2018年05月18日

優河&ジョンジョンフェスティバル @ 440、下北沢

 「始める前に皆さんにぜひ聞いていただきたいお話があります」とアニーがギターのストラップを首に回しながら言う。「2002年5月17日、ここ 440(フォーフォーティ)がオープンしました。16周年、おめでとうございます」。

 その頃、トシさんは最初のバンドで北海道ツアー中。アニーは高校生で三段跳で優勝。じょんは小田急線で通学していて、下北沢にはよく遊びに来ていた。優河は10歳。ドラマを見て、弁護士になる夢を見ていた。

 日記を見たら、当時、わが国を代表する蛇腹奏者米山永一画伯がやはりパブを開いていて、あたしも下北沢には結構通っていたのだった。もっとも、440のある辺りにはほとんど近寄らなかったが。音楽の上では『邦楽ジャーナル』に連載をしていて、伝統邦楽を集中的に聴いていた。だいぶご無沙汰しているが、今どうなっているのだろう。あの頃すでにひどく面白くなっていたから、たぶん、かなり凄いことになっていると想像する。この年の秋、来日したアルタンやポール・ブレディの打ち上げに木津茂理さんが出て、無伴奏で「越後松坂」をうたいだしたら、うるさかった店内が水を打ったように静まりかえり、うたいおさめて大喝采が爆発したこともあった。

 マレードやポールが優河さんのうたう〈シューラ・ルゥ〉を聞いたら、なんと言うだろう。後で訊ねたら、誰かのをお手本ということもなく、YouTube などでいろいろ聴いて自分で組み立てたそうだ。こういうところが凄い。こうなると、それこそ「越後松坂」や、松田美緒さんが発掘した日本語の伝統歌をうたうのを聴いてみたい。あの声で、あの巧さで、うたうのを聴いてみたい。

 むろんその前に彼女はソングライターでもあって、新作《魔法》でも開巻一曲目、昨日も一曲目の〈さざ波〉や、あるいは個人的に大好きな〈手紙〉のようなうたを生で聴けるのは人生の歓びだ。このうたにはジョンジョンフェスティバルがサポートして、ハイライトになる。〈シューラ・ルゥ〉に続けた〈前夜〉も良かった。こちらはアニーが、〈シューラ・ルゥ〉ではアコーディオン、〈前夜〉ではギターで、これまた丁寧なサポートをする。ジョンジョンフェスティバルは笹倉慎介氏ともジョイント録音をしているけれど、優河さんと一枚作ってもいいんじゃないか、いやぜひ作ってほしいと思う。

 優河+ジョンジョンフェスティバルということでは、前半、JJFのステージに1曲参加した〈古い映画の話〉とラスト〈The Water Is Wide〉は別の意味でハイライト。こちらはサポートというよりも一体化している。といって優河さんがJJFのリード・ヴォーカルに収まるわけでもない。各々に自立しながら、溶けあっている。ひとつの理想の姿だ。

 前者では2番でじょんがリードをとり、コーラスは優河、じょん、アニーのハーモニー。これはちょっとこたえられない。このうたはJJFのレパートリィでも古いものだが、こんな風に成長しているのが聴けるのは嬉しい。

 そして、こういう歌伴でのじょんのフィドルの響きが深い。中域から低域へふくらむ響きは、やはり以前から彼女の魅力の一つだったが、さらに磨きがかかってきた。ほとんどヴィオラと言いたいくらいだが、しかしヴィオラのそれとは異なる弾力性がある。この響きは録音ではなかなか捉えられないし、再生も難しい。生の、ライヴでこその味わいだ。

 とはいえ昨夜の収獲は優河さんのソロ、自身のギターだけのうた、さらには上記〈シューラ・ルゥ〉でアカペラを聴けたことだった。ようやく彼女の本質が垣間見えたと思える。飾りの無い、いわばすっぴんのうたは、それだけで宇宙を満たす。中身のぎっしりと詰まった、しかし窮屈なところはカケラも無く、開放感たっぷりに響いてゆくあの声は、それだけで驚異だ。その声に頼らないのが、さらに凄みを増す。

 あれだけの声を持てば、それを存分に響かせるだけで充分舞台をさらえるはずだが、優河さんはそうはしない。というより、その声を意識していない。ただ、うたいたい唄をうたう。そこに人がいて唄うのは、あらゆる音楽のなかで最高でかつ最も稀な現象だ。それをいとも容易に現出する。容易にと見える。いや、やさしいむずかしいの範疇には無いのだ。

 むろん、これが全てなどではない。アルテスの鈴木さんも言っていたように、ポテンシャルの底が見えない。その潜在しているものが十二分に解放されるといったいどんなことが起きるのか。ほとんど畏怖すら感じられて、その場に立会うのを躊躇いたくなりもする。

 とはいうものの、なのである。たとえ秘められたものが完全に解放されなくとも、今、こうしてここに唄ってくれているだけで、聴く者は満たされる。どんなに条件が悪くとも、この人の唄が聴ければ、それだけでいい。そう思えるのも確かだ。

 始まる前は無邪気に優河さんとJJFが一緒にやるのだろうと思っていたが、ことはそう単純ではありえない。前半がJJF、後半が優河、時に両者が一緒にやる。

 JJFのライヴは久しぶりだ。先日のパラシュート・セッションがあるが、あれはやはり特別だ。こうしてあらためて単独で聴くと、その進化がよくわかる。それぞれに楽器と唄の腕が上がっているのにまず感嘆するが、その上でアンサンブルが一層タイトになっている。音量の大小、テンポの緩急のダイナミズムがかれらの身上だが、そのメリハリの付け方が一層細やかに、大きくなっている。アンサンブルがタイトになると大抵は小さくまとまるものだが、そうはならずにむしろ大らかに解放してゆく。真の意味での成熟の領域に入ってきたようにみえる。タイトでおおらか、そうだ、これはグレイトフル・デッドだ。個人とバンドでは潜在性の在り方は異なるだろうが、JJFもむしろ以前よりも、まだまだ見せていない、あるいはバンド自体もまだ気づいていない潜在性を備えてきたように感じられる。

 トリコロールは他のミュージシャンを巻き込み、共演することでその潜在性を解放してみせたが、JJFの場合はそれとはまた別の方向へ向かっているようだ。

 とまれ、ここはお祝いの席、アンコールは〈カントリー・ロード〉で楽しくお別れ。いやあ、いいライヴでした。帰りは夜も更けての人身事故で小田急線が止まり、家に着くまでひどく時間がかかったが、むしろいい音楽の余韻に浸れた。ミュージシャン、スタッフの方々に感謝。そして、440の16周年、おめでとうございます。(ゆ)

魔法
優河
Pヴァイン・レコード
2018-03-02





Forget me not





yosoys at 14:50|PermalinkComments(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック イベント