アイリッシュ・フィドル入門@下北沢の本屋B&Bあやことはじめ、そしてちあき@ホメリ、四谷三丁目

2018年03月05日

さいとうともこ《Re:start》

 さいとうさんの初のソロはフィドルのソロ・アルバムだ。オーヴァー・ダブなども無い。1本のフィドルの音だけ。

 アイリッシュ・ミュージックに伴奏は不要、ということは『アイリッシュ・ミュージック・セッション・ガイド』にも言明されている。実際、フィドルをソロで、1本だけで弾くのは、演奏の現場では珍しいことではないだろう。とはいうものの、こと録音となると、実に珍しいものになる。SP録音の時代から、フィドルには伴奏がついていた。マイケル・コールマンやジェイムズ・モリソンがいつもピアノ伴奏で弾いていたとは思えないが、販売するための録音としては伴奏が必要だとレコード会社、あるいはプロデューサーという者が当時いたとして、そういう人間が判断したわけだ。フィールド録音ではフィドル1本もあるが、それは記録や研究を意図しているので、鑑賞用とは一応別である。

 パイプやハープは、独りでメロディとコードを演奏できるから、それらのソロ録音では、伴奏がつかないのが普通だ。フルートや蛇腹ではやはり無伴奏はごく稀である。一部のトラックは無伴奏でも、アルバム丸々1枚そっくり無伴奏というのは、思い出せない。フランキィ・ケネディ追悼のオムニバスが無伴奏のフルート・ソロを集めているが、あれはちょっと意味合いが異なる。

 演る方にしてみても、アルバム1枚無伴奏で通すのは、なかなか度胸の要ることではなかろうか。エクボだけでなく、アバタも顕わになる。隠そうとして化粧すれば、それとわかってしまう。ミスを勢いでごまかすわけにもいかない。

 もちろん、伴奏者がいたとしても、マイナスの面をカヴァーしてもらおうというのは甘えだろう。伴奏はそうではなく、対話を通じて音楽を単独では到達できないところへ浮上させるためのもののはずだ。それがいないということは、独りだけで目指すところへ登ってゆくことになる。迷っても音楽の上で迷いをぶつける相手はいない。

 あらためて見てみると、無伴奏のフィドルのソロ録音はかなり敷居が高いものに思える。ところが、だ。さいとうさんの演奏には高い敷居を超えようという意識がまるで無いのだ。

 というよりも、演奏している、フィドルを弾いている、それを録音しているという意識すら感じられない。音楽がただただ湧きでて、流れてくる。広大厖大な音楽がどこかを流れていて、その流れがさいとうともこという存在をひとつのきっかけ、泉のひとつとして、実際の音、メロディとして形をとっている。本人はいわば音楽の憑代であって、演奏者としてはもちろん、人間としての姿も消えている。

 譬えはあまりよくないかもしれないが、オーディオの理想は機器が消えることである。スピーカーとか、プレーヤーとかは消えて、ただひたすら音楽が聞えてくる。それが最高のオーディオ・システムだ。

 実際はどうか、わからない。実はひどく悩み、迷い、ああしまったと思いながら弾いているのかもしれない。しかし、そんなことはカケラも見えないし、聞えない。いい音楽が、最高のとか天上のとか、そんなんではない、シンプルにいい音楽が、ぴったりのテンポで、どんぴしゃの装飾音と音色の変化を伴い、聴く者を包む。その流れのなかにどっぷりと漬かって、ただひたすら気持ち良い。こちらも音楽を聴くという意識が消えてゆく。ただただ流れに運ばれて、曲が、トラックが終るとふと我に返り、次のトラックが始まるとまた運ばれて、1枚が終るとどこか別のところにいる。別の自分になったようだ。

 演奏されているのは確かにアイリッシュ・ミュージックであり、演奏のスタイルも手法もその伝統に則っている。アイリッシュ・ミュージックの伝統から生まれたものにはちがいない。伝統というものはこのような作用もするものなのだ。

 ここでもう一度、あらためて振り返ってみれば、この音楽を生んえでいるのはやはり一個の人間である。音楽の憑代になりうる人間。その存在を消して、音楽そのものを流しだすことのできる人間。そこで存在は消えても、この音楽をカタチにしているのはさいとうともこという、宇宙でただ一人の人間だ。さいとうともこがいなければ、この音楽は存在しない。

 これを名盤とか傑作とか呼びたくはない。今年のベスト・ワンは決まったとか、そういう騒ぎもしたくない。黙って、今日もこれを聴く。昨日も聴いた。明日も聴くだろう。普段着の、お気に入りのシャツ。ついつい袖を通してしまい、毎日洗濯しては着ているシャツ。それに身を包まれていると、安らかで、動きやすくて、生きていることが楽しくなる。

 こういう音楽はアイリッシュ・ミュージックからしか生まれない。と言っては傲慢であろう。とはいえ、アイリッシュ・ミュージックを聴いてきて心底良かった、と思えることも否定しない。

 ジャケットではアイリッシュ・パブのカウンターに腰をかけ、和服にベレー帽といういでたちで、眼をつむり、フィドルを弾いている。粋と艷のきわみだ。(ゆ)


さいとうともこ《Re:start》
Chicola Music Laboratory CCLB-0001

さいとうともこ: fiddle

Tracks
01. Eleanor Plunkett {Turlough O'Carolan}
02a. Maids of Selma
02b. Up in the air
02c. Buttermilk Mary
03a. Roscommon
03b. Three scones of Boxty
03c. Killavil
04a. Newmarket
04b. Ballydesmond #3
04c. Rattlin' Bog
05. Da Slockit Light {Tom Anderson}
06a. Rolling waves
06b. Cliffs of Moher
07a. Tuttle's
07b. House of Hamil
07c. Curlew
08a. Father O'Flynn
08b. Out on the ocean
08c. Mouse in the kitchen
09a. Lord Inchiquin {Turlough O'Carolan}
09b. Give me your hand
10a. Down by the Salley gardens
10b. Paddy's trip to Scotland
10c. Mother's delight
10d. Reconciliation

Recorded by いとう・ゆたか (bus-terminal Record)
Designed by よしお・あやこ
Photo by いしかわ・こうへい
http://tomokosaito.net/news



yosoys at 12:26│Comments(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック ソフト 

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