2010年10月03日

ポール・マッキャンドレス&古佐小基史@音楽之友ホール

    白状するとジャズのライヴは初体験だった。ジャズの本質は即興にあり、と古佐小氏は言うが、確かに二人の対話はその場での自然発生の新鮮さとスリルに満ちていた。
   
    ハープはジャズでは珍しいが、ピアノとギターの「いいとこどり」も可能であろう。ギターよりも使える音の数は格段に多いし、ハープに比べればピアノは鈍重に聞こえる。
   
    その可能性の限界に挑戦し、あえてその限界を破ろうとするハープを、マッキャンドレスのリード楽器がまた巧妙に煽る。オーボエ、イングリッシュ・ホルン、ソプラノ・サックス、バス・クラリネットを駆使するマッキャンドレスの技は神の領域だ。このホールは本来クラシック用で天井が高い。そこへ昇ってゆくオーボエの澄みきった高音と、地下にあるこのホールからさらに地の底へ広がるバス・クラリネットの低音。その間のありとあらゆる音色とテクスチュア。
   
    すぐれたデュオを聴くといつも思うが、たった二人だけとはとうてい思えない豊饒で、複雑で、広大なタペストリーが、次々に繰り出される。
   
    ハープはまた冷静な楽器だ。どんなに激しいフレーズを奏でても、のぼせあごることがない。人によっては冷たいと感じるかもしれないが、バス・クラが熱く燃えさかるのを受け止めるハープが一緒になって燃えあがらないことで、音楽の奥行がぐんと深くなる。立体的にもなる。これはたぶん、ハープ以外では不可能ではないか。
   
    それはやはりオレゴンに通じる。オレゴンの音楽もまた、熱く燃えさかっているようで、どこかにいつも冴え冴えと醒めたクールな芯がある。マッキャンドレスが共演する気になったのも、古佐小氏のハープに同様のクールさを聞いたからではないか、とも思う。
   
    ジャズは即興の音楽かもしれないが、もう一つ、不可欠の要素がある。ユーモアだ。茶目っ気のないジャズはジャズではない。眉間に皺寄せて聴く音楽ではないのだ、ジャズは。よいジャズを聴くとリラックスする、と植草甚一は言った。やはり的の真ん中を射貫いている。
   
    そのジャズをハープでやる。もう、それだけで頬がゆるまないか。対するはオーボエにイングリッシュ・ホルンにバス・クラと、これまたジャズでは「異端」の楽器だ。この遊びごころ。誰もやらないことをやろうとする冒険心。あたりまえではつまらないと感じる想像力。そこから生まれる新しい面白さ。そうだ、「ステレオタイプなものごとは重要じゃない」。ステレオタイプをはずれてゆく、この快感。
   
    会場には人口呼吸器をつけたALS患者の方がふたり見えていて、この体験を共有できたこともステレオタイプからはずれていた。こういう例はしかし、ステレオタイプになってほしい。
   
    この日発売になったCDもたくさん売れていて、終演後のサイン会には長蛇の列。この型破りな音楽は聴けば好きにならずにいられない。マッキャンドレスにはまだまだ末永い活躍を、古佐小氏にはその世界の拡大を、心より祈念する。
   
    それにしてもこういうのを見ると、マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルは、アイルランド伝統音楽を素材としたジャズだ、と思う。伝統音楽でもあり、ジャズでもある、細い綱を、堂々と渡っている。(ゆ)


yosoys at 00:14│Comments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック イベント 

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