フィドルの大渕愛子、ギターの中村大史にパーカッションの渡辺庸介まではおなじみだし、どんな音楽になるかも想像がつく。しかしこれにアコーディオンの秦コータローが入るとなるととたんに想像がつかなくなる。渡辺さんのプロジェクトにはこういう形が多い。先日のコエトオトも、渡辺さん、中村さんは同じだが、アコーディオンが佐藤芳明、そしてヴォーカルの優河となるといったいどうゆことになるのか。おや、そういえば、どちらもアコーディオン、それもアイリッシュなどのボタンではない、鍵盤だ。佐藤氏も秦氏も伝統音楽ではなく、ジャズを中心に活動している。

 グルーベッジはもともとは渡辺、大渕、中村のトリオの名前で、この日は秦氏が入って「+」。ということだったが、ライヴの途中でこの「+」の部分はその時々で変わることが判明した。

 とまれ、今回は演奏した曲のほとんどが秦氏の作曲で、今回のための書下しも2曲ほど含まれる。どれもキャッチーなメロディの佳曲。ほんとうに皆さん、作曲が達者だ。

 カタチとしてはとても美味しいジャズだ。ただ、元になるメロディがジャズのスタンダードやジャズのイディオムを意識していないので、まずそこが面白い。ときにはアイリッシュ的に短かい曲の繰り返しにもなるのだが、その繰り返しがジャズ的な即興になる。秦氏のみならず、大渕さんのみならず、渡辺さんも、さらには中村さんもソロを展開する。中村さんは「コエトオト」でもこれまで無かったソロを生ギターで楽しく演じていた。これは新境地かもしれない。

 そしてその即興が楽しい。秦氏のソロは佐藤芳明氏のような鋭く切り込むのではなく、響きも柔かで、一聴優しそうだが、曲のツボを押さえてくれる。大渕さんもハモクリなどで鍛えられて、もうすっかりジャズ・ヴァイオリニストだ。ハモクリが格闘戦とすれば、こちらはもう少しカジュアルで、その分細かい技がうれしい。ハモクリのライヴでもそうだったが、高域はむしろアコーディオンにまかせ、本人のヴァイオリンは低域にふくらむことが多い。後で聞いたらやはり低い方が好きだという。五弦を使うのもそのせいらしい。この五弦、ヴィオラの音域が効いている。普通のヴァイオリニストやフィドラーはやはり高域が好きだから、大渕さんの低域好きはむしろヴィオラ弾きと呼ぶべきかもしれないが、より幅の広い音域を自在に飛びまわるのは独壇場だろう。

 渡辺さんのソロも面白い。これで3回目になる渡辺企画のライヴで感じるのはセンスの良さで、いつどこで何を鳴らすかの選択のセンスがすばらしい。とてもカラフルな音がする。近い人をあげれば、デヴィッド・リンドレーが連れてきた Wally Ingram だろうか。リズム楽器というよりはアコーディオンやヴァイオリンと対等だ。リズムのキープは中村さんがやっている。

 お客さんのほとんどはアイリッシュ好きの人だったようだが、全部ツボにはまってたという声も聞えた。思うにアイリッシュをはじめとするヨーロッパのルーツ音楽の繰り返しは、演奏する本人たちにとってとにかく楽しいのだろう。繰り返すことそのものが楽しくてしかたがないのだ。それに対してわれわれは、幸か不幸か、アメリカのポピュラー音楽の形式で教育されてしまっている。繰り返しだけでは十分に楽しめない。そこで変奏をする。ソロを展開する。メロディは非アメリカ的だが、手法はアメリカ的と言えようか。

 個人的ハイライトは大渕さんの〈時間泥棒〉で、秦さんの演奏には曲が悦んでいた。この曲は難度が高いそうだが、もっといろいろな人の演奏を聴いてみたい。

 それにしてもバンマスとしての渡辺さんの企画力はすばらしい。本格的に追っかけをしたくなってきた。さあ、次はいつどこだ?(ゆ)