生梅のライヴをようやく見ることができた。中原さんの産休のおかげで、生梅としては1年半ぶりのライヴの由。あたしも含め、3分の1以上がライヴは初めてだった。お休みしている間にファンが増えたわけだ。若い男性が大半なのは、まあ当然か。

 ご当人たちが「楽しい」と連発していたが、この二人の音楽は実に楽しい。このデュオはシャロン・シャノンに似ている。異邦の音楽をやる人として可能なかぎり「天然」でもある。生まれつく前から周囲にあった楽器や音楽をやるわけではないから、そこには程度の差はあれ、摩擦や葛藤があるはずだが、二人ともそういうところは微塵も見せない。まるでそんなものは存在しないかのようでもある。あるいは摩擦や葛藤すらも楽しみの一部なのか。そういうものが本当に無かったならば、そんな音楽は楽しくない、ということか。

 だとすれば、それはよくわかる。はじめから素直に、抵抗もなくすとんと入ってくる音楽は、またすぐに抵抗もなく出ていってしまう。良さがわかるまで時間がかかる対象の方が後に残る。

  アイリッシュ・ミュージックはわれわれにとって異文化以外のなにものでもない。アイリッシュ・ミュージックを聴くたびに、そのことは常に新たに思い出させられる。その抵抗を、摩擦や葛藤を自分なりに包みこみ、消化し、取り込む、そのことが何よりも楽しい。そしてその過程で、当然のことながら自分もまた変わってゆく。それがさらに楽しい。その変化は技術的な向上、音楽理解の深化だけでなく、人間存在そのもののレベルにまで及ぶ。この二人の楽しさには、そういう深さがある。

 ブランクを感じない、とこれまたご当人たちが言っていたが、確かにデュオとしては久しぶりであっても、その間むしろ音楽活動はより活発だったのではないか。産休や育休はあったにしても、音楽をやる時間はむしろ増えていたのかもしれない。梅田さんの方は、ゲーム音楽はじめ、活動の幅が広がり、より多彩な音楽体験もされている。そうした経験は着実に身について、技術的にも内容的にも、1枚も2枚も皮が剥けているように聞こえる。ライヴはこれが初めてだから、録音との比較だが、一言でいえば、お二人とも格段にうまくなっている。比べものにならないほど安定してもいる。梅田さんが指摘されていたように、中原さんのロールは気持ちがいい。例の朝ドラの音楽のために小指を酷使していたら、以前より小指がずっと速く確実に動くようになったそうな。音楽というのはやはり体育会系なのだ。

 どの曲も良かったが、中村大史さんのオリジナルがことに良かった。これは名曲じゃのう。

 面白かったのは、クラシックのハープでは弦がかなり強く張られているので、弾く手も力を籠める。弾くたびに拳に握るようにする、という梅田さんの話。アイリッシュではいちいち握っている暇は無いからもっと力を抜かねばならない。クラシック・ハープの人がやると、初めは1曲弾きとおすのもたいへんらしい。力を入れすぎてくたびれてしまうのだ。チーフテンズと一緒に初めて来たとき、トゥリーナ・マーシャルが恵比寿のパブでソロ・ライヴをやったが、その時はまさにその通り、1メドレー弾きとおすのがやっとで、3、4曲やると指がもつれたりしていたのは、そういうわけだったのね。

 そのままでは音量が違いすぎるので、ハープは底の穴の中にマイクを入れて増幅していたが、いい音ではある。弦はナイロンではなく、ガットにより近いカーボンの新素材だそうだ。この点は技術革新が進んでいる。パイプのリードの素材革命ははたして起きるだろうか。

 グレインのギネスはなかなか旨い。夜はジャズ・タップダンスのライヴだそうで、それはまたたいへんに見たかったのだが、先約があったから、梅田さんが安井マリ氏をサポートしたCDを買って店を出た。外は夏至の直後とてまだまだ昼間。そうだ、ここは阿波踊りの街ではないか。(ゆ)