2015年07月19日

『書庫を建てる』

 安部公房は首から下げる式の大きな画板に原稿用紙を置いていつも書いていた。安部にとっての書斎はこの画板だった。というのを読んで、いい話だ、あたしも画板に MacBook を置いて書いたら楽そうだ、と思っていたら、この本を見て、書庫は欲しいと思うようになった。実家を畳んだとき、預けてあった本の大部分は処分し、どうしても残しておきたい本だけ持ってきたのだが、段ボールに入れて積んだままだ。どこに何があるのかももうわからない。読みたい本があって、そういえばあれは持っていたはずだと、データベースを検索するとちゃんと入っている。が、どうにも出てこない。探しまわる労力を考えると、古本を買うほうが安いし早いと注文してしまう。


 コレクターではないつもりだが、本もレコードもなんだかんだでそれぞれ1万タイトルはある。30年も追いかけていれば、塵も積もるのだ。これの背中が一望できるようにしたい。とは思う。読みたい、聴きたいというよりも、すいと抜きだしてパラパラやったり、ジャケットを眺めたり、ライナーを読んだりするだけでいい。ひょっとすると本やレコード同士が共鳴したり、呼びあったりして、思わぬ反応が生まれるかもしれない。


 本書はそういう願望、欲望にもならない、遙かな願望には最適の書庫を建てる話だ。そこがまず面白い。東京の、それも23区内という超過密地帯では、プロの協力が不可欠だ。それでもあやうく「ガセ」を掴まされかけるというスリルもある。


 なぜ、こういう建物を建てる気になったか。そこがまた面白い。著者はあたしの一歳下、父親はともに同じ昭和2年生まれ、ということも面白い。あたしの父親は貧乏人の次男坊だったから、松原の父親のようには壊れなかったが、やはりよくわからない人物だった。そもそも父親の実家がよくわからないイエだった。次男ということもあり、父は婿養子に来たから、あたしが継ぐべきイエは母親のそれだが、これまたあって無いようなもの。昭和のはじめに静岡の田舎から単身上京した祖父が「初代」ということになる。この祖父が自分の実家とは交際が無かったからだ。ウチで法事というのは、祖父以後のホトケさんが対象になる。つまり、松原のような事情はあたしには無縁なのだが、だからこそ、知らない世界だからこそ面白い。松原の祖父のような人間は他にも多数いたはずで、昭和の日本を支えたのはこういう人びとだったのではないか。


 堀部安嗣という建築家の考え方が面白い。とりわけ興奮したのは、この書庫から触発されて設計してみた公共図書館のアイデア(162pp.)。そもそもこの書庫を思いつく源泉となったスウェーデン市立図書館には憧れていたが、この堀部版図書館があれば、その街に引越したいくらいだ。


 この図書館のプランに付随して堀部が述べる図書館の役割には共感する。


「今の時代、図書館の最も重要な役割は街で浴びた情報から自分を避難させ、情 報を洗い落とすところにあるといっていいかもしれないし、今後そのような役割 が重視されてゆくような気がする。情報を集める場所だった図書館が、有象無象 の情報から身を守り、自分にとって本当に必要な情報だけを得られる場所となっ てゆく。」165pp. 


 図書館もだが、本、書物の役割がそもそもそれじゃないか。つまり情報を濾過し、取捨選択して整理し、知識として使えるようにする。 出版の役割もそこにあるんじゃないか。


 この構想をもう一歩進めるならば、図書館は大きなものが1ヶ所に集中している必要はない。情報はクラウドにあればいい、その方がむしろ利用しやすく、されやすい。エネルギーは1ヶ所で作らなくてもいい。必要なところで必要なだけ作ればいい。従来は不可能だったことも、テクノロジーの発達は可能にしている。図書館もまた、小さな書庫、1万冊を収蔵する書庫が10軒あれば10万冊、100軒あれば100万冊。そしてそれぞれが特色を持つ。堀部の公共図書館プランの1つの円筒が独立した形だ。それが街のあちこちにある。そこを歩きまわる。途中にすてきなカフェもあって、いま借りてきた本に目を通す。


 阿佐ヶ谷の書庫は松原の死後、どうなるであろうか。息子あるいは弟子が讓り受けて使うことになる可能性が最も高い。しかし、「地域に開放」して、誰でも利用できるようにすることもできる。


 この書庫も完璧ではない。ここでは階段を登り降りできなくなるという可能性は考慮されていない。もちろん、ここにエレヴェータを設置することはかぎりなく不可能に近いだろうし、できたとしてもとんでもなく高価になるだろう。


 とはいえ、そういう設備のある書庫もあっていいはずだ。


 それにしても、一番の面白さは、1万冊の本とばかでかい仏壇を8坪の土地に収めるという松原隆一郎の挑戦に、堀部安嗣が応えてゆくところだ。そして出した、円筒を螺旋階段でつなぐという回答の面白さ。さらに、円筒の建物、つまり塔を建てるのではなく、立方体の内部をくり抜くという面白さ。外から見れば窓が少ない以外は特にめだつものではないが、一度中に入ると、これに似た空間は、今この瞬間では、地球上にはまず無いだろう。これは「バベルの図書館」の極小版ではないか。


 松原の挑戦に堀部がみごとに応えて、松原はかれにとって理想の書庫兼仕事場を手に入れた。ここからどんな仕事を生み出すか、今度は松原が堀部に挑戦されているわけだ。この書庫にふさわしい仕事を生み出すことができるか。それは松原自身の課題であるが、一方で、環境と創造性の関係の点からは、より広い「世間」の関心も呼ばずにはいまい。


 この本を読もうとしたきっかけは月刊『みすず』7月号の植田実「住まいの手帖」105「阿佐ヶ谷の書庫」。この号ではもう1冊、酒井啓子「若者は『砂漠』を目指す」に啓発されて、ブノアメシャン『砂漠の豹 イブン・サウド』を読んでいる。そして今日の Al Jazeera の記事 "Bringing Arab opera to a Western stage" のネタになった新作オペラの原作 Cities of Salt は、そのイブン・サウドが建てたサウディアラビアで1932年、石油が見つかったことから起きる大騒動を描いて、20世紀アラブ文学の代表作とされる。この長篇5部作はサウディアラビアでは発禁、著者のアブドルラーマン・ムニフはサウディアラビア市民権を剥奪されている。となると、読む価値はあるだろう。(ゆ)



yosoys at 16:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 活字