2013年06月06日

RINKA & ハナグマボシ@ホメリ、四谷三丁目、東京

 ついに生で聴くことができた小松崎操さんと星直樹さんのデュオは、まさに想像していたように想像以上だった。

 対バンのハナグマボシの中藤さんが言うとおり、RINKA の音楽は「深い」。と同時に広い。それはどこか、やはり北海道の、あの大陸的な空間と時間がうみだしているようでもある。

 静謐でもあって、その点ではマーティン・ヘイズ&デニス・カヒルにも通じるが、マーティン&デニスのような、有無を言わさずに聴くものを引きこんでゆくような、大渦の吸引力は感じられない。ところが、気がつくとお二人の音楽以外のものは存在しなくなっている。それを聴いているはずの自分すら消えている。ただ、お二人の音楽に満たされた、ある深くて広いところにほおりだされている。

 深くて広いところに、ただひとりほおりだされているのだが、寂しいともおもわない。嬉しいか、というとそうでもない。感情といえるようなものはわいてこない。ただ、音楽にさらされている、それがなんとも快い。

 そうだ。『聴いて学ぶアイルランド音楽』の冒頭で、著者がクレアでのジュニア・クリーハン率いるセッションに一種のトランス状態になる、あれがこれではないか。

 興奮というのともちがう。同じアイリッシュでも、アルタンを聴くときとも、パディ・グラッキン&ドーナル・ラニィを聴くときともちがう。ぼくの狭い経験では、録音ではあるけれどシェイマス・クレイを聴くときに一番近い。

 なにか特別のことが起きているようにもみえない。ただ、人がそこにいて、音楽をやっている。しかもなお、それはこの世でもっとも貴重なこと、たとえようもなくありがたいことである。生きてあることの不思議さよ。

 操さん、とここでは呼びたいが、操さんのフィドルはわが国ではユニークだ。弓も指も、動きは最小限で、うっかりすると何も動いていないようでもある。うかがうと、幼ない頃ヴァイオリンの手ほどきは受けているが、フィドルそのものはほとんど独学といっていいらしい。これはまたアイルランドのフィドラーそのものではないか。

 今、わが国でアイリッシュのフィドルを弾かれている人は、ヴァイオリンそのものを始めたのは、クラシックのヴァイオリンという方がまずほとんどだろう。だから、フィドルを演奏するときの動きはかなり大きく、合理的でもある。

 操さんはその点、例外、貴重な例外といえる。

 だからでもあろうか、操さんはほとんどビブラートをかけない。スローな曲でもかけない。これが気持ちがよい。その昔、ホグウッド&アンシャント室内楽団がモーツァルトやヴィヴァルディをビブラートなしに演奏してクラシック界に衝撃を与えたのを思い出す。アイリッシュでもそこが魅力のひとつであることを、あらためて思い知らされる。

 それにしても、だ。巧妙な装飾音を編みこむとも聞こえず、鮮やかなテクニックを披露することもなく、星さんの言うとおり、坦々と、ただ坦々と演奏される音楽は、巨大な力を発揮することもなく、しかし絶大な効果を聴く者におよぼす。ひとまとまりの演奏が終わるたびに、たったいまこれを聴けたこと、生きてこれを聴けたことのよろこびがしみじみとわいてくる。ありがたいという想いがしみわたる。

 録音で聴くよりも操さんのフィドルは細く聞こえる。一方でしなやかに通っている芯は、むしろより丈夫に感じられる。録音では凛とした響きに聞こえるものは、むしろ一切の虚飾から脱け出した潔さのようだ。

 星さんのギターとブズーキもまた操さんのフィドルにふさわさしい。やはり伴奏などではなくて、フィドルと対話しているのだが、距離のとりかたがおもしろい。どこまでも端正ながら、奥にほのかなひそかなユーモアがにじむ。だから二人の会話は、それとわからないほどうまく演じられている落語のようでもあり、浮世とは薄くまた超えがたい幕一枚で隔てられたところでの禅問答のようでもある。

 先日の、求道会館でのヴェーセンもそうだったが、実は1時間ほどのライヴがまったく短かくない。

 対バンとしてはじめに演奏したハナグマボシは、おおあたらしいバンドだと思ったものの、メンバーはおなじみだった。フィドルの中藤有花、鍵盤アコーディオンの熊坂路得子、チェロの星衛の三氏によるトリオ。という編成は、中藤さんの言うとおり、世界でも珍しい。星さんは本調子ではなかったそうだが、チェロがはいったアンサンブルの面白さは格別。おなじみのアイリッシュも、アレンジというよりも、発想がまったく違うアプローチをしていて斬新。そして、とにかく明るい。

 アコーディオンがそもそも明るいし、チェロがまた明るい。あっけらかんとしたものでもなく、能天気などとはむろん程遠い。適度のしめりけのある明るさ。

 その明るさが、相当な冒険をそうとはさとらせず、すとんとのみこませてしまう。終わってから、今のはいったい何だ、と思わせられる。容易ならない。実はとんでもないしろものではないか。

 ホメリは、思っていたよりも四谷に近く、ちょと探した。やけに細長い店ではあるが、雰囲気もよく、コーヒーもシフォン・ケーキもまことに美味。都心にいてぽっかり時間があいたらまた寄ってみたい。

 生き延びてやはりよかった。多謝感謝。(ゆ)



yosoys at 11:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック イベント