線の橋本発みたいに住宅と田園がまばらで電車に差し込む西日がきれいだった)初めて乗る電車だし、どこに行くかもわからないのだがなぜかゴロゴロくつろいでいる私であった。そこで目が覚めたのだった。

 今夢占のサイトを見たら吉夢らしい。願いがかなうそうな。去年失敗したダイエットが今年こそ成功すればいいけどね〜(でも腰痛はとれたのよ)  
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