2017年01月02日

新年のごあいさつ

 今年は喪中なので、めでたい挨拶は控えますが、皆さまには今年が充実した年でありますように。

 昨年はジョンジョンフェスティバルを追っかけしてカナダに行くこともできましたし、音楽の上では充実した年でした。カナダではマジでこれで死んでもいい、と思いました。夏以来、数十年ぶりにハマっている辻邦生に言わせれば、そう思えるような体験、生死を越えた感動こそが芸術を生み出す素になるのですが、非才のあたしにはそういう「作物」を生み出すことはできず、復刊した『クラン・コラ』と『ラティーナ』に記事を書かせてもらっただけです。

 ジョンジョンフェスティバルはカナダに行く前に録音が終っていた新録もすばらしかったし、年末の求道会館でのライヴもそれはそれは充実したもので、現在わが国のリーディング・バンドといっていいと思います。これからが楽しみです。

 これから、とは言うものの、残りの時間がどんどん減っていることも日々思い知らされています。その時間をいかに充実したものにするか。そして、いくらかでも後に残せるか。個人としてはこれからはそれがテーマではあります。

 トシバウロンが推進してくれて、一昨年来続いているテーマ別のアイリッシュ・ミュージックについての講座も昨年は楽器をテーマとしてこれもたいへん勉強になる、楽しい体験ができました。なによりもあたし自身がたぶん一番恩恵を蒙っているので、その楽しさが少しでもいらしてくれた方々に伝わってくれればうれしい。今年もまだ時期は未定ですが、フィドルや蛇腹やうたをテーマに続けようという話になっています。

 その意味でも今年はできるだけ発信を心掛けようと思っています。まだできるうちにできるだけのことはしたいという気が湧いてきました。復刊した『クラン・コラ』やこのブログが中心になるでしょう。

 21世紀の10年代も半ばを過ぎ、未来はまったくお先真暗でありますが、小松左京の言うとおり、未来というのはもともとお先真暗なものですし、誰が言ったか忘れましたが、われわれはそこへ後ろ向きに進んでいます。今は大きな変化の時とは思えますが、一方で明日も今日とまったく同様の日がくり返されると信じられたことは、時間的にも空間的にもごく限られたものでありました。パンドラの匣の底に残っていたのが「希望」であったというのは、比喩ではたぶんありません。

 もうすぐ消えゆく人間が未来のことなど心配してどうするのだ、という向きもありましょうが、少しでもよりよい世界を残そうと努力することは、およそ人間として生きることの証ではあります。何をもって「よい」とするかは人それぞれでもありますが、埴谷雄高の「すべての人が詩人である世界」を究極の目標とすれば、詩人をなるべくふやすこと、誰もが詩人によりなりやすい世界をめざすことになりましょう。あたし自身はおそらく詩人になれる時間はもうありませんが、やはり詩人になろうと試みながら死んでゆきたい。その試みに夢中になって、我を忘れるあまり、自分が死んだことにも気がつかないようであれば、最高です。(ゆ)



yosoys at 12:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック