2017年10月17日

金子飛鳥&林正樹 @ 公園通りクラシックス、渋谷、昼の部

 平日なのに昼の部とは面白いと昼を予約。どうやら子ども同伴OKだったらしく、親子連れが6組ほど。乳幼児から3、4歳くらいだろうか。一組、夫婦で来ているところもある。後で金子氏が、試みとしてやってみた、と明かす。かつては自分も子どもをライヴに連れていって注意されたこともあったから、こういう機会をつくってみたと言われる。こういう試みには大賛成だ。子どもにこういう音楽がわかるかわからないかということは問題ではない。ホンモノにさらすことが大事なのだ。アイリッシュ・ミュージックなどでも、子ども向けの音楽があるわけではない。大人も子どもも、同じ音楽をやっている。

 井上靖の『蒼き狼』の始めの方、幼ないテムジンに刻みこまれるものの一つとして、集落の長老たちが一族の祖先の伝承を話すというのが出てくる。片方は長老の一人の語り部が、エンタテインメントとして始祖たちの名前と事蹟を語る。しかし、テムジンの中により深く刻みこまれ、後の成吉思汗を生む原動力となるのは、年頭の儀式などの際に長老たちが謳う祈禱である。語られている内容は同じでも、前者は子どもでもわかるようにくだいた話、後者は神々に捧げる「難しい」物語だ。

 ぼくもわたしも成吉思汗になれるぞ、というわけではない。ホンモノを示せば子どもはそれぞれに受け止めて消化してゆく。子ども向けと称して、希釈する必要などどこにもない、ということだ。

 実際、金子&林のデュオがこの日演ったのも、普段のお二人の音楽そのままで、いわゆる「子ども向け」のところはカケラも無かった。ちょっとむずかる子もいたけれど、二人ともそんなことにはまったく頓着しない。音楽に集中していた。

 その音楽は何かといえば、広い意味でのジャズだろう。テーマとなるメロディが始めと終りだけ決まっていて、間はまったく勝手にやっていい、という形が基本。決まっている部分と即興の部分の比率や位置関係は曲によって変わる。これはトリニテなどとも通じる。

 即興の部分はしかしかつてのように、基になるメロディとまるで関係ないソロをやるとか、「フリー」になるわけではない。テーマの備えるベクトル、性格に沿って展開するし、何よりもお互いのやっていることに耳をすませ、それに応じようとする。二人で一つの即興を組み立ててゆく。

 フリージャズなどでも、互いのやっていることを聴いているのは当然だろうが、そこでどういう音を出すかの原理が異なる。秩序を破壊するよりも、もう一つの秩序を作ろうとする。破壊することがまったく無いわけではないが、力まかせにぶち壊すのではなく、いわば内部にもぐりこんで、内側から崩す。テーマの変奏が次々に展開されていたと思うと、いつの間にか、まるで別のメロディになっている。あるいは、なるようでいてならない、ぎりぎりのところを綱渡りする。これを二人でやってゆく。

 ヴァイオリンは持続音でピアノは断続音の楽器という特性を最大限に活かす演奏を二人ともする。この特性からヴァイオリンはつながるフレーズが得意で、ピアノは音を飛躍させるのが得意という性格も生まれる。林氏は、低音で弾いているフレーズにとんでもない高音を入れたりするのがうまい。

 細かく聴くとひどく熱いが、全体としてはむしろ静謐だ。ほとんどは二人の新作《DELICIA》からの曲だったが、もちろんCDとは違う演奏になる。時にはまるで別の曲に聞える。もっともハイライトはアルバムには入っていない「温泉シリーズ」の1曲〈赤倉〉だった。ライヴでも録音でもどちらにしても、このシリーズの全貌が現れるのを期待する。

 子どもたちに対する配慮と唯一言えるのは全体の時間で、1時間弱。しかし、あたしにとっても短かいなんてことはなく、充実した1時間だった。この二人なら、長ければまたそれなりの愉しみもあるだろうが、こういうきりりと締まったライヴもいい。

 お二人とも超多忙で、この二人でのライヴはしばらく無いようだが、やはり生で聴きたいものだ。それにしても林氏のピアノは癖になる。ナベサダも一度見にゆくかなあ。(ゆ)


Delicia デリシア
金子飛鳥&林正樹
aska records / LEYLINE-RECORDS
2017-07-22




yosoys at 11:27|PermalinkComments(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック イベント