2015年08月24日

イスラームの音楽のつまみ食い

 イスラームの音楽、とはいってもムスリムだけがやっているわけじゃない。ユダヤもたくさんいるし、クリスチャンもやっている。それも、脇役ではなく、堂々たる主人公も少なくない。

 イスラーム世界でおこなわれている音楽、というのも、イスラーム世界という捉え方そのものが問題で、この捉え方が何をさすのかを論じた本まで出ているくらいだ。

 いーぐるの後藤マスターからイスラームの音楽をやってくれ、と言われて、ぱっと浮かんだのは、イスラームが宗海箸靴突ダな地域、モロッコからアフリカの地中海岸、中東、バルカンの元トルコ領、イラン、アフガニスタン、パキスタン、カフカズから東の中央アジア、マレーシア、そしてインドネシアの住民やそこの出身者たちがやっている音楽、というものだった。その中で自分が聴いてきて好きになったものから選ぶ、というのが基本方針。

 もちろんこの地域や地域出身の人たちの音楽を網羅的、体系的に聴いているわけじゃない。あっちこっち、うまそうなところをつまみ食いしているだけ。ただ、これでも20年ばかり聴きつづけていると塵も積もって山まではいかないが丘くらいにはなる。そういう点をつないでみて、リスナーそれぞれに自分なりのイメージが浮かぶのを期待する、というところだ。

 そもそもどうしてこういうものを聴きだしたのか。今ではもうさっぱり覚えがない。きっかけの1つがヌスラト・ファテ・アリ・ハーンであることは確か。ご多分にもれず、WOMAD の最初のオムニバス、フェスの資金調達のためにピーター・ガブリエルが出した2枚組のLPだった。中村とうようが紹介しているのを見て買ったはずだ。スヌラトのトラックはごく短い、断片のようなものだったが、一際強烈に輝いていた。それからたぶんオコラ盤でパリのライヴを聴き、あとはもうとにかく眼につけば買いこんだ。

 きっかけはたぶん他にもあって、もう1つは『包』に関ったこと。1980〜90年代に出ていた季刊のワールド・ミュージック専門誌で、これを星川京児さんが引き継いだ時、どういうわけか中央アジアのメロディア盤をあてがわれてレヴューを書かされた。念のために書いておくと、メロディアはソ連時代の国営レーベルで、国策から、ソ連内の各共和国の伝統音楽の録音を出していた。まだLPの時代だ。これでタジクやウズベク、ウィグルの音楽に初めて触れてはまりこんだ。

 モロッコのヌゥバを知ったこともきっかけのひとつだと思うのだが、どこでどう知ったのかは覚えていない。ひょっとすると全曲録音のCDを店頭で見つけたからかもしれない。1曲で6〜8時間かかり、CDでも6〜7枚組という代物で、長いというだけで買いこんだのかもしれない。音楽でも話でも、長いというだけで聴いたり読んだりしたくなる癖があたしにはある。当時、WAVE に入っていた Art Vivant という店だった。どうやら入れてはみたもののさっぱり売れずにいたのをあたしが買ったらしい。ヌゥバがかつてイベリア半島のイスラーム王朝下で生まれ、後に北アフリカに広がったと知って、この地域の音楽に関心が向いたのだろう。たぶん。

 『包』に関ったことは、あたしの音楽体験をアイルランドやブリテン諸島の枠から開放してくれた点で、ひとつの転機になったのだが、そこで向かった主な先が、上記のような地域だった。『包』の中心はインド亜大陸からアジアだったが、そちらの方にはあまり行かなかった。どこかで昔から「サラセン帝国」とか『アラビアン・ナイト』とかで、イスラーム関連の要素に惹かれるものがあったのだろう。

 『包』が好んだのは伝統寄り、古典音楽寄りのもので、だから、ライやエジプトなどの中東ポップスはほとんど聴いていない。後から表面的に勉強したくらいだ。今回の選曲にもそのあたりは入っていない。アルジェリアのリリ・ボニーシュがシャアビに近いか。この人はあたしがこのあたりに一番夢中になっていた1990年前後に復活した。

 じゃあ、いったいそういう音楽の何にはまったのか、と言われると、よくわからない。アイリッシュの何にはまったのか、とふりかえってみてもよくわからないのと同じだ。

 強いて言えば、たぶんエキゾチックな音階とメロディや、変拍子のような、もう少し乗りやすいリズム、メリスマつまりコブシ、といった要素やその組合せなのだろう。

 それと、なんとも品のある佇まいもポイントかもしれない。本質的には人なつこいのだが、表面的にはつんとすましていて、おおらかで鷹揚でいながら細部に徹底的にこだわる。古典音楽ということは、ヒットを狙う必要がないから、演奏時間の長さなんかはまったく気にしない。一方で旋法、マカームとよばれる、インドのラーガに相当する音階システムや、ヌゥバの曲の構造などはおそろしく厳密であったりする。そうすると全体から受けるものは夾雑物が消えてすばらしくピュアに澄みきった気持ちのよいものになる。情熱的でアグレッシヴにはなっても粗雑にはならない。比べてしまうと、ヨーロッパの古典音楽つまりクラシックの曲や演奏が、なんとも通俗的でスノビッシュに響く。

 まあ、そういうものを好み、選んで聴いてもいるのだろう。とはいえ、その根柢に、聖俗革命が起きるキリスト教と、崇高な理想をつきつめようとするイスラームの違いがあるような気もしてくる。多神教徒のあたしとしては、一神教はよくわからんわいとつぶやきながら、その成果、上澄みのところを楽しませていただいている。

 とまれ、今週末のいーぐるでは、古典、俗謡、アフリカから中央アジア、いろいろなつまみ食いを楽しんでいただければさいわい。(ゆ)



yosoys at 12:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック イベント